本丸に顕現してからは楽しいことばかりだった。鶴丸はここにくるまで波瀾万丈の刀生を送って来たが、それがこの本丸に収束するのであれば今まで諦めた色んなことも愛しく思えるくらいに、鶴丸はここの生活を気に入っていた。しかし、今はそうは思えない。
「なぁ、三日月。俺の体、欠けてないか」
「どこも欠けておらん。ぷにぷにしているぞ」
自身の膝の上で仰向けになってる鶴丸の頬を、三日月は楽しそうに突っついている。いつもの鶴丸なら、三日月に構われるのは照れ臭く、はね除けるのだが今はそんな気もおきない。自分の目が死んでいることも鶴丸にとってはどうでもいいことだった。
光忠を真顔にさせた後、癒して貰いたがった鶴丸を置いて大倶利伽羅は行ってしまった。
鶴丸からどうしてこんな姿になったのかと話を聞いた後、「どうでもいいな。俺には関係ない」と去っていったがあれは光忠に頼まれた洗濯物があったから早々に行ってしまったのではないかと思う。大倶利伽羅はああ見えて非常に真面目な子なのだ。そこも非常に好ましい。だから、大倶利伽羅がここにいなくても辛くなんかないんだ、と鶴丸は自分に言い聞かせた。しかし、光忠のことが想像以上にショックで立ち直れない。こんなことは初めてだ。ダメなものは早々に諦めて、出来るだけ回りも自分も楽しく暮らせるように行動すると言うのが鶴丸国永なのに、と今の自分をおかしく思う。
「絶対欠けてる。っていうかもはや折れてる。心がばきばき言ってるんだ。痛い。直してくれ三日月」
「そうだなぁ」
鶴丸の懇願にものんびりと答える三日月に、薄情もの。と呟く。三日月なら直せるはずなのに、三日月にできないことなどないはずだ。
「じっちゃん、いいか?」
「ん?獅子王か。いいぞ、おいでおいで」
「鶴のじっちゃんどうだ?元気でた?」
「はっはっは、まだこんな感じだ」
「あー、そっかー」
今まで気を利かせて部屋を出ていた獅子王が戻ってきたようだ。獅子王の声は始終楽しそうな三日月と違って心底心配そうであったが、顔を向けて大丈夫だという気力が起きない。いつもであれば、気を使わせないように、嘘でも大丈夫だと快活に笑って見せるのに。
「なぁ、鶴のじっちゃん、元気だせよ。外の桜でも見に行くか?なんか一本満開になってるのがあるらしいぞ?」
獅子王の優しい言葉もなんだか聞きたくなくて仰向けの体をくるりとうつ伏せにして三日月の膝に顔を押し付ける。
「大丈夫、燭台切ももう元に戻ってるって」
そんなの嘘だ、と思う。光忠があんな顔するなんてよっぽとのことだ。きっと自分は光忠を怒らせてしまった。そう思うと元気が出るわけがない。うつ伏せになった鶴丸の頭を一撫でした三日月は、ぽんぽんと一定のリズムで背中を優しく叩き始める。
それがなんだか無償に胸をつまらせる。鼻がぐずぐずと鳴るのが嫌で三日月の服に顔を押し付けたままごしごしと首を振る。
「じっちゃん・・・・・・俺またちょっと出てくるな」
「うむ」
獅子王は怒ることもなく、静かにそう言って、来たばかりの部屋を出ていった。部屋には三日月が鶴丸の背を叩くぽんぽんという音と、鶴丸のぐずぐずという小さな音が響く。
そのうち少し気分が落ち着いてきた。その間も三日月は休むことなく鶴丸の背中を叩き続けてくれた。
三日月は優しい。鶴丸が構ってくれといったら相手をしてくれるだろう。今だって、そうだ。ただ愚図るだけの鶴丸を疎ましそうにするでもなく、優しく接してくれる。しかし、鶴丸は満たされていない。大倶利伽羅だっている、大好きな大事な子だ。それなのに何故自分はここで、こうなっているのだろう。誰かと仲良くなるというのはこんなに難しいことだっただろうか。
そんなことを思っていると決して大きくはない声が鶴丸の耳に聞こえた。
「三日月さん、光忠です。入ってもいいかな」
低く静かに響く声だ。誰の声かと考えるより先に鶴丸の体は三日月の後ろに隠れた。三日月はそんな鶴丸を気にすることもなく楽しそうな声で、その声の主を部屋に招いた。
「ゆっくりしているところにごめんね、実はお願いがあってきました」
「ほう、珍しいこともあるものだ」
鶴丸の目の前には三日月の背中がある。光忠の顔は見えないが、声に感情があってホッと息をつく。しかしそれは三日月に対してであって鶴丸に対してではない。現に光忠は、鶴丸が三日月の後ろに隠れていることに気づいているだろうが声を掛けてこない。
「光忠にお願いされるのは、鶯ばかりだと前に鶴が嘆いていたが、ようやっと俺にもその特権が回ってきたかな」
はっはっはと聞き慣れた笑い声を飛ばす三日月にぎょっとする。確かにそういったことを前に言ったことがある。お願いと言っても、主に美味しいお茶を入れてあげてとか、本を貸して欲しいとかそういった本当に小さいことだったが、光忠が誰かに頼ったりするのは珍しいことだった。だから冗談っぽく三日月と鶯丸に言ったことはある。話の流れでその話題になった時ほんとに冗談っぽくだ。やはり三日月にはわかっていたらしい。だからと言って本人の前で言うやつがあるか!と怒ってやりたい。目の前にある三日月の背中を両手をグーにしてぽかぽかと叩く。三日月が、雛、肩はもうちょっと上なんだが。とほざいているがこれは決して肩叩きではない
「して、お願いとはなんだ?」
そこまでのやり取りを見ていても黙っていた光忠が、水を向けられてようやく口をひらいた。
「しばらく鶴丸さんのお世話を僕に任せてください」
「あいわかった」
「おい、三日月!?」
光忠の言葉に驚く前に三日月が一切の迷いもなく快諾するものだから、思わず三日月の方に突っ込んでしまう。
「・・・・・・いいのかい?三日月さん」
「うむ。光忠であればこの雛を立派な鶴に育ててくれるだろうからな」
そう言って三日月は上半身をひねって後ろに隠れている鶴丸の姿を晒させる。そうして鶴丸をむんずと捕まえて光忠の顔の前に出す。
「君!俺のことを雛ではなく、猫か犬だと思っているだ、」
三日月に対しての抗議が途中で途切れてしまった。どんなに弁の立つものであってもその瞬間は鶴丸と同じように言葉を途切れさせただろう。そこには、戦で荒れ果てた大地に芽吹く新緑の芽を見つけた少年のように、甘い炭酸水のようなときめきを胸に閉じ込めた少女のように。喜びを抱いて微笑む光忠がいた。
ぴしりと固める自分の体を感じながら、頭ではこの微笑みを見たことがあると思い出していた。それは確か、鶴丸と大倶利伽羅が顕現した後、はじめて大倶利伽羅と光忠が出会った時だ。あの時見た笑顔が自分に向けられている。
「ありがとう、三日月さん!」
「よきかな、よきかな」
「鶴丸さん、今日から元に戻るまで貴方はうちの子だよ!あ、しばらくは見た目にあわせて鶴ちゃんって呼ぶね!」
三日月から鶴丸を受け取った光忠はしっかりと抱き上げて、目線を合わす。輝く笑顔にいまだ何も言えない鶴丸の顔を見て小首を傾げた。
「かわいいおめめが真っ赤っかだね、鶴ちゃん。兎さんみたいだ」
手袋に包まれた人指し指で優しく触れられる。それが鶴丸の体を動かす鍵であったかのように、鶴丸の体がふるりと震えた。
「みつただ、」
「なんだい、鶴ちゃん」
「怒ってないか?」
きっと不安そうな表情になっているだろう。子供の体は感情が出やすくて厄介だ。
「何を怒ることがあるの。僕は今すごく嬉しいよ。鶴ちゃんと一緒だからね」
ふんわりと微笑まれれば今まで抱えていた胸のもやもやが暖かいものへと変わる。あんなに痛かった所がもう何ともなかった。遠くから微かに聞こえる、わぁ!という歓声が鶴丸の心を表しているようだ。
「なんだよ、今日なんかあんのかなぁ。おーい、じっちゃん、入るぞー。って、燭台切お前ここにいたのか、探したんだぞ」
「獅子王くん。ごめんね、何か用事だったかな」
「用事って言うかさ、鶴のじっちゃんが・・・・・・ああ、いや何でもねぇや。もう大丈夫みたいだし」
「そう?ならよかった。所で今の歓声ってなんだい?」
「いやさぁ、さっき庭の桜の樹が1本満開になってたらしく、短刀が集まってたんだけどさ。今、突如もう1本満開になったらしい」
「そうなんだ、相変わらずここは不思議な空間だね」
「ホントにな」
「鶴ちゃん、僕たちも後で行ってみようか」
獅子王の優しい気遣いに感動した後、テンポよく交わされる会話をほけ、と聞いていたら突然話を振られて慌てて頷く。その仕草の何が琴線に触れたのかわからないが、光忠はふるふると打ち震える。
「~っ!かわいい!鶴ちゃんかわいすぎるよ!お世話できるの本当に嬉しい!お風呂も一緒に入ろうね!夜も一緒に寝ようね!」
「!」
「よかったなぁ、鶴」
テンションの高い光忠に頬擦りをされ、そんなことを言われて、構われてるという実感がじわじわ湧いてくる。はっきり言って、超楽しい。
「あれ?じっちゃんいいのかよ。鶴のじっちゃんを燭台切に預けて。雛が大きくなるまで俺が見守るって言ってたじゃん」
「俺はな、雛が大きくなるまで見守ることはできても、雛を大きくすることはできなんだ。俺は世話されるのが好きだからな」
「はは、じっちゃんらしい。大丈夫、じっちゃんの世話は俺がするからさ」
「うむ、よろしく頼む」
ほのぼのと交わされる会話を横で聞きながらも光忠はまだ頬擦りをしている。時々かする髪がくすぐったい。
「なぁ、光忠!」
「何だい、鶴ちゃん」
「まず、この姿でみんなを驚かせに行きたいんだが、一緒に行ってくれるかい?」
「もちろんだよ!」
胸がきらきらしたもので一杯で、目から星が飛び出しそうだ。思わず鶴丸が笑えば、やっと笑ってくれたと喜ぶ光忠。そんな二振りを、まるで二人の世界だと獅子王と三日月に揶揄されたがまるで気にならなかった。