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 次の日は少しだけ朝寝をして、もそもそと起きる。今日は友人と待ち合わせをしていた。といっても待ち合わせは昼過ぎの予定だ。時間に急かされることもなく準備をした。
 自宅近くから待ち合わせ場所である街の中心である駅の前までやってきた。時間は昼過ぎとしか言われていない。時間を決めても相手がぴったり来ることなんてほぼないので大体の時間帯で待ち合わせをするしかない。
 さて、今日はどれぐらいで来るだろうか。30分以上待つ気はない。相手にもそう伝えてある。
 着いたら電話を入れるから、とも。ズボンのポケットからスマホを取り出しながら、待ち合わせ場所である駅前の広場に着く。と、同時に思わず驚いた。
 なんと友人が先に来ているではないか。すごすごと去っていく男二人の背中ににこやかに何か告げている。恐らく別れの言葉だろう。大学時代から見慣れた光景である。


「よぉ、源」
「んー?ああー。やぁやぁ白鳥くん」
「驚いたぜ、先に来てたのか」

 

 大学時代の友人は、暖かそうな手袋を着けた片手を挙げて答える。ほわほわした笑顔に「俺は何回自分の名前を教えれば良いんだ」と言う言葉は飲み込んだ。言っても無駄なことは十分分かっている。鶴丸も他人や色んな物事に興味を抱かない人間だが、この友人の非ではない。
 おおらか過ぎるのか、細かいことは気にしないと様々なことを頭の中から捨てていくのだ。見た目だけは一級品のこの美女は。

 

 何せ初めて会ったときから適当極まりなく。初対面の鶴丸に対して
 

「やぁ、久しぶりだねぇ」
 

 と親しげに声を掛けて来たくらいだ。知らない美女から声を掛けられて喜ばない男はいない。他の男ならばそれをきっかけにセレブ感漂わせる美女をモノにしようと悪い考えを巡らせた筈だ。けれど鶴丸は一瞬、頭の中の記憶を――と言ってもほとんど何も残っていないそれを思い返した後、
 

「初対面だが?」
 

 と返した。
 

「ありゃ覚えてない?」
「君みたいな女性を見たらさすがに忘れないと思うが」
「そっかぁ、君も覚えてないんだね。皆案外忘れっぽいね。あ、ねぇ、それよりも携帯を貸してくれないかな。家に忘れちゃったみたいなんだ」

 

 最初からそれが目的だったに違いない。呆れながらも携帯を貸してやったのが二人の関係の始まりだ。
 それから度々声を掛けられる様になり、授業が被り、いつの間にか連絡先を交換して。大学に在校中も頻繁に交流がありはしなかったが、社会人になった今でもこうして会う仲になってしまった。会うのは本当に稀ではあるが。それでも他に友人と呼べる相手がいない鶴丸の唯一の友人だ。

 

「今の男二人は?またナンパか」
「ご飯食べに行こうって言われたんだけどね、ごめんねって伝えた所だよ」
「君、本当ナンパ断るのうまいよな」
「特別なことはしてないんだけどねぇ」

 

 大学時代から友人はナンパをされまくっていたが、全て上手に断っている。理由は分かる。いつもはほんわかしている彼女だが、時々雰囲気ががらりと変わるのだ。ひんやりとした鋭利な雰囲気に。
 まるで鋭い刃物の様な冷たさを感じさせる瞳で見られると男は皆すごすごと去っていく。絡まれても自分で片付けてくれる所も、鶴丸が友人と続いている理由のひとつである。

 

「にしても、本当に珍しいな。君が先に来てるとは」
「うん。今回は僕一人だと難しいんだ。君に帰られると困っちゃうからね」
「大袈裟だな」

 

 と言いつつも理由は分かっていた。大体のことには拘らない友人だが、大切なものはきちんと持っている。彼女の妹だ。
 鶴丸が知っている中で彼女が唯一と言っても良いほど大切にしている存在だ。その彼女のクリスマスプレゼントを選ぶのを手伝ってほしいと言うのが今日の誘いの理由だった。

 

「今年は弟にちょっと特別なものをあげたい気分なんだよね。でも何が良いか分からなくてさ。君ならあっと驚くものを考えてくれるよね」
「プレゼントなんて贈ったことない俺に頼むのは無謀だと思うがなぁ。というか、弟じゃなくて妹だろう。友人の名前は覚えなくても妹の性別は間違えてやるなよ」
「まぁまぁ細かいことは気にしない気にしない。じゃあ行こうか」

 

 久しぶりに会ってもマイペースな友人は鶴丸の返事も待たずに歩き始める。たまにならこのマイペースに振り回されるのも退屈しのぎになるだろう。先行く彼女を追いかけ、二人で駅に隣接されているショッピングモールへと入った。

「なかなかないものだねぇ」
「だろうなぁ。多分この調子じゃ今日は無理だと思うぜ?」
「吟味しすぎかい?でも良いものをあげたいじゃない?」
「いやいや。だからっていくらなんでもマンションの一室とか世界一周クルーズはクリスマスプレゼントに相応しくないだろう」
「そう?喜ぶと思ったんだけど。まぁ、君がそういうなら止めた方が無難なのかな」

 

 くったりと椅子にもたれ掛かっている鶴丸の目の前で、友人は優雅にティーカップに口を付ける。二時間程前にプレゼント探しを開始したものの、全く決まらなくて一時休憩となったのだ。
 ショッピングモールに入って早々、この友人、何故かショッピングモールの端にある不動産に直行し「クリスマスまでに買える良い部屋ってあるかな?」と宣い鶴丸を戦かせたのだ。それをなんとか止めると今度は旅行代理店行き「一番良い船の旅はどれかな?クリスマスの日に開いていて世界中を巡るやつは?」とこれまた鶴丸に呆れさせた。
 友人の家の事情に興味はないからどんな家柄か聞いたことはない。見た目や物腰からかなりのセレブだとは予測していたが、まさかここまでとは。
 プレゼントの選択肢自体はぶっ飛んでいてで面白くはあったが、さすがに背中を押す勇気はなかった。鶴丸は庶民の感覚しか持ち合わせていない。金持ちって怖い。

 

「高けりゃ良いってもんでもないだろう。好きそうなものを贈ってやるのが一番だと思うぜ?妹さん、何が好きなんだ?」
「僕だね」
「即答かよ」

 

 突っ込みつつ感心してしまった。どれだけ自信満々なのだろう。
 

「弟は昔から僕のこと大好きだからねぇ。髪の毛一本やったって『兄者が俺に下さった!』って後生大事にしそうなとこあるじゃない?」
「いや知らんけど」

 

 というかまた性別を間違えている。妹じゃなくて弟だろうに。そして友人は女性なのだから兄者は不適切だ。まさか妹側も姉の性別を忘れてしまうのだろうか。
 そんなことを考えながら、テーブルのティーカップへと手を伸ばした。紅茶なんていつぶりに飲むだろう。三時近い今の喫茶店内は、女性客で賑わっている。あまり居心地がいいとは言えない。
 紅茶を飲んだらさっさと店を後にしてプレゼント探しを再開させたい。何時間かかるか分からないが。

 

「そういえば君は?買わなくて良いのかい?」
「何をだ?」
「クリスマスプレゼント」
「誰に?」
「あの黒い子に」
「黒い子ぉ?」

 

 友人のいきなりの言葉に素っ頓狂な音で聞き返す。誰のことを言っているのかさっぱりだった。
 

「ほら、いたじゃないか。いつも一緒にいて、君が大事にしてた子」
「おらん、そんな奴」
「いたよー。恥ずかしがっちゃって。大丈夫、皆知ってたよ」
「・・・・・・あー。もしかしてあいつか?あいつは違うぞ」

 

 そう言えば大学生の時、ゼミが一緒になった女子学生と鶴丸が付き合っていると噂を立てられたことがあった。否定するのも面倒で放っておいていたらそこそこ広まっていたらしい。その女子学生は確かに今時珍しい黒い長い髪を持っていた、気がする。ほとんど覚えていないが。
 

「というか付き合ってるも何もあれから一度も会っていない」
「ありゃ、そうなのかい。じゃあ僕の勘違いだね。この前近くであの黒い子を見かけたから、君と会ったのかと思ってしまったよ」
「会ったとしても気づかないさ。名前どころか、どんな顔だったかも覚えていない」

 

 噂が立った相手なのに薄情だろうか。けれど覚えていないものは仕方がない。今口を付けているこのティーカップの感触だって、紅茶の味だって忘れていく。誰だってそうだ。皆忘れていく。それが普通だ。
 

「僕の弟も僕のこと覚えてなかったよ」
「姉だって性別忘れるくらいだからな」
「そうそう。だから僕たち姉妹になっちゃったんだよね。二人して同じ間違いするなんて面白いよね」


 友人はけらけらと笑っている。鶴丸は今の会話でそんなに笑うポイントがあっただろうかと首を傾げる。


「前の名前も忘れて僕のこと『姉さん』って言うんだよ。僕、それ聞く度『今度はお前の方が忘れん坊だね』って笑うんだけど、いつもキョトンって顔するんだ。可愛いでしょう」
「同意を求められても困る」
「でもあの子は本当に大切なことは忘れなかったんだよね。全部忘れて妹になってしまっても、ちゃあんと僕の後に、僕と同じ所に生まれてきてくれた。偉いよねぇ。だから僕は、あの子が全部忘れてしまっていても許せたんだ」
「・・・・・・」


 友人の言葉の殆どが何を言っているのか、鶴丸には理解出来ない。なのに、意味が分からないと一蹴出来なかった。今の友人の言葉には鶴丸にとって何か大切なことがあった、気がした。


「さてと、そろそろ行こうか。あまり遅くなるとあの子が心配してしまう」
「あ、ああ」


 思い巡らせてもその何かは分からないままだった。そもそも退屈な人生を送ってきた鶴丸に大切なもの等ない。今の友人の言葉の何が鶴丸の琴線に触れたのだろうか。
 首を捻ったまま喫茶店を出て、プレゼント探しを再開した。鶴丸の「お揃いのものをあげれば喜ぶんじゃないか?」の一言で、休憩前の二時間はなんだったのかと言うくらいあっさりとプレゼントは決まった。
 お揃いのネックレスにしたそうだ。包装をされている間、鶴丸は別の所を見て回った。この時期カップルだらけのアクセサリー売り場にいつまでもいたくはなかった。ただでさえ定員に、綺麗な彼女さんですねと言われて微妙な気持ちになったのに。
 手袋が売っている所をなんとなしに見る。そういえば長船に「手袋くらい買ったらどうですか。冷え性なんでしょう」と先日言われたばかりだ。
 長船は何故鶴丸が冷え性だと知っているのだろう。初対面の握手の時以来彼の手を握ったわけでもないのに。聞いたら「その腹立たしい顔を見たら分かります」とでも言われてしまうだろうか。

 

「買ってあげようか?」


 想像から一人で含み笑いをしていると後ろから友人の声がした。


「終わったのか」
「うん。きれいにラッピングしてもらったよ。ねぇ、今日のお礼に手袋買ってあげるよ」
「礼なんて大袈裟だろ。変に気を回さなくていいぜ」
「妹にも買っていくんだ。ついでだよ。これでいい?」
「いいって言うのに」


 いらないと言っているのに友人は手袋を二つ持って店員へと声を掛けた。店員は友人の顔を見て、すぐに鶴丸の顔を見た。にっこり笑顔に嫌な気がする。


「彼氏さんへのプレゼントですか?素敵ですね」


 ほら言われた。絶対言われると思った。予想通りすぎて辟易している鶴丸を余所に友人は朗らかに「違うよ」と笑って否定した。


「友達と妹の分だよ」
「妹さん、ですか?こちらメンズものですが、」
「ああ、大丈夫大丈夫。うちの妹、前弟だったから。男物でも似合うんだ」
「「え」」


 一瞬固まる鶴丸と店員。しかし店員はすぐに笑顔を張り付けて「失礼しました。すぐに清算とラッピングをしてまいります」とそそくさ去っていってしまった。


「そういうことだったのか、君」
「え?何?」
「いや、うん、難しい問題だもんな心と体ってやつは。姉としては複雑だが、弟でも妹でも可愛い存在に変わりないよな、うんうん。悪い、俺誤解してた。見直したぜ、君」


 鶴丸は友人が妹の性別をすぐに忘れると思っていたがそうではなかった様だ。前は弟で、今は妹、とはつまりそういうことだろう。友人は友人なりに、弟の性別の悩みに向き合い、今は妹になった元弟を受け入れようとしているのかもしれない。今はまだ完全に妹として接することは出来なくても。


「よく分からないけどそうだよー。あの子は弟でも妹でも可愛いよね」


 肩をポンと叩く鶴丸にも彼女は悲しい顔を一瞬も見せず誇らしげに笑った。姉は強しだ。

 待ち合わせをしていた駅前の広場で解散することになった。来たときは何もなかった広場には足場が組んであり業者の様な人間がちらほらいた。何か設営している様だ。年末のこの時期は色んな催し物があるからそれの準備をしているのだろう。
 鶴丸はそれを見ていたが、眺め続けるほど興味もない。顔の向きを友人に戻して右手に持っていた紙袋を掲げた。


「これ、貰っとく。気を使ってくれてありがとうな」
「こちらこそありがとう。お陰で良いプレゼントが買えたよ」
「そいつは良かった。妹さんにもよろしくな」
「うん。じゃあねー」


 友人は小さな紙袋を二つを軽く掲げて、そしてあっさりと背を向けた。鶴丸もああ、じゃあな。と反対方向に背を向けようとした。


「あ、そうそう。白鷺くん」


 名前は違うが絶対自分のことだろうと、振り返る。案の定、友人も振り返り自分を見ていた。


「黒い子、あの駅の入り口で見たよ」


 友人は多くの人間が行き交う駅の入り口を指差した。なんのことか一瞬分からなかった。喫茶店で話した内容に思い至ったのは、駅の入り口の往来をしばらく見つめたあとだ。


「そうかい」


 そう反応するしかなかった。


「君もたまにはこの駅利用してみたら?会えるかもよ」
「会う意味がない」
「そう?寂しくない?」
「全然」
「僕は弟が来るまで寂しかったけどねぇ。あの子以外が来たらまた斬ってしまおうかなんて考えてたこともあったっけ。でも君は違うんだね」
「おい、さりげなく物騒なこと言わなかったか?今」


 鶴丸が問いかけたが友人は「引き留めてごめんねー」と言いたいだけ言ってまた歩き出した。結局今日も一日中マイペースだった。
 ともあれ、友人が妹以外に言及してくるのは珍しい。友人の中では鶴丸と噂の相手はよほど仲睦まじいカップルだったイメージが強いらしい。
 恋愛なんて退屈だ。
 過去に一度、あれは高校の時だったか。告白をして来た同級生の女子と付き合ったことはある。三日で別れたが。
告白を受ける前までは一対一の人間同士だったのに、付き合うことを了承した途端鶴丸を自分のもの扱いし始めたのに我慢が出来なかった。


「俺は君の所有物じゃない」


 そう冷たく言い放った鶴丸に相手の女子は憤怒した。顔を怒りに染めながら繰り出した平手打ちを条件反射で避けたのは若気の至りだ。
 今であれば敢えて打たれてやるくらいの男気は見せてやったのに。


「ま、どうでもいいか」


 そんな過去の話しも、友人の情報も。
 一言呟き、人並みの中、駐車場へと歩き出す。

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