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 笑顔を貼り付けて一週間過ごした。周りには不思議には思われなかった。皆似たようなものだったから。皆は、消えた刀を思いながらも本丸の雰囲気を少しでも明るくしようとしてのこと。僕は、一週間をただやり過ごすためのもの。

 もう自己嫌悪に陥る余裕もない。

 目を瞑っても歩ける道を殊更ゆっくり歩き、彼の待つ小屋へと行く。もはや自室と同じくらい帰ってきたと息つく場所になっていた、その玄関を開ける。
 既に彼がいた。中に上がり込み、訪れた僕を見ている。
 僕たちはお互いを見た瞬間、いつもと違う空気を感じる。陰鬱な。
 僕がこの気持ちでいる様に、彼にも何かがあり、いつもと違う気持ちを抱いてそこに座っている。もう、何度も体を繋げた相手。心も、通じているからそれがわかる。
 僕は無言で部屋に上がり、彼もまた無言で僕を見ている。僕がゆっくり、でも強い力で彼の肩を掴み畳に押し倒しても、やはり何も言わなかった。ただただ、下から僕を見つめる。

 

「ねぇ、」
 

 僕もまた、上から彼を見つめる。
 

「ねぇ、僕たち、このまま幸せになってしまおうよ」
 

 見下ろすことで自分の黒い髪が周りを隠す。見えるのはまっすぐ下にいる彼の顔だけ。畳に広がる白銀の髪が僕の黒の向こうでやけに白く輝いて見える。
 

「このまま、二人で幸せになってしまおう」
 

 自分の声ながら淡々としたものだと思う。だからこその懇願が彼にはわかるだろう。
 

「僕、貴方を愛するよ。貴方が僕を愛するより多く、貴方を愛する。僕なら貴方のその感情を害にしない。綺麗なものを見るときは一番に貴方を思い出す。ううん、違うね、綺麗なものは二人で一緒に見よう。僕は貴方の横顔に見惚れて、気づいた貴方は僕に口吸いしてくれるんだ」
 

 何度も交わした体を、震える手で撫でる。この体から与えられた熱にずっと助けられてきた、だから今度も、助けてほしい。
 そして同時に今、僕と同じように打ちのめされている彼を助けたい。

 

「もう、いいじゃないか。僕達もう十分、苦しんだよ。もう、報われてもいいじゃないか。僕達、お互いを愛せば幸せになれるってわかってる。だから二人で幸せになってしまおう?」
 

 恋を理解出来ない鶴さん。既に誰かのものである燭台切光忠。そんな相手を想い続けたって苦しいだけで、決して報われることなどないのだ。そんなもの、ずっと持ち続ける必要、ない。だからそんなものはもう捨ててしまって、僕達自身が愛し合えばいい。
 幸福になる為に生まれたこの感情を、今度こそ幸福にしてやるために。だから、

 

「お願いだ。お願い、お願いだから」
 

 その白い肩口にこのまま抱き寄せてほしい。頭をぽんぽんと叩いて、そのまま項に滑らせて。口づけをして、熱を絡めて。いつもみたいにこの苦しみを消して、そして愛し合って、
 

「幸せに、」
「無理だろ」

 

 頬に柔らかく滑る手。触れ合う時の様な熱さはない。
 

「そんなこと、俺達に出来る筈がない」
 

 金の両目が何の感慨もなく下から僕を見ている。
 だけど手は頬に掛かる黒髪を優しく耳にかけてくれる。視界が少し広がった。今は彼さえ見えていればそれでいいのに。

 

「君、前に言ったよな、人間は『同じ』を代わりには出来ない、どんなに良くても『似てる別人』までだ。だから人間は大変だって。・・・・・・それがな、人間の強さなんだよ。似ていても別人を求めて慰められるのは、何処かで変わることを求めているから」
「変わること・・・・・・」
「だけど、俺たちは『同じ』を求めた。他にも近しい刀はいる、だけど俺たちは同じ想いを抱いてる、想い人と『同じ存在』を求めた。その時点でわかっていたはずだぜ、俺たち変わっていくことを何一つ望んでいないって」


 噛み締める唇を白い指は、なぞることでほどかせる。


「進んで救われたがっていない俺達が幸せになる為だけにお互いを愛せると思うか?絶対に無理だ。俺たち、何も変われないのさ」
「そんなこと、そんなことないよ。だって僕たち、出会ったじゃないか。出会って、抱き合うことで苦しいだけの気持ちを昇華出来る様になった!」
「いくら体を繋げたって、また気持ちを溢れさせる為に、零してるだけだ。何も変わっちゃいない。前にも進めず、後ろにも下がれず。今の位置で、もがいて、喘いで、それでも笑っているしかないんだ」
「なんでそんなこと言うんだ!!」

 

 右手を彼の顔すぐ近くに叩きつけた。
 

「どうしてさっきから否定ばっかり!無理でもそうするしかないじゃないか!だって鶴さんが自分の心を殺すなって言うんだよ!自分の心に正直になれって言うんだよ!なら、鶴さんを好きな気持ちで貴方を愛するしかないじゃないか!!」
「それこそ自分の気持ちを偽っているだろうに」
「貴方だってそうだろう!自分だって本当の気持ちを隠したまま、相手に一切触れも出来ない。僕と同じな癖に!分かったような事言わないで!」
「・・・・・・自分の気持ちに正直なままあの子に触れたって言ったらどうする?」
「!」

 

 言葉に固まる。そんな僕に、まっすぐ見ていた金が逸らされた。
 

「触れてしまったと言ったら」
 

 悲痛な声だ。ぽつり、と彼は自分にあったことを話す。
 

「一週間前な。俺、戦場で重傷を負ったんだ、あの子を庇って。このまま折れるのかって思いながらも、本懐を遂げたななんて、心で笑って目を閉じた。だって最高の折れ方だよな。戦場で敵と戦い、好きな相手を庇って死ねるんだぜ。自己犠牲で、浅ましい恋も純粋な愛に塗装されてさ、文句のつけようがない」
 

 そのまま死ねたらよかったのにとは言わなかった、思ってもいないだろう。だけど、羨望は隠しようがない。
 

「目が覚めたら、手入れ部屋。あの子が鶴さん!って声をあげたよ。起き上がる俺に抱きついて、よかったって、泣いた」
 

 僕はその場にいなかったのにその光景が目に浮かぶ。鶴さんが同じことをしたら僕もよかったと泣くだろう。抱きつくことは出来なくても。
 

「あの子がさぁ、何で庇ったんだって泣きながら言うんだ。ぽろぽろ片目から涙を落として。いつも優しく笑う子が、俺の為だけに、傷ついたんだ。その涙が、すごく綺麗だった」
 

 どことなくうっとりとした声色が混じる。
 

「生死を彷徨っていた直後で、俺もちょっと朦朧としてた部分はあった。いや、言い訳だよな。・・・・・・俺、あまりに綺麗さに、抱きつく体を抱きしめ返して、あの子にそのまま口づけた」
 

 うっとり含んだものをそのまま吐き捨てる。苦々しい顔、血が出るのではと心配になるくらい握りしめられている手も後悔からだとわかった。押し倒したままの僕は体を近づけていいのか離した方がいいのかわからない。
 

「君と間違えてたわけじゃない。あの子だってわかってた。なのにその唇を貪った。喜びで目の前がさ、くらくらしたよ。それこそ死んでもいいとか、思った。幸せに酔って、それを味わい尽くそうと・・・・・・だから、突然のことに驚いて咄嗟に突き飛ばそうとするあの子の両手を掴んで、俺、」
 

 息を吸い込んで、観念したかのように吐き出す。
 

「俺、構うものかって、この子の意志なんて構うものかって一瞬思ってしまった」
 

 片手で目元を隠す姿に、何も言うことは出来ず僕は押し倒していた体を離した。辛い後悔を正面で受け止めることが僕には出来ない、彼も求めていない。
 

「すぐ我に返ったから良かった。でも、その代わり『目覚めたばかりで意識が混濁してたんだね』ってあの子に許されてしまった、俺は危うくあの子の優しさを損なわせてしまう所だったのに」
 

 目元から手が離れる。涙の片鱗さえなかった。そのことには安堵しながら、僕は身を起こす彼を見ている。
 

「あの子の優しさを守りたい」
 

 胡坐をかいて踝を強く握っている。何かに耐えている、後悔か、その身を食い破りそうな衝動か、優しさを損なわせる恋しさか。その全てなら今身を苛んでいる耐え苦は相当なものだろう。なのに強く握る手以外、表情も全てもういつも通り。きっと彼の本丸でもそうなのだろう。過度な悪戯はしても、辛いことを辛いと言わずきっと笑っている。だから耐える方法ばかり長けていく。
 

「俺の気持ちを救ってくれたあの子の優しさを守りたいんだ。誰からも、俺自身からも。そう思う自分から変わりたくない。救われなくったっていい、不毛だっていい、幸せなんかなれなくても、ずっとこのままでいい」
 

 唇だけ微笑む顔、きっと笑うってわかってた。だけど僕は愕然と彼を見る。
 

「嘘、でしょう。ずっとこのまま?本当に、ずっと好きなだけで、報われないで苦しいまま・・・・・・?」
「・・・・・・」
「なら、僕達なんの為にこんな想いを持ったの。僕も、貴方もこの気持ちを持ってずっと苦しくて、これからもずっと辛いままなの」

 

 気味が悪いと忌避される場所でこの想いを持った意味。人の身に馴染む前に報われない想いを持った意味。
 

「僕達は、なんの為に出会ったの」
 

 そんな二人が出会った意味。彼はそれを運命と言った。どうあがいても幸せになれないということを突きつける為に運命が僕達を引き合わせたというならそれは余りにも残酷ではないか。そうではないと信じたい、でもそんな運命を否定する為にどうすればいいか分からない。
 

「消えるのが、正解?この気持ちが?・・・・・・僕が?でも、それは駄目なんだ。僕は僕だけの意志でここにいるわけじゃない。その意志を無下にして僕が消えることは許されない。それに、皆を悲しませる。それは駄目。・・・・・・なら、自分の気持ちを偽るしかない?でも、鶴さんが、自分の気持ちに正直にって、」
 

 彼と出会ったことで告白する勇気をもらったと言うことにして、正直に鶴さんに言えばいいのだろうか。好きだよと。貴方が好きなんだと。そうすれば僕たちの出会いは悲しいものではなくなる?いや、それは出来ないとわかってる。だって、
 

「だって、困らせたくないよ」
「君・・・・・・」
「困らせたくないんだ・・・・・・」

 

 目を見開く、鶴さんと同じ顔が刺さる。こんな顔をしてほしくないのだ。好きな人にはいつも笑って欲しいって思うのはそんなにおかしいことなのかな。
 あの人を困らせたくない。仲間を純粋に愛してくれるあの人を。優しすぎるあの人を。困らせると分っていて好きだよなんて、言えない。
 結局、どうすればいいだろう。消えることも出来ない、自分の気持ちを偽ることも出来ない、本当の気持ちを打ち明けることも出来ない。身動きがとれない。何が人間みたいだ、だ。変わることも出来ず、動くことも出来ず。僕、ただの刀の時と一緒じゃないか。
 ああ、なるほど。この運命の意味とは、人の身を得て、人の心を持ったといくら思っても、僕はやはり刀なのだとそう思い知らせるための天からの意志か。変われないで、こうして身動きもとれない僕はどこまでも刀なのだ、それを自覚して崇高な使命だけを遂行しろという。

 

「『光坊』」
 

 結局鉄の塊でしかない自分に気付いて、全てに諦めがつきそうな僕を呼んだ。
 

「『光坊』」
「・・・・・・急に、何を、」
「『光坊』、」

 

 名前を繰り返して頬に優しい冷たさの温度が触れる。優しい、どこまでも優しくて、僕に親愛だけを与える両手。狂暴な熱なんて一度もくれたことがない、温もり。これこそが、鶴さんと同じ手だ。どうして今、それを僕に与えてくるんだろう。
 

「ああ、わかった。君って本当に、救えないんだ。救えない程、不器用なんだ。運命も見過ごせないくらいに」
 

 息をついて、ゆるゆる頭を振っている。どこか呆れたように。
 

「きっと変われない俺達が出会った意味は、『同じ』俺達が出会った意味は、お互いを慰める為に抱き合うことじゃなかったんだ。変われない、救えない存在だとただ突きつけることでもない」
 

 じゃあ、何だって言うの。そう言い返そうとするけど、浮かぶ表情に言葉がつっかえる。
 

「不器用な君の、身動きが取れない君の、自ら巻き付けてる鎖をちょっと緩めてやる為。その為に運命は俺達を惹き合わせた」
 

 さっきまで「幸せになれなくていい」と唇だけを微笑ませていた人とは別人の顔で僕を見る。その表情は、鶴さんと同じものだ。
 

「俺には何も隠さなくていいんだ。自分の気持ちを偽る必要もない。その為に俺は、ここにいる」
 

 さあ、と僕に向かって腕を開く。神さまが告白せよ、と。
 

「『光坊』、君が本当に望んでることはなんだい?どんなことでも、絶対に否定しない、困ったりしない。ありのままの君の気持ちを『鶴さん』に教えてくれないか」
 

 表情だけじゃない、この人は今、全てが鶴さんなのだと、そう感じる。
 僕の鶴さん。僕が出会った僕だけの鶴さん。
 いつも僕を心配してくれる人。僕を必ず見つけて、見守ってくれる人。優しいだけの人。僕の苦しみだけ気づいてる癖に、その理由がわからない、無垢で清廉で僕を傷つける酷い人。
 目の前に僕の大好きな鶴さんがいる。鶴さんが、

 

「・・・・・・ひどいなぁ、その反則技一切禁止って言ったじゃないか」
 

 僕は、僕の想い人と同じ鶴丸国永に滅法弱い。この人はそれがわかっていて鶴丸国永であることを利用している。
 

「ずるい、卑怯だ、自分は変わらなくていいなんて開き直った癖に、僕だけ、変えようとするの?」
「・・・・・・」
「ずるい、ずるいよ。ずるいよ、つるさん・・・・・・っ!」

 

 寸分狂わずまったく同じ姿。親愛だけを携えた僕の神様にすがり付いた。
 

「鶴さんの馬鹿!!!どうして分ってくれないの!!!」
 

 そして右手でその左胸をどん!と叩いた。親愛しか入ってない中の心に、わからず屋!なんて叫びたくなる。
 

「貴方が好きだよ!貴方の全部が欲しいんだ!僕だけを見て欲しい、僕と同じ熱で僕を見て欲しい!僕に触れて、僕を感じて欲しいよ!!」
 

 光坊と呼ぶ声に、少しだけ甘さを滲ませて。僕と目があったらいつもより嬉しそうに笑って、廊下ですれ違ったら小指を絡ませて。親愛じゃないそんなことばかり。好きだからだ、鶴さんが好きでたまらなく欲しいから。僕だけに特別なものを与えてくれるのをずっとずっと望んでいる。僕だけに特別なものを求めてくれるのをずっとずっと願ってる。
 でも、本当は、一番望んでいることは。

 

「好きだよ、好きだよ、好きだよ!!!鶴さん、本当は僕の欲しいもの何一つ与えてくれなくていい、僕、僕ただ貴方が好きなんだ・・・・・・。好きだよ、ねぇ、だから、どうか、」
 

 鶴さんから自分の気持ちを気味が悪いものだと、烙印を押された日からずっと願ってる。
 神様、神様お願いだから、どうか。

 

「どうか、僕の気持ちを認めてよっ・・・・・・!」
 

 いつの日か、この気持ちが僕の中に存在することを認めて、と。
 

「気味が悪いって言わないで!この気持ちが僕達を殺すって、怯えないで!僕は、この想いでここに存在してる。貴方を好きな気持ちで苦しいけど、消えたいって思うこともあるけど、だけど貴方の側にいたいって強い気持ちで、僕を生かしてる。それは、貴方がくれたものだ、貴方がくれたものなのに、なんで分ってくれないんだよ。それを、それを・・・・・・分かってよ・・・・・・ねぇ、お願いだから、」
 

 好きだよ、貴方が好きなんだと言って、「俺もだ」と返されることが、報われることが僕の本当の望みではない。僕は、本当は鶴さんにこう言いたいのだ「こんな素敵な気持ちをくれてありがとう」って。
 報われないことは確かに苦しい、だけど、この気持ちを知ってから僕から見える世界は本当に変わった。悪があるからこそ豊かに育ち輝く心と一緒。苦しみと、それでも愛おしいと思うもの、そういった矛盾するものを数多く内包する世界は前より一層深みを増し、美しく見えた。
 鶴さんと、皆と共にいられる今を守りたい。過去に、そして未来に、同じように世界を美しいと知る人たちの歴史を守りたい、そう強く思うようになった。
 刀の善悪は所有者の善悪でしかなかった。そんな僕に、強い意志を与えてくれたこの気持ちを、僕は誇りに思いたいのだ。そしてそれを与えてくれた鶴さんに、貴方のお陰だよ、この気持ちをありがとうって、そう言いたい。鶴さんに「どういたしまして」って笑ってもらえるだけでいい。それだけ、本当はそれだけ。
 それだけの事が叶わないから僕は苦しいだけになってしまった。苦しいだけでも、一度芽生えた気持ちは消せなくて、僕は鶴さん以外の鶴丸国永を見つめる様になった。
 せめて、鶴さん以外の鶴丸国永でもいい、この気持ちに気付いて、そして認めてくれたら。僕は少しだけでも報われるのだと信じて。

 

「『光坊』」
 

 言葉もなくなり、とん、とん、とその白い胸を叩くだけになった僕を鶴さんが抱きしめる。強くじゃない、ふわりと、慈しみだけで。
 

「『光坊』、」
「・・・・・・なぁに」
「ありがとう」

 

 こんなに強い気持ちで俺を思ってくれて。
 背中をぽんぽんと叩かれる。
 僕は何を言われたか分からなくて、肩越しに見える部屋の中をぱちりぱちりと瞬きで二回切り替える。理解した時は同時にふふっと口が勝手に笑ってしまう。

 

「なんで笑うんだ」
「だって、それ、僕が言いたかった言葉だもん」
「ありがとうって?」
「うん、こんな素敵な気持ちをありがとうって、鶴さんにずっと言いたかったんだ」

 

 笑いながら言う僕に、あー・・・・・・と。やっちまったと言いたげな溜め息にも取れそうな音が聞こえた。そして抱きしめられていた体が離れていく。
 

「やっぱり、俺じゃ力不足だったか・・・・・・」
「そんなことないよ、貴方、すごく鶴さんだった。今までで、一番」
「最後の最後でしくじってしまったけどな」
「ううん、嬉しかったよ、『貴方』の言葉」

 

 こんなに強い気持ちで俺を思ってくれて、ありがとう。とは彼自身で考えた言葉だろう。僕が鶴さんにぶつけた気持ちに、彼なりに報いたいと思ってくれた言葉は、鶴さんに望んだ言葉じゃなくても嬉しかった。
 僕の言葉に、鶴さんではなくなった彼が、笑ってくれる。彼はもう鶴さんではない。そしてもう二度と僕の鶴さんにはならないだろう。それがわかる。だってお互いを代わりにして抱き合うことが僕たちの運命ではないのだから。

 

「俺は、運命を遂げられたかい?」
「どうだろう。・・・・・・でも、うん、ちょっとすっきりした」

 

 自分の胸をとんとんと叩く。一週間前から胸に絡み、締め付けていた糸が緩んでいる気がした。あんなに雁字搦めに感じていたのに。
 

「いきなり『鶴さんの馬鹿!!!!』だからな」
「あははは、ごめん。思いっきり叩いちゃったけど、胸、痛かった?」
「ちょっとなぁ。でも、ま。笑えるなら俺も罵倒された甲斐があったってもんさ。運命も安堵してるだろう」
「貴方、前も運命だって言ってたね。運命論者なのかい」

 

 くり返される運命という言葉にふと疑問が湧き出る。
 歴史修正主義者と戦う審神者の中には絶対運命論者が比較的多くいる。審神者の影響を受けた刀も少なくないから、珍しいことではなかった。けれど、鶴丸国永で運命論者は余り見かけないから、ずっと気になっていたのだ。

 

「運命だって、信じなけりゃ、思ってしまうだろう」
「何を?」
「もし、先に出会ったのが俺だったら、あの子は俺を選んでくれたかも知れないって」
「あ・・・・・・」
「でも俺が遅かったのはそれがあの二人の運命で、俺の運命なんだ。これが運命なら仕方がない。って、納得できる」

 

 目を瞑って穏やかそうに笑う。納得してるなんて嘘をついて。
 だって、あんなに熱く触れる指が、焦がれる名前が、本当の気持ちなんだと僕は知っている。
 人の事を救えない程不器用だと言っていたが、彼も相当不器用だ。いや、違う。逆か。器用すぎるのだ。誰も気が付けない程巧みに、自分の気持ちを隠せてしまう。救えない程、器用。
 この人はその器用さでこれからも、変わらず今まで通り生きていこうと言うのだ。僕だけを少し楽にさせて。
 でもそんなこと、させない。それこそ運命だって許さないだろう。同じ想いを抱いてる『同じ僕達』が出会った意味は、身動き取れない僕を助ける為だけじゃない。耐えることから覚えてしまったこの人の心を救う為でもある筈なのだ。

 

「・・・・・・『鶴さん』、自分の気持ちを偽らないで」
「っ、」

 

 だから僕は『鶴さん』と呼ぶ。恋していない彼の、名前を。僕には別に想い人がいる、だから彼の名前を安らかに呼べる。彼の想い人である燭台切光忠ときっと、同じ響きで。
 

「僕だけを守ろうとしなくていいんだよ。僕もね、貴方のその優しさを守りたいんだ」
 

 それは彼の想い人の言葉でもあるし僕自身の言葉でもある。鶴さんとはまた違う、過ぎた優しさをこの人は持っている。僕達はそれを守りたいと思わずにはいられない。
 

「貴方が苦しむことで、幸せでいられても何も嬉しくないよ。全部に耐えようとしないで、一言だけでもいい、苦しいって言ってもいいんだよ。『鶴さん』ってば顕現当時から、苦しいも辛いも言わずに笑ってばかり。でもね、たまには弱音を吐いても良いんだ。貴方が楽になる為だけの言葉を、『僕』にぶつけてよ」
「・・・・・・君もずいぶん卑怯な手を使う」

 

 先にしたのはどっちだよと言いたいけど、彼の想い人はそんなこと言わないだろう。だから彼から距離を少し取り、ただ見ている。顕現したばかりの彼を見守っていただろう眼差しと同じように。
 

「確かにあの子が言いそうなことだ」
 

 鼻で笑おうとしてそれが出来ない自分に気付いた彼は押し黙った。
 

「・・・・・・」
 

 彼は首を振る。拒絶したのか、観念したのかは分からない。そのまましばらく沈黙が落ちる。
 僕たちには距離があった。彼が少し手を伸ばし、すぐに下ろす。また、僕に伸ばそうとして、意思で耐えようと眉間に皺を刻む。
 繰り返して、繰り返して、ようやくその白い手が僕の膝の上の手に触れる。怖々と。全てに重ねることは許されないと思うのか、人差し指と親指だけで、僕のひとつの指を握った。

 

「・・・・・・君を、」
 

 まるで延々と続く荒野で。
 

「君を、・・・・・・愛している。心から」
 

 凍える極寒の地で。命が死んだ戦場で。
 独りになってやっと、伝えられた想いであるかの様に、彼は小さく小さく囁いた。「苦しい」でも、「辛い」でもない、でも彼が楽になる為だけの言葉を。

 

「はは、結局乗せられたな。言ってしまった」
 

 懺悔をするように俯く。
 誰にとっても害にしかならないと言った気持ちを表す言葉、彼にとって口に出せば厄災を招く滅びの呪文にも等しかったのかもしれない。俯いたのは本当に懺悔の為だったのだろう。
 けれど、そのまま囁きが耳に届く。

 

「・・・・・・やっと、言えた」
 

 万感の思いがあった。
 苦しみも愛しさも後悔も喜びも。人の身に慣れるまでに持て余していた心をやっと告げられたと。万感の思いがあった。
 顔を上げた彼が、想い人となっている僕を見る。
 そして、くしゃりと泣きだしそうに笑った。

 

「・・・・・・っ、」
 

 ありがとう、と言わなくては。彼が鶴さんとして僕に言葉をくれたみたいに。僕も本当の気持ちを吐き出してくれた彼に、報いるような言葉を伝えてあげたい。彼の想い人として。
 だけど、どうしても言葉が出てこない。出てくるのは涙ばかり。
 苦しくても涙は耐えられるのに、切ないって思うとこんなにも涙は溢れてくる。

 

「僕たち・・・・・・っ本当に、馬鹿だよねっ、たった、これだけのことなのに。これだけで、本当は幸せなのに。これだけのことが、こんなに、難しい」
「・・・・・・そうだな」

 

 想い人でなくなった僕の手に、しっかりと手が重ねられる。まだ溢れている涙を隠したくて彼を抱きしめる事で顔を隠した。彼が空いていた手で頭の後ろを撫でてくれるから、どうしよう涙が止まらない。泣きじゃくる僕の背に頭から彼の手が降りてきて、宥める為に何度も上下する。
 僕が泣き止むまで彼はずっとそうしてくれていた。僕たちは想い人と『同じ』である体を、初めてお互い自身の為にただただ抱きしめあった。

 

 

 


「・・・・・・」
「拗ねるなって。と、言うか別れ際までそんな顔はなしだろう。腫れた瞼も相俟って、君ひっどい顔だぜ?」
「そこは気づかない振りしてよ!」
「今から帰ったら質問責め間違いなしの顔つきだ。言い訳はきちんと考えておけよ?」
「大丈夫だよ、僕、刀剣男士で詐欺師をさせるなら燭台切光忠と言われたその人だから」
「ははっ、君、燭台切光忠の中でも一等不器用なタイプだけどな!」

 

 玄関口で遠征終了時間を待ちながら二人で話をしている。というか僕が駄々を捏ねている。
 

「ねぇ、別に交流遠征はやめなくてもいいじゃないか。普通の友人として会おうよ」
「運命は遂げられたんだぜ?それをだらだら伸ばしてしまえば腐れ縁になる」
「いいよ、それで」
「俺は嫌だ」

 

 僕が駄々を捏ねる理由がこれだ。彼はこの交流遠征を今回で最後にしようと言う。僕はそれが嫌だと言う。堂々巡りで、時間は過ぎていく一方だ。
 

「俺は、君が大切だ」
 

 口を尖らせる僕に彼が言う。
 

「俺の気持ちの為に泣いてくれた。それだけじゃない、俺の気持ちをわかってくれた。一緒に罪悪感に苛まれて、熱を昇華して、独りで耐えてきただけの俺と一緒に、苦しんでくれた」
 

 組んだ手を前にぐぐっと伸ばし、体全体で伸びをする。
 

「一言零しただけだ、なのにこんなに心が軽い。それは、あの一言が俺の中の本当に大切な一言だったからだ。あの子だけに受け取って欲しくて、だけど言えなかったから心の奥でかび臭くなって、心そのものを蝕んでたんだ」
「そうだね、僕もそうだ。一番奥から吐き出したものを貴方が聞いてくれただけで、報われた気がする」

 

 体の熱は確かに苦しみを昇華してくれた。だけどそれは、また溢れさせるために吐き出しているにすぎなかった。だから僕達はどんなに抱き合っても、何も変われなかったのだろう。
 けど今は違う、それがはっきりとわかるくらい清々としていた。生まれて初めてあんなにも泣いたからという理由もあるかもしれない。

 

「俺の一番大事なものをあの子の代わりとして、だけど真摯に受け取ってくれた君が、俺は大切だ」
 

 だからな、と小指を差し出した。
 

「そういう君との縁を、腐らせたくない」
「・・・・・・そんなこと言われたら、頷くしかないじゃないか」

 

 僕だって、僕の一番強い気持ちをありがとうと言ってくれた彼が大事なのだ。ここで駄々を捏ねればそれが彼に伝わらないではないか。それが分っていてこんな言い方をするのだろうけど。
 やっぱり口で彼に勝てるわけがない。唇を尖らせたまま僕も小指を出して、彼の小指を絡ませた。

 

「ほーら、綺麗な糸が結ばれてるだろ?」
 

 彼は嬉しそうに小指を絡ませたままの手を上下する。その仕草に口から言葉が出た。
 

「・・・・・・まさか、その糸って赤い?」
 

 言ってから、僕は何を言ってるんだと我に帰る。はっきり言われた「お互いを愛せると思うか?絶対に無理だ」って。別に愛の告白の意図はなかったけど、そういう糸の話をしてしまって、何だか申し訳ない気持ちになる。彼の一番大事な言葉を聞いた僕が、彼に出す話題ではない。
 だけど彼はにやっと口を引く。悪戯小僧みたいな顔で。

 

「それは運命のみぞ知るってな」
 

 小指を離したと同時にぼーんと音が鳴る。遠征終了の時間を告げる、鐘の様な音。二人でこれを聞くのももう最後だ。
 顔を見合わせて、彼が出て、僕が続く。いつもそうだった。
 分かれ道で向かい合う。彼が手を差し出すから、迷わずその手を握った。

 

「これが今生の別れだな」
「分からないよ?本当に見えない糸があるなら、運命が、僕達をまた引き寄せるかもしれない」
「ははっ、確かに。・・・・・・なんだか君とはまた会えそうな気がする」
「その時出会う意味って何だろうね」
「何だと思う?」
「さあ、それこそ運命のみぞ知るってやるじゃないかな」

 

 手を離して二人で笑い合った。この小屋で何度も情交に耽った関係とは思えない。
 

「じゃあ、さよならは言わないでおくか」
「そうだね、さよならって言った後にまた再会したら恥ずかしいし」
「なら、うん、またな」

 

 交流遠征の別れ際に「じゃあまた」なんてお互い一度も言ったことないのに、会えるかどうかわからないこの状態で「またな」と言う彼がおかしかった。だから笑ってしまう。
 

「あはは!そうだね、じゃあまた!」
 

 手を振ってお互い別れた。もう想い人と『同じ』ではない僕たちがまた会ったらどんな意味があるのか分からない。
 でもまた逢えたらいいなって二人とも思っているってわかる笑顔を乗せて。

 

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