太陽の眩しさに目を眩ませながらも両手を伸ばした。白いシーツを物干し竿にふわりとかけて軽く両端をぱんぱんと引いて皺を伸ばす。
「今日もいい天気だ」
シーツが太陽を遮ったことで全身黒い自分は光を吸収する部分が少なくなりそれだけで大分暑さが和らぐ。梅雨に入ったばかりだというのに晴れた日の陽の強さは既に夏のものだった。
風が涼しいのがまだ救いだ。今も吹いた風が、干したばかりの洗濯物や真白のシーツ達をふわりと靡かせ、燭台切の頬まで撫でていく。こういった、ふとした瞬間の感覚や情景が好きだ。心を豊かにしてくれるような錯覚すら起きる。
「わぷ、」
そよそよ空を泳ぐシーツを眺めていると突然風が強くなる。お陰で白いシーツが強くなびいて燭台切の顔を埋める。風は気まぐれと言うが本当にそうだ。
白さは一瞬。燭台切を包んですぐに、去っていく。
「痛っ、・・・・・・たくはないんだった」
もちろん柔らかな布は何も危害を加えたりしない。燭台切が唇を押さえるのは別のほんの小さな痛みとも言えない違和感からだ。
「鶴さん思いっきり噛むんだもん・・・・・・甘噛みの加減が分からないって言ったっていくらなんでも」
一昨日の夜。口吸いの練習中に思いきり噛まれた下唇を撫でた。血が出る程強く噛まれた訳でもなかったので痛みは既にない。しかししばらく歯形が内側に出来ていたので、昨日はずっと無意識にその歯形を舌でなぞっていた。
今もうは歯形も消えたのに違和感だけ残っていて、また内側を舐めてしまった。
「失敗されてこそ練習に付き合ってる甲斐があるんだけどさ」
鶴丸の練習に付き合って思うことは、鶴丸は大体の伽の流れをそつなくこなしている気がするということ。
鶴丸が心配していたように初夜に幻滅される程壊滅的ではないと、性作法についてほぼ無知だった燭台切でもわかる。何でもそつなくこなす器用な鶴丸だ、それは夜の手腕についても同じだったらしい。鶴丸と練習を初めてしばらく経つが、時々鶴丸には果たして練習が必要だったのだろうかと思うことがあった。
「でも、こういう失敗があるから練習しててもいいんだ、よね」
唇を指で触れながら呟いた。ふわと踊るように揺れる白の中で。
「ん・・・・・・?」
自分の言葉に何やら違和感を覚えて、はたと止まる。失敗があるから練習をしててもいい、とは言い回しがおかしい。練習しているから失敗してもいい、なら分かるのだが。
ほけ、と考えているとシーツの片方がぱたぱたとなびき物干し竿から落ちかける。どうやら洗濯ばさみできちんと挟んでいなかった上に、先ほどの強い風で洗濯ばさみが取れてしまったらしい。
「わわ、ちょっと待って、今ちゃんと留めるから。飛んでいったらダメだよ」
自由な空に飛び立ちそうな白に向かって話す。
「君も綺麗な白だけど、そんなところまであの人を真似なくていいんだからね」
留め直したシーツが返事をするかの様にまたもや風を利用して燭台切に擦り寄りふわりと包んだ。やはり鶴丸みたいだと、笑ってしまう。
「・・・・・・いや?何で鶴さん?白いから?それなら貞ちゃんだって、物吉君だって、まんばくんだって白いし。それに、鶴さんにこんなに優しく抱き締められたことなんかないよ」
優しくどころか鶴丸に抱き締められたことなどない。練習は指や舌の使い方や接触が主だ。抱きしめるという行為は純粋な愛情表現として行われるものであるから、鶴丸と燭台切の間で行われる必要がないのだ。鶴丸が両手を広げる先に燭台切はいない。
「ちゃんと分ってるよ。僕が目指すのはあの人の横に並び立つことだからその腕の中に誰がいるかは関係ない。そんなこと、今更考えることでも・・・・・・」
「・・・・・・光忠、誰かいるのか?」
「うわぁ!?」
突然背後から話しかけられて目の前のシーツを引っ張ってしまった。湿っているシーツが無理矢理洗濯ばさみを振り切って燭台切の腕へと落ちる。急に直接顔を覗き込む太陽に目が眩んだ。反射で目を瞑ることでそれを落ち着かせ、急いで背後を振り返る。
「伽羅ちゃん!!」
「・・・・・・なんだ誰もいないのか。あんたの独り言は時々心配に成る程だな。以前の鶯丸の様に見えない誰かがそこにいるみたいだ」
呆れたような、それでいて見るものが見ればわかる程度の心配を滲ませながら大倶利伽羅がそこに立っていた。手には今洗濯機から取り出したのだろう洗い立ての洗濯物が入った籠。
燭台切の隣にある物干し竿の前に立ち、早速洗濯干しに取りかかる。梅雨の時期、たまの晴れとなると洗濯干しも大量。色鮮やかな洗濯物が風になびくのを見るのは爽快だが、干す方は結構大変だ。
洗濯係りだけでは大変なので燭台切もこうして手伝いをしているのだが、どうやら大倶利伽羅も手伝いをしているらしい。
考えていたことはどこへやら。思いがけない大倶利伽羅との時間の共有に嬉しい気持ちになる。
一見近寄りがたく見える大倶利伽羅は、とても優しい。この手伝いも何も言わずさりげなく自分からしていることだろう。
その中でこうして燭台切を見つけて、気にして、声をかけ、他の場所も空いているのに隣で洗濯物を干し始めるということがとても嬉しいのだ。
「洗濯物、まだある?」
「あるが、後は洗濯係でするそうだ」
「そっか」
自分もシーツをかけ直しながら大倶利伽羅と会話をする。と言ってもそんなに長くは続かない。沈黙が心地よいと思える貴重な相手だ。いつもは太鼓鐘や鶴丸が一緒にいるから二人になるのは久しぶりのような気がした。
大倶利伽羅の籠から洗濯物を取り出し大倶利伽羅と並んで洗濯物を掛けていく。
「・・・・・・あんた、」
「ん?」
御手杵の緑のジャージを干していると隣からぼそりと声が聞こえる。聞き返すために大倶利伽羅の方を見ると、大倶利伽羅は洗濯物を干しながら真剣な横顔をこちらに見せる。
「あんた、国永――受け入れたのか」
「えっ?何?鶴さん?」
今日は中々いい風が吹く。それは結構なのだが洗濯物がはためく音は、様々な音を邪魔をして、大倶利伽羅のぼそりと溢す言葉を拾い上げる難易度を上げた。
鶴丸がどうたら受け入れうんたらと聞こえた気がする。
「僕と、鶴さんのこと?」
「ああ」
燭台切と鶴丸のこと。同じ伊達組でよく一緒に過ごしている大倶利伽羅が話題に出すことはおかしくないが、敢えてこちらを見ないように見える大倶利伽羅に違和感を覚えた。そして突如ぴん、と気づく。
「伽羅ちゃん、僕と鶴さんのこと気づいてたんだね」
大倶利伽羅の態度、聞き取れた言葉。それらを繋ぎ合わせて言った。大倶利伽羅は、鶴丸の練習の申し出を燭台切が受け入れたことに気づいていたのだ。
大倶利伽羅は燭台切の言葉に少しだけ頷いた。まだこちらは見ないまま。
「いつから?」
「最初からだ」
なんと、大倶利伽羅は練習開始時から気づいていたと言う。
「すごいね、気づかれない様に気を付けてたのに」
「あんた達を見ていればわかる。それなりの付き合いだからな」
大倶利伽羅はそれなりと言うが、それは彼にとってとても深い仲だということを示す。
それはとても嬉しい。しかし少しだけ困ってしまう。
「・・・・・・あのね、伽羅ちゃん。皆には内緒にしてほしいんだ」
「何故」
「鶴さんが困るから」
練習をしていることが知られてしまえば、本丸の中にいる鶴丸の想い人にも知られてしまう。それは鶴丸の恋を成就させるどころか障害になるに決まってるのだ。
「そうだな、きっと困るだろう。まだ手回しが完全ではなさそうだ」
「伽羅ちゃん、そんなことまでわかるんだ」
「分かる。最近国永がやたらと厨に立ったり、いつも以上に本丸の奴等に構うのは周りへの心証を考えてだろう。いざ報告した時に反対されない為にな」
「何、鶴さんそんなことしてるの?」
「それだけ本気ということだ」
干したものをぱんぱんと引っ張りながら大倶利伽羅は答える。
何でも無いように言っているがその内容は少し驚きだった。鶴丸がこの恋に本気で、あの手この手で好いた相手を手にいれようとするだろうことは分かっていた。しかしまさかその為に本丸の皆に対しても働きかけているとまでは気がつかなかった。
外堀から埋めていくと言う意味もあるだろう。そして大倶利伽羅が言う通り、恋が成就した時に反対されない様に。
「でも・・・・・・それって、いいね。だって、相手が大切にしてるもの、相手を大切にしてくれてるもの、全部まるごと大切にしようとしてくれてるってことだ」
誰に何を言われても、本気の想いなら結局周りの反対など関係なしに貫く筈だ。だけど鶴丸がそうしないのは、きっと燭台切が今言った通りの理由からだろう。鶴丸はそういう刀だ。
鶴丸のそういう性質は燭台切が好ましいと思う所の一つでもある。
「・・・・・・」
「どうしたの伽羅ちゃん、そんなに見つめて」
今まで洗濯物と向き合っていた大倶利伽羅がじっと顔を見てくるものだから自分の顔をぺたぺたと触る。僕の顔に何かついている?と問いかけると、いや・・・・・、と静かに首を振る。
「その分なら心配はいらなそうだと思っただけだ」
「心配?」
「・・・・・・あんたは国永を拒絶すると思った。そういうの良く分からないから、と。この件に関しては理解する前に理解すること自体を切り捨てるだろうと。だがあいつも本気だ、そう易々と引き下がらないだろう。だから、強引にことを進められたのではないかと懸念していた」
思わず信じられない様に大倶利伽羅を見つめてしまった。
確かに大倶利伽羅の言う通りではあった。鶴丸が体の練習をさせてくれと最初に言った時、鶴丸の突拍子ない発言を燭台切はまず拒絶した。鶴丸の言っていることがわからないと切り捨てようとした。そして鶴丸が本気でそう易々と引き下がらなかったのも当たりだ。しかし別に強引に話を進められたわけではない。いくら本気と言えど鶴丸がそんなことをするわけがないと、燭台切以上に大倶利伽羅の方が知っていそうなものだが。
「まさか!だって鶴さんだよ?鶴さんは自分の為に他の誰かを傷つけたりしないよ」
「わかってる。だがあんたの意識を変えるなんて、言葉で表面を優しく撫でるだけでは無理だった筈だ。意識的にしろ無意識的にしろ、あんたが理解出来ないと決めつけたものを飲み込ませるなんて簡単には出来ない。それこそ、体から中を無理矢理こじ開けるくらいのことをしなければ」
呟く声の調子は変わらないのに、大倶利伽羅がつらつらと長文を話す。その内容を聞いていると、今日はいっぱいしゃべるね。なんて茶化すことが出来るわけがなかった。
ただ大倶利伽羅を見つめる燭台切に大倶利伽羅は一度言葉を切って、また口を開く。
「だが・・・・・・今のあんたを見ていれば杞憂だったと分かる」
「も、勿論!鶴さんは僕の意志を踏みにじったりしないよ!ちゃんと合意の上さ!」
「・・・・・・そうか。なら、良い」
燭台切が慌てて言うと僅かに、恐らく燭台切でなければ気づけない程度に、大倶利伽羅は安堵した。最初はなんてことを言いだすんだと驚いたが、表情に出ない少し降りた肩は本気で自分を心配してくれていたということを燭台切に教えた。そうすると今度は嬉しい気持ちが湧き出てくる。
「ありがとう、伽羅ちゃん。すごく心配してくれてたんだね」
「・・・・・・国永が本気で何かを欲しがるなんて初めてなんだ。手に入れれば今度は手離さないよう必死になるはずだ。予測がつかない。何かあったら言え、間に入る事くらいは出来る」
「うん・・・・・・でもね、鶴さん本当に僕に気を使ってくれてるんだよ。最近はちょっと意地悪な時もあるけどまだ指しか挿入てないし」
「そういう生々しい話は一切受け付けない」
今まで真剣な顔で燭台切と会話をしていた大倶利伽羅が突然、誰が身内の情事を聞きたがるか、と吐き捨てた。
「あれ、そういう心配だろ?」
「・・・・・・もういい」
「何で急に怒るの」
「怒ってない。・・・・・・はぁ、単にあんたがそういう図太い神経も持ち合わせていることを忘れていた自分に呆れているだけだ」
大倶利伽羅はいつも以上の仏頂面になってしまった。体の練習を心配してくれたが、詳しい内容が聞きたい訳ではないらしい。
難しいお年頃。年上ぶってそんなことを考えながら肩を竦めるに止めておいた。
「伽羅ちゃんも好きな子出来たら言ってね。鶴さんとしてる事を伽羅ちゃんにもって訳にはいかないけど、僕、協力するからね」
もし、大倶利伽羅達が体の練習をさせてくれと言ってきても、その申し出を受け入れることは出来ない。
とてもじゃないがあんなみっともない姿を他の誰にも見せることは出来ないからだ。
刺激に反応しているせいとはいえ大きく乱れ、喘ぎ、快楽に従うしかない自分なんて、本来なら燭台切が忌避したい自分。そんな燭台切を鶴丸はいつもそのまま受け入れるからなんとか忌避したい自分とも練習にも付き合えているが、逆に言えばそんな自分を鶴丸以外には絶対に見せたくなかった。
同じ身内と言っても大倶利伽羅と太鼓鐘でもそれは変わらない。何故だと言われれば答えに詰まってしまうが、やはり駄目なものは駄目なのだ。一緒に体の練習をすることは出来ない。
だからその代わり、それ以外なら協力は惜しまない。鶴丸も大倶利伽羅も太鼓鐘も同じ家族。幸せになって欲しいという気持ちに差は決してないのだから。
「生憎とその予定はない。万が一あったとしても、絶対あんたたちには言わない」
「どうして。実技は無理でも口でなら教えてあげられるよ、体の事。経験者の助言は貴重でしょう」
「すぐそういうこと言うから嫌なんだ」
「えー?」
嫌そうな口調のわりに、最後の洗濯物を丁寧な手つきで干し終える。性格が所作に現れていて好ましい。
しかし空っぽになった籠をひょいと持ちそのまま背中を向けて去っていこうとするのはあまりにつれない。
「待って伽羅ちゃん、一緒にお茶しようよ。美味しいの煎れるからさ」
「悪いがあいつが来る時間なんでな」
「あいつ・・・・・・って三毛猫ちゃん?」
「ああ」
それを聞いてしまえば途端にその背中がうきうきして見えるから不思議である。
「それなら邪魔するのも悪いね」
「・・・・・・また今度な」
そう言って今度こそ大倶利伽羅は去っていった。
「毎日健気に会いに行くなんてまるで恋だねえ」
と言いつつ、その恋の正体は未だ不明なままである。燭台切より大倶利伽羅の方が余程恋を理解しているかもしれない。だからこそ鶴丸の片恋や、二人の秘密の練習にも気づき、そして鶴丸の行動からその想いの本気度も測った。
燭台切が鶴丸の恋を本気だと分かったのは直接その想いをぶつかられたからである。大倶利伽羅の様に側で見ているだけでは気づかなかっただろう。
大倶利伽羅は鶴丸をよく知っている。本人自体を、その恋の大きさを。
「そういえば僕、何も知らないな」
毎日鶴丸の恋の為の練習をしている。なのに相手の事も、鶴丸がどういったアプローチをしているかも知らない。最初に名前を教えてやると言ってくれた鶴丸を拒否したのは自分だ。
やはり知っておいた方がいいだろうか。協力者である燭台切より大倶利伽羅の方が鶴丸の恋への理解が深いと言うのも情けない話の気がする。
「聞いてみようかな、でも誰か知ったら練習中に顔がちらつきそう・・・・・・」
それで自分だけ一方的に気まずくなるのも嫌だった。
「あ、でも伽羅ちゃんが気づいているってことは言わないといけないな」
今からの時間は珍しく空いている。少し鶴丸を探してみるか。
最近は夜もだが、以前から鶴丸は昼間に燭台切の部屋をよく訪れていた。そうでなくても鶴丸は燭台切を見つけていつも声を掛けてくれる。
だから燭台切は何か用があったり、伝言があっても基本的に持っているだけだ。だがたまには燭台切から探しにいくのもいいだろう。
「・・・・・・どこにいるかわからないけど」
取り敢えず歩いてみようと、空に泳ぐ白に背を向けた。
四度外れを引いた後の五度目の場所へ向かう途中。一つの部屋から声が聞こえた。
そこは人数が多い粟田口に与えられた数部屋の内の一つだった。
「次は・・・・・・そこの角と角を合わせて」
「こ、こうでしょうか?」
「そうそう。ほら、だんだんそれらしくなってきた。おっ、平野も上手いじゃないか」
「お褒めに預かり光栄です!と言っても歪んでいる気がしますが・・・・・・」
「いやいや、そんなことないぞ!昨日から随分上手くなった」
「大典太さん、喜んでくださるでしょうか」
「鶯丸様も・・・・・・」
「勿論!紙で折った鳥なんて驚きで可愛いだろ!」
楽しげな会話が聞こえてくる。鶴丸と前田と平野の声だ。話している内容からしてどうやら折り紙を折っているらしい。
和気藹々な応酬にどうしようかと部屋の入口に近い所で足を止めた。鶴丸を見つけたのはいいが声を掛けるとこの和やかな時間を壊してしまうことになってしまう。鶴丸への用事は急ぎではない。ならば後からまた時間を見て来ることにしよう。
そう決めてくるりと踵を返すと。
「わぁっ!?」
「・・・・・・驚いた?」
「な、鳴狐さん・・・・・・」
振り向いた先に鳴狐がひっそりと立っていた。どうやらお供のキツネは一緒ではないらしい。お供のキツネが一緒であればきっと先に声を掛けてくれただろうからこんなに驚くこともなかっただろう。鳴狐は大人しい様に見えて人を驚かせるのが好きだから、お供のキツネがいないのを好機として燭台切を驚かせるべく背後に立っていたに違いない。何処かの誰かさんと似ている部分を感じた。
「用・・・・・・?」
「あ、うん。鶴さんにね。でも今は楽しそうにしてるから、後でいいかなーって」
「そう・・・・・・」
「鳴狐さんは?」
「・・・・・・二人を呼びに来た。一期がお菓子を買ってきたから」
「そうなんだ」
「そう・・・・・・、家族は平等。二人だけ食いっぱぐれは良くない」
「そうだね。うん、家族は皆平等がいいね」
人付き合いの苦手な鳴狐だが、数年の付き合いともなればお供のキツネがいなくても言葉を交わすことも問題なく出来る様だ。むしろ簡潔で落ち着いた言葉は好ましいとすら思う。
「だから・・・・・・鶴丸を連れていっても大丈夫」
「え?」
聞き返すと鳴狐はこくんと頷き、立っている燭台切を置いて三人がいる部屋へと足を進めた。意識を部屋へ向けたことで中の会話が燭台切の耳に届く。
「それにしても折り紙で鶯が折れるなんて知りませんでした」
「僕もです。鶴は知っていましたがひよこに梟、白鳥、孔雀。様々な種類があるんですね」
「だな。俺も調べて驚いた。人間ってのは色んな表現方法を考えるもんだよな」
「本当ですね。そういえば、鶴丸さんが今作ってらっしゃるのは何ですか?一層丁寧に折っていらっしゃいますが」
「それに楽しそうです」
「ん?ふふ、これは俺の好きな鳥」
「「鶴ですか?」」
「いーや。まあ、鶴も好きだが鶴だったら白で折るさ。これはもっと特別な、」
鶴丸の特別。それは何だろう。鳴狐の後を追うつもりはなかったがふらっと足が部屋の方へ向かう。鳴狐は既に部屋に入っていて、それにより三人の会話が途中で途切れた。
「・・・・・・二人とも、おやつ。おいで」
「「叔父上」」
「よっ、鳴狐!今日も驚きを振りまいてるかい」
「うん・・・・・・。今日も早速燭台切に、」
「光坊・・・・・・?」
「こ、こんにちはー・・・・・・」
鶴丸が訝し気に呼んだ名前に応える様に部屋へと顔を出した。さり気なく鶴丸の手元に視線を落としたが、鶴丸が折っていたものは完成にはまだ遠かったらしくそれが一体何の鳥だったかはわからなかった。
「こんにちは燭台切さん」
「こんにちは、お疲れさまです。僕達に何か御用でしょうか?」
「あ、えっと、鶴さんに・・・・・・」
「俺ぇ?」
にこっと可愛らしく微笑む二人ではなく、鶴丸を指名した。
鶴丸が目を丸くして自分を指す。確かに今まで燭台切から鶴丸を訪ねたことなどないから仕方がないか。
「そうだよ、話したいことがあって」
「何だ?」
「こ、ここではちょっと・・・・・・」
他の三人の前で言うわけにもいかず言葉を濁す。すると鳴狐が助ける様に口を開いた。
「二人とも・・・・・・いい?」
「あ、はい!すみません燭台切さん!鶴丸さんをずっとお借りしてました」
「え?いや、僕に謝ることなんて・・・・・・」
「鶴丸さんもずっと付き合って頂きましてありがとうございました。明日、またお願いしてもいいですか?」
「んあ?あ、ああ勿論」
二人はそれぞれ頭を下げ、そしててきぱきと机の上を片付ける。その間に鳴狐が部屋の棚から菓子が入っている籠を取り出してそのまま燭台切に渡した。
「持って行って・・・・・・」
「これ、粟田口の皆の常備用おやつでしょう?」
「二人のお礼」
「それなら、僕じゃなくて鶴さんに・・・・・・」
籠を鳴狐に返そうとする手を、片付けが終わった前田と平野が左右から止める様に小さな両手を添えてきた。
「燭台切さんにも常日頃からお世話になってます!」
「そうです!燭台切さんいつも皆の為に働いてくれますから、これを食べている間くらいはゆっくりしてください。鶴丸さんと一緒に」
「話って言ってもすぐに・・・・・・」
「ありがとうな鳴狐、前田、平野。ゆっくり味わう」
「「はい!」」「うん」
「ちょっと、鶴さんっ」
燭台切が答えようとしている途中で鶴丸に腕を引かれる。咄嗟の行動に着いて行くしかなかった。戸惑いながら部屋を振り向くと鳴狐がいつもの顔で前田と平野が笑顔で手を振っていた。それに手を振り返そうとして両手が塞がっていることに気づき、どうにか笑顔だけを返すことにした。
「どうしたの鶴さん、急に」
「君こそ。珍しいじゃないか、俺を探すなんて」
少し歩いて腕をほどかれる。鶴丸の部屋に着いていた。ほとんどの個人の部屋は、いくつか空き部屋があるものの、ほぼ密集している。だから粟田口の部屋からすぐ着くのだ。
孤立しているのは近侍部屋と長谷部の部屋、燭台切の部屋くらいで、周りに資料部屋等もなく隣接している部屋がすべて空き部屋なのは燭台切の部屋だけだ。半年前までの堀川や歌仙、粟田口の部屋に囲まれていた賑やかさが懐かしくなる時もある。
だがもしあのままであれば燭台切と鶴丸は密会を繰り返すこともなかったのだ。
「どうした光坊。入らないのか」
「あ、ごめん。入る」
鶴丸の部屋に足を踏み入れた。この部屋に入るのはなかなかに珍しい。机の上に色紙で折られた鶴が一羽と四角い形のものがあった。潰さないように気を付けて貰った菓子籠を置く。
「これ何?鶴と?」
「紙風船。昨日前田と平野が初めて折った奴。・・・・・・んで?光坊話って何だ?何かあったか?」
鶴丸が腰を下ろして聞いてくる。燭台切もその向かい側に腰を下ろした。
「伽羅ちゃんが僕たちの練習に気づいてたんだ」
「え?」
「最初から気づいてたんだって。鶴さんに知らせなきゃって思って・・・・・・」
そう言うと鶴丸は、成程、その話か。と言いながら饅頭を一つとって包みを開けた。
「本当に気づいてるんならまず、俺を問い詰めにくると思ったんだがなぁ。・・・・・・伽羅坊怒ってたか?何も知らない光忠に変なことを教えるなんて!とかなんとか」
「全然。怒ってなかったよ」
「・・・・・・ははーん。成程成程。伽羅坊も真っ直ぐな子だからなぁ。それに俺のこと大好きだし。そりゃぁ、考えつかないだろうさ」
「どういうこと?」
うんうんと饅頭を頬張りながら頷いている。
「何にせよ伽羅坊は自分の知っていることを言いふらす奴じゃない。しかも取り分け俺達の事だからな、絶対他言しないだろう。大丈夫だ」
「そこは心配してないんだけど」
「それじゃあ別の心配かい?」
鶴丸が一口で残りの饅頭を押し込んで、口を動かしたまま籠に手を伸ばす。そこにあった瓶を空けて、まだ何も食べていない燭台切の両手に黒糖を数粒出してくれた。ありがとう、と返して、ひとつ口にひょいと入れた。そしてそのままの流れで本題に入ることにした。
「鶴さんのさ、好きな子ってどういう子?」
「はんはっへ?」
「あ、名前は言わないでね。誰か知りたい訳じゃないんだ。ただ、どんな子なのかなって。鶴さん、どんな所を好きになったのかとか、」
鶴丸は一生懸命咀嚼しているがまだ時間がかかりそうなので続ける。
「知ってた方がいいのかなって思っただけ」
「んく、・・・・・・どうしてまた急に」
「んー、ちょっとね。何も知らないまま付き合うって言うのは変なのかなぁって思ったんだ。気にした方がいいことなのかなって。ごめん、自分でもよく分からないんだ。何も知らないはずの伽羅ちゃんが鶴さんの恋に気づいて、毎日一緒に練習してる僕が未だによく分かってないことが、情けないのかな」
「・・・・・・何にせよ。恋に興味がなかった君が恋の何かを知りたいと思うようになったことは実に喜ばしいことだ。鶴さんが何でも答えてやろう!と、言いたいところなんだが、うーん。どんな子って言ってもなぁ・・・・・・。そうだな、・・・・・・勿体ない奴、かなぁ」
「え?」
途中から言いたいことがわからなくなって両手の指を合わせるという謎の行動を取っていた燭台切に、鶴丸が言った。慌てて両手を離す。
「今はほら、好きな欲目ってのがあるから何を言っても俺の願望だか幻想だかで塗装されてると思うんだ。だから最初の印象を思い出してみた。そしたら、勿体ないなぁこいつって思ったのを思い出した」
「物を粗末にする子ってこと?」
「そうじゃなくてな。ん、種まく人って感じ」
「????」
鶴丸の言っている事がよくわからなくて首を傾げる。
「色んな優しい物や純粋な物をな、本丸の皆にいつも与えてくれる奴なんだ。与えて蒔いて、皆の中にある優しい気持ち、柔らかな心を育ててくれる」
「ああ、そういうことか。優しい子なんだね」
「優しい。そうだな、優しくて愛情深い。だがな、一方的なんだ。押し付けてるって意味じゃない。自分が育てた気持ちを受け取りもせずまた別の所に種を蒔く、そんな感じだ。返礼なんて最初から頭にもない。『ありがとう』に対して『どういたしまして』じゃなくて、『お礼なんていい』って、それってすごく勿体ないよな?」
鶴丸は好いている相手を思い出しているのか目を瞑る。その瞼に写る姿が燭台切には全くわからない。
「ああ、本当に意味でこいつの中に気持ちを届けられる奴なんて誰もいないんだろうなって初めて言葉を交わした時に思ったんだ。優しくいられるって独りで居ることなのかな、とか。というか、うちの本丸は気遣いが出来る奴ばかりだからそういう風に独りでいるそいつの領域を尊重してたってのが正しかったのかもしれない」
殊更優しい声に感じて、鶴丸の顔を凝視する。鶴丸はもう目を開けていて、けれど燭台切ではなく目の前の菓子達を見つめていた。
「でも俺はそんなそいつに興味持っちゃって。俺、難易度高いと燃えるタイプなのかなぁ。被虐趣味かよ、救えねぇなー。でも、その時はまだ恋じゃなかったんだ。いや、自覚してなかっただけなのか?何でもいいか。今の状況は変わらないし。なんていうか、そういう優しいのに独りなそいつに、俺が気持ちを届けられたらなぁって思ってしまったんだよ。だから、ああ、そうか、俺の好きな奴は優しくて独りぼっちな奴、が正解かな?」
こてんと首を傾げてようやく燭台切を見た。見たが、燭台切は勿論誰のことを言っているのか分からないので正解かどうかは分からない。けれど、もしそれが正解なら鶴丸は鶴丸自身に似ている相手を好きになったのではないかと思った。
燭台切は鶴丸の優しさを一方的とは思わないが、優しすぎる程に優しく、そして何処か独りであると感じている。そういう鶴丸の横に並び立ちたいと思っているからわかるのだ。
鶴丸の好きな相手だ、しかもこの本丸の仲間。良い刀ばかりだとは元から思っているが、その相手が鶴丸に似ている部分を持っているというのなら、
「素敵な人なんだね」
「・・・・・・ああ」
鶴丸は嬉しそうにでも何処か面白そうに笑う。
「素敵なんだが、くっそ鈍感野郎でな!!!可愛さ余って憎さ百倍な時もある。いじめていじめていじめぬいていっそ嫌われてみようかなんてことも考えたりさ」
「鶴さんには無理だと思うなぁ。だって鶴さん優しいし、それによくわからないけど好きな相手に嫌われたり幻滅されたら悲しいものなんでしょう?」
「そうだが・・・・・・。意識されないよりはいっそ嫌われた方がとか、あるだろ?」
「無理無理。そういう考えは早々に諦めた方がいいと思うよ。どっちにしろ片恋って振り回されるものなんだよ、きっと。惚れた方の負けっていうでしょう」
「・・・・・・確かに。だから俺はいつも敵わないのか」
くそぅ。と苦々しく呟くものだから声に出して笑ってしまった。好きな相手のことを話す鶴丸は感情がくるくると動き、見ていて実に面白い。
そう言えば『この恋は俺の生命線だ。俺の心の鮮やかさであり、同時に最大の弱点でもある』と言っていたが本当にそうらしい。良い恋をしている様だ。鶴丸は真剣に誰かに恋をしている。
「いいなぁ」
頬杖を突いてぽそりと笑った。すると鶴丸が大きく目を見開いて燭台切を見る。何をそんなに驚いているのだろう。
「だって鶴さん楽しそうだ。退屈で死んでしまうこともなさそうで安心したよ。日常に潤いがあるのも羨ましいしさ。そう言えば最近『驚き』もなりを潜めているしね?」
「・・・・・・なんだ、そういう意味か」
「?そういう?」
それ以外に意味があるだろうか。自分の中に生まれた「いいなぁ」の響きの意味を考え直してみたが他には何もなかった。燭台切には恋が分からないのだからそれ以外の響きがある筈もない。
「恋に苦しむ俺の姿を『いいなぁ』と言ったのかと思った。どんな嗜虐趣味だよ、俺達相性ばっちりかよって驚いたわ」
「また変な事思いつくね、こっちもびっくりだよ。ねぇねぇ、じゃあさ、今度はどうして恋を自覚したか教えてよ。一目惚れ?それとも何かきっかけがあったの?」
「珍しくグイグイくるなぁ・・・・・・」
鶴丸はたじたじだ。今まで何も聞かなかった燭台切が興味津々に聞いて来るのに戸惑っているのかもしれない。
「ごめん、図々しかったね」
「あ、いや・・・・・・そうじゃなくてな」
そこでひとつごほんと咳ばらいをした。そして、食べ終わった饅頭の包みを丁寧に畳み始める。あれ、この光景どこかで見たような、と燭台切が思い出そうとしたところで「生々しい話になるが、いいかい?」と上目遣いを寄越して来る。それに頷いた。
「その時の内容はあんまり覚えてないんだが、ある人物の夢を見たんだ。で、目が覚める、下穿きが汚れてた。なんだこれーってなって、調べる。で、はあ、良くわからんってなって取り敢えずなかったことにした」
鶴丸が手の中の包みをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱にぽいっと投げ捨てた。
「だが、何回も夢を見る。エスカレートしていく内容。汚れる下穿き。泣きそうになりながらこっそり洗濯する俺。そういうのを数日繰り返してた。俺だって初めての経験で、自分がどういう状況なのか。この現象の止め方なんて分からなかった。でもな、これは掘り下げちゃいけない問題だって、俺の中の刀である部分が強く警鐘をならしていたんだ」
「警鐘・・・・・・最初は危険なものだと思ってたんだね」
「そう。未知なるものを忌避するなんて、驚きを求める俺がなんて情けないって思うだろ。だけどな、その何かを明確に定義づけてしまえば俺はもう刀でいられなくなるって思った。柄にもなく、怖かったのかもしれない。刀で在るという俺の根本を、自分の意義や意味を、自分の思い一つで大きく変えてしまうことが。だから物としての本能がそれを忌避していた。必死にな。だけど、そこで主の一言だ」
「主?」
突然の主の登場に考える前に声が出た。
「そーう。当時、年齢イコール恋人いない歴大台にのった我らが主様。その日も内面にもやもやしたものを抱いていた俺は、気分転換にと主の持ちネタをいじって楽しんでたんだ」
「な、なんてことしてたの」
「一種のこみゅにけーしょんだって!主も怒らなかったし。その日だってちゃんと俺の『君は女に縁はないがいい男には毎日囲まれてるじゃないか!よっ良い審神者!』っていうフリに『嬉しくない掛け声ありがとな!!!!!」って突っ込んでくれたんだぞ。ただその後さ、主が部屋の窓から庭先を見るわけだ」
鶴丸がすっと視線を部屋の入り口に向ける。生憎と鶴丸の部屋に窓はない。燭台切も追って部屋の中から見える廊下を見てみた。
「その視線の先に俺の夢に出てくる人物がいた。たぶん何か運んでたんじゃなかったかな。そいつが途中で荷物を下ろして腕を回したりしてるのを見て、ああ今日も良い、し・・・・・・じゃない今日も元気だなーって思った」
「?今何かいいかけなかった?し?」
「とにかく!主の視線の先にそいつがいたわけ!」
視線を鶴丸に戻すが鶴丸は頑なに視線を合わさない。それどころか自分の手払うことでその視線を払拭させようと無駄な努力をしている。
「で、主が言いました『確かにいい男には囲まれてるんだよなぁ・・・・・・もういっそ、男でもいいかな』」
「うわー・・・・・・」
その場面を想像した。口の端を僅かでも上げることが出来ない。
「その瞬間思った。何が刀でいられなくなるだよって。俺達は物で、そして目の前の人物こそ俺達の所有者なんだと。俺達に体も心もあったとして、俺が誰かに恋をして、相手を欲しい、手に入れたいって思ってもさ、俺も彼も人間の所有物でしかない。そして、思い出したんだ。所有物でしかない俺達がどんな強い想い持っても、人間様の意志ひとつで簡単に踏みにじられること」
そんな言葉を吐きながら、人間を責めるものではなく自嘲の笑みを浮かべるのはやはり鶴丸が刀だからだろう。刀に人間を恨むことなど出来ない。人間に求められることこそ存在意味でもある。それはこの鶴丸であってもそうだ。だからこそ鶴丸は人の執着に呆れ諦めるしかなかったのだろう。
そう思って見つめていた。自嘲の笑みを。
しかし、その笑みは角度を増した。伏せていた瞳が燭台切を捉える。
「だからって諦められるか」
「っ、」
ぎら、と光って見えた。その金の鋭い輝きに、斬りつけられた様な錯覚さえ覚える。
「なんだよ、『男でもいいかな』って。そんな人間様の気まぐれに譲ってやるほど俺はお人好しじゃないんだ。俺は、そいつが好きで好きで、もう刀としての意義とか意味とかの輪郭が曖昧になるくらい好きで、なんなら本当はそいつの矜持も壁も今すぐ全部剥ぎ取って、そいつを奪って俺だけのものにしたいって、そうしても永遠に満たされないってわかっててそれでも、」
「つ、鶴さん!」
「と、まぁ、こんなことが頭の中で爆発した訳だ。主の考えなしの一言によってな。それで俺は、その相手への恋を自覚して、すぐ行動を起こした。今思えば混乱してたとも思う。主は人間様ではあるが、俺達の主は俺達を家族と呼ぶような人間だ。俺達の意志を踏みにじったりすることはなかっただろう。まぁ、俺達の方が主に求められれば拒むことは出来ないから結局は一緒なんだけどな。・・・・・ちなみにこの間本人に、あの時のことを聞いたけどまったくそんなつもりはなかったそうだ。と言うか覚えてもいなかった。呟いた先にたまたま俺の好きな奴がいただけだったらしい」
いきなり捲し立てる鶴丸に、鋭い眼差しとは違う恐れを感じて手を伸ばした。だが触れる前に鶴丸はいつものけろりとした鶴丸に戻ってくれた。
「で、今に至ると」
「何だろう。途中までは良い話だったのに、恋の自覚がなんか物騒」
もっとこう淡い恋の始まりがあったのかと思っていたのに。想像と現実は違うという奴だろうか。
「・・・・・・でも、勿体なかったね」
「?何がだ?」
「鶴さんの中に初めて芽生えた未知の感情をさ、無理矢理自覚させられちゃったこと」
「!」
「鶴さん、そういうのってじっくり楽しみたいタイプだろ。さっきは刀としての自分が警鐘を鳴らしてたって言ってたけどさ、鶴さんはそれすら楽しむ所があるよね。正体がわかるか分からないかぎりぎりのものを、自分のことなのに、どういう風に転ぶんだろうか。ってわくわくしちゃうっていうか?」
「参ったな、その通りだ」
「でしょ」
話ながら、鶴丸が時々練習中に見せる酷薄にも似た一面に納得した。こういう激しさから恋が始まったのが原因だろう。
鶴丸は段階をすっ飛ばして恋を自覚してしまった。急激に感情を促されてしまい、体の中をいきなり満たされてしまった。そしてその激しい熱を相手に伝えることもないままずっと心の中に隠しているから時にぐつぐつと煮え、理性が薄れる場面では少し表面に出てくる、そういった所ではないだろうか。
「何で自覚してすぐに告白しなかったの?好きだって言っちゃえばいいのに」
「光坊、刀が恋に芽生えるって結構難しいことなんだぞ。さっき言ったみたいに刀としての本能が邪魔をする。言葉ひとつで想いを伝える、なんてそんな正攻法が通じるわけがない。あの手この手を駆使しなくちゃな。それに加えて俺の好きな奴、刀で在ることを抜きにしても超自己完結野郎だからな。素直なんだが、自分が理解して納得出来ること以外無意識下で全部切り捨てやがる。警戒心ない癖にガード固すぎ。自分の基盤を揺るがすものが許せない矛盾男、・・・・・・言いながら腹立って苛めたくなってきた」
「鶴さん、今好きな子の話してたんじゃないっけ?」
「そうさ。独りで居るそいつにいつか俺の思いを届けようと思って側にいて、見つめて、いつの間にか俺の方がずぶずぶ嵌っていって今度は恋を理解してもらえるように奔走しているその愛しくも憎き相手の事さ」
「ままならないものだねぇ」
うっとり所か苦々しく言う姿につられて苦笑い。その苦笑いを受けて鶴丸が苦々しい表情をにや、とした笑みに変える
「でも、最近、ちょっと良い傾向が見えてきた。少しずつ籠城を崩してきた甲斐があるって言うかさ。中々良い感じなんだ」
「へぇ。鶴さんの努力の成果が出てるんだ」
「そうそう。本当涙ぐましい努力してるんだぞ、鶴さんはー。ってなわけで光坊、」
先ほど、捲し立てる姿に伸ばしたものの触れる前に机の上に落ちていた燭台切の手に鶴丸の手が乗せられる。今は夜と違って手袋越しだ。
「今日の夜、ちょっと頑張ってもらって良いか」
「え?」
「練習」
触れていない方の手が摘まんだ黒糖を燭台切の口許に持ってくる。素直に口を開けた。鶴丸は口の中に投げ入れず下唇の内側にぐ、と押し付けるように入れた。昨日まで残っていた鶴丸の噛んだ跡をまた思い出して、何故か噛まれた時のように身が跳ねそうになる。
「ぼ、僕は鶴さんに付き合うだけだから、構わないよ」
「よーしじゃあ頑張ろう。またいつもの時間に君の部屋に行くからな」
「うん、わかった」
鶴丸がぱっと手を離した。両手を上にあげて伸びをする。君との恋バナも楽しいな!と笑う鶴丸を見て、燭台切はまた唇の内側を舐めた。