5回目の夏
わいわいと賑やかな声が外にも響きそうなバスが、トンネルを抜けてから30分程経った。目的地が近づくにつれ、楽しげな声は音量をあげていく。
「しっかしこんな所で堀川のにいちゃんと一緒になるとはね」
「うむ、拙僧もこんな所で兄弟の仲間と、友人の弟君にあえるとは思っても見なかったのである!」
「兄さんも来られれば良かったんだけどねぇ、今朝急に火照った体が冷めないって息の荒い連絡が来てね。ふふ、夏風邪のことだよ?」
初対面であるはずの彼らは共通の知人を持っている。それがわかってから、何故かバスの乗客者全体が和気あいあいと同じ時間を過ごすようになっていた。
青い髪の青年と、右目を隠したポニーテールの青年が、夏風邪で来られなかった人物の話題を話し始めた時、今まで会話に加わっていた黒い髪をした赤目の青年が隣で座ってる相方に声をかけた。
「お前さぁ、まだその雑誌見てんの?気持ち悪くなってもしんないよ?」
「うん、わかってるんだけどさ」
青い目はジッと雑誌に大きく掲載されている写真を見つめている。それはこのバスの目的地。 観光客が増え、何人か移住する人間も出てきている、最近「優しい夏を過ごせる田舎」とされている村だ。
豊かな自然に静かな祭り、そして大きな向日葵畑は賑やかな現代社会に疲れた人間が訪れたくなるだろう。民宿で出る料理がとても美味しい、有名な茶道の先生のお茶も飲めると言うのも理由のひとつ。
それを世の中に教えるきっかけとなった一枚の写真が今年の行楽雑誌にも載っていた。
「さすが、世界の大包平。良い写真取るわ。こんなの見たら行きたくなるって」
「それもだけど。この人、どっかで見たことある気がするんだよ」
「この白い人?んー?・・・・・・確かに」
相方が指差す人物を赤目の青年が聞き返して頷く。すると前の席で話していた二人が振り返る。
「なんと、またも偶然。拙僧もその写真の白い御仁、何処かで会ったことがある気がする」
「僕もだよ。なんでだろうねぇ」
4人が不思議そうにしていると前の席からはーいと手が上がる。
「俺、知っとる!そん人、前にうちの民宿に泊まっとった人ばい!」
「来たっけ、こんな人」
オレンジ眼鏡の金髪少年が言うことを隣の赤い髪の上品そうな少年が首を傾げて聞き返す。
「俺は覚えてない」
「俺も覚えてないなぁ。まぁ俺達昨日の夕飯も覚えてない位ですけどね!」
「それはさすがにやばくない?」
全員が兄弟だという彼らは一人が発言すれば連鎖反応のように広がっていく。家族で民宿を営んでいるらしい彼らは、今回他の民宿の見学研修を兼ねた家族旅行とのことだが、実家の民宿も休むことができない為全員では来られなかったらしい。それでも大分多いが。
「俺は一度見た顔は忘れん!間違いなか!」
「えー、だってこんなに幸せそうに笑う人うちで見たことねぇよ」
紫メッシュの少年が言った。すると今まで弟達を静かにするよう注意していただけの長男がその言葉に反応する。
「私達の民宿は、泊まるお客様に快適で緩やかに過ごしてもらえるよう努めている。だけどそれはどんなに頑張っても仮の宿。本当の居場所ではないんだよ」
今まで賑やかだったバスが少しだけ静かになる。
「この方はここが本当の居場所なんだろう、だから本当の笑顔で笑えるんだ。私がお前達のいる場所で本当に笑えるように」
「「い、いちにい!!」」
「あれ、これドキュメンタリー映画か何か?」
何故か大家族ドキュメンタリーを見ている気分になりながら、黒髪の青年は呟く。
「でも、ま。確かにそうかもね。自分の居場所が一番輝けるってことでしょ、要はさ」
「清光、逆じゃん。家ではスッピンだから全然輝いてないよ、むしろ地味」
「そういうことじゃないっての!喧嘩売ってんの、安定!?」
「あ、見えました向日葵畑ですよ、すごいなぁ!」
ぎゃーぎゃーと騒ぎ始める声と久しぶりに外に出られて嬉しそうな明るい声が同時に響く。乗客は明るい声の方に反応して、一斉に窓を覗き込む。
「ど、どれぐらい大きいのかなぁ?おにいさんより大きいでしょうか」
「んぁ?どうかなぁ、一足先についた俺の友達は俺よりでかいんじゃないかって言ってたけど」
気の弱そうな少年が、座っていても大きい緑のジャージ姿の学生を見上げる。
「それはついてのお楽しみってやつだろ」
「だな!あーあ叔父さんや他のやつらにも見せてやりたいなぁ。向日葵何本かもらえねぇかな!」
眼鏡と短髪の、それぞれ同じ黒い髪を待った少年がいつもの大人びた姿を少しだけ子供に戻して顔を見合わせる。
バスはもうじき到着だ。
*
「ふむ、」
夏でも涼しい場所、高いビルのてっぺんにある部屋で雑誌の写真を眺めている。何度も何度も見た写真。それでも見飽きるどころか嬉しい気持ちが何度も沸き上がる。
「いつも俺に会いに来る時は、目を赤くしていた、あの子がなぁ」
赤い目を隠しきれず、兄の部屋のドアから恐る恐る顔を覗かせる弟の姿が甦る。
「うん、良い顔だ。よきかな、よきかな」
写真に写る弟の頭を指で撫でる。幼い頃頭を撫でれば嬉しそうな顔をしていたが、写真の中の顔はその比ではない。そのことがとても嬉しい。弟が幸せであれば兄も幸せ、そういうものだ。
こんこんとノックの音が部屋に響く。入ることを了承すれば秘書が顔を出した。
「社長、ご友人の方々からお電話がありました。伝言を伝えてくれと」
「む?今日の宅飲みとやらは夜からだぞ?誰ぞ欠席か?」
「いえ、酒が足りなさそうだから帰りに買ってきてくれ、油揚げも一緒に、と。後、4人でもう始めているそうです」
「なんだと~!?」
雑誌をぱたりと閉じて大事に引き出しにしまった。そして、俺も帰る!と椅子から立ち上がる。
「社長、いけません!これから役員会議が!」
「嫌だ、俺は帰る!俺の居場所はここではない、俺の家が俺の帰る場所なのだ~!」
「ここも貴方の居場所です!!逃がしませんよ!」
貴方の代わりなんて誰もいないんですからー!と必死ですがりつく秘書に根負けをする。居場所が与えられれば、天上人も月に戻るわけにはいかない。
せめて空に近いこのビルで後5時間、頑張るとしよう。
*
みんみんと外で蝉が鳴いている。それよりも耳の届くのは子供達のはしゃぐ声。今は夏休み、子供達は友達と一生に一度しかない夏を満喫している。
「・・・・・・」
けれど、アパートのリビングで一人、静かに雑誌を捲る幼い子供がいる。小学校に入って初めての夏。その子供は一人ぼっちで夏休みを過ごしていた。母はキッチンにいる、けど友達が誰もいない彼はひとりぼっちだ。
「・・・・・・」
ぺらとページを捲る。
どこにもいきたくない、だれともあいたくない。なつ、きらい。と言った子供に母が与えたのは、夏の観光特集が乗っている雑誌だ。せめて気分だけでも夏休みらしくいてほしかった。
「・・・・・・、」
ぺらぺらと捲っていた幼い手が止まる。大きな目が、じぃとそこに載っている写真を見つめた。
そのページを開いたまま胸に抱き、彼はとことことキッチンへ向かう。不思議な、龍が巻き付いているような痣がある左手で、母のエプロンをくいくいと引っ張った。
「ん?からくん、どうしたの?」
優しい声が母親特有の呼び方で子供の名を呼んだ。
「これ・・・・・・」
母が屈まなくてもいいように、子供は背伸びをして、両手を掲げる。開いたページを指差してそれを見せた。
「あ、これママも素敵って思ってた、有名なカメラマンさんがとった写真なんだって。場所自体もすごく素敵って書いてあったね」
「いきたい」
「え?」
息子が外の世界に興味を持ってくれただけで嬉しい母はにこにこと写真の説明をした。すると幼い声が、静かに呟く。
「ここ、いきたい」
「だって、からくん。お手て、人に見られるのやだって、」
息子のまさかの言葉に、視線を合わせながらその左手をとった。子供はきゅぅと唇を噛む。
「へいき、いきたい」
少し瞳が揺れたが、すぐにまっすぐ見つめ返された。彼の中の何かが惹かれたらしい。
「そっかぁ」
母がその写真を見る。ワイシャツ一枚の白い青年と右目に黒い痣がある青年、そしてよく似た笑顔を持つ兄弟らしき子供二人が大きな向日葵達の中で、笑っていた。夏の太陽さえ負けてしまいそうな程、きらきらと眩しい笑顔で。
「よし、じゃあ、行こう!」
「!ほんとか!」
「うん!今年はママこうだから難しいけど、来年絶対行こう。パパとママと、からくんと、お腹の中の赤ちゃんと」
「さだも?」
「からくん、お名前つけるの早いよ。妹かもしれないよ」
「こいつはさだむねだ。おれのおとうと!」
苦笑いする母も気にしないで、いつもは言葉少ない息子が力強く断言した。そして母のお腹に優しく触れた。嬉しそうに顔を寄せる。
「さだ、らいねんいっしょにいこうな」
なつと、なつのたいようにあいにいこう。
今年もきらきら眩しい季節。
夏に寄り添う太陽と太陽を輝かせる夏は、遠い地の誰かの居場所も照らしていた。