「最近、鶴さんの様子がおかしい」
三毛猫に会いに行くと言う大倶利伽羅に頼み込み、半ば引きずるような形でやってきた大倶利伽羅の部屋。
文机に両手を突いて大倶利伽羅に訴えた。
「国永がおかしいのはいつものことだ」
大倶利伽羅は興味なさそうに自作のねずみマスコット付きねこじゃらしを弄っている。
「そうだけど!そうじゃないんだって!」
「例えば」
「例えば、最近自ら僕に自分の行き先を言ってくるようになった」
今日は誰々と何処々に居る。今から万屋に行くので本丸を空ける、等。
以前は何処吹く風。自分の好きな所を渡り歩いて気が向いた時に燭台切の部屋を訪れる、そんな感じだった。しかし最近は午前中に燭台切に顔を見せて行き先を告げていく。明らかな変化だった。
「それはあんたが国永を探すからだろう」
「探してないよ」
「探してる。最近よく『鶴さんは?』と聞いてくるだろう。そうでない時もきょろきょろと国永を探してる。・・・・・・まさか無自覚か」
大倶利伽羅が自分の顔を見て呆れた雰囲気を醸し出す。大倶利伽羅に言われた通り完全に無自覚だった。確かに、前より鶴丸の行方を気にしている気もしなくもない。それは以前より鶴丸の気配が濃くなった気がするからだ。以前は突然驚かしたりと、気配を消すのが上手い鶴丸だったが、最近は側にいればすぐ気がつく様になった。目につく、肌で感じる、存在が分かる。不思議とそうなった。だから逆に鶴丸がいないと存在がいないことが浮き彫りになり、つい目で探してしまうのだ。あの空に泳ぐシーツの様な白を。
しかし自分はそんなにいつも鶴丸を探しているだろうか。鶴丸が自ら行き先を告げに来るくらい?
鶴丸をきょろきょろ探す自分の姿が浮かんで、親を探す子供みたいだと気恥ずかしい気持ちになる。それが大倶利伽羅にバレているのも更に上乗せで。
「そ、それはともかく置いといて」
「何故置く必要がある」
「最近僕の仕事代わりにやってくれたり、手伝ってくれるし。元気な時もだよ?前はそんなことなかった」
「それはあんたが頑として譲らなかったからだ。あんたは一見穏やかで何でも受け入れる様に見えるが自分の領域に足を踏み込まれるのが好きじゃない。実はあんたがこの本丸の中でも三本の指に入るくらい他との壁が厚いのは、あんたと親しいものなら皆知ってる。今は変わった様だがな」
どうだ、この答えなら納得したか、と。大倶利伽羅はすこし長く話す。
それも大倶利伽羅の言う通り。自分が大倶利伽羅のすべてが分かるように、大倶利伽羅は燭台切の全てを把握している。全てを見透かされているのは当たり前だ。今は変わった、と言うのはよく分からないが。
「でもね、だって、」
「まだあるのか」
「何処がいいか言え、って言ってくる・・・・・・」
「?」
「朝優しい変わり、夜なんかすごく意地悪なんだよ・・・・・・・」
「やってられるか」
すくと大倶利伽羅がその場に立ち上がりすたすたと廊下へ向かう。慌てて追いかけて後ろから羽交い締めして部屋へと引きずり込む。
「待ってよ伽羅ちゃん!まだ話の途中だよ!」
「やかましい!俺はあんたが死にそうな声を出していたからあいつとの約束も振り切って付き合ったんだ。こんな話だと分かっていたならあいつを優先した!離せ!」
「やだ!」
力で大倶利伽羅が燭台切に叶う筈もない。一生懸命もがく大倶利伽羅を羽交い締めのままどうにかこうにか座らせる。
「だってどうすればいいか分からないんだよ。何で鶴さん最近変わったの?分からなくてもやもやする!」
「だから変わったのは国永でなく、」
「やっぱり僕のせい?僕、鶴さんの期待に応えられてないのかな・・・・・・?」
羽交い締めしていた手を大倶利伽羅の腹へと回す。そのままぎゅうと抱き締めると、腕の中で大倶利伽羅が大人しくなった。
「・・・・・・光忠」
「僕、元から伽のことはからっきしで、ずっと鶴さんに迷惑かけてた。好きにしていいよ、付き合うよって言っておきながらついていくのが精一杯で、鶴さんしたいように出来てなかったと思う。それでも、鶴さんずっと優しかったんだ」
多少強引な所はあったが鶴丸は優しかった。初めて体を繋げた夜、自分の欲を必死に抑えて燭台切が落ち着くのを待ってくれた。他人に踏み込まれるのが嫌な燭台切に寄り添わせてくれと言ってくれた。優しい人。それが好いた相手との初夜を成功させる為とは言え、それでも燭台切は嬉しかった。
鶴丸に信頼されて、優しくされて、素直に嬉しかった。
「でも、鶴さん最近前にも増して意地悪なんだよ。始める前までは普通なのに。それってやっぱり僕が鶴さんの望むことに応えられてないからだ」
最近、練習中に鶴丸に触れられるだけで思考が極端に低下する。体ばかりが刺激に反射して、唇からは喘ぎばかり。最近は数字を唱えることもなく自分を上手くコントロール出来る様になった鶴丸が、感じるところを言え、練習にならないだろうと、唇を舐める姿を見るともう頭から全身痺れてしまってまともに言葉も返せないのだ。
自分でも分かる体たらく。鶴丸が幻滅し始めている気がして、だから変わったのかと思ってしまう。朝優しいのは彼なりに謝罪と労りなのかもしれないと、最近は練習後も燭台切の部屋に泊まっていく鶴丸の向けられた背中を見ながら。
「馬鹿なことを」
「だから、僕も練習が必要なのかなって」
「何?」
大倶利伽羅が固い声で呟き返す。何となくその先を言ってもいい雰囲気ではないことを感じつつ、後ろから抱き締めて肩口に額を乗せ、言った。
「伽羅ちゃん、僕と伽の練習とか、」
「断る」
言い切る前に切り捨てられた。抱き締めていた手がほどかれる。距離を取られたが、こちらを見てはくれない。
しかし、その背中が、本気の怒りを伝えてきた。
「・・・・・・怒った?」
「当たり前だ」
「嫌だから?」
「あんたが国永に対して余りに不誠実だからだ」
まだこちらを見てくれない。余程怒っているらしい。
大倶利伽羅の怒りも分かる。確かに燭台切を信頼して練習を頼んでくれた鶴丸に相談もせず、別の相手に練習を申し込むと言うのは自分でもずれていると思った。鶴丸と向き合わない点で不誠実、と言われれば確かに不誠実なのかも知れない。
「・・・・・・心が伴っていなければ、誰彼と体を繋げてもいいと思っているのか、あんたが?本気で?」
「伽羅ちゃんだから頼むんだよ?」
「そんなこと言われて俺が嬉しいとでも?」
冗談じゃない。と大倶利伽羅は吐き捨てる。自分は鶴丸に君にしか頼めないと言われて嬉しかった。特別みたいだと思ったから。しかし大倶利伽羅はそうじゃないらしい。
「体を委ねるのは、心を委ねるのと同じだ。心を開くから、体で相手を受け入れる。それは親愛でも信頼でも届かないもっと深い場所で。あんたが知らないとは言わせない。なのにあんたは、練習と言って歪な関係を俺に求めるのか。国永を傷つけてまで」
「そういうつもりじゃ・・・・・・だって体の練習なら、」
鶴丸と燭台切だって同じことをしている。大倶利伽羅が言った歪な関係を。しかし自分達はこうして悩みごとはあっても概ね良好な関係だし、大倶利伽羅だって何かあれば間に入ってやるから言えと言ってくれたのだ。それなのに今更心がどうたらと言い出す。いい顔をしないとは思ったがまさかここまで怒るとは。
確かに、鶴丸を受け入れて、体と心は密接な関係だと身をもって知った。知ったが、燭台切は鶴丸の練習相手でしかなく、鶴丸には他に好いてる相手がいる。どれだけ体を、心を委ねてもそれは変わらない。
変わらないではないか。
ならせめて、鶴丸に幻滅されない様に、と。信頼に答えたいと。
「・・・・・・はぁ」
心の中で大倶利伽羅に言い返すものの口には出せない。大倶利伽羅を怒らせるから、だけじゃない。だから黙り込むしかなかった。すると大倶利伽羅が顔だけ振り向いて、ため息を吐く。沈黙のまま体を向けてくれた。
心底呆れてはいるが怒りは少し収まっている。
「・・・・・・あいつばかりあんたに振り回されていると思ったがそうでもないようだ。そんなに追い詰められるなんてな。・・・・・・そんな顔するな」
「伽羅ちゃん・・・・・・」
「今の、国永には黙っておいてやる。少し頭を冷やせ」
大倶利伽羅の手が頬を撫でる。
「体は心と一緒だと言っただろう。伽が下手でも好いている相手なら関係ない。そうじゃないのか?」
大倶利伽羅の言葉に項垂れる。答えようがない。それに頷いてしまえば、今までしてきたことは。
それよりもこれから先は。
「・・・・・・重症だな」
頬を撫でていた手が離れて立ち上がる気配がする。そして腕を掴まれ上へと引かれた。
「あんた最近家事ばかりだ。主がいないから出陣出来ないのは仕方がないが、こういう時は体を動かせ。心まで塞ぐぞ」
ほら、立て。と更に強く引かれる。
「戦装束に着替えてこい。道場に行くぞ。手合わせに付き合ってやる。俺で物足りなければ誰かしらいる、何も考えず体を動かせ」
「う、ん・・・・・・」
「駆け足!」
「は、はい!」
ぴしゃり。大倶利伽羅にしては珍しく言葉で背中を叩く。背筋が伸びて急いで廊下へと出た。駆け足と言われたものの廊下を走るのは良くないからと早歩きで自室へ向かう。
その間考えるのは先ほどの会話。大倶利伽羅はああいうがきっと体の練習は必要なことだ。だって、鶴丸の好いた相手が短刀と言うこともありえる。鶴丸が無茶をすればその未熟な体を傷つける可能性だってある。逆に体が彼より大きいものなら、体の位置取りや力の抜かせ方を知っていた方がいい。だから練習は必要なことだ。
早歩きの足がふと止まった。
胸の奥がもやっとするせいだ。ここ最近鶴丸の変化、そして鶴丸の片恋の相手のことを考えると言い様のない不快さがある。心の奥を味気ない金属でかき回されている様な。
自分の中の自分を揺らされている不愉快さに似ているがまた少し違う。
自分のことは自分が一番よく知っている。何故なら燭台切の中には自分ひとつしか立っていないからだ。他の介入などない。なのに今さら、自分のことが分からない。自分の中に誰かいる。けれどその姿はまだ見えなくて、膜で隔たれているそんな感覚。
情けない、夜ならまだしも日常でも自分をコントロール出来ないなんて。こんなことでは鶴丸に幻滅されるのも無理はない話だ。
やはり大倶利伽羅にもう一度練習を頼んでみようか。しかし本気で怒られてしまったばかりだ。そしてこうして本気で心配してくれている。さすがに言いにくい。
なら、他の者に。そう思うが、誰に?と言う話になる。誰彼に頼むことは出来ない。
燭台切だって本当は鶴丸以外と体の練習など、望んでしたいわけじゃない。
あんな乱れ、みっともない姿誰にも見せたくないのだ。鶴丸だから、見せてもいいと、
「・・・・・・矛盾してる」
鶴丸に幻滅されたくない。なのにみっともない姿は鶴丸以外に見せられないなど。
やはり、心の中が掻き混ぜられているみたいだ。自分の中で色んな思いが混じって、本当のことがまるで見えない。
「気持ち悪いっ」
自室の近くだったので、廊下にも関わらず走り出した。
部屋に着き、障子を開けたまま着替えを始める。構わない、どうせ最近は誰も来ない。理由はわからない。鶴丸が朝行き先を告げに来て、夜練習しに来るだけ。
鶴丸と自分の気配しかしない部屋。そこで着替える度に言い様のないものが身にまとわりつく気がする。だから閉め切りたくなかった。
「ふー・・・・・・」
久しぶりに袖を通す戦装束。ぱり、と糊の効いたシャツ。気を引き占めるスーツ。防具の重さが、地に足をつかせてくれる。ひとりで立たせてくれる。
「うん、やっぱりこれだよね」
少し落ち着いた気がする。
身だしなみはやはり大切だ。心を表現する為と前は思っていたが、今は格好が心を引き締めてくれると知っている。久しぶりの戦装束がそれを実感させてくれた。
戦場へ向かうのだと自分に言い聞かせて部屋を出る。そうすると驚くぐらい心が凪いだ。
これだ、この感じ。自分を取り戻せた気持ちになる。
部屋に入る時と出ていく時の差に、そういえばなんかこういうヒーローの映画を主が見ていたな。と思いつつ道場へと足を進めた。
着いた道場に足を踏み入れる。戦装束でここに踏み入れるのは何時ぶりだろう。神聖な気持ちさえ感じる。
深呼吸をする燭台切を、先に来ていた大倶利伽羅が見る。彼もまた戦装束に着替えていた。
「・・・・・・悪くないな」
口の端を上げて笑う。優しさの笑みと、対峙する者の挑戦的な笑みを混ぜたものだった。どうやら、元気付ける為に付き合う、から本気で手合わせしたいに格上げされたらしい。
「ありがとう。最高の褒め言葉だよ」
大倶利伽羅を見て燭台切も微笑む。きっと目の前の顔と似た顔をしているに違いない。
「あ、燭台切じゃん。めっずらしー」
「お、大倶利伽羅さんがいらっしゃるのも何だか久しぶりですね」
蛍丸と五虎退の声をきっかけに道場にいたものが手を止め、二人の手合わせを見守る姿勢に入った。
気負ったりはしない。むしろ格好悪い姿は見せられないなと気合いが入る。
「行くよ、大倶利伽羅」
「・・・・・・来い」
そして、道場の床を蹴った。
勝敗は五分五分。
腰に手を当て、前屈みになる。道場の床にぽたりと落ちた自分の汗を見ながら、やっぱり伽羅ちゃんは最高だと笑っている自分がいる。
「あんたもな」
「あははっ、ありがとう」
自分の声が聞こえていたらしい。物吉が渡してくれた手拭いを受け取った大倶利伽羅が、汗を拭いながらもう一枚を燭台切に差し出してくる。
身体中汗だくだ。けれど充実感で満たされている。
「はー、気持ちいい」
「そうか」
「・・・・・・物足りないなぁ。あと一本付き合ってって言ったら付き合ってくれる?」
「さすがにこれ以上あんたの体力に付き合うのはきつい。他を当たれ」
大倶利伽羅は道場の壁まで歩いてそこに背をつけ座った。こうなれば付き合ってくれないだろう。むしろ太刀である燭台切によく付き合ってくれた。
清々しい気持ちのまま周りを見渡す。大倶利伽羅との手合わせを見守っていて刺激を受けたのか、道場内は活気に満ち溢れている。誰かに手合わせを申し出れば付き合ってくれるだろう。
汗を吸った手拭いを畳む。じっとりと濡れている。こんなに汗を掻いたのに不快感はまるでない。ただただ清々しい。
肌に張り付く布の感触も、髪の感触も、流れる汗を払う手も。全てが馴染み深いものなのにいつもの気だるさがない。いつもと違う。
いつも汗だくになる時と。夜、鶴丸と体を重ねる時。
ハッ、と目が勝手に道場の入り口を見る。
白が目の端に写った。
「・・・・・・?」
その先にはソハヤノツルキと共に今しがた足を踏み入れた山姥切の姿。燭台切の勢いある視線に首を傾げて戸惑っている。視線を遮る為に顔を隠す布を持ったままの格好で。
「ぁ、いや、」
急いで手を振った。なんでもないよ、と否定の為に振った手を山姥切はどう思ったのか、燭台切にぎこちなく手を振り返した。可愛いがそうではない。
山姥切が山伏を見つけて近づいていくのを見ながら、そこに立ち尽くす。
鶴丸はここに来ない。今朝「今日は貞坊と乱に付き合って、万屋前でふぁっしょんちぇっくごっこしてくる」「その後は陸奥守と長曽祢の将棋勝負の行方を見守る」と言っていた。
前は一人自由きままだったのに、最近の鶴丸はほとんど誰かしらと一緒に居る。大倶利伽羅が前言っていた、鶴丸は周りへの手回しをしている最中だと。もちろん仲間と過ごす理由はそれだけではないとは分かっている。分かっているのだが。
乱とは昨日も過ごすと言っていた。乱は本丸の古参の内の一振り、本丸内の情報をよく把握している。そして粟田口だ。鶴丸は粟田口の部屋をよく訪れる。前にも折り紙を一緒にしていた。鶴丸の好きな相手は粟田口に居るのかもしれない。素直に考えれば乱自身が想い人とも考えられる。
いや、それとも、陸奥守と長曽祢の関係者だろうか。昨日は和泉守と歌仙の元にいた筈だ。和泉守の可能性は高い。鶴丸はよく厨の手伝いをするようになっている。そこにいる歌仙と堀川に共通するのは和泉守だ。あの二人の心証を良くするに越したことはない。何より、和泉守の身長は燭台切と同じ。燭台切に練習を頼んだ本当の理由はそこなのではないか。
ああ、そうだ。そういえば山姥切もあの二人と仲が良い。それともそこは本当に関係なくて、やはり仲の良い三条の内の・・・・・・
「っ」
突然頭を殴られた錯覚。それは外からではない、自分の中から。
戦装束を来て、訓練とは言え刃を交える場所で自分は何を考えていた。
瞬間、清々しさがすべて消える。
「・・・・・・最悪だ」
最も悪い。口に出すと途端に軽くなるが今はまさにそんな心境。
ぐっと噛んでいた唇を開いて大きく息を吸う。
「あー!!!!もやもやする!!!!!!!」
突然道場の真ん中で叫び出す。燭台切をその場にいた全員が動きを止めて見た。ええい、構うものか。
「誰か!!!!相手になって!!!!荒っぽくても良いって人!!」
刀を払った。
皆がぽかんとしている中、ふわり。天から舞い降りたかの様な錯覚を起こさせる軽さで燭台切の前に立つ一振り。
「ふふ、どぉれ。悩める我が子の為に父が胸を貸してやろう」
「小烏丸さん」
「なんと味気ない。我のことはととさまと呼べ、と言っているではないか、おみつ」
「・・・・・・それ、僕のこと?」
娘の呼び方に自分の視線が鋭くなるのが分かる。
「うむ。我も息子は沢山いるが、娘はおらん。一度くらいは娘を嫁に出す心持ちを体験してみるのも悪くないと思ってな」
不服か?とゆるり笑われる。不服じゃない訳がない。それを鋭いままのひとつの視線で伝えると小烏丸は少し悲しそうな顔をする。悪気がないだけに質が悪い。
「・・・・・・僕に勝ったら好きに呼んでも良いよ」
そう言うと嬉しそうな顔にすぐ切り替える。子供の様で逆に読めない。
「そうかそうか。なればせっかくだ、我が勝ったらついでに我のことはととさま、と呼べ」
そして強かだ。何処かの青い誰かさんと緑の誰かさんと金白の誰かさんと白い誰かさんを思い出す。そのうちの白い誰かさんこそ、このもやもやに密接に関係している。刀を握る手に力が入った。
「いいよ、望むところだ!!」
燭台切の練度は上がりきっている。一方小烏丸は本丸内ではまだ新入りの部類。負ける気はしなかった。
ふふと妖しく笑う我らが父を名乗る刀剣。その余裕が何時まで持つか。子は親を越えるものだと教えてあげるよ、そう笑って刀を構える。
その結果が、空き部屋で落ち込んでいる自分である。
「なんたる、無様な」
小烏丸に負けた。
負ける気はしなかった。今思えばそれは慢心以外の何物でもない。戦いの中でお互いの技量を測るのではなく、戦う前に練度で勝敗の結末を予測した。その時点で勝負は決まっていたのだ。
正直頭に血が上っていたこともある。しかしそればかりが負けた理由ではない。
慢心、油断。それが確実にあった。負けてしまったことより、自分の中にあったそれらに打ちのめされるほど落ち込んでいる。そう、格好悪いを通り越して無様だ。
「最悪」
本日二度目の最も悪い。どうやら底辺は更新されるものらしい。抱えた両膝に顔を伏せたまま呟いた。
結局、小烏丸をととさまと呼ぶことになり、小烏丸からおみつと呼ばれることになってしまった。小烏丸との勝負の後、大包平がやって来て敵討ちと言わんばかりの勢いで小烏丸に勝負を申し込み、そちらも非常に盛り上がった為、未だ呼べてはいないが約束は約束。これからはととさまと呼ばねばならない。
「そっちは良いんだけど、別に。・・・・・・まぁ、おみつもそこまで嫌じゃないよ。侮辱ではないみたいだし。ちょっとどうかとは思うけど。でも、呼ばれる度に自分の無様さを思い出しそうで嫌だ・・・・・・」
落ち込む。それはもう夕餉も喉を通らない位。
ごめん、夕餉はやめとくと言った燭台切に、そうかと返して肩を叩いた大倶利伽羅。余計なことを言えばますます落ち込ませると分かっていたのだろう。それは周りも同じだったようで、皆何事もない様に道場を出ていった。
ただ数振りがぶりっじぶるー?だの、えたにてぃぶるー?だの、とにかくなんとかぶるーというを良く分からない単語を口々にしており、優しい眼差しを寄越すのは何かのまじないだったのだろうかと今さらちょっと気になった。
皆から距離をとった燭台切は独りになれる場所を探して、何もない空き部屋で小さく纏まっている。やはりこういう時、独りは落ち着く。賑やかな所が好きだが、自分の悪い部分、嫌な部分を賑やかさや明るさで掻き消してうやむやにするのは好きではない。
きちんと反省をしなければ。己を律するのは己しかいない。自分を立たせるには結局自分しかいないのだ。そこに他者は必要ない。
他者がいるのは立った後。自分が認められる自分だけ他者と並び立つことを許せる。こんな丸まった姿、誰にも見せない。
「・・・・・・何時までもこうしてるわけにはいかないな」
落ち込むだけでは反省してるとは言えない。
仲間達は、夕餉の時間。今のうちに湯浴みに行ってしまおう。そうすれば気持ちもさっぱりする筈だ。さっぱりした気分の中で今日のことを反省することにしよう。
よし、と立ち上がる。道場近くの空き部屋から自室へと向かった。案の定誰ともすれ違うこともないまま自室へと到着する。
「?」
障子が閉まっていた。そして部屋の中に灯りが見える。夕餉の時間と言ってもそこまで暗くないので、ぼんやりと見える程度ではあったが。
暗い部屋に帰ることのないように、と大倶利伽羅が点けてくれていたのだろうか。そういう細かい気遣いが出来る刀だ、彼は。
後でありがとうと色々ごめんねと言いに行こう。
心がちょっと軽くなる思いで、障子を開く。
「よっ、光坊」
「うっわぁ!!??」
まさかの声にその場で飛び上がった。
「な、何をそんなに驚くんだ。灯りが点いてるんだから誰かいること位分かってただろう」
「いや、ごめん、そうだね、そうだよね、普通そう考えるべきだよね」
障子に両手ですがり、部屋の中から燭台切を見つめている鶴丸に言葉を返す。心臓が煩いのを落ち着かせる為にこつんと頭も障子につける。
突然の鶴丸に驚いた。だから心臓がこんなに鳴っているのだ。別に鶴丸自体に鳴っている訳では決して、ない。
「本当に調子が悪いみたいだな」
「え?」
鶴丸が立ち上がり近づいてくる。
「皆に言われてな。君の調子が悪いみたいだったから様子を見てこいって。君が夕餉を取らないなんてなんの冗談かと思ったが本当に具合が悪そうだ」
心配そうな表情に、何故皆鶴丸に報告するのだと解せない気持ちになる。一心同体と言っても良い大倶利伽羅だって、燭台切を放っておいた方が良いと判断してくれた。皆もそう思ったから何事もない様に独りにしてくれていた筈だ。
なのに何故、鶴丸に様子を見て来いなんて言う。何故よりによって鶴丸に。
「光坊?」
「何、でもない」
近くに来ている鶴丸から身を隠す為廊下に出て、障子を盾にする。
「具合なんて悪くない。手合わせに負けたのも僕が慢心してただけ」
「そうは言うが・・・・・・やっぱり顔色が冴えないな。熱があるんじゃないか?どら、」
鶴丸が廊下に身を乗りだし、燭台切に手を伸ばす。もう汗も乾いていた額に手を当てる。
「熱は、・・・・ない様な、ある様な」
「っ、ないっ!」
「良くわからん。もっとちゃんと測らんと」
ぐいっともう片方の手で腕を強く引かれる。思った以上の強い力でバランスを崩し、いとも簡単に鶴丸に近づいてしまう。倒れそうになるのを踏ん張ってとどまると、同時に頬を鶴丸の両手で挟まれた。
軽く下に。体が前屈みになる。
こつん、と固い感触が自分の額に当たった。
目の前には美しい白銀の縁取り。燭台切自体が外の明るさを遮り、そこに影を落としていたが何故かきらきら輝いて見える。
「~っ!」
「・・・・・・少し、熱い気がする」
「気のせい、だってばっ!!」
燭台切の唇の前で薄い唇が呟いた。ますます頭に血が昇りそうになって、咄嗟に薄い胸を強く押した。鶴丸はよろけたものの、踏みとどまる。その表情は不可解そうなもの。
「どうしたんだよ、光坊。本当に変だぞ」
「変じゃない、だって鶴さんが急に、」
「?俺、何かおかしなことしたか?」
「・・・・・・して、ない、けど」
そうだ。我々伊達組は『距離感が馬鹿』の称号を得ている。額で熱を測るなんて今までもあったことだ。今さらおかしなことだと言う方がおかしい。
そうでなくても、鶴丸とは練習で何度も舌を絡めている。今さら唇同士が近いからと、何をそんなに動揺することがあるのか。
そう思うのだが、心臓の鼓動が一向に収まらないのだ。
「と、とにかくっ!僕は大丈夫だから!いつも通り元気だよっ!」
「本当に?」
「本当!」
「・・・・・・なら、今から練習に付き合ってもらえるかい?」
「え?」
元気アピールに片腕を上げ、曲げて見せていた所に、鶴丸の一言。聞き間違いかと思って鶴丸を見つめると、鶴丸は微笑んでいた。
「体調が悪いなら今日の練習は中止だと言おうと思ってたんだが、元気ならよかった。今日もいつも通り練習に付き合ってくれ」
「で、でも僕まだ湯浴み済んでない。沢山汗掻いたから、ベタベタする・・・・・・」
「そんなの毎晩一緒に掻いてるのに今さら気にすることでもないさ。ベタベタなのもいつもと変わらないだろ?湯浴みだって、どうせ朝にもいかなきゃいけないんだから、一回で済めばむしろいいじゃないか」
鶴丸は何か問題が?と首を傾げる。問題だらけじゃないかと言いたいのに、言い返すことが出来ない。だって、ここで断ってしまえば、また鶴丸に幻滅されるのではと自分が気にするのはわかっている。
「・・・・・・わかったよ。でもスーツのままは嫌だから、ちょっと待ってて」
「了ー解。んじゃ俺は布団敷いとく」
鶴丸が燭台切を通りすぎて、障子に手を掛ける。そして、スッと閉める。部屋の中に二人だけ隔離されてしまった。途端、自分自身にまとわりつくものを感じる。
それを振り払う様に燭台切は戦装束専用のクローゼットの前へ。
まず防具を外した。これをつけた時に、身が引き締まる思いになったのが遠い昔のみたい。置いたときにかしゃ、と鳴るのが耳をやけに突く。
ジャケットのボタンを外し、ハンガーに掛ける。ベストを脱ごうとしたところで中々ボタンがうまく外せない。
「・・・・・・?」
手元を見る。黒い革手袋に包まれている手が僅かに震えていた。
何故。
それは僅かなものであったが、自分の比較的大きな手がボタンを小さな穴へ通り抜けさせることを難しくしてしまっている。
いつもしていることが突然出来なくなった驚き。それでも外そうと試行錯誤。
「どうした?」
「っ!?」
表面上普通にしていたつもりの仕草でも何か勘づくことがあったのか鶴丸が不思議そうに声を掛けてくる。背後からぴたりと、耳元で。
「ど、どうもしないよ」
「そうか?なら良いんだが。・・・・・・なぁ光坊?」
「・・・・・・何?」
「これ、脱がせてみたい」
何を急に言い出すか。その言葉は耳に寄せられた声色に飲み込まされてしまう。
「俺もさ、好いた相手の洋装を脱がすこともあるかもしれない。だけどまだいまいち服の構造がわからないんだよなぁ。相手を脱がすのにもたつくのも格好悪いだろ?だから、脱がす練習をさせて欲しいんだ」
「そんなの、」
「ダメか?」
「んっ、」
囁きが直接吹き込まれる。体がぶるりと震える。耳に言葉を流し込まれただけなのに、体が反応するなんて初めて知った。
鶴丸は返事を待たずに後ろから手を伸ばしてくる。鶴丸の左手が、燭台切の左肩から腕を撫でていき、手首へとたどり着く。そこに僅かに覗く素肌を軽く爪で掻き、そして手袋の中へ指を滑らせる。
鶴丸との練習はいつもゆあみが済んだ後。だから革手袋を外されるのは初めてのことだった。いつもは何も思わない素手なのに、素肌から侵入され手のひらや甲を指でなぞられるとぞくぞくとしたものが、首筋へと走る。
「ぅ、」
そしてその首筋には鶴丸の右手があった。後ろから顎を掴まれ、急所を探すように降りていたその白い手は突起した喉仏を見つける。無意識にこくんと喉を鳴らしてそこを上下させると、指を通して釣られたのか後ろから鶴丸も、く、と喉を鳴らした。
右手は更に下り、絞めているネクタイに触れる。結び目を弄って遊び始めた。
焦らされてる。たかだか服を脱がす練習をしているだけなのにそんなことを思ってしまう。
「鶴さん、遊んでないで、さっさと」
「・・・・・・今日は本当に沢山汗を掻いたんだな」
「つ、鶴さん?」
さっさと脱がせと言う言葉に鶴丸の呟きが乗せられる。耳元ではなく背後から。思わず首を振り向かせようとした、所で
「汗を掻いた髪とうなじはいつもより濃く君の香りを感じさせる」
鶴丸の鼻先がうなじに触れ、すん、香りを嗅いだ。そして同時にしゅるり、と首を絞めていたネクタイをほどかれる。
心臓が爆発しそうになった。
「っ、!!!」
声にならない叫びを上げて触れていた鶴丸を振り切った。自室の壁に逃げ込んで、背中をつける。自分の手が身を守る様に、壊れそうな位脈を打つ心臓の上を握っている。
「どうした、光坊?」
「なななな、なんっ、何!?何なのっ!!??」
「何がだ?」
キョトンと可愛い顔した鶴丸が一歩踏み出す。これ以上逃げられないのに足が後ずさって、背中が壁にがんっとぶつかった。
「へ、変なことしないでよ!!」
「変なことなんてしとらん。ただの練習じゃないか」
「違う!変だよ!鶴さん前はこんなことしなかった、こんなことっ」
「・・・・・・光坊、本当にどうしたんだ、君」
鶴丸はやれやれと首を振る。そして両手を広げて見せた。武器も何も隠し持ってないと己の無実を証明するかの格好。
「俺は前から何も変わってないぞ。いつもと一緒だ。俺の恋の為に付き合ってくれる君に危害を加えるつもりなんて一切ない。何をそんなに怯えている」
「だって、だって、違うよ、前の鶴さんと、鶴さんは」
「・・・・・・・参ったな」
手で首の後ろを掻き、はぁ。と心底困った息が吐かれる。その音に先ほどとは違う感覚で心臓がどくんと嫌な音を立てる。
「光坊、君はやはり体調がよくないようだ。今日の練習は中止だな」
「ま、待って。今のは違うんだ、本当に大丈夫だから」
「いいや、ダメだ。君は無理を隠すのが上手い」
困ったままの顔が己を責める自嘲に変わる。
「違うか。俺が、無理をさせているんだな。そりゃあ毎晩付き合ってもらってるんだ、いくら何でも辛かっただろう。受け入れる方は負担も大きいしな」
「平気だってば、そんなの、全然」
「光坊、しばらく練習はなしにしよう」
「!」
鶴丸は怯えさせない様にか、ゆったり歩き近づいてくる。壁にくっついている燭台切にぎりぎり届く所で足を止めた。
「鶴さん、お願い勘違いしないで。僕、鶴さんとの練習を負担になんて感じてないんだ」
「そんな顔をするなって。君が役に立たないとか、君に失望した訳じゃないんだ。光坊、君は俺を家族だって言ってくれたよな?家族だったら心配するのは当然だし、家族を嫌ったり幻滅したりしない。だろ?」
「・・・っ、そう、そうだけど!」
「俺の方もこのままだと膠着状態になりそうでな、また違う角度からアプローチしないとと考えていたところさ。アプローチの時間が増えたと思えばむしろ有益だ」
「有益・・・・・・」
手を伸ばす。それが着地したのは燭台切の頭の上。ゆるゆる優しく撫でられる。
「しばらくこの部屋を訪れるのも控えることにしよう。と言っても、また練習を頼むこともあると思う。その時はまた声を掛けるから、君が大丈夫そうであればつきあってくれ。・・・・・・さ、湯浴みに行っておいで。そしてゆっくり休んでな」
「鶴さんっ」
「おやすみ」
手が耳に降りて頬に触れて、離れていった。鶴丸の背中と一緒に。隔離していた障子を一人分の隙間で開けて廊下へ出る。燭台切を独り閉じ込める前ににこっと金の目で笑ってそして、とん。と合わさる音を立てて去っていった。
「・・・・・・」
最悪と言う気力もない。ほどけたネクタイを首に引っ掛けたままふらふら壁から背中を離した。
鶴丸が去っていった。気分は最悪。
「なのに、なんで、」
体の熱が引いていない。鶴丸に触れられて、耳元に囁かれて、うなじを嗅がれて、ネクタイをほどかれて、見つめられて、撫でられて、微笑まれた。それに反応した体がずっと火照っている。
気分は最悪。嘘ではない。だけで体はずっと反応していて鶴丸にいつ指摘されるのではないかと怯えていた。「変なことするなと言うわりに、なぁ?」なんて口の端で笑われたらどうしようかと。
「は、ぁ、どうしよう。本当に調子悪いのかも。たったあれだけのことで反応するなんて・・・・・・」
鶴丸が敷いてくれた布団に突っ伏す。汚れたままの格好だし、このまま伏せっていたのではスーツが皺になってしまう。
「んっ、でも大丈夫、すぐ治まる」
布団に擦れて上擦った声が鼻から出る。燭台切の体は、刺激に反応するだけだ。刺激がなければすぐに治まる。今までもそうだった。直前までどれだけ刺激されていても、ことが終われば体は正常に戻りぐっすりと眠れていた。
鶴丸に触れられても、突かれても、離れれば独りだから反射を返しようがないからだ。
いつも上半身は乱れぬ鶴丸に穿たれ、シーツを強く握るせいで手のひらに爪が残るくらいの快楽に溺れていたとしてもそれは変わらない。腹の上で混ざり合う二人の精の感覚に全身を震わせた後だって。やはり後頭部が痛くなるからと初めて灯りの下で眼帯を外してもらい、そこに嵌まっている金のガラス玉を見て鶴丸が「誰にもみつけられない宝石みたいだ」と微笑んでくれた夜だって。鶴丸が目の前から居なくなれば、体の熱はすぐに、
「・・・・・・治、まらない」
何でと下唇を噛む。以前鶴丸に噛み跡を残されたその部分を。
「っ、何でだよっ。本当どうにかなってるんじゃないか、僕の体っ」
どくんと脈打った自分自身に声を上げる。治まる筈の熱が治まらない。治まる速度が遅くなったのだろうか。鶴丸との練習で体が鈍感になったのかもしれない。
「・・・・・・」
このままいつ治まるか分からない熱を待つべきか。すぐ治める方法を知っているのに?
そこに手を伸ばしかけて、枕に埋めていた顔を嫌々と振る。手を拘束するためシーツを両手でぎゅっと握った。
「治まる、ちゃんと治まるから・・・・・・」
ここには独りだ。反射すべきことは何もない。自ら触れてもいない。だから治まる筈だ。それまでおとなしくしていよう。
そう思うのに腰がもぞもぞと動いてしまう。足の爪先がシーツを蹴り、皺という波を作っている。何度も何度も、繰り返す。
「あ、・・・はっ、嫌だ、何で」
腰と足が動く度、固くなっている中心が布団と擦れる。違う逆だ、布団に擦りつかせる為腰と足が動いているのだ。
「ん、ん、んぅ・・・・・・」
スラックスに押し込まれている窮屈なそこを、たかだかもぞもぞと擦りつかせる程度では満足させられる筈もない。達する為には前を寛がせ、取り出し、雫で濡れ始めている自分自身の肉を直接慰めてやらなければ。
「そんなことっ、あ、ぅぅ・・・」
自分で自分の熱を吐き出させるなど、はしたない。ぎゅうとシーツを握り、耐える。その感触は馴染みがある。
鶴丸に指で中を弄られる時腰を高く持ち上げてシーツにすがっている。仰向けに寝転がり、燭台切を見下ろして突いてくる鶴丸に全身痺れさせて握っている。その時手のひらに残る感触と同じだ。
「あっ・・・!また、やだ、つ、つるさ・・・ぁ」
鶴丸。鶴丸がここに居ればいいのに。初めての練習の日みたいに、自分で射精も出来ず怯えて逃げる燭台切に、優しく、でも少し強引に絶頂へと導いてくれればいいのに。
うまく出来たら頭を撫でてくれたらいいのに。
「つる、さん・・・。つるさん、ここに来て、」
このまま独りで、でも誰かのことを考えながら、自分の意志で熱を吐き出してしまえば何かに気づいてしまう。何かが分かってしまう、変わってしまう。こんな布団で、独りで。そんな予感がする。でもそれは嫌だ。このまま独りで何かが変わってしまうのは嫌だ。
誰かが。鶴丸がここに居てくれれば。
「う、っん、つるさん・・・、助けて」
でも鶴丸はいない。去っていった。去っていった先は知らない。自室に戻ったのだろうか、もしかしたら広間?厨?それとも、好いた相手の所だろうか。
練習がない夜は久しぶりだ。燭台切自身も何時ぶりか分からない。
鶴丸は燭台切を心配して、今日の練習を取り止めてくれた。失望した訳じゃないと言ってくれた。優しさだ。だけど彼はここを去ったその足で、うきうきと片恋の相手に会いに行ったのではないか。
「っ・・・」
いつもと違う時間帯に会うのは、また良いアプローチになったかもしれない。空いた時間を有益に使うべく早速好いた相手の部屋を訪れて、一杯どうだと酒を持っていったのかもしれない。
今日、練習を中止にしたが故に、とうとう鶴丸の恋が成就したのかも、しれない。
「鶴、さん・・・・・・」
初めて鶴丸と出会った時から、鶴丸のことは何でも知っている様な気がしていた。顔を合わせた初日から「鶴さん」「光坊」と呼び合い、意気投合した。初めて出会った時に二人の縁は結ばれていたのだ。違和感を感じることもないまま、自然に。
それが余りにも自然過ぎたので、本丸で出会う前に何処かで会っていたのかもしれないと話したこともある。けれどそれも定かではなく、結局伊達と言う縁がそう思わせるのかもと二人で笑って結論付けた。
だから、初めて会った鶴丸を燭台切は大倶利伽羅と太鼓鐘と同じ位置に分類した。伊達でのかけがえのない仲間、人でいう所の家族という位置だ。
だから大倶利伽羅と太鼓鐘と同じように鶴丸の事も何でも分かった。初めて会ったなんて思わないくらい全て知っていると思っていた。
なのに、鶴丸には好いた相手がいると言う。この本丸で初めて会ったのか、再会したのかそれは分からない。けれど、確かにこの本丸の中で同じ時を過ごし、気持ちを育み、だから好きだと思える相手に鶴丸は出会ったのだ。
燭台切の知らない所で。
鶴丸は燭台切にとって大倶利伽羅や太鼓鐘と同じ家族。全てを理解している相手。全てを理解しているのだから好き嫌いなんて今更考えることもない。
けれど、鶴丸は大倶利伽羅と太鼓鐘とは違うと、今明確に分かった。
だって、ここまで誰かを想う鶴丸なんて知らない。周りに働きかけ、毎晩燭台切を使い体の練習をして、欲しいのだと、必ず手に入れるのだと執着を見せる鶴丸を。
上半身も乱れさせず、口の端で笑うのではなく。素肌を晒し抱き合って、耳元で好いた相手の名前を呼び、蕩けた金で見つめる鶴丸の姿など、燭台切は知らない。何度体と心を委ねたとしても。
「・・・・・・」
いつの間にか、体の熱が治まっていた。それどころか、全身冷えきっている。心までも。
「馬鹿みたい」
何故鶴丸の名前を呼んだのだろう。ここには自分しかいないのに。
「お風呂入って、寝る!!」
やっと落ち着いた鈍感な体を叱りつける声色で叫んだ。両手をついて起き上がりながら。
「・・・・・・?」
その時、一瞬。障子の向こうで動くものを見た気がした。
しかし、鶴丸との練習が始まってから一度も夜にここを訪れるものなどいない。障子が開いていれば声が漏れていて、調子が悪いのかと誰か見に来ることもあるかもしれない。だが障子がしまっていればせいぜい部屋の前の廊下まで、しかもよく耳を澄ませていなければ聞こえない筈だ。そんな者がいる筈もない。
気のせいだろう。
気にせず湯浴みの準備をして部屋を出た。