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 全ては我が高校の名物破天荒生徒会長の一言から始まった。

 

「よし思い付いた!」

 

 卒業を一ヶ月後に控えた、週に一度の登校日。受験も無事終わり、晴々としている三年生――もっとも彼の場合は受験中であってもその晴れやかさが陰ることはなかったが――の生徒会長、国永が声高に叫んだ。ちなみに次期生徒会役員は決まっているので正しくは元、生徒会長である。

 生徒会長席の後ろ、勝手に作った「総生徒会長」の机に両手をついてきらきらと瞳を輝かせている姿を、その部屋にいた三人が見つめる。楽しげに笑う、ため息だけ吐く、呆れて首を振る、それぞれが様々な反応を返しながら。

 

「今度は何を思い付いたって?この状況で、何を?」

 

 呆れながら首を振った後に問いただす。自分が咎めなければという思いからだ。この二年間、いつもそうだった、生徒会他2人は何だかんだとこの生徒会長に甘い。

 

「きみ、わかっているのかい?今の状況が。卒業式は来月だ、それまでにしなければならないことは沢山ある、現に今、」

「そうなんだよ、時間がなぁ、ちょっと大変なんだが。まっ、なんとかなるよな!」

「人の話を聞かないか!この無作法ものめ!!」

 

 この状況の意味がわかっている癖に、人の話も聞かず、また突拍子のないことを言う国永に声を荒げた。

 卒業を控える三年生は午前中のみの出校だ。なのに、こうして放課後まで三年生が三人。一人の二年生と共に残っている。この状況の意味。

 見れば一目瞭然だろう、総生徒会長の机に盛られている書類の山、次の生徒会に引き継ぐ前に終わらせておかねばならない書類の山である。

 本来であれば、年内には終わっている筈のそれを何だかんだと理由をつけ処理を先伸ばしにし、あげく、突発的に思い付いた行事で更に書類の量を増やしてこの山を築き上げた張本人が、またも余計な仕事を増やすとなれば、いくらなんでも腹も立つ。首を差し出せ!と言わないだけましなくらいだ。

 

「まぁまぁ歌仙くん」

 

 先輩である国永を指差して罵倒する下級生に優しい声がかかる。総生徒会長に一番近いところに座っているその学生。副生徒会長の光忠だ。こちらも正確に言えば(元)がつく。

 

「国さんも今の状況をわかっての言葉だと思うよ。きっと、何か理由が、」

「あるわけがないさ!この考えなしのせいで僕たちが一体どれだけ苦労したと思ってるんだ!きみもそろそろ学習した方がいい!」

「それについては同感だ」

「廣ちゃんまで、」

 

 すぐ国永を庇おうとする光忠を非難すると、小さく賛同の声が上がる。今も書類から目を離さず、電卓を入れている(元)会計。光忠の双子の弟、廣光だ。

 

「お前がそんなだから、国永が調子に乗る。結果がこの生徒会だと言うことを忘れたのか。国永は何も考えてないんだ、流せばいい。無視しろ」

「おーいおい、廣。そりゃあ、あんまりだろう!」

 

 右手はカタカタと器用に電卓を叩きながら話す同級生に、少し離れた所から抗議が入る。

 

「いーや!廣光の言葉でも優しいくらいだ!国永が考えもなしに提案する、光忠が笑って頷く、廣光が流して、結局強行突破だ。僕の抗議を無視してね!あんまりなのはどっちだい!」

「み、光、歌仙が怖い」

「光忠に甘えるんじゃない!」

 

 いつもきらきら自信たっぷりと輝く生徒会長は、ここぞとばかりに右腕である光忠に甘えた声を出す。そうすれば光忠が必ず国永を庇うと知っているからだ。

 光忠が取り成せば、光忠には激甘の廣光はもちろん、自分だって最後は頷いてしまう。それは光忠が、いつも歌仙を助けてくれる先輩だからであり、人見知りである自分の数少ない対等な友人だからである。

 それをわかっている国永は、光忠の優しさにつけこんで、避難場所としているのだ。なんと小賢しい。そしてその小賢しさがわかっていて、この二年間一度も国永の提案を却下出来たことがない。

 国永に助けを求められた光忠は困ったような笑顔に変えて、しかし案の定歌仙に向かって対峙する形を取った。

 

「歌仙くん、話だけでも聞いてあげようよ」

「聞いたら最後だ」

「聞かなくても最後だよ。僕たち、来月で卒業なんだし」

「それは、そうだが・・・・・・」

「この4人の最後の思い出が、ひたすら書類の処理なんて悲しいじゃないか」

 

 そんな光忠の言葉に、何も言えなくなってしまう。歌仙の目の前にいる三人は来月卒業してしまう。一年差があるため、途中からこの生徒会に参加した歌仙を置いて。二年間共に過ごした終わりがそれでは、確かに風流とは言い難い。

 何とも返せずむむむ、と口を閉じてしまった歌仙に、光忠は心のうちを読んだのか嬉しそうに顔を綻ばせる。それをちらりと見やりやれやれと言いたげにため息を溢す廣光も歌仙同様逆らわないことを決めたようだ。

 

「君たち、光と俺の扱いの差が、余りにも酷くないか?」

 

 自業自得だろうと歌仙と廣光二人分の視線を受けて、国永はそれ以上の嘆きを止めた。そしてごほんと咳払いをひとつ。もったいぶった仕草にもにこにこ笑っていられる光忠の心の広さは規格外だ。相手が国永だからというのもあるだろうが。

 いつの間にか電卓を叩く音も止んでいた。静かになった部屋、三人の視線を受け止めて、国永は腰に手を当てた。

 

「劇をしようと思う!」

「「「劇?」」」

「卒業式の後、講堂で。この生徒会最後の大舞台と行こうじゃないか!」

 

 どうだ、最高の驚きだろうと言わんばかりに輝く瞳の眩さと、それを見てしまったが為の何とも言い難い感情に目眩を感じて、左手で目元を覆った。

 

「だから、聞いたら最後だと言ったんだ」

 

 この顔はその先にどんな障害があってもやりとげると心に決めた時の顔だと、この二年間で学習している。歌仙が怒鳴っても、廣光が聞かなかったことにしても、光忠が宥めても、国永は必ず卒業式の後に劇をするだろう。

 覆っていた左手を下ろすと共に、却下!!!と怒鳴る為に肺いっぱい吸い込んだ息が無駄だと悟って、そのまま生徒会室の空気に勢い良く混ぜた。

 

 

 箱庭での生活を覚えている。

 輪廻を越えて人間に生まれ変わってもあの愛しい日々を忘れることなどなかった。

 しかしどれ程懐かしんでも過ぎた日々を遡ることは出来ない。

 歌仙兼定という刀は、今一人の人間として箱庭の外の世界、人間の世界を生きていた。

 現在高校二年生、後ひと月で高校三年生。

 人間社会に従い、高校生活をこなしつつ歌仙は日々過ごしている。

 

 

「だからと言ってなんだって、僕がこんなことしなければならないんだ!」

 

 放課後、誰もいない生徒会室への廊下を歩きながら一人憤怒する。

 国永の大舞台宣言から二日が経っていた。宣言後、こうしちゃいられないと国永は生徒会室を飛び出していった、大量の書類を残して。

 恐らく、舞台申請や照明係・音響係、衣装係の依頼に行ったのだろう。だから、こうして歌仙の元にその返答が寄せられてるのだ。

 「君、字がとても綺麗だな!うちの書記に任命しよう!」と1年生の教室で一人歌集を読んでいる歌仙の所に国永が突入してきた二年前。その時から繰り返されている苦労と言え、やはり腹が立つものは腹が立つ。選択授業で書道を取り、廊下に貼り出された自分の文字が、まさか波乱の学園生活を呼ぼうなど誰が想像出来ようか。

 

「大体、僕はもっと優雅で、静かな学園生活を望んでいたんだっ」

 

 そのまま有無を言わさず連行されて、生徒会の書記にさせられて。お陰で周りの生徒からは完全に生徒会の書記の人と覚えられてしまった。よく所在がつかめない国永への伝言がある時など、こうして歌仙に寄せられる。国永が「返答はうちの書記に言っといてくれ!」などとほざくから尚更。

 こっちは超がつくほどの人見知りなのに。人から話しかけられたら笑顔で返すものの、内心で「助けてお小夜ー!」と、小さな幼馴染みに助けを叫ぶくらいどきどきしているのに。

 二年間それを繰り返しているうちに顔見知りは増えたものの、完全に慣れたわけではない。しかもこうして次から次に伝言を頼まれたら、混乱も相俟って怒りに変換されるに決まっている。

 

「そもそもっ、肝心な書類が終わってないじゃないかっ!」

 

 あの大量の書類。やらなければいけないことがあるのに、他のことに現を抜かす神経が歌仙には理解出来ない。やるべきことをきちんとやる、新しいことはその次だろうに。千歩譲って、劇をやること自体は認めよう。しかし、あの書類の山を放置するのは我慢ならない。

 だから歌仙はこうして、憤怒しつつ国永がいないとわかりきっている生徒会室に向かっている。国永が処理しなければならない書類ばかりだが、急急の書類とそうでないものの仕分けぐらいは歌仙でも出来るだろう。

 昨日は家のことがあり、放課後はすぐ帰宅したが、今日は時間がある。この怒りも書類の山にぶつけてやろうと決めた。

 国永に甘いだろうか。いや、そんなことはない。国永を見つけ次第説教コースもしくは、机に縛り付けて嫌がおうにも書類の山を消化してもらう。そしてどんなに泣き言を言ったって、自分は国永の目の前で優雅に歌でも詠んでやるのだ。

 そんな想像をして少し溜飲が下がる。

 

「覚悟しておくんだね、我が生徒会長殿」

 

 周りに誰もいないのを良いことに、ふっふっふっと怪しい笑いで肩を揺らしながら、到着した生徒会室のドアを開いた。

 生徒会室は、他の部室二つ分の広さがある。部屋の半分が学園の資料やホワイトボードなどの道具で埋まっている。もう半分が生徒会長をはじめとする各役員の机があるが、今は本来存在しない「総生徒会長」の机が余分にスペースを消費している。

 部屋の角にはお茶を入れるための電気ポッドや道具があり、生徒会室と言う少し堅苦しそうな部屋を所帯染みさせている。料理部にも所属している光忠や元々料理が好きな歌仙が時折手製の茶請けを持ち寄っては、四人で茶を楽しんだこともよくあった。

 ほとんどが光忠と歌仙の私物だから、もうそろそろ撤収しなければならないかも知れない。

 そんなことを考えながら生徒会室に足を踏み入れる。と、そこには副生徒会長席に座りこちらを見ている光忠がいた。

 

「やぁ、歌仙くん」

「光忠、どうしたんだい。きみ、今日は登校日ではないだろう」

 

 そう言いつつ、気づいていた。総生徒会長の机の上にある書類の山がかなり低くなっていることに。

 

「どうしても国さんじゃなきゃいけないもの以外なら僕でも処理出来るからね。あ、もちろん僕だけでしたわけじゃないよ。さっきまで廣ちゃんも一緒だったんだ。用事があるから今出てるけど」

「もしかして、昨日も来ていたのかい?」

「まぁね。って言ってもお茶飲んだりとかお菓子食べながらまったりしてたよ。国さん、どんな劇するつもりなんだろうねぇなんて言いながらさ」

 

 言いながら光忠は笑っている。

 

「光忠、自分のことは自分でさせないとダメだって言ったじゃないか。国永じゃないといけないとかそういう問題じゃなくて、国永があそこまで溜めたから、国永自身にさせないといけないんだ」

「でも、ほら、劇の準備で大変そうだからさ」

「その劇は国永自ら思い付いたことだろう。書類をほっぽりだしてね。国永は、きみたちがそうやって自分の尻拭いをするとわかっているんだ。もう、大学生になるのだから、いい加減自分で後始末する癖をつけさせないと」

 

 まるで子育て論争だ。この話題も、光忠と歌仙の間で二年間繰り返されている。歌仙がこう言うと光忠は決まって、困ったように笑うだけだ。

 けれど今日は違った。光忠は、柔らかい表情ではあるものの、笑みを消し、窓に一番近い所にある「総生徒会長」の方へ顔を向ける。

 

「違うよ、歌仙くん。こんなこと位でしか、国さんにお返しが出来ないんだ」

 

 そこに国永がいるかのように、眼差しは注がれている。もしくは、国永が走り回っているだろう、学校の外を見つめているのかもしれない。どちらにせよ、一等優しい眼差しは国永に対してのものだ。

 

「国さんは、僕達にいつも楽しい学園生活を、輝く青春をくれる。僕達には出来ないことを国さんがしてくれるから、僕達は国さんの両手からこぼれた仕事を処理してるだけだよ」

 

 そして視線を歌仙に戻して、にっこりと笑う。

 

「歌仙くんもそう思ってるから、今日もここに来てくれたんでしょ?」

「僕はただ、国永をふんじばる為の準備に来ただけだよ」

「そんなことを言って、素直じゃないなぁ」

 

 わかってるんだよ、と微笑まれる。その笑顔は歌仙も好ましいと思っているものだが、今は納得いかない気持ちで見てしまう。

 光忠は優しい。見目が整いすぎているからかいつも穏やかな微笑みを乗せているからか。周りの生徒から彼が、何を考えているかわからない。ミステリアスだと言われていることを知っている。もちろんその言葉の後には光忠を称賛する言葉が続くことも。

 歌仙は周りの生徒より、大分光忠に近い。もちろん双子の廣光ほどではないにしろ、対等な友人だとお互いに思っている関係だ。その歌仙だから、他の生徒より知らない光忠の部分を知っている。

 光忠が、本当に表面通りの善良な人間だと言うことを。そして、善良な人間だからと言って素直な人間とは限らないということも。

 

「素直じゃないのはどっちだい」

「うん?」

「このまま卒業まで言わないつもりかい」

 

誰に、何を、とまでは言わない。こう言えば光忠にはわかるはずだし、細かく言及してしまえばそれは押し付けになってしまう。

 

 歌仙は前世、刀だった。それは歌仙だけではない。

 同じ生徒会である一つ年上の先輩たち。国永も廣光も、目の前の光忠もそうだったのだ。

 ただ歌仙とは違い、国永と光忠は何も覚えていなかった。自分が前世人ではなく、刀で在ったこと。時間遡行軍という異形の敵と戦い、歴史を守った刀剣男士であったこと。その日々を何一つ覚えてはいなかった。

 廣光は分からない。しかし、彼の纏う空気感は普通の人間にしてはやはり清廉され過ぎていて彼は全てを覚えているのではないかと、歌仙は思っている。ただの下級生でしかない歌仙に対して、気を許している素振りを見せるのもその考えを確信させた。

 全てを覚えている廣光は何も覚えていない片割れの光忠に何も教えたりはしていない様だ。

 つまり光忠は、前世の因果も何も関係なく、同級生である国永にただ恋をした。

 歌仙は知っている。光忠自身が覚えていなくても、光忠が前世から国永のことを好きだったと言うことを。厨で共に立つことが多く、その時光忠から静かに零される片恋の吐露が歌仙はとても好ましく思っていた。彼の片恋が成就したかしなかったのか、それは分からないまま箱庭を出て別れてしまったけれど、偶然にも同じ高校に先輩後輩として再会を果たした。

 光忠の性質は前世から変わっていなかった。おかげで年齢など関係なく、対等な友人関係を今世でも築けたわけだ。そして変わっていなかったのはその性質だけではなく、輪廻を越えても消えなかった片恋も同じだった。

 それに歌仙が気づかない筈がない。こうして歌仙は今世でも光忠の片恋の共有者だ。

 前世と同じように、前世よりも控えめに片恋を見守っている。

 

 言葉を切った歌仙に、光忠はまた笑った。言葉を尽くさなくても歌仙の言いたいことが察しの良い彼にはわかったようだ。

 

「何かを縛ることはしたくないよ。それが、自由なものなら尚更ね」

「・・・・・・独自の美学を持つ者を僕は好ましいと思うけれど、美学がいつしか自分の制約になっているなら、それは雅ではないと思う」

「あははは!僕、歌仙くんの雅論好きだなぁ」

 

 話題をのらりくらりと展化させる光忠の心の中にある想い。光忠が国永に出会ってからずっと大事に育てているそれは、現代社会に置いて多くの人間には忌避されるだろう。しかしその想いがどれ程尊く美しい物か歌仙は良く知っている。

 だと言うのに光忠が持つ独自の美学によって、その美しいものは国永にも渡されず、歌仙以外の誰も美しいと気づかないまま卒業を迎えようとしている。

 歌仙はその美しいモノが、本来渡されるべき相手に渡されないままになってしまうのが、歯痒くて仕方がない。

 

「僕の雅論からしたら、」

「おーい、光!!帰ったぜ!!」

 

 光忠が好きだと言った雅論でどうにかその歯痒さを伝えようとしたところに、突如ドアのバーン!と強く開く音と意気揚々な声が響く。

 ドアや障子の開け閉めでテンションを表現するなと何度も言い聞かせていた筈だが、やはり最後まで改善の兆しは見えない。

 

「おかえり国さん」

「・・・・・・やぁ、おかえり。我が生徒会長殿」

「お、歌仙。君も来ていたのか」

「君も来ていたのか、じゃない!そうせざるを得なくしたのはきみだろう!!書類をほっぽり出すわ、また人を勝手に伝言係にするわ、好き勝手をして!!」

「そうだそうだ、伝言。どうだ?色好い返事は貰えたか?」

 

 叱り飛ばす歌仙より、伝言の内容を気にする国永に怒りを通り越して呆れてしまう。いつもこうなのだ。分かっていてもついつい怒ってしまう。「普通の人ならすぐ諦めるのに、歌仙くんらしい」と光忠にも言われる位。

 頭痛を耐えるようにこめかみに指で触れる。

 

「・・・・・・皆いつも通り快諾だったよ。総生徒会長が最後にどんな劇を見せてくれるのか楽しみにしてるってさ」

「そうか!そりゃあ、期待には答えないとな!」

 

 光忠の口癖を乗せながら歌仙と光忠を楽しそうに見つめる。本当に大学生になれるのかというくらいの無邪気さで。

 

「それで?」

「ん?」

「劇に必要なことを決めていくのはいいが、肝心の脚本はどうするんだい」

 

 国永はこの生徒会最後の大舞台と言った。つまり、メンバー全員が舞台上に立つということ。劇である以上、何かしらの役が与えられるはずだ。まさか本人のまま舞台に上がるわけにもいかないだろう。

 

「お、歌仙。もっと駄々を捏ねるかと思ったが、意外にやる気だな?」

「僕は最初から駄々なんて捏ねてないさ。きみが!やるべきことを放り投げて新しいことに飛び付くのが腹立たしいだけだ」

 

 ちらと低くなった書類の山に視線をやり、睨み付ける様に国永へと視線を戻した。

 

「とは言え、」

 

 ごほんと咳払いをひとつ。本格的に説教が始まると思ったのか素直に姿勢を正す国永に笑いそうになった為だ。記憶がない筈の国永は下級生である歌仙が説教しても跳ね除けることをせず、きちんと聞こうとする。それはもはや条件反射のように。記憶がなくても前世からの刷り込みは有効なのだろうか。

 

「僕はやるからには中途半端は許さないよ」

 

 腰に両手をやり宣言する。肩透かしを喰らった国永がほけ、と口を半開きにする。

 

「歌仙くん、ほんと、素敵だよね」

 

 くすくすと光忠が笑い声をたてる。それを合図に国永も表情をいつもよりも尚明るいものへと変えた。

 

「やっぱり歌仙は素晴らしき我らが書記殿だよな!!ここまで育てた甲斐があったってもんさ!」

 

 別に育てられた覚えなどない。しかし国永はかなり上機嫌だ。うんうんと頷いている。放っていくと更に話題がずれていくのは目に見えているので、話を戻す。

 

「ほらほら、僕の質問に答えるのが先だろう。脚本だよ、脚本。いったい何の劇にするんだい」

 

 国永が部屋の中を移動して総生徒会長席に腰かける。それを目で追いながら続ける。

 

「ああ。脚本は、演劇部にちょうどいいものがないか聞いていてな、後でいくつか持ってきてもらう手筈に、」

「その必要はない」

 

 判を持ち、書類にぺったんぺったんと押し始めた国永が歌仙に答えると、言い終わる前に声が被せられる。廣光だ。

 

「おかえり廣ちゃん」

「おかえり廣光」

「ああ」

「よぉおかえりー。廣、必要はないってのは脚本のことかい?」

「そうだ」

 

 三人の視線を一遍に受け止めながら、廣光は指定席である光忠の隣に座る。そして机の上に数冊の本の様な物をぱさりと置いた。

 

「廣ちゃん、これは?」

 

 本には違いないが、装丁は薄く、およそ販売しているものには見えないそれを光忠が手に取る。

 

「ある小説投稿サイトの小説を印刷したものだ。勿論著者には許可を取ってある」

「小説投稿サイト?」

 

 予感がして呟いた。

 

「何冊かあるね。これが脚本?」

「違う」

「じゃあこりゃあなんだってんだい?」

 

 二人が廣光に質問をしている間に、その中の一冊を手に取る。開く前からもしかして、という気持ちがあった。

 

「今回、その作品の設定を利用した脚本を依頼してきた」

「「え?」」

 

 光忠と国永が驚いた顔で廣光を見る。

 歌仙も予感がなければそこに加わっていただろう。

 

「廣ちゃんが依頼してきたの?脚本を?」

「そうだ」

「廣が率先して動くとは驚きだ!いやぁ、廣も最後の大舞台にやる気を出してくれたか!俺は嬉しいぞ!」

「でも、廣ちゃんが脚本を依頼なんて珍しいどころじゃないよ。いったいどんな話なんだい?」

 

 嬉しそうな国永とは違い、片割れである光忠は廣光の行動の不可思議さが気になる様だ。よっぽど面白い内容なのかな、それとも動物の国の話とか?と、机の一冊を手に取って開き始める。今しがた数ページ目を通して閉じた歌仙とは反対に。

 

「・・・・・・付喪神の話」

「「つくもがみ?」」

「刀の付喪神が、審神者という主の元に集い歴史を狂わそうとする敵と戦う話だ」

 

 呟いた歌仙の言葉を補足すべく廣光が付け足した。そこに書いてあるのは間違いなく、歌仙たちの前世のことだった。

歌仙はこの作品の著者を知っている。

 

「この著者に会ったのかい廣光」

「ネット上でメールのやり取りをしただけだ。誰かは知らない」

「・・・・・・そうか」

 

 ともかく一安心だ。ホッと息を吐いた。

 

「歌仙も知ってるのか?有名なのかこの話」

「え?ああ、いいや、有名ではないと思うよ。一定の読者はいるけどそれも多くはない。数あるネット上の作品の中に埋もれている話のひとつでしかない」

「ふーん。じゃあ面白くないのか?」

「どうだろうね、面白い、面白くないで考えたことがなかったから」

 

 話を読むときはいつも懐かしい感情が湧き上がっていて、それ以外の感想など考えたこともなかった。客観的に見れば、歌仙たちの前世は面白いものなのだろうか。興味がないわけではないが何も知らない他人に評価されるのも微妙な感じだ。

 では、記憶のない前世の当事者達はどう思うだろうか。

 どんな話か興味深そうな光忠と国永に、話の内容を、自分たちの前世を簡単に説明することにした。

 

 刀に宿る付喪神が、審神者の力に寄り肉の器を得て刀剣男士となり、自らでもある刀を振るって敵と戦う。敵は己が目的の為に歴史を修正せんとする歴史修正主義者と時間遡行軍。名の通り時間を遡り、今あるべき歴史をあったかも知れない歴史に変更すべく行動をしている謎の多い組織。そういった事を。

 

「時に本能寺の変を起こさせない為に明智光秀を亡き者にしようとしたり、源頼朝を殺すために源義経に接触したりね。とにかく今あるべき歴史を変えようと目論む輩なんだ」

 

 刀剣男士はそういう敵と戦う為に現世に降ろされた。刀である彼らは戦う為だけに存在しているのだ。

 

「面白いのは、・・・・・・そうだねぇ、そういう彼らが皆で団体生活をしているって所だろうか」

 

 戦う為だけに存在している彼らは、しかし戦うだけでは生きれない。体は人間だからだ。本丸という場所で、主の元団体生活を行い、人間の真似事をして日々暮らす。そして泣いたり、笑ったり、刀である彼らは人間と変わらぬ心を持つのだ。

 

「シリアスだったりほのぼの日常だったり。話によって幅が広いかな。刀たちは皆個性的でね、一人一人に焦点が当たるとその度に話の雰囲気が変わる。そういう所が読者たちには好評みたいだよ。数は少ないわりに感想はちらほらあったし、固定ファンがついていてるみたいだね。僕もその一人さ。まさか廣光もそうだったとは思わなかったけど」

「・・・・・・」

 

 廣光がふん、とそっぽを向く。否定しないところを見ると外れてもいないらしい。いつの間に机の上の一冊を開き、少しだけ目を細めた。彼もまた作品を通して前世の記憶を懐かしんでいるようだった。

 その隣で光忠は歌仙の説明を反芻するかの様に口の中で何かを呟いている。「それって政宗公の刀とか出るかなぁ」と聞こえた気がする。光忠と廣光はその昔、ゲームのキャラクターである伊達政宗にドはまりした過去をもつという。廣光は記憶があるから分かるとしても、光忠も同じ嗜好を持つのは彼らが双子だからか、光忠が無意識に前世を覚えているからなのか。何にせよ、一番最初に気にする所はそこだというのが、いつも正常な光忠にしては面白い。

 隣に立っていた国永は話の途中からへぇーと興味があるような、ないような声を出した。

 

「刀が人間を真似る話、か。いい発想だな」

「そうかい?今時は艦隊や城の擬人化もある様だから、珍しい発想でもないみたいだけれどね」

「ああ、そっちじゃなくて、廣の発想の方だ。人間を真似る刀を、人間である俺達が演じるってのが面白いなぁ、と」

「成程、言われてみれば」

 

 歌仙は生まれた時から前世の記憶がある。だからか人間であるという自覚があるものの、今の生は刀で在った歌仙兼定の地続きでもある感覚を持っていた。境界が曖昧なのかもしれない。

 歌仙と国永が話している隣では、光忠が片割れの制服をちょいちょいと引っ張っている。「ねぇ廣ちゃん、その話、政宗公の刀も出てるかい」「出てるぞ、二振り」「見たいな。どの話に出てくる?」とほのぼの会話をしている。

 

「おーい、廣。その依頼したっていう脚本はもう出来てるのかい?」

「昨日の今日だ、まだ出来ていない。だが、そんなに長い劇でもないだろうから今日一日で書き上げると言っていた」

「りょーかい。んじゃあ練習は明日からだな」

 

 廣光に教えてもらった一冊を手に取りぱらぱらと捲る光忠に視線を当てながら国永が二度頷いた。

 

「明日脚本を見て役が決まれば衣装も依頼出来る。演劇部も貸してくれるって話だよな?」

「そうだね。どうしても足りないものは自分たちで準備する必要があるけれど」

「まっ、そん時は俺の手先の器用さを披露しようじゃないか。ってことで、衣装もおっけー。そしたら、後は・・・・・・」

 

 国永が自身の下唇をつまんでうーんと考えるポーズを取ると、光忠が本から顔を上げた。

 

「後は、BGMとか効果音とか、かな。脚本の雰囲気とかによって変わるだろうけど。刀の付喪神だからかな、ここの居住区とかは和って感じみたいだよ。和風の曲とか欲しいよねぇ」

「そうだな!んじゃあ帰りにレンタルに行くか。光、付き合ってくれるかい?」

「うん、いいよ。廣ちゃんは?どうする?」

「今日は貞の宿題を見る約束をしている、先に帰る」

「歌仙は?君も付き合ってくれるかい?」

 

 ぽんぽんと会話が進んでいく中、突如選択肢が投げられる。

 今日は昨日と違って特に急ぎの予定はない。本日の目的であった書類の山も光忠がほとんど片付けてしまった。国永も残りの処理をする姿勢を見せているので、程なくしてすべて片付く筈だ。

 そうであれば、お茶でも煎れて時が過ぎるのを待ち、二人と共にレンタルショップに行くという時間の使い方をするのも悪くない。が、

 

「すまないね、僕も用がある」

「ん、そうか。じゃあ、二人で行くか、光」

「あ、そうだね。そうしようか」

 

 国永に肩をぽんと叩かれ、光忠は遅れて笑顔を返した。そして「なら、さっさとこれ片付けるか~」と自分の席に戻るため背中を向けた国永から視線を歌仙に移す。

 視線に多分に含まれているのは困ったなぁと申し訳なさ。そして気恥ずかしそうなありがとうだ。折角だから二人きりで放課後デートを、と考えた歌仙の意図を光忠は違えず読み取ったらしい。

 そこは、偶然二人きりデートだ、ラッキー。ぐらいにのほほん考えればいいのに、勝手にした周りのお節介にも気づいてしまうなんて、毎日疲れそうだなと思ってしまう。そういう所が非常に光忠らしいのだけれど。

 光忠の視線に、何のことやらとわからない振りで肩を竦め、席を立つ。

 国永が書類仕事を頑張るというなら茶の一杯でもいれてやろうではないか。

「廣光、きみも飲むかい」

「いや、もう帰る」

 言いながら廣光は部誌を鞄に仕舞い、そのまま席を立ちあがる。三人それぞれの挨拶を背中で受け止めて部屋を出ていった。返事はなかったが素っ気ない態度にも慣れっこなので、歌仙はそのまま二人分の茶を用意する。

「茶請けが残り少ないな」

「じゃあ買ってくるよ。国さん、レンタルショップの後、スーパー行ってもいいかな」

「おー、いいぞー」

 少なくなった買い置きの茶菓子に呟けば、耳聡い光忠が応える。偶然にもデートの延長が決まった訳だが、本人はそれに気づいていない。本人より歌仙の方がよほど意識しすぎている。残り一月、だからだろう。

「市販の菓子もいいが、俺はやっぱり君たちが作ってきてくれるやつが好きだな」

 準備出来た茶と茶請けを国永の机に置くと、ありがとうな。の言葉の後にそんなことを言われる。

「クッキーとか、ドーナツとか、ババロアとか、」

 今まで作った菓子を並べ、そのリズムに合わせてぺったんぺったんと判をつく。

「受験ならではのピリピリしてた空気も、君たちの茶と菓子で耐えられたようなもんさ」

「だってさ光忠。きみも勉強の合間に作った甲斐があったね」

「息抜きだよ。歌仙くんこそ沢山作ってきてくれたじゃないか」

 笑いながら光忠にも茶を出せば、これまた丁寧にありがとうと微笑まれ、言葉が返される。

「特に美味かったのがあれだな、ちょうど去年の今頃くれたやつ。フォンダンショコラ!」

「っ熱、」

「ああ、あれは光忠案だよ。そうか、あれから一年か。って、光忠、大丈夫かい」

「お茶の温度を見誤っただけ、大丈夫だよ」

 今度はふぅふぅと茶に息をかける光忠に、国永は時々抜けてるんだよなぁと心配そうに見ている。自分の発言が原因だとは気づいてなさそうだ。

 去年のことを思い出す。料理部に所属している光忠が、女子生徒にチョコ作りを指導した後、余ったチョコレートで一緒にお菓子を作らないかと歌仙を誘ってきたこと。快諾した歌仙と二人、調理実習室で並んで菓子を作っている時に「理由になってくれてありがとう」と囁いた光忠の顔と表情。密やかで慎ましく、性を越えた所で相手を慕うその心。

 やはり、この美しいものはきちんと相手に渡されるべきだと再認識したものだ。

 そういう美しいものの欠片を混ぜて渡されたものは、けれど光忠と歌仙からという形で国永と廣光に渡された。バレンタインなんて全く関係ない顔で。

 その時の思い出を、国永が特に美味かったと言ったのだから、大人びていることが多い光忠でも動揺するのも無理はない。

「あれ、また食べたいな~」

「劇なんて突拍子ないことを言わなければあったかもしれないが、残念だったね国永」

 もし、劇をしなくても今年はきっとなかっただろう。今年のバレンタインは、三年生の登校日ではない。光忠には作る理由がない。慎ましすぎるのも問題だ。

 だからこうも長い間片想いを続けていることになる。長い間秘めている想いだからこそ美しく輝くのだろうが、ああ、ジレンマ。

「それじゃあ僕は帰るとするよ」

 これ以上ここにいれば、また要らぬお節介を焼いてしまいそうだ。それは押し付け以外の何物でもない。

 美しい物を抉り出して、それを国永へ渡す等当事者でない歌仙に許されることではないのだから。

「また明日な」

「気を付けて帰ってね」

「ああ、君たちもね」

 そう言って自分の鞄を手に取った。手を振る光忠に手を振り返して。

 部屋を出ていき、後ろ手でドアを閉める。歩き出そうとして、一度扉が閉まった生徒会室を振り返る。大きな音は聞こえない。

 二人きりになった部屋で二人はどんな会話をするのだろう。いつも大人びている光忠と破天荒な国永。片恋しているものと気づかないもの。きっと穏やかな会話をしているのだろうけど。

「じれったい!!」

 扉の向こうの穏やかさを破らない大きさで叫んだ。

 雅心とか、美しいものとか、それを大事にしたい気持ちと同じくらいの強さで思う。じれったいのだ、意味もなく手をわきわき握ってしまいたくなるほど。

 国永は光忠の想いに気づいてる様子はない。けれど、絶対光忠に対して悪くない気持ちを持っているのだと歌仙は確信している。だから光忠さえ覚悟を決めれば良い未来が待っているに違いないのに。

「自由なものを縛りたくない、か」

 その美学を持ちだされると反論しずらい。どうしたものかと思いながら歌仙は今度こそ生徒会室を後にした。

 そのまま正門を出て、家に帰る方向とは反対へ歩き出す。その3キロ先にある家。

 自分の家ではないので勝手に上がることは出来ない。けれどインターホンを押す手には何の戸惑いもなく、良い力加減で人差し指を押し込む。

 「はい」と答えた声は女性の声。この声もまた聞きなれたものだ。

「こんにちは。兼定です」

 名乗った歌仙に、女性の声は半トーン声の調子を上げて「来てくれたのね、ありがとう。どうぞ上がって」と答えてくれた。

「お邪魔します」

 ドアにを開いてその家に踏み入れた。

 女性と顔を合わせることなく、玄関から見えている階段へと直行。トントンと階段を上がりながら、初めてこの家を知った時のことを思い出していた。

 息を切らせながら、上がったこの階段を。

 一般的なサイズである一軒家の階段は記憶を数秒しか振り返らせてはくれない。けれど、二階の廊下の一番奥の部屋がその時から何一つ変わっていないことを再認識させるには十分だ。

 歌仙はその部屋の前に立ち、コンコンと二回、規則正しいノックをした。

「主」

 そして部屋の中へ呼び掛ける。

 この開かずの部屋の向こうには、歌仙の前世の主君がいる。

 二年前。高校の入学式の日。

 真新しい制服に身を包んだ歌仙は、高校生活初日を終えて正門を後にした。今世も変わらず人見知りだった歌仙は、勿論自分から声を掛けることも出来ず高校生活も中学同様、静かで風流な日々を送れそうだと思っていたその時である。

 その頃にはもう花が散っていた桜の下を通った時、一瞬、それが満開の桜になった感覚を覚えた。

 驚き、足を止め周りを見渡す。すぐ近くには町内掲示板があった。そして、その前には猫背姿で掲示板を見ている人。

 根拠なんて何もない。けれど歌仙には分かったのだ。

「・・・・・・あるじ?」

 その人こそ、刀で在った歌仙たちの主。箱庭の主君の生まれ変わりであると。

 びくっと肩を揺らし、恐る恐る振り向いた主は、歌仙の姿を認めた途端大きく目を見開いて固まった。数十秒、学生服と私服の若者が見つめ合い。

「やっぱりそうだ!きみは・・・・・・、って何故逃げるんだ!」

 再会に駆け寄ろうとした時、それ以上の俊敏さで主は駆けだした。歌仙に向かってではなく真反対方向に。猛ダッシュだった。

 驚きながらも歌仙も必死で追いかけ、そして辿りついた場所がこの家だ。

 主が家の中に逃げ込んだのに続いて歌仙もインターホンも鳴らさず勝手に上がった。今思えば完全なる不法侵入罪だ。けれどそれくらい必死だったのだ。息が切れることも構わずに。

 必死に追いかけたのにも関わらず、歌仙が後一歩のところで掴みきれなかった腕は、一枚のドアの向こうに消えてしまった。玄関に鍵を掛けはしなかったのに、そのドアには鍵が掛かっていた。

「主!どうして逃げるんだい!僕が分かるのだろう!?」

 ドアを叩きながら声を掛けた。顔を見て話したかった。

 物心がつくかつかないかの幼い時分に親から引き離され、そのまま審神者に据え置かれた子供。一番刀の歌仙は、主の親代わりだった。箱庭が始まり、箱庭が閉じるまで。次の生に旅立つまでずっと一緒だったかけがえのない相手。

 そんな大切な主と同じ時代に生まれ変わり、そして再会できた喜びを共に分かち合いたかったのに。何故主は自分を拒絶するのか。

 ドアをいくら叩いても主の返事はなかった。その代わりに応えたのが、突然の騒ぎに駆けつけた主の母親だった。現世の。

 知らない人間がわが子の部屋のドアに押しかけているという現状に、何事かと狼狽える母親に対して、何とか知り合いを装った。おかげで通報されることはなかった。あそこで選択肢を間違っていれば歌仙は高校を退学になっていただろう。

 それをなんとか回避した歌仙は取り敢えず主の現状を、現世の母から聞くことにした。

 そこで歌仙は主の現状を聞くことになる。

 主は歌仙と同い年。けれど高校には入学していない。

 それどころか中学すらまともに通わなかったのだと。日中はほとんど部屋に籠っていて、今日はたまたま、気まぐれで出掛けただけだったらしい。それも1時間満たない程の散歩のつもりで。

 何故そんな生活をしているのか。理由は一言だけだった。

『中学の時、ひどいいじめにあったの』

 母親は、何とか知ることが出来たいじめの一部を歌仙に聞かせてくれた。

 黙ってそれを聞いていた。煎れてもらった茶に手を付けることもなく静かに。

 全てを聞き終わって母親に頭を下げ、もう一度二階へ。

 そしてドアの前に立ったが今度はドアを叩かなかった。

「主、」

 ドアの向こうに気配があった。歌仙の声は大きい物ではなかったがきっとよく聞こえているだろうと分かった。

「主、中学の卒業アルバムを見せてご覧」

 突然の事にも答える声はなかったが構わない。

「そこに載っている、きみの敵の首を、僕が全て刈ってきてあげよう」

 主君に仇なすものは斬る。当たり前の事だ。その思いからの言葉。壮絶ないじめの内容に怒りがなかったわけではない。けれど頭は冴えきっていてむしろ冷静だった。

「ある、」

「やめてよ!!!!!」

 もう一度名を呼ぼうとした所に、叫び声。今世で初めて聞く主の声は悲痛な物。

「私、もう主じゃない!!ただの人間だよ!歌仙ちゃんとは何の関係もない!!!余計な干渉しないで!!!!!」

「なっ、」

「帰って!!!!」

 優しい物言いをする子だった主は、一方的な言葉を避ける傾向があった。だからこそ拒絶の言葉をドア越しに投げつけてきたのは、それが本心からの拒絶だと言うことを歌仙に強く知らせた。

 我が子も同然だと思っていた主に初めて本気で拒絶されたショックでその日はどうやって帰ったか覚えていない。

 本気で拒絶されたものの、歌仙が主を放っておけるわけがなく、あれから二年間何度もこの家に足を運んだ。お陰で母親からは子供の唯一の友人だと深く信頼され、主もドア越しにだが、一言二言話してくれるようにまではなった。

 十分な進歩だと思う。

 主がネット上で、自分たちの前世を小説にして小説投稿サイトへ投稿していることも知ることも出来たし。

 ただ、その小説を廣光も知っていたとは予想外だったが。

 

 

「今日の気分はどうだい、主。きちんとカーテンと窓は開けているだろうね。ドアは閉め切っても、そちらは開けなければいけないよ。いやな空気が部屋に籠ってしまう」

 

 返事はない。いつもの事だ。

 

「主、投稿サイトの読者から依頼を受けて劇の脚本を書くことになっただろう。その相手に気付いたかい。その相手はうちの廣光だよ。そう、大倶利伽羅だ」

 

 歌仙の周りに大倶利伽羅、そして記憶がない燭台切光忠と鶴丸国永がいることは話している。

 

「大倶利伽羅は作者がきみだとは気づいていなかったみたいだけど、ことの顛末はある程度彼から聞いているのかな?鶴丸がまた突拍子ないことを言いだしてね。卒業式の後、生徒会で演劇をすることになったんだ。きみが書くのはその脚本」

「・・・・・・知ってる」

 

 今日はどうやら会話してくれる日らしい。そんな気持ちを表に出さないように会話を続けていく。

 

「どんな脚本を書くんだい?」

「・・・・・・私、あったことしか書かない」

「そうだったね。じゃあどの思い出を書くんだい?」

 

 主が投稿している小説は、前世の事実のみ。勿論多少の脚色はあるが。

 歌仙は主の小説を読んでいると懐かしさと、切なさが込み上げてくる。

 愛しさを持って描かれる日常は、まるで、あの日々に帰りたいと言っている様で。

 

「本丸が終わった日。私が主だった最後の日」

「何を言っているんだい、主。きみは今でも僕の主だ。寂しい事を言うのは雅では、」

「うるさい!!!!!!」

 

 前世が恋しいだろうに強がろうとする子に、その必要はないと伝えようとした言葉は意味を捨てた罵倒に掻き消された。

 穏やかだった前世の面影は大分薄れてしまった。大きな傷を抱えたせいで激情を発しやすくなってしまったらしい。それ程いじめというものは、人を歪ませてしまうのだ。

 時間を遡りたいと、今はただの人間でしかない歌仙が思うのは許されるだろうか。主がいじめを受けていたことを考えると腸が煮えくり返りそうだ。

 過去の教室に入り込み、そこにいる全ての敵の首を落としてやりたい。同級生が36人であるなら、今世でも正真正銘歌仙を名乗れる。

 そこまで考えて首を振った。初日は激高していたのもあり、本気でその空想を描いたが歌仙はただの人間。現世に家族だって在る。歌仙が犯罪を犯してしまえば、世間から石を投げられるのは歌仙自身だけではない。

 過去の時代に当たり前だったことも現代でやれば社会不適合者となってしまう。刀や付喪神で在った時、箱庭に居た時の日常は、現世の非日常。現世の人間は排他的で、自分たちを違うものだと認定すれば、相手を平気で傷つける。

 歌仙は家族をそんな目にあわせたくはなかった。同時に大切な主が既にそんな目に合っていたのをどうにもできないことがやはり悔しい。

そう、歌仙にはどうすることも出来ないのだ。過去を消すことも出来ない。このドアを開けることも。

 

「・・・・・・脚本を楽しみにしてる。また来るよ」

 

10分も滞在することもなく、その家を後にした。

 

 

 

 主の家から高校へ3キロの道を戻る。歌仙の家は主の家とは反対方向の、高校から大体5キロ離れた所にある為だ。

 バスや電車で通っている生徒に比べれば近場も近場。6キロ以下の距離は原付登校の許可が下りないので、歌仙に許されている乗り物は自転車か定期券が買えないバスかのどちらかだ。

 しかし歌仙はそのどちらも利用しない。理由は簡単、雅じゃないからだ。毎日通る通学路を、日々変化していく四季を感じながらゆったり歩く。それこそが風流であり、雅であると歌仙は考える。

 確かに、バスの車窓に流れる桃色に桜を見ることも、夏の風を全身に受けながら自転車で坂を下るのも風流ではない、とは言い難いが歌仙は歩くのが好きなのだ。結局好みの問題と言えば好みの問題とも言える。

 だから歌仙は今日も学生鞄を肩に掛け、冬至もとうに過ぎて大分明るくなった夕方の中歩いていく。

 一ヶ月程前のこの時間は、既に月は昇り、一番星が出ていた。その星の方角へ歩く帰り道はとても雅だったが、今こうして青紫の空を眺めながら歩くのも非常に胸を鳴らす。もうじきすればあの星が現れ、薄くなっている月が闇を背負い輝くだろう。沈んだ日が残る赤と迫る闇が入り交じるこの時間のなんと美しいことか。

 そうだ、この世界はこんなにも美しい。

 美しいものに触れる度、歌仙は人に生まれてよかったなぁとしみじみ思う。世界に満ちる美しいものに当たり前の顔で触れ、何に憚れることもなく美しいと思える。

 

「主も、窓から眺めているかな」

 

 一人軽い傾斜を下りながら呟く。

 限られた箱庭の景色も美しかった。けれど今いるこの世界は、あの世界に比べれば無限にも感じるくらい広大だ。それなのに変わらず閉じた世界からしか限られた景色を見ることが出来ないのは切なく感じる。だけどそれでもいいから、せめて主にこの景色を見てほしい、と思った。

 

「やっと同じものが見られるようになったのに」

 

 まだ出ていない星の方向を見上げ、他の誰にも聞こえない声で呟く。

 限られた箱庭の世界で、一緒に四季を繰り返した主。二人で歌を詠み、書を嗜んだりもした。

 歌仙が育てた主は、歌仙と同じ景色を眺めて風流だと共感してくれる相手だった。けれど歌仙は知っていた。歌仙はやはり刀で、主とは違うのだと。

 刀の頃の逸話を気にしていたわけではない。歌仙は歴代の主に敬意を持っていたし、雅を愛する心もやはり前の主のお陰であると思っていた。とはいっても、その心はやはり人間とは違う。

 幼い主に選ばれ、共に時間を過ごしているとその確信は強くなっていった。血の通う柔らかな手を引いて庭を眺める時も、鋼の己の目に映るものとこの幼子の輝く目に映るものはきっと違う景色なのだろうと、思った。人間になりたいと思っていたわけではなく、ただ単純にそう思っていただけだ。あの頃はまさか自分が人間になれるとは思ってもいなかったから。

 今、その人間に生まれ変わった。歌仙は主と同じものが見ることが出来る。それを喜んでいるのは歌仙だけなのだろうか。

 そうなのかもしれない。主は歌仙を拒絶する。

 自分はもう主ではない。だから関係ない。干渉するな。

 何度も繰り返し言われた言葉は、美しい景色を見た感動とは違う種類の締め付けを胸に宿す。

 足を止めていた自分に気づいて頭を振った。

 

「反抗期は過ぎたはずなのに、二度目の反抗期かい?まったく、手のかかる主だ」

 

 わざと冗談めいた独り言で自分を励まして歩を再開する。

 元気がない時は歌を詠もう。それとも鑑定団のビデオをまた見ようか。

 主の事は一朝一夕ではどうにもならない事だ。一旦置いておくことにした。

 結論付けた薄暗い世界の中、歌仙が歩いている歩道の向こう側に意識せず視線をやる。そこには重そうな荷物を担いでいる老婆が横断歩道の前で立っている。信号機のない横断歩道。歩行者が待っているなら車は一時停止をしなければないないが。

 歌仙のすぐ横を大きなトラックがぶろろろと排気ガスを空気に吐き出しながらスピードを下げず通りすぎて行く。

 

「っごほ!っ、交通ルールも解さぬ不作法ものが!」

 

 折角の元に戻りかけていた気分が台無しだ。どうして、こうも美しい世界なのにそれを台無しにするものがこの世には存在するのだろう。

 大人と言うのは辛そうな老婆の為に右足でブレーキを踏む暇もないほど忙しいのだろうか。学園という所詮箱庭でのほほんと暮らしている歌仙には、まだ理解出来ない。

 しかしいくら外の世界が歌仙の知らないことばかりだとしても、これとそれとでは話が別だ。去っていくトラックに舌打ちをして横断歩道の前に立つ。片手を挙げてでも車を止めようとした所、それより先に向こう岸の老婆の横でスッと挙がる小さな手があった。

 まっすぐ迷いなく伸びる手に、車が止まる。そのまま子供が老婆の腰に片手を添えて横断歩道を歩き始める。老婆の歩調に合わせてぴょこぴょこと結った髪を揺らし歩く姿は、歌仙のよく知ったものだった。

 渡りきった所で老婆が感謝を込めて子供の頭を撫でる。そして自分の荷物から美味しそうな柿をひとつ取りだし、遠慮する子供に押し付けるように渡して嬉しそうに去っていった。それを見送る背中に声を掛ける。

「やぁ、お小夜」

「歌仙」

 目をぱちりと瞬きしてこちらを見るのは歌仙の幼馴染みの小夜だ。

「美味しそうな柿だ。よかったね、お小夜。好きだろう」

「大したことしてないのに、貰ってよかったのかな・・・・・・」

「いいのさ、ありがたく貰っておけば」

 帰る方向は一緒なので、何も言わず共に歩き始める。

「歌仙、どうしてそんなににこにこしているの」

「いやぁ、やはりお小夜はとても良いね。お陰ですごく元気が出た」

「意味がよく、わかりません・・・・・・」

 歌仙が嬉しかった小夜の行動は、小夜にとっては当然のことらしく可愛らしく小首を傾げている。

 ランドセルを背負っている姿は前世の見た目とそこまで差はない。歌仙の幼馴染みで、今世でも一番の親友である小夜は、歌仙と同じく前世の記憶を持っていた。

 再会は6年前。その時の黄色いスモッグを着ていた小夜を思い出して、やはり人間は成長するのだと今更しみじみと小夜の全身に視線をやった。

 

「そういえばお小夜、学校の帰りにしては遅いじゃないか」

「学校に忘れ物をして、それを取りにいってました」

「いくらまだ夕方とは言え子供の一人歩きは危ないよ」

「大丈夫。兄さま達にGPS付きスマホと超怒級防犯ブザーとかいうのを持たされているから」

 

 確かにあの二人なら過度なものも平気で持たすだろうなと思う。それこそ超怒級のブラコンだから。

 小夜には兄が二人いる。勿論江雪と宗三だ。きつく手を握り合い、一緒に箱庭を出た彼らは、願い通り三人揃って生まれ変わることが出来たらしい。

「歌仙は、どうですか、最近」

「最近?ふふっ、おかしな問い掛けをするねお小夜。どうしたんだい」

「別になんでもありません。・・・・・・ただ、歌仙、年が明けてからずっと寂しそうだったから。もうすぐ、皆卒業するんでしょう?」

「さ、寂しそうだったわけじゃない。冬だからね、季節の雰囲気に身を任せていただけさ。冬は凛とした寒さの中にしっとりとした命を抱いている、それに寄り添うことで僕は風流の息吹を感じていたというわけ」

 だから断じて寂しかったとかそういうことではないよ!と握りこぶしつきで力説してみても、小夜はそうですか・・・・・・と信じてるんだか信じてないんだかの態度を見せる。

「・・・・・・ただ、最近うちの生徒会長がね、また馬鹿なことを言い出して。冬をゆったり感じる暇がなくなってしまったんだ。実に嘆かわしいことにね」

「それは大変ですね」

「だろう!?まったくあと一月で卒業なんだから大人しく巣立てばいいのに。付き合わされるこちらの身にもなって欲しいものだよ!迷惑極まりないよ!本当!」

「・・・・・・歌仙は本当にわかりやすい」

 そんなことを話していると分かれ道になった。小夜は左の道、約200メートル先に家があり、歌仙は右の道を残り700メートルだ。

「それじゃあまたね、お小夜。詳しい話はまた今度するよ」

「わかりました。・・・・・・じゃあね、歌仙」

 ばいばいと手を振る小夜に振り返す。小夜が背中を向けてすたすた歩き去るのを見届けて歌仙も歩き出す。

 小夜に会えたお陰で気分がかなり上昇した状態のまま家に帰りつく。玄関の靴を見るに母は出掛けている。そして弟の靴がある。今日は部活が早く終わった様だ。

「ただいま」

 リビングに着いて声を上げる。ソファの背もたれの向こうで黒い艶やかな頭が振り返った。

「おかえりのさだー」

「・・・・・・和泉、その呼び方はやめなさいと何回言えばわかるんだい」

「いいじゃねぇか、こまけぇことは!」

「細かくない。君は弟。弟が兄を『あだ名』で呼ぶんじゃない。お兄ちゃんと呼びなさい」

 リビングに続いているダイニングのテーブル上に鞄を置きながらぴしゃり言い切る。和泉は気にせず、お兄ちゃんって柄かよ~といつものごとくきゃらきゃら笑っている。

「なぁ、どうなった?」

「主義、述語」

「げーき。どうなったんだよ」

「ああ、その話しか」

 ダイニングテーブルの椅子に腰かけると、ソファの肘掛けに顎を乗せて和泉が聞いてくる。目をぴかぴかと輝かせて、寝転がっている足をバタバタと動かす。学校では剣道部の副部長を任され、かっこよくて強いから女子からもモテまくりだと話を聞くが、仕草がやはり中学生のそれだ。

 可愛いと思う兄心を喉に引っ掻けた声を咳払いで綺麗に通すことで隠す。そして和泉の聞きたがっている話をしてやることにした。

 

「和泉、今回の劇はね」

 

 光忠や国永にした説明を、聞きたがりの弟の為にもう一度してやる。全てを聞き終わった和泉は、大きな声で笑い始めた。

 

「だぁっはははは!今更、刀を演じるねぇ!発想が天才的だな!!なんだよ之定ぁ!随分と面白そうなことになってんな!」

「和泉。後一度、之定と呼んだらでこぴんだよ。まぁ、面白そうと言うのは同意するけれどね」

「つーか、『誰』だ?そんな小説書いてんのは。言っちゃあ、日記の公開じゃねーか。全世界発信で!もしかして、之定か?なぁ、俺には隠さなくて良いって。之定なんだろ?っ、あでっ!」

 

 椅子から立ち上がり、学習しない弟にでこぴんをすることで楽し気な質問を封殺した。歌仙が家で付けるリボンと色ちがいのものが和泉の額をむき出しに結っていた。重い音のでこぴんを受け想像以上に赤くなったそのむき出しの額を、犯人である歌仙が撫でてやる。

 

「残念だね和泉。僕ではないよ。僕も廣光も『誰』なのかは知らない」

「なんだ、ちげーのか。こんなことしそうなの、のさっ、兄ちゃんしかいなそうなんだけどなぁ」

「君も読んでみれば分かるかもしれないよ?」

「興味がないわけじゃねぇけど・・・・・・やめとくわ。俺が悪く書かれてたらやだし」

「悪くはないけれど精神年齢は低めだね。実に忠実だよ」

「やっぱり兄ちゃんが書いてんだろ!」

「だから違うと言っているだろう、分からない子だね」

 

 うぐぐと拗ねて見せる弟の鼻を抓んで窘める。途端にきゅうんと大人しくなるのだから、やはり可愛いと思ってしまう。前世で同じことをしたってここまで愛しくはならなかっただろうから血の繋がりとは恐ろしい。

 

「廣光が言うには明日脚本が出来るらしい。出来たら読ませてあげようか」

「マジで?読む!読むに決まってんだろ!・・・・・・あ、いやでもいい。本番見に行くから。吉行達にも言ったら絶対見に行くって言ってたし」

「・・・・・・中等部は通常授業だろう」

 

 こっそり抜けるつもりだな、悪ガキ共めと、顔だけ怒って見せる。しかし心の中では、自分でもそうするなと思っていた。こんな面白そうなこと、見逃してしまうのは雅が廃るというものだ。

 

「君も来年度は受験なんだから、内申書に響かないようにするんだよ」

「俺を誰だと思ってるんだよ。かっこよくてつよーい、兼定和泉様だ!抜かりねーよ」

「ほほぉ?よし、なら今日は久しぶりにお兄ちゃんが宿題を見てやろうじゃないか。和泉、持ってきなさい」

「げげっ、マジかよ!」

「本気と書いてマジだよ、雅じゃないけどね。ほら、早く」

 

 うつ伏せになっている尻をスウェット越しにべちんと叩けば渋々立ち上がる。にーちゃん、国語はいいんだけど、他がからっきしだかんなぁ特に数学。とぶつぶつ言いながら二階に宿題を取りに行った。久しぶりに兄が宿題を見てやると言うのだからもっと素直に喜べばいいものを。素直じゃないのは誰に似たのやら。

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