鶴丸は愛していると繰り返しながら、光忠を突き刺し、光忠はいやだと拒絶しながら鶴丸を受け入れる。
鶴丸が光忠の中で何度か果て、彼を汚しきった頃には光忠は気を飛ばしていて、結局鶴丸の言葉に最後まで頷くことはなかった。
「ごめんな」
気絶しているのにひくんひくんと体の痙攣が続く光忠に罪悪感がつのる。
せめてもの懺悔のつもりで鶴丸は自身を納めてすぐ光忠の体を清めていく。部屋にあった乾いた布で彼の体を拭くが、当然それだけでは綺麗にならず、温い湯を張った桶を本丸から持って来なければならないと考え付く。
「取り合えず、中を掻き出してやらんと」
一振り呟いて光忠の中に指を入れる。あまりな水音に眉をさげながら自分の精を掻き出していく。ごぷりと流れてくる体液を手拭いで受け止めた。
「ここまで汚せば、妙なものとやらも寄っては来ないだろう」
光忠は鶴丸と契った。鶴丸の種を存分に植え付けたのだ。体液自体は掻き出してしまったとしても、光忠の中に残った鶴丸の神気は彼に残り加護となるだろう。主の言葉で言えば『売約済』と言うやつである。
「だが君はとっくに売約済だったのに、結局妙なものに食われてしまったな」
自分で言っていて、彼が憐れになる。たまたま迷い混んでしまったために、前世の恋人が狭量な男であったが為にずいぶんと辛い目に合わせてしまった。
「君は悪くないのに、ごめんな」
顔を見れば涙の跡が目立つ。親指で優しく拭っても、ほろりとまつげにたまった雫がまた流れる。
「怖かったよな、嫌だったよな」
彼の不安そうな顔、歪んだ顔、怯える顔、泣いている顔、その全てが鶴丸が薬を飲ませれば見なくてすんだ顔だ。覚えていてほしいなど考えなければ、彼が刻まれなくてすんだ傷。
「何が愛しているだ」
愛しているならば、彼にそんな顔をさせるはずがない。愛しているならば、彼にさせるべき顔は、
『「――、」』
音もなく、鶴丸じゃない名前を呼んだ光忠の顔を思い出す。愛しくて、暖かで、恥ずかしくて、幸せそうなその顔を。
(ああ、そうか)
「君、今幸せ、なんだなぁ」
その言葉がすとんと胸に落ちた。鶴丸が隣にいなくても、鶴丸を忘れても、光忠は幸せなのだ。彼の言う通り彼の居場所は鶴丸の腕の中ではない。
「君の幸せに、俺が影を落とすことはできないな」
幸せであればある程、無垢な愛であればあるほど今日この日の記憶が黒い染みとなって光忠を苦しめるだろう。鶴丸の望む記憶が、光忠を傷つける。それは耐えられないことだった。
「俺だって光忠が幸せになれるなら相手が俺じゃなくても、身を引くさ。それほど君を想っている。――か、その通りだな。やっと、言えた」
惚れた方の負けだと言うし、完敗だ。完敗。と誰も聞いていないのに、絞り出したような声は震えていて、静かな部屋に小さく響く。
光忠の目元を拭う指を、懐へと入れ、中に入っている小瓶を取り出す。ゆらゆらとゆれる液体は、優しい海の色、人魚の住む世界の色。しかしもう、おかしな夢想は生まれない。
小瓶の蓋を開ける。何故だろうか、ふと舐めた鶴丸の唇は塩辛くて小瓶の中の優しい青は、とても甘そうに見える。飲めば、きっとこの塩辛さも、無くしてくれる。だが、鶴丸が飲めば光忠の分がなくなってしまう。それはできなかった。
鶴丸は小瓶に唇をつけ、自分の口に流し込む。やはり甘い。間違っても飲み込まぬよう、気を付けながら、瓶を畳に転がした。まだ気がつかない光忠の顎に手をかけ、鶴丸の顔をその顔に近づける。唾液で濡れる薄く開いた唇を、薬を含んだ唇で塞ぎ、そのまま流し込んでいった。
溢さぬよう、全てを流し込む。光忠の喉がこくりとなったのを聞いて、唇を離した。
「っ、ごほっごほ、は――、・・・・・・な、に?」
途端、光忠が噎せて口の端から薬が少しこぼれる。ああ、と鶴丸が慌てて口許に手を伸ばせば、その手が光忠の手によって捕まれる。
「み、」
「どう、したの?」
「え?」
「どうして、泣いているの」
光忠の一つ目が鶴丸の顔に注がれていた。優しい、彼の魂と同じ色の瞳が、涙を流していることに気がつかなかった鶴丸を愛おしげに見つめている。
意識が朦朧としている光忠はきっと、『あの人』と勘違いしているのだろう。
(俺を見る時と同じ目で、見るんだな)
ちりりと胸が焦がれたが、鶴丸は微笑みを乗せることが出来た。涙がほろりと流れても、何でもないんだと笑って言える。
光忠の大きな手が鶴丸の顔に伸ばされ顔の半分を覆うように涙を拭った。その手に頬を擦りつければ愛しさが増すばかりだ。
(苦しい、悲しい、愛してる)
笑顔が続かない。眉間に皺を寄せて耐える鶴丸に、光忠の声が届く。
「ねぇ、また、僕のことを驚かせようとしているの」
苦笑いをして、しょうがないなぁ、鶴丸さんはと言っているあの声色が鶴丸に与えられる。仕方のない人、呆れた人、と言いながら、でも好きと締め括られる声で。
思わず目を見開いて、細くなる瞳を凝視する。
「俺が、わかるのか」
「僕が貴方のこと、わからないわけないでしょう。泣き虫さん」
震える唇で問えば、宥めるように唇を撫でられる。
『泣き虫さんの鶴丸さん』
鶴丸の記憶と目の前の現実が重なる。
光忠の瞳はほとんど閉じかけていて、声も眠りの世界に引きずられていくように少しずつ小さくなっていく。薬の作用が聞いてきたようだ。夢うつつの状態で光忠はなおも言葉を続ける。
「僕の、帰る場所は貴方の、うでの中だよ、みうしなったり、しない」
「っ、」
涙を流す鶴丸の目元を光忠は力の入らない手で拭う。それでも止まらない鶴丸を宥めるように、もう片方の手でうなじに手を回した。光忠の手が鶴丸の白いうなじを優しく撫でる。
光忠は今、鶴丸を見詰めている。『あの人』ではなく、『鶴丸』に対して言っているのだ。
光忠の魂に、鶴丸が刻まれている。
(ああ、光忠)
涙が止まらない。
抱き締めたかった。目の前の彼を。鶴丸の光忠を。二人が抱く一つの魂を。
(十分だ。君の中にひと欠片でも俺が残っているなら、それだけで)
彼の存在はやはり祝福だった。夢を見ることのない鶴丸の夢だった。いとおしさで胸が震える。
胸と連動している唇が、震えながら言葉を紡ぎ、光忠へと伝っていく。伝えたい言葉があった。
「光忠、聞いてくれるかい。本当は、君に一番に言いたいことがあったんだ」
「なぁに」
鶴丸の後頭部を繰り返し撫で付けながら光忠が、ふわふわと拙く返す。その瞳は閉じられていて、ほとんど眠りの海の住人になりかけているようだ。
それでも構わなかった。ただ鶴丸が伝えたいだけだ。聞いてなくても、この言葉を忘れてしまっても。鶴丸が目の前の彼に対して一方的に与える言葉。
一方的に降り注ぐ陽の光のような祝福。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
(その魂を抱いて来てくれて)
鶴丸の言葉に撫で付ける光忠の手が止まった。もう眠ってしまったのだろう、そう思ったが少しだけ強い力が込められて、鶴丸の頭が光忠の顔へと引き寄せられる。
至近距離で顔を見つめれば、目の前の閉じていた瞳がもう一度だけ開く。陽の光が差し込んだようなそこからは水の膜が雫となって、ぽろりと一粒あふれた。一瞬だけ金色の雫が零れたように錯覚する。そこに鶴丸の目から零れた雫も落ちる。それも鶴丸の瞳と同じ色をしているように見えた。金色の粒が合わさり混じり合う。
金色の魂が身を寄せて、やっとひとつに溶け合った。
「・・・・・・、」
光忠が何かを言いかけて、そのまま、また瞳を閉じる。眠りの海へ入る前の、彼のおねだり。更に引き寄せられる小さな力と、重力にしたがって鶴丸は自分の唇を、彼の唇へ落とす。柔らかい感触が鶴丸をまた泣かそうとしている。鶴丸の髪へと潜り込んでいたその手がゆっくりと落ちて、唇を合わせたまま、光忠は今度こそ眠りの海へと入っていった。
「どうか、幸せに」
額を合わせて囁く。どうかこの子に、幸あれと。これから鶴丸ではない誰かの元に帰る、光忠の幸福を祈った。
「来世か、遠いなぁ」
光忠が帰る場所は遥か輪廻の向こう側だ。もう二度と会うことはないだろう。今世で光忠と別れれば、それが二振りの別れでもあるということだ。
たまらない気持ちになって穏やかに眠る光忠の髪を撫でながら、鶴丸はふと、あることを思い出した。
結ばれたい人がいると言った刀は誰だったか。それは、やっぱり鶴丸には思い出せない。
思い出したのは夢見るように溢れさせた言葉だけ。
生まれ変わりたい。貴方はそう思わない?
生まれ変われたからと言って必ず結ばれるとは限らない。それを知ってしまった鶴丸は、一人で繰り返す永遠なんて苦痛なだけだぜ、とたぶん苦笑を返してしまう。
それなら星に融けた方がましだ。星になって、光忠の魂をずっと見守る。そっちの方がずっと、ずっと。
『鶴丸さん』
でも、その言葉を聞いた時、きっと光忠の優しい笑顔が浮かぶ。愛しい者を呼ぶ柔らかな声が浮かんでくる。
だから、鶴丸はその言葉に苦笑いした後、こう返すだろう。
「とは言うが――」