ざく、ざくと桜の木の下を掘る。
鶴丸はそれを横で見つめている。きっと掘られているのは自分が入るための穴だろうとわかってはいた、恐ろしかったが逃げようとは思えない。
目の前の人物を愛しているから。
シャベルが置かれる、穴が完成したようだ。
目の前の人物が鶴丸を穴へと誘う。
暗い闇の中、満開の桜からひらひらと花弁が降り注ぐ。
土の匂い、桜の匂い、静かな夜に聞こえてくる桜の降る音。
桜の木の下のそれは今日も鶴丸を待っている。
ふぅーっと上に吐き出した煙。生きた死体である鶴丸から生み出されたそれは、火葬場の煙突から上がる物と等しい。死んだ心をタバコの高温で焼きながら、鶴丸は目を開けた。灰色の煙が立ち上る、その向こうに春を彩る少々遅咲きの薄紅色が広がっている。
「退屈だ・・・・・・」
白と黄色の蝶が躍り、春告げの鳥が歌っている。鶴丸の耳に聞こえる声の波も、絶えず笑いを含んでいるようだ。みんな春を喜んでいる。鶴丸を除いては。
「た、い、く、つ、だー」
「一度言われればわかります」
鶴丸の嘆きは、友人にとって手元のスマホよりも興味を抱かないものだったらしく、視線を鶴丸に向けないまま一蹴される。
キャンパスの一角にあるオープンテラスで、席を共にしている友人に対してはあまりな態度だ。しかし、目の前の彼が極度のブラコンであり、今まさにその弟達と連絡をとっている真っ最中と知っている鶴丸は、彼のその態度は当然なものと理解している。
だが、暇なものは暇である。それはもう退屈で、既に死んでる心がもう一度死んでしまう程に。
「いちごー、逆ゾンビになってしまうー」
「腐敗臭がしないだけ評価出来ますな。かといって、タバコの臭いを撒き散らせば、私にとって腐敗臭を漂わせているのと変わりありませんが」
タバコの臭いを纏わせたまま、弟達を抱き締めたくはありませんなぁ。と、発言をしながらスマホを操作していく。その真剣さを、彼を王子だとはしゃぐ女子達が見れば、ほぅ、とときめきの欠片を吐くのだろう。中身はブラコンでしかないのに。
暗にタバコを消せと注意された鶴丸は、少し倒していた上半身と首を起こし、胸ポケットの携帯灰皿を取り出してタバコを押し付ける。そして椅子に対して横向きに座っていた為、友人に横顔を見せたままテーブルに頬をつく。
「毎日毎日退屈だと駄々を捏ねるくらいならば、たまには飲み会なり合コンなり行けばよろしいのでは。貴方であれば引く手数多でしょうに」
鶴丸の素直な行動に、水色の髪の友人は少しだけ構ってやろうという気になったらしい。相変わらず視線は寄越さないが話題を提供してくれるようになった。
「行ってもなぁ。話題は大体、酒かギャンブルかセックスのことばかり。そうじゃなきゃ、やれ講義が面倒くさいだの、就活がだるいだの。誰と話しても全部同じだ。つまらん」
みんなが同じように同じことを口にする。違いと言えば出てくる男女や教授や企業名くらいのものだ。金太郎飴を、一粒一粒拾い上げて微妙な違いを楽しむような趣味はないので、飲み会や合コンに行っても退屈極まりない。
そんな時間を過ごすよりも、退屈だなんだと嘆きながら、タバコで心をじわじわと焼いていく方がよっぽどましだ。こうして時に構ってくれる友人もいるわけだし。
「そんな話題よりきみの弟達の話が好きだな、俺は。ほどよい驚きもあるし、何より可愛い。一人くらいほしい」
「ご冗談も程々にして頂きたい。うちの弟達は誰一人としてやりませんよ。それとも遠回しのプロポーズですかな?」
「はっはっは!! 弟欲しさにきみと結婚か! そりゃあみんな驚くだろうな!」
そんな気もないのに、さらりとふざける友人が面白くて笑い声を上げてしまう。これだから、多少構われなくてもついつい一緒にいてしまうのだ。
楽しげな鶴丸に対しても然程興味を示さない友人は、相変わらずスマホの文字を追っていて、時折驚くほど優しく甘く目を細める。それを、女性に向ければどんな相手であろうとも落ちない訳がないのにもったいない。そんな思いなど届くはずのない友人は、話題を元に戻す。
「貴方すらも虜にしてしまううちの天使達はさておき、貴方が興味を持つ話題とは何なのか興味はあります」
「そりゃあ、きみ、決まっているだろう。虹の真下に辿り着く方法、象を飲み込んだうわばみの描き方、そういう話がしたい」
「貴方はいつまでたっても子供のようですな。私はそういう所、好きですけれど」
ようやく顔をあげた友人は、優しくにこりと微笑んだ。弟達に向けるものよりも大分控えめだったが、鶴丸を好ましいと思っているのには違いないと思わせるような笑顔だった。
頭がお花畑だとも取れる今の鶴丸の発言を、飲み会や合コンで会う他の誰に聞かせたとしても、意味不明だと鼻で笑われるか、距離を取られるに決まっている。だが、目の前の、頭の中のほとんどが弟達で埋め尽くされた友人は、その鶴丸を好きだと言ってくれる。恐らく、子供のようなことをいう鶴丸を見て弟達を思い出すからに違いない。そう考えれば友人が好きなのは弟達ではなくて、幼い心なのかもしれない。ブラコンというよりショタコンか、などとからかってしまえば、「私が愛しているのは弟達だけです!」と機嫌を損ねて一か月は構ってくれなくなるので別の言葉にすり替える。
「やったな、いちご。両想いだ」
「やりましたなー、しかしプロポーズはお断りさせて頂く。弟達は私だけの弟達です」
「いやはや、残念無念。だけど俺はきみと両想いとわかっただけで満足だ。さてと、幸せな気持ちにもなれたし、そろそろ行くか」
両足を少し上げ、軽く勢いをつけて椅子から立ち上がる。靴の踵がかつんと鳴った。その音が合図かのように、再びスマホに熱中していた友人が、ゆるりと顔を上げる。
「ああ、もうそんな時間ですか。私も行かなくては。鶴丸殿、次の講義は、何ですか?」
スマホを大事そうに胸ポケットにしまい、弟達から離れた友人は鶴丸を真っ直ぐ見つめる。本当に弟が絡まなければ、真面目な好青年なのだ。鶴丸にとっては眩しいくらいに。だが、ブラコンな所が欠点、という訳ではないが、ちょっぴりおかしい、よく言えば強い個性があるからこそ鶴丸はこの友人が好きなのである。
「日本史! 今期は絶賛戦国武将キャンペーン中、だそうだ!」
「お、よろしいですな。次の講義がなければ紛れ込んでご一緒したかったのですが、残念です」
友人が荷物を纏めて席を立ち、鶴丸に並ぶ。身長が同じ二人は目線も同じ。つまり見える景色も同じ二人が同時に、先程まで二人が座っていた席の近くに生えている桜の木を見上げた。満開の時期は過ぎても桜の花びらを降らす程度には咲いている薄紅の木が、二人を見下ろす。今年は遅咲きのようで、散りきるのはもう少しかかりそうだ。
「美しい。春は出会いの季節、その言葉が生まれたのはこの桜の美しさがあるからこそ、でしょうな」
「なぁ、いちご。きみ、桜は攫われてしまう派か? それとも死体が埋まっている派か?」
「断然、死体派ですな。でなければ、うちの弟達が桜に攫われてしまいます」
何の脈絡もなさそうな鶴丸の言葉にたいして疑問を抱かず、むしろぐっと拳を握って力説する友人に笑ってしまう。春は好きではないが、友人の水色と風に舞う薄紅とのコントラストは美しく、少し気分が浮上した。友人の真似をして鶴丸も拳を握り、開く。手の中には薄紅色した桜の花びらが一枚。
「俺も断然死体派だ」
白い自分が埋まれば、桜の花びらも白くなるのだろうか。血を吸って薄紅に染まった花びらを、ふっと息を吐いて掌から追い出した。
広いが古い講義室の窓際へと座る。いつもであれば大体後ろの辺りに座るのだが、今日は真ん中ぐらいの席にした。ぽかぽか陽気がとても暖かい。
「つるっち、やっほー」
「おはこんにちわー、つるちゃーん」
教授が来るまでと、頬杖をついて目を瞑る鶴丸に、講義室には似合わない甘い声が響く。その音の中に自分のことであろう呼称が混じっていれば、さすがに無視することも出来ず、鶴丸は目を開けた。
「あー、きみたちか、おはようさん。いや、こんにちわ、か。」
「ねむそーだね、つるっち。どしたどしたぁ、昨日は女とハッスルハッスルってか!」
「あんた言い方がほんと親父! つるちゃん、ごめんね。この子無視していいから」
声をかけてきた人物に対して興味も持てなかったので眠たさを隠しもせず答えれば、開口一番下ネタである。そういう年頃とは言え、辟易してしまう。服装で人を判断するわけではないが、およそ講義を受けるのには相応しくないだろう格好のまま、ここに来ている時点で、まぁお察し、ではあるが。
比較的まともそうな子が、親父な子の頭をぱしりと叩いて、鶴丸に頭を下げる。中々よいコンビではあるみたいだが、そこまで興味も惹かれなかった。初めて顔を合わせてから二年程たつが、名前もぼんやりとしか覚えていない。高校と違い四六時中同じクラスにいる、という訳ではないのだから仕方がないと心の中で言い訳をしておく。
出来れば遠くに座ってくれという鶴丸の願いも虚しく、コンビは鶴丸の後ろの席に座った。ちょっかいを出されたり、話しかけられれば振り向かないといけない分、隣に座られるより質が悪い。案の定、谷間が強調されることも構わずに、親父の子が机に身を乗り出して、鶴丸の髪を弄り始める。
「つるっち、マジ髪白いよね。ヤバイ、染めてんの?」
二年前はこれほど派手で、おつむが足らなそうな感じではなかった気がする。そこそこに偏差値の良い大学に入っているのだ。頭も悪くないだろうに。大学に入ったという安堵感と、それなりに名のある大学の女子学生というステータスに群がる輩が、彼女をこんな風に変えてしまったのであれば非常に嘆かわしいことだ。
「地毛だぜー、これは。幼い頃、母親に桜の木の下に埋められそうになってから白髪しか生えなくなったのさ」
「マジかー。マリーみたいじゃん。アントワネット!」
「ふふ、つるちゃんって本当面白い。よく咄嗟にそんなこと思いつくねぇ」
元から色素の薄い髪ではあったが、ここまで見事な白に染め上がったのは鶴丸が先程言った言葉通りだ。その事実を明るく言えば、勝手に冗談だと判断され、鶴丸は面白い人間だというステッカーを貼られる。
コンビの笑いに釣られるように鶴丸もはははと笑い声を上げた。同じ笑いでも友人と共に居た時の物より大分乾いている。それに気づかないコンビは満足したようで、興味を鶴丸から講義室の入り口へと移した。
「来た来た、眼帯くんだー」
「今日も黒いねぇ」
少しだけ声を落として笑い合う。眼帯という言葉に反応して、鶴丸も入り口へと視線をやる。声に出さず、眼帯の君だ、と呟いた。眼帯くん、という子供っぽいあだ名よりよほど似合うと思う。
眼帯の君。言葉通りいつも医療用の眼帯を右目につけている、一年だ。先日入学したての。この講義も二回目、鶴丸が見かけるのも二回目だ。だというのに鶴丸は彼の顔を覚えている。後ろのコンビも同じくだ。何故なら彼は目立つ。
入り口から歩いてくる姿を見れば誰もが納得するだろう。すらりとした長身、そして顔。表情が乏しいその顔は、ひんやりしたと冷たさを感じさせる美しさだ。医療用の眼帯が右目を隠しているのが非常に惜しいが、それでようやく直視できるくらいのバランスを保たせている。まともそうな子が言う通り全身が黒い色の服で、髪も紺を濃くしたような黒、だからとても黒い!という印象を与える。相対的に肌の色がとても白く映えて、彼の造り物めいた美しさに拍車をかけている。
眼帯の君が、最前列のど真ん中に座る。近くに席をとっていた、真面目そうな男女が、うっとりと見とれてため息をつくのが見えた。それほどの美しさ。それだけならば鶴丸もさして興味は持たない。美しい男など意外と居るものだ。その筆頭である友人の姿を思い浮かべる。しかし、人は何かしらの欠点を持っている。
友人は極度の弟狂い、そして眼帯の君は――
「名前なんだっけ。なんか名字がすんごい読み辛かった気がする。まぁ、いいや。話しかけてきなよ。あんたのだぁい好きな眼帯君だよぉ。ほれ、胸元あけて、色仕掛け!」
「ちょ、やめてよ! そういうんじゃないって言うのにー。それに話しかけたって、彼、声が出ないんだから困らせちゃうだけだよ」
「確かにえっちの時、無言で突っ込んでくる男はちょっとねぇ。あんま五月蝿くてもやだけどさぁ」
「今、昼! おばか!」
鶴丸の後ろでぎゃーぎゃーとコンビが騒ぎ始めるが、それには目もくれず鶴丸は眼帯の君を見続ける。
そう、眼帯の君は声が出ない、らしい。これほど美しい彼がいつも一人でいるのも、二回目にして鶴丸が彼を認識しているのもそれが理由だ。全身が黒い服の男などそこまで珍しくもない、眼帯をつけている男もまぁ、いるだろう。しかし声が出ない美しい男など、中々にいるものではない。お陰で彼はちょっとした有名人、とまではいかなくても話題人ではある。日々キャンパス内で、心を焼いているだけの鶴丸の耳に、彼の情報が入ってくるくらいには。
彼と中学、もしくは高校が同じだったという奴が何人か居て、そいつらから彼の情報が漏れているようだ。彼らの話では、彼は昔事故だか火事だかで両親と右目を失い、その時のショックから声が出なくなってしまったのだ、とかなんとか。事実かどうかはわからない。でも、彼の服装を見ればそうかもなぁと納得する。
全身の黒い服は、喪に服しているからなのだろうと、思うからだ。鶴丸が何となく、死に装束と同じ色の白を選んで着ているように。
席についてノートを広げる彼をに視線をやる。遠い、左斜め後ろからでは彼の表情は見えない。しかし彼は今日も表情を消しているのだろうとわかる。
――可哀想な奴と言うのは大抵可哀想な顔をしている。
心の中で呟いた。
「つるっち、なんか言った?」
「いーや?」
勘が良いのか、親父な子が鶴丸に話しかけてくる。鶴丸は眼帯の君を見ていた時の表情を消して、笑顔を貼り付けた。
――笑い話にしてしまえばいいのに。
笑顔をより一層強めて再度心の中で呟いた。やはり勘のいい親父な子が、手を伸ばし鶴丸の髪をぐしゃぐしゃに掻き乱す。
「よー、どうしたマリーちゃん。お高く気取って、高みの見物かー? 母ちゃん悲しくって、また桜の木の下に埋めたくなっちゃうわぁ!」
「あはは、止めてあげなよ! つるちゃん、ぐしゃぐしゃだよ」
ぐしゃぐしゃになった鶴丸も笑う。笑い話にしてしまえばいい。みんなが笑えば、本当にどうってことのないことに思えてくるのだから。冗談にしかならない、下らない笑い話。
――そうなれば、人生楽しく暮らせるようになるだろうさ。眼帯の君。
自分のことは棚に上げて、ちらりと可哀想な者を見るような視線を、黒い彼に送る。かといって、彼に話しかけようとは思わなかった。
鶴丸にとっては人形のような可哀想な彼より、早く桜が散ることの方が重要なのだ。