演練場の隅で、ため息を吐きそうになるのを飲み込んだ。
「まったく、鶴さんったら」
同じ部隊として共に来ていた鶴さんは、気の合う鶴丸国永に声を掛けられて何処かに行ってしまった。僕に、そこを動くなよ、誰に声を掛けられてもついて行くなよと言い含めて。僕が目を真っ赤にして交流遠征の終了を報告してから鶴さんはそれまで以上に輪をかけて過保護だ。タイミングも悪かった、家族が消えた直後だったし。あれから数年と経つけどその過保護ブームは中々去らない。と、言ってもこうしておいてけぼりにするくらいのものだけど。
「あれは、驚きの解釈について語り合う気だな・・・・・・長引きそう・・・・・・」
はあぁと今度は吐ききって近くの木に背中でもたれ掛かる。主達も三回目の演練が終わる頃だ。五回目の演練では僕たちの部隊が出る予定になっている、だからそろそろ主の元に帰らなくちゃいけないのに。
「置いていっちゃおうかな」
出来ないことを、呟いてみる。腕を組んで時間潰しに周りの観察し始めた。
「刀の数も増えてきたなぁ。あ、大典太光世さん。あっちはソハヤノツルキさん、かな?結構顕現されてるんだ」
へぇ、と独り言。前はこういう時間も鶴丸国永ばかり目で追っていたけど、今はそうでもない。
僕がずっと鶴丸国永を見ていたのは、鶴さんにこの気持ちを理解してもらいたいと思っていたから。それが出来ないと分ってせめて、同じ鶴丸国永でもいいと思っていた。
それに、同病を患っていた彼が気づいてくれた。この膨大な刀の中から僕を見つけてくれたわけだけど、やはりあれは運命という意志があったのか。僕たちは別れてから、一度も会っていない。お互いの主の名前を知っているから探し出せないわけではないけど、そうするのは何か違う気がしていた。だから結局数年前のあの日が最後の日のまま。
そう、短くない年月が流れている。まだ僕は鶴さんに絶賛片想い中だ。だけど、前みたいに苦しいだけではない。
それはやはり彼が僕の本当の望みを聞いてくれたからだ。鶴丸国永である彼が鶴さんの代わりに僕の気持ちを受け止めてくれた。だから僕は報われたのだ。
そして、それだけではない。僕は鶴さんが好きだ、その気持ちを僕は僕自身で締め上げていた。だけど、今はその気持ちの隣に小さい小さい別の想いがある。恋とはまた違うけど同じくらい大切な想い。その気持ちが緩くなった僕の鎖に滑り込み、隙間を作ってくれている。だから僕は、今、とても楽に呼吸が出来る。
「・・・・・・遅い。仕方ない、探しに行こうか」
目を瞑って色々思いを馳せていたけど、時は刻一刻と流れていく。良い事も悪いことも頭で考えすぎるのは僕の悪い癖。どこかの燭台切光忠みたいに、もっとこう、何も考えず溌剌と生きていきたいものだ。
もたれ掛かる背を離し、軽く燕尾を払う。見目を整えなければ、ここの光坊は俺のとこの光坊よりだらしがないな、なんて鶴さんと一緒にいるだろう鶴丸国永に思われてしまう。それは屈辱だし、鶴さんに申し訳がない。
襟もネクタイも軽く正し、よしと正面を見る。目の前には多くの刀剣男士。この中から鶴さんを見つけなければ。
「?」
ふと、人の波が割れた。何かを避けてじゃない、本当に、偶然に。
その割れた先に、鶴丸国永。
余りにも出来過ぎたシチュエーション。これが鶴さんだったら、赤い糸でも転がってないかなと、僕は足元を探しただろう。けれどそれは僕の鶴さんではない。僕はずっと見てきた想い人を一瞬でも間違えたりしない。
鶴さんではない鶴丸国永。その他大勢の一振り。けれど、僕はその鶴丸国永が誰かわかる。何度も体を繋げた相手だ。ある意味赤い糸より強固な繋がり。
彼は僕に気づいていなかった。隣にいる相手と話している。褥の中でも見たことのない、幸せそうな笑顔で。相手の燭台切光忠が楽しそうに肩を揺らす。それを見る彼の瞳は、あまりにも色んな感情を物語っている。
「・・・・・・いた、」
僕が呟くと同時に、向こうの燭台切光忠が何かに気づく。誰かに呼ばれた様だ。呼ばれた声に従う燭台切光忠は彼の側を離れる。呼んだ相手は見えないけれど、その相手こそ燭台切光忠の伴侶なのだろう。それがわかる顔で、燭台切光忠は人波の中に紛れて行った。
彼は追いかけない。去っていく黒い背中を見つめて、眩しそうに目を細めていた。嫉妬や羨望は見えない、どこまでも愛しさだけで溢れている。そうしていつも愛しい子の優しさを見守っているのだろう。
割れていた人の波が戻るその短い時間、彼が想い人から視線を外し、前を向く。立ち尽くす僕を見た。彼もまた僕に気づいた。
驚愕に目を見開いたのは一瞬。彼はふらりと、踏み出した。同じよう一歩踏み出していた僕の方へ。
縁という、見えない糸が本当に結ばれたなら運命がお互いを引き寄せる。あの時小指を絡めた事、握手をしたこと、またねと手を振ったこと。きっと彼は、それを覚えている。あれから数年たったけど、僕も彼もそれを覚えている。今、運命は僕たちを引き合わせたのだ。
また出会うなら、その時出会う意味ってなんだろう。そう言った。運命しか分からないってお互い笑った。
僕達はこの再会の意味をまだ知らない、けれど足は、前へ前へと進むのだ。
偶然割れていた波が戻ろうとしている。沢山の人が僕達を遮り始める、油断したら体を持って行かれそうだ。そうでなくても、見失えばこの何万もの刀達に紛れてしまう、もう見つけることは出来ない、二度と会うことはない。それがわかる。
お互いの声が届くくらいの距離になった。もうすぐ近寄ればきっと手が届く。その時、
「光坊!!」
僕の背後から声がする。
「光坊!どこに行くんだ!」
聞き間違いがない想い人の声に、立ち止まってしまった。体は反射で振り返る。
僕の背後も既に人で溢れていた、その向こう、大きな声であれば届く距離に鶴さんが立っていた。周りにも同じ燭台切光忠は沢山いるのに、僕だけを見つめて。沢山の中から僕だけを見つけて。
「はぐれてしまうぞ!こっちにおいで!」
手を伸ばしてる。こっちにおいでと言っている。
いつもなら迷わず向かう僕はそこで立ち尽くしたまま今度は、今進もうとしていた方を見る。彼も僕を見ていた、優しく僕を見ている。彼の想い人に向けるものとはまた違う眼差しで。
僕は鶴さんに背を向けて彼へ近づきと手を差し伸べる。彼もまた僕の方へ手を差し出した。
人混みの中二人、合わさった手を握る。周りの喧騒に負けないくらいの声を張る。
「本当に会えたね」
「やっぱり運命だったな」
「運命かぁ。じゃあこの邂逅の意味って?」
握り合う手が人並みに押されだんだんと解けてくる。けれど僕達は見つめ合って笑う。
「そりゃあ、身動きが取れない君を、今度は全てから振り解かせて、一緒に喧噪の中に紛れて逃げる為さ」
「違うね、幸せな二人の側にいることが耐えられなくなった貴方を連れ去って、喧噪の中に紛れて逃げる為だよ」
「なら、今回ばかりは運命がポンコツだったな、だって俺、結構楽しくやってるのさ」
「残念ながら僕もね」
完全に解けた指先。握り直すなら今のうちだ。全てから逃げ出すのも今のうち。僕たちがあのまま苦しいだけの恋をしていたのならその選択肢もあったのかもしれない。
身動きが取れない僕が、耐えることばかり覚えた彼が、全てから逃げ出そうとする未来が。
確かに今も苦しい恋をしているけど、消えたいと思うこともあるけれど。
「僕さ、結局救えない程馬鹿野郎なんだ。どんなに苦しくてもあの人の側にいられるだけで幸せなんだもん」
光坊!と背中から声が近づいて来る。ああ、嬉しい、心配してくれている、それだけで嬉しい。あの人の側は嬉しいが沢山ある。
「苦しいを数えるの、やめたんだ。嬉しいを数えるようにしてる」
「お、偶然、俺もだ。最近開き直ってな、尻も叩くようになった」
「ははは最低」
二人の間を人が行き交う。もう見えなくなるだろう。邂逅も終わりだ。
途切れ途切れに合う視線の中、彼が最後に言う。
「・・・・・・よく君を思い出す」
「・・・・・・僕も」
「二人で幸せになってしまおうと言ってくれた時、本当は嬉しかったと言ったら、一途でもなんでもない薄情な奴だと見下げるかい」
その言葉に思わず目の前を通り過ぎる人々を押しのけてその手を取りかけてしまった。だけど人の波は増え続けている、それが運命なのだろう。いや、違うな、もう身動きが取れないあの時とは違う。もしあの時二人で幸せになってしまおうと言った僕に彼が頷いていたら、優しい家族たちも、崇高な使命も、誇りに思いたい気持ちも、愛しいあの人も全部捨てて逃げてしまっていただろう僕とは変わったのだ。今、ここが何度も体を繋げたあの小屋だとしても僕はやっぱりその手を取ることはない。
彼の背後から「鶴さーん!どこに行ったの!」と燭台切光忠の声が聞こえる。ぴくりと反応した彼からして、その声が彼の想い人のものだとわかった。ごめんね、君だけの鶴さんは今僕が繋ぎ止めてしまっているよ、と申し訳なく思ったが、同時にこんな素敵な人から好意を寄せられていて気づかないなんてあの燭台切光忠は、全燭台切光忠の中でもかなりの馬鹿野郎だと思わずにもいられない。僕の次位に、ではあるけれど。
「あれね、実は本心だったよ!」
結び直されることのない手を握りしめて、もう姿も見えなくなった彼に僕は叫ぶ。
「あの時、僕を見つけてくれてありがとう!」
僕の視線に気づいてくれてありがとう、見つけて連れ出してくれてありがとう、一緒に苦しんでくれて、抱きしめてくれて、口づけてくれて、僕の気持ちを受け止めてくれてありがとう。こうして数年たっても僕を覚えていて、想っていてくれてありがとう。
全てを込めてありがとう!ともう一度叫んだ。
「鶴丸国永さん!」
「燭台切光忠!」
僕達出会ってから一度もお互い自身の名前を呼んだことがなかった、だから最後に彼の名前を呼ぼうとしたのだ。同じことを考えたのか彼もまた僕の名前を叫んだ。僕たちって本当に似たもの同士。
「「どうか幸せに!!」」
一言一句違えずぴったりとハモった。
「「さようなら!」」
最後の別れの挨拶まで。
その言葉をきっかけに僕は口を閉ざした。もう声を張り上げても彼には届かないとわかっていたから。二人分の別れを吸った喧噪は、何事もないような顔をして続く。僕はそこに独り立って、先程まで彼が居ただろう場所を見つめ続けている。
「光坊!!」
突如右手が掴まれた。強い力が強制的に僕を振り向かせる。
「っ、きみ、どうした」
「鶴さん、こそ、どうしたの」
「君が待ち合わせ場所からいなくなるから、いや、喧噪に紛れてそのまま消えそうに、違う、もうそんなことはどうでもいい。光坊、どうしたんだ、」
「え?」
「どうして、泣きながら笑っている」
その言葉に自分の頬に触れる。皮手袋越しでは分りにくいが、そこがじっとりと濡れていることがわかる。
「泣いてる?笑ってる?僕?」
「ああ、」
「そっかぁ」
そっかぁともう一度。
別れが悲しかった、そして最後まで似たもの同士すぎて面白かった。
何だか不思議な気持ちだった。決別したような、縁が結ばれ直されたような。何とも言い難い気持ち。きっと彼と初めて体を繋げたあの朝の気持ちに似ている。別れた彼がとても懐かしく、切なくなった。
ただの鉄の塊じゃなく、自分自身が選んで想い人の隣に存在しているのだと僕達に改めて知らしめたかったのか。それとも、僕たちが本当の気持ちを吐き出した日に、言えなかったもう一つの本当の気持ちを、今度こそ言わせてくれたのか。それはわかないけど、僕達を一瞬だけ惹き合わせた運命も粋なことをしてくれる。
涙が止まらないままふふ、と笑う僕を鶴さんは真剣な目で見る。
「・・・・・・消えないよな、君は」
辛そうに問いかけてくる。家族が自殺を選んだ事実は何年たっても、優しすぎるこの人を苦しめている。
消えないよ。貴方がここにいるんだもの。貴方を想う強い気持ちで僕はここに存在してるんだから。そう言いたいけど、この人を困らせてしまうのは本意ではない。長年この人を想い続けているのだ、心を込めた言葉を別の言葉にすり替える術くらいもう身につけた。
だから僕はこう言うのだ。消えないよ、のその後に。
「だって僕が消えたって貴方はいつも僕を見つけるでしょう」
彼が僕を見つける前から、いつも僕を見つけてくれていたのは鶴さんだ。僕が出会った、僕を見つけてくれる、僕だけの鶴さん。
「だから僕、『貴方』とここにいるんだよ」
実は想い合っていた彼ではなく。勝手に好きになってしまった清廉な神様の所に。
そりゃあ、まだ苦しいこともあるけど、消えたいって思う時もあるけど。
僕、この人を好きになったことを後悔したことだけは一度もなかった。今はそれだけで、十分だと思っている。
「今日も僕を見つけてくれてありがとう、鶴さん」
彼に対しても言った礼を目の前の鶴さんに言う。泣いたまま笑っている僕の言葉に、鶴さんは何を思ったのか目を見開いて、そして優しく細めてくれた。
「どういたしまして、光坊」