離れに訪れた鶴丸を迎え入れたのは、近侍の後藤だった。やってきた鶴丸に何故かほっとした表情を見せて、奥の部屋へと案内をする。
「悪いな、鶴丸さん。手入れが終わったばっかりなのに。大将が早めに鶴丸さんを連れてこいって言うからさぁ」
「ああ、君が謝ることじゃないさ」
「でも、正直俺も鶴丸さんじゃないと難しいかなって」
「難しい?何がだ?」
廊下を共に歩みながら会話をしていく。後藤の言葉に疑問を投げ掛ける鶴丸に、後藤は困った表情で見上げてくる。
「なんて言えばいいか・・・・・・。実は俺もよくわかってないんだよな。取り合えず、会ってもらうしか」
会う、誰に。主か光忠か、はたまた別の誰かなのか。そう聞こうとしたがよくわかっていないと言った後藤に質問を重ねるのは意味がないだろう。鶴丸はそれ以上口を開こうとせず、後藤に案内されるままに足を進めた。
「着いたぜ」
後藤が足を止めたのは離れの一番奥の部屋の前だった。着いたと言ったきり、入り口に手をかける様子はない。むしろ入り口の前を鶴丸に譲る様に横へとずれた。これは鶴丸に開けろと言うことだろうか。後藤の行動に鶴丸はなにか予感を感じる。この先には驚きが待っている、そんな予感だった。そこにあるのが驚きならば鶴丸は部屋に足を踏み入れないわけにはいかなかった。
スパンと開けたい衝動を押さえてそっと入り口を開いた。部屋の中は障子窓などもすべて締め切っている。その為、まだ陽が昇っているというのにどこか薄暗い。灯りを点けるほどではないが、何故誰も障子を開けないと鶴丸は疑問に思う。
部屋の中にそれほど物はないようだ。文机と行灯、重なる座布団、押し入れと隔てる襖が見える。刀達の部屋とあまり変わらない。暦が貼ってあるのと現代の置物などが点々とおいてあるところが小さな違いだろうか。現代の物が置いてあると言うことは、ここは主が使う部屋なのかもしれない。
中を観察するように見渡す鶴丸が部屋の中に足を踏み入れる。なんだ、何もないじゃないかと口を開いた時、気配を感じた。刀でもないが、主でもない。しかし、敵ではないと鶴丸の中の感覚が告げる。その気配に惹かれる様に視線をやれば、入り口からは死角になっていた部屋の隅に、誰かが膝を抱えている。
相手は、顔を上げてこちらを凝視していた。一つだけ見える目が、まるで信じられないものを見るように鶴丸の姿を捉えている。鶴丸はその相手を認めた途端、僅かに纏っていた緊張感を完全に解いた。そこにいたのは、鶴丸の唯一の存在である光忠だったからだ。
手入れ部屋を出てからいくつか生まれた小さな疑問や、驚きがあるのではという期待、そして少し会いたくないという気持ち、そのすべてが鶴丸の中から抜け落ちて、残ったのは光忠に会えた喜びだけだ。
会えた喜びの衝動のまま光忠に近づこうとした。だが、何やら違和感がある。先程も感じた何か。自分は何を感じたのだろうと、その引っ掛かりが鶴丸の足を止めた。
「なぁ、君は、」
「来るな」
違和感の原因を光忠は何か知らないかと聞こうとした鶴丸に、視線の先の光忠が静かに被せてきた。その殺気だった一言に鶴丸の聞こうとした言葉は死んでしまう。まさに刀の様な鋭い眼差しの光忠に、鶴丸の思考は止まる。
「お、おい。いったいどうしたんだ」
もはや先程までの違和感すら、思考の止まった鶴丸にはどうでも良いことだ。ただ目の前の、自分に向けて殺気を放つ光忠に、信じられない気持ちでふらりと近寄った。
「来るなって、言ってるだろう!」
すると、今まで静かに殺気だっていた光忠が激しさを見せた。後藤が準備したものなのか、光忠の傍にあった、水の入った硝子の湯飲み、――コップを掴み、そのまま鶴丸へと投げつけた。
軽い衝撃と共に、びしゃりと音を立てて水が染み込んでいくのを鶴丸は感じた。鶴丸の胸あたりにぶつかったコップはそのまま重力に従い、水滴を撒き散らしながら畳へと落ちていく。割れなかったコップが転がって鶴丸の爪先に当たったが鶴丸は気づかない。その視線は光忠に向けられたままだ。
幾度となく戦場を経験しているその体は、自分に向かって真っすぐ投げられるコップなど、避けようと思えば難なく避けることが出来る。しかし、光忠が自分に殺気を向けて、さらに物を投げつけるという状況が、鶴丸の体を固まらせてしまい、胸を濡らすこととなった。
呆然と光忠を見つめる鶴丸を、投げつけた本人である光忠もまた呆然と見つめている。自分がとんでもないことをしでかしてしまった、というような表情だ。くしゃりと泣き出しそうな、傷ついた顔を見せる。
「な、なぁ大丈夫か!?一旦、部屋でよう、な?」
入り口から顔を覗かせていた後藤が部屋に足を踏み入れて鶴丸の腕を掴む。後藤の存在を認めた途端、ハッとした光忠がまた殺気を纏う。敵側の密偵である恋人が、自分の使命を思い出した時のような表情の変化だ。その密偵の恋人である鶴丸は、何故なんだ、光忠。と口に出す間もなく後藤に腕を引かれ、部屋の外へと連行されていく。もはや抵抗する気力もなかった。
「そうか、そんなに俺を失うのが怖かったのか。フッ、可愛い奴だな、君は。安心しろ、俺はまだここにいるぜ。だから、だからそんなに怒るな、な?後生だから、次からは気を付けます!ごめんなさい!!」
「大将、鶴丸さんが錯乱してる」
「ごっちゃん、よぉく見とけよ。恋愛が必ずしもいいことばかりじゃねぇっていう見本だぞ。この怯えよう、もはや恐怖政治だ」
「ッハ!ここは?・・・・・・光忠は?」
早朝の目覚めのように、突然意識が覚醒した。目の前には二人の人物が鶴丸を生暖かい目で見つめている。
「よぉ、鶴さん。正気に戻ったか?どんだけ取り乱してんだよ。お前さんまでややこしいことになったかと思ったわ」
状況がつかめていない鶴丸は辺りを見回す。今しがた、ここには光忠がいたはずだ。しかし、鶴丸の前にどかっと座り、片手をあげて見せるのは光忠と似ても似つかない男、鶴丸達の主であった。
「主、いつからここに?」
「俺はずっとここにいたっての。お前さんが、気がつかなかっただけ。ごっちゃんにお礼言っとけよ。自失状態のお前さんをここまで連れてきたのも、濡れた服を拭いてくれたのもごっちゃんだからな」
主が顎をしゃくり、後藤への感謝を鶴丸に促す。そういえば光忠に投げつけられたコップでびしょ濡れになっていたはずだと、自分の胸辺りをぺたぺたと触ってみれば、まだ湿気てはいるものの、確かにほぼ乾いている。鶴丸がいる部屋も先程の部屋とは別の場所のようだ。主の言葉で納得した鶴丸はそのまま素直に後藤へと礼を言った。
「いいよ、気にすんな!鶴丸さんこそ、その、大変だな!色々!」
礼を言った鶴丸を、何故か優しい目で見てくる後藤に首をかしげる。後藤は見た目のやんちゃさに反して割りと繊細な性格をしている。主に少し放っておかれただけで涙目になってしまう程だ。その後藤が言い澱むと言うことは鶴丸を傷つかないように言葉を選んだのだろう。それが何に対してなのかは分からないが。
「俺からもありがとな、ごっちゃん。燭さんにいじめられなかったか?」
「へ?いや、俺に対しては何も。警戒はしてたみたいだけど、大人しくついてきてくれたし」
「そっか。・・・・・・ったく、政府の奴等、こんな大事なことは審神者にだけでも言っとけよ。だからこういうイレギュラーが起きるんだっての」
「待ってくれ、主。話がまったく見えん。光忠が後藤をいじめる?警戒?何でそんな話になってる。光忠が怒っているのは俺に対してだろう?」
説明を求めるように後藤に顔を向ければ、だから俺もよくわからないんだって!と首をふるふると振られる。そういえばそうだったと、自分の忘れっぽさに若干呆れながら今度こそ説明を求めるように、主に顔を向け直した。
「燭さんが無事に帰ってきたお前さんに、物投げたりするわきゃねぇだろ。怒るつったって、安堵の反動なんだから、殺気を放つ程ぶちギレるかよ」
「だが、現に光忠は・・・・・・。他に思い当たる節がない」
「あー、刀達にはあんま言うなって言われてっけどな。まぁ、鶴さん、当事者みたいなもんだし、ちゃんと説明するわ。あ、でもごっちゃんは席はずしてくれ」
「そりゃないぜ、大将!」
つり目の後藤がさらに目を吊り上げつつ、眉根を下げるという器用な芸当を見せつける。主の命に逆らいはしないが不満の意を、控えめにしかし精一杯表している。これが乱や蛍丸、今剣であれば頬を膨らませて、さらに自分の感情を主張してくる所だが、根が真面目な後藤にはこれが限界だろう。
案の定、命を撤回する気はないと首を横に振った主を見て、すぐ諦めの溜め息をついた。
後藤の不満はよくわかる。中途半端に巻き込まれてそのまま、ほっぽりだされるなど、良い気持ちがするわけない。鶴丸であれば、嫌味の二十個は出るし、俺は動かないぜと宣言するかもしれない。そう思えば、後藤を援護してやりたい。
「悪い、ごっちゃんは顕現して日が浅いからな。この話はまだ早い。刃生観変わっちまう」
「その点俺は爺だから、今更価値観変わらないだろうってことかい?」
「ぶれないもんを持ってるってことだよ。片翼の鶴さん」
しょんぼりとする後藤が少し可哀想で、ちょっとした意趣返しと茶化そうとしてみた。しかし、主は顔色一つ変えず、明確な答えを返す。
確かにそれは鶴丸にとってのぶれない大切なものの代表格だ。その芯である部分が揺らがない限り鶴丸は揺らがない。それ以上何も返せなくなった鶴丸を見て、空気に聡い後藤がしょんぼり顔をいつもの表情に戻す。そして力強くうん、と一つ頷いた。
「ぶれないもんか・・・・・・。俺にはそれがまだないってことだよな、わかった」
「ごめんな、ごっちゃん」
「ちゃんとした理由があるんだ、大将が謝ることはないぜ。でも、俺が鶴丸さんみたいにぶれないもん持てるくらい、でっかくなったその時は今日の話、教えてくれよな!」
絶対だぜ!と後藤は主に対して右手の小指を差し出す。主はその指の意味を瞬時に受け取り、顔の筋肉を緩ませて自分の小指を、まだ大きくはない小指に絡ませた。
ゆびきりげんまーんと二人で歌いだし、約束を交わした後藤はじゃあな!と部屋を出ていく。出ていった後の彼はちょっぴりしょんぼりするに違いない。主や鶴丸に気を使わせない為に今は笑顔だが。なんて健気で可愛らしい。そんな後藤が悲しむのは可哀想だ。兄弟か、仲のいい物吉が彼を元気づけてくれればいいが。
そんなことを思わせる後藤の姿を、表情を柔らかくしたままの主が見送った。主も鶴丸と同じことを考えているに違いない。
「健気だよなぁ。生まれたてのものはいつだって無垢で純真だ」
「だから君は顕現したての奴ばかり近侍にするのか」
「そればっかじゃねぇけど。だが、無垢なものは愛おしい。側に置いておきたいっつーのはある。」
「無垢なぁ。例えば日本号も?」
「何で、にほさんだけ名指しなんだ。例外はねぇよ、見た目の話じゃないからな」
この話はここで終わりと、主はしっしっと手を払った。鶴丸も他人の好みについてとやかく言うつもりもないので、本題に入ろうとする主に従う。
「あの燭さんの状況と政府の黙っていたことを言う前に、お前さんに言わないといけないことがある」
そう前置きをして主は話し始めた。
「今、燭さんには現代に遠征してもらってる。燭さんは現代でも上手く出来るやつだから特に心配はしてねぇ。昨日の定期連絡でも問題なかった」
内容はなんてことない。今回行った光忠の遠征についてだ。現代での情報収集が目的となっているが本当のところは主と光忠しかわからない。本当の目的はなんであれ、光忠であれば臨機応変に現代に溶け込めるだろうと判断されたのだろう。例えばこれが鶴丸であれば、任務をこなしながらも、現代での新しい驚きに心引かれるまま行動してしまう可能性も高く、お咎め役がいない状況での今回の遠征は向いていない。それは自分でも重々承知している。何よりこの白髪は現代だと少々目立ってしまうらしい。
そういった各刀剣の外観や内面を考えて光忠が一番妥当だろうと考えた主の判断は間違っていない。しかしそれを今さら話し始めることに若干の疑問を覚える。現に光忠は無事に本丸へ帰還した。内面は大荒れで鶴丸を戸惑わせているものの、怪我がなさそうなことは確認している。遠征は成功したはずだ。それを今話すということは、光忠の殺気だっている原因がそこにあると言うことだろうか。
「昨日燭さんには、遠征の延期をお願いしたんだよ。つっても二日だ。予定では明後日の帰還になる」
「はぁ?」
何言ってんだこいつ、と続きそうなほどの声が口から漏れた。むしろ漏れた一声にその思い込めたと言ってもいい。
「大丈夫か主。光忠はちゃんと帰ってきているだろう。俺はさっき会ったばかりだ」
この湿っている衣装が何よりの証拠とばかりに、両手で濡れた箇所を広げて見せる。
「それとも何か、本物の光忠はまだ遠征に出ていて、あそこにいる光忠は俺の知っている光忠ではないと、そう言いたいのか」
面白い冗談だと笑ってしまう。いくら鶴丸に殺気を向けてきたからと言って、彼が偽物だと主張してしまうのはあまりに短絡的だ。
子供が怒り狂った母親に対して、これは母親ではなく悪い魔女だ!と怖がる心理と似ているな。と未だぐずついてる子供を宥める気持ちで、主に笑いかけながら鶴丸は思う。しかし主は、鶴丸が主張することなど初めからわかっていたように、真顔で頷いた。
「まさにそういうこと。じゃあ、あの部屋にいた燭さんは誰なんだよっつー話だ」
そう言って、右手の手のひらを差し出すように開いた。さぁ、答えはなんでしょう?と問題の解答権を与えられたのだと気づいたのは一瞬遅れての事だ。
「誰と言われても・・・・・・」
彼は光忠だ。鶴丸が持ち合わせている答えはそのひとつ。他にどう答えられると言うのだろう。そもそも、この本丸に帰ってきている時点で彼が間違いなく光忠であるという証拠ではないか。
この通常の時空から切り離された本丸で、主の結界を通り抜けられるのは主の許可を得ているものだけであるし、時空を越えられるのは刀剣男士だけだ。現代と言っても主が出掛けなかったと言うことは、何年か時を遡った時代のはず。時空の扉を通って出ていったのが光忠であれば、帰ってこれるのもまた光忠だけなのだ。
そういう仕様でなければ、時空の扉が開いた時を見計らって敵が侵入してしまうと言う話を聞いたことがある。出陣したものと同じものしか戻れない、刀の形であれば物として数えられる為その限りではないらしいが。
だから敵でないことは確かだ。
――いや、違う。
まだ可能性として残っている。光忠が歴史修正主義に堕ちたという可能性だ。
その考えに至り鶴丸の肌が粟立つ。体温が一瞬にして下がるのを感じた。
そう、彼は光忠だ。本丸に帰ってきたのだから光忠に間違いない。しかし、堕ちていたならば。彼は、敵に違いないのだ。主の遠征延期の命に背いて帰ってきていることがそれを裏付けている?
黒い疑惑が胸から湧き出て、ぶるりと体を震わせた。どうしようもない恐怖がまとわりつく。それは最悪の可能性。光忠が、光忠のまま、彼の意志で敵に回ると言うこと。そんな、馬鹿な話しはないと、頭を激しく振る。ふと、主を見てみれば、二つの目がただ静かに鶴丸を見ていた。迷う鶴丸を笑うでも憐れむでもなく、鶴丸がどう答えをだすか、ただ静かに。
「彼は、光忠だ」
その目に答えるように口を開いた。
「俺が光忠を間違えるはずがない」
理由は単純明快ただひとつ。これだけで十分だ。彼は偽物でも堕ちてもいない。鶴丸が愛した性質そのままの、光忠に違いないのだ。鶴丸がそう感じたのだから、それが正しい。
「正解」
主がようやく笑って答えた。いつも難しい顔をしている分、笑ってみせると殊更、実は優しい男、のように見える。『動物に優しいヤンキー効果って奴だ』とは薬研談だ。
「あの燭さんは偽物じゃねぇ。増してや、歴史修正主義に堕ちたわけでも。間違いなく、燭さんだ」
「はあ、君なぁ、年寄りを揺さぶって楽しいか?何でややこしい言い方をする。肝が冷えただろう」
「敵だったら、ごっちゃんと接触させるわきゃねぇだろう。無垢なもんは染まりやすいんだ。それがたった一滴のインクでも、とれない汚れになっちまう。考えりゃすぐわかる」
「・・・・・・その通りだ」
主の正論に対してはひとつも答えを持ち合わせていない為、降参するしかなかった。光忠のこととなると冷静なつもりでいて、冷静になりきれない。鶴丸の悪い所だ。これが他の誰かであれば、迷うことなく本物だろうと断言できたのに、と悔しいような、甘酸っぱいような気持ちになる。
唇を尖らせて黙ってしまった鶴丸に、笑顔を潜めた主は言葉を投げようと構えた。鶴丸なら受け取れると信じているのだろうか。言葉はキャッチボールってやつらしいぜ、暴投は止してくれよと思いながら鶴丸は心の中でミットを広げる。
「正解した鶴さんには、あの部屋の燭さんが何者か教えてやろう」
思った以上の暴投に、鶴丸はそのボールを見送ってしまった。口を開けてそれを眺めて、慌てて追いかけた。
「・・・・・・は?だから、あの光忠は、」
「あの部屋にいるのは『燭台切光忠の生まれ変わり』だ」
時が止まった気がした。鶴丸の思考と言う狭い箱の中の出来事ではなく、世界そのものが主の言葉に息を止めた、そんな感覚だ。
人間が発した音が、そんな力を秘めているとは驚きだぜと鶴丸は止まった世界のすみっこで思う。世界の反対側で誰かが死んだと聞いた時と同じくらい、他人事のように感じながら。
「あの燭さん、・・・・・・ああ、ややこしいから光さんと呼ぶが、光さんは燭さんの生まれ変わりだ。だから、鶴さんの知っている燭さんじゃねぇ。でも、確かに燭さんなんだ。鶴さんの好きな、な」
様々な言葉が鶴丸の頭と喉でひしめき合って、君から行けよとお互いをせっついている。
「意味がわからん」
結局、一番先に飛び出したのは理解すること自体を放棄した言葉だった。
「何処の意味がわからねぇ?」
生まれ変わるという言葉の意味が?輪廻転生が存在する理由の意味が?主が指折り数えながら問題提起をする。俺だってこの世の森羅万象、全ての事柄について教えられるわけじゃねぇが、という言葉で締め括られた問題の中に、鶴丸が言いたいことは入っていなかった。首を振ることでそれを主に伝えた鶴丸は、自分の考えを正しくわかってもらう為に口を開いた。
「刀は生まれ変わったりしない」
「何故そう思う?」
「魂がないからだ」
簡潔な言葉に簡潔な言葉を返す。生まれ変わりという事柄の大きさにしては実に淡々とした会話だ。
「魂がないから、ねぇ?」
呟いた主に鶴丸は持論を展開した。自分達は魂がないという理由を。折れたらそこで終わりなんだと言うことを。
全てを聞き終わった主が、鶴さんの言いたい事もわからなくもないが、と鶴丸に同意の意思を見せる。
「だがなぁ。結局、俺達がここで何言ったって、光さんがいる以上の証明なんてないんだって」
首をぐるりと回して筋をほぐしながら主が続ける。
「刀剣男士の生まれ変わりは何件か報告されているらしい。もっとも、今回みたいに、時空の扉を抜けた男士の生まれ変わりが、こちら側まで迷い混んでしまうなんて滅多にないケースらしいがな。生まれ変わり自体は政府が把握してないだけで、もっといるかもしれねぇ」
鶴丸は信じられない気持ちでそれを聞いた。刀が、人に生まれ変わるなんて、本当にありえるのか。疑わしさしかない。しかし、主のいう通り、生まれ変わった彼らがいるのであればそれ以上の証明などありはしないだろう。
胸に湧いたよくわからない感情を、どう処理すればいいかわからない鶴丸は、胸にもやもやしたものを抱いたまま途方にくれる。
生まれ変わりはある、つまりは鶴丸達にも魂があるということだ。政府が言うのだからたぶん正しい。結局鶴丸が信じきれないだけなのだ。
「俺はさぁ、魂っつーのは心に宿るもんだと思ってる」
大きくなるもて余す何かを、ちぎってお手玉にでも出来たらいいのにとぼんやり考え始めた鶴丸に、主が上着のポケットから飴を取り出して投げる。短刀達や近侍に時々あげているようだが、鶴丸がもらうのは初めてだ。両手で受け止めて、そこに鎮座する飴をきょとりと見つめてしまう。
「刀であって、神であって、妖怪であって、人であって。実に曖昧で不確かで、不確定な存在であっても。心を持ってるお前さん達には魂がある。俺はそう思う」
そう言って鶴丸に寄越したのと同じ飴を、もう一度ポケットから取り出して、包みを開けて口へ放り込む。らしくないことを言った照れ隠しにだろうか。
そして、薄荷の方が好きなんだが、短刀ちゃん達がこれ好きでなぁ。甘いよなぁ。と主が独りごちる。
「本当にな」
主はいつだって刀に甘い。一見言葉や態度はキツそうだが、刀一振り一振りをきちんと見ている。
だから今も鶴丸がほしい言葉を正しく与えてくれた。甘い夢に誘うような。
鶴丸は目を閉じて、描いてみる。生まれ変わった光忠と鶴丸のことを。
本丸で出会った二人は、現世ではどういう出会いを果たすのだろう。
人である二人は男同士ということに悩むのだろうか。
互いの幼少期の写し絵を見てはしゃいだり、一緒に年を重ねて共に過ごした過去とこれから紡ぐ未来に思いを馳せたりするかもしれない。
現代で生きる二人は戦いで傷つく互いを見なくていい、いつだかしれない終わりが来る日に心を曇らせながら抱き合わなくていいのだ。
戦う光忠は最高に格好良いし、鶴丸も戦うのが大好きだ。武器としてこの世に作り出されたことに一つの嫌悪感もない。むしろ刀としての誇りがある、それは光忠も同じだろう。
けれども、共に人としてただ生きていけるのなら、それも嬉しいことだと思う。どんな形であれ、この本丸での日々が終わるその先に、今描いた夢があると考えただけで、胸を震わせる程には。
「主の言葉が真理であったならな」
囁いて、ゆっくり目を開く。
もしも主の言葉が真理であるなら、自分にも魂はあるだろうと鶴丸は信じられる。
「そうに決まってる。でなけりゃ、あんな魂をかけるように他者を愛せるもんか」
「はは、だといいなぁ」
鶴丸は思わず笑った。主の言葉に対してではない。
主とはいえ鶴丸の何十分の一も生きていない人の子の言葉に、感動してしまう自分に笑ってしまった。
それを誤魔化すように手元の飴の包みを開ける。暖かい日だまりを詰めたような、金色のべっこう飴。透き通るその中を眺めながら思う。
魂に色があるなら、きっと、光忠の魂もこの色だろう。
口に放り投げた飴は確かに甘い。光忠の魂、その言葉と共に飴の甘さが鶴丸の心に染み渡った。