時空の扉を潜り抜け二回目の道を通る。その先には二回目となる小屋を見つけた。
彼はもう来ているだろうか。思わず足早になる。
少し勢いづいたまま、玄関についた。無言でがらりと引き戸を開けた。
「っ!」
玄関で振り向くのは白い彼。目を見開いて僕を見て、すぐ体を向かい合わせた。僕はその体に飛びかかるように近づき、
「「罪悪感で死ぬかと思った!!!!!」」
一言一句違えずハモりながらお互い両肩をがっしと掴みあったのだった。
「本当さ!!本当さ!!罪悪感ってすごい!ご飯が全然美味しく感じない!」
「すごいよな!驚きを求める気にならない!!意味もなく天に手を合わせたくなる!江雪がそんな俺を微笑んで見てくるの、すごくごめん!ってなる!」
「親愛の目を情欲で塗りたくったの、なんか、泥団子投げ合って鶴さんだけ汚れ目立つ感じ、綺麗なもの、肥溜めに突き落とした感じ、これ、この感じ!わかる!?」
「わからん!」
「わかってよ!!」
「元気がないって、光坊の伴侶に言われて、他の燭台切光忠を君の伴侶に見立てて抱きましたごめんなさいって心で三百万回謝った俺の気持ち、わかるか!?」
「わからない!」
「わかれよ!!!」
肩をつかみ合い、お互い声を上げ続ける。一刻も早く吐かなければ押し潰される錯覚すら感じていた。
「主が優しいのも辛い!伽羅ちゃんと貞ちゃんが心配してくれるのも辛い!鶴さんの顔、見たいのに見れなくて、でも見ないと鶴さんが傷つくから見ないといけないのも辛い!もう何もかも全部辛い!ごめんなさい!」
「仲良い二人の話を聞くのが辛い!笑って話聞いてる顔の下で、伴侶しか知っちゃいけない夜の表情を知ってるんだよなって少しでも思ってしまう自分が胸くそ悪くて辛い!ごめんなさい!」
二人で謝り倒す。誰かのためじゃなくて、自分のために。
こんな謝罪、自己満足だって分かってる。本当に謝らなければいけないなら、その相手に直接謝罪するべきだ。でも僕たちにはその相手がいない。
勝手に好きになって、勝手にお互いを想い人に見立てて抱き合って、勝手に罪悪感抱いている愚か者だ。
僕達は、僕たち以外に謝罪を吐ける相手がいなくて、僕たち以外に謝罪を聞いてくれる相手がいない。
それに耐えられなくなってしまったから僕たちはあの日から一ヶ月後の今、こうして二人でいる。
ごめんなさいと自分が落ち着くまでお互い謝罪を繰り返して、一段落つく頃には強い虚脱感が僕たちを襲っていた。
「不毛だ・・・・・・」
「それでいて非生産的なんだろ」
「うん・・・・・・」
居間でごろんと並んで横たわっている。
「なら生産的なことしようぜ」
よっ、と声をかけて隣の白が上半身を起こすのを横目で見る。
「何?」
「酒を飲む」
「またぁ!?って、どこが生産的なんだい」
「美味い酒が心を豊かにして、豊かな心がいい驚きを授けてくれる」
「適当なこと言ってるだろ」
「ばれたか」
また悪戯小僧みたいな顔を浮かべる。彼も大分落ち着いたようだ。折角浮上した気分をわざわざ下げる理由もない。僕もむくりと上半身を起こし片膝を立てる。
「まぁ、いいよ。呑もう」
「おっ、よかった、今回も酒持ってきて」
両膝で畳を這い、自分の荷物を持ってきながら彼が言う。その間に僕はまた小さなグラスを持ってきた。彼が酒瓶とタッパーを取り出すのを見て声を掛けた。
「それ、なんだい」
「んあ?ああ、これか。これは君の所の伽羅坊と貞坊へ、うちの光坊からだ。みんな大好きずんだ餅~」
「へぇ」
「この間の酒と、貞坊の気のお礼だそうだ。慣れないながらも貞坊が光坊と二人で作った」
「貞ちゃん、来たのかい!?」
「お陰様でな!!」
心底嬉しそうに彼が言うものだからつられて僕まで嬉しくなる。差し出されたタッパーを受け取り、意識せず顔が笑みを浮かべてしまう。
「じゃあ、乾杯だね!」
嬉しいお酒は実に生産的だ。喜びが倍になる気がするから。
「おう、乾杯だ!」
きんっ、と喜びを注いだ二つのグラスを鳴らした。
貞ちゃんが来た喜びを分けあって、楽しくお酒を飲む。楽しいお酒はどんどん進む。進めば酔ってくる。酔えば心が剥き出しになって、どうしても話題は自分の想い人の話になってしまう。僕たちはお互い以外にその話題を話せないから、尚更。
謝罪とは違って今度はどこが好きだ、何にときめいたか、なんて男二人で語り合う。端から見たら、と思うとゾッとしない。
気づいたら外は赤い夕焼けが沈む、その時間だった。どれだけ呑んでるんだろう、さすがに呆れる。前回の時よりはまだ意識がはっきりしているけど。
暑くなってきたな、と彼が窓を開ける。その先に見える紺に残る茜の鮮やかさに、僕はふ、と思い立ち、怪しい呂律で質問を投げ掛ける。
「貴方は、輝く月とか、満開な桜とか、雪解け後の緑の息吹とか。こういう空とか。そういった綺麗なものを誰と見たい?」
外の風に顔を撫でさせていた白い頭が半分だけ振り返る。反射する赤がやはり白にはとても映える。
「誰と?そうだなぁ・・・・・・俺は一人で見たいかな」
綺麗なものをみんなと見たいと言外、そう言った伽羅ちゃんにあんたは違うのか、と聞かれて答えなかった僕。その僕と彼は同じ答えを持っていた。
「綺麗なものを見て、俺はきっとあの子を思う。そういう時、一人でいたいって思うんだ。一人でひっそりとその時間を過ごしたい」
「・・・・・・綺麗なものを見て、好きな人思い出すとさ、自分のこの想いが綺麗なもののような気がしない?」
「する。純粋な愛情な気がする」
「実際、二人きりで綺麗なものを見たらさ、綺麗なもの見向きもしないで、その人の横顔ばかり見てる癖にね」
「綺麗だねって言う唇に、口吸いする妄想ばっかしてるんだぜ」
彼は笑ってまた窓の外を見る。だからその表情は見えなかった。
沈黙の部屋に風が通る。夜の色した風は火照った顔や体に心地よい。けれど少し寒い気もした。
「ねぇ、窓閉めて」
「ああ、悪い。寒かったか?」
「ちょっとね。肌寒かっただけ」
「・・・・・・そうか」
少し乗り出していた身を引いて、彼はあっさり窓を閉めた。そして見つめる僕に近づく。そのまま腕の中に閉じ籠られた。
「暑いよ」
「我が儘だな、君は」
擦り寄りながら言えば、そう笑われた。
「人の体って不便なんだ」
「本当にな」
「人って大変。だって、どんなに辛くても、『同じもの』を、代わりに出来ない。出来ても『似ている別人』までだ」
「・・・・・・」
「僕たち刀だから、同じになれる。刀だから。・・・・・・だから」
その先を言うことに今更躊躇う。ああ、もっとお酒を飲んでおくべきだったのかな。
一か月前のあの行為。あれは酒に酔っていたからだったけど、冷静になった後でも僕には必要なことだったように思えたし、これからも必要なことに思えてしまった。
二人で超えたあの夜が独りで耐える辛さをより深くしてしまったけど、けど、あの夜僕は確かに鶴さんを困らすことなく、鶴さんに好きだと言うことが出来た。初めて言葉を殺すことなく鶴さんに気持ちを伝えられたのだ。だから僕はあの夜がもう一度欲しい。
だけど、彼にとっても必要かどうかなんてわからない。彼はあの夜一度も僕に好きだとは言わなかった。もしかしたら彼はただ僕に乗せられただけかもしれない、あの夜を後悔しているかもしれない。
いくら同病と言っても、望むことは必ずしも同じとは限らないのだ。そんな彼に、また、お互いを代わりにしようなんて。
「『光忠』」
抱き締められたまま、耳に近づく唇が名前を呼んだ。僕であるけど、僕ではない名前。
「俺には何も隠さなくていいんだ。自分の気持ちを偽る必要もない。その為に俺達はここにいるんだろ?」
「・・・・・・」
「今君が言おうとしてることを俺も言うつもりだった。言う勢いをつけるために酒を持ってきた、なんて言ったらさすがに引くか?君だけが、そんな顔する必要ないさ」
耳から唇を離して、僕の顔を覗き込んだと思ったら眉間を二本の指で伸ばされた。そんなにひどい顔をしていたのか、自分自身では見ることは叶わない。
彼はどうしていつも、気づいてくれるのだろう。演練場での視線に。僕の望みに。鶴さんではない彼が気づくと言うのも皮肉な話だけれど。けど、鶴さんではない彼だからこそ僕はその優しさに甘えることが出来る。
「・・・・・・主がね、交流遠征、定期的に行えばいいんじゃないかって、言うんだよ。一ヶ月に一度位で。僕にもガスを抜くところが必要だからって」
「俺も言われた。こんなに大人しくなるなら、定期的に行ってくれって」
眉間に伸ばされた手を取り、それを首筋に当てさせた。その行動にか、はたまた彼の主の言葉にか、彼は笑う。
普段どれほどの悪戯を撒き散らしているかはっきりはわからないが相当手を焼かせているらしい。だけど少し、わかる気がする。彼は、人の体に馴染む前に、ままならない人の心を知ってしまった。そのもどかしさを、彼なりに昇華しようと必死だったのではないだろうか。周りは堪ったものじゃないだろうけど、僕はなんだかいじらしく思える。
「なら、来月もここで会おうね。その時はもう、お酒はいらないよ、鶴さん」
名前を呼ぶと、目の金が変わった。それは、僕は彼の光忠で、彼は僕の鶴さんになった瞬間。
僕達は何度も名前を呼び合いながら口づけを交わす。そしてあの夜と同じ様に体を繋げた。抱きしめあった素肌はやはり熱くて、鶴さんのいつも低い手の温度を思い出して、同じ体から生み出された熱に僕はなんだか無性に泣けたのだ。
僕たちは一ヶ月に一度、会う。
二度目の逢瀬の後はまた自己満足の罪悪感に苛まれた。
また独りで耐えた後の三度目は、ぽつぽつと近況を話してから、素面であることに戸惑いながらも体を繋げた。それで完全に吹っ切れた。自己満足の罪悪感は、二人であう必要性を完全に下回り、消えた。
四度目は、小屋で顔を合わせた瞬間に唇を重ね、縺れあう様に交わった。
お互いの近況など話さなくてもお互いがそれぞれの想い人をどれ程思っているのかなんて、わかりきっていたから。わかってくれているから。
想い人を好きになってから僕達は何も変わらなかった。今まで自分の気持ちを自分の中だけにしまい、好きな気持ちだけを持って日々やりすごしていた。自分の中に芽生えた気持ちを慰めてやることも出来ずに。
それを、彼が僕を見つけてくれたことにより、同じ状況にあるお互いに出会い、気持ちを表に出すことを知った。抱き合うことで、恋を昇華できる様になった。
一ヶ月に一度僕たちは、『代わりの本人』にその熱をぶつけることが出来る。それは片恋にしては恵まれているに違いない。
彼が穏やかな笑みで「運命」だといった僕達二人の出会いの意味は、きっとこの為だったのだろう。お互いが、お互いの想い人をずっと好きでいられる為の僥倖だったのだ。
一ヶ月に一度の逢瀬は、僕にとってなくてはならないものになり、それ以降も続き、今も続いている。