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「光坊、ついてる」
「え?」


 畑でしゃがみこみ、トマトの支柱に結び付けている紐の緩さを見直している所、鶴さんに声をかけられる。今日の作業は堆肥を使わない為、いつもは遠くに逃げ出している鶴さんも僕の近くで作業していたのだ。
 頭上から声がしたものだから、素直に顔をあげる。と、そこには予想以上に近い鶴さんの顔があって、僕はびしりと固まってしまった。
 鶴さんは気にせず指を伸ばして僕の髪に触れる。その指と同じ指に触れられること。繰り返す逢瀬の中で慣れているはずなのに、どうしてこんなに緊張するのだろう。心って、本当に不思議。

 

「野菜達に一生懸命で、自分が疎かになってるぜ伊達男」
 

 鶴さんが耳の上辺りについていた小さな葉っぱを取ってくれた。いくら夢中だったからと言って、なんて格好悪い。好きな人に見られたことも恥ずかしさに拍車をかける。しかしそれにしても距離が近い、そっちの方に顔が熱くなっていく。
 

「ありがとう、鶴さん。この子達が育ちやすい環境にしてあげたいって思ったら、集中しちゃってさ。恥ずかしいね」
「恥ずかしくはないさ。一生懸命なのはいいことだ。ちょっと抜けてる方が可愛げもある」

 

 取った葉っぱを、ふっと息で飛ばす。何もなくなった手を再び、太陽の熱で熱くなっている僕の頭へと伸ばし、置いた。
 

「まっ、君はそのままでも可愛いけどな!」
 

 にかっと僕が好きな、歯を見せた笑顔を見せる。思わずトマトの蔓を握り千切る所だった。
 これ、こういう時。僕の胸は一層ぎゅうぎゅうと苦しくなる。鶴さんに対する好きが膨れる。嬉しいのに、苦しいのだ。
 僕も鶴さんに手を伸ばしたくなる。今があの小屋の中だったら、迷わず手を伸ばして、口づけて、好きだよ、貴方が好きなんだと言えるのに。
 前の逢瀬で、彼が交流遠征の回数を増やしてもらえないかと言っていた。僕はそれを却下した。だって、彼と鶴さんを混同してない今でもこれなのだ。回数を増やせば、好きを昇華出来る機会も増えるだろうけど、やはり諸刃の剣と言える。

 

「ま、またそんなこと言う。僕は格好良いって言われる方が嬉しいんだってば」
 

 こんなに触れたいのに、本物の鶴さんに触れることは憚れる。結果僕は両膝と両手を地面について、鶴さんを見上げるしかない。なんだか犬みたいじゃないか。頭をわしゃわしゃ撫でられて幸福を感じる所も一緒だ。尻尾が生えてなくてよかった、鶴さんを好きなことが一発でバレる。それとも飼い主はやはり親愛と取るのだろうか。
 こんなこと、毎日のように考えてる。彼と会う前も同じ感じだったけど、よくも独りで溜め込んでいられたものだと、自分のことながら感心する。
 だってずっと。こんなに、好きなのに。

 

「もちろん格好良いのは大前提さ」
「鶴さん、夕飯食べたいものがあるんでしょう。だからそんなお世辞ばかり言うんだ。何が食べたいんだい?オムライス?」
「さすが光坊!俺が食べたいもの、わかってるじゃないか!」
「仕方がないなぁ、作ってあげるよ。だけど土に汚れた手で僕の頭を撫でたのはマイナスポイントだから、鶴さんのオムライスは卵抜きオムライスね」
「それ、ただのケチャップライスだろ!意地悪言うなよ光坊~!」

 

 悪かったって!と手を離す鶴さんを見ながら思う。
 本当は、どんなに汚れた手だって構わない。貴方の好きなものなら何だって、何時だって作ってあげたい。気まぐれな優しさでも貴方に与えられるものなら、どんなものでも嬉しい。

 

 好きだよ、好きだよ。だから、どうか、と。
 

 僕の背後の何かに気づき、おおい!と手を振る鶴さんに、繰り返す。ずっと思っていること、彼と会う前からも思っていること。
 わかっている。僕の願いは鶴さんには届かない。
 大丈夫だ、一週間後はまた彼と会う日。この苦しさはまた熱に昇華して無くすことが出来る。彼は僕に向かって好きとは言わないけど、名前を呼んでくれる。お互いの名前を呼び合いながら抱き合っていると、苦しみが消えていくのだ。まるで魔法みたいに。

 

「伽羅坊ー、どうした、寂しくなって会いに来たのか?貞坊は?」
 

 どうやら後ろから近づいてきていたのは伽羅ちゃんだったらしい。僕も背後を振り返る。
 鶴さんの軽口に、いつもなら「違う」って言葉で切り込む伽羅ちゃんは黙っている。珍しいこともあるものだ。伽羅ちゃんは寂しん坊と言われることが好きではない、図星だから。それが可愛くて鶴さんは伽羅ちゃんを寂しん坊と言って、目一杯甘やかすのだ。それは貞ちゃんも一緒。そして僕も、寂しん坊とは呼ばないまでも、後は一緒だ。
 伽羅ちゃんは鬱陶しそうにするものの、拒絶はしない。実は嬉しいから。そういうところがとても可愛い。
 だけど今日の伽羅ちゃんは鶴さんの一言に反応しない。眩しい陽の下で分かりにくいが、どこか顔色が悪いように見えた。

 

「・・・・・・貞は、先に主の所に行った」
「「主の?」」

 

 やはり声がいつもより重い。鶴さんもそれに気づいているみたいで、問いかける声が低くなった。
 

「主にとうかいされた、」
「何?」
「どう、いうことなんだい。伽羅ちゃん」

 

 突然言われた言葉はよくわからないが不穏な音を感じる。
 

「一振り、消えた。主に刀解、された」
 

 その言葉にさぁと血の気が引いた。突然のことに何故、としか言葉が思い浮かばない。だって僕たちは今日も変わらない日常を送っていた。出陣して、内番して、思い思いの日を過ごしていた。
 戦いの中で折れた、なら分かる。僕たちの日常に組み込まれている可能性だ。けど、主によって刀解なんて、何故。

 

「誰だ・・・・・・」
 

 鶴さんが低く問う。
 

「誰が、消えた」
「・・・・・・」

 

 伽羅ちゃんが小さく呟いた名前に、何故が消えて、僕はまさか、と考えを埋めた。その名前は、僕と同じように主の悪を秘めていたかも知れない刀の名前だったから。

 

 主の部屋に駆けつけた僕たちは、同じように集まっている仲間に合流をした。主の部屋は閉まっている。僕たちを含めた詰め寄る複数の刀を、部屋の中から近侍が声をあげて制止している。
 後で説明するっつってんだろ!と聞こえるが引き下げる刀はいなかった。今朝まで食卓を共に囲んでいた仲間が――家族が、敬愛している主によって消されたのだ。理由を聞かなければ納得なんて出来やしない。
 そんな中、僕だけが理由を知っている。もしかして、と思っていたがもう確信していた。その刀は、主の悪とする、情欲、そして恋をその身に宿していたのだ。だから、その一振りはこの本丸から消えた。そういうこと。
 何も知らない皆は、声を上げて主を呼ぶ。何故、と。理由を聞かせて欲しいと切実な声で問いかける。遠征や出陣に出ている刀も、ここにいない刀も多く、まだ廊下が埋まるくらいで済んでいるけど、このまま主がだんまりを決め込めば、きっと全員が集まって、主の部屋に入り込むくらいの気配はあった。
 主!と皆が口々に呼ぶ。皆、主が好きなのだ。主が理由もなく家族を刀解するはずないと信じている。だからこうして詰め寄っている。
 しばらくの間、近侍の刀が部屋の中から制止の声を返していたが、それが止んだ。そして、部屋の中から主が姿を表した。一瞬、静寂が訪れる。
 何故、と一言吐き出された。消えた一振りと特に縁がある刀の声だ。叫び声ではないけど、悲痛な色が聞いてとれた。
 刀一振り一振りを見据え、黙っていた主がその声を受けて口を開く。

 

「彼は、恋をしていた。情欲を宿していた」
 

 性が曖昧な、どこか厳かにも聞こえるその声で。
 ひゅっ、と息が止まる音がした、僕自身から。やはり、そうだった。消えた刀は恋をしていて、それが主に知られた。だから消えたのだ。この本丸では情欲は悪。恋もきっと、悪。
 主がひたりと、自身の喉を掴んだ僕を見据える。恋をした刀が消えるのであれば、当然僕も消えなければならない。主は僕をただ見ている。何度も欲に身を揺さぶられ、ただ一人に焦がれる想いを持っている僕を。
 さぁ告白せよ、とお告げが天から降ってくる錯覚。神様はやはりお見通しだったのか。体の熱が急激に下がって、なんだか寒くて堪らない。けれど、すべて仕方がないことだ。
 清廉なこの本丸で、清らかな神様にこんな気持ちを抱いた僕たちがいけないのだから。

 

「そんなことの・・・・・・」
 

 僕が自らの悪を告発しようと前に進もうとした瞬間、僕の隣で震える声がする。
 

「そんなことの為に、君は彼を消したのか!!!!」
 

 激しい怒気を含んだそれは空気を震わせ、周りの刀や主を強く打つ。驚きから予定していた動きを止め、声の主を見た。いつも快活に笑う顔なんてない。鶴さんが体中から激怒を発していた。
 恐ろしいまでの気にしんと静まり返る廊下。そこに粛々とした声が水面を打つように響く。

 

「鶴丸さんの怒りはもっともだ、主。主が情欲を悪とするのは私たちも知っているし、気持ちもよくわかる。けれど、秘めている心を暴いて、断罪することは、人であっても刀であっても神であっても、してはいけないことだよ」
「僕も石切丸の意見に賛成だね。人も僕たちも少なかれ心に悪を抱いてるはずだ。潔癖が過ぎれば美しいものもただの淡白な事象でしかない。それは、あまりにも雅とかけ離れているよ」

 

 鶴さん程激しい否定ではないにしろ他の刀からも静かに非難の声が上がる。家族が消えた事実と主が言った理由の重さが釣り合っていない、そう感じたのだろう。
 賛同する声がひとつ、ふたつ増える中。主を非難する声へ、今まで黙っていた近侍の刀が耐えきれない様に「何も知らない癖に!」と叫んだ。皆の目が一瞬にして集まる。

 

「何も知らない癖に好き勝手なことばかり言いやがって!」
「不動、よしなさい」
「主がなぁ!っどんだけ辛かったか、お前ら考えないのかよ!あぁ!?毎日大事にされてる癖に、主が一方的に刀解したって、それしか考えつかないのかよぉっ!」

 

 いつもは甘酒で赤らめている顔を怒りと悔しさと、悲しみで染めている。その目には涙が浮かんで見えた。
 

「あいつが、言ってきたんだよ!刀解してくれって!!」
 

 悲しみが辺りに響く。
 その言葉に呆然と立ち尽くすしかない。自ら刀解を望んだなんて、そんな言葉に。

 

「・・・・・・どういうことだ」
 

 僕の後ろに立っていた伽羅ちゃんが立ち尽くす僕たちを代表して静かに問いかける。
 真実以外は許されない、そう感じさせる問いだ。
 その問いを受け取らざるを得ない主が、悔しさと悲しみを腕でごしごし拭っている近侍の背中を撫でながら、観念した風にため息を吐いた。

 

「不動が言った言葉通りだよ」
 

 肩が落ちて、深く項垂れる。落胆、悲しみ。
 

「この気持ちがどうしても消せないから、自分が消えるしかない、って。・・・・・・止められなかった、ごめん、」
 

 ごめんなさい。と主が頭を下げた。
 かけられる言葉なんてひとつも、なかった。

 

 

 誰よりも悔やんでいる主を責められる者も、慰められる者もいなくて、廊下に集まっていた者たちはそれぞれの部屋に戻った。僕は一人になりたくてそれとなく紛れて、こうして人気のない空き部屋の縁側に腰掛け、空を見ている。
 自ら消えることを望んだ刀と、同じものを持っているのにここにいる僕。何も考えるなと言う方が無理な話だった。

 

「どんな、気持ちだったんだい」
 

 空を見上げたまま消えた刀に話しかける。刀が刀解されたって、天に昇るわけでもないのに。
 付喪神と言えど、本来は刀。ただの鉄屑として個の存在は消え去るだけだ。どうしても消えないと言っていたその気持ちと一緒に。

 

「だから、望んだの・・・・・・」
 

 消したいと願って、でも本当はずっと持っていたいと願う。矛盾した思いを叶えるにはきっと自分が思いを抱いたまま消えるしかないと思っていたのだろう。その気持ちはよくわかる。
 僕はどんなことがあっても自ら消えたいとは願わない。それは、焼刀である僕がここに存在出来るのは僕だけの意志ではないから。どんなに苦しくても、それこそ血反吐を吐いたって、僕は存在しなければならない。それが、僕を存在させてくれた意志に報いるということだ。
 しかしだからといって、恋の苦しみで自ら刀解を選んだ仲間を軽蔑することなんて出来るはずもない。

 

「本当、僕達人間みたいだ」
 

 清廉なこの場所で、崇高な使命を背負って。それに相応しくないものを抱いて苦しんでいる。
 願いの届かない神様に救われたがっている僕達。でも誰にも救えないことはわかっている。だから消えた彼は自分で、自分の気持ちを救ったのだろう。

 

「でも、僕、願ってしまうよ」
 

 お願い神様、どうか、どうか。いつの日か、と。
 

 もしも願いが叶ったら、消えた彼も報われる。そう信じたい。
 

「感傷に浸ってるなぁ」
 

 自嘲的な笑みが浮かぶ。
 僕は本当は泣きたいのかもしれない。家族を失った悲しみに。けど、今僕が泣いたってそれは同病を憐れんでのことで、つまりは自分が可哀想で泣いてるのと一緒。それは家族を失って涙を流さないこと以上に、僕にとって許し難い。
 結局、こうして空を見るしか出来ないのだ。
 ふと。見上げる片方だけの視界、その端に白い影が映る。誰かなんてすぐわかる。僕が、一人でいなくなるといつも見つけてくれる。ずっとそうだ。ここに顕現してからずっと、一人で落ち込む僕を見つけてはいつも励ましてくれる人。

 

「鶴さん」
 

 見上げたまま、僅かに顔を傾ける。片手で名前に応えた鶴さんは、先ほど本気で怒っていた人とは思えないくらい穏やかな顔つきで近づいてくる。
 そして邪魔するぜ、と隣に腰かけた。

 

「ここにいたか」
「うん。ちょっとね、一人になりたかった。伽羅ちゃんと貞ちゃんは?」
「部屋で二人してくっついてる。大分落ち込んでるな、あれは」
「無理ないよ。うちの本丸、皆仲がよかったから・・・・・・」

 

 親愛で溢れている僕の本丸は、本当に皆、家族みたいに仲がよかった。馴れ合わないが口癖の伽羅ちゃんも、優しくする練習中の貞ちゃんも例外じゃない。刀として戦場で折れたならまだしも、人の心の為に家族が自殺を選んだのだから、その衝撃たるや、どれほどだろう。
 

「まぁな。だが、落ち込んだ姿を見せてくれる分にはまだいいんだ。隠れて落ち込む誰かさんよりよっぽどな」
 

 誰かさん、と言いつつ指で頬をつつかれる。
 

「僕は平気だよ。悲しいけど、彼が選んだことだ。それを批評する権利は僕にはない」
「君って、意外に不器用なんだよ。いつも頭で考えすぎる。しかも自分以外の尊厳、感情、そういったものばかり」
「そんなこと、」
「あーる。今だってそうだ。悲しければ素直に泣けばいい。消えた彼の選択を批評することと、君が悲しむことは別だろう。批評しなくても君の悲しみは消えないのに、何故平気だと言える?この不器用坊やめ。どうせ、泣いたら相手を憐れむことになるとかなんとか考えていたんだろう」

 

 てい、と優しい手刀が落ちる。
 こんな僕のどこが人のことばかりだって言うのだろう。こうして話しているだけで、消えた家族のことが霞んでしまうくらい別の感情で溢れてしまう、この愚かな僕のどこが。
 伽羅ちゃんもずいぶん前に似たようなこと言っていた気がするけど、僕はいつだって自分の為に感情を動かしている。ただ優しくしたいからという理由で、僕に優しくしてくれる伽羅ちゃんや貞ちゃん、鶴さんみたいに僕はなれない。
 今もこうして優しい微笑みに見惚れている僕には。

 

「君のその批評というのかな、その言わんとすることはわからなくもないが」
「え?」

 

 そんな救いようがないことを考えていたからだろう。その一言をまた想い人の口から聞くことになったのは。
 微笑んでいた顔を消して鶴さんは言う。

 

「恋情というやつは、やはり気味が悪いってことさ」
 

 その一言に止まった。呼吸も、胸の高鳴りも、すべて。
 口をはく、と開けても声が出ない。もう一度繰り返し、空気をなんとか肺に送り込む。入れ替わりに出ていく空気に、なんとか絞り出すように音を乗せて運び出す。

 

「どう、して。・・・・・・どうして、そんなこと、」
「君も、そう思ったから批評なんて言葉を使ったんじゃないのか」
「違う!!!」

 

 不思議そうな顔に叫ぶ。
 

「同じ心から生まれたものじゃないか!どうして、親愛と同じ場所から生まれたものを、気味が悪いなんて言って、否定するんだ!」
 

 鶴さんが恋情を気味悪がっていたことは知ってる。
 恋を自覚した直後の僕が、愚かにも鶴さんに直接聞いたことがあったから。だって好いた相手の気持ちだ、知りたくない筈がない。
 だから聞いた。「主はああいうけれど、鶴さんにももしかしたら好きな人が出来るかもしれないよね?だって心は、予想しうることばかりじゃないから」と。
 どきどきと答えを待つ僕に鶴さんは苦笑いで右手を振った。絡みつく甘い香の煙を払うような仕草で。「いくら俺が予想外の驚きを求めると言ったって、あんな気味の悪いもの、持つわけがない」そう、言い切った。
 それは気味の悪いものを持ってしまった僕を両断した言葉だ。それを今再び聞く羽目になってしまった。
 二度目の否定は一度目以上の痛みを僕に与えた。何故、わかりきっていたことなのに。鶴さんが恋を気味悪がっていたことなんて。
 ああ、そうか。もしかしたらどこかで期待していたのかもしれない。主が家族の一人を刀解した、と言った時「そんなことのために」と怒ってくれた鶴さんに。僕が彼と出会ったことで恋を昇華出来るようになったみたいに、鶴さんにもなにかしら変化があったのかもって、期待してしまったんだ。何かが変わったかもって、思ったんだ。そんな筈あるわけないのに。
 なら僕のこの苦しみはただの八つ当たりだ。
 勝手にした期待を裏切られて激昂している僕を鶴さんは怯まず見返し、諭すように静かな声で答える。

 

「俺が、気味が悪いのはな、恋情そのものじゃない。その、強さだ」
「どういう、」
「人は、生きていくから心が生まれる。歌仙兼定じゃないが、少なからずそこには悪もある、だろ?そうしないと生きていけないからな。豊かな心があるから生きていける。心は人を生かすんだ」

 

 鶴さんは右の掌で自分の胸に触れ、そして同じ手で僕の左胸に触れた。心があるのを確かめて、強い意思を携え僕を見る。
 

「なら、何故恋は自らを殺す?」
 

 そのまま、僕の左胸に指先を立てた。
 

「なぁ、俺は、それがとても気味が悪い。退屈が緩やかに心を殺し、やがて身を蝕むのはわかる。けど恋は、強い意志で一つの存在に『消えてしまいたい』って思わせるんだ」
 

 彼もそうだったんだろうと、痛みに耐えるように語る人を言葉なく見つめる。胸からは離れた手は僕の腕を掴む。強くはないが、僕には痛かった。
 

「怖いって、君は思わないか。恋情を抱けば苦しみ、自らを殺す。そんなことで俺は、これからも家族を、君たちを失わなくちゃいけないのか?俺は、そんなの絶対に、ごめんだ」
 

 鶴さんは優しい、仲間に対しては博愛と言ってもいい。だから仲間を家族と呼び、戦場で家族を傷つけるものがいれば絶対に許さないし、主が理不尽な理由で家族を刀解したと思えば本気で怒る。そして、どんな刀にも等しく自らを殺させる可能性がある恋情を、気味が悪い、怖いと否定する。
 仲間を思う心があるから、同じそこから生まれるのに仲間を殺す恋情が、彼は受け入れられない、理解できない。どんなことがあっても、絶対に。
 未来に絶対はない、だけど鶴さんの心は変わらない。それを今、改めて思い知らされた。

 

「君は自分が存在していることが、様々な想いで成り立ってると知っている。だから、自らを殺す選択を取らないとはわかってる。だがな、心配になるんだ。君は自分の感情を隠すのが上手いから。・・・・・・もっと、自分の感情に正直になってほしいんだよ」
「鶴さん、」
「光坊、悲しい時は悲しいって言ってくれ。辛い時だってそうだ。伽羅坊も貞坊も俺も側にいるから、一人で悩むな。絶対心や自らを殺したりしないでくれ」

 

 ぐい、と頭を引き寄せられる。その白い肩口へと。
 俺達を悲しませるな、なんて心底心配そうに言われる。
 心配からの言葉だってわかってる。優しさからの言葉だってわかってる。
 だけど鶴さんは酷い人だ。酷い、酷い、酷い人。本当に鶴さんはいつも僕を困らせる。僕はいつも貴方を困らせないようにって、必死なのに。
 鶴さんは自分に正直にと言う。恋は理解出来ないと言う。一人で悩むなと言う。俺達を悲しませるなと言う。
 恋は自らを殺すと言う。僕に自らを殺すなと言う。
 でも僕が心を打ち明ければ、鶴さんは困るのだ。自分のせいで心に気味の悪い感情を持ってしまった弟分を思って苦しむのだ。
 それがわかっていて、自分の気持ちに正直になんて、なれるわけがない。

 

「うん、わかってる。・・・・・・ありがとう鶴さん」
 

 結局僕は、そう言うしかない。
 頭をぽんぽんと叩いてくる手は親愛の温かさ。嫌だ、この温かさは。今はこの苦しみをなくしてくれる熱が欲しい。
 この手は、肩は、体は、どうして鶴さんのものなのだろう。彼のものならよかったのに。

 

 一週間後は、今の僕には余りにも長い。

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