卒業式前夜の話
ようやく戻ることの出来た自室。まだ数年しか使っていない比較的新しいベッドの上に寝転がり、暗い天井を見ている。
この静かな部屋では音など何も聞こえないのに、眠れる気がしない。
今日のこと、明日のこと、そしてその先のことが頭を埋めている。
ふと、自室のドアの向こうに気配を感じた。人間に生まれてから、有りとあらゆる感覚は鈍くなっている。にも関わらず、たった一人については昔よりも感覚が研ぎ澄まされるようになった。
母親の中で血と肉を分けあった片割れ。俗にいう双子という存在には第六感が強く発動するらしい。
今も、その存在がノックをすべきか考えを巡らしているしているのが分かった。目を瞑って出方を待っていると、カチャ、と小さくドアの開く音がした。
ノックはしなかったらしい。親しき仲にも礼儀ありも信条としている相手にしては珍しいことだったが、それで良いと思った。
今夜だけは礼儀も遠慮もいらない。
「・・・・・・廣ちゃん、起きてる?」
「ああ」
部屋を覗くのはやはり片割れの光忠。起きているとの応えに、部屋へと足を踏み入れた。何も散らばっていない部屋は進路を邪魔するものは何もなく、光忠は静かにベッドの横に立つ。枕を抱えて。
「一緒に、寝ても良いかい」
質問しておきながら、断っても潜り込んで来そうな声色だった。
だから何も言わないまま、ベッドの真ん中に横たわっていた体をずらす。もう一人分眠れるくらいのスペースをあける為に。
光忠がまず、片膝をベッドに乗せた。元々一人で眠ることを想定としているベッドは、ぎしりと僅かな悲鳴をあげる。双子だというのに体躯に少し差があった。前世程ではないが、光忠の方が半回りほど体格が良い。
ただ、昔はそうではなかった。母の腹から出たときも小学校に入学した時も、ぴったり分けあったくらいに同じ身長だったのだ。ひとつのベッドを半分に分けて鏡合わせの様な形で眠りについた日々は、ずっと。
「こうして眠るの何時ぶりかな。小さい頃を思い出すね」
寝転がった光忠が溢す笑いで言った。どうやら同じことを考えていたらしい。
思い出話でも始まるかと思いきや、光忠は微笑んだまま一度言葉をきった。こちらを向いている光忠を同じ姿勢で向き合って見つめ返す。もう、似てる所なんてほとんどないのに、その合わせ鏡の様な形はやはり安心した。
「廣ちゃん、今日はありがとう」
口を開いた光忠はやはり思い出話はせず、礼を言ってくる。微笑みは心からの感謝を表していたが、すぐにその種類が変わる。
「母さん、泣いてたね」
困惑の笑みに似てるそれは、傷ついた自分を隠す為であり、心の中で繰り返す懺悔を悟られない為のものだと知っている。
「・・・・・・そうだな」
卒業式を明日に控えた、今日。何時もの様に和やかな夕食を終え、家族5人がダイニングテーブルで寛いでいた時のことだった。
「父さん、母さん。話があるんだ」
そう、光忠は切り出した。
自慢の我が子の話はいつも楽しい話ばかり。父も母も笑って何だと聞き返した。その自慢の我が子が、自分達の想像を遥か越えた決意をしているなんて気づかずに。
光忠はまず、大学には行かないと言い出した。和やかな雰囲気を固まらせるのは十分な一言だった。
両親はひどく狼狽えた。当たり前だ、大学受験もそつなくこなし、先日合格が分かった時だって光忠は何も言わなかったのだから。
狼狽えながらも両親は頭ごなしに怒鳴ったりはしなかった。父が、何か他にやりたいことがあるのかと聞いてくれた。
光忠は、旅に出るかもしれないと答えた。
母は狼狽を強くしたが、父は男なら見果てぬ地に憧れを抱くものだ。気持ちは分かると頷いた。
「だがな、光忠」
そう父が、現代社会の厳しさと常識、ひいては愛すべき我が子の将来を危惧する言葉で諭そうとしだした時、光忠はもう一度、口を開いた。
「好きな人がいるんだ。その人を追いかけたい」
突然の告白に父も、口をつぐんだ。瞬間、何かを悟った様に隣で顔を青ざめる母と同じように。
「その人、男なんだ」
瞬間の、あの時の母の顔はきっと死ぬまで忘れない。自分も、隣で見ていた弟も、光忠も。
自慢の我が子を見る目は、未知なる奇病を目撃した様な驚愕と恐怖。そして明らかな絶望だった。
どうして!と己の頬に爪を立てて掻く母にいつもの優しさはなかった。恐ろしい勢いで席を立ち、座っている光忠の両肩を強く掴んだ。嘘だと言って!!とその肩を何度も揺さぶる。
黙っている光忠に母はますます絶望し、何がいけなかったの!お母さんの育て方が悪かったの!?どうしてなの、光忠!ねぇ!何か言いなさい!!と声を荒げた。
母の取り乱し方に、落ち着くしかなかった父が見かねて声を掛けても母は詰問を繰り返す。弟はじっとその光景を見ているだけで何も言わなかった。
本来話すべき光忠と弟が何も言わない。だから黙っていれば永遠にその光景が続く気がした。
「光忠は、何も悪いことをした訳じゃない」
なるべく刺激しない言葉を呟いたつもりだった。母に分かってほしかった。光忠の気持ちは絶望すべき物ではないのだと。
母は途端にぴたりと止まった。光忠の肩を掴んだまま。古びたゼンマイ人形の様に固い動きで、自分を見つめ、そして言った。
「あなたも『そう』なのね、廣光」
だってあなた達はいつでも半分こだったもの。お母さんのお腹の中にいた時から。
「そうよ、お母さんが悪かったんだわ!お母さんがお腹の中であなたたちをちゃんと作ってあげられなかった!」
そして母は泣き崩れていった。数分前まで家族愛が溢れていたダイニングルームの床へと。
動かない光忠と、動けない自分と。そこで父が焦ったように立ち上がったが、今まで見ているだけだった弟の方が早かった。
母の背後に膝をつくと震える肩に手を添えて、優しく背中を擦り始める。母ちゃん、あっちの部屋行こうぜ。といつもの天真爛漫さからはかけ離れた穏やかな声を出す。そして泣き続ける母をゆっくりと両親の寝室へと誘導していった。
残された三人は長く静寂を守っていたが、父が長い長いため息を吐き、椅子に滑るよう全身を預けた。
そして
「この際だから、話をしよう」
と一気に疲れた顔で、それでも穏やかに言ってくれた。
そのまま母と弟を抜いた三人で話をした。さすがに前世のことは話すことは出来なかったが、光忠は自分の気持ちやこれからのことを真摯に話していた。父も真剣に最後まで聞いて、親としての気持ちを正直に話した。
その長い家族の話し合いが終わったのがつい先程のことだ。
「廣ちゃんまで巻き込んでちゃって、・・・・・・ごめん」
「別に気にしてない」
「でも母さんに誤解されてしまった」
「誤解かどうかなんてわからない」
今はまだ恋情など知らない自分が、もし誰かを好きになるとして。それが男なのか女なのか、そんなもの誰にも分からない。だからあの母の絶望を今の自分が肯定するのも、否定するのも、それは等しく無駄なこと。
そもそも光忠の様に、誰かをこんなにも強く愛せることが出来るかも分からないのに。
「君は強いね、昔から」
そう言って光忠は頬に手を伸ばしてくる。幼い頃、ぎゅっと握り合って眠ったその手を。
「僕にもその強さがあればここまで気持ちを引きずることもなかった。ここまで大事に育ててくれた父さんや母さんに、恩を仇で返すようなこともせずに済んだ」
人が作り出した物は、人に求められたから生まれた存在。付喪神は人の想いを宿した存在。刀剣男士は人の想いに応えて顕現した存在。
そんな存在だからこそ人の気持ちに敏感になってしまう。光忠は昔からその性質が強く、人間に生まれ変わってもそれは変わらなかった。
損な性格だ。とても好ましい部分であるのも間違いないが、見ている方はもどかしい時もある。
他人の気持ちに傷ついてばかりでは人の世は生きにくい。
光忠も本人が思っているほど、決して弱くはない。けれど、強くならなければ。刀だった頃よりも、もっと強く。
「だが、もう決めたんだろう。強くなると。なら、今更弱音を吐いてどうする」
光忠を強く出来るのは他でもない光忠自身。そしてあと一人だけ。
光忠に頬を撫でられたまま、自分も光忠の頬へと手を伸ばした。
「親も他人も関係ない。あいつ以外の全てを捨てる気概でいかなければ、あいつはお前の前から消えるだけだ」
恨みがましく聞こえていないだろうか。寂しさは声に滲んでいないだろうか。本心からの言葉なのに、前世の自分のせいで、今の己の本心さえも疑わしい。
国永が光忠を愛しく思っていたことなど前世から気づいていた。国永は愛情深すぎる故に、その想いを拗らせていることも。
けれど光忠臆せず強い想いのままでが本気でぶつかれば、光忠の想いはあの時成就した筈だ。それを知っていたのに、最後まで見ているだけだった。他人が口出しすべきではない。とそれらしい理由をつけ、光忠の背中を押す手を引っ込めた。離別や喪失を恐れて。
自らの指先に触れる、頬の僅かな体温。確かにこれを喪失すべきは恐ろしい。けれど、この頬がこれから一生心からの笑みを形取らない方が遥かに恐ろしいことだと、限りある人の生に生まれてようやく気づいた。
まだ自分を信じきることは出来ないけれど、光忠と国永、歌仙を信じている、だから。
「強くなれ、己のエゴを貫き通せるくらい」
「廣ちゃん」
光忠の瞳が揺れる。
そんな顔をする必要はないと思う自分と、その瞳が揺れることをまだ喜んでいる自分がいる。後者は前世の自分の方だと押し付けた。
二人の間で無言の視線が交わされている時、自室のドアがガチャ、と鳴った。暗い部屋に廊下の灯りが線となって差し込んでくる。
一瞬、その光の幅とそれに見合う影が自室の壁に現れ、またすぐに部屋は暗闇へと包まれた。
夜目が効くためか光忠以上のスムーズさで、小さな体はベッドに近寄る。
「やっぱまだ起きてた!」
大きな二つの目が身を寄せ合う二人を見つけると、それは当然だとでも言いたげにベッドに膝を掛けそのまま上がり込んでくる。そして二人の間に潜り込んだ。
お互いの頬を撫でていたそれぞれの手は、ごく自然な流れで、仰向けに寝転がる小さな体の薄い腹の上へと置かれた。
「ドラマ見逃しちまったなー。今日は展開が動きそうだったから明日クラスの奴等から聞いとくわ」
「貞ちゃん」
心配そうな瞳を向けている光忠に気づいているだろうに、いつもの調子で話し出す弟の貞宗は、別に意地悪をしているわけでももったいぶっているわけでもない。人一倍雰囲気に気を使うやつだからこそ、日常の空気で光忠を和らげようとしているだけだ。
光忠もそれがわかっている。だから感謝と、ことがことだけにやはり母が心配な気持ちを込めて貞宗の名を呼ぶ。
「母ちゃんなら落ち着いたぜ。今は泣き止んで父ちゃんと話してる」
貞宗は自分の腹に乗っている光忠の手をぽんぽんと優しく叩く。安心させるために。
お陰で光忠の固さが幾分か解れた。そっか、と息を吐く。
「最初はショックのあまり錯乱してたけど、後からはひどいこと言っちまったってずっと泣いてたから、たぶんいつもの母ちゃんに戻ってると思う」
「良かった・・・・・・」
「ただ、明日の卒業式は出られないってさ。気持ちの整理がつかねーって。ごめんって泣いてた」
「無理もないよ・・・・・・」
僅かな安心をまた曇らせる兄を貞宗は寝転びながらも見上げる視線を向ける。
「光兄ちゃん、母ちゃんのこと許してやってくれな。兄ちゃん達には見せなかったけど母ちゃん、最近ナーバスだったんだよ。二人とも大人になるのが嬉しいけど一遍にいなくなるのは寂しいって、俺によく溢してたんだ」
「そうだったのか」
今度はこちら側を向いて、貞宗がうん。と頷いて見せる。
「許すも何も、僕が悪いんだよ。親不孝な僕が」
腹に乗せていた手を、すっと上げ貞宗の頭へと。悔恨の言葉とは似合わずその手つきは優しさばかり溢れている。
「僕、もう戻るつもりないんだ。告白が成功してもしなくても。だから僕なんていなかったって思ってもらった方が母さんにとってはいいのかもしれない」
「光忠・・・・・・」
「そーゆー考え方はどうかと思うぜ」
自分が全てを捨てるつもりでいけと言ったのに、実際光忠から言われると胸のあたりが強く抑し込められる感覚になる。本当に自分は疑わしい。なんていいか分からなくなって光忠の名前を呼べば、それをすっぱり切る様に貞宗が呆れた声を出す。
「そりゃあ俺たち、人間やるのも初めてで、誰かの子供をやるのも初めてだからどうすりゃあいいのかなんて分からないってのもわかるけどさ?」
頭を撫でられていた手を奪って、貞宗が嗜める。悲痛な光忠にも気にせず言えるのは貞宗くらいだろう。
「あの人から息子を奪うなんてしちゃいけねぇよ。いくらみっちゃんでも」
「貞ちゃん、」
「今が親不孝だって思うなら、いつか孝行してやればいいじゃん。子供の孝行は、『生んでくれてありがとう』って言うこと。嘘ひとつない幸せな笑顔でさ。そのいつかが、どんだけ時間掛かってもいいよ。その間、俺が母ちゃんと父ちゃんの支えになるから!」
にっと笑う貞宗を光忠は惹かれている視線で見つめる。
「廣兄ちゃんだって、無理矢理捨てさせなくてもいいんだぜ?昔の後悔に振り回されんなって。大丈夫。今度は俺が見てる。俺の前じゃ格好わりーことなんて出来ねーだろ?光兄ちゃんに劣らず俺のこと大好きだかんなぁ」
「・・・・・・」
否定することが出来なくて沈黙は勝手に肯定を選んでしまう。貞宗は満足げに、そして頼もしい顔つきでこちらに頷いてみせた。そして、二人一緒に言い聞かせる為に天井を見た。
「俺はさ、みっちゃんにも伽羅にも自分を格好悪いって思ったまま人生を歩んで欲しくなくて、ここにいるんだぜ」
天井に向けていた大きな目は、今ではないいつかを見つめている。宝石の様な輝きはいくつもの記憶を写していて、そのひとつでも溢さない様に瞼が蓋をする。
そして目を閉じたまま懐かしさと少しの寂しさを一瞬だけ唇に乗せた。瞬きよりも僅かに長い時間だけのそれを開いた時はもう、いつもの明るさを取り戻す。
「俺が泣きながら交わした亀甲兄ちゃん達との約束を破らせたら、それこそ貞ちゃん不孝だからな!」
頼むぜ、二人とも!と二人の手を自分の胸の前でぎゅっと抱き締める。
貞宗と離れることなど考えたこともなかった。恐らく貞宗も自分達と離れることなど考えなかっただろう。けれど箱庭で初めて会った兄弟達はお互いをお互いなりにとても大切に思い合っていたことも知っている。貞宗だって、兄弟達と別れることを望んではいなかった筈だ。
断られると分っていて「僕達と一緒に新しい人生を生きないかい」と声を掛けたであろう兄達の気持ちを断った時どれ程の寂しさを覚えたのだろうか。不甲斐ない自分達の為に泣きながら別れた当時の貞宗を思ってしまう。
「ぜってぇ、何にも捨てさせねぇ。家族も、想いも、自分自身も」
ただ貞宗自身はそれを後悔している様子はない。今も、目の前に兄達がいるかのように当時の約束を繰り返す。貞宗は強い。
「例え、離れることになっても最後に花びら景色を見るときは四人一緒だからな」
花びら景色。それは人生の最後に見るべきもの。刀の幸福を願った主の想いを象徴する言葉だ。
貞宗は、道を別っても共にしても。四人とも幸せになれと言っているのだ。今世の兄弟三人とそして国永も。
貞宗は一番客観的に自分達のことを見ることが出来ているのかもしれない。その上での幸福を断言する姿は、この世の真理が味方している様な頼もしさを感じる。
しかし自信満々だった貞宗はそこで、ぱちと一回瞬きをする。
「あ、ちげーか、全員か。一人残らず辿り着けなきゃ主と歌仙に怒られちまう。歌仙、怒るとこえーもんな!」
自分達と違って貞宗は今世の歌仙を知らない。けれど、前世であっても今世であっても歌仙は変わらないと知っている口ぶりだ。
身を持ってそれを実感している光忠が、そうだね、と漸く唇と目元を緩めた。
「まぁ、せっかく人に生まれたことですし?もっと欲張りになろーぜ!卒業は限りない未来へのスタートって言うだろう?俺たちの可能性は無限大!!ってな!」
何にせよ明日が楽しみだぜ!皆の門出だし、勝負服で行ってやろうかな!と笑う貞宗を、二人して泣き笑いみたいななんとも言えない顔になりながら、強く抱き締めた。