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「で、本当に来ないからなぁ~、あいつ」


 日時は12月24日10時10分。駅前広場近くのモニュメント。いつもは駅前のシンボルであるそれは、今の時期ばかりは仕方なしと季節限定で現れている大きなクリスマスツリーに主役を任せている。そのモニュメントを丸く囲んでいる花壇の縁に腰掛け、鶴丸は大きく項垂れた。
 約束の時間から10分過ぎても長船は現れていない。長船は時間にきっちりしている男だ。遅刻はまずない。10時5分前からもう三回も電車遅延情報を確認しているので交通のやむ終えない理由で遅れている訳ではないことも分かっている。


「くっそー!やっぱりダメだったか!」


 いくらなんでも強引なのは自分でも分かっていた。鶴丸が長船の立場だとしても来ない。
 やるならばもっと計画的に、そしてスマートに決行すべきだったのだ。今回ばかりは悪手に悪手を重ねたと言わざるを得ない。日にちを開けて多少冷静になった頭ならそれが分かるのだが、先週はずっとイライラしていて、金曜日に至っては冷静な判断が何一つ出来ていなかった。今さら嘆いても遅いが、もう少しどうにか出来なかったかと過去の己を責めた。


「だって、ああでもしなかったら、俺あいつに何してたか分からなかったし」


 過去の自分の弁明を今の自分が呟く。鶴丸は退屈な人生を過ごしてきた。感情の起伏がほとんどなかったと言っても良い。楽しいフリをしたり、周りの状況に表面の感情を合わせるのは得意だが心の奥底はいつも冷めきっていた。自分ではどうしようも出来ない生まれつきの性質だ。
 だから荒れ狂う感情の処理なんてしたことがなかったのだ。社会人も6年過ぎるというのに未熟この上ない話ではある。
 あんなに感情が荒ぶったのも初めて、人を好きになったのも初めて。初めて尽くしで分からないことだらけだったから思うままに行動するしかなかったのだ。


「それで失恋とか笑い話にもならんわ~」


 金曜日の別れる前の長船を思い出す。分かっていた、勝ち目の薄い挑戦だと言うことは。
 あの感情の吐露を見て、たかだか半年前に現れた鶴丸が勝てるとは思えなかった。約束相手への思いは長船の全ての感情に繋がっている。それを捨てて鶴丸を選ぶということは、長船が生まれ変わるのと同義だ。それは簡単な話ではない。


「何でよりによってそういう難しい相手を好きになったかね、俺は」


 花壇の縁へ両手をついて今度は空を仰ぎ見る。自分の白い息が重く低い灰色の空へと溶け込んでいった。雨は降っていないが晴れてもいない。体感温度は気温よりも低く感じる。
 もう理由もないのにこのままここにいるのは得策ではない。そう思うのに腰は花壇に張り付いている。


「どうすっかなぁ」


 その場にいる事実を誤魔化すようにひとりごちた。
 フラれたのに、長船への気持ちが全く消えない。不可解だ。けれど当然の様にも思える。
 一晩寝て全てを忘れるハプニングが起きない限り、鶴丸は明日も長船を好きなままだ。会社に出勤して、挨拶を交わし、隣で共に仕事をする。会社にいる間ほぼずっと。
 想像してため息が出る。ああ、悶々としてしまいそうだ。
 デスクトップを見つめる横顔、キーボードを打つ指先、背筋の延びた姿勢、電話で話す声、お茶を飲む唇。
 はっきり自覚した今、これまでの様に接する自信がない。絶対、好きだと言う視線で見てしまう。強い感情の処理の仕方が分からないから、受け止めてもらえないと際限なく零れてしまう。
 それでは長船も迷惑だろう。いや、迷惑なのだろうか。鶴丸の中には長船の約束の相手がいる。彼だって意外と悪い気はしないかもしれない。
 しかしそれは鶴丸に好かれて嬉しい訳ではない。鶴丸が長船を見つめれば見つめるほど長船は、約束の相手への気持ちを強固にしてしまう。どん詰まりだ。


「不毛すぎる」


 面影を重ねた相手に好意をぶつけられて、ますます自分を裏切った約束相手が好きになる長船と、好いた相手に違う誰かの面影を重なられると知っていても、揺れた瞳で見られるとどうしようもなくなる鶴丸はどちらが不毛なのだろう。
 華やかな町並みに似合わない鈍くどんよりとした空を見上げ、答えのない答え合わせを繰り返した。

 

 


 自ら思考の迷路に飛び込んだからだろう。気づけば駅前の時計は15時を指していた。あれから5時間近く経っていた。時計を見て自分で飛び上がるほど驚いた。三連休の最終日。特にやることもないと言っても自分は長時間こんなところで何をしていたのだろう。
 駅前の人々は午前中より人が増えている。鶴丸と同じようにモニュメント周りの花壇に腰掛け待ち合わせをしている人も午前中から多くいたが、今はその内の一人も残っておらず新しい顔ぶれとなっている。ずっとここに居座っているのは鶴丸くらいだ。
 帰ろう。明日も仕事がある。長船とのことも策を考えなければならない。
 連絡が来ていないと分かっているスマホを取り出す。会社の連絡用に電話番号だけは交換していた。しかしやはり着信もショートメールも来ていなかった。

――にょきり。

 スマホと自分の間に突如として何かが生えた。驚き背を反らして謎の物体と距離をとると、その生えてきた物体が持ち帰り用のホットコーヒーだということが分かった。
 物体の正体は分かったが何故突如目の前に現れたのかが分からない。ホットコーヒーから視線を上へと辿っていくと、鶴丸にホットコーヒーを差し出している人物がいた。
 知り合いではない。見たこともない人物だ。


「あ、あの?」
「君、朝からずっとここにいるだろう。体が冷えているのではないか?案ずるな、今しがた購入してきたものだ。まだ暖かいぞ」
「は、はぁ」


 訳も分からないまま両手でホットコーヒーを受け取った。触れた指先が痛い。久々の熱に冷えきった感覚が驚いて、暖かさが痛みに変換されている様だ。
 少しハスキーな声の持ち主は満足そうに頷いて鶴丸の隣に腰かけた。パンツスタイルがよく似合うスレンダーな体型と凛々しいが美しい顔立ちの横顔は男か女か分かりにくい。立ち居振舞いが堂々としているから、恐らく男性だとは思うが。
 青年が自身のホットコーヒーに口を付ける。一口飲んで暖かな息をついたのを眺め、鶴丸も青年に倣った。
 暖かい。体の中から細胞が生き返る感覚だ。


「どうして俺が朝からここにいると知っているんだ?」
「俺も朝からここで待ち合わせしていたからだ。俺の場合、こんなに早く来るはずがないと、そこのカフェの中でずっと待機していたのだがな」


 青年が指を指す。少し離れた所に駅隣接のショッピングモール内のカフェが見えた。成る程、この持ち帰り用のコーヒーはあそこで購入したものらしい。


「何故俺にコーヒーを?」
「あの時間帯から待ち続けているのは俺と君くらいなものだ。親近感が湧いてな」
「そうか」


 コーヒーを貰った手前、変わってるなとは声に出せなかった。


「それに君を見た時、なんだか初めて見た気がしなくてな
「・・・・・・ナンパか?」
「ははは!まさか!俺はここで大事な女性を待っている所だ。そんなつもりはない」


 笑い飛ばされて安心した。知らない人から物を貰うなという幼少期の教えを守るべきだったと深く後悔するところだった。


「俺の待ち人ほどではないが、君の様な美しい女性、一度見たら流石に忘れない」
「俺、男なんだが」
「そうか。それは失礼した」


 青年はけろりと謝罪した。一人称が俺なのだから普通、男だと分かりそうなものなのに。やっぱり変わっている。
 そしてこの変な所、すごく誰かを思い出す。


「時々あるのだ。こう、なんといったか、そう!でじゃびゅ、を感じることが」
「でじゃびゅ?ああ、既視感のデジャブか」


 ああ、と青年は頷いた。


「例えば今だな。君とコーヒーを手に持ち語らっていると、俺は一瞬ここが広い城内の縁側の様な所で君と緑茶を飲んでいる錯覚を起こす」
「やけにはっきりしているんだな」
「昔からあるのだ。君の様にでじゃびゅを感じる相手は過去にも何人かいた」
「へぇ」


 青年の話に何となく惹かれるものがあった。どうせ長船もこないし、青年の話に付き合うことにした。青年も待ち合わせ相手が来るまでの時間潰しになるだろう。


「昔はもっと頻発していてな。気味が悪かった。決まって同じ錯覚に陥る。まるで、そこが広い城内の様に感じるのだ。何かを暗示しているとしか思えなくてな」
「何かしらのお告げ、的な?」
「そうだ」


 青年は幼い日の自分に笑い掛ける様に頷いた。今は大丈夫だということらしい。


「口にするとその場所に連れていかれる気がして、誰にも言えなかった。親にも、姉さんにも。でじゃびゅを感じる度に姉さんの足にしがみつき。頭を撫でてあやしてもらったものだ」
「なんかそういう怪談あったなぁ。黒猫が、満月の夜に迎えに来るとかなんとか」
「まさしく。その話を聞いた時は大泣きしたものだ」


 はははと青年は笑う。開いた口から鋭い牙の様な白い歯が覗く。


「年を重ねるにつれでじゃびゅは落ち着いていったが、そうなると今度は無性に寂しくなった。何か大事なことを忘れていく様で。物陰に隠れては一人でよく泣いていたな。昔は泣き虫だった」
「自分の空想上の友達が消えていく様な感覚だったのかもしれないな。えーっと、イマジナリーフレンドだったか」
「オオカネヒラ、ではないのか?」
「なんじゃそりゃあ。俺は聞いたことないぞ」


 オオカネヒラ、オオカネヒラ。何度か口に出してもぴんと来ない。ひとつの意味に複数の言葉なんて珍しくないから鶴丸が知らないだけかもしれない。


「・・・・・・だがまぁ、忘れたくないのに、忘れていくのは悲しいな」
「そうだな。姉さんがいなければ俺はどうにかなっていたかもしれない。いっそ忘れる前に命を断っていたかもと、あの頃の自分を思い返すことがある」


 そのしみじみとした声は、クリスマスイブで賑やかな街の賑わいにそぐわない過去を溢す。鶴丸は不思議と、その気持ちが分かる気がした。
 鶴丸は自ら死を選んだりはしない。どんな退屈な人生であっても投げ出そうと思ったことは一度もなかった。絶対後悔する。何故かそう思い、一日でもつまらない時間が消費されることをただただ願ったものだ。だから自ら命を絶ちはしない。
 もしそんな鶴丸が、自分の意思とは関係なく大切なことを忘れていってしまうとしたら。命を絶つことも出来ず、自分の中から大切なことを忘れていくのをただ享受するしかないのなら。
 それは、死ぬより、ただ長い生を生きていくより恐ろしいことにも思えた。
 忘れたくないのに忘れてしまったら、きっと心は空っぽで。でもどうして空っぽでそこに冷たい風が吹き抜けていくかもわからないのだろう。何を埋めればいいか分からなくて、探し方も知らないから、そこに立っていることしか出来ない。


「だがな、姉さんは泣きじゃくる俺に言ってくれたのだ。『お前は全てを忘れても一番大切なことは忘れなかった。お前はきちんと僕の所にやってきた。それだけで、もう何にも絶望する必要はないんだよ』と」


 鶴丸がぞっと、寒さとは違う震えに両腕をさする間も青年は話を続けていた。
 姉の声色を真似る青年。まるで女性の様だった。そしてものすごく誰かに似ていた。その声だけではなく、話し方も。同じように同じことを言っていた人物がいなかっただろうか。
 そういえば、と思い付いた所で隣に座っていた青年が突如立ち出す。鶴丸の予想が正しければ、性別は青年ではない。


「姉さんは素晴らしい人だろう!まるで女神だ!俺は、俺はあの人の妹に生まれたことを誇りに思うぞ!」
「やっぱり君、あいつの――、あ」


 ぐっと両手に拳を握りしめ何かのスイッチが入ったかの様に自身の姉の素晴らしさを語り出す。その内容は鶴丸の知っている人物とは少し違っていたが間違いない。何せ、熱く語っている人物の背後にひょっこり顔を出した本人が鶴丸ににこにこと手を振っているのだから。
 ああ、そうだ。気づかなかった。彼女がしている手袋は、友人が鶴丸の手袋を買ってくれた時に妹へ買っていくといった男物の手袋と一緒だったということに。
 友人はそろりそろりと静かに近寄り、


「えいっ」
「うあ!?」


 背後からぎゅむりと抱きついた。


「こらこら。本当にお前は忘れん坊さんだね。今日の待ち合わせ相手は白鶴さんじゃなくて」
「姉さん!」
「うん。そうだよ、僕だよ。遅れてごめんね。待ち合わせ場所間違えてたみたい」
「ぜんっぜん待ってないぞ!俺も今きた所だ」
「そんなに鼻を真っ赤にさせて嘘を吐いてはいけないよ。お前はトナカイじゃないんだからね、すぐにばれてしまう」
「う・・・・・・」


 友人はくすくすと笑いながら妹の鼻を摘まむ。そこそこ長い付き合いだが、友人がこんなに柔らかく笑う姿を初めて見た。


「い、いいのだ。姉さんはちゃんと来てくれた。俺はそれだけですごく嬉しいぞ!」
「来るよ~。お前がちゃんと来てくれたのに僕がお前のところに来ない訳にはいかないよ。他に何を忘れても大切な約束はちゃんと守らないとね」
「姉さん・・・・・・」


 妹の頬を包み、額を合わせる。こうしてみるとまるでひとつの存在であるかの様に同じ顔をしていることに気づいた。表情が違うだけでこんなにも気づかないものなのか。
 今も妹は姉とは少し違う表情で、姉の手の上に自分の手を重ねた。周りは美男美女カップルの突然のいちゃつきに目を丸くしているが、実は単に姉妹のスキンシップだと知ったらどうするだろう。
 妹が大好きとは知っていたがここまでとは思わなかった。


「さ、じゃあ暖かい所にいこうか膝丸」
「ね、姉さん。違うぞ、俺の名前は膝丸ではない。俺の名前は、」
「あれ?違ったっけ?まぁ、細かいことはいいじゃない。お前が僕の大事な弟であることに代わりはないんだし」
「弟でもないぞ!や、やはり、やはり姉さんは弟が欲しかったのだな!?そうなのだな!?」


 姉妹漫才をしながらも手を繋ぎ、見目麗しい姉妹は歩き出す。と思いきや友人は鶴丸の存在を忘れてはいなかったらしく、腰をかけたまま見送る鶴丸をくるりと振り返った。


「その様子だと、黒い子に会ったみたいだね」


 黒い子。そういえばそんな話をしていた。大学時代の長く黒い髪を女子学生。鶴丸は彼女の名前も顔も覚えていない。だから友人が言うように、その女子学生と会ったかどうかも分からない。
 だから答えは否、もしくは分からないと答えるべきだ。


「・・・・・・ああ」


 しかし鶴丸は肯定を返した。友人の言う黒い子が、長船を指しているとそう思ったから。
 鶴丸の答えに友人は満足そうな顔をした。


「そっかぁ、良かったね」
「ちょっと時間が掛かってしまったけどな」
「大丈夫。あの子優しかったし、待たせた分ちゃんと謝れば許してくれるよ」
「だといいが」
「頑張ってね。弟と一緒に応援してるから」


 繋いだ手はそのままに、ご機嫌に手を振り友人は妹を連れて再び歩き出した。妹は従いつつも鶴丸と友人を交互に見ている。


「姉さん、彼は姉さんの知り合いか?」
「うん、そうだよ~。ほらお前が可愛がっていた子がいたでしょう。あの黒い子、あの子の旦那さん」
「???黒い子?可愛がっていた?俺がか?誰だ?」


 二人は仲睦まじくショッピングモールの方に去っていった。今から暖かな所に落ち着いて、友人はあのお揃いのネックレスをプレゼントするのだろう。自分のことではないのによかったなと思う。
 プレゼントのことではなく、仲睦まじい二人が今日と言う日を共に過ごせていることを。それは片方の想いだけが強くてもきっと叶わないことだから。

 

 


 二人の姉妹と別れても鶴丸はまだそこにいた。時計はもう見ていないが元々重く暗かった空は夜も取り込んで深い闇を作り出していた。そのお陰でショッピングモールの明かりや駅前広場や大きなクリスマスツリーのイルミネーションは一段と輝く。
 17時を告げる音楽が鳴っていたのは聞いている。あれからどれくらい立っただろう。
 貰ったホットコーヒーはとっくに飲み終わっていてゴミ箱の中だ。これだけ時間が立てば、本来温度を意識しないカップの容器自体だって冷たくなっている筈だ。
 冷たい風が吹いてぶるっと体を震わせる。寒さには強い方だといっても限界はとうに越えている。
 待ち合わせから8時間経っている。もう来ないと分かっていて、手足の感覚はとっくになくて、なのにどうしてここから動かないのだろう、自分は。
 寒さで思考は限りなく削ぎ落とされている。開いた足と組んだ指をぼうっと眺めながら頭に浮かぶのは、一方的に待ち合わせの約束をした相手のことばかり。
 女々しいったらない。自分で自分を笑ってしまう。情けないし格好悪いなとも思う。こんな自分を長船が好きになるはずない、そんな暗い思考も湧いてくる。けれど、体が動こうとしないのだ。ここから。
 好きな相手が一番溢れてくるこの場所がとても離れがたい。
 きっと長船が十数年約束の場所で待ち続けた心境も同じだったのかもしれない。


「なるほど、これは諦められないなぁ」


 はは、と力ない笑いと共に項垂れる。
 待てば待つほど思いが募る。好きで好きで仕方がないんだと余計なことを削ぎ落とした心が叫ぶ。情けないのに、格好悪いのに。


「本当、いつの間にこんなに好きになったんだか」


 明確な時期は分からない。最初からだろうか、雑に扱われたからだろうか、弱いところを見たからだろうか、面影を重ねられ愛しそうに見られたからだろうか。
 仕事の時の彼と待ち合わせの約束。長船について知っていることなんてこれくらいしかない。その少しの中でどうして、自分は長船をこんなに好きになってしまったのか。
 それはまるで何かに決められていたかの様に。


「いや、違うな。そうじゃない」


 ゆるゆると頭を振った。
 知らないことばかりなのにどうして好きになるのか。どうしてここを動かないのか。それは決められていたからじゃない。


「そうだ。俺は、君をもっともっと強く好きになりたいからこうして待っているんだ」


 まだ知らないことが多い彼と色んな場所にいって、色んなことをして。数えきれない沢山のことを二人で見たり聞いたり。その度彼を知って、もっと深く好きになりたいから鶴丸はこうしてここを動かないのだ。
 そうだ。そうだった。覚えている。頭ではない別の場所で。
 
それが鶴丸にとって一番大切な――。

「どこまで手のかかる人なんですか、貴方は」


 何かが頭に浮かびそうになったその時、それを上書きする様に頭上から声が降ってきた。俯いていた顔をぼんやり上げる。そこにはマフラーを両手に広げている想い人の姿があった。


「今年がいくら暖冬だからって、マフラーもしないで。まさか一日中ここにいたわけじゃないでしょうね」
「一日中いた・・・・・・」
「馬鹿ですか!僕、言いましたよね!今日は用事があるから来られないって。はっきり言いましたよ、行けませんって!」


 先日、一日中外で待っていて高熱を出した長船が鶴丸にマフラーを巻きながら叱ってくる。良い声がぼわぼわと耳に木霊するが内容はそこまで入ってこない。


「長船、」
「意地悪したわけじゃありませんからね。あの子達が僕のために開いてくれたクリスマスパーティを無下にするなんて僕には出来ません」
「長船・・・・・・、来てくれたんだな」


 信じられない気持ちで立ち上がる。触れたくて手を伸ばそうとすると一歩距離を取られる。叱り眼だった時は近くにいたのに今は困惑した顔で鶴丸を見た。


「貴方との待ち合わせに来たわけじゃありません。今も通りかかっただけです。まだいるなんて思ってなかったから、吃驚して声をかけただけです」
「そうか・・・・・・、そりゃあラッキーだった。帰らなくて良かったよ」
「っ、」


 その言葉が嘘でも本当でもどちらでも良かった。鶴丸は長船が来てくれて嬉しい。その本心を告げると長船は戸惑いの色を強くして、恥じるように項垂れた。


「・・・・・・嘘です。たぶん、貴方は待っているだろうとわかってた。クリスマスパーティだって、もっと前に終わってたんです。僕が、ここに来るのを躊躇してただけ」


 離れていた分の一歩を自分から縮めてくれた。鶴丸に手を伸ばそうとしてその手が痛むかの様にぎゅっと拳を握って、耐える様に目を伏せた。


「僕はもう、どう貴方に触れればいいか分からない。貴方がすべてを忘れたのは忘れる必要があったからなんじゃ?僕のことを知らない貴方である必要が、貴方の人生にある。でないと説明がつかない、あんなに愛してくれたのに貴方が何もかも忘れてしまう理由の説明が」


 長船は鶴丸ではなく鶴丸の中の想い人に話しかける。黙って聞いていた。鶴丸には答えられないから。長船がどう願っても鶴丸の中には、今の鶴丸以外の誰もいないのだ。


「ひとつも。ひとつも覚えていないんでしょう、僕のこと。ううん、忘れても良い。みんな忘れてるもの。でも貴方は、僕に会っても、なにも思い出してくれない・・・・・・。そんな貴方に僕は、どうやって触れればいいの」


 握った拳がふるふると震えている。辛そうな表情が答えを教えて欲しいと鶴丸に請う。長船は鶴丸に別の誰かを重ねていた。そう思ってた。でも、それは鶴丸の思い違い。長船は全部分かっていたのだ。鶴丸の中に長船が求めているものはないと。そして、きっとそれは鶴丸の落ち度で失っているのだと言うことも。


「長船、俺はさ・・・・・・ん?」


 けれどそれを聞こうとは思わなかった。聞いても今の鶴丸では絶対与えてやれないことだから。
 だから代わりの言葉をかけようとした所で冷たいものが鼻先に触れる。感覚のない指先でそこをなぞるとわずかに濡れていた。


「雨?」


 降ってきても納得出来る雲行きだった。暗闇と分かっていても確かめる為に体は自然と上を向いた。


「!」


 ぽつりぽつりと。予測していたそんな雨は落ちては来なかった。そのかわりちらちら、人工的な光りを反射しながら静かに降りてくるものがある。


「長船!見ろ、雪だ!」
「わっ、え、えっ?」


 思わず上を見ながら思いきり手を真横に大きく振ってしまう。俯いていた長船は避けられなかった為、その背中を強く叩いてしまった。背中を叩かれた長船は背筋がびんと伸び、鶴丸と一緒の空を見上げた。


「すごいなぁ。暖冬って言ってたから今年のホワイトクリスマスは無理だと思ってた。まぁクリスマスって言うかクリスマスイブなんだけどな」
「・・・・・・そうですね」
「なぁ、長船。こういうの、見るの嫌いかい?」
「え?いいえ、好き、ですけど」
「良かった」


 上げていた視線を下ろして長船に笑いかける。長船も空から鶴丸を見つめキョトンと不思議そうな顔をした。


「俺はさ、こういうの。君と一緒に見たいんだ」
「こういうの?」
「うん。俺の人生、今まで何してもつまらなくて退屈でさ。特にしたいこととも好きなこともなくて。なんていうか、ないない尽くしの人生だったんだけど、」


 そう言うと悲しげに顔を曇らせる。予測できていたので動揺せずに朗らかに話を続ける。


「君となら、色んなことをしたいと思うんだ。知らない場所に行って、初めてのものを一緒に体験したりさ。勿論いつもと同じ場所で同じことを繰り返すのも悪くない。時にこうして思いがけないことに出会えるだろうしな」
「つ、鶴丸さん、その言葉・・・・・・」


 目を見開く長船の後ろを指差す。そこにはこの時期の主役である大きな大きなクリスマスツリーが堂々と立っていた。クリスマスツリーなんてホワイトクリスマス以上に珍しくともなんともないけれど。


「例えば毎年見慣れたあの大きなクリスマスツリーだって、君と見ればこんなに新鮮だ。さっきまでは俺にとって取るに足らない風景の一部でしかなかったのに、今はイルミネーションの光や飾りの形が綺麗だ、可愛いって思える。あの頂上の星を取って、君にプレゼントしたいとか色々さ、浮かんで来るんだ。・・・・・・すごいなぁ、君といると退屈しらずだ!」


 長船が鶴丸の指に従い、そして体の動きを止めた。呼吸を忘れたかの様にぴったりと。彼も改めてみたクリスマスツリーに新鮮さを覚え驚いたのだろうか。


「人は大切なことを忘れていく。忘れられるのも、忘れていくのもどちらが辛いかは分からない。でも俺は、忘れてもその分だけ君と色んなことを、」
「その街で、一番大きな木がある、綺麗な、星が見える所・・・・・・」
「え?」


 呆然と呟く言葉。よく聞き取れなくて聞き返そう耳を近づける前に長船がクリスマスツリーから鶴丸を振り返った。溢れそうなほど見開いた瞳が鶴丸を凝視している。あまりの気迫に言いたい言葉が全部飛んでしまった。二人の間にちらちらと雪が舞い降りてくる。そのひとつが地面に落ちて溶けていった。すると溶けた分の雪の水分が何故か長船の驚愕に見開いていた瞳にみるみると幕を張っていく。


「っこ、こんなの分かるわけないよ・・・・・・!」


 状況についていけない鶴丸を無視してその場にガバッと踞った。


「季節ものは分からなくなるって言ったのそっちだろう!こんなの季節限定の代表格じゃないか!」
「お、長船?」
「僕が場所間違えたって言いたいんだろう!勘違いして勝手に怒って、傷ついてるって!違うよ、これ僕悪くないよ!つるさんがいけないんだ!」


 膝頭に顔を伏せながら長船は子供みたいな責めを繰り返してる。
 この責めは鶴丸に対してのものじゃない。例の約束相手に対してのものだ。けれど似た名前を叫ばれた後だからだろうか。あんなに長船の約束相手に重ねられるのが嫌だったのに、今はどうしてだか謝らねばならない気持ちになってくる。
 鶴丸は長船と同じようにその場にしゃがみこんで、小さく丸まった。


「えーっと、その、ごめんな?」
「僕の輝かしい人生の十数年返して。一年に数日持てば良いんだったら最初から言ってよ。あんなこと言うから季節関係ないって思うじゃないか。僕、本当は貴方と会うまでにやりたいこと沢山あったんだから。でも貴方が待ちぼうけくらったら可哀想だし、僕がいないと張りないとか言うし。それなのに会ったら僕のこと忘れてさっ。幸せなら、忘れるなんて酷いよ!って怒ることも出来たのに人生退屈とか、言うしっ。僕のこと思い出さないから、近づいていいのか分からなかったしっ」
「ごめん。ごめんって、許してくれよ。な?」
「怒る以上に、心配したんだから・・・・・・!」


 丸まって横から覗き込もうとするが体ごとそっぽを向いてしまった。追いかけて反対側から覗くと今度は逆側を向いてしまう。何回繰り返しても同じだ。端から見れば大の大人がモニュメント前で何してるんだかと思うのだが、どうせ回りはカップルだらけで自分の相手のことしか見えていない。長船のことしか見えていない鶴丸と一緒で。
 しばらくするとようやく子供の様なぐずりがやんだ。


「長船ー」
「・・・・・・」


 横から顔を覗き込むとむくれた顔が渋々と上がる。目元が赤い。何かを誤魔化す為に擦ったのだろう。その目元が痛々しいのと、むくれた頬が可愛らしくて自然と手が伸びた。感覚がないほど冷えていた指先が長船の熱い頬に触れる。痛いくらいに指先が熱い。それだけ指が冷たかったと言うことだ。氷の様に。
 しかし触れられた長船はその冷たさに驚くことはなく、むしろその冷たさこそに安堵した様にほぅと息を吐く。


「やっぱり冷たい・・・・・・」


 何故か嬉しげにすり、と自ら頬を擦り寄せる。


「・・・・・・ごめんね、貴方には分からないことでぐずって」
「いいさ」
「これだけ理解出来ないことを言ってて、信じてもらえないかもしれないけど。僕の想いは貴方だけのものだよ。僕は最初から貴方だけしか見えてない」
「信じるさ。実際、今の君の目には俺しか写ってないんだから」
「そう、だよね。貴方は全部を忘れた訳じゃない。大切なことは覚えてくれてる、だから分かって、」
「長船」


 まだどこか気分が高まっているのだろう。嬉しそうに話を始めようとする、目の前の彼を苦笑いで制した。この至近距離を少しは意識してもらいたいものだ。


「今のは、黙って目を瞑るタイミングだろう?」
「え、」
「ちょっと、静かにな」


 掴まえていた頬を引き寄せ、鶴丸も首を傾ける。ふに、と当たる冷たくて柔らかい感触と共に、じわ、と僅かに濡れる冷たさ。落ちてきた小さな白が二人の口だけを邪魔しようとしたのだろうが、目的を果たすことも出来ず唇の熱で消えていった。
 周りに誰も立ち止まっていないこと良いことに、花壇の影に隠れて少しだけ、長い口づけを交わす。頬に触れ、今は長船の手に重ねられている指先と、口づけを繰り返す唇。そして体の奥底にある心がじわじわと温かい熱で満たされていく。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


 名残惜しげに口づけを解いて、しばらく無言で見つめあった。
 二人とも小さくしゃがんだまま、お互いのことだけを見ていた。イルミネーションの光も届かない場所、主役を取られて寂しそうにしているモニュメントだけに見守られて。
 一年でもっとも華やかと言ってもいい今日の日に花壇の影に隠れてこっそり口づけとは。
 何だかおかしくなってくる。


「っふ、悪い。もっと、ロマンティックに決めれば良かった」
「ははは、一回目があれでロマンティックも何もないよ」
「確かに!」


 笑い合いながらその場に立った。華やかな街の光を朝の光の様に全身に浴びて大きく伸びをした。


「んじゃま、行くとするか!」
「何処に?」
「ラーメン食いに!」
「ラーメン?」


 鶴丸のマフラーを巻き直しながら長船が不思議そうに首を傾げる。


「寒い時にはラーメンだろ?」
「そうだけど・・・・・・」
「ラーメンは嫌か?」


 ちょっと拗ねたように視線を逸らすから、回り込んでその視線の先から覗き込む。


「ラーメンだけじゃ、暖まらないよ」
「じゃあ、やめるか?別のがいいかい?」
「別の、って言うか」
「暖まる場所なぁ、温泉は近くにないもんな。スポーツジム行くか?」
「そうじゃなくて!」
「うん?違うのか?なら何処がいいんだ?」
「・・・・・・ラーメンでいいです」


 がっくりと肩を落とされる。何が不服だと言うのか。行きたい所があれば言ってくれればいいのに。長船の願いならなんでも叶えてやりたい。


「やりたいことあったらちゃんと言えよ。なんだって聞いてやる」
「いいよ、もう何でも。・・・・・・ごめん、それ以上聞かないで。ちょっと恥ずかしいんだ。さすがにがっつきすぎた」
「なんだよー。気になるなぁ」


 頬と目の縁を真っ赤にさせる長船は一体何が望みだったのだろうか。まぁ、いつまでも寒い所で問い質さずともラーメン食べながら聞けばいいか。
 花壇前から明るい光の方へと歩き出す。上手いラーメン屋を目指して。


「明日仕事帰り、飲みに行こうな!」
「今からラーメン食べに行くのにもう明日の約束?今日行けば良いんじゃない?」
「今日はラーメンの後にレイトショー見る!」
「あ、決定なんだ」
「で、今週末は年末年始の買い物行って、あっ!初詣、一緒に行こうな!おみくじ引こうぜ、屋台回って、甘酒飲んで・・・・・・」
「わぁ、一気に予定が詰まってきた」


 指折り数えてやりたいことを並べると隣から苦笑いが寄越される。長船のやりたいことはこの中には含まれていないのだろうか。


「ん?ちょっといっぺんに提案しすぎたか?」
「ううん!僕忙しいの嫌いじゃないよ。それに、時間もないからね、どんどんやりたいことやらなくちゃ」
「時間がないって?」


 ないない尽くしの鶴丸の中で唯一有り余っていた時間。それがないと言うのはどういうことだろう。立ち止まる鶴丸の手を取って長船は煌々と光が当たるクリスマスツリーの下で指を絡めた。いくらカップル達はお互いのことしか見えてないと言っても、公衆面前で大胆な行動だ。鶴丸は気にしないが長船の行動っぽくない。
 しかし驚き呆ける鶴丸を見て長船はイルミネーションにも負けないキラキラ輝く笑顔を浮かべた。


「人生は短いんだよ!貴方のやりたいことぜーんぶやるには、戸惑ったり立ち止まってる暇なんかないんだから!だって、知らない場所にもいかなきゃいけない。どんどん新しいことを体験していかなきゃいけない。同じ日常の中で驚きを探す時間だって必要だもんね!」
「っ、本当に?本当にぜーんぶ、付き合ってくれるのかい!?俺、今までなんの興味も持ってこなかったら、君が呆れる様なことだって付き合わせるかもしれないぜ?さっきみたいに、君が望んでることじゃなくて、ラーメン食べたいとか、一緒に散歩したいとか、そういう小さいこと、いくつもいくつも君を付き合わせるかも!」
「勿論!僕は貴方のやりたいこと、全部つきあいますよ!どんなことだって、短い人生全部の時間を使って!」


 嬉しくて言葉で言い表せられない衝動のまま体を引き寄せ抱き締めた。指を絡めるどころじゃないのに人目を気にすることなく、その体を。
 抱き締められた長船は鶴丸の肩口に頬をぴたりとくっつけて囁いた。


「だってその為に、僕たちはずっとお互いを待ってたんだから」


 この愛しい人を愛しきるには自分の一生では到底時間が足りなそうだ。そう思うと同時に、今生きている一瞬一瞬が愛しくて、なのに限りあることがとても切なくなってくる。
 でもだからそこ、生きていくことは尊いことなのかもしれない。

 鶴丸は腕の中の温かさとこの奇跡の様な時間を噛み締めるように静かに瞳を閉じた。

 

 



 

 

「じゃあ、秋桜が綺麗に咲く場所とか、蛍が住んでる池とか?」
「季節が変わったら分からなくなるだろ。却下だ」
「えー、難しいなぁ」


 片方は畳に寝転がりながら、片方は園芸日誌をつけながら。慣れた調子で会話をしている。


「季節で変わらないもの?建物とか?」
「建物つったって全部似たようなものだろう。もっと単純なのが良いって。例えば、そうだな、その街で一番大きな木があって、綺麗な星が見えるところ」
「それこそ分かりにくいと思うけど」
「一番だぞ?一番。一番ってのはひとつしかないんだから間違えようがないじゃないか」
「綺麗な星が見えるって言うのは?」
「君との待ち合わせ場所だからな。ロマンティックにいかないと」
「あははっ、キザだなぁ」


 出陣も遠征もない一日。忙しなく動くお互いが少しだけ時間を空けて共に過ごす他愛もない時間。
 多岐に渡る戯れ言も繰り返して、今は『人に生まれ変わったらどうするか』と言う話題になっている。刀剣男士の中ではそう珍しくもない話題だ。今の時間が愛しければどの刀もが一度は夢見ること。愛を誓い合った二人なら尚更、当然の様に出る話題だった。
 わりと長い時間を掛けて二人は生まれ変わった時の待ち合わせ場所を決め終わり、では実際何をするか、という話に続を続けていく。


「人になったら何するかなぁ、光坊。今もそれなりに沢山経験してきたが、やっぱり人間じゃなきゃ出来ないことしたいよなぁ」
「えー、なんだろう。意外にぱっと思い付かないな。・・・・・・あっ、子作りとか?」
「君、女に生まれてくるつもりかい?」
「鶴さんが女性かもよ?」
「あー、成程なぁ。そりゃあ、初めての経験になるわ」


 けどなぁ、俺は君を思う存分可愛がるのが好きなんだがなぁとかなんとか、鶴丸はぶつぶつと呟いている。
 今日の菜園日誌を書き終えた燭台切がぱたりとそれを閉じる。時々鶴丸が勝手に開いて書き込んでいるからいつのまにか菜園日誌と言うよりは交換日誌みたいになっている。


「そもそも、せっかく生まれ変わるのにまた僕でいいのかい?」


 不思議に思って問い掛けると、今まで寝転がっていた鶴丸がその場にガバッと起き上がった。そして燭台切を見て絶望に染まった白い顔を見せる。


「俺に飽きたのか、光坊・・・・・・!」
「えっ、なんでそうなるの」
「ひどいぞ!俺は何千何万回生まれ変わっても君を愛してると言うのに!」


 わっ!と芝居がかった様子で畳に伏せて泣き出す。勿論嘘泣きなのは分かっている。


「さすがに何千何万回は飽きると思うよ」
「君は自分が生きていく為の空気や水に飽きたりするのかい!」
「飽きる飽きない以前に愛してはないかなぁ」


 はっきり伝えると泣き真似をしていた鶴丸がぴたりとそれを止め、いつもの様にゆるりとした態度で座り直した。なだめに来た燭台切に膝枕をしてもらおうとでも思っていたのかもしれない。けれど燭台切がその場を動かなかったから、やるだけ無駄だと悟った様だ。


「ねぇ、もし僕が生まれ変わらなかったら鶴さんはどうするんだい」
「どうもしない。生まれた以上生きていくさ」


 鶴丸は肩を竦めてそう答える。さっきの何千何万回生まれ変わっても愛しているという発言はどうしたのだろう。しかし実に鶴丸らしい返しで笑ってしまう。
 だよねぇと笑う燭台切に、そうさと何でもない風で更に返す。
 ただその後、座ったまま後ろ手を畳みに突きながらちらっと燭台切を見て、今度は部屋から見える庭先に視線をやった。


「だがま、張りのない人生になるだろうなぁ」


 入り込んでくる優しい風に吹かれながら、至極つまらなそうに呟いた。


「君と共に過ごし、楽しいことを倍に、辛いことを半分にしてきたこの時間を経験してしまえば、君がいない人生は実に退屈だろうさ」
「・・・・・・お互いのこと、忘れてるかも」
「そりゃあ、空気や水を愛していないって言い切る薄情な君は俺のことなんて忘れるかもしれないなぁ」


 あーあ。寂しいなぁ。光坊は薄情だなぁ。と鶴丸は勝ち誇った様に言っている。少しムッとした。鶴丸を好きな気持ちは、鶴丸が燭台切を思う気持ちにだって負けないはずだ。
 その思いが顔に出てしまったのだろう。得意気だった顔がふっと年長者の微笑みに変わった。


「大丈夫さ。本当に大切なことってのは絶対消えたりしない。忘れちまってもちゃんと魂に残ってるもんさ。君が待ち合わせに遅れても怒らないでずっと待っててやる。それでも君が来ない時は探し出してやるよ」
「でも僕が全部忘れてたら鶴さん、変な人だよ。いきなり前世の恋人です!なんてやってきたら」
「俺だってそんな馬鹿じゃない。そん時はな、段階踏んで君をモノにするのさ。・・・・・・成程、それもアリだな。いやー、もう一度君に告白するのかぁ、考えただけでどきどきもんだな!」


 鶴丸は笑いながら少しずつ日誌が置いてある文机に近寄ってくる。燭台切が座っている左隣に頬杖をつき、文机の上に有った燭台切の手に自らの手を重ねた。


「楽しみだな、光坊」
「・・・・・・そうだね」


 生まれ変われるかどうかも分からない。どちらかと言えば不可能で、この会話もただの夢物語を紡いでいるだけなのかもしれない。しかし、もし鶴丸の言う様にお互い人に生まれ変わり、そして同じ人生を歩めるのなら、それは確かに楽しみなことに違いなかった。
 勿論鶴丸とならば生まれ変わるのは人ではなくても動物でも魚でも構わないけれど。どれでもきっと楽しい一生を過ごせるだろう。


「何をしようか。人の一生は今の俺たちに比べたらあまりに短い。知らない場所に行ったり、初めてのものを一緒に体験したりするには時間が足りないだろうなぁ。何せやりたいことが山ほどあるはずだ。勿論、日常の中で驚きを探すのも忘れちゃいけない。うーん、一回の人生で足りるか?今からしっかり考えて計画を練っておかなくちゃな!」
「鶴さんに計画なんて無理だよ。珍しいことや興味を引くことがあったらその度にあっちこっち動き回るんだから」
「あはは!そうだな、君の言う通り!」


 手袋をしている燭台切の手を上から握っているその指先が冷たいことを知っている。その冷たさに触れられるのが好きだ。燭台切の熱がその指先に宿っていくのも好きだ。今は手袋をしていてそのどちらも叶わないのが実に惜しい。


「なら、その時やりたいことをやれば良いか。俺は、この手を握ってさえいりゃあ良い」
「・・・・・・うん。それだけで良いよ。そうしてくれたらね、」


 愛しげに細めてくれる瞳に、少しでも近づきたくて体と首を傾けて鶴丸を覗き込んだ。鶴丸から見れば、燭台切のひとつの瞳にははっきりと鶴丸の姿が写っていることだろう。

「鶴さんのやりたいこと、ぜーんぶ、ひとつ残らず付き合ってあげる!」

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