「眠い」
縁側で夕暮れになる前の陽に辺りながら鶴丸は唸る。結局、昨晩は眠れなかった。どうして眠れるだろうか。あの豊満な胸に抱かれ、柔らかな香りに包まれ、美しいかんばせを寄せられ、その中で眠れとは無理な話だ。むしろ今まで自分はどうやって眠っていたかわからない。
おかげで今日は朝から光忠の顔を直視することができない。今日は粟田口短刀勢が遠征出陣がなく、よく鶴丸に構ってくれた。先ほどまで一緒に遊んでいたので、光忠に対する違和感にはきづかれていないと思うのだが。粟田口が出陣から帰還した一期の出迎えに行き、光忠と鶴丸は茶の時間とすることになった。お茶を準備してくるねと光忠は席をたち、鶴丸は縁側で待っているところだ。強くない陽射しに晒されていると眠さがぶり返してくる。
「いかかがされましたかな、鶴丸殿」
「んぁ?」
うとうとと船をこぎかけていたところに柔らかな声がかけられる。目を擦り、声の主を見てみると柔らかな声には似合わない派手な格好をした、貴公子が立っていた。
「ああ、一期か。兄弟達はどうした?今しがた君をお出迎えすると言って解散したんだが?」
「弟達でしたら、一緒に出陣していた蛍丸殿が面白いものを拾ってきたとのことで、すっかりそちらに夢中になっております」
「その調子なら誰も怪我しなかったみたいだな」
「そういう鶴丸殿はずいぶん疲れたご様子。弟達に付き合わせてしまったようで申し訳ない」
苦笑いを浮かべて頭を下げる。付き合いは短くないはずだが、平生の一期はいまだに畏まった態度をとる。距離を感じないわけではないが、真面目で礼儀正しい刀だと好ましく思っている。これは単なる寝不足で、弟達のせいではない。むしろ、よく構ってくれて楽しいと伝えると、一期は嬉しそうに微笑んだ。
「隣、よろしいですかな。長居は致しません。主に報告もありますし」
「いいぜ。帰ってきたばかりだろう、少し休憩してから行ったって、主は怒らないさ」
「では失礼して」
鶴丸の横に腰を下ろしてふぅと一息つく。誰も怪我がなかったとはいえ帰ってくるまで気が張っていたのだろう。そんな一期を労るように膝をぽんぽんと叩いてやる。
「何やら、不思議な感じがしますな。鶴丸殿がこんなに幼くなってしまわれるとは。皆は馴染んでいるようですが、私はどうも」
「自分で言うのもなんだが、かわいいだろう?君の弟達にも負けてないと思うんだ」
「はっはっは!ご冗談を。うちの弟達には何一つ勝りますまい」
一期がにこやかに断ち切る。
ブラコン代表格は弟達のことに関するとさすがに手厳しい。本当に抜刀せず言葉の刀で切っただけましだ。肩をすくめることで返事をした鶴丸を、気にした様子もなく一期は話を進める。
「弟達ほどではないにしても確かに愛らしい」
「そうだろう!」
「しかしながら、やはりいつもの鶴丸殿でなければ困りますな」
「何故だ?」
「このお姿では、悪戯をされても強く怒れないからです」
「よしわかった。ずっと、この姿でいることにしよう」
「冗談に決まっているでしょう。鶴丸殿もそんなことは望みますまい。貴方の好きな戦場にも行けないですから」
確かに、一生このままは困る。そろそろ本当に戦場が恋しくなってきた。刀であることを抜きにしても戦闘狂のきらいがあると言われたことがあるが、事実かもしれない。元に戻りたい。戻りたいのだが。
「残念がられはしないだろうか」
ポツリと言葉がでてしまった。昨日から強くなった自分の気持ちだ。
光忠は元に戻った鶴丸を見て、なんと言うだろう。よかったと言ってくれるだろうか、大倶利伽羅と同じように大きくなって喜んでくれるだろうか。鶯丸も鶴丸は子供に当てはまらないと言っていたし、何より光忠本人が鶴ちゃんではなく、鶴丸さんと仲良くなりたかったと言っていた。きっと喜んでくれるはずだ。だが、もし残念がられたら。小さい方がよかったと、思われてしまったら。そう考えると以前の、元に『戻りたくなくなる』とは違い、元に『戻るのが怖い』と感じてしまう。
万が一でも距離ができてしまったら。これ以上、一筋でも距離が離れるなんて、考えたくない。それどころか、もっと、もっと近づきたい。近づけば落ち着かなくて逃げ出してしまいたくなると言うのに。
「硝子の靴を前にした灰かぶりも実はそんな気持ちだったのかもしれませんな」
「なんだ、急に」
「失礼。弟たちに読み聞かせた異国の童話を思い出してしまって。それでも彼女は汚い姿を晒して靴をはいた。解けない魔法はありません。後は本人の魅力で王子様の心を射止めなければ。お膳立ては出来ているのですよ、鶴丸殿」
独り言かと思っていれば、名前を呼ばれたので慌てて一期を見上げる。一期は完璧な笑顔でにっこり微笑んでいた。それこそ、童話に出てくる王子様のような姿で。
「それともうひとつ。大きい体には、大きい体の利点があるということをお伝えしておく。私はあの子達より大きな体を与えられてとても幸せです。弟達を守り、強く抱き締めることができるのですから。鶴丸殿は・・・・・・元に戻っても小さいですが、まぁ、身長差が関係ないところが勝負どころですからな!」
「小さくない!だいたい君と俺は身長一緒ぐらいだぞ!俺が小さいなら君も小さいだろう!」
心外だと声をあげれば、今度は一期がやれやれと肩をすくめる。まるでわかってないと言いたげだ。真面目で礼儀正しい刀なのだ、ただ鶴丸がちょっかいかけすぎたせいで、平生でも時々扱いがぞんざいなこともある。
声をあげたせいで、少々ふらりとした。はじめて徹夜というものを経験したが寝不足は辛いものだと知る。加えて今まで散々遊んでいた上に、光忠に対して緊張していたものだから尚更だ。
「そのご様子だと、そろそろ気づくと思うのですが」
「?何のはなし、」
「あ、一期君だ。お帰りなさい、出陣お疲れさまでした」
最近周りが鶴丸に対して謎かけのようなはっきりしない言葉を投げ掛けてくることが多く、例にも漏れず一期も意味深な言葉を呟く。どういう意味だと問いかけようとすると同時に茶と茶菓子をお盆にのせた光忠が現れた。
それだけでどきどきと鼓動をならしている鶴丸をよそに一期は朗らかに返事を返す。
「燭台切殿。今日も弟達がお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ今日も楽しかったよ。鶴ちゃんとみんなで楽しそうにしててね、天国みたいだった。あ、お茶どうぞ。お菓子も食べて、疲れたでしょう」
「ありがたくいただきます。まぁ、そうでしょうな。弟達は天使ですから」
はい、鶴ちゃんもどうぞ。と差し出された茶碗を平然を装って受けとる。手袋に包まれた指先と鶴丸の指先が触れる。それだけで鼓動が大きくなるのに革の感触が妙に気になって、邪魔だと感じた。
「そういえば2人の話の腰折っちゃったかな。ごめんね。何の話ししてたの?よければ僕も混ぜてほしいな」
「いえ、鶴丸殿が、」
「一期!」
なんの躊躇いもなく話し始める一期に思わず声をあげる。別にやましい話をしていたわけではない。そもそも一期は三日月と違って人との会話を他人に話したりしないだろうが、不安を覚える。三日月だってわざとしているわけではない、一期だってうっかり言ってしまうこともあるだろう。
「鶴ちゃん?」
「いちにー!」
予想以上の強い声が出てしまった。突然声を荒げた鶴丸に戸惑うような光忠の声。それを掻き消すように叫ぶ声が聞こえた。
「秋田。それに小夜殿、宗三殿」
「お帰り、一期一振」
「出陣お疲れさまでした」
「いちにい、お風呂行きましょう!」
立ち上がり頭をぺこりと下げる一期に、同じように返す左文字兄弟。秋田は一期の手を引っ張っている。よく見れば秋田と小夜は髪が少し濡れているようだ。
「どうしたんだい、秋田。髪が濡れている。ああ、小夜殿も」
「タオル、持ってくるよ」
「いいよ、僕ら風呂に入るから。愛染達はもっとびしょ濡れなんだ」
「蛍丸くんが水風船っていうの持ってきてくれたんだ!それで遊んでたらいっぱい割れちゃって、濡れちゃったんです!」
濡れたというのに楽しそうな笑顔で話す。少し前までは別の遊びをしていたというのに元気なことだ。
「他の短刀達は先に風呂に向かってますよ。それで貴方も出陣帰りだから一緒に入ってはどうかと誘いにきたところです」
「いえ、私は主へ報告を、」
「それなら、鳴狐が行ってくれたよ。みんなと入っておいでってさ」
「叔父上が。そうか、それならそうさせてもらおうかな」
「わぁい!あ、鶴丸さん!鶴丸さんと燭台切さんも一緒にお風呂はいりませんか!」
光忠が持ってきてくれた茶菓子をぱくりと口に含んだところで話をふられる。光忠も今来た三振りに茶菓子を渡そうとしていた姿勢のまま可愛らしく小首を傾げる。
「僕たちも?」
「そうなさい。さっきまで短刀達と遊び倒していたんでしょう。貴方達、自分で思っている以上に汚れていますよ」
「え、そうかな。やだな、身なりは整えておかないと。鶴ちゃん、僕たちも一緒に行こうか」
「俺は一人で入る」
思わず大倶利伽羅のような言葉が口から出る。案の定、宗三に大倶利伽羅ですか貴方はと言われたが、鶴丸の頭には入らない。光忠と風呂など入れるわけがない。あの白い肌を直接この目に入れろというのか。長く美しい指で頭を洗われている時、鶴丸にどうしろと。湯上がりの濡れた髪に、上気した頬。無意識な、しかし罪深い、およそ刀の時には存在しなかった何かを振り撒く光忠を前にしろとは、鶴丸に心臓破裂させて死ねと言っているようなものではないのか。
「で、でも鶴ちゃん小さいし、一人でお風呂危ないよ」
光忠が傷ついたように反論してくるがこれは譲れない。頑として頷くわけにはいかないのだ。
「僕が、鶴丸国永と一緒に入るよ」
「小夜くん」
「風呂場で滑ったりしないように見ておく。後、髪も洗ってあげるよ」
「僕も!僕は、目にシャンプーが入らないように手で隠してあげる係します!」
「ああ!小さい子を前にお兄ちゃんしている小夜!なんてかわいいんでしょう!僕は今感動で前が見えませんよ!」
「わかります!わかりますとも、宗三殿!秋田はなんて優しいのでしょう!確かに目にシャンプーが入るのは痛いですからな!」
ブラコン二振りが非常に煩いが、短刀二振りの提案は鶴丸にとって助け船だ。優しい子二振りに感謝する。
「でも、」
まだ納得できない光忠が何か言おうと言い澱む。らしくない光忠に場の雰囲気が変わる前に一期が少し大きめの声をあげる。
「まぁ、しかしその方がよろしいかと。浴場も広いとは言え、あまり多くでいては寛げませんからな。秋田、私ももう少し後で行くよ。鶴丸殿をお願い出来るかな?」
「はい!」
「宗三兄様、行ってくるね」
「鶴丸ばかり気にして自分を疎かにしないように。しっかり暖まっておいで」
「うん。いこう、鶴丸国永」
「ああ」
差し出された小夜の手をとって、ぴょいんと縁側から降りる。反対の手を秋田と繋ぎながら振り向かずに歩いていくと後ろから光忠達の話し声が聞こえた。
「反抗期かなぁ。でも、倶利ちゃんですら大きくなるまで反抗期なかったのに」
「反抗期と言えばうちの乱と薬研が最近甘えてきてくれなくて、困っております。というか寂しい」
「もし小夜が反抗期になったら僕は死にます」
他の二振りの言葉は入らず、ただ光忠の言葉にカッとなる。反抗期、それは子供が親にするものではないか。確かに見た目は子供だが、心まで幼いわけではない。そもそも、世話をしてもらっているが光忠は親ではない。本当に小さかった大倶利伽羅に対して使うなら理解できるが、鶴丸にまで使うのはどういうことか。光忠にとって自分の行動は、この気持ちは幼い子供の癇癪からくるものという認識でしかない。光忠にとって鶴丸は、自分の庇護下にいるべき子供なのか。それでいい。それでいいはずなのに何故こんなにも腹が立つ。先程までぐるぐると考えていたものが、そのまま鍋に放り込まれたようにぐつぐつと煮え滾っていく。
「鶴丸国永、怖い顔をしているよ」
「ん?」
「心配しなくても大丈夫、極力顔にお湯がかからないように気を付ける」
「僕も、最初は怖かったけどちゃんと手で押さえたら髪洗うの平気になりましたよ!」
「ありがとうな、二振りとも」
しらず思いを表情に出してしまったらしい。光忠のこととなるとこの小さな体は特に素直に反応してしまう。鶴丸の表情を別の意味にとった優しい二振りに少しだけ癒されて、鶴丸は煮えた思いをそっと隠した。
「どう?鶴丸さん?」
「ふぁ?」
浴槽に浸かってどうしたものかと考えていると半分寝かかっていたらしい。危ないところを近くにいた乱がすぃーっと近寄ってきて声をかけてくれた。髪をタオルで纏めている乱は一見少女にも見えて一瞬ぎょっとしてしまう。秋田と小夜は近くにいない。鶴丸の世話を終え、自分の体を洗っているところだ。すこし離れたところに薬研が江戸っ子のような声を出して寛いでいる。その先には五虎退達がきゃいきゃいとはしゃいでいる。
「主さんがね、鶴丸さんは、僕と薬研みたいになりたい人がいるんだって言ってたよ。それが燭台切さんだったんでしょ?仲良くなれたかなってずっと気になってさ」
他の短刀達に聴こえない様にか、鶴丸の耳に片手を添えて声を落とす。
そういえば乱は鶴丸が小さくなった時にちょうど主の部屋に来たのだった。鶴丸が意図的にこの姿であると言うことを知っている。
思わずため息をつく。今まで平然とした顔を作っていたが光忠の名前が出た途端これだ。
「あれま、上手くいってないの?」
「いっていないというわけではないんだが、俺が上手くできていないというか。仲良くなりたくて、こんな姿になって、光忠も仲良くしたいってずっと思っててくれたと知ったんだが、今度は戻るのが怖くなって。それで、」
「それで?」
「それで、今は子供扱いされてむっとしているところだ」
「なぁにそれ!」
きゃらきゃらと笑う乱に本当なんなんだろうなと呟く。自分に呆れてしまう。
数刻前までは、万が一でも距離が出来たら嫌だと、残念がられたら嫌だから元に戻りたくないと、思っていたのだ。しかし今は、子供扱いされたことに不満を感じている。光忠に対するものを上手く受け取ってもらえないことに、憤りを感じている。矛盾もいいところだ。
「あのさぁ、鶴丸さんは自分でわかってないみたいだけど、その姿が嫌なんだと思うよ」
「嫌?」
「そう。だってさ、その姿で仲良くなっても本当の自分じゃないんだから苦しいだけじゃない」
ぴぴと人差し指をたてる乱を凝視してしまう。
「僕もね、薬研に嫌われてるって思いこんでた時に悩んだことあるんだ。薬研が僕を嫌うのは、僕がこんな恰好してるからかなぁ、ちゃんとズボン穿けば仲良くしてくれるかなぁとか。色々思ったよ。実際、主さんに頼んでズボンを用意してもらったこともある」
その時のことを思い出したのか、苦笑いをしながら立てた人差し指で頬を掻く。
「でもさ?もしそれで、薬研と仲良くなったって意味ないじゃん。だって仲良くなれた僕は本当の僕じゃないんだもん。それで仲良くなったって苦しいだけじゃない」
「じゃあ君は、どうしたんだ?」
「薬研にね、仲良くして!って言ったの。僕は薬研が大好きなんだよ!って言ったよ」
後ろで薬研がぶっと吹き出した。きっと今の会話が聴こえたのだろう。その時の記憶は余程楽しいものなのか、肩を震わせて笑い出すのを耐えている。
「だってさ、伝えないのに相手にわかるわけないんだよ。好きだよ、仲良くしたいよ、離れたくないよ。ちゃんと僕を見てって。そりゃ、仲良くなりたい人のために自分を変えるって健気だと思うよ。でもそれより先に、自分の気持ちをちゃんと伝えなきゃ。そしてそれを伝えるのは魔法なんかじゃない、でしょ?」
ああ、そうだろう。その通りだと思う。相手に仲良くなる為に自分を相手にあわせるというのは、いいことだとわかっている。歩み寄る第一歩だ。しかし、相手に好かれようと自分をひた隠しにして、本当に言いたいことも言わず。それなのに正しく気持ちを受け止めてほしいとは、なんて虫の良い話だろう。
「そうだよなぁ。本当の俺は子供ではないのだし」
「きっかけとしてはよかったのかもしれないけどね。だって、鶴丸さん、前の鶴丸さんより燭台切さんのこといっぱい知れたでしょ」
「ああ、それはそうだな」
それは、光忠も鶴丸と仲良くしたいと思ってくれていたことだ。しかしそのせいで何故か光忠をまともに見れなくなってしまった。そのことを思い出してううんと唸る。わけのわからない感情に支配されるのは、困る。先程みたいにすぐ煮えたぎって、冷静な頭ではいられなくなってしまうからだ。
唸る鶴丸を、しょうがないなぁと一言呟いた後、乱がくすりと笑った。言葉の割にはとても優しい顔である。
この本丸の刀の面倒を見てきただけのことはある。包容力を感じさせる表情だ。
「まず、元に戻ってしまう前に燭台切さんとちゃんとお話してみなよ。鶴丸さんが望むようになれるよ。うん、きっと大丈夫。僕が保証するからね」
そのまま、両手を開かれ、薄い胸の中へ抱かれる。光忠の時とは違って、ただこそばゆい。何が違うのだろうと、不思議に思う。小さいと思っていた乱の腕に、すっぽり収まりながら、鶴丸は答えを探した。
「おい、みんな。今見たことは一兄には絶対言うなよ。あの人、俺達に関しては器の見た目の大小なんか気にしないからな。いいか、鶴丸さんに消えてほしくなけりゃ、絶対に言うんじゃないぞ」
薬研は命の恩人だ。このご恩は決して忘れまい。後日機織り機持参で部屋を訪れるとしよう。顔を青ざめさせて、思わず震えながら鶴丸は薬研に感謝した。
一式の布団を挟んで寝巻代わりの着流しを着た鶴丸と光忠は対峙している。乱に言われ、鶴丸がこの姿であるうちに自分が光忠とどうなりたいのかきちんと話してみようと思ったのだ。自分でもわかっていないところもあるが、光忠と今後も仲良くしていきたいということ。そして大倶利伽羅も含めた三振りで過ごしたいということははっきりしている、それを伝えられれば良いだろう。
しかし、なんだろうかこの緊張感は。伝えればいいだけだ。大きな時には言えなかったことも、光忠に関しては特に素直なこの体ならば言えるはず。ましてや、光忠も鶴丸と仲良くなりたいということも知っているのだから。
小さな行灯だけを灯した、薄暗い部屋で見えるのはお互いの姿だ。光忠の美しい金色の隻眼が鶴丸を見つめて仄かに光って見える。それだけで鶴丸は、何も言えなくなってしまう。同じように光忠を見つめて光っていただろう瞳を伏せた。
今宵は無理な気がする。こういうかしこまった時ではなくて、何でもない時にさらりと伝えたい。今のままでは寝不足も手伝ってなんだか違うことまで言ってしまいそうだ。ここは、安眠を確保するために別の部屋で一晩過ごして明日伝えることにしよう。そう決めて鶴丸は口を開く。
「あのな、光忠。今日は、粟田口の短刀達に一緒に寝ないかと誘われたんだ」
嘘ではない。風呂からの流れで夕食も一緒に食べた時に誘われたのである。短刀達は本当によく構ってくれる良い子達だ。
「だからな、今日はあの子達と一緒に寝ようと思うんだ。光忠も久しぶりにのびのびと寝られるしな」
それっぽい理由もつけて重ねる。きちんと理由もつければ、光忠も反抗期とは言わないだろう。少し寂しそうにしながらも、そっか、それはみんな楽しみにしてるだろうね。いってらっしゃいと笑って言ってくれるだろう。
「というわけでな、ちょっと、」
行ってくる、と腰を上げながら言おうとすると布団の向こう岸から伸びてきた長い腕が鶴丸の着流しの袖を引き留める。見れば先ほどまで正座をしていた光忠が布団に片手をつき前のめりの格好になっていた。
「み、みつただ?」
「一緒に、寝てほしい」
鶴丸の低い視線からも見えてしまう鎖骨から下の滑らかな肌に頭を殴られたような衝撃を感じていると、迷子の子供のような顔で光忠が呟く。
「我が儘なんてすごく格好悪いけど、鶴ちゃんと一緒に寝たいんだ。叶えてはもらえないかな」
光忠からの我が儘など、はじめてだ。それがまさかこんなこととは。格好悪くなどない。むしろなんて可愛らしい、と鶴丸の胸はどきどきと音をたてる。やはりダメかなと鶴丸ににじりよる姿は、艶めかしく、いっそ視界の暴力だ。どきどきという音ががんがんと頭を殴ってくる。だめなものか、光忠がそれを望むなら鶴丸は叶えるに決まっている。鶴丸こそ、光忠と褥を共にしたい。ああそうだ、そうなのだ。鶴丸の頭で何かがかちりとはまった。そして深く考えることもないまま、光忠に近寄り、両肩に手をかける。鶴ちゃん?と戸惑ったように問いかける光忠を目の前にしても、躊躇わなかった。鶴丸の頭には、感情のままに、体が動いた通りに、気持ちを伝える。と言うことしかなかった。
ゆっくりと顔を近づける、光忠は避けなかった。そのまま光忠の唇に鶴丸の唇を重ねながら、両肩に乗せた手を押す。子供の体だ。強い力ではない。しかし光忠の体は正しく後ろに押し倒されてくれた。布団の端からはみ出した光忠の頭が強く打ち付けなかった確認する余裕もなく、ちゅっと音をさせて重ねるだけの口吸いを繰り返す。
瞳は開いている、お互いに。光忠は一つだけの金色を満月のように丸くしている。その満月を湖に閉じ込めてしまいたくて仕方がない。月を沈めた湖はさぞかし甘い雫をこぼすだろう。その雫に舌を這わせ舐めとってしまいたい。柔らかい感触が鶴丸の理性を溶かしていくようだ。そんな考えが浮かぶ。光忠に跨がっている体をより近づける。肩にかけていた右手をするりと首筋に滑り込ませた。鶴丸の小さな指で、何かをなぞるように触れれば光忠の唇が動いた。今まで鶴丸を受け止めていただけの唇からくすくすと声が漏れたのだ。
「光忠?」
「ふ、くすぐったいよ鶴ちゃん」
唇が触れあわないぎりぎりの距離で、話しかけると光忠はより楽しそうに笑った。
「ねぇ、もう怒ってないの?」
「怒る?」
「違った?僕、何か鶴ちゃんを怒らせてしまったのかと思っていたんだけど」
最初は反抗期かとも思ったけど、よく考えたらそんなはずないし。でも、鶴ちゃんが理由なく人を避けるとも思えない。だから、きっと僕が何か粗相をしてしまったんだろうなと思ったんだよ。
光忠は唇の距離も気にしないで、話す。
「でも、今おやすみのキスも沢山してくれたし、もう怒ってないのかと思ったんだけど。違ったかな?」
そこで、へにゃりと眉根をさげる。かわいい表情は反則だが、それ以上に言ってることが衝撃だ。
「ははははは!!」
「鶴ちゃん?」
「いやぁ、すまんすまん!」
思わず体を起こし仰け反って笑ってしまう。これが笑わずにはいられないということだ。悪い意味ではない、本当に面白いのだ。長い時間をかけて自分の感情に気付いた鶴丸が、今あっさりとその気持ちを流されてしまったという事実が。なるほど、光忠にこういった感情の表現はまだ上手く伝わらないらしい。それともこんな姿だからだろうか。どちらにせよひとつ学ぶ事が出来た。
「うん、ちょっとな。色々あって虫の居所が悪かっただけだ。君には迷惑をかけたな」
正確にはよくわからない感情に翻弄されていたのだが、光忠に嫌な思いをさせてしまったことに変わりはない。
「う、ううん。僕は平気だよ」
「光忠さえよければ今日も褥を共にしたいんだがいいかい?いやいや、一緒に寝てくれるだけで構わん」
「もちろんだよ!というか、変な言い方。昨日まで一緒に寝てたじゃないか」
「昨日までと今日からでは大分状況が変わるんだが、まぁこの体だしな。無理があるだろう」
「???」
状況がわからない光忠には鶴丸の言葉がよく理解できないはずだ。例え今理解してもらっても鶴丸も困ってしまう。受け入れてくれるにしても、否定されるにしてもこの体ではできないことだらけなのだから。
「さぁ、光忠。俺を思う存分抱き締めてくれ。そして眠ろう」
「うん?うん」
「役得役得。今日は良い夢が見られそうだ」
なんだかおかしな鶴ちゃんと鶴丸を抱き締めて光忠が笑う。元々鶴丸はこんな感じなのだが、そういえば光忠の前ではいつもおとなしめだった気もする。無意識に猫でも被っていたのだろうか。しかし、これが鶴丸の素だ。これからは知ってもらわなければならない。
「おやすみ、鶴ちゃん」
「ああ。おやすみ、光忠」
くすくすと声が漏れてしまうのを光忠が優しく背中を撫でて落ち着かせてくれる。
心がふわふわとする。あんなにも鶴丸を翻弄していた気持ちの正体を暴いて、その手綱を握ることができた。後はゴールに向かって一緒に走るだけである。今も胸を大きく叩く鼓動が、幸せの階段を昇る足音に感じてくる。相手を思う気持ちだけで、こんな幸福に包まれるとは知らなかった。
抱きしめてくれる体にもっと近づきたい。衣服が邪魔だ。本当は余すところなく体をくっつけて眠りたい。
もう元に戻りたくないなんて思いもしなかった。本当の鶴丸ではないこの姿では光忠に思いも伝えられない。思い切り抱きしめることも、不意打ちで唇を奪うことも難しい。本当の鶴丸の姿であっても難しいかもしれないが。
ああ、早く、大きくなりたい。我ながら現金すぎるやつだと苦笑いを浮かべて、鶴丸は光忠の胸に顔を埋めて眠った。
*
気づけば目の前に穏やかな寝顔がある。鶴丸は思わずぱちぱちと瞬きを繰り返した。何も考えずに寝顔に手を伸ばすと目に映る手が昨日眠る前に見た時より大分大きく映る。少し曲げていた足をそろりと動かしてみる。昨日までは決して届かなかった、光忠の爪先にこつりとあたる。無意味に足を絡ませて、感触を楽しみながら、ああ戻ったのかと理解した。眠っている光忠の頭の下に左腕を滑り込ませて腕枕とやらをやってみる。小さな体ではたぶん難しかっただろう。
体を寄せて至近距離で寝顔を見つめる。一昨日はそれどころではなかったので今のうち堪能しておく。こんな無防備な寝顔、次はいつ見られるかわからない。そう遠くない未来であってほしいとは思うのだが。
「ん・・・・・・ふわぁ・・・。あ、れ?つるちゃん?」
「起こしてしまったか?」
まぁ、無理もない。
いつもしっかりしている光忠の寝ぼけ眼はより可愛く見えて、にこにこと笑みがこぼれてしまう。
「おはよう、つるちゃ・・・・・・鶴丸さん!?」
「や!驚いたか?」
人の名前を呼ぶやいなや、がばりと体を起こす光忠にいつもの決め台詞を飛び出させる。光忠と言えば、あれ?なんで?と少し混乱しているようだ。それでも手櫛で髪を整えているのはさすがというか。鶴丸にとっては何を今さらと思うのだが、同時に彼にとっての鶴ちゃんは本当に身内扱いだったんだなぁとも思った。悪く言えばまったく意識されていないともいう。
「光忠の愛情溢れる世話のお陰で雛は立派な鶴に成長したぜ!」
「戻った、戻ったんだね。」
そっかぁ、と呟く光忠は少し寂しそうだ。それは、鶴ちゃんがいなくなったことが寂しいのか、鶴丸と距離が開くことが寂しいのか鶴丸にはわからない。できれば後者であってほしいが、例え前者であってもショックを受ける必要はない。まだ、ゴールに向けて走り始めたばかりなのだから。
「なぁ、光忠。君には本当に感謝している。この数日間、本当に世話になった」
「あ、いや。僕が好きでやったことだから気にしないで」
「俺はなぁ、ずっと君と仲良くなりたいと思っていたんだ。だから、実はかなり嬉しかった」
「!」
「大きくなった鶴でもよければ、これからも仲良くしてくれると幸いだ」
整えきれずひとつ跳ねた髪を撫で付けてやる。光忠が少し頬を染めてこくこくと頷いた。
主への報告の前に服を着替えてくると部屋に戻った鶴丸を待っていたのは大倶利伽羅だった。
「大倶利伽羅!」
「国永・・・・・・?あんた、戻ったのか」
「ああ、今朝目を覚ましたらこの姿でな。主に報告しようと思っているところだ」
「そうか」
「お前には迷惑をかけたな。すまなかった。それとありがとう」
「なんのことだ。俺には関係ないな」
ふんと鼻を鳴らす大倶利伽羅はいつも通りだ。しかし、大倶利伽羅が光忠と鶴丸の為に尽力してくれたことを知っている。
「・・・・・・戻って、よかったな。」
「まぁ、なぁ。むしろこれからが大変なんでな。お前さんならわかるだろ?」
「・・・・・・なんの話だ」
「小さい倶利ちゃんが何故大きく、男前に成長したのかという話だ」
「ッチ。やはり聞いていたか」
大倶利伽羅は驚くこともなく、鶴丸の言葉を正しく理解したようだ。きっと、小さい倶利ちゃんは鶴丸と同じように、光忠の為に大きくなりたいと思ったのだろう。元から大きかった鶴丸とは違う。付喪神の見た目が大きく変わるほどの思いだったはずだ。
「長く存在している俺でもこれは初めての気持ちでな。右も左もわからん。これに関してはお前の方が大分先輩だ。ってなわけで、これからはご教授お願いするぜ、大倶利伽羅先輩!」
「やめろ」
嫌そうに呟いて、大倶利伽羅はそっぽをむく。
「俺は、光忠が幸せならそれでいい。それ以上は望んでいない」
「それもひとつの形だとは思うがな。しかし、もし俺と光忠が親密になれれば、きっと後悔するかもしれないぞ?」
光忠への気持ちを自覚して、今から自分を知ってもらう為に、アプローチをしまくる予定の鶴丸だが、だからと言って大倶利伽羅を好敵手だと言うつもりはない。やっぱりどうしても鶴丸にとって大倶利伽羅は愛おしい存在だ。この先、光忠が大倶利伽羅を選ぶことがあれば潔く身を引いて二人を祝福するだろう。しかし、もし光忠が自分を選んでくれるなら、大倶利伽羅が後悔したとしても、その立場を譲ることはできないと思っている。だから、大倶利伽羅にも自分の気持ちをきちんと伝えてほしい。鶴丸もいつか後悔しないためにそうしていくつもりだ。
「俺はどんなことがあってもお前を構い続けるからな。光忠といちゃいちゃしながら二振りで構い続ける!」
「絶対やめろ」
「それが嫌なら阻止することだな!まぁ、簡単には阻止される気もないが!」
「はぁ、・・・・・・肝に命じておく」
別に親密にならなくても二振りで構おうと思っていることは黙っておいた。
「国永、一言だけ言っておく。光忠は、手強いぞ」
「ははは!手強いのは身に染みて理解してる。むしろそれでこそやりがいが出てくるぜ!光忠に最高の驚きを与えてやるさ!」
「結局、それか」
結局それだ。