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 よくわからないものを預かった次の日の昼休み。歌仙は廣光に意味を問おうと鞄を持って教室を出た。生徒会室は昨日私物をすべて片付けて、次の生徒会に引き渡されている。いくら次の生徒会長が国永のよく知ってる後輩とは言え遅すぎる引き渡しだ。

 何であれ、廣光は生徒会室にはいないと言うこと。だとすれば、昨日集合場所に決めた空き教室か、廣光自身の教室にいるかもしれない。今日は登校日だから校舎の可能性が高い。

 二年の教室を通りすぎて三年の教室へ。午前授業のみにも関わらず比較的多くの三年生が残っている。

 勢いで来たものの人見知りの歌仙はどきどきしながら廊下を歩く。

 廣光の教室をソッと覗く。廣光の姿はない。隣の国永と光忠の教室も覗いてみる。やはりいない。

 どこかで昼食を食べているのだろうか。目立つ三人だから他の生徒に行方を聞けばすぐにわかるだろうが、人見知りの歌仙にはハードルが高い。

 スマホで呼ぶべきか悩んだが、原則持ち込み禁止になっている校舎で持っているのが見つかると没収されてしまう。

 どうしたものかと迷っていると、国永と光忠の教室から担任の教師が廊下に出てきた。見知らぬ生徒よりは余程話しかけやすい。歌仙は教師に近づいた。

 

「先生」

「んー?おお、兼定。どうかしたか?」

「すみません、先生。うちの国永と、あ、元生徒会長と元副生徒会長、と元会計が何処にいるのか知りませんか」

「ああ、生徒会長の方は知らんが双子なら校外にいるぞ?」

「校外?休みですか?」

 

 いいや、と否定して教師は何故か少し顔を綻ばせる。

 

「今日はあの二人の大学の合否が出る日だったからな。良かったな兼定、お前の大好きな先輩たちはちゃんと合格したようだぞ!さっき連絡があった」

「本当ですか!」

「まあ、優秀な二人だから落ちるとは思ってなかったが、やはり合格だと聞くと嬉しいもんだ」

 

 生徒の合格にしみじみと喜んでいる教師の姿に歌仙も嬉しくなる。もっとも歌仙は教師と同じく三人の合格を疑っていなかった。当然の結果であると言える。

 

「・・・・・・これで三人とも春から大学生か」

 

 もう本当に卒業の時がやって来る。そんな思いから呟いた。

 

「ん?三人って、誰だ?」

 

 しかし教師は不思議そうに歌仙を見つめる。その視線にたじろいだ。

 

「え、だ、誰って双子と、あと国永が、」

「何だ、兼定。お前知らないのか。あいつは、大学受験しとらんぞ」

「は?」

 

 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 

「受験直前になってから『先生!俺大学行かない!』と言い出してな。皆で説得したんだが結局受けなかったよ。同じ生徒会だったのに知らなかったのか」

「き、聞いてない!」

「そうか、お前たちは仲が良いから聞いていたと思ったんだがな。・・・・・・あいつには正直がっかりしたよ。卒業したら旅に出るとか馬鹿な事を言ってたが、社会ってもんを舐めてるとしか思えん。社会を学生生活の延長だと思ってたら大間違いだ。全く別の世界で、今までの在り方が通用するものか」

 

 お前はあいつみたいになるなよ。と、本人からしたら良き教師であろうとしているのだろう言葉も右から左へと聞き流していく。

 国永が大学に行かないなんて聞いていない。三人はお互い近くの大学を受けると言っていた。昨日光忠にも確認したばかりだ。けれど、教師がこんな嘘を吐くわけがない。

 

「国永が、嘘を吐いた?」

 

 歌仙に。廣光に。光忠に?

 何故そんなことをする必要がある。何故。

 

「っ!」

 

 鞄を持つ手に力を込めて駆け出す。驚いた様に歌仙を呼び止める声も振り切るスピードで廊下を駆け抜ける。三年生が驚愕の表情で割れていく。自分がどんな顔をしているかなんて気にしていられなかった。

 全速力だったからか、すぐ到着した空き教室の扉をがらがしゃぴしゃり!!と大きな音を立てて開ける。あまりの勢いに教室の中にいた白い塊が驚きでピョン!と跳ねた。

 扉に手を付き呼吸を整えながら睨み付け、目を見開いた。机を壁側に追いやり、広い空間が出来た教室の中。一人立って歌仙を振り向いている姿。

 白い羽織、光に透ける白。それは人ならざるもの。

 

「鶴丸、国永」

 

 呟く名前に、白がニッと笑う。

 

「どうだ?似合うか、この衣装」

 

 両手を広げてぱたぱたと揺らす。その度袂が舞う。

 

「結構様になってると思うんだ!いい感じだろ!舞台映えするかな!」

 

 残された教卓の前で、自分の尻尾を追う犬の如くくるくる回る。やけに機嫌よく見えた。

 

「国永、」

「君の衣装も見せてもらったが、まぁー雅なこと雅なこと。牡丹も生花で準備するらしいな?凝り性の君らしい」

「国永!」

「ど、どうした。歌仙」

 

 急に怒号を浴びせる歌仙にぱちくりと瞬く。嘘をついている様には見えない。

 

「君、大学受験してないって本当かい」

 

 国永は目を見開く。そんなわけないだろと笑いだしそうに見えた。けれど、軽く唇を笑みに引いただけ。少しの間の後、ああ、と頷いた。

 

「今日あいつらの合格発表だったもんな、なんだバレちまったか。俺、誰にも言わないでくれよって言わなかったっけ?価値がない生徒だって決めたら途端に扱いが雑だなぁ」

「口止めまでしていたのか!いや、そもそも何故嘘を吐くんだ!」

「んー?だって、そっちの方が驚くだろ?」

「な、」

 

 絶句した。

 

「いいじゃないか、歌仙。俺がここを出た後のことなんて、箱庭に残る君には関係ないことだ」

 

 にこにこと国永は無邪気に笑っている。ああ、くらりとした。身近な感情、けれどこんな中からふつふつと沸き上がるものは久しく感じていないそれで。

 

「・・・・・・ふざけるな。人の気持ちをなんだと思っているんだ、きみは」

 

 じゃあまたと笑顔で別れて、なのに気づいたときには国永は何処にもいない。そんなの馬鹿みたいではないか。

 低く呟く歌仙に対しても国永は笑顔を崩さない。着ている衣装も相俟って人を赦す神様の様な雰囲気を纏っている。

 それが悔しくて歌仙は奥歯をギリと噛み締めた。

 

「きみがいないと気づいたとき。嘘を吐かれたと知ったとき。僕たちがどんな気持ちになるのか、きみは考えないのかい」

 

 廣光はきっと悲しむ。歌仙だってそうだ。そして光忠は、

 

「光忠が、どれほど傷つくか」

「、」

 

 ぴくりとその名前に反応した。

 

「国永、昨日はなんの日か知ってるかい。その日にチョコ菓子を渡す意味は」

「・・・・・・」

「去年もフォンダンショコラを貰っただろう。日にちを覚えているかい。廣光にも渡した、僕も手伝ったあれらが、たったひとつだけ。最初から最後まで、光忠一人で作られたものがあることを、きみは知っているのかい」

 

 光忠の名前に反応した姿に言葉が飛び出してくる。こんな、光忠の気持ちを抉り出すこと、勝手に押し付けること。してはいけないとわかってはいても。

 

「光忠の思いを溶かして作られたそれを食べていながら、きみは、きみは!」

 

 綺麗に合わされた襟を掴もうと一歩踏み出したのと同時に国永が静かに柔らかな声を出す。

 

「知ってるさ」

「!」

「知ってるさ、歌仙」

 

 老成した微笑みに踏み出した足を引いた。

 

「さりげなくチョコ菓子をねだったのは俺だぜ?忘れたのか?光はな、ああいう風に俺がさりげなく言ったことは必ず叶えてくれるんだ、健気だろ?」

 

 ふふ、と肩を揺らす。しゃりしゃらといつもの国永からはしない鎖音が首元で鳴る。

 

「光はな、大人びて、格好良くて、ちょっと抜けてて、優しくて、可愛くて。俺のこと大好きなんだ。全部、知ってる」

「きみ、」

 

 そのいつもと違うものに気づく。正しくは確信を持った。

 

「きみも、光忠が好きなんだね?」

 

 肯定も否定もない。けれど歌仙はそうなんだと一人頷く。

 バレンタインにチョコ菓子は受け取らない国永がフォンダンショコラを口に運んだのはその菓子の意味を知らなかったわけじゃない。光忠からのものだからだ。光忠以外のものを国永は受け取らなかったのだ。

 

「そうだ、写真もだ。あの写真を大事に隠していたのもそうだ」

 

 国永の学園生活の記録。その中にあった光忠の写真。国永を好きでたまらない光忠の姿を、アルバムの空白ページにひっそり隠していた。

 まるで箱庭の秘密かの様に。

 

「きみも光忠を好きなんだ。そしてきみは光忠の気持ちを知っている。なら、何故言わない?光忠に好きだと。光忠のあの美しいものを何故受け取らない?」

「ははは、君は単純だなぁ」

 

 問い詰める言葉にも国永はひらひら掴み所がなく笑う。本気で取り合ってないのが見て取れた。イライラする。

 

「国永!」

「・・・・・・一度目は相手の為だった」

 

 怒りで名前を呼ぶ声に静かに返ってくる。

 

「風に掻き消されてしまいそうな『好きだよ』の呟きに、もしも俺が喜びのまま抱き締めてしまえば。明日には開く輪廻への道のその先。新しい世界で生まれ変わった時、あの子は俺を探すと思った。せっかく外の世界に出て、新しく生を受けたのに、前世の想い人を探してしまうだろう。限りある一度きりの人生を消費して。それが分かった」

「国永・・・・・・、鶴丸、きみ、覚えていたのに忘れたフリを・・・・・・?」

 

 まさか記憶がないフリまでしていたなんて。愕然とする姿を気にも留めず、国永は白い背中を見せる。その眼差しの先には窓に映る景色があるが、国永はそれよりも遥か過去を見つめていた。そこにいる二人の付喪神の情景を。

 

「自分が今歩んでいる人生の景色も見ずに、通りすぎる多くの人に前世の面影を探し続けてしまうなんて、生まれ変わった意味がないじゃないか。好いている相手にそういう人生を歩んでほしくなかった。だから俺は聞こえなかった振りをしたんだ。素敵な人生を送れよと、笑って言った。あの子は『鶴さんもね』と微笑み返してくれたよ」

 

 察しが良い子だろうと声が複雑に笑う。

 その笑いを閉じると、くるりと白い体が振り返る。

 

「俺は、あの子達と共に箱庭を出なかった。違う時代に生まれればあの子は俺をちゃんと忘れられると思ったから。・・・・・・んで、俺は一人で輪廻を飛び越えて、君達と同じように記憶を得たままで無事転生したってわけだ、結局君達と同じ時代に。黙っていて悪かったな歌仙!」

 

 途中からの唐突な明るい声に輝く表情。きらきらした青々しさを感じさせる姿はいつもの国永だった。いつもの国永になった。急な転換にたじろぐ。

 よっと!と、国永は行儀悪くも教卓の上に腰かける。

 羽織の下は学生服。真正面で向かい合って初めて意識がいった。

 教卓の上には学生の国永と、白い付喪神が混在している。

 

「・・・・・・、きみが鈍感でもなく、想いを無下にしている訳でもないのは分かった。きみにはきみの考えがあるんだろう、記憶がないフリをしていたことを責めるつもりはない。ただ僕は、きみが何も言わずに去っていこうとしていることに腹を立てているんだ。もう、この際前世の事は置いていても良い。今のきみが、光忠を好きで想い合っていると知っているのに去っていこうとする、その納得できる理由を聞かせてほしい」

 

 努めて冷静に言葉を紡いだ。

 鶴丸であった時のことではなく、今の国永の考えが知りたい。

 

「・・・・・・」

 

 国永はすぐには答えず、足を交互に揺らす。

 必要な間があるのだろう。もしかしたら何と言葉にすべきか迷ったのかもしれない。

 交互に二回足を揺らして、止めた。

 

「俺達がもう人間だから」

「人間だから光忠の気持ちを受け入れないと?」

「そして俺達が男同士だから、だよ」

 

 何も知らない子供をあやすように笑われた。だが、感情が瞬間湧き立つのはその態度に出はない。

 

「馬鹿馬鹿しい!想いに性別など関係あるものか!同性を愛する者は人ではないと!?」

 

 信じられない想いで非難した。まさか本気で言っているわけではあるまいな。

 

「そうじゃない。そうじゃないんだ歌仙」

「ではなんだって言うんだい!?」

「君は人間に対して思う所がないんだな。人間は人間を傷つけると言うことを知らないのか」

 

 静かな言葉に、廊下の先の閉じたドアが瞬間よぎる。

 その先にいる筈の主も。

 

「人間は同じ人間を傷つける。悪意を持って。時には自分の価値観を正義と称して。そんなの、人間だけだ。刀で在った頃の俺は、人間とは違う存在だった。だから、人間が何をしても赦せた。自分とは違う物を理解することなんて出来ないからな。そう思えば仕方がないと納得は出来た」

 

 だけどな、と黙り込んだ歌仙に対して言葉を続ける。

 歌仙が聞かせてほしいと言ったのだから、国永は真摯に答えてくれているのだ。

 

「だが俺達、もう刀じゃない。神でもない。この世界に生きている人間だ。俺はただの人間なのに、自分の大事なものと手を取り人生を歩めば、自分達と違うと人間に貶められ、傷つけられる。俺はもうただの人間でしかないから傷つけられれば痛みを感じる」

 

 淡々と、教科書に載っている文章を朗読するように続けていたが、突如深い深い溜め息がひとつ吐き出された。

 

「光の好意を感じる度に、苦痛で仕方がなかった」

 

 苦々しい表情に嘘は見えない。

 

「光の好意は、人間が同じ人間を傷つける理由になる。せっかく人間に生まれたのに、悲しい人生を送ることになる。その先に花びら景色なんてない。俺は、そんなのごめんだ」

 

 心からそう思っていると分かる眼差しで歌仙を見据えた。鶴丸ではなく、今を生きている国永が自分の人生の先を考えてそう告げているのだ。

 

「・・・・・・光忠は卒業を機にきみへの想いを終わらせ、きみと友人でいるつもりだよ」

「・・・・・・そうか」

「それでも、去っていくのかい」

「ああ。光が近くにいることが苦痛だからな」

「そんなにも、」

 

 苦痛なのか。

 前世では、転生後の人生さえも守ってやりたいと想う程好いていた相手なのに。いくら人間になったからと言って、その相手に好かれることは、側に居ることすら耐えがたいと思う程に苦痛なり得るのだろうか。

 もし、本当にそうであれば

 

「僕に言える言葉は何も、ない」

 

 そう言うしかないではないか。

 国永が光忠と共に居ることが苦痛であれば、目の前から去りたいと思うことは国永の権利だ。歌仙が国永に苦痛を強いることは出来ない。光忠が悲しむとしても。

 唇を噛み、拳を握り。その場に立ち尽くして俯く歌仙に、あー。と困った声と頭を掻く音がした。

 

「こういうシリアスが嫌だから黙っていこうとしたんだって。卒業式の日に『またな!』って手を振ってそのままどこかに消えた方がさ、皆驚くけど最終的に『あいつらしい』って笑い話になると思ったんだよ」

 

 国永は、はー!空気と羽織がおっもい!と白い羽織を脱ぎながら教卓を降りた。そして今まで自分が腰かけていた所に過去の象徴である白を置く。

 

「君には感謝してる。勿論、廣と光にも。君達がいてくれたお陰で、俺はこの青春を楽しく過ごせた。たった一度の人生の、一度きりの青春をきらきらしたものにしてくれた。だからな、きらきらなまま青春を終わらせたい。最後に暴露大会だの喧嘩別れだの嫌じゃないか。振り返る箱庭の記憶はいつだって綺麗なままでってな。何、別に死ぬ訳じゃあない!ちょっとふらっと放浪の旅に行くだけさ。驚きは、この三年間で十分蓄えた。後は世界を見て回り、静かに暮らしたい。らしくないが、平穏な人生を送りたい」

 

 そして国永は右手を心臓の位置に持っていき、学生服の上からそこをぎゅっと握った。

 

「その先にこそ俺の花びら景色がある」

 

 それは主が、刀たちの人生の先に願った物だ。

 刀たちが一振り残らず皆幸せな人生を送れるようにと願った思いだ。

 しかし皆が幸福になるなど――

 

 無理だった様だよ、主。

 

 心の中で主に語り掛ける。現代ではなく、まだきらきらとした瞳を持っていた前世の彼女に。

 歌仙は諦めた気持ちで首をゆるゆると振る。

 

「・・・・・・今君から聞いたことを僕が他人に吹聴することはしない。それは約束しよう」

 

 歌仙に出来るのは聞かなかった振りをすること、知らなかったフリをすること。

 

「さっすが歌仙君!」

 

 国永はわざとはしゃいで両手をぱちん!と合わせるの。それを無感情で見てしまう。国永は気にしないが。

 

「んじゃあ気を取り直して劇の話しようぜ!成功させたいしな!」

「悪いが、そんな気分ではないよ」

「まーまー!君も衣装に着替えてみろよ!気分も変わるって!懐かしもうぜ、あの頃をさ!」

 

 国永は歌仙に近づき肩を抱く。そしてそのまま肩をぽんぽんと叩いて宥めてきた。歌仙に前世の記憶があると知られたからかやけに馴れ馴れしい。

 いや、違った。むしろ昔はこんなに仲良くはなかった。今、二人の距離の近さはこの高校生活で築いたものだ。

 前世で在れば、鶴丸はもっと上手く隠していただろう。そもそも歌仙に想いを悟られることもなく、もしかしたらここまで真摯に感情を吐露してくれもしなかったかもしれない。

 しかし、もしここがあの箱庭であれば。歌仙自身はどうしただろうか。

 ふと、そう思いついた時、

 

「こんにちわ」

「光忠・・・・・・」

 

 がらと音がして教室のドアが開いた。そこに現れたのは光忠で距離が近い歌仙たちに少し目を見開く。

 

「あれ、もしかして何か密談中だった?」

「猥談中だ!」

「ち、違うっ!!!閉めなくていい!」

 

 開いたドアをまた閉めようとする光忠に国永が名誉毀損の一言を付け足すので慌てて止める。国永の手を強めに叩き落としつつ。

 国永は気にした様子もなく歌仙から離れて光忠へと近づく。

 

「お帰り光。早かったな!」

「うん、合格発表見て直行したから。先生に報告しに行った職員室から上がってきた所だよ。大学合格してた。廣ちゃんも」

「そっか、そりゃあよかった!おめでとさん」

「ありがとう。国さんはどうだった?って、心配ないか国さんだもんね」

「まあな!」

 

 立ち尽くす歌仙なんて置いてきぼりで二人は楽しげに会話をする。

 国永は実にいつも通りで、ずっと抱えている想いを秘めている様には見えない。想いを聞いた今でも。歌仙はその落差についていけない。

 これでいいのだろうか、本当に。

 光忠は恋を終わらせ、卒業後も友人として国永と接していくつもりだ。国永は光忠のことが好きだったが、今はその想いが苦痛でしかない為、光忠の前から去ろうとしている。

 それを知っているのに知らぬフリでいいのだろうか。

 光忠のことを思えば国永を止めたい。

 国永のことを思えば止めるわけにはいかない。

 どちらも大事な友人で、どちらも幸せになる権利があって。歌仙は二人の為にどうすればいいのか分からない。

 廣光。廣光がここにいればどうしただろう。廣光は光忠と国永の幸せを思っている。その廣光ならば。やはり歌仙と同じ様に口を閉ざすだろうか。背中を押す手を下げてしまうのではないかと自分を疑っている彼は。

 廣光は歌仙にしか光忠の背中を押すことは出来ないと言った。しかしそんなことはないとつくづく痛感する。

 国永の考えに項垂れ、一人だけなにも知らず違う方向を向いている光忠の背中を押すことも出来ない。

 ただ心の中で歯噛みをしているだけだ。

 歌仙は恋をしたことがない。ここまで誰かを想ったことが。そもそもずっと当事者の気持ちがわからないからどうすれば良いかわからないのだ。言ってしまえば舞台下の観客。舞台で展開する話をただ受け入れ、事の顛末がどちらに転ぶか眺めているだけの。

 歌仙の気持ちなんて知らない二人は、衣装である白い羽織を身に付けた国永がくるくるファッションショーをしているのを楽しんでいる。

 

「あっ!そうだ!ごめん、すっかり忘れてた。国さん、先生が国さんに用があるって言ってんだ。生徒会の引き継ぎでわからないことがあるんだって」

「ん?そうか!んじゃあ、ちょっと行ってくるかな!」

「あ、待って。そのままで行ったらダメだよ。せっかく綺麗な衣装なのに汚れてしまう。白は汚れが目立つからね。せめて羽織だけでも脱いでいって」

「りょーかい!」

 

 ぽむ、と手を打つ光忠。光忠が忘れるなんて珍しい。大学合格がよほど嬉しかったのだろうか。少し時間が経ってからの連絡にも国永は咎めず軽やかに教室を出ていこうとする。

 それを光忠が止めるといい返事で羽織を脱ぎ、そのまま教卓の上に置いた。

 

「行ってくるなー」

「はい、いってらっしゃい」

 

 ぱたぱたと走り去る音が遠ざかっていく。

 教室内に沈黙が流れる。今まで明るく話していた光忠が黙り込んだのを、歌仙が視線で伺った。

 国永の近くに立っていた光忠の背中だけが見える。右手を伸ばして、国永が脱いだばかりの羽織に触れた。

 

「演技が上手だね、鶴丸国永さん」

 

 ふわ、と教卓から羽織を取り、歌仙に背を向けたまま腕に抱く。まるで痛みに耐えるように、叫ぶのを抑えるように羽織へそのまま顔を埋めるように。

 

「・・・・・・全部覚えてたんだ」

「光忠、君・・・・・・」

「あの時の告白も、やっぱり聞こえてたんだ」

 

 長い長身を折り曲げてその場に踞る。肩を震わせて、声を震わせて、責めるように悲しんでいる。

 それはただ単にフラれたからだとは見えなかった。

 その姿に確信を持った。

 

「君も覚えていたのかい」

 

 光忠は教室の外から歌仙と鶴丸の会話を聞いていた。それだけじゃない。彼もまた国永と同じ様に全て覚えていたのだ。そしてそれを隠していた。

 歌仙の言葉に踞っている黒い頭が僅かに頷いた。

 

「覚えてたよ。全部覚えてた。物心ついたときには記憶があって、でもずっと黙ってた。廣ちゃんにも、貞ちゃんにも。だって、あの人が好きだったから。でもそれを口に出して、この世界でもあの人を探すなんてことをあの人は望まないって知ってから」

 

 小さな呟きから始まった告白は、歌仙ではなく彼の履いている上履きと、教室の床へと降り注いでいく。

 

「箱庭を出る直前にね、想いを告げたんだ。と言っても『好きだよ』って小さく呟いただけ。風に掻き消されるほどの弱い言葉だった。あの人に聞こえたかどうかなんて分からない。あの人は一瞬止まって『素敵な人生を送れよ』って笑ってた。聞こえなかったにしても、・・・・・・そうじゃなかったとしても、あの人が僕に望むことは新しい世界で自由に生きることなんだって分かった」

 

 廊下や窓の外から聞こえる楽しげな声より小さな声だったが、動くものがいないこの教室では光忠の言葉がよく聞こえた。本人は掻き消される方がいいと思っているかもしれない。

 

「せめてあの人が僕に望んでくれたことに応えたかった。探す気なんてなかったよ。だから、だから本当に偶然、ここで国さんに逢ったんだ。そしたらあの人覚えてない風だった。『素敵な人生を送れよ』って言った優しい笑顔じゃなくて、初めて見る同級生に対しての態度だった。僕てっきり全部忘れているんだと、」

 

 不自然に言葉が切れて、深く息を吐く。その息も震えていて、感情を必死に押し殺そうとしているのが分かる。しかしそれが却って強い感情の揺れを教えた。

 

「何も知らない僕なら、何も知らない同級生を好きになっても許される気がしたんだよ。この世界で初めて国さんを好きになったみたいになれば、あの人の望みを消すことにはならないって。そして何も知らない国さんがもしも僕を好きになってくれたらって、どこかで期待してた」

 

 長く続いていく吐露は誰かの意見を求めている訳ではないのに、自分の行動を今さら誰かに弁明しているようだった。

 

「恥ずかしい」

 

 その誰かが彼の中にはいないので、結局光忠は自分に耐えきれなくなり、一層身をぎゅっと抱え込んだ。白い羽織と共に。

 

「僕が呟いた言葉も、僕がずっとあの人を好きなことも全部知ってたんだ。全部知られて三年間過ごしてた。僕の気持ちなんて受け入れられないのに期待してたことも・・・・・・。大概、おめでたい頭してるよね。だって国さん苦痛だったのに。僕の側に居たくないくらい苦痛だったのに。好きになってもらえたら、なんてさ」

 

 徐々に滲む嗤いは、もうそれしか保つ術がない様だ。白い羽織と自分自身を引き裂きたい衝動を我慢する理性を保つ為の術が。

 

「恥っずかしい!最悪恋を諦めても側に居たいと望んだ人だったのに!ああ、本当に惨めで恥ずかしいよ。国さんも酷いよね、苦痛なら最初に覚えてないフリするんじゃなくてさ、近づくな!って言ってくれれば良かったのに。・・・・・・あーあ。こんなことなら最初から国さんのこと避ければ良かったな。一緒に生徒会するんじゃなかった。こんな三年間を過ごさなければよかった。せっかくの青春が嫌な思い出になっちゃったよ」

 

 国永の言葉の最中に乱入するでもなく、国永を追いかけることもなく。国永の言葉を聞かなかったことにしてこの教室から見送った光忠が繰り返す。その背中が歌仙は悲しかった。だけど、それ以上に、それ以上に非常に腹が立った。

 国永の言葉は歌仙の心を萎ませていくものだったが逆に光忠の言葉は歌仙の怒りをじりじりと炙っていく。

 

「成る程。それがきみの考えな訳だね?」

 

 自分でも信じられらないくらい冷え冷えとした声が出た。

 歌仙がここにいたことも忘れかけていたのだろう小さく丸まった背中がびくりと揺れる。

 

「すごく残念だよ。きみは僕の意見などどうでも良いんだろうけどね」

 

 近づくこともないその冷えた声に光忠が恐る恐る顔をあげ、歌仙を仰ぎ見る。いつもの大人っぽさの欠片もないその姿を、表情を変えないまま見下ろした。

 

「きみの矜持を粉々にした学生生活の一部である、きみがなかったことにしたい三年間の一部を共に過ごしてしまった僕の意見などさ」

 

 あ、と光忠が瞬時に顔を青ざめさせる。そして素早く立ち上がる。

 

「ちが、違うんだ歌仙くん。そういうことじゃなくて、僕、決して君達をなかったことにしたいんじゃなくて。僕は自分が余りにも恥ずかしくて情けないから、」

「いいんだよ。別に。僕は当事者じゃない。そんな僕がきみ達二人の事に口出しする方がおかしいじゃないか。実際僕は何もしなかった。きみが国永を好きだと知っていても黙っていたし、国永の想いを聞いても聞かなかったふりをしようと思っていたくらいだ。僕は舞台下の観客でしかない」

「歌仙くんっ」

 

 光忠が焦った顔で肩を掴んでくる。

 何をしているのだろうか、自分は。ずっと抱えている想いを知られていたにも関わらず受け入れてもらえないのは光忠で、悲しんでいるのも光忠だ。

 その光忠を慰めるならまだしも、消沈している彼の言葉に反応して怒って、こうして困らせてしまっている。それをおかしいと思いながらも、曲がったへそがまっすぐにならないのだ。

 歌仙が今言った通り、三人にとって歌仙は部外者だ。前世で四六時中一緒だった彼らとは別の日常を多く過ごしていたし、今世では同じ学年でもない。

 国永の気まぐれで引っ張り出されただけの部外者。歌仙自身もあくまでそう振る舞っていた。分からないから口も手も出さないようにしていた。

 だから光忠が国永との関係のあり方を後悔し、この学生生活をなかったことにしたいと思っても。その中の一部に歌仙との時間があったとしても、そんなに気にすることではないし、それを不愉快だと思う権利だったないのだ。本来なら。

 

「本当にそんなつもりで言った訳じゃないんだよ。ごめん。そんな顔しないで」

「・・・・・・」

 

 けれど、歌仙は光忠の言葉がショックだった。

 国永に振り回されることがほとんどだったが、皆でそれなりに楽しい時間を過ごした。遊びも勉強も、色んな青春を共に送った。

 彼らは前世での大切な仲間で、同時に今世での大切な友人でもあるのだ。幸せになって欲しいと心から望む心に嘘はない。

 それを光忠に否定された気持ちだった。

 

「・・・・・・きみも国永も、僕から言わせればどちらも馬鹿だよ」

「そうだね」

「廣光だってそうだ。何を怖がっているのか僕には理解出来ない」

「うん」

 

 前世より身長差が縮んだ所から光忠の優しい声が届く。

 この距離が実にしっくりくるのだ。あんなに並んだ厨より、もう馴染むようになってしまった。国永と光忠と廣光と。三人と一緒にいることが。

 前世の大切な仲間。そして今世での大切な友人。たった一度の人生で共に青春を過ごしたかけがえのない友人。

 歌仙は本当に、本当に彼らが好きなのだ。彼らに幸せになって欲しい。

 彼らの幸せを願う気持ちが、光忠に否定されたことで打ち消されるどころか逆にはっきりとした輪郭を持って歌仙の中に現れる。

 それは箱庭にいた時と同じ格好をしていた。

 そしてその歌仙は心の中から、歌仙に問いかける。

 

――ではきみは、彼らがそうで在る為に何をしたんだい。

 

 はっと、目が覚めた感覚がした。しかし心の中の歌仙は口を閉じない。

 

――我が愛すべき仲間たちは手のかかる奴らばかりだと言うことをすっかり忘れてしまったと見えるね。

 

 くつくつと笑うその姿に思い出すのは、本丸が出来てから閉じるまでの日々。何だかんだと毎日事件があり、初期刀である自分は奔走させられた。「こんなの風流じゃない!」「僕は文系なのに!」と文句を言いながらも、手を焼いて時には御節介も焼いて。その日々を繰り返し、いつしか“そんな自分”が自分らしい自分になっていったのだ。あの本丸の歌仙兼定として。

 

――風流も雅も自由な心から生まれるものさ。不自由に囚われ自分らしくいられないというのは実に雅ではない。きみは、雅でないものを許せるかい?

 

 歌仙からの問いかけに、許せない。とはっきり答えた、心の中で。過去の自分は漸く満足そうに頷いて、

 

――ならばどうすればいいか分かるね。

 

 と時に迷った仲間たちに見せたような微笑みを、輪廻を越えた自分自身に見せた。

 

「歌仙くん?」

 

 急に黙り込んだ歌仙に光忠が不安を隠さず名前を呼んだ。

 今まで散々知らんふりで、今更逆切れする歌仙に怒ってもいいのに、本当に光忠は優しい。

 申し訳ない気持ちで、再び口を開いた。責める様にではなく、今度はゆっくりと。

 

「・・・・・・でも、一番の大馬鹿者は僕だ」

「歌仙くん・・・・・・」

「君がこうして苦しむ姿を見るまで、当事者じゃない自分が口を挟むことではないと心の中で一人やきもきしてるだけだった。自分の意志を押し付けてはいけないと、ただ見ているだけだった。そんなのただ言い訳してるだけだ」

 

 光忠の片想いも、主が引きこもっていることも。自分が手を出さなくてもいつか事態がいい方向に収束するだろうと、どこかで思っていたのかもしれない。もしくは主に、今世ではなんの関係もない!と拒絶されたことをずっと引きずっていたのだろう。

 どちらにしても歌仙が何もしなかったことに変わりはないが。

 

「前世じゃずっと一緒に暮らしてたっていうのにね。今世じゃいきなり他人事みたいに。そりゃあ君も相談出来ないし、主も扉を開けてくれる筈がない」

「ある、じ?」

「僕はね、きみの片恋を聞くのが好きだったんだ。昔から応援してた。それは今もだよ」

 

 突然飛び出した主への戸惑いは一旦置いておき、未だ歌仙の肩を掴んでいるその手に自分の手を触れさせた。

 すると今は揃っている二つの瞳が光に大きく揺れる。

 

「この二年間のきみの片恋も見てきたよ。きみは、本当にずっと国永だけが好きだったね。僕はその気持ちの強さと美しさを誰よりも知っている。国永より、きみより」

「かせ、ん、くん・・・・・・」

「それが受け入れられないのは辛いね。悲しいだろう。泣きたいなら泣いてもいい。・・・・・・けれど、きみはこのまま自分一人でその気持ちを消してしまえるのかい?」

 

 ぐっ、と光忠の顔が歪む。辛そうに、泣き出しそうに。

 

「たった一言呟いただけで、好きになってくれないかと期待しただけで、ただずっと持っていただけで。きみの想いが苦痛だったと直接も言われてないのに、その大切な気持ちを諦められるかい」

「・・・・・・諦められない」

 

 首が振られることでその黒髪がさらさらと乱れるが、瞳に張られていた膜の水が落ちることはなかった。

 

「あの人が、国さんが好きなんだ。ずっとずっと好きなんだよ。終わらせるなんて強がってみたけど、あの人を好きじゃない自分なんて想像出来ない。だけど僕の気持ちはあの人に受け取って貰えないから行き場所がなくて、せめてもう二度と離れたくなくて、・・・・・・でも本当はもう、どうすればいいか、分からなかったんだ」

 

 いつも立ち居振舞いに気を配る光忠が帰り道を失った幼子の様に不安げに俯いている。その姿に心が痛んだ。光忠はずっと悩んでいたのだ。

 国永と縁が深いからこそ廣光や弟の貞宗にも相談出来ずに。

「きみが気持ちの行方を分からなくしたのは、自分を恥じているのはね、きみがきみらしくないことをしているからだよ」

「僕、らしく?」

「そうさ。今のきみはきみらしくない。自分でも分かるかい?」

 歌仙が昔より小さい両肩を掴んで諭すとしばらく迷った頭は観念したように縦に深く落ちた。

「諦められないと言った気持ちこそきみの本音なら、もうやることは決まっているだろう?」

「でも・・・・・・」

 光忠は言い出しにくい不始末を申告する様に言い澱む。それもまた子供の様だった。

 実際子供なのだ。刀として存在していた時間からすれば、瞬きほどの時間しか生きていない今の自分達は。

 魂も記憶も前世から受け継がれていると言っても、この世界ではただの人間の子供でしかない。

「あの人、頑固だからこのまま僕が何も考えないでぶつかってもひらひらかわして聞き入れてくれない。結局、僕の前から消えてしまう」

「なら、やっぱりこのまま何も知らないフリをして卒業するかい?ぶつかりもせずに」

 光忠の出した答えに落胆を隠しもせずに念を押した。これでうんと答えたら頬を殴って目を覚まさせるしかない。あるいは学内の武道館に行き木刀でも借りてこようか。

 光忠は歌仙の構想に強く首を横に振る。正確には歌仙の念を押した言葉に。

「あの人、本当はねすごく寂しがりやなんだよ。独りが好きそうでしょ?違うんだ。あの人が愛するのは自由であって独りじゃない。なのに、このままだと国さん独りで生きていくつもりなんだよ」

 ぐっと下唇を噛んだ。まだ来てもいない未来を光忠は後悔している。

「僕がそうさせてしまう。あの人に君や廣ちゃんとも縁を切らせることになってしまう。僕、僕が独りで苦しむなら我慢できる。だけど、他の人が、あの人が苦しむのは我慢ならないんだ。僕がこの世界で国さんを独りにしてしまう訳にはいかない。例え僕とあの人の縁が断ち切れたとしても。ううん、そうなるくらいならむしろきちんと拒絶してもらった方がいいんだ」

 

 言いきった声は空き教室に凛と響いた。

 待ち望んでいた声色なのに、思わず目を見開く歌仙を上がった瞳が見つめてくる。恥も恐れも迷いもなく。

 

「・・・・・・みっともない所を見せてしまってごめん、歌仙くん。そして厚かましいけどお願いが、あるんだ」

「・・・・・・きみの死にゆく恋を形作る菓子作り以外なら、聞こう」

「あの人を罠に嵌めたいんだ」

「ほぉ?」

 

 見つめると光忠は笑った。国永が隠し持っていたあの写真と同じ表情で。国永が好きで好きでたまらない、その顔で。

 

「ひらひらと逃げられない落とし穴を作って、そこにあの人を落とし込む。ぶつかるのはそれから。それを作るのに協力してくれないかな」

「ふふっ、成る程ねぇ」

 

 光忠の笑顔につられる形で笑ってしまった。友人が笑っていてつまらない気分になる筈がない。

 彼がようやく自分らしさを取り戻しつつあるなら尚更だ。

 

「もちろん協力するさ」

「ありがとう」

 

 ホッと安心の微笑みは、それにしては固いものだ。

 

「決めたはいいんだけど、どうしよう。あの人危険察知能力高いからなぁ。無理矢理捕まえようとしても絶対勘づかれそう」

「驚かせるのは国永の専売特許だからね」

「国さんの家知ってるから、今日先に行って部屋で待ち構えてみようかな」

「国永が本気で向き合うかな、家族がいる家で。状況選びは慎重にした方が良い。失敗すれば卒業式を待たずして国永は姿を消すと思うよ」

「だよねぇ。あんなに楽しみにしてる劇とかも全部放り投げていっちゃうもん絶対。そういう所あるんだよねぇ」

「・・・・・・劇」

 

 ぴんと思い付く。昨日の出来事。今、歌仙が持っている鞄に入っている物。

 

「そうだよ。あるじゃないか、おあつらえ向きの舞台が」

「え?」

「光忠、これだ」

 

 鞄の中を探り、光忠にそれを差し出す。

 

「何だいこれ?・・・・・・脚本?これがどうしたの?」

「中を見てみればいい」

 

 歌仙の言葉に従って、光忠がページを捲っていく。途中で手が止まった。

 

「歌仙くん、これ・・・・・・」

「とある人物から預かったものだよ。光忠、その意味がわかるかい?」

「うん・・・・・・わかる。わかるよ」

 

 光忠が脚本を持つ手を声と共に震わせる。光忠が見ているページは、昨日歌仙が手を止めたページと同じ所だろう。

 審神者の部屋に鶴丸と大倶利伽羅がやって来るシーン。その次のページ。そこから先。そこから先のページは空白のページが続くだけだ。

 一言「真っ白な未来に最高の驚きを」と書かれているだけで。

 光忠はその筆跡が誰のものかすぐに見抜いたようだ。

 

「さぁ、光忠。大舞台の始まりだよ」

 

 前世のものか、今世のものか。脚本を抱きしめて半身の名前を囁いていた光忠が顔を上げる。

 

「人生、予想しうる出来事ばかりじゃないって教えてやらねばね」

 

 力強く頷く友人に頼もしさを感じて歌仙も頷き返す。

 その後今まで偉そうにしてた手前ばつの悪さが拭えないまま切り出した。

 

「・・・・・・それと、便乗させてもらう形で悪いけど、僕も舞台に上げたい人がいるんだ。その相談もさせてもらってもいいかな」

 

 目をぱちくりとさせる光忠に、歌仙は全てを話始めた。

 高校の入学式の後の事から、今日までのことを。

 

 

 

 光忠に全てを話し、学校を出る頃には夕方になっていた。それはこの衣装に着替えていたせいもあるだろう。

 人の目が気にならないと言えば嘘になる。この華美な服装も現代社会ではどうしたって異質さが先に目につく。しかし、堂々としていればいいのだ。間違い等なにひとつない顔でいれば世間は簡単に騙されてくれるのだから。

 ふわりと外套を風に靡かせる。肌を覗かせている鎖骨が寒い。この衣装は露出が多い訳ではないが、寒さに強い訳ではない。きっと牡丹をつけていたら寒さに萎れていたかもしれないと、何もついていない胸元を擦った。

 インターホンを押す。機械を通して応えたのは本人ではなくやはり主の今世の母親だ。歌仙が名を告げると、「また来てくれたのね。ありがとう。今開けるわ」と母親の柔らかな返事があった。

 玄関までやってきた母親は歌仙を見るなり驚きに目を見開いたが、何か言う前に歌仙が切り出す。

 

「話があって来たんです。上がってもいいでしょうか?」

 

 母親は我が子の唯一の友人だと思っている歌仙を拒否することも出来ず、どうぞ。と招き入れてくれた。

 了承を得た家に上がる。直接二階に上がり、声も掛けずに部屋のドアの前に立つ。鍵がついているドアだ。けれど、実際はあの再会の日以降一度も鍵が掛かっていないことは知っていた。

 歌仙はずっとこのドアが内側から開くのを待っていたのだ。待っていただけだった。

 しかしそれだけではダメな時もある。失礼で不躾だとわかっていたが、ドアを大きく開けた。

 まだ夕方だというのに、部屋の中の布団が盛り上がっている。母親の話だと、暇さえあれば眠っているらしい。そうでない時はパソコンに向かって何かを書いていると言う。歌仙はそれが付喪神の話だと言うことを知っている。

 ずっと夢を見ているのだ。箱庭の夢を、寝ても、覚めても。

 そうしてこの世界の隅っこに閉じ籠り、今を拒絶し、前世に想いを馳せている。それはこの世界に深く傷つけられたならば仕方がない話なのかもしれない。

 歌仙はそう思っていた。

 しかし、廣光はそうではないと言った。

 

『自分を見つけないでほしいという気持ちと、自分を見つけてほしいという気持ちの矛盾が形になったものだ』

 

 あの言葉の意味が今なら分かる気がする。だからこそこの部屋の鍵はかかっていないのだろう。それに気づいてあげるのが遅くなってしまった。

 だがもう、目を覚ます時だ。そして、この寝坊助を起こすのはいつも歌仙の役割。

 すっと息を吸って、布団の端を握る。それを思いっきり引くと共に、一喝。

 

「いつまで寝てるんだい!!!!」

「うぇあ!?」

 

 布団を剥がされた人物が奇声を上げ、身を起こす。突然のことに何事かと首をきょろきょろ振り、自分の部屋で仁王立ちしている歌仙にぴたりと視線を止めた。

 

「か、歌仙ちゃん!?」

「そうだよ」

「あれここ本、丸・・・・・・?でも、違う?な、何その格好?何で、あれ、寝ぼけてる?」

「そのようだね」

 

 ベッドの上に座り込んでいる人と視線に合わせる為、床に膝をついた。未だ見開いている視線を真正面から受け止める。ああ、この人は今こんな顔をしていたのかと、数年ぶりに見れた現世の主に胸に込み上げる物があった。

それを面には出さないで静かに話しかける。

 

「ここは本丸ではない。僕も人間だよ。ここは君の世界だ」

「・・・・・・そっか」

 

 寝起きの低い声は諦めの笑いを溢した。

 

「主」

「・・・・・・矛盾してるよ歌仙ちゃん。あなたはもう人間なんでしょう。ただの学生に主なんていないの。私は主じゃないんだよ」

「僕の友人を、愛する仲間を。助ける手伝いをしてくれないかい」

 

 主の言葉には答えないで頼み事を伝える。主は口をぽかんと開いた。しかし瞳が揺らいでいる。歌仙の友人、仲間。それが前世の縁だと理由もなく察したのかもしれない。

 

「君が書いた話を元に劇をすることになった話はしたね。その舞台に君も立ってほしいんだ」

「な、何言って」

「光忠と国永の為に。お願いだ、主」

「私、・・・・・・私、関係ないもん。もう他人だもん。知らない」

「主」

「やだもん!!!こんなの、見せたくない!こんな惨めな姿見せたくないよ!!」

 

 ベッドの上にある布団を頭からかぶりまた独りの世界へと閉じ籠ってしまう。

 

「それだけが本心ではないだろう、主」

 

 幼い頃、親と引き離され審神者に据えられ、そこから歌仙と主はずっと一緒だった。拗ねた主を宥めるのもいつも歌仙の仕事だった。閉じ籠られるくらいでは動じない。

 

「そうであるなら、君があの物語を書き続ける筈も、僕たちが出会っている筈もない。だろう?」

「っ・・・・・・」

 

 独りの世界が、外からの干渉にぶるりと震えた。

 

「だって歌仙ちゃん、だって、だって、みんなと私逢ったら、私、こんなに惨めで。皆私を嫌うかもしれない。ううん、そうじゃなくて、皆優しいから、こんな私の事も主って慕ってくる。私も皆もただの人間で、もう前世に囚われちゃいけないのに。歌仙ちゃんだって現に私を主って、」

「それについては本当にすまなかったね。だからこそ、君には舞台に立ってほしいんだよ」

 

 主、姿を見せなさい。いくら優しい声をだしても臣下とは思えない言葉を告げた。臣下であり同時に親代わりでもある歌仙に主は逆らえない。それは今世でもやはり同じで、おずおずと主が姿を現せた。

 その手を取って両手で握った。

 

「きみがなるべく僕達を避けようとしたのに、それでも僕ときみが出会ったのは、きみが僕達に会いたいと心から強く想っていたからだよ。そして最初に僕が君を見つけたのはきみが無意識に僕を選んだから。僕はそれを誉れとしていた。だから、誰にもきみのことを話さず、ただ見守っていこうと思っていた」

「ち、違う、違うもん。私、皆になんて会いたくなかった。歌仙ちゃんにだって会いたくなんて、」

「そうだね。きみが本当にそう思っているなら。この事実を否とするなら、今からでも遅くはない。僕もきみから自由になればいいだけの話さ。きみの無意識を断ち切ってね」

 

 ビクッと、両手の中の手が反応する。ここまで言えば主は舞台に上がることを断れない。確信してるのにだめ押しをする。

 

「この舞台を最後に、前世を引きずるのはやめにしよう。皆未来へと羽ばたかなければ」

 

 歌仙が自分の服装を見下ろして、同じ視線を辿る怯えた瞳を最後に見つめた。

 

「きみと僕のこの関係もそれまで。僕をきみから自由にする為にも、どうか僕に協力しておくれ」

 

 

 

 わかった。わかったから今日は帰って。と布団に潜り込んだ人がいる部屋を、家の外から見上げてため息を吐いた。傷つけたかもしれないことに、落ち込んではいられない。これは光忠と国永。歌仙と主。誰にとっても必要なことだ。

 

「それを今まで避けて、あの子が独りで閉じ込こもるのを良しとしていたのは僕じゃないか」

 

 自分を叱咤して、懐を探る。

 この格好には似合わないスマホ。電話帳から、小夜の自宅を呼び出す。夕方、何時もであれば誰かしらいるはずだ。そう考えていた所で「はい、もしもし?」と声がした。小夜の兄、宗三の声だ。

 

「もしもし、宗三。僕だ、歌仙だよ」

「ああ、貴方でしたか。珍しいですね、電話をしてくるだなんて。お小夜なら今、」

「いや、お小夜じゃない。君に話があるんだ」

 

 小夜を呼ぼうとする気配に待ったをかける。

 

「後で、うちの和泉を連れて家に行ってもいいかい」

「いいですけど・・・・・・、何が狙いです?」

「狙いとはひどい。幼馴染みの家に行くのに理由はいらないだろう?ただ、そうだね、君は顔が広いよね」

 

 一度言葉を切ると、電話の向こうで宗三が「勿体ぶるのはやめてください」とため息を混ぜて返してくる。

 

「今から何人か、集めてもらえるかな。出来れば繋がりが多そうな者がいい。僕たちも連絡先を知らない様な者にも声を掛けられるような」

「歌仙?貴方、色々重要そうな説明がごっそり抜けているの気づいてるんですか?文系が聞いて呆れますよ」

「僕は文系でもあるが感性が飛び抜けすぎていてね、他者と上手く交われないことが多々あるのさ」

「理屈だけは上手ですね。・・・・・・集めるのは別に構いませんが、ひとつだけ。僕の知り合いを集めるその目的はなんでしょう?」

 

 下らない目的ならこのまま何事もなかったかのように電話を切りそうな雰囲気に、胸を張る。冬の風が鎖骨に吹き抜けるが背中を曲げることなんてしない。

 

「僕の、親愛なる箱庭の。仲間達の幸福なる日々のためさ」

 

 堂々と言ってやった言葉に、フッと楽しそうな吐息が一つ。

 

「いいでしょう、十分な理由です。二時間後にうちに来なさい。社会人も居ますからね、集合にも時間がかかるんですよ」

「ありがとう、宗三!」

「いいえ、まぁ、貴方の号令なら集まざるを得ませんからね」

 

 それではまた後で、と電話は切れた。久々に聞く宗三の楽しげな声に吊られて歌仙も笑って電話を切った。

 そして、さっきは暗い気持ちで見上げていた部屋を再度見上げる。

 

「前世ではなく、今を生きていく為に前世の縁を集めるのは確かに矛盾しているかもしれないね。けれど、全て積み重なって僕達はここにいるのさ。今を変えるなら過去へとその方法を探しにいかなければ。もちろん時間遡行以外の方法でね」

 

 過去は尊く、手を伸ばしても届かない。だから心の中にしまって、今を耐えていこうする。

 けれどそれで本当にいいのだろうか。せっかく今、こうして生きているのに。

 

「自分らしくいられない世界なんて雅ではないよ。だから僕達が雅な世界へと変えて見せよう」

 

 その世界に広がる風景こそ花びら景色であるはずだから。

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