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 月曜日。二日ぶりの仕事は今日も退屈だ。


「長船~」
「馴れ合うつもりはありません。仕事してください。怠慢は許しませんよ」
「何この子~。怖~」


 情けない声を出しただけでこれである。情がない。相変わらず鶴丸限定つれないマンである。
 しかしこれが


「長船この間言ってた紙媒体の、」
「スキャンして共有に入れてあります」
「月別?」
「はい。後、必要そうな過去の資料も纏めてデータ化しました。数字入力したのもあるので、間違いないか確認してもらっても良いですか」
「分かった」


 仕事となるとスムーズな会話となる。長船は新人だが仕事が出来るので安心して作業を任せることが出来る。その上鶴丸が何を必要とするのか理解しておりいつも先手を打って準備をしてくれたりもする。
 お陰で新人教育をしながらも自身の仕事が滞ることなく、大助かりだ。それ以上に長船が鶴丸の意志を汲み取ってくれることがなんだかむずむずする。嫌なむずむずではなく。そう、これこれ!この感じ!みたいなむずむずだ。自分でもよくは分からない。


「っと、あれ長船。ここ一年分飛んでる」
「え?」
「ここ」


 鶴丸が自身のディスプレイを指すと長船が近寄ってきて同じ画面を眺める。と言っても距離はちょっと遠い。


「本当ですね、すみません。すぐ修正します」
「ん。これの元々の資料は?」
「資料室に仕舞ってしまいました。取ってきます」
「おー。いってらっしゃい。こけるなよー、別に急がなくていいからなー」


 長船は無言で席を立ちフロアから出ていった。仕事に関係ない言葉にはこれである。拗ねてしまいそうだ。
 そんなことを思っていると、程なくして机の上にことりと何かが置かれた。給湯室に置いてある鶴丸のマグカップだ。温かそうな湯気が立っている。
 それを置いた手を指先から辿っていくと、澄まし顔の長船がいた。


「資料室行ったんじゃなかったのか」
「さっき間違ってあっちの複合機で印刷かけたの、取り忘れてましたよ。それを持ってきたついでです。はいこれ」
「あ、悪い」
「というか水分くらい取ってください。無頓着過ぎます」
「見かねて持ってきてくれたって?昼飯の時飲んださ」
「昼御飯の時だけでしょう。一日に必要な水分知ってます?」


 そこまで言っておきながら長船は答えも聞かず、それじゃあいってきます。と今度こそ資料室へ向かっていった。
 温かそうなお茶を鶴丸のデスクに残して。


「つれないんだか、優しいんだか」


 両手でマグカップを包み持つ。冷えていた指先が温まり、飲む前なのにほぅと息が勝手にこぼれた。長船がたまに煎れてくれるお茶はとても美味い。お茶は煎れ方によって味が変わると言うが、そこまで違いを感じたことはなかった。せいぜい濃い、薄い、色が悪い、良い、その程度しか。
 しかし長船のお茶を飲んだ時明確に「美味い」と感じた。お茶の煎れ方が上手なのだろう。
 指先がじわりと温かくなってきた所で漸く茶を飲む。今日も変わらず美味い。


「あの~、すみません~」


 一息つき、両手を半分減ったお茶からキーボードに戻した所で背後から声を掛けられる。振り向くと同じ課の女子社員だった。


「さっきあっちの複合機で印刷しました?」
「ああ」
「私が印刷したもの混ざってませんでしたか?」
「んー?混ざってないと思うが・・・・・・」


 鶴丸は確認していないが、持ってきた長船が中身を確認しないまま持ってくるとは考えにくい。長船は本当に細やかな男だから。
 先ほど持ってきてもらった資料をぺらぺらと捲る。やはり他の印刷物は混じってなかった。


「あれー?おかしいなぁ。勘違いかなぁ、すみませんでしたー・・・・・あっ!そういえば鶴丸さん!」
「ん?なんだ?」


 去り際の女子社員はくるりと体を反転させ、名を呼んでくる。まだ何かあっただろうか。


「一昨日、駅の隣のショッピングモールいましたよね?」
「一昨日?・・・・・・ああー、いたな」


 一昨日は友人のクリスマスプレゼント選びに付き合った日だ。確かにショッピングモールに行った。


「見ましたよー!隣にいた人、すっっっごく美人でしたよね!彼女ですか!?」
「は?」


 ショッピングモールにいたことを肯定するやいなや女子社員は謎のテンションで鶴丸に詰め寄る。先ほどまでの間延びした彼女の話し方とは真逆な早口に驚いて、何を質問されているか理解が遅れてしまった。
 それが悪かったのか彼女は一人で「いいなー、美形同士のお似合いカップル」と祈る乙女の如く手を組み、天井を見上げている。


「い、いや、あいつは、」
「アクセサリー売り場で何か選んでましたよね?クリスマスプレゼントですか!?それとも、結婚指輪とか!?」


 女子社員の暴走は止まらない。女性と言う生き物は何故こうも恋愛話が好きなのか。別に愚かだと言いたいのではない。ただ時と場合と相手を選んでほしいだけだ。
 これ以上ヒートアップする前に止めようと、口を開く。
 が、咎めと否定を言う前に近くから何かを落とす音がした。ばさばさばさ!という音から察するに紙媒体のものだ。
 音源元の、左後方に目を向けると案の定数冊のファイルと、落とした弾みで金具が取れてしまったのだろう資料が床に散らばっていた。落として驚いたのかそれを呆然と見つめている長船の姿もある。


「おいおい大丈夫か」


 すぐさま近寄り床に落ちた資料を集まる。それでも長船は立ち尽くしていた。


「長船?」
「あ、す、すみません!」


 名を呼ぶと我に帰ったのか慌てて鶴丸に倣う。女子社員も手伝おうとしたが大丈夫だと断った。またヒートアップされたら敵わない。
 粗方拾い集めて長船のデスクに置く。ページはバラバラになっている。


「また派手にばら蒔いたなぁ、君にしちゃ珍しい」
「手が滑ってしまって・・・・・・。手伝って頂いてありがとうございました」
「そんな大層なことじゃないが。ただこの資料のページ、正しい順番にしといてくれな」
「すみません、無駄な時間を」
「なんてこたぁないさ。こんなの君以外の人間は日常茶飯事だぞ」


 いつでもスマートな長船だ。そんな彼でもこんなドジをすることがあるのかとちょっと安心した位だ。言ったらドジの部分を気にしそうだから口には出さないが。
 その後は長船もいつも通りの顔で黙々と仕事をしていた。いつも通りだった。表面上は。


「長船・・・・・・」
「はい・・・・・・」
「どうした?具合でも悪いか」
「いえ・・・・・・」


 終業時間だというのに二人してデスク前に座っていた。ただし体はパソコンではなくお互いを向いている。
 鶴丸が肘を置いているデスクの上には長船の終わり間近の新人日誌が開いてある。そこには読みやすい字で、本日の業務や質問ではなく、今日してしまったミスが書いてあった。ひとつひとつはほんの小さなことだったが、彼の日誌では初めてのことだった。まして複数も。


「単に僕の確認不足です。すみませんでした」
「体調悪くなけりゃいいんだ。ミスなんて誰でもある。大したミスじゃなかったし自分で後始末も出来ていたしな」
「でも、」
「ただ小さなミスは続くと大きな事故に繋がる。気をつけた方がいいぞ」
「・・・・・・はい」


 長船は静かに頷いた。仕事に関しては鶴丸の話もきちんと聞いてくれるのが常だが、今は少し気落ちしてる様に見えた。
 

「分かってくれたのなら話は終わりっ!今日はもう帰んな。待ち合わせがあるんだろ?」

「・・・・・・」
「それとも俺と飲みに行くかい?」


 膝の上で拳を握っている後輩を見かねておどけて見せる。こう言えばいつもの流れで帰りやすくなるだろう。


「なーんて、」
「あの・・・・・・・」
「えっ!?な、なんだ!?マジで行くか!?」
「恋人、出来たんですか?」
「はい?」


 まさかの展開かと胸を高鳴らせたのもつかの間まったく関係ない話題を寄越される。
 せっかくの期待を返してほしい。


「昼過ぎにそんな話をしていたから・・・・・・」


 スンっと密かに消沈する鶴丸の前で長船は居心地悪そうに話題を続ける。そういえばそんな話をされていた、一方的に。


「してたっていうか、されてたっていうか。それがどうし、」


 はっとした。直感だ。
 いつもはミスをしない長船が凡ミスの連発。そしてこの話題と態度。
 昼までは長船の態度は普通でミスもなかった。長船がミスをし始めたのは、資料を床一面にばら蒔いた後からだ。その直前、女子社員は鶴丸に詰め寄っていた。「結婚間近な恋人がいるのか!?」と。


「そうだって言ったらどうする?」


 長船の反応が見たくてそんなことを言ってみる。鶴丸の予想が正しければ長船は鶴丸に恋人がいると知ってショックを受けたのだ。毎日一緒に仕事をしていて、何かと構ってくる先輩が自分の知らぬ間に恋人を作り、さらに結婚間近なことも黙っていると知れば少なからずショックも受けるだろう。
 つれない長船だが、可愛いところもあるものだ。
 鶴丸の言葉を受けた長船は僅かに目を見開いた。


「本当ですか?」
「ああ」
「本当の、本当に?」
「そうとも」


 わざとらしく大きく頷いて見せた。さて、長船はどう出るだろう。


「そう、ですか・・・・・・」


 呆然と呟かれた。そして声に見合う表情を食い入るように見つめた。まだ、ネタばらしのタイミングじゃない。もう少し。もう少し待ってみる。
 呟いたきり、誰とも合わない視線を長船は体ごとデスクの方へ。
 そして、手で目元を覆った。大きなため息とともに。
 そんなにショックなのだろうか。いつも背筋を伸ばしている長船がデスクに肘をつき目元を覆っている姿は可哀想になってくる。もうネタばらしをしても良いだろう。


「長船あのな、」
「・・・・・・良かった」
「へ?」


 しみじみと心の底から。


「良かったぁ・・・!」


 そのままデスクに突っ伏してしまった。固まる鶴丸なんて置き去りにして。
 こんな心の底から良かったと言われる理由が分からないかった。
 けれど理由はさて置き、気に食わない。鶴丸の予想していた反応ではなかったから。
 思う存分デスクに突っ伏していた長船が顔を上げた時、いやに晴れ晴れして見えた。


「本当におめでとうございます。結婚式には呼んでくださいね」


 そんなことを言ってくる始末だ。何も言わない鶴丸も気にしないで「良かった良かった」としきりに繰り返している。


「安心したので僕帰ります」
「・・・・・・そうかい」
「あ、そうだ。すみません。話変わりますけど今週の金曜、お休み頂きますね」
「休みぃ?」


 長船はこの半年、決められた休日以外一度も休んでいなかった。鶴丸がどれだけ休みを取れよと言っても拒否した結果だ。曰く「休んだら次の出勤は貴方が二倍面倒くさそうだから」とのこと。


「貴方も大切な人が出来て手が掛からなくなるでしょうから、僕も休めます」


 椅子から立ち上がって平然とそんなことを言う。


「そーかい!!」


 コートを腕に掛けて鞄を持っても、今日は引き留める気にもならない。
「では、お疲れさまでした。また明日」と深々頭を下げられても「お疲れさん!!!」とやけくそ気味に返すだけだった。
 足音が遠ざかり完全に聞こえなくなった所で先ほど長船がしていたようにデスクに突っ伏した。


「落ち込む・・・・・・・」


 もう少し寂しがってくれてもいいじゃないか。自分が仕掛けた馬鹿なことに自分でダメージを受けている。
 鶴丸の予想では「じゃあ鶴丸さんと今のうちに飲みいかないといけませんね。家庭を持ったらそっちが優先になりますもんね」とかなんとか言ってくれると思っていたのに。ただ単に大喜びをされてしまった。


「ばかー。いけずー。君が構ってくれないから俺が構いすぎてしまうんだろうがー」


 いない相手に文句を重ねていく。長船は自分のことを理解していると思っていた。「貴方にそんなものが出来る筈がない」と鼻で笑われた方が鶴丸は嬉しかっただろうと自分で分かる。
 心からの祝福や喜びなんて一番望んでいない。
 そもそも何をそんなに安心していたのか。
 もしや、貞操の危機を感じられていたのでは?ふとそんなことを思いつく。長船に変な事を吹聴しそうな人物には心当たりがあった。


「さてはあんにゃろう、長船に変なこと言ったな・・・・・・」


 顔を上げて、島の離れたデスクを睨んだ。いつも鶴丸を誘う同僚は既に帰ったようだった。偶然だろうが逃げられた気分だ。


「今日に限って誰も誘ってくれないし・・・・・・」


 何故だろうやけに酒が飲みたい。しかし誰にも誘われなければ自ら飲み屋に行こうという気も起きない。ぐちぐちと一人で飲む酒はまずく、きっといつも以上に時間を長く感じさせるだろうから。

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