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「妬けてしまうな」


 やっと泣き止んだ光忠が、カッコ悪いからしばらくみないでと背を向けた後ろで、国永がぽつりとこぼす。
 

「夢の中の俺とはいえ、君にそこまで思われるとは。嫉妬の鬼と化してしまうぜ」
「鬼と化したらどうなるんだい」

 

 背を向けたまま光忠が問う。国永が冷やしてきてくれたハンカチを目に当てる。風は冷たくて肌寒いが、熱を持った目にはハンカチのひんやりとした温度が気持ちいい。
 

「君を食って、俺の一部にする・・・・・・とか?」
「嘘ばっかり」

 

 本当にそうしてくれたらどんなにいいか。光忠はほぅと息を吐く。二酸化炭素と一緒にわずかな諦めが入っている。
 国永はこう言うが光忠にはわかっている。もし、光忠が国永ではない誰かを選べば、国永が笑って見せながら光忠の手を離すことを。心の中でどんな感情を渦巻かせながらも、光忠が幸せならばと離れていってしまうことを。

 愛されている、きっと光忠が思うよりずっと。こうして必死になって探してくれる国永の気持ちを疑ったりはしない。しかし強く愛されているからこそ国永はそうすることがわかるのだ。自分の気持ちよりも、何よりも光忠の幸せを優先すると言って手を離すだろうことが。
 

「そうじゃないでしょ」
「それらしくないか?なら幽閉して一生俺だけのものに、とか」

 

 そうじゃないでしょともう一度呟けば、うーんと首を捻って考え込む。光忠の言葉の意味は国永に伝わらなかったようだ。
 まぁ、いいんだけどさ。と口に出さずに息を飲み込む。光忠が国永以外を選ぶことなどないのだから、こんな空想で気分を害しても仕方がない。

 

「うーん、どうやらご機嫌斜めのようだな」
「そういう、・・・・・・わけじゃないけど」

 

 図星を刺されて口ごもる。
 

「なら、驚きの話をしてやろう!」
 

 国永が暗い公園で、空の星よりも一際輝く声をあげる。
 

「なぁに」
「ドッペルゲンガーを見かけた」
「誰の」
「俺の!!!」

 

 思わず振り向けば、国永の瞳はやはりきらきらと輝いている。これで、光忠よりも一回り近く年上だと言うのだから恐ろしい。見た目も中身もいつまでたっても若いままだ。
 やっぱり国永さんは妖だと心の中で思う。そういう深層心理が光忠にあんな夢を見させたのかもしれない。
 あんな夢。国永に抱かれる夢。欲求不満なのかなぁ、とこめかみをほぐしながら考える。
 確かに国永と会えるのは一ヶ月に数回、ひどければ数ヵ月に一度になる。山に篭って作品と向き合う陶芸家が恋人なのだから仕方がない。国永の場合、特にその期間にムラがあるようだが。
 今回の逢瀬だってやっぱり久々で、光忠は本当に楽しみにしていた。死ぬ気で仕事を終わらせて、国永とゆっくり、それこそ『仲良く』もしたかったのだ。しかし今日は日曜日だという。明日は仕事だ。もう夜だし国永は泊まっていくだろうが、『仲良く』は出来ないだろう。明日の朝、国永と別れて、また会えるのは一ヶ月先か、はたまた数ヵ月先か。

 

「はあぁぁ、・・・・・・本当、バカ」
 

 自分の失態を呪う。二日間の記憶がないなど、夢遊病にしても長すぎる。見た夢も夢だけに、残業続きで体も心も疲れているのかもしれない。
 

「むぅ、信じてない。ああ、そうか!ドッペルゲンガーに会えば死ぬはずだ、と言いたいわけだな!よく知ってるじゃないか!だがな、安心しろ、会ったわけじゃない見かけたんだ!」
「ああ、違う、バカっていうのは国永さんに言ったんじゃなくてね、って何?ごめん、何の話だったっけ?」
「ドッペルゲンガー!」
「そうだった、そうだった。それを、見かけたの?」
「そう!」

 

 うんと子供が頷くように元気一杯、大きく顔を縦に振る。
 

「この公園から出ていくのを見てな。今考えれば、ここに光忠がいると教えてくれていたのかもしれん」
「ドッペルゲンガーねぇ」

 

 俄には信じがたい話である。他人の空似では、と言いたかったが、国永のように白銀の髪に金色の目、白い肌、こんな美しい人間がこの世にもう一人存在するとは考えにくい。一番高い可能性は国永が光忠を元気付けるための法螺話というものだろう。

 乗っかるかどうか迷ったまま口を開こうとした光忠のジャケットから軽い音がする。家に置きっぱなしだったスマホを国永が持ってきてくれたのだろう。
 

「長谷部くんだ」
 

 表示されている画面には同僚で親友の長谷部の文字。新しいメッセージで『大丈夫か』と一言だけ送られてきている。
 

「国永さん、僕のスマホで誰かと連絡とった?」
「いいや。というか使い方がわからん」
「だよね」

 

 未だに黒電話に、もしくは光忠が渡している光忠専用携帯を使って生活している国永にそんな芸当ができるとは思えなかったが一応確認をしてみた。案の定違ったので、光忠はロックを解除してアプリを開く。長谷部の名前をタッチして文字を返す。国永が興味津々にこちらを見ているので、まぁいいかと手招きをして共に画面を覗かせる。長谷部のプライベートな話であれば、やっぱりダメと断ればいい。

                                     『大丈夫だよ。っていうかどうしたの急に』
『悩んでないか』
                                            『本当にどうしたんだい!』
『俺に言いたいことないのか』

「なんだって言うんだい、長谷部くん」


 思わずスマホに向かって話しかける。何と返せばいいかわからない。


「愛の告白を待っているんじゃないか。俺、席外すか?」
「ないから!ここに居て!」


 国永の言葉に、笑って光忠の手を離し去っていく国永の姿が浮かんで、慌てて止める。勘違いでも変な疑惑を与えたくない。
返事を止めた光忠にも構わず、長谷部がメッセージを更に送ってくる。

『恋人がいるのか』

「はぁ!?」
「やっぱりそうだぞ、光忠!俺、向こうに、」
「待ってって!」


 急いで返信を打つ。

                                         『長谷部くん、本当にどうしたの』
『道ならぬ恋じゃないのか』 

 どくんと胸が鳴った。長谷部の文字を何度も片目が追う。


「光忠」


 国永が心配そうに呟くのが聞こえる。光忠が驚いて固まっているのを心配しているのだろう。光忠が驚くのも無理はない。国永とのことは誰にも言っていないからだ。

『今しがた、繁華街でお前を見かけた。何か懐かしい気配がして、それに誘われるままに入った路地でだ』
『暗い路地で、世間から隠れるようにお前は誰かと抱き合っていた』
『髪の白い女に見えた。だがよくよく見れば女ではなく美しい男だった』

 思わず隣の国永と顔を見合わせる。髪の白い男とは国永だろう。光忠と抱き合っているというのだから間違いない。しかし光忠は、もちろん国永も繁華街ではなくここにいる。

『男同士だ。人目を憚るだろう。そうだとしてもあの姿、逢瀬にしては、あまりにも必死のように見えた。白い男がお前を掻き抱く姿は俺の胸さえ締め付ける程だったからな』
『だから道ならぬ恋ではないかと思ったんだ。そのまま、闇に消えていくお前達が二度と帰ってこない気がして』
『心配になったんだ』
『お前は前科があるからな』
『またふらりと居なくなるなよ』
『お前の茶が飲めなければ課長も困る』
『仕事も山ほどあるんだからな!』
『見てるんだろう!既読になっているぞ!』
『なんとか言えバカ!』
『もういいおまえのいえいく』
『ばか』
『みつただ』

 変換さえなくなっていく文字は親友の必死さを表している。彼が今、機動力を最大限に発揮して街を走っている姿が見えるようだ。


「・・・・・・返事、返さないのか」
「国永さん、明日帰るの」
「え?い、いや。後で驚かしたかったから黙っていたが、来週に日曜日に帰るつもりだった。君とほとんど一緒にいれなかったしな」
「そう。じゃあ明日、僕に付き合ってね!!」


 そうして気持ちと一緒に文字を送る。彼が繁華街にいたということは、これから接待の筈だ。日曜なのに、と前に咎めてみれば仕事だからなと返す。彼は仕事を生き甲斐にしている。そんな彼が、今から光忠の家に来るという。光忠が心配だから、それだけの理由で。そんな親友の気持ちを無下にすることなんてできなかった。

                                  『ストップ!止まって長谷部くん!僕は大丈夫!』
                  『ちゃんと明日もお仕事いきます。嘘じゃない。ふらっとどこにも行ったりしません』
『ほんとうか』

                            『本当。でも話があるのは当たってるから、明日飲みに行こう』
『わかった』
                                              『白い男を紹介するよ』
『なに!?いきなりか!』

 直接会っていないのに親友の鋭い突っ込みが聞こえてくるようだ。浮かべた笑顔のまま光忠は国永に向き合った。


「というわけで明日はよろしく、国永さん。僕の親友を紹介するよ」
「いいのかい?」 
「いいも何も、国永さんこそ嫌じゃない?」

 

 男同士で並んで恋人宣言だよ。と茶化してみれば、国永は優しく目を細める。嫌がるそぶりなど一つもない。
 

「君をここまで心配している親友に紹介してもらえるなら、むしろ光栄だと思うぜ」
 

 いい親友を持ったなと頭を撫でられる。嬉しくなって、うん!と返して身を寄せれば、誰もいない夜の公園、甘い雰囲気が立ち込める。
 国永も来週の日曜までいるというし、明日の不安がないわけではないが、それを抜いても幸せな一週間になりそうだ。

 

「でも、結局なんだったんだろうね」
「んー?」
「長谷部くんが見た、僕たちって」

 

 国永の手が光忠の首筋を辿っていく。これ以上この時間が続けば危険な気がしたので、心に残っている不思議を声に出した。
 

「やっぱりあれだ、ドッペルゲンガーだ。光忠は光忠のドッペルゲンガーに間違われて俺のドッペルゲンガーに連れ去られて、」
「体を作り替えられてそうな展開だね」

 

 SFだかファンタジーだかでよく聞く話ではある。光忠が見た夢も似たようなものだ。
 

「よし、作り替えられてないか俺が確かめてやろう」
「え!」
「もちろん家に帰ってからだぞ?一緒に風呂に入ろうな。それまで我慢。だから、そんな嬉しそうな声出さないでくれ」
「っ、」

 

 耳元で囁かれてぞわぞわと肌が立ち、一瞬かくんと力が抜ける。今座っていてよかった。国永の艶を含んだ声は、それだけで光忠の腰を抜かせそうになる。
 

「はは!大丈夫か?」
 

 腰を抱かれて頬が熱くなる。その密着具合に、風呂で肌を合わせる二人を想像しかけて、ぶんぶんと頭を振った。
 

「明日、仕事だからね?」
「わかってる」

 

 鼻歌を歌いながら国永が立ち上がる。そのまま一人ふわふわしている光忠を腰に手を回したまま促して、都会の夜は明るいなぁと暗い公園をしっかりと歩いていく。

 

「ねぇ、国永さん」
「なんだい、光忠」

 

 公園の出口の前で手を離した鶴丸が、先を歩こうと公園から足を踏み出した。光忠は未だ、結界の中にいる。そこに境界線が引かれているみたいで、目の前の国永が何だか遠くに感じてしまう。
 その状況にふと、思い立ち言葉をかけた。言っておかねばならないことがある。

 

「僕の幸せは、貴方といることだからね」
 

 ずっと、ずっと変わらない。光忠の幸せは彼といることだ。
 

――忘れないでね。
 

「例え生まれ変わっても、さ」
 

 今更なことを真面目に語り始めた恥ずかしさから、ちょっとだけ笑いながら冗談で締めくくった。唐突な言葉に、街路灯の光で顔が半分だけ照らされた国永がぱちくりと瞬きをする。一瞬の間の後、苦い物を無理やりおいしい物だと言わされているような顔で笑う。
 

「生まれ変わりかぁ。生まれ変わったって、一緒になれるとは限らないんだぜ?」
「ここは、生まれ変わっても一緒だっていう場面だよ。夢がないなぁ」
「何を言う!俺はいつも夢見ているさ。だからこそ、そういう可能性も考えるってこった」

 

 国永が光忠に背を向けて、空を見上げる。国永がいる山から見える星の半分以上を隠している夜空は、星がきれいだねという話題の転換も許してはくれない。ああ、余計なことを言ってしまったようだ。
 

「誰かと結ばれる君を見るのはきついからな。そんなことになるくらいなら俺は土の下で眠り続ける方を選びたい」
 

 空にその場面が浮かんでいるのかと思う程、国永は空を見上げている。
 いつもいつも、そうして光忠が国永を選ばない可能性を考えているのかと悲しくなる。ならば、今日はうんと甘やかして、甘やかしてもらって、光忠には国永だけなのだと教え込んでやると、気合を入れた。もう余計なことは言わない。こうなれば行動で示すのみと光忠も公園から足を踏み出そうとする。だがそのタイミングよりも早く、国永がくるりと振り返った。金色の瞳が一瞬だけ陽だまりの色に輝く。不思議な煌めきだ。

 

「――とは言うが、実際選ぶ場面がきたなら」
 

 国永が、一歩踏み出す。二人の間の境界線を飛び越えて、光忠の手を優しくとった。とったその手を自らの口元に持っていき、恭しく唇を落とす。
 

「国永さん?」
 

 そのまま握った手を額に当てる国永は何かに祈るようだ。思わずときめくよりも先に心配になって声をかける。
 

「例え、結ばれないと分っていても・・・・・・」
 

 囁かれる声は、切なさを含んでいる。慰めてやりたいが手を離してくれないと抱きしめられない。国永を抱きしめられないのが歯がゆくて、せめてと身を寄せた。
 

「それでもやっぱり俺は、君に会いたくて輪廻の輪に飛び込むんだろうな」
 

――呆れた人だと笑ってくれるかい、輪廻の向こう側にいる君よ。
 

 緩められた手をほどいて、光忠は目の前の泣きそうな顔で笑う、美しい片翼を思い切り抱きしめた。

 お互いを刻んだ魂は今世も身を寄せ合っている。 
 

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