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 それから数週間。

 宣言通り鶴丸は燭台切の部屋を訪れなかった。夜だけではない、行き先を告げるために来ていた朝も。

 しかしそれ以外は至って普通。内番だって一緒になるし、厨の手伝いもしてくれる。なんなら食事の時は何時も隣同士だ。それは意図してではない。何故かお互いの隣が何時も空いているから。当たり前の様に周りから「鶴丸さんの隣空いてますよ」と言われるのだ。本当は距離を取りたいのにそう言われると座るしかない。

 距離を取りたいと言ってももちろん嫌悪感ではない。色々な理由からだ。まず、いつ練習の再開を言われるかどきどきしてしまう。次に、いつ練習してない間に恋が成就したという報告が飛び出すかどきどきしてしまう。その次、食事の際、納豆やとろろなんて物が食卓に並ぶとただでさえ味が分からない食事が更に分からなくなるからだ。

 今までは「成程、鶴さんは今、これをやらしいと思いながら食べている訳だ」なんて思いつつも美味しく食べられていたそれらが。脳みそ腐ったのではと自分でも思うのだが、なんとなく本当にやらしいものの様に見えてしまって、箸が延ばし辛いことこの上ない。

 しかもそういう時に限って鶴丸が白米掻き込みながらじっとこちらを見つめてくるものだから、お陰で10分程蛇と、蛇に睨まれた蛙の構図を仲間達に晒すことになってしまった。

 ちなみにその時は青江と数珠丸が鶴丸を引きずって行ってくれたのでなんとか完食することが出来たが。

 そう、夜以外至って普通の生活を送っている。練習が始まる前に戻ったと言えばそうだ。しかし燭台切の気分と言えば、

 

「・・・・・・」

 

 絶賛最悪を更新中。

 夜の寝付きが悪くなってしまった。何故か独りなのに体が火照りだし、それに耐えているといつも心が冷えるまで熱が下がる。

 そうすると頭が冴えてしまって、色んなことを考えながら寝返りを何度も無駄に打つ。それで眠れる時もある。また体が火照り以下ループ突入、ということもある。

 そして最近は自覚出来るほど鶴丸を探している自分がいる。部屋から出た時、廊下を歩く時、湯浴みにいく時。自分のひとつの視界に、あの白がないかと探している。

 その癖見つけてしまうと避けたくなる訳だ。一度は廊下で、前方から歩いてくる鶴丸を見かけ、隣を歩いていた小烏丸の背中に隠れてしまった。そのせいで「なんだ、おみつ。おぶさりたいのか、よし、父が背負ってやろうな」とひょいと担がれてしまった。あんな細い体でだ。「ちょ、下ろして、ととさま!」と言うのも気にせず歩かれてしまい、結局そのまま鶴丸とすれ違うことになった。

 「仲いいなぁ君たち」なんて、鶴丸に楽しげに微笑まれる燭台切の気持ちが分かるだろうか。

 そして別の日には、一期の背に隠れたこともあった。その際、ひし、と掴んでしまった背中が振り向いて「・・・・・・お兄ちゃんと呼んでもよろしいのですよ?」と優しく微笑まれ所謂壁ドンを食らってしまった。鶴丸が割って入ってこなければ今ごろ一期をお兄ちゃんと呼ぶことになっていただろう。「あいつは弟属性に弱いし、包容力が高すぎて自分にすがるものは弟にしてしまうから気を付けろ。耐性がない粟田口以外があいつの弟になってしまえば一発だぞ」と何故かよく分からない説教をくらうはめになった。

 

「全然格好良くない・・・・・・」

 

 自分が認められる自分の基準。最近の自分は失態続きでそれを越えられる自分がいなくなってしまった。何をしても上手くいかず、こうして独り、廊下でたそがれる始末だ。

 体だけあって醜態を曝す存在、まったくもって耐えがたい。自分を叱咤することも出来ないなんて初めてのことでどうすればいいか分からない。いっそ誰かに厳しく罵倒してほしいくらいだ。

 そんな燭台切の想いとは裏腹に、本丸の仲間達は何故か前以上に優しいのだ。それだけではなく、とても近くに感じる。

 醜態を曝す自分に笑いかけ、ドンマイ!よくあるよくある!と肩を叩く。内仕事中に密かに落ち込んでいると、仕事ばっかしてないで、こっちに来なよ!と背中に声を掛け、遠慮する燭台切なんて気にもせず皆の輪の中に引き摺っていく。

 前はそんなことなかったのだ。皆ほどよい距離で、燭台切の領域を尊重してくれていた。誰も踏み込まず、自分独りで立たせてくれた。それを待っていてくれた。

 けど今は、独りで立てない燭台切に皆が手を差し出してくれる。

 優しくありたかった。しゃんと立ち、優しさを分け与える自分で居たかった。そしてそう振る舞えていると思っていた。

 

「思ってたんだけど、」

 

 けれど実はそうではなかったのかもしれない。優しい皆がいて、優しくしたいと思えて、優しい周りがそんな燭台切を「優しいね」と言ってくれていたのだ。

 自分で認められない自分に価値なんてない、そう思っている。そうしなければ誰かの隣に立つ資格なんてないと。自分が認めた価値のある自分のみ誰かに見せるべきなのだと。

 でももしかしたら。周りに誰かいて、周りから「君が大切だよ」と言われて初めて自分を価値あるものだと、ここにいていいんだと、そう思えることもあるのかもしれないとか、思ったりもしなくもない。それを自分に善しとするかは置いておいて。

 

「そこまで自覚なかったけど、焼けたこと、思った以上に気にしてたのかも・・・」

 

 自分で自分を価値あるものとしなければ。独りでしゃんと立っていなければ。消えたわけでもなく、存在している癖に、物も切れぬ焼けただれた自分は今なんなのだと、思ってしまう。

 でもそれを他者に決めさせたくもなくて、自分は独りでいたのだろう。誰にも領域に踏み入れさせなかったのだろう。自尊心が高い、というか気が強い方だという自覚はある。

 皆はそんな燭台切を知っていた、だから見守ってくれていた。

 そして今はしゃんと出来ず苦しんでいる燭台切を知っている、だから手を差し伸べてくれる。

 自分独りでしゃんと立てているなんてとんでもない。皆を支えているなんて思い上がりだった。自分だって皆にずっと見守られ支えられていたのだ。顕現して数年、最悪の底まで落ち込んでようやくそのことに気付けた。

 

「気付けたのは嬉しいけど、今の問題とはまた話が別だからなぁ」

 

 独りで立っていると思い上がっていた燭台切の中に初めて入ってきた人。奥に寄り添ってくれた人。

 

「鶴さんと、こんな風なままは嫌なんだよ・・・・・・」

 

 また一緒にいたい。何でもなかった時みたいに。だって、独りだと思い上がっていた時も、そうでない今も、燭台切が隣に並び立ちたいと思うのは鶴丸なのだ。

 信頼を寄せ、君しかいないと他者の評価で燭台切を動かせるのは鶴丸だけだ。

 

「どうすればいいんだ・・・・・・」

 

 廊下の柱に抱きつくように寄りかかる。以前なら独りでも絶対しなかった。

 

「鶴さん、」

 

 いっそ好きな相手を聞いてみようか。鶴丸は教えてくれる筈だ。

 そうして名前を聞き出して、その相手に「鶴さん、君が好きみたいだよ」と耳打ちするのだ。「鶴さん、必ず君を幸せにしてくれるから、想いを受け入れてほしい」と頭を下げてみよう。鶴丸は恋の橋渡し等必要ないと言い切っていたが、そうも言っていられない。

 そして恋が成就したら、鶴丸に言うのだ「練習は完全に終わり。彼を大事にしてあげてね」と。

 食事の時に隣に並ぶこともなくなる。鶴丸は空いた時間を恋刀と過ごすため厨にも訪れない。また気が向いたときにだけ燭台切の部屋を訪れることはあるかもしれないがそれは歓迎する。前と同じだから。

 前と同じになれば燭台切だって正常に戻れる。仲間と支え合いながら、自分が認められるより良い自分となり、そしていつか鶴丸の横に並び立つ刀になるのだ。そんな未来を描いてみる。

 しかしそんな未来図の中。燭台切が鶴丸と並び立てる様になった時、鶴丸の側に誰かいる。鶴丸は誰かと寄り添っている。そしてそんな鶴丸の横に自分は並び立つ。

 

「・・・・・・」

 

 ぐぅと喉が唸る。望んだことを思い描いているのにすごい不快感だった。

 

「な、ん、な、ん、だ、よ!!」

 

 すがり付いていた柱を抱き締める様に腕を回して力を込める。腹が立つ。柱がみしみしと悲鳴を上げるのも気に出来ない程に。

 

「燭台切!何してるんだ!」

「!!ほ、包丁くんっ」

「柱が痛い痛いって泣いてるだろ!離さないとだめだぞ!」

 可愛い少年の声に手を離す。そこにはマグカップを乗せた盆を持っている包丁がこちらを叱る眼差しで見ていた。

「どこにいるのかと思ったらこんな所で柱を苛めて!」

「ご、ごめん」

「悪いと思うなら俺の頭を撫でるといいぞ!」

 

 えっへんと何故か威張る。この可愛い短刀は頭を撫でられるのが好きだ。本当は人妻限定で、らしいがここには人妻がいないので仕方がない。主の奥方に会えた時にはそりゃあもう全力で甘えるのだとか。だからそれ以外の時は兄である一期か燭台切にねだることが多い。撫でられるのが好きな包丁と人の頭を撫でるのが好きな燭台切は需要と供給の太いパイプで繋がっているのだ。

 盆を持ったままの包丁へ近づき、腰を屈めた。その柔らかな髪に触れ、頭を撫でる。久しぶりの感覚だ。最近はあちこちに構われていて包丁と遊ぶこともなかった。

 柔らかい感触は、撫でているのに燭台切までも柔らかい気分にさせる。目を瞑って気持ち良さそうな包丁が可愛くて、撫でたいと思う。だから撫でている。そして優しい気持ちになる。そうだ、こうして優しくさせてもらっているのだ、自分は。

 

「・・・・・・」

 

 そう思いながら撫でていると、包丁が目をぱちりぱちり。大きな瞳をきょろりと燭台切に向けた。

 

「ん?どうしたの、包丁くん」

「撫で方が変わってる」

「え?」

「人妻みたいな撫で方だ」

 包丁が撫でている燭台切の手を取る。そして自分の頬へ持っていきすり、と頬をつけた。包丁の持っていた盆を、燭台切がもう片方の手で持ち、二人でひとつの盆を持つ形になる。

 

「表面じゃなくて、奥の方を撫でられてるみたい。お腹を撫でる手、頭を撫でる手。大好きって、ここにいてねって言ってくれる手」

「ふふ。なぁに、それ」

 

 突然おかしなことを言い出す包丁に笑ってしまう。本当に人妻が好きなのだなと思う、好きな物にはなんでも結び付けたがるものだ。

 

「包丁くん、僕に用があってきたんじゃないのかい」

 

 一向に手を離さない包丁に話しかける。声が思ったより柔らかくなったのは包丁の面白い言葉のせいだろうか。

 

「ん・・・・・・、あのな。燭台切、今日も元気ないみたいだったから、お茶煎れてきた!」

 

 ようやく手を離した包丁が盆を両手で持ち直し、突き出してくる。茶の入ったマグカップと一緒に。

 

「燭台切、鶯丸さんの要れたお茶好きなんだって聞いたことあるから、ちゃんと鶯丸さんに聞いてきたんだぞ!燭台切の為にお茶を煎れるから教えてください、って!そういうことなら、って頭撫でてもらいながら教えて貰った!」

「おじいちゃんに・・・・・・」

 

 小烏丸を『ととさま』と呼ぶようになってすぐに鶯丸から呼び出され「俺も遠慮をしないことにする。今日からはおじいちゃんと呼ばない限り返事をしない」と宣言をされてしまった。それから鶯丸のことは『おじいちゃん』と呼ぶことになっている。いくら鶯丸様と呼んだって本当に返事をしてもらえないから仕方がなかった。

 そんな鶯丸の煎れてくれるお茶が燭台切は好きだ。それは、飲む相手を想って煎れてくれるのがわかるから。包丁はそれを知っていてわざわざ鶯丸に茶の煎れ方を教わってきたと言う。

 胸の奥が温かくなる。包丁の優しさが、茶を飲む前から染み入るようだ。

 

「ありがとう、包丁くん。すごく、・・・・・・すごく嬉しいよ」

「ん!冷める前に飲め!」

「うん、いただきます」

 

 マグカップを両手に取り、中を覗く。綺麗な緑色だ。口許に持っていき、カップの縁に唇を付ける。カップを傾けて、茶を口へ含んだ。こくりと喉を通っていく温かな温度、それが胃に落ちるのを感じてほっと、息を吐く。

 

「美味しい、」

 

 カップに唇を吐けたまま呟いた。包丁が喜ぶ気配がして、それがますます茶を美味しく感じさせた。

 

「あ」

「?」

 

 カップをまた傾けて茶を飲んでいると、突如包丁が声を上げる。茶を口に含んでいた為、どうしたのかと聞き返すことが出来なかった。

 

「色違いだから間違えた。そのカップ、鶴丸って名前シール貼ってある」

「んぶっ!!?ぐっ・・・!っかは、っごほっ、げほっ!!」

「だ、大丈夫か燭台切!?」

 

 吹き出すのを耐えてグッと飲み込んだ茶が気管に入ってしまった。体が反射して、大きな咳を繰り返す。包丁の小さな手のひらが背中を何度も擦ってくれた。

 

「こほっ、は、・・・・・・ほ、包丁くーん」

「どうした?大丈夫か」

「僕は大丈夫なんだけどね。これ、鶴さんのマグカップ・・・・・・」

「間違えた!」

「可愛い笑顔で言わないで!」

「?怒ってるのか?良いだろーカップくらい。それに鶴丸さんと燭台切は『仲良し』だって、俺、知ってる!皆話してるの聞いてた!だから嫌じゃないだろ?」

「うっ・・・・・・」

 

 嫌じゃないと聞かれれば、そりゃあ嫌ではない。口吸いだって何度もしている。しかし、鶴丸のカップと分かっていて再び口を付けるのは所謂、間接キスというあれそれではないだろうか。洗ってあるとは言え、鶴丸が口をつけたものに間接的に自分も口をつけるというのは非常に抵抗感と何と言うか罪悪感が、

 

「・・・・・・もう、飲まないのか?」

 

 包丁が悲しそうな顔で見てくる。選択肢等ありはしなかった。

 優しさをしかりと胃に納めるため、しかし何処かでやけくそな気持ちでカップに唇をつける。熱の為かじん、となる唇を無視して全て飲み干した。

 

「ごちそうさま、美味しかったよ」

「元気出たか!」

「うん!」

 カップを離して盆の上に置く。そして、包丁の手から盆を取った。心臓の脈が少し早い。茶を一気のみしたから?そんな馬鹿な。

 

「包丁くん、今から一緒にお菓子食べよっか。僕の部屋に皆から貰ったお菓子が沢山あるんだよ」

 

 最近皆から菓子をよく貰うのだが食べきれなくて、余っていく一方だ。それを理由に包丁を誘った。早く、唇に残ってる陶器の感触を上書きしたい。なるべく、早く。でなければ、混乱がまたこの身を襲いそうだ。たかだかこんなことで何故、心を乱しているのかと。

 

「食べるー!!」

 

 包丁が歓喜の声を上げ立っている燭台切の腰に抱きついた。その頭をまた撫でる。

 

「ん、」

「ん?」

 

 んふふ、と嬉しげに鼻を鳴らしていた包丁が燭台切の腰の位置から声を上げる。燭台切の後ろを見ていた。

 

「出陣部隊だ!」

「あ、そうか。昨日主が帰ってきたから、今日は出陣があるのか。久しぶりだね」

 

 包丁の向いている方へ視線を向ける。そこには、時空の扉の前に集まりつつある出陣部隊。久しぶりの出陣だった。

 昨日単身で帰ってきた主。まだバタついているらしく、滞在は二日だけで明日また奥方の本丸へ向かうとのこと。『もう少ししたらうちの子も落ち着く筈だから、それまで大きい宴会はちょっと待っててくれな』と主から言われたのは昨日の夕餉の後だった。何故自分に言うのか分からないまま頷いたが、何か大きな宴会の予定があるのだろうか?奥方の出産祝いの宴は随分前に終わっていたが。

 そんなことを思い出していると、出陣部隊に近づく風を切る白が目に入った。ぶわっと、肌が立つ。存在が分かる。

 無表情の横顔をこちらに見せて歩いている鶴丸。風に靡く白銀の髪一筋の流れでさえ目で感じる。歩く度、飾り鎖がしゃらしゃらと鳴る音が聞こえる気すら。久しぶりに見た戦装束は、神聖な印象を与えるのに、戦う者の強さを見せつけていた。ただそこにいるだけなのに、きらきらとそこだけ、世界から浮き出ている錯覚を鶴丸は燭台切に与える。

 鷲掴みにされたかの様に締め付けられる心臓を気にしてもられず、ただ鶴丸を見つめてしまう。するとふと、鶴丸が何かに惹かれた様に視線をこちらに向けた。燭台切の方に。

 

「つ、」

「鶴丸さーん!」

 

 燭台切の腰から包丁が鶴丸を呼ぶ。片手で腰に抱きついたまま、もう片手で大きく手を振っている。

 鶴丸がその場で足を止め、体ごとこちらに向き合う。顔にはもう人好きする笑顔を浮かべていた。

 

「出陣頑張ってくるんだぞー!」

「おー!」

 

 振った手を包丁が拳に替えて突き上げると、鶴丸も同じ格好をする。包丁を見て、にこにこと。

 そして、盆を持って立ち尽くして見ている燭台切へと視線を移した。

 ばち、と視線があう。

 

「わ、どうした燭台切」

 思わず後ずさりかけて包丁が抱きついていたことを思い出し我慢した。突き上げていた手を下ろしながら鶴丸はずっと燭台切を見ている。無に近い表情で。

 何か言った方が良いのか。包丁と同じように鼓舞した方が。そう、迷っていると、鶴丸がにぱっと表情を変える。

 

「みーつぼーっ」

 

 名前を呼ばれた。

 

「な、なにー?」

 

 少し声を張って聞き返した。すると鶴丸が片手を口許に持ってくる。大声で呼び掛ける仕草だ。

 だから何か叫ばれる、そう思った。しかし、予想とは違い鶴丸からの声は届かない。その代わり、唇は動いていた。

 鶴丸は声を出さず、燭台切に何かを言っている。ゆっくりと、唇で。

 

「(こ、んや・・・・・・?)」

 

 燭台切も同じように唇を動かす。そうすることでただ見ているだけより鶴丸の言葉がわかった。

 何度か繰り返して、鶴丸の声のない言葉を完全に聞き取ることが出来た。

 

(今夜、君の部屋へ行く)

 

 最後にもう一度唇がそう言った。

 見開いたひとつの視線の先、声もなくそう言った鶴丸が口元を囲っていた手をひらひら振ってにこっと笑った。無反応で立ち尽くす燭台切を気に止める様子はない。機嫌良く背を向け、出陣部隊へと合流して行った。

 

「鶴丸さん久しぶりの出陣だからご機嫌だなー」

 

 燭台切の腰にしがみついていた包丁が言う。彼の位置からは鶴丸の囲った手によって口元が見えなかったらしい。

 

「・・・・・・」

 

 鶴丸が去り、体から力が抜ける。体が勝手にへなへなと廊下へ落ちていく。持っていた盆を床へ置いた。

 

「燭台切!どうした!」

 

 咄嗟に身を引いた包丁だったが燭台切の異変に気づきすぐ近づいてくる。顔を覗き込む気配を感じるより前に膝に顔を埋めた。

「耳が真っ赤だぞ!大丈夫か!」

「だ、大丈夫・・・・・・」

 

 顔は隠せても耳は隠せなかった。余計な心配をさせているのに大丈夫としか返せない己が憎い。

 けれど燭台切自身、なぜ自分がこうしているのかがわからないのだ。こうして廊下に踞っている理由も顔や耳が熱い理由も。

 鶴丸が今夜部屋に来る。そう思っただけで何故こんなに、心臓が鳴っているのかなんて、わからない。もう、何度も繰り返していることだというのに。

 ぐるぐる渦巻く頭に柔らかな感触が乗せられる。それは小さな手。隣に立って燭台切を覗き込んでいる包丁の手だ。

 

「今、お菓子食べるか?元気出るぞ?あのな、飴もあるし、ラムネもある。人妻の焼いたぽたぽた焼きもあるぞ!」

 

 床にばらばらと物が落ちる音がする。きっと包丁が自分のポシェットをひっくり返して燭台切に好きなお菓子を選ばせようとしているのかもしれない。撫でる手を止めないから、お菓子はあっちこっちに広がっている筈だ。

 

「お菓子食べると元気出るもんな?皆もそうだって。俺、人妻とお菓子好きだけど、燭台切も大好きだから元気出してほしいぞ」

「・・・・・・包丁くん」

 

 ああ、だから皆お菓子をくれるのか。またひとつ皆の優しさに気づいた。

 包丁も大事なお菓子をばら蒔いて、いつもとは正反対に燭台切の頭を撫でてくれている。その優しさに報いたいのに顔があげられない。

 どうやら自分は本格的におかしくなってしまった。だって今、小さな手が優しく頭を撫でているのに、鶴丸に頭を撫でられた時の感触を思い出してしまっている。人の優しさにさえ報入れず、ありのままにも受け入れられず。ただ、鶴丸の事だけを考えてしまう。

 ありえない。こんなのはありえてはいけない。

 このままではやはりいけないのだ。鶴丸に今夜練習の終わりを告げよう。そしてもう告白してくれと頼んでみよう。無理そうならば名前を聞き出して二人の橋渡しをしなければ。

 そうでなければ、いつまでもこのままだ。

 結局自室には戻らず包丁にずっと撫でられたまま廊下で蹲っていると、あっという間に夜になってしまった。

 ずっと付き添って心配してくれていた包丁を夕餉行かせ、その間に湯浴みを済ませる。夕餉は抜いた。鶴丸と並んで食事を取るなんて出来やしない。湯浴みを済ませるのは気持ちをさっぱりさせておきたかったから。冷静な頭になって、自分の決意を鈍らせない様に。

 殊更ゆっくり湯に浸かり、言わなければならないことを頭でまとめる。予想以上の時間をかけて、ようやく浴場を出る。

 皆の食事が終わっている頃合いだったので厨に顔を出し、後片付けを手伝った。その間に鶴丸も湯浴みに行くだろうから。

 

 後片付けが終わったら、もう寄り道をすることも、その理由もなくなってしまったので大人しく自室へと向かうことにした。

 外はもう暗い。月のわずかな明かりを頼りに廊下を歩く。歩き慣れた自室への道を照らす分には柔らかい月光でも十分だった。

 自分の顔を照らす月明かり。誘われる気持ちで空を見上げた。

 そこに浮かぶ月。

 鶴丸が前に言っていた、燭台切を待っている間、燭台切の部屋の前で見上げる月は一等綺麗だと。その意味。綺麗な月の中でも一等綺麗だと言った意味。今はそれが分かった。

 鶴丸は燭台切の部屋の前で、月を見上げながら恋しい相手を想っていたのだろう。その心が反射して、空に浮かぶただ美しい月は、一等綺麗な月になったのだ。

 鶴丸は独りで待ちながら、心の中にいる誰かを想っていた。

 

「もう、一緒に月見も出来ないな・・・・・・」

 

 夜は恋人達の時間だ。それを邪魔すると分かっていて夜酒に誘うなんて無粋なことも出来ない。

 いや、出来ないこともないのかも知れないが。例え二人で並んで空を眺めても、同じ月は見られない。だからもう月見も出来ない。それはなんて寂しいことなんだろう。

 こんなことなら、先にしておけば良かった。どうして練習を始める前の自分は、鶴丸を月見に誘わなかったのだろう。月見だけじゃない、もっともっと、色んなことを。二人が同じものを見れるうちに、鶴丸が誰かを好きになる前に一緒にしておかなかったのだろう。

 一緒にいるのが当たり前だったのだ。独りで立てていると思い上がっていた癖に。

 

「鯛焼き、また作ってくれるかなぁ」

 

 燭台切の為に。今度は本当の外れを入れてもいいから。

 昼間くらいは、少しでも遊んでほしい。じゃないと寂しい。同じ本丸にいても寂しい。

 とぼとぼと、月明かりを道標にした廊下を歩く。自室に向かう最後の角を曲がった。

 

「あ・・・・・・」

 

 自分の下がった視線、その少し遠くに月明かりに照らされた素足が写る。細い踝から視線を上げていく。その横顔は、まだこちらには気づいていなかった。

 燭台切の部屋の前、壁に背を凭れ掛からせ、夜空を見上げるその顔は月に照らされている。普段見せない感情の消えた顔。それなのにその顔が切なく見えるのは気のせいだろうか。

 気のせいではない筈だ。そうでなければ燭台切の胸がこんなに締め付けられている筈がない。その横顔を見つめて燭台切まで切なくなるのは、鶴丸の心を反射しているに過ぎないのだから。

 最近、鶴丸を見る度煩かった心臓はぎゅっと締め付けられたままでとても静かだった。冷静でいられる。やはり、燭台切の選択は間違っていない。このまま鶴丸の恋を成就させることが出来れば燭台切は正常に戻れる。鶴丸との関係だって。

 鶴丸が誰かを好きでいても、その隣に誰が寄り添っていても、鶴丸と燭台切がまた前みたいに戻れるならそれでいい。完全に元通りとはいかなくても、限りなく元に近い形に。

 

「月下美人さん」

 

 わざと夜にしては明るい声色で呼んだ。鶴丸が、ゆるりとした動作でこちらを見る。

「やぁ、伊達男」

「どうしたの、こんな所で」

「いやな、久しぶりにここから見る月は相変わらず綺麗だなと思ってさ」

「・・・・・・そう」

 

 また空を見上げる鶴丸を追って燭台切もまた空を見上げた。

 二人で同じ月を見ている。しかしやはり、自分に鶴丸と同じものは見えない。その月に鶴丸の想い人が写っていると想うと、一等綺麗になんて思えない。

 むしろ目を反らしたくなる。

 顔を俯かせる燭台切に鶴丸は気づいたのだろう。鶴丸もまた、月を見上げるのをやめた。

 

「・・・・・・君にも同じものが見えたらいいのにな」

 

 燭台切が鶴丸ほど月の美しさに惹かれなかったと思ったらしく、少し残念そうに鶴丸がぽつりと呟いた。それは燭台切の願いでもあった。同じ願いを持てたと言うのに、何故か無性に胸が苦しい。

 

「・・・・・・そうだね、本当に、そうであればいいと思うよ」

 

 切実に思う。けれどそれは無理な話だ。

 

「鶴さん、お願いがあるんだ」

「ん?なんだい、光坊」

 鶴丸に体ごと向き合うと、鶴丸も同じように燭台切と向き合う。夜にこうして会うことももうないことだ。鶴丸の恋が成就すれば、全てなかったことにもなる。鶴丸が燭台切に寄り添ってくれたことも何もかも。

 そう思うと、何も今日鶴丸に練習を辞めたいと言う必要はないのではないかという気持ちが出てくる。あんなにおかしかった心臓も頭も、今はこうして冷静になって鶴丸と接しているではないかと、自分の心の声がする。

 唇を噛み締めて、その自分の声に否定するように頭を小さく振った。鶴丸との関係をこのままにしたくはない。

 

「光坊?」

 

 お願いと言っておきながら黙りこみ、いきなり頭を振る燭台切を訝し気に見る金の瞳。それを見つめて口を開いた。

 

「今日、鶴さんの好きな子に告白してほしいんだ」

「断る」

「え?」

 

 いきなりの言葉だったろうに、鶴丸は驚くこともなく即座に両断した。思わずこちらがぽかんとしてしまう。

 

「な、なんで」

「まだ時機じゃない」

 

 表情を消して鶴丸は言った。そして話を打ち切るように背を向けて燭台切の部屋へと入っていった。しかしこっちの話はまだ終わっていない。追いかけた。

「鶴さん、今まで沢山アプローチしてきたんだろう。きっと成功するよ」

「しない。今言ったって、『信じられない!』って逃げられる。万が一成功したって、相手はまだ恋を十分に理解していない、『やっぱり勘違いだったかも』なんて言われるがオチだ」

「そんな。なら、いつ告白するんだい」

「相手が逃げられない状況にしてから」

 

 部屋の入り口を跨いだところで二人立ったまま向かい合っている。低い所にある鶴丸の視線に威圧を感じた。

 

「周りを固めて、体を陥落させて、独りの時でも俺を求めて、俺が居なければどうにかなってしまいそうと、相手が思うまでだ」

「なっ・・・・・・、体を陥落って!もしかして僕との練習は、好きな子を無理矢理手籠めにする為のもの!?恋が成就した後がっかりされない為って言ってたじゃないか!話が違うよ!」

「いや、それも嘘じゃない。それにいくら何でも無理矢理はしないさ。流石になぁ」

 

 騙されたのかと強く問いただすと、視線の威圧が少しなくなり、鶴丸ががじがじと頭を掻く。犯罪の一線を越えてしまうつもりはないらしく、そのことには少し安堵した。まだ説得の余地がある様だ。

 

「鶴さん、落ち着いて考えよう。体からの関係なんて虚しいだけじゃないか」

「まずは形だけでも手に入れておくと言うのは非常に重要だ」

「手に入れるって・・・、違うだろ。鶴さんはその子が好きなんじゃないのかい?好きというのは、自分のものにするってことなの?」

「まるで知った様な口をきくんだな」

 

 鶴丸が鼻先で笑う。初めて向けられた乾いた声色に自分のひとつの目が大きく見開く。

 

「恋を理解出来ない君に何がわかるって言うんだい?実際恋をしている俺だってどうすればいいか分からない。どうすれば恋を理解してくれる。俺の気持ちに気付いてくれる。君は告白しろって言うが、言葉が。『好きだ、愛してる』なんて言葉が、俺の気持ちを何処まで相手に伝えてくれるって言うんだよ。それで拒絶されたら?俺の気持ちはそんな言葉で全て伝えられるはずなんてないのに、たったそれだけの言葉を拒絶されてしまえば、俺の気持ち全てを拒絶されてしまうんだぜ?なあ、そんな理不尽な話ってあるか」

 

 つらつらと吐き出されるのは乾いた声色なのにその言葉には切実な熱が籠っているように聞こえた。表情は口の端で笑っているままなのに。

 

「待てばいいか?辛抱強く、相手に届くまで。真綿で出来たゆりかごに抱いて感情の目覚めを待てばいいのか?その間に相手が誰かに掻っ攫われたらどうする。相手の意志や尊厳を踏みにじる輩が無理矢理、相手を手に入れてしまったら。許せないだろ、そんなこと。そうなる前に、手に入れておかなくちゃならない。形だけでも、出来るだけ相手を傷つけない方法で」

「鶴さん・・・・・・」

「確かに体だけの関係なんて、虚しいさ。だけど、触れられる悦びだってある、そう思えばまだ慰めにもなるもんだぜ?・・・・・・悪い、光坊。俺にはこの方法しか、思いつかないんだ。逃がしたくない。手に入れたい。その後でいいから俺の事、・・・・・・好きになってもらいたい」

 

 鶴丸は長い長い息を吐いて顔を俯かせてしまった。

 その姿に、驚いた。いつも余裕に見えていた鶴丸は初めて自分に芽生えた恋という感情に、静かに、けれど激しく振り回されていたのだと分かったからだ。

 鶴丸に「好きな奴がいる」と言われてからも鶴丸は年長者の態度のままだった。練習と言いつつも、伽の分からない燭台切にも無理のないように手ほどきしてくれたし、初めての事に戸惑う姿にも面倒くさがる素振りひとつ見せず、優しくしてくれた。独りでいたいと鶴丸を拒絶しようとした燭台切に、自分の欲を可笑しな数字の呪文で打ち消しながら必死で我慢して、一番奥に入り込み寄り添ってくれた。

 鶴丸はいつだって何でも知ってて、何でも出来て、自分の感情の制御も他人の感情の把握も容易いのだと思っていた。けれど違ったわけだ。

 だからその事実に驚いた。同時に、そりゃあそうだ。と大きく納得した。

 鶴丸だって長いこと存在しているとはいえ、刀。人の身を得て、まだ数年しかたっていない。感情に振り回されることもあるだろう、まして『恋』なんて未知なもの。誰かを好きになって、初めて欲を覚えて、どれだけ戸惑ったことだろう。

 普通であればゆっくりと自覚していくはずだった恋の芽吹きを、自分の勘違いとはいえ主に、「人間の勝手で相手を奪われるかもしれない」という危機感と怒りで暴力的に焚きつけられた時の焦燥感は燭台切には想像もつかない。

 確かに燭台切は恋がわからない。けれど、自分のわけのわからない感情に振り回される辛さは良く知っている。端から見ればまるわかりの解答が側に転がっていて。それなのに手で顔を覆って嘆いている姿は滑稽でも、本人はとても苦しいと言うことを自分は知っているから。

 

「苦しかったね」

「!」

 いじらしさに似た感情のままに手を伸ばして、鶴丸の頭を撫でた。

 ここ数か月、鶴丸が特に変わったように感じていたのは、鶴丸が情緒不安定だったからかもしれない。本来の鶴丸は燭台切の知っている通り年長者の余裕ある、格好良くて、聡明で、飄々としている自由な刀だ。恋は人をおかしくさせるというのは本当に当たっている。

 まったく鶴丸をこんなに変にさせた相手にはぜひ責任を取ってもらいたいものだ。燭台切の憧れの相手をこんな風にしてしまうなど。

 しかし、ちょっとだけ、感情に振り回される鶴丸を可愛いと思ってしまう。不謹慎だろうか。何にせよ、こんな鶴丸は燭台切しか見れないのだ。誰かも知らない鶴丸の想い人に優越感に似た何かを感じるのが不思議だった。

 じわじわと浸っていく胸の感情が何かわからないまま頭を撫で続けている燭台切を、鶴丸が顔を上げて、真ん丸の目で凝視してくる。その顔に微笑みかけた。

 

「・・・・・・あのね、鶴さん。僕、やっぱり今日の内に告白をするべきだと思うよ」

「・・・・・・どうして」

「鶴さんは、告白の言葉を拒絶されることを怖がってるけど、心配しなくていいんだよ。うちの本丸の皆、すごく優しいんだ。鶴さんの気持ちが籠った言葉を、それに込められている気持ちを深く考えようとしないで切り捨てる子なんて誰一人としていないよ」

「それは・・・・・・。いや、だが、自分が理解できないもの渡されたって、受け入れるなんて出来やしない。切り捨てられる」

「だから、そんな子いないってば。皆、真剣に考えてくれる」

「自分の気持ちですら自分で理解できない奴でもか」

 鶴丸はふぃっと横を向く。納得してないのは目に明らかだった。

「そうだよ、他人の気持ちを受け取って初めて気づけることもある。他人が介入してきてやっと自分の気持ちを見つけることもある。鶴さんのその重くて強すぎる気持ちが、相手の新しい感情の扉の鍵になるかもしれないよ?」

「・・・・・・」

「・・・・・・でも、もしね、もし鶴さんの好きな相手が、鶴さんの気持ちを全部ぶつけた時に、何それ気持ち悪い。意味不明。理解不能。恋とか超笑える(笑)みたいな事を言って来たらね」

「や、やっぱり失敗する可能性があるってことじゃないか・・・・・・」

 

 鶴丸がショックを受けて呆然とするのにちょっと吹き出しそうになりながら続けた。

 

「そんな人、鶴さんに相応しくないよ」

「光坊・・・・・・」

「鶴さんのちょっといや、かなりか。かなりずれてるけど、こういう一生懸命さをわかってくれる人じゃないとね」

 

 言うことやること突拍子ないし、子供みたいなことをする時もあるし、ちょっとどうかと思うことも多い。

 でも、鶴丸は優しいし、格好良いし、一生懸命で見た目も中身も美しい刀だ。燭台切の憧れだ。

 だから鶴丸の恋に協力してほしいと言われれば応援する。鶴丸に幸せになってほしいから。

 けれど鶴丸の好きな相手がそういう鶴丸の良さや鶴丸の真心をよく考えもせず拒絶する様な相手なら、そんなやつ、鶴丸に相応しくない。いくら鶴丸の恋の為と言っても応援なんて出来ない。

 だって、鶴丸は、鶴丸は――。

 そこまで考えて頭を振った。さっきも鶴丸に言った通りこの本丸にはそんなやつはいない。ない可能性を考えるのはよそう。鶴丸の恋は上手くいく。

 

「と言っても、やっぱり怖いものは怖いよね。じゃあ、そんなに拒絶されることが怖いなら、無理して言葉で伝えなくてもいいんじゃないかな。気持ちを込めて、目を見つめて、名前を呼んで、さ。それで伝わる想いもあると思うよ。もし、相手も鶴さんと同じ想いを抱いてるなら、鶴さんの恋に気付いてくれる。気づいてくれない時は、それこそまだ時機じゃないのかもね。どうせ鶴さん諦めないんだからもう少し頑張ってみよう!」

 

 ぽかんとしている鶴丸に向かって両手の拳をグッと握って見せる。そこからはた、と気づき右手の人差し指だけぴっと立てた。

 

「あ。頑張るっていっても体から陥落なんて絶対ダメだよ?形だけでも手に入れなきゃ、なんて思いながら相手に触れても大事なことは伝わらないから。そもそも、鶴さんから何かを奪おうとする人なんてここには誰もいないんだから形だけでも、なんて考えは捨てようね。大丈夫、万が一、そんな奴がいたとしても鶴さんの大事なものは僕が守る」

「き、君、格好良すぎないか・・・・・・?」

「そう?格好良く決めたくて言ったわけじゃないんだけど」

 

 鶴丸は両手で顔を覆った。もしかしたら弟分の熱心な献身に感動しているのだろうか。

 

「きっと鶴さんなりにいっぱい考えて、すごく努力したり奔走したと思う。だけどね、こういうのは策巡らすよりまっすぐの方がいいんだよ。素直な感情の方が相手には届きやすいんだ、絶対。・・・・・・って恋のこの字もしらない僕が偉そうに講釈を垂れるのもおかしいけどさ」

 

 そう言いながら思い出していた。鶴丸に君しかいないと言われたこと。あの時は嬉しかった。鶴丸に特別と言われた気がした。特別は嬉しいものだ。鶴丸にとっては恋じゃなくても、純粋に嬉しかった。

 あの時だけじゃない。燭台切が今日の今日まで、よくわからない感情に振り回されどん底まで落ち込んでも練習をやめなかったのは、練習をしている間は自分が鶴丸の特別なような気がしたからだ。数字の羅列を唱えるちょっと変なところもそう。最近の意地悪な所も、好きな相手には絶対見せない姿なのだろうと思うと自分だけが見られる特別なんだと思えた。だからひどくされればひどくされるほど感じてしまったのかもしれない。

 今思えば恋に振り回されていた鶴丸の無意識のサインだったのかもしれなかったのに。それに気付いてこうして向き合って話を聞いて、早めに大丈夫だよと背中を押してあげなければならなかったのに。なんだか一方的に特別だなんて思い込んでしまって、申し訳ない気持ちになってきた。

 

「・・・・・・ド正攻法か。思い返してみれば、確かに正攻法の方が上手く行ってた気がするな」

 

 顔を両手で隠していた鶴丸がいつの間にか復活していた。己の顎をつかんで、視線を流し何かを考えている。

 

「だが、それなら何故最近まで周りに愛されていることにも気づけなかったんだ?いくら至上最悪無自覚拒絶型の激ニブ鈍感野郎とは言え。・・・・・・ああ、そうか。周りも甘やかしてたからか。直接好意を押し付けるより、皆して囲いまくって見守って、意志の尊重っていう甘やかしをしてたから気づかなかったのか。確かに最近は好意を伝えることに遠慮しなくなってきたもんな、皆」

「??よくわからないけど鶴さん本当にその子好き?なんか時々すっごく辛辣じゃない?」

「ん。よし、納得した。最後の一手が決まったぜ、光坊。君のお陰だ、君の考えを参考にして早速実践してみることにしよう」

 

 けろり。さっきまで恋に振り回されてる姿を見せた人物とは同じと思えないくらいさっぱりとした鶴丸の顔があった。早すぎる切替に少し驚いたが、鶴丸の言葉にホッとした。どうやら無事鶴丸の背中を押せたようだ。鶴丸の役に立てたのなら良かった。

 鶴丸が誰かの元に行くと考えるとまた胸の痛みがぶり返してきそうだが、それよりも辛そうな鶴丸を見る方が嫌だ。鶴丸が幸せになる方が、自分のことよりももっともっと大事だ。

 そう思うと、今から恋を成就させるだろう鶴丸に対しても笑いかけることが出来た。

 

「うん、頑張って!鶴さんの本当の気持ちをちゃんとぶつけるんだよ!」

「ああ!任せておけ!今ならいける気がする、マジで!俺の気持ちを全部ぶつけるからな!」

 

 鶴丸は一生一度の大舞台前、出立の握手を求めたいのか手を伸ばしてくる。そして体重をかけている軸足を替えた。結構長い間立って話をしていたからだろう。それももう終わりのようだ。

 鶴丸の成功を心から望んでいることを証明する為に燭台切も手を差し出した。

 

「成功したら二人で報告に来てね、僕、祝福するから!・・・・・・僕達初めからこうやって話していればよかったね。ごめんね、僕が恋なんてよくわからないって言って、鶴さんの恋の相談相手にならなかったから。だから鶴さん、僕と練習なんて、抱きたくもな、」

「ほっ」

「うわっ!?」

 

 話をしているといきなり鶴丸が掛け声をあげながら、足払いをかける。突然のことに対応が遅れてしまう。背面に倒れそうになりながらも足を後ろに引いてふんじばった。それだけでは背中から倒れていたかもしれない。

 燭台切が倒れなかったのは、腰を支える手があったから。

 後ろに倒れそうになったとき、思わず伸ばした手は、鶴丸のもう片方の手に掴まれていた。

 畳の部屋に二人、まるでダンスのワンシーンみたいに固まっていた。

 

「な、何事・・・・・・」

 

 その格好のまま呟くと、ぐいと近づく顔。燭台切は上半身が後ろに倒れかかっているので、それは上から覆い被さる形で。

 

「つ、鶴さん?っわぁ、」

「・・・・・・」

 

 まさか二段回の足払い。

 鶴丸は何も言わず予想外の行動をし続ける。今度こそ背中に訪れるだろう衝撃に目を瞑って備えたが体が浮く感覚。え、と目を開いたと同時に背中に畳の固さが来た。

 目の前には鶴丸。

 

「ちょ、ちょ、何、どういう」

「ありのままを全部、ぶつけてみようかと思って」

「は、はあ?何で、それ、僕相手じゃ意味、」

 

 鶴丸の白銀の髪が幕になっていて、最初は開いた障子から入り込んでいる月光を遮って影を作っていた。その影が直接燭台切の顔に落ちるくらい近い。だから気づかなかったのだ。目の焦点が合うまで鶴丸の表情がどんなものだったのか。

 いつも涼やかな目が見守る者の優しさよりもとろりとした形で細められていて、金の瞳に今まで見たことのない色が乗っている。

 思わず固まる燭台切の頬を、欲とはまた違うものを浮かべた鶴丸が手のひらでそうっと優しく包み、撫でていく。

 

「しょくだいきりみつただ、」

「ひぇ」

 

 名前を呼ばれただけなのに悲鳴が漏れた。

 なんだこれ。なんだこれ。

 頭の中で何度も繰り返す。

 確かに、鶴丸と何度も体の練習をしたせいで自分の体は、鶴丸に反応する体になってしまった。でも、今のは違う。こんな触られ方一度もしていない。こんな風に名前を呼ばれたことも一度もない。もっと熱を高めるだけの、刺激を起こすだけのいやらしい触られ方ばかりだったのに。どうして今頬を撫でられて、名前を呼ばれただけで全身から力が奪われる感覚、肌が立つ感覚を覚えるのだろう。

 

「燭台切光忠、」

「つ、つるさん・・・」

「ふふ、赤くなってまぁ」

 鶴丸はいつもの明るくでも意地悪でも、ましてや戦場の時の好戦的な笑みではなく、蕩ける様な笑みを浮かべている。

「ちょ、ちょっと持って、これ、違、」

 

 思わず顔を背けて鶴丸の肩を両手で押し返す。それなのに、力が出ない。鶴丸はさらに体を密着させ、顔を背けたことによって目前にある燭台切の耳にふぅっと息を吹き掛けてきた。

 

「ひゃっ!!」

「かぁわいい」

「っ~~!!??」

 

 耳を押さえて見返す。驚くぐらい鶴丸の顔が近くにあった。

 

「みつただ」

「や、やだ、なまえ、」

「光忠、君とキスがしたい」

 

 どどどどちら様ですかー!?と叫びたかった。それなのに何故か声がでない。キスってなんだ、いつも口吸いって言ってたのに、そんなムードたっぷりに夜の月を背負ってキスとか言ってしまうのか。別刃だ、間違いない。目の前の鶴丸はどこか別の本丸からきたイケイケブイブイ言わせている夜の帝王鶴丸国永に違いない。

 そう思うのに、思うのに。

 

「光忠、俺とキスしよう?」

「あ、」

 

 拒めない。だってこの鶴丸は燭台切の知っている鶴丸だ。燭台切が鶴丸を間違える筈がない。鶴丸なら、拒めない。

 抵抗ひとつ受けない鶴丸がそのまま口付ける。練習をして何度も重ねた唇。勿論その中も何度も合わせて絡めたから、鶴丸は燭台切の好きな口吸いを熟知している。息を、熱を上げる方法を知っている。

 しかし今は、そうではなかった。合わさる唇から、ちゅっ、と僅かな音。それが何度か繰り返された後、 ようやくしっとりと唇が重なった。そして柔らかく角度を変えられ、優しく食まれる。その繰り返し。

 鶴丸は燭台切の中に入ってこない。舌も絡めていない。それなのに燭台切はふわふわとした浮遊感に包まれはじめてきた。なんだかよくわからない。燭台切と鶴丸がここにいること以外。

 

「ん、・・・・・・みつただ」

「っ」

 

 唇が合わさったまま名前を呼ばれる。浮遊感の中なのに手綱を握られているみたいに胸が一際どくんと鳴る。

 

「眼帯、外そうな」

「んむ、」

 

 鶴丸はまた優しい口づけを再開し、頬から離れていった手は燭台切の後頭部に回る。ふわふわしてるからだろう、燭台切は何も言われていないのに頭を少し浮かせてしまった。

 口付けたままの唇がふふ、と笑い。目の前の二つの月が弧を描く。ぱち、と自分の後ろから鳴る音は弾ける心みたいだ。

 眼帯が恭しく外される。そこにある金のガラス玉。こんなに近くで見られるのは初めてだ。視力はなくても、鶴丸の目に見つめられていることくらいはわかる。

 

「こんなに近くで見られる。俺以外は見つけられない宝石。・・・・・・きれいだよ」

 

 鶴丸が言う。なんという声色だ。信じられない。勘弁してくれ。

 憧れの兄貴分からそんなことをそんな風に言われてどうしろと言うんだ。

 

「・・・・・・ほんとう?」

 

 なんて思うのに、鶴丸の触れる手に自分の手を重ねるわけだ、自分から。自分が。なんという声色だと思う声を出しながら。

 

「ああ、本当はずっと近くで見たかった。君の足を抱えたまま、体越しになんかじゃなくて。こうして、見つめ合いながら」

 

 またちゅっと唇を落とす。鶴丸の唇が落とされる度に色んな戸惑いや困惑が溶けていくような気がする。余計な感情がどんどん溶けていけば最後に残っていくのは素直な思いだけだ。

 

「瞳だけじゃない、他にも沢山。君の綺麗な所を綺麗だよって言いながら君を見つめていたかった」

 

 鶴丸は頬を撫でて首筋を撫でて、鎖骨を撫でてくる。そして合わさった襟に手を差し入れてくる。

 

「見たい」

「えっと・・・・・・、あの、・・・・・・どう、ぞ」

 

 目を見つめられて言われる。そんな風にされたら頷くしかないではないか。

 ぎこちない燭台切の了承を得た鶴丸は襟を開き、燭台切の上半身を夜の空気に曝した。もう何度も曝している肌なのに、鶴丸の蕩けた瞳に見つめられるのかと思うと羞恥で体が震えた。

 月明かりでも明るすぎるほどだ。いっそ闇に包まれてしまいたい。そうすれば鶴丸の存在だけを追うことが出来るのに。

月のせいで鶴丸の目に上半身が曝されてしまう、鶴丸は燭台切と密着していた体を起こしてその肌をじっと見ている。食い入る様に、今までの見れなかった分を見ているのだと言う様に。

 それだけのことで自分の体温が上がっていくのがわかる。月の青白い光は染まっていく肌の赤も照らしてしまっているのだろうか。

 恥ずかしさで鶴丸を見ていられない。顔を背けて唇を手の甲で覆った。畳に散っている自分の黒い髪が僅かに見えて、その見覚えのある筈の景色がまるで初めてみた景色の様に感じてしまう。そうだ、いつもは熱に浮かされながら見ていたからだ。こんなにじっくり見ることはなかった。それだけ鶴丸も今、自分を見ていると言うことだ。

 

「そんなに、みないで」

 

 恥ずかしくて死んでしまいそう。初めて性を触られた時より、指を中に入れられた時より。今が一番恥ずかしい。

 

「綺麗だ」

「っやだ、」

 

 いっそ触られて弱い所を嬲られた方がましだ。それなのに鶴丸はうっとりと言ってくる。綺麗ってなんだ。女の体ならまだしも同じ性を持つ相手に。初めての練習の時みたいに胸筋や腹筋を褒められるならまだ、まだわかる。大体綺麗と言うなら燭台切より鶴丸の方が綺麗だ。いつも気づけば鶴丸の性だけを受け入れていたから、その肌を褥で見れたことはないけれど。

 そう思っているとようやく鶴丸が動く気配がした。やっと鶴丸の視線から解放されるのかと逸らしていた視線をまだ体を起こしている鶴丸に戻す。

 

「っ!?」

 

 目に入った光景に思わず両手で口を塞ぐ。

 鶴丸が視線を下げて、今度は自分の襟を掴んでいた。そうして、掴んだ襟を開き肩から落とすように男らしく脱いでいたから。

 きらきらと光を受けて輝く白い肌は夜に見つめてもやはり美しい。下げた視線、長い睫毛の影、儚く壊れそうだ。なのに、その仕草が男らしくて、誰かを組敷いているからか雄の雰囲気を出している。

 だめ、と押さえた口の中で呟いた。この破壊力は凄まじい。頭の中を視界の情報が全力で殴ってくるなんて初めてで目を瞑るなんていう簡単なことも出来ない。

 馬鹿みたいにだめ、と呟くだけだ。

 強い視線に気づいたのか、鶴丸の下がっていた視線が、零れ落ちそうなほど見開いた燭台切の瞳に合わさる。瞬間その目が

 

「ん?」

 

 一層とろとろに蕩ける。首を傾げてしゃらりと白銀の髪が鳴る。

 心臓と頭がぱーん!と音を立てて弾けたのがわかった。熱がぐらぐらと煮えたぎって、目から湯気が出そうだ。その代わりかもしれない。訳もわからずぼろぼろと涙が出てくる。

 

「どうしたんだい光忠」

 

 上半身を曝したままの鶴丸は焦る様子もなく、顔の横に両手をついて覆い被さってくる。鶴丸が近づいて来て一層目の前がぐらぐらぐらぐら。心音は早すぎて心臓の中から痛みすら感じる。

 

「わかっ、わかんない、何これ、僕どうしたの、なんで」

「驚かせすぎたかな、ごめんな」

 

 鶴丸が頬を撫でる。反対側にはちゅっと唇が落とされた。そしてぼろぼろと落ちる涙にも。溢れては鶴丸に唇で吸いとられていく。

 泣くなんて格好悪い。しかしこれは感情からの涙というより、感情が自分の許容を超えたことによる何かしらの消化の様だ。無理に止めるよりも、鶴丸に吸い取ってもらった方が良いのかもしれない。

 

「光忠」

 

 自分の心から零れ出た感情を鶴丸が吸い取ってくれて、鶴丸の唇が落ちる度に燭台切の余計な感情が溶け切った頃。涙もようやく収まった。

 すると繰り返される上半身が少し浮き、背中に何かが回った。鶴丸の腕だった。自分のものよりも細いそれに気づいたのは、自分の肌に鶴丸の白い肌の感触を感じたから。

 抱き締められている。素肌を合わせて。そう認識した途端とぎゅ、と少し強い力が込められた。

 

「つるさん、」

「なんだい」

 

 鶴丸が頬を口づけて答える。

 暴力的とまで思ったあの美しい体。その体がこんなにも密着している。他人の肌。器を隔てる壁。当初はあんなに怯えていた他者という存在なのに、その鶴丸の素肌も体温も今は驚くくらい馴染む。抱き締めあったのは初めてだと言うのに。何度も繰り返された体の練習だけが理由ではないだろう。思わずほぅと息を吐く。

 

「すごく気持ちいい」

「俺もだよ」

 

 余計な感情が残っていない燭台切の口からは素直な感想が零れる。

 燭台切の感嘆に微笑んで答えた鶴丸から、ちゅ、とまた頬に口付けられた。嬉しいがそこだとちょっと物足りない。こんなに素肌が馴染んでいる今、唇同士で重なりたい。

 

「そこじゃなくて・・・・・・口が、いいな」

「喜んで」

 

 鶴丸が唇を燭台切のそれにしっとり重ねてくれる。それを合図に燭台切も鶴丸の背中に腕を回した。重ねる唇のように二人の間に隙間も許したくない気持ちだった。ぎゅむぎゅむと腕に力を込めて、これ以上ないくらい上半身の素肌をぴたりとくっつける。

 下半身はそうはいかないから、お互いに足を絡めた。裾が乱れていくのも構わずに。

 緩く勃ち上がり始めているのか、お互いの中心が布越しに当たるとぞくぞくと快楽が走る。けれど今はその刺激より、お互いの素肌を重ねることに夢中だった。素肌が触れ合うのが気持ちいい。心地が、良かった。

 

「は、ぁ・・・鶴、さん」

「光忠・・・・・・」

「つるまる、さん、・・・ん・・・」

 

 少しだけ唇を離した瞬間に名前を呼んだ。名前を呼ばれた。その響きが耳も優しく犯すから、自分もまた呼び返した。呼ばれた名前の甘さを反射したかの様にどろどろの甘さで。するとまたその唇に自分の唇が塞がれたから次に呼ぶ名前も中で煮詰まってどろどろに溶けていそうだ。

 何度も素肌を重ねて、体温を分け合う。その頃にはもう隠しようがないくらい、熱が昂っていた。鶴丸のも、自分のも。

 まだ肌を重ねて足を絡めていたい。唇で唇を塞いでその奥にある心をどろどろに煮詰めていたい。熱を出してしまいたくない、反応する体がもはや恨めしくもあった。

 だけど同時に、もっと奥まで来てほしいという気持ちもあった。体の外だけに触れるのではなくて中から貫いて、揺さぶりながら奥をこじ開けて。その一番深い奥にいる、他の誰も知らない自分の所に来て、寄り添ってほしいと。

 鶴丸が口づけを解いて顔を離す。腕もほどかれた。それだけのことなのに心に隙間が出来た見たいで、寂しくなる。鶴丸が他の誰かの元に行くことを、少し前の自分はよくも耐えられたものだ。今そんなことを言われたら、全てが砕けてしまいそうになる。

 

「ぁ、」

 ああ、だから。だから自分は頑なに。

「光忠」

 心の中でぽんと手を打ったタイミングで名前を呼ばれる。その目に見つめられて名前を呼ばれると寂しさが少し埋まる。

 

「なぁに」

「きつそうだ。この数週間、独りではイけなかったんだろ?出したいんじゃないのか」

 

 鶴丸が片手を燭台切の下穿きへと伸ばす。下穿きが殊更ゆったり下げられて、上向きのそれが空気に晒されるのがわかった。鶴丸は慣れた手つきで中心を握る。反射で、びくんと体が跳ねる。

 その間もお互い見つめあったまま。鶴丸の甘さしかない目に対して、素直すぎる自分の目がねだる様に揺れるのが分かる。触ってほしい。快楽の刺激を与えてほしい。鶴丸の手の中で脈打つそれは正直で、反応しやすい体を宥める術は鶴丸が持っている。ずっとそれを待っていた。独りの夜に。鶴丸に来てほしくて、助けて、触ってほしくて何度も名前を呼んだ。その瞬間がやっと訪れる。

 でも、

 

「ううん、いい」

「だが・・・・・・」

「一緒がいい」

 

 鶴丸の目を見つめたまま言った。

 

「ちゃんと我慢するから、今は、一緒にイきたい」

 

 自分も下に手を伸ばして自分の中心を握っている鶴丸の手に触れた。鶴丸の目が僅かに見開く。

「早くきて、お願い」

 

 頭を浮かせてその唇に自分自身の唇重ねた。ちゃんとちゅ、と音がなったのに少し満足。

 その瞬間だけ蕩けていた金の甘さが一瞬ぎらっと鋭くなる。燭台切の手を取ってそのまま自分で根本を握らせてくれたかと思えば、その先端を親指で数回撫でていった。

 

「んん!やっ、・・・・・・いじわる」

「・・・・・・悪い。今のは本当にごめん」

 

 達するには十分な刺激ではないとは言え、拗ねた目で睨む。

 すると鶴丸は、せっかく一緒にって言ってくれてるのにな。と自分に苦笑いして謝罪がわりに額に唇を落とした。それだけで許してしまうのだから、いじわる。に込められていたいじけの程度がしれる。

 自ら開くその膝を、両手が自由になった鶴丸が掴み押し上げる。それでも上半身は近づいたまま。今までの練習と同じ位置では、今の自分達には余りに遠い。

 ローションはなかった。鶴丸が自分の指をくわえた。濡れていくその指。何度も燭台切の中をかき回した指。関節が引っ掛かる感覚を思い出してしまう。ずく、と熱が騒ぐ。

 

「はやく、つるまるさん」

「分かってる」

「んっ・・・ぁ、あ、はあぁ」

 

 急かすと鶴丸が口から抜いた指をさっきから待ち遠しい場所へと宛がう。少々久しぶりとは言え、ずっと慣らされている場所だ。だからか、はたまた指二本だったからか。ずぶずぶと中に入り込んでいく。根本を握っている手に力を込めた。

 

「ん、ん、あ、や、っゆっくり出し入れしないでぇ、んぅ・・・・・・」

「でも、慣らさないとだろ?」

「平気、だからっ、つるまるさんなら大丈夫、」

 

 だからはやく、と鶴丸の背中を掻き抱いていたもう一方の手を、今度は鶴丸の中心へと伸ばす。自分も焦れる気持ちで下穿きをゆったり脱がし、手探りで現れた昂りに触れた。

 

「はやく、一番奥まできて」

「っ、こんなことされたら俺の方が先に達してしまうっての。俺に円周率小数点の記録更新してほしいのか、君」

 

 鶴丸が燭台切より先に達したことなんて一度もない。しかし見つめた先の瞳は甘いままでも焦りが確かにあった。

 

「あれ、円周率とかいう呪文だったの」

「お守り代わりのまじないには変わりないな。心を無にするには無機質な数字の並びが一番なのさ。・・・・・・いくら、初めての行為に暴発、暴走しないよう頑張ったとはいえ、あの日口に出してしまったのを未だに後悔してる。」

 

 ばつの悪さを滲ませて言う。それに応えないで鶴丸の中心に触れていた手をすり、と動かした。

 

「っ、こぉら悪戯っ子」

「円周率なんてもう覚えなくていいよ、忘れて。心を無になんてしないで」

 

 あんなに嬉しかった変な耐え方だったが、今されても全然嬉しくない。勿論これから先もだ。

 

「ははっ、拗ねてるし」

 

 分かってるからと鶴丸はその片手を取って自分の首に回させた。

 そしてようやくその昂りをその入り口に宛がう。待ちわびたその先端に吸い付いているのが自分でもわかる。

 顎を上げて快楽に耐えようとして、止めた。いつもの様にシーツを握って耐える必要などないのだ。首に回した片手を尚引き寄せて、その目をじっと見つめる。

 

「キスしてほしい、な」

「勿論。仰せのままに」

 

 その返答ずるいと言い返す前に、重なる唇と共に、鶴丸の久方ぶりの熱が入ってきた。思わず鶴丸にしがみつく。そうすることで自分の昂りが鶴丸の腹に擦れてしまって頭が真っ白になりかける。握りしめていてよかった、と熱を根本で塞き止めながら全身を震わせた。

 鶴丸は入ったまま動きを止める。代わりに今度は唇を割って舌を差し入れてきた。燭台切はもちろん受け入れて舌同士の粘膜を擦り合わせる。そして鶴丸は目を開いたまま顔の角度を変えて、またぎゅうと両腕で抱き締めてくる。

 

「んぁ、あっ、んく、や、らぇ・・・っ、こえ、やっああ」

 

 絡まる舌の奥、喉で言った。

 激しく動かれている訳じゃないのに中に埋められて、舌を絡めて抱き締められていると全てが満たされている感覚になる。鶴丸に満たされている、違う。満たされ過ぎている。

 燭台切の中に収まりきらないのだ。中にどんどん一方的に注ぎ込まれて、溢れそうになる。抜き差しされればまだいいが、鶴丸が動かないから蓋をされている気分になる。自分自身も根本で塞き止められているからもう、どこから溢れさせればいいのかわからない。

 どこから溢れさせればいいかわからないまま、でも確実に達してしまう。

 絡まる舌をちゅばと、離した。唇を閉じて鶴丸を追い出す。鶴丸はその後も唇を落とすが、受け入れてしまう場合ではない。

 

「あっぅや、つ、つるまるさんっうごいて!このままだと、僕、握ったままなのに先に、イっちゃ、」

「む、もうそんな体になってたのか。もうちょっと、初めて繋げた日との違いに浸りたかったが、仕方ない、なっ」

「ひっ、ああっ!!」

 抱き締めたまま鶴丸が器用に腰を引いてそして穿つ。いつものリズムと違うのは、抱き締めあっているからだろう。動きが制限されている分のぎこちなさが多少だがあった。それなのに燭台切の体は、今までになく感じていた。引かれて突かれる度に大きな声が出てしまう。

 

「あっ!ああっ!ああ、あぅ!!っあ!?だ、だめ!!しょ、しょうじ、っぃ!障子しめてぇっ、ああっ!」

 

 散々喘いだ後にこの部屋が隔離されていないことに気づく。たかが障子一枚、されど一枚。このままでは、いくら周りが空き部屋ばかりとは言え声を聞き付けて誰かが来てしまうかもしれない。

 

「っは、夜は、夫婦の時間だぜ?そんな時間に・・・っ・・・、この部屋の周りをうろつく無粋なやつはここにはいな、いっ」

「ああっ、ふ、ふうふってなにを・・・んんっああっ!ああっ、あんっ!ああ、そこぉっ!あっあっきもちいっ」

「ふふ、好きだもんな、ここ」

「んっんっ、あぅ、んっ好きぃっ!きもち、んぁっ、きもち、いい・・・!ああっ」

 

 いやだとかだめだとかいつもの練習ではそんな言葉ばかり。きもちいいなんて今までの練習で一度も言ったことがなかった。しかし素直な感情はいとも簡単に口にする。気持ちいい。そして気持ちいいのは好き、単純に。

 回数を重ねるにつれ慣れてきてはいたが、今までの練習での快楽は独りでしらない所に突き落とされるみたいでいつまでたっても少しの怖さがあった。だけど今日は合わさる鶴丸の湿った肌や熱い息を感じながら突かれて、足の爪先から、頭の中まで繰り返す快楽の波に乗ってふわふわ飛んでしまいそうだ。

 

「つるさ、つるまる、さんっ・・・!も、ぼくっ、もう・・・っ」

「ああ、分ってる」

 

 もう限界が近い。手を離せばすぐ達してしまうだろう。体はがくがくと何度も痙攣してるし、さっきからもう何度も目の前が白くなっている。そういう状態だが、なんとか自分自身から手を離した。申し訳ないが先走りでどろどろの手と、背中を掻き抱いていた手を伸ばして鶴丸の手を探した。鶴丸がすぐに応えて燭台切の手を握る。視線と同じように指を絡めて、そこからもお互いを感じる様に。

 

「ぅあっ!は・・・ね、ねぇ、お願い、っなかに出して・・・!んんっ、・・・貴方の、たったひとつの特別に、っ、なり、たい。その印を・・・、僕に、ちょうだい」

 

 数ある中から、自分のものだと名前を書くように。ひとつだけ選んで特別にして。

 

「だから、なか、に・・・っ。中に、あなたの、ひぁんっ!」

「・・・・・・さ、すがに言葉だけでイくわけにはいかない、んでなっ」

 視線だけではなく言葉でも懇願すると鶴丸の突きが一層速くなった。

 先の方から熱を吐き出そうとする抽送に、もうほんの少しだと、期待に胸を高ならせる。

 絡めた指をぎゅうと握った。手加減が出来ない。刀を握る大事な指だと言うのに、鶴丸の細い指が折れてしまわないか心配になる。しかし、自分が強く握れば握る程返ってくる力も同じ分だけ強くなっていった。まるで想いの強さもそうだと言われているみたいだ。

 

「あっあっやあああっ!いくっ、い、いっちゃ、あ・・・っんあ!あぅっ、つるま、さっ、ああんっあああ――!!!」

「っく・・・、うぁっ、」

 

 ずっと鶴丸を見ていたい、そのとろける金の瞳を。だけど、鶴丸の白い熱が吐き出された瞬間、すべてがその色に塗りつぶされてしまった。燭台切は、真っ白の世界に。

 けれど少しも怖くはない。強く握られた手の痛みが二人でいることを教えていたし、中の熱さもはっきり感じていた。

 燭台切の懇願を聞いた鶴丸が、燭台切に特別だと言う印をつけてくれたのだ。むしろ感じたものは今まで感じたことのない幸福だった。

「みつただ」

 

 意識が徐々にはっきりしてきた頃。まだ力が入らなくてくたりとしているところに落ちてくる鶴丸の唇。もちろん喜んで受け入れる。

 鶴丸を中に収めたままの状態で、絡めた指を離すこともなく何度も何度も繰り返し唇を食んだ。中々終わることのない時間だったが、しばらくして唇を離した鶴丸が耳元に。

 

「光忠。もいっかい、したい」

「んっ、・・・えっと、すごく嬉しいんだけど。怒濤の展開過ぎて一旦休憩が欲しいというか・・・」

「ダメか?」

 

 甘える声色でおねだりの囁き。ちくしょー可愛いじゃないかー!と胸がきゅんきゅんする。これは自覚してから身を蝕む早さが驚異的だ。なんとも恐ろしい。

 黙る燭台切に鶴丸が追加攻撃かの様に、両頬交互にちゅっちゅと唇を落とす。可愛い。今までの練習の時の様な強引さだって、意地悪さだって鶴丸の中にあるだろうに。今は、燭台切の許可を貰おうと甘えて、ねだってくる。可愛すぎる。

 これがありのままの鶴丸だと言うなら、鶴丸は恋人同士の甘いスキンシップがかなり大好きなタイプと見た。それを我慢していたというのだから、燭台切を手に入れる為の作戦とはいえ練習中は辛かっただろう。それを我慢する余り、少々強引になってしまったり意地悪になっていたのなら、それは仕方のなかった話だと思う。

 頬への口づけを受けながらそんなことを考えていると、鶴丸はこれでもだめかと思ったらしく、口づけを止めた。そして絡め繋いでいた手の片方を優しく解いて、燭台切への頬へと伸ばし触れる。

 甘える視線から真剣な目へ。その落差に、燭台切はいいよ、と微笑んで了承を出そうとしていた口を閉じた。

 

「君だけがずっと欲しかった」

 

 心臓に矢が一本。

 

「人間に対してあんなに呆れていた自分勝手で暴力的な欲を持ってしまうのも、諦めたくないって必死に執着するのも、君に対してだけなんだ。君が自分を保つために作っていた心の壁なのに、それを全部ぶち壊してでも心の中に寄り添いたいと。そうして愛し合いたいと、何かに願ってしまうのは君ただ一人」

 

 矢が二本、三本。そしての一斉に放たれてきて数えるのが間に合わない。

 

「数ある出会いの中でたったひとつ、君だけを選んだ。君は俺の特別だ、君をあいし、んむっ」

「ぅん・・・、」

 

 とすとすとすと心臓に刺さっていって、このままじゃ血を吹き出して死んでしまいそうになる。だから最後の言葉を聞く前に目の前の唇を自分の唇で塞いで、何とか致命傷を避けた。

 『言葉が、俺の気持ちを何処まで相手に伝えてくれるって言うんだよ』と言ってたくせに、自分の目的を果たすためにはころっと策を変えてくるから手に負えない。というか、あの辛そうな吐露も演技だった可能性が高い。恐らく弱い部分を曝け出した振りをして燭台切の出方を見たのだろう。その後の会話で、燭台切が無意識に鶴丸への恋に芽生えていると感じ取り、鶴丸は次の手を決めた。だからこそ、辛そうな態度からけろりとした態度へと一転させたのだ。

 何という策士。鶴丸の事だ、今回燭台切への策の中で恐らく嘘は付いていないはず。ひとつでも嘘を吐くと矛盾が生じて瓦解してしまう。鶴丸もそれが分っているはず。

 鶴丸は『演技力』と『余計な情報を与えない』。この二つで自分の目的を果たした。

 鶴丸を好きになったのは確かに燭台切の意志で、そこに疑いの余地はないのだけれど、なんとも言い難い気持ちにはなる。

 鶴丸は結局、燭台切をいとも簡単に操ってしまう。翻弄して、今も燭台切自身の意志で身を差し出させる。

 敵わないのだ鶴丸には。そんなの昔から知っている。だけどそれで終わらせてしまうのはかなり悔しいから沢山ねだってやろう。

 鶴丸が照れた姿でも見せてくれたら少しは悔しい気持ちもおさまる。

 

「・・・・・・キスが足りない。いっぱいしてくれないと今日はもう頑張れそうにないなぁ」

「嫌と言う程してやる、任せろ」

「あとね、頭を撫でてほしいとか思ったり」

「お安い御用だ」

「えっと、な、中だけじゃなくて、外側にも特別だって印を頂戴。あ、服で隠れる所だけだよ、見える場所はやめてね」

「喜んで」

 

 わざとねだってみせる燭台切に対して、今度は年長者の余裕で甘やかせる顔をする、目の前の恋人。厄介な相手だ。ううん、他に何をねだればいいのだろうと考えて、そうか、一番望んでいることをねだればいいのかと口を開く。

 

「最後にもう一つ」

「なんだい。何だって聞くぞ」

「・・・・・・好きにして」

「みつ、」

「あなたの好きにされたい」

 

 年長者の余裕が消えて、ただ見開いた目があった。よし。一矢報いた。そう満足したのだが、言葉はそこで止まらなかった。気持ちが欠片となってぽろっと零れてしまった。

 

「あなたが好き」

 

 この言葉は燭台切の気持ちを何処まで鶴丸に届けてくれるだろうか。分からないけれど、少しでもありのままに伝わればいいな、そんな気持ちで目の前の鶴丸に微笑んだ。

 すると、余計なことは何も考えてなさそうな、素の鶴丸の顔が徐々に赤くなっていく。そしてばっと燭台切の肩へと伏せられた。

 

「ど、どうしたんだい鶴さん」

「っ・・・・・・」

 

 驚いて伏せられた白銀の頭に手を置いて、思わずいつも鶴丸にしてもらっていた様に優しく撫でる。すると僅かにだが鼻の啜る音が聞こえた。

 え。嘘、泣いてるの!?

 そう聞こうとして、やめた。かなり驚いたけどやめた。

 その代わりに首を伸ばして旋毛に唇を寄せて、鶴丸に届くだけの声色で囁いた。

 

「頑張ってくれてありがとう」

 

 燭台切が演技だと思った鶴丸の弱い姿。演技は演技でもそれは見せるタイミングを計っていただけで、吐露自体は本心だったようだ。鶴丸もかなり恋に振り回されたのは事実で、今、燭台切の言葉にその辛さが全て報われて、そして鼻を啜っている。

 二人でこうしていられるのは鶴丸が頑張ってくれたからだ。その姿を情けないなんて思うはずがなかった。

 撫でられている鶴丸がはぁー、と熱く湿った息を、燭台切のむき出しの肩に吐き出す。

 そして燭台切にぎりぎり聞こえる大きさで零した。

「やっぱり、君には敵わない」

 切実な実感がこもったその言葉に、目を丸くした一瞬後。

 燭台切は声を立てて笑った。

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