白んでいく空を障子越しに感じつつも、優しい微睡みから抜け出せずにいた。何度も何度も、感触を楽しむ様に髪を梳いている細い指がその心地よさに拍車をかける。
先刻まであんなにも熱く触れていたとは思えないくらいにただ慈しみを絡めていた。
「『光忠』」
声が僕を呼ぶ。欲で掠れていた声はほとんど元通りで、低くて穏やかに響く。
「光忠、朝だ」
「ん・・・・・・、」
「おはよう」
薄く眼を開くと、白くぼやける存在。その白い影が近づき、僕の額にちゅ、と音を立てて唇を落とした。気持ちがくすぐったくなって、ふふと笑みが零れてしまう。
「おはよう、『鶴さん』」
指先で目元を拭うと、唇を離し遠ざかる彼がはっきりと見えるようになる。
「すまんな、もう少し寝かせてやりたがったが、朝が来てしまった」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「一ヶ月に一度の、今回の逢瀬も終わりだな」
「そうだねぇ」
髪を梳いていた指はいつの間にか僕の目尻に触れていた。昨晩流した涙の跡を辿っているとわかるなぞり方だ。
その手を取って僕の唇に寄せると、今度は彼がくすぐったそうに、ふふと笑う。可愛いと言わんばかりの表情に眩しさを感じた。
「一ヶ月に一度の逢瀬と言うのもなぁ。主に言って、交流遠征の回数を増やしてもらうか」
「こうして体を重ねたいからって?いくらなんでもあんまりだよ。空では一年に一度しか会えない恋人達もいるんだ。一ヶ月に一度でも恵まれているよ」
「彼らと比べたら、そりゃあそうかもしれんが」
話しながら体を起こす。捕まえた僕の手をすり抜けて彼の手はまた僕に触れてくる。首や肩を撫でて、肌の上を滑っていく。情欲を掻き立てるものではない。先ほどの涙の跡同様、自分がつけた跡を確かめているのだろう。
それを好きにさせておいて言葉を続けた。生まれたての朝は肌寒く感じ、昨日脱ぎ捨てた衣服を指先で探しながら。
「一ヶ月に一度くらいで丁度いいよ。じゃないと、」
「罪悪感で、顔を合わせずらいか?」
「はは、そんなものとっくにないさ。そうじゃなくて、あんまり頻繁に会っちゃうときっと入り交じっちゃう」
服が見つからないのを彼が気づいてくれて、一枚の上掛け布団を取り、僕の肩にかけてくれた。ありがとう、と礼を言って前で軽く合わせる。
「入り交じる、とは?」
今度は彼の側に在ったらしい僕の衣服を渡してきながら彼が首を傾げる。左手で受け取って、空いた彼の手に、右手をするりと滑り込ませた。素手と素手、直の温もりが絡まる。
「鶴さんと『鶴さん』。貴方とあの人が入り交じっちゃいそう。そして、こんな風にあの人に触れてしまうかもしれない」
「うーん。確かに、それは危険だ。俺も間違って光坊に触れると大変だからな」
こんな風に。と今度は僕の唇に、唇を触れさせる。薄く開いて応えると生ぬるい舌が少しだけ、中を撫でて離れていった。
「ね、だから一ヶ月に一度くらいが丁度いいんだよ、僕達」
「そうだな、なら、今のままでいいか」
「そういうこと」
一か月に一度、僕には秘密の時間がある。自分の本丸から離れ、この小屋でたった一人の相手とその秘密の時間を過ごしている。
朝が来れば、僕達は別れの言葉もなくそれぞれの本丸に戻り、いつもの日常を過ごす。
そしてまた一ヶ月後、ここで逢瀬を重ねるのだ。体を重ねるのだ。
こんな僕達の関係が始まったのは、いつの日だったろう。
大体の年月ならわかるのだが明確な日にちは思い出せない。きっかけはいつもと変わらない普通の一日にやってきたものだから仕方がない、ということにしておこう。
ただ、日にちを覚えていないだけで、その日に何があったのかは明確に覚えている。
僕達の関係が決まったその日。
僕は主そして仲間達と共に政府公認の演練場にやって来ていた。別に特別なことではない。頻繁に行っている場所だ。
第一部隊に所属していた僕は、その演練場で一人、立っていた。
主と一つの部隊が演練している間、その他の部隊の者は自分が気になる演練を見学しても良いと主に言われていた。だから僕もいつもの様に、他の本丸の刀達がどんな戦いをするのかと見学していたのだ。
その時見ていたのは、練度がとても高い大太刀や太刀がいる部隊と、極という状態になった短刀だけの部隊の演練だ。そこで、見ていた。
各刀達の戦い方を。その中の、一振り。美しく舞う、白い太刀を。その刀は僕の想う刀と同じ姿をしていた。
鶴丸国永。その刀だ。
僕の想う刀ではないとわかっていても、そこに鶴丸国永がいると眼で追ってしまう。それは自分でもどうしようも出来ないことだった、どうしようにも出来ない病気だった。
僕は、自分と同じ本丸にいる鶴丸国永に恋心を抱いている。
だからその時も刀剣男士として戦いを観察している自分とは別の僕が、他の本丸の鶴丸国永をぼけっと眺めていた。
そこに突然現れた。驚きという名のきっかけが。
「わっ!!!」
「わあっ!!??」
ぼけっと、眺めていた僕の鼓膜に突如破裂音にも似た声が叩きつけられた。いくら演練場とはいえ、油断をしていたのが悪い、と言われればそれまでだ、反論の余地はない。けれど僕が一番驚いたのはその相手が誰だかわかってしまったからなのだ。
僕の想い人かどうかはさておき、こんなことをするのは現在顕現可能な全刀剣の中でもたった一振りしかいない。ご存じ、鶴丸国永だ。
「はっはっはっ!どうだ、驚いたか!?」
飛び上がり、着地と共に破裂音元を振り返るとそこにはやはり満面の笑みを浮かべた、どこかの鶴丸国永がいた。自分の本丸の鶴丸国永ではないと、一瞬で見抜くくらいには僕はずっと想い人を見続けていた。だが、どこの鶴丸国永かはわからない。
見知らぬ鶴丸国永から驚かされる理由も思い浮かばず、ただただ驚いている僕に彼は一層笑みを深めた。
「いやぁ、君、中々いい反応をする。気に入ったぜ!」
「きゅ、急になんなんだい。貴方、どこの鶴丸国永なの」
「それは追々説明するとしよう。君、今暇か?暇だな?」
「へ?う、ううん、暇じゃな、」
「うんうん、そうかそうか。なら一緒においで。ちょいと話をしようじゃないか」
「ちょ、ちょっと!」
彼は戸惑う僕の手を脇腹と腕でがっしり掴み、そのままずんずんと突き進んでいく。踏ん張ることも出来ずに僕もそれに続くしかない。
そのまま連れていかれたのは演練場に設置してある休憩所。各本丸同士の交流場所でもあるそこは多くの審神者や刀剣男士で賑わっていた。しかし彼は休憩所の建物には入らず、建物の裏手にある長椅子が置かれている場所、まだぽつりぽつりしかと人がいない所へと歩みを進めた。一つの長椅子の前で立ち止まり、そこでようやく手が離される。
状況に着いていけない僕に苦笑いを浮かべて、彼は長椅子に腰かけた。
「俺がこう言うのもなんだが、君、鶴丸国永相手なら簡単に誘拐されちまうぜ、気を付けな」
「ど、どういう意味」
「まぁ、座れよ」
誘拐犯はそう言って、自らが座っている場所の隣をぽんぽんと叩き、僕を促す。
立ったままだと彼は恐らく何も話してはくれないだろうとわかり、大人しく隣に腰掛けた。
「君は素直だなぁ。それとも余程『鶴丸国永』の性質を理解しているかのどっちかだ」
「・・・・・・話ってなんだい。こんな所まで連れてきて」
彼の指摘は後者が正解だったがそれを本人に言うのは躊躇いがあったので、本題を促した。
一体全体、何度と言うのだろう。鶴丸国永を疑いたくないが、余りにも突然過ぎる彼の行動に何かあるのではないかと訝しんでしまう。ただ世間話がしたいだけでこんな強引さを見せつけるだろうか。誤解されやすいが、鶴丸国永は常識ある刀だ。他人の意志を無視して我を通したりはしない。それとも、所謂個体差というやつか。主である審神者の影響力は刀の本来の性質に変化をもたらすことが多々ある。
僕の本丸の鶴さんも個体差により少し違う所がある為、そう納得させようとした。
考え事をしていたこともあり、むっつり口を結んだ僕を見て彼はふっと微笑んだ。僕の想い人より大人びて見え、ああ、またあの人のことを考えてると頭の片隅で思う。しかし彼の一言により、その考えもすっ飛んだ。
「君、鶴丸国永に懸想しているな?」
疑問符がついている問い掛けのはずなのに、僕には断定している様に聞こえた。けれど何を言われているかは理解を否定していて、内容が頭に入らない。
「えっ、と?」
「好きなんだろう、鶴丸国永。恐らく、君の本丸の」
「なっ!?」
今しがた座ったばかりの長椅子から、がたっ!と大袈裟な音を立てて立ち上がる。同じ長椅子に座っていた為、彼がおっと、とバランスを取った。それよりも言われた言葉の衝撃が計り知れない。
「な、な、何を言っているんだ!そんなわけ、」
「ないか?しかし、君、演練場では鶴丸国永ばかりを眼で追っていただろ?」
「それだけで、懸想しているなんて馬鹿げてる」
「かく言う俺もな、以前、演練中にあつーい視線を感じたことがあるんだ」
意味有り気な視線とその言葉にぎくりとした。
「厭に熱烈に見られるものだから、気になってなぁ。その視線を辿ってみたら、燭台切光忠がいた。もちろん俺の本丸の光坊じゃない。しかし、他の本丸に燭台切光忠の知り合いはいないから、なんだろうと気になっていたんだ。すると、今日も鶴丸国永に熱い視線を送る燭台切光忠がいる。たぶん、違う本丸の」
すらすら、読む様に話す彼の顔を見ることは出来なくて、長椅子がずれて出来た地面の跡を見つめながら、拳をぎゅっと握った。
「君のような燭台切光忠が他に居るなら話は別だが、あの日俺を見ていたのは君だろう?」
「・・・・・・」
「いつもあんな風に鶴丸国永を見ているのか。今までよくバレなかったな。本人じゃなく不特定多数の同種さえあんな眼で見るくらいなんだ、心に秘めてる片恋なんだろう?」
「・・・・・・それを知ってどうするんだい」
苦々しく呟く。素直にそうだと言うのは非常に理不尽な気がして、明確な答えを避けた。迂闊な自分が憎らしい。そして、こんな風に言われるのも心を暴かれた様に感じて良い気持ちはしなかった。
「僕が鶴さんに片恋してたら、何か貴方に迷惑をかけるのか。演練中、気を散じさせたことは素直に謝るよ、ごめんなさい。だけどその謝罪以外を貴方に言うつもりはない」
鶴丸国永相手に珍しいと自分でも思ったけど、きっぱりと切り捨てる。僕は心をずかずかと踏み込まれた怒りと焦りで一杯だった。
「人の片恋をズバリと当ててみたくてこんな所まで呼び出したのかい、ずいぶんと暇なんだね。もう満足しただろう、僕は失礼するよ」
最後まで顔を見ずに踵を返す。たぶん、悪意はないとわかってた。彼は先ほど自分の本丸の燭台切光忠を光坊と愛称で呼んだ。僕も含めよく聞く愛称だから、彼の本丸の僕達が、少なくとも最低限の信頼関係を結んでいるのがわかる。彼がこうして声を掛けてきたのも、もしかしたら他本丸の弟分の同種を気に掛けての優しいお節介からかもしれない。わかっている、鶴丸国永はそういう所がある。わかってはいるのだ。
僕がいきなり怒り出して彼は驚いたか傷ついた顔をしているはずだ。僕は、僕の想い人と同じ鶴丸国永に滅法弱い。傷ついている鶴丸国永の顔を見てしまったら確実に怒りが萎んでしまうのが分かる。心を暴かれた僕が、傷つけてごめんなさいと謝るのはいくらなんでもあんまりだろう。
だから敢えて顔を見ないまま去っていこうとした。
しかし手を強く掴まれる。お陰でつんのめってしまった。
「何、まだ何か?」
振り返らないまま問い掛ける。
「すまない、不躾に君の気持ちを暴くようなことを言った。許してくれ」
「・・・・・・」
「俺が君を連れてきたのは君を傷つける為じゃないんだ。話がある。だが先に明かさなければいけなかったのは俺の心の方だった」
声に反省以外含んでいるものはなかった。嘘の謝罪をするような刀ではない、本心だろう。
謝罪する相手に怒りを持続させるのは難しい。だけど、怒りを露にしてしまったバツの悪さや、片恋を当てられた居心地の悪さが、僕が彼へと振り向くことを押し留める。
「・・・・・・俺も、一緒なんだ。だから君に気がついた」
振り向かない僕に彼は秘密を分け合うような小ささで言った。
「俺も、燭台切光忠が好きなんだ。俺の本丸のあの子が」
一瞬息が止まった。思わず振り向いて小さく、そして重く言った彼の顔を見た。
「話を、聞いてくれるかい?」
僕が見たことのない鶴丸国永の顔。僕の想い人と同じその顔は、鏡で見る僕と同じような表情をしていた。
彼も僕と同じように片恋をしているのだった。
「俺は顕現したのが大分遅くてな」
長椅子へと戻った僕に、彼はそう話し始めた。
「周りの刀達がすいすい人の身を操っている中、一人だけ慣れない肉の塊を引き摺っていた。顕現当初は仕方ないこととは言え、あれはキツかったな」
彼の言葉に頷いた。それは僕にも覚えがある感覚だった。顕現してから人の身に慣れるのは結構大変だ。刀として存在が長ければ長いだけ違和感が大きい。
僕が身内として慕っている鶯丸様も中々慣れないと言って、顕現当時は縁側からほとんど動かなかった程。人の身に慣れて、満喫している今もあまり変わりはないけれど。
僕もこの体が馴染むまで少しかかってしまったけど、同時期に顕現した獅子王くんや長谷部くんがいたからそこまで辛くはなかった。それでもその後顕現した子達、特に体が小さい子達がすぐに人の体に馴染んでいくのを見たときは結構ショックだったものだ。
「君ならわかると思うが、俺もちょっと格好つけ、みたいな所がある。辛いことを辛いって言うより、何でもないように笑ってやる、そういうのが俺は好きなんだ」
「ふっ、そうだろうね」
鶴丸国永はそういう刀だ。格好つけと言うより、彼が言うように辛いと嘆くより笑い飛ばすことを好ましいと思うのだろう。彼のことは知らなくても、鶴丸国永である彼らしいなと笑ってしまった。
笑った僕に、彼は苦笑いで答えて言葉を続ける。
「そして、恐らく君もそうである様に、燭台切光忠ってのはよく他人を見ている。しかもかなり好意的にな。優しく見ているから、誰かに優しくしたいと思っているから、人の弱さに気がつきやすい。君達が人を支えたがるのはそういう性質故だと思っている」
「そうなの、かな。あまり考えたことはないや」
「考えずに出来るってことさ。俺のとこの光坊も例にも漏れずそういう性質でな、俺のもどかしさに一番に気がついたよ」
光坊、と名前を呼んだ響きは優しさと慈しみ、そしてそれ以上に焦がれる気持ちを打ったものだった。さっきは気がつかなかったのに、今はこんなにもわかりやすいのは、彼が気持ちを隠さなくなったからかもしれない。あれほど完璧に親愛の膜で名前を包めるとは彼の秘めた片恋は年季が入っていて、且つ誰にも気づかれてはいけないと言う確固たる意志があるからか。
僕の鶴さんもそうだったらどれ程喜ばしいことだろう。鶴さんの「光坊」と言う響きを思い出したが、親愛以外のものは欠片も見つけられそうにはなくて、心の中でひっそりとため息を吐いた。
「あの子は自ら、俺の相棒と言う名の世話係を買って出てくれた。俺の矜持を傷つけない程度にいつも俺を補佐してくれてさ、さすが伊達男だなぁ、なんて最初は思ったもんさ」
彼は長椅子に両手を突いて空を見上げる。
「好きになるのに、時間はかからなかった」
澄んだ青空にそのままポツリと呟いた。
「変な話だろう。刀が人の体に馴染めないって苦しんでんだぜ?なのに、先に人の心が芽生えたんだ。気づいた時にはおかしくておかしくて、腹を抱えて笑ったさ」
彼は、ここがその時転がった自室の畳の上であるかのように、くくっと、喉を鳴らす。
「遠くから優しく見守ってる癖に近づいてくると、鶴さん、あのね。なんて、年上の俺を立てるように慕ってくれる。上手くいかずにひっそり苛立つ俺に今日の夕食は鶴さんの好きなものだよ、なんて耳打ちをしてきたり、なんてこともあった。全部、全部純粋な優しさや信頼からだって分かってる。・・・・・・だけど、そんな純粋に優しいあの子を、俺は好きにならずにはいられなかった」
はーあ、と息ついて肩を落とす彼に、僕はなんて声をかければ良いだろう。何も言えはしなかった。彼が言ったきっかけの羅列も、好きにならずにはいられなかったという自嘲染みた言葉も、吐いたため息も、全てが理解できた。同じものを持っている僕には。
「馬鹿だよなぁ。あの子は本丸の初期からいる。俺以外とも、とっくに絆を作り上げていた。まして、あんな良い子、俺以外だって放っておくわけがない」
「・・・・・・光坊には、好きな人がいた?」
「ふはっ、君の口から光坊と聞くとおかしいな!・・・・・・まぁ、そんな感じだ。んで、その相手も光坊を好きだった。つまり、俺が抱いたのは横恋慕だったって訳さ!初めて芽生えた人の気持ちが横恋慕だぜ?ひっどい話だよなぁ!」
彼は、はははっ!と笑ってみせる。知っている、辛いことを笑い飛ばそうとする人だということを。
「俺は・・・・・・、あの子を苦しめたくないし、あの子の相手も憎からず思っている。誰にとっても害にしかならないこんな気持ちを誰に言うつもりはなかったんだ、だけど」
彼が、彼の横顔を見つめていた僕を振り向く。ここにいない彼の燭台切光忠を見つめていた眼差しとは明確に違うものが僕に与えられる。
「あの子を見る俺の眼差しと同じもので、俺の中に別の鶴丸国永を見ている、あの子と同じ燭台切光忠を見つけた」
長椅子を掴んでいた白い手が、膝の上で握っていた僕の黒い手に重ねられた。
「ずっと、話がしたかったんだ。だから今日、また君を見つけて強引にここまで連れてきた。君に勝手に共感を覚えて、あんな風に心を暴いてしまった。改めて謝罪する、すまなかった」
ぎゅっと握られた手に、誠実な謝罪。許さない理由なんて何処にもない。もう、怒っていないと、首を振ることで伝えた。
彼はホッとした顔を隠そうともしない。鶴さんと違うと分かっていてもその顔に揺らぐ僕と同じように、怒っていない僕の顔に明らかに安堵した様だ。
「僕の本丸の鶴さんはね、」
恋を秘めている顔にたまらなくなって、目を伏せる。そして息を吸って止めた。
それはただの性質だ、それをあの人の罪の様に言いだそうとしている自分自身に気付いて、頭をゆるく振る。厚かましい。そういうあの人を勝手に好きになったのは僕だと言うのに。
重ねられている白い手があの人のものだったら言えない、片想いが実らない責任転嫁の言葉を淡々と聞こえる様に吐き出した。
「恋愛感情や情欲って言うのが理解出来ないんだ」
恋に苦しむ彼を目の前に、貴方が羨ましいと言うのは残酷だ。だから飲み込んで、代わりにその白い肩にこつりと額を寄せた。
「優しい人だよ、本丸の全員を大事に思ってくれている。主のことも慕っているしね。仲間に対しては博愛と言ってもいい。けれど、あの人は刀なんだ。肉の器に宿ってはいるけど、刀で、神様なんだよ」
「俺達は、皆そうだろう?」
「はは!こうして人の心で苦しんでいる僕らが、あの人と同列とはちょっと考えにくいよ」
僕が今まで見てきた多くの鶴丸国永。彼らは、彼の言う通り刀で、神様だった。
だけどほとんどが人の情をよくよく理解していた様に見えた。特別な相手を持っている鶴丸国永もいたし、そこまではいかずとも特別な関係である仲間を理解し、見守っている存在が多く見受けられた。共に墓に入った相手を一途に思う姿も、未知のその感情に憧れると理解したがっていた者もあった。
けれど、鶴さんはその感情が理解出来ない。
清らか、と言ってしまえば簡単だ。神様が人々を思うように仲間や主を愛している。無償の愛を差し出し、優しさを降り注いでくれる。もちろん刀でもあるから血を浴びることもある、命を刈り取ることもある。しかし汚れてもなお白く美しいからこそ、あの人は本当に慈愛に満ちた神様なのだ。いや、あの人だけではない。僕の本丸にいる皆がそうだ。僕の本丸はいつだって温かさと優しさで溢れている。無償の愛に。
そして、だからこそ彼らは、無償ではない恋を理解できない神様達なのだ。
「気味が悪いんだってさ」
「何?」
「うちの主もそういう所があってね、うちの主、すっごく優しくて僕たち皆を愛してくれてるんだけど、情欲は悪だって考えてる。うちの刀は結構その影響を受けてる子が多いよ」
「君の所の主だって、人間だろう?人にはどうしたって、」
「うちの主、体の半分が義体なんだ。一見わからないけど」
今の技術ってすごいよねぇって笑う僕を、彼は凝視した。
「恋愛感情は悪だって言わない。だけど良い顔はしないだろうな。うん、別にそれでも良いんだけどね、本丸内の生活に支障はないし」
いつも純粋な親愛を与えてくれる仲間――家族を思い出して浮かぶ笑顔は嘘ではない。この本丸に顕現出来て本当に良かったと思う気持ちも。
「だが、君、それじゃあ」
「鶴さんが、恋や情欲を理解して、僕の気持ちを受け取ってくれたら辛かったかもしれない。だって思いが通じてるのに、大好きな仲間に隠さなきゃいけない関係になっちゃうからね。けど、鶴さんやほとんどの皆は敬愛や親愛じゃない愛を気味が悪いって言う。だから主の考えは別に僕らを苦しめてはないんだ」
ぎゅうと重ねられた手に力が込められる。痛いなぁって、何処かがわからないけど思った。
「鶴さんも皆も、人のはずの主も。皆、神様みたいに、清らかで愛情深い。僕の方があそこでは異端なんだ。・・・・・・ほんとねぇ、僕って馬鹿だよ」
当てたままだった額を離す。僕を見ている彼は、どこか痛々しいものを見る目をしていた。同じように自分を馬鹿だと言った彼には僕を笑うことは出来ないのだ。
「何で、僕はこんな気持ちを知ってしまったんだろうって最初は辛かったなぁ。今でも、時々くそーって、思うこともあるよ。だけど、だけどやっぱりあの人を好きにならずにはいられなかったんだ」
光坊、と親愛だけで呼ぶ声を思い出す。よしよし、君は頑張ってるぞ。と優しく頭を撫でてくれたこと。重傷になり手入れ部屋に入った僕を、廊下で眠りながら待っていてくれたこと。君は俺の可愛い弟分だって、肩を組みながらお酌をしてくれたこと。
辛いことがあった時、一人で苦しむ僕をいつだって見つけて、一緒にいてくれること。
向けられているのは、全部穏やかで綺麗な親愛。それを与えられてこんな気持ちを持ってしまう僕は、愚かでしかないけど、やっぱり思い出すひとつひとつに、好きだなぁという恋しさが湧き上がる。だから同時に苦しさも。
胸の中に恋しさが座り込んでいて、胸を圧迫するからこんなにも苦しいんだろうか。いつもそんな疑問を持つのだけど、答えはずっとわからない。
じっと顔を見つめてくる僕のその考えが伝わったのか彼が痛々しさを潜めて、困り顔のまま口の両端を持ち上げる。お互い救えないなあ、とでも思ったのかもしれない。
「なぁ、」
彼は握っていた手を緩めて、手袋の中がずいぶんと暖まった僕の手を黒い皮越しにぽん、と叩いた。
「君の、愚かで情欲を含んだ純愛はよく分かった。俺のも大方そんな感じだしな」
「自分で純愛って言っちゃうのかい」
「純愛さぁ!性的になんて一切、触れたこともない。冗談で尻を叩いたことすらな!この鶴丸国永がだぞ!?」
「多くの鶴丸国永が、冗談で人のお尻を叩くような刀だって誤解を与える言い方はやめてくれ」
「まさか、そんな立派なものを持っていて叩かれたことがないのか!?」
「あるけど!割りと強い力で叩かれるけど!!」
なんなら他の刀達に叩かれたことだってある。僕の本丸の皆は恋愛感情等を理解できないだけで、他の性質はあまり変わらない。鶴さんも他の鶴丸国永同様、驚き大好きな平安お爺ちゃんだ。人のお尻を挨拶代わりに叩くなんて日常茶飯事で、特に僕は大袈裟に驚くから余計に狙われてしまう。
思わず腰を浮かして、よく分からない主張をする。長椅子との間に当然空間が出来た。
すると今まで僕の手に重なっていた白い手が素早く離れ、その空間へと滑り込む。そのままさわさわと僕のお尻に触れる。
「んなっ!?」
「うん、やはり想像通りの良い感触だ。この弾力、素晴らしい」
「・・・・・・今すぐ両手を出して。刀を握らず、人のお尻を厭らしく触る手なんて邪魔でしょう、僕が切ってあげる」
「切れるのか?君に、鶴丸国永である俺が?」
「んぐっ、こ、この~!!」
ふふんと笑う顔が憎らしい!彼は確かに鶴丸国永だけど、鶴さんとは全然違う。鶴さんは僕が怒ったらもっとちゃんと、すまん!って頭は下げる。上げた時に同じことするけど。ちゃんと謝ってくれる、形だけは。
だけど彼は僕がその顔に弱いことを利用している。なんて腹立たしい。そんな意地悪そうな顔も鶴さんするのかな、見たいな。なんて、これっぽっちも思ったりするものか!
「君は、怒るんだなぁ。光坊だったら、鶴さんったらしょうがないんだからって笑って流すのかな」
意地悪顔を優しく変えて、僕を通して彼は違う刀を見る。そんなこと言われたら怒れなくなるじゃないか。
押し黙る僕に気づいて、彼は一瞬の表情を戻した、そして咳払いをひとつ。取り繕ったって無駄なのに、まぁ気持ちはわかる。
「君の主の名前を聞いて良いかい」
「いきなり、何?」
立ち上がった僕に合わせて彼も立ち上がった。身長差から自然と視線が下がる。
「そろそろ時間だろ。だけど俺は君ともっと話がしたい」
「セクハラしたいの間違いじゃなくて?」
「なら訂正する。セクハラも、話もしたい。だからちょっと考えた」
「何を?」
「君ともっと話せる時間と場所を手に入れる方法をさ」
「そんな方法があるのかい」
疑う眼差しを上から受け止め、彼は、にやっと頷いた。ああ、この顔なら結構よく見る。悪戯小僧みたいな顔。
「全刀剣男士で詐欺を働かせたら鶴丸国永か燭台切光忠か、ってよく言われるだろ。任せておけ、君も話が来たら調子を合わせろよ?」
「え、ちょっと、それ初耳なんだけど、詐欺ってひどくない?って、話って何、なんの説明もないの?」
「上手くいかなかったら恥ずかしいからな!」
「はー!?」
「まぁ細かいことはいいじゃないか!さっ、もし君も俺と話したいと思ってくれるなら君の主の名前を教えてくれ!悪用の心配ならご無用っ。俺はこう見えて詐欺師じゃなく、刀だからな!」
腰に手を当てて得意気に顎を上げる。その姿をしばらくぽかんと見ていたが、意識してやれやれと首を振ることで金縛りを解いた。
「失敗したら笑ってあげるからね」
「その心配もご無用だな。演練場は広いんだぜ、ここで失敗したらよっぽどの運命じゃない限り二度と会えない。どっちにしろ君の悪役ぶった高笑いを聞くことはないな」
「僕達が会ったのは二回目じゃないか、運命なんて大袈裟だよ」
どこか釈然としない、まさに詐欺師に担がれている気分になってぼやいた。
また意地悪な、はたまた悪戯小僧な笑みを浮かべるかと思いきや、予想外にも彼は穏やかな微笑みを乗せて言った。
「そりゃあ君、俺達がこうしてまた会うことが運命だったってことなのさ」