4回目の夏
パリッとビニールを引き裂く。書かれている数字の順番通りに透明の衣服を剥がしていけばすぐ完成。手軽に食べられる昼飯の出来上がりだ。がぶりと噛み付きながら、書類に目を通す。3度目だ。だけど念には念を入れた方がいい、社長の弟だからってミスが許されるとは思っていない。社会はそんなに甘くない。
もごもごと口を動かしながら目で文字を撫でている。あった、参考資料の番号が違っている。やはり他人の手が入ったときは特に気を付けるべきだ。
「くになが、国永や~」
「今昼飯中」
「どうみても仕事中だろう。しっかり食事をせんか」
空いた会議室で昼飯を食べている所に、兄がふらふらと入ってくる。社長だというのに相変わらずの徘徊癖だ。
「まぁたお前はそんなものを食べて、美味い飯を食え。美味い飯は心を豊かにして、仕事の活力にもなる」
「何を食べても一緒だ」
「何故そんなことを言うのだ国永。というかまた梅握りか!せめて、せめて具だけでも変えろ~」
「塩分補給」
「くにながぁ~」
アラフォーの兄が声をほとほと困り果てたものに変えて32になる弟にすがりつく。元々国永に甘い、甘すぎるところがあった兄だが、国永が戻ってからはそれが顕著だ。
ほぼ30年分の俺の愛だ、受けとれ。と天上人に微笑まれれば、頭が上がらない人物だけに拒否することが出来ない。ただ出来れば会社ではやめてもらいたい、いくらここに二人きりと言っても。
「なんか用か、兄さん」
「国永、総務部長に泣きつかれたぞ、お前が休まんと」
社長に泣きつくとはずいぶん気安い総務部長だ。普段の兄の人となりが大きい理由でもあるだろうが。
「休日出勤は申請してない筈だぜ?それとも有給を取らないって言いたいのか?冗談だろ、俺は入社一年目のぺーぺーだ。兄さんが泣きつかれるほど有給はついてないさ」
総務部長も言うなら国永に言えばいいのに。やはり、入社一年目の社長の弟とはそんなに扱いにくいだろうか。
――扱いにくいだろうな。
ほとんどの社員が国永をいつも遠巻きに見ていた。気持ちはわかる。
「社長の弟がこの一年、一日も休んでないのに、自分達が休める筈がない派と単純に休みにくい派がいるらしいぞ?もちろん僕には関係ありませんけどね派と俺は主命、仕事ががなければ死ぬ休みなどいらん!!派と俺たち二日酔いだから休むぜ!派もいるようだが」
後半がピンポイント過ぎてすぐわかる。一癖も二癖もあるメンバーを思い浮かべてやれやれと首を振った。まぁ、変に気を使わないだけ他の社員より大分いい。
「俺のことは気にしないでくれ。10年ずっと休みみたいなもんだったんだ、一生分休んだ。それに休んでもやることもない」
「国永が冷たい~、そこはお兄ちゃんと遊ぶと言っておくれ~」
兄の方を見ないで書類を見つめ続けていると、気になる部分を見つけた。がぶりと握り飯を一気に頬張る。コンビニの梅握りの梅は個人で漬けている梅干しより塩分が控えめのようだ。全然酸っぱくない。それとも他の料理と同じように、国永の舌が受け入れてないだけなのだろうか。
「なぁなぁ兄さん、ここなんだけどさ、って、おい!兄さん何するんだよ!」
「没収だ☆」
「はぁ!?」
「国永、今から3日間の休みをとれ。」
「何を」
「お前は昔から我慢の子だ。我慢が過ぎる子だ。だから兄が強制的に休みをくれてやろう。嫌がっても無駄だぞ?社長命令だ。
有給が嫌ならお盆休みの前借りでもいいぞぉ?」
書類で口許を隠しにこにこ目元を細める。
「嫌だ、俺は休まん」
「社長命令と言った筈だ、ガードマンに命令して摘まみ出す」
「兄さん!」
「・・・・・・国永、お前、俺の社員達の気力を削ぐつもりか?」
細めた目が僅かに開いた。浮かぶ二つの三日月がひたりと国永を見据えた。これは本気だ。
こうなれば逆らうことは出来ない。本当は出来ないこともないだろうが、世話になった兄に逆らいたくなかったしそもそも兄と対立する程のことでもない。
「はぁ、わかったよ社長様」
「うむ」
がたと席を立てば満足げに笑われた。撫でてこようとする手を避ける。
「よいか国永、この地を離れるんだぞ、遠い地でりふれっしゅしておいで。家に籠っていた時は謹慎処分だ」
「横暴、職権濫用」
「不満ならば下克上だな。お前の挑戦なら兄は喜んで受けるぞ」
無視してスマホの画面をつける。戻って来た時に兄に持たされたのだ。連絡帳には父と母の連絡先も入っている。
久しぶりに見た二人の顔は相変わらず醜悪だったが、年老いていた。二人は国永に何も言わなかった、言えなかったのかも知れない。国永も何も言わなかった、10年連絡を取らなかったのに思う所があったのか、使用人を通して連絡先を寄越し、国永の連絡先を聞いてきた両親を恨んでいるわけではない。最初から憎んでもいなかった。彼らは最後まで国永の居場所ではなかったが、そのお陰で光忠と出会えたのだ。そう思えば感謝の念すらわく。
――光忠。
スマホの待ち受け画面を眺めながら、呟いた。空調完備が行き渡る、自然の少ない都会で変わらない毎日を暮らしていると変わっていく季節にはなかなか気づきにくい。
スマホの日付を感傷的に見つめる。夏になっていた。今の国永には訪れていない。けれど確かに過ごした夏が。
国永は静かに会議室を出ていく。
――女々しい。
タクシーを降りた所、心で独りごちる。フラリと会議室を出てから記憶がない。気がつけばここに立っていた。スーツのまま、片手にスマホ、内ポケットに財布。たぶん会社のビル近くで捕まえたタクシーを夜通し走らせ、ここに辿り着いたのだろう。
――未練がましい。
頭を抱えて踞りたくなった。ぎらぎら照りつける太陽の下、踏み留まる。何故タクシーを返してしまったのだろう。 自分の行動が疑問だ。まぁ今回はスマホがある。幸い電波も良好なようだし、今から呼べばいいのだが、
「・・・・・・一目だけ、遠くからちょこっとだけ見てからでも、いいよな」
誰が居るわけでもないのに言い訳がましく呟く。革靴のままの足を進めた。国永が降り立ったのは山道の方。死亡事故発生の看板がある急カーブの前だった。一昨年より看板は増えていないようだ。余り大きな変化のない村だ。きっと遠目から見ても何も変わりはないだろう、それでもいいから見たかった。国永の夏の太陽がいる村を遠くから。
かつかつ、と鳴る音が蝉の声に負ける。けれどこの一年で蝉の声より革靴の声に慣れた耳は器用にかつかつ、と音を拾っていく。
かつかつ、かつかつ。かつ――、
ゆったりと急カーブを過ぎた所で、一定のリズムを刻んでいた音が止まった。同じように国永の動きも。
目を見開いて息を飲む。いつも通り代わり映えのない村がそこにある。筈だったのだ。
けれど、国永の目に映っている景色は、
国永が見たことのない景色、大きく広がる黄色だった。
ふらふらと蜜に引き寄せられる弱った蝶のような足取りで、坂を下る。山道から田舎の畑道路に完全に切り替わった。
その頃には黄色の正体がわかった。向日葵だ。国永の身長よりも高い、2メートルはあるだろう背丈の向日葵畑。
「なんだ、これ、こんなの去年は、」
「はらぁ、あんたぁ、別嬪さんじゃないけぇ?」
畑の外側から呆然と見上げる国永におっとりとした声がかけられる。びくと肩を揺らして振り向けばそこにいたのは光忠のばあちゃんだった。
「そぉかい、今年もきたんかい」
「ばあちゃん、俺、」
「よかったがぁ、あんたが来るとあん子が元気になっでなぁ~」
ばあちゃんはいつもの紫の農作業着を身に付けて去年よりも腰を曲げて嬉しそうに笑う。
「あんたぁ知らんかもしれんが、毎年なぁ、あんたがいなくなった後、あん子はいつも元気がなくなっせぇ、ばあちゃん達いつも心配しとるがよ」
「光坊が」
「そぉよ。毎年毎年夏が恋しい、夏はまだかなぁっち、ずっとそればっかやった。寒いのに冬に風鈴出して、夏がいるみたいち、嬉しそうに笑ったこともあったが」
「――っ」
たぶん意味には気づいてないばあちゃんの言葉に叫びそうになって、手で口を覆った。一年前、梅酒を漬けた事を聞いた時と似たような衝動が国永を襲う。ばあちゃんは首にかけたタオルで目元に流れた汗を拭っていて国永の変化に気付いていない。
「去年の秋からはわっぜ元気がなくてよ。心配しとったけど、あんたが来たから大丈夫やねぇ」
答えられなかった。口許を覆っていたからではない。向日葵畑に引き寄せられて降りてきてしまったが、光忠に会うつもりはやはりないのだ。
光忠の好意を一年ぶりに再確認して喜びで震えていても。
気持ちを落ち着かせる為、国永を吸い寄せた向日葵畑に視線を投げる。そうだ、この向日葵畑は一体なんなのだろう。
「・・・・・・ばあちゃん、この向日葵」
「ああ、こいね?こいはあん子と坊達が作ったと。先生が、外国から種を持って帰ってきてくれてなぁ。梅雨前から大わらわやったが。本当は去年する筈やったみたいだけど、去年は先生が急に帰ってこれんかったでね。そん時も、そん時で、あんたぁ、あん子えらい落ちこんどったが!!」
「そうなのか」
去年はそんな話題一度も出なかった。
『たのむつるさん!らいねん、きてくれ、おねがいだ!』
『だって、あにじゃ!らいねんには!らいねんなら!』
『おれは、おれはまってるからなつるさん!ぜったいにきてくれ、ぜったいだぞ!!!』
突如可愛らしい高めの声が甦る。もしかしてあの時の言葉はこのことを言っていたのではないだろうか。向日葵畑を作るから見にきてくれ、と。
しかし光忠は一言も向日葵畑のことなど言わなかった。そして何故膝丸はあんなに必死だったのだろう。何故だ。
――これは、何の為に、
「あんたぁの為に、なぁ。あん子も頑張ったんだが」
「俺、の?」
「そうじゃが、あんたがこん村に飽きんようにち、また次ん年も来たいち思うようによ!あん子が去年言っとったが」
――ああ、
空を仰ぐ。太陽が強い光で照りつける。
光忠が去年黙っていたのは国永がもうこの村を訪れるはないと気づいたからだ。
膝丸が必死だったのは、これを見れば、次の年も国永がこの村を訪れるだろうと信じたからだ。
『鶴さんの見たことのない景色を、きっと見せてあげるから』
見たこともない景色がそこにあれば国永が村を訪れると思ったのだろうか。でももう今年は訪れないと思っていたはず。なら、国永は来ないとわかっていながら、彼はどんな気持ちでこの向日葵畑を作ったのだろう。
この村で起こる全てをただ受け入れるだけの光忠が、国永がこなくなる未来を出来るだけ長引かせようと必死に考えたこの見たことのない景色を、一体どういう気持ちで。
くそ、と太陽に向かって呟いた。こんなの揺らいでしまうに決まっている。国永は兄の元へ戻らなければいけないのに、光忠の姿を一目だけでも見たいと思ってしまう。でも今一目見てしまったら、
――やっぱり来るんじゃなかった
そんな国永に何かを感じ取ったのか、黙って国永を見ていたばあちゃんが腰をとんとんと叩きながら向日葵を見上げる。大分小柄な彼女にはそれだけでも大変そうだった。
「こん村は、若い子もおらんかったでよぉ、あん子には大分寂しか思いをさせたが。こげな田舎を出ていけばよかのに、血も繋がらんこぉんなばあちゃん達にも優しくしてくれっせぇなぁ。あん子は優しいからよ、死んでいく村とばあちゃん達を可哀想じゃち思ってくれたんやろうねぇ」
光忠の思いと正反対の事をいうばあちゃんに慌てて否定の言葉を吐く。
「それは違うぞ、ばあちゃん。光坊がここに居るのはあの子がここを大好きだからだ。村も、ばあちゃん達も大好きだからだ。可哀想だからとかじゃない」
「あん子に右目を隠させてたような所だが」
「それも皆が大好きだからだ。皆が好きだから、可哀想だって顔を歪めさせる自分の部分が嫌いなんだ」
「あんたぁ・・・・・・、あんたがあん子の傍に居てくれたらなぁ」
「え」
光忠の気持ちを解って欲しくてばあちゃんの言葉を訂正していく国永をばあちゃんは嬉しそうに見た。そして、一人うんうんと頷いている。
「あん子をお願いねぇ」
「あ、ばあちゃん、」
一方的にそう言って、あいたよと言いながら国永から離れようとする。戸惑う声だけで引き留めれば、ふと何かを思い出したように、立ち止まった。
「ああ、あん子なら、この中におっでな」
その一言の体がびしりと固まった。
――光忠がいる、この中に。
そう理解してしまえばよたよたと離れていくばあちゃんを引き留める処ではない。
向日葵畑の入り口に一人立ち尽くしながら、頭の中でぐるぐると思考が巡る。その殆どが、光忠がすぐ近くにいる、会いたいと叫ぶばかりで、ここからすぐに立ち去るべきだという声は掻き消されていく。
それどころか、光忠に会ってここから連れ去ろうと言う声が次第に大きくなり始める。
それが押し込んでいた国永の望みだということを、もう見ない振りはできなかった。
いくら仕事に打ち込んでも、忘れられないのだ。短い1ヶ月を、たった3回だけ過ごした光忠との夏が。その間と会えない時間にこんなにも好きになってしまった光忠を。
忘れられない忘れる日々にしたくない傍にいたい。でも、国永は兄に恩を返さなくてはいけない。
だからやはり、ここから光忠を連れ去るしかない。
――違う、違う!それじゃだめだ!
それでは一年前に離れた意味がなくなってしまう。頭を振って強くその思考を否定した。振った頭から汗が飛び散る。暑い夏にスーツ姿で立ち尽くしている、正気ではない。飛び散った汗が落ちていく。ぽたりと、国永の革靴に落ちた。
それをじっと見つめる。
ボロボロの靴が好きだと、光忠は言ってくれた。国永自身の足で、行きたい場所に行って、見たい景色を見てきた証だから、と。その強さが羨ましくて、好きだと言ってくれた。
――そうじゃない、違ったんだ。
国永が歩いていたのは見たことのない景色が見たかったからじゃない。自分の居場所を求め彷徨っていた。でも本当はそれすらも嘘だ。
自分の居場所、そんなもの、見つかるとは思ってなかった。兄が自分に仮の居場所を与えてくれる日まで日々を費やしていただけだ。
だから一人で耐えられた。小さい頃と何も変わってない。兄に甘えていただけ。
そんな弱い自分を隠したくて。ずっと新たな地だけを目指したのだ。自分は前に向かって進むことが出来ている、待ってるだけじゃないと。
それだけが国永の矜持だ。冷たい食事を一人でしていた。誰もいない放課後の教室で友人達と楽しげに帰る同級生を一人で眺めていた。一人ぼっちで変わらない景色を見ていた子供の自分とは違う。消えてしまいたいと望んでいた時とは違うのだと。
例え一人で知らない土地にいたとしても、それはもう惨めな理由じゃないのだとそう思う為に。
だけど、光忠の元へは。光忠の元だけには向かってしまうのだ。そこに見たことのない景色がなくても。自分の足で。ボロボロの、惨めな靴で。
汗と、目からの塩水が一粒だけまた革靴に落ちた。
今国永の足にあるのは新品の靴だった。磨かれ黒く光っている。ボロボロの靴を履く必要はない、自分の足で歩かなくても、こうして楽にこの村にこれる。
だけど国永の惨めな部分こそを、光忠は好きと言ってくれた。
そんな光忠をこんな靴で連れていくと言うのか。兄が与えてくれた仮の居場所で、兄への恩返しを言い訳にして全てを諦めたままの国永が、外の世界を怖がる光忠を連れて、俺がいるから大丈夫と言えるのか。
――そんなの無理だ
どこかが歪んでいく。きっと光忠も、国永も。そうして傍にいて二人は苦しむのだ。
光忠から居場所を奪ってまで一緒になる結末がそうなるのは嫌だ、絶対に嫌だ。なら、残る道は、もう。
胸ポケットに仕舞っていたスマホを取り出す。画面に触れて、連絡帳を開いた。指をなぞりあ行から順番に辿っていく。か行、さ行、た行。
タクシーの文字が並んだ。たぶんここまで乗ってきたタクシー会社のフリーダイヤルを登録したのだろう。記憶にないが恐らくそうだ。
指が画面を滑る。
ゼロから始まる番号が表示された。そのまま発信ボタンを押し、耳に押しあてた。
数コール後、僅かなぷつと言う音が国永とその番号を繋げたことを教える。
「もしもし、」
国永が始めに言った。声が届いた相手は言葉を紡ぐために小さく息を吸った。
「国永や、どうした?」
昨日振りに聞いた兄の声が、今は機械を通して聞こえる。
「に、いさん」
「国永今何処にいる?りふれっしゅ出来ておるか?お兄ちゃんは早速寂しいぞ~」
にこにこ笑顔が浮かぶような上機嫌の声、最後だけ少々寂しげだ。言葉に詰まってしまう。
「っ、今すごい田舎の村に来てる、人口の殆どがじいちゃんばあちゃんの」
「そうかぁ、また面白い所を選んだなぁ」
はっはっはと軽やかに笑う。後ろで、社長、お時間ですよ。と困りきった声が聞こえた。あまり時間はないようだ、今伝えなければ。
「兄さん、あのな、俺――」
言葉が続かない。今日で仕事を辞めるなど、社会人として無責任すぎる。ここまで兄に甘えておきながらどういう裏切りだ。恩を仇で返すというレベルですらない。
だけど、もうそれしかなかった。光忠がこの村を出られないなら、そして国永が光忠の傍にいたいなら国永が光忠の世界に飛び込むしか。
兄は大事な恩人だ。国永の心の支えだった。その人に、刃を向けるようなことを、言わなければならない。
「・・・・・・ごめん、兄さん。俺、仕事を辞める」
兄が息を止めた気配がする。
「今まで援助してくれた分の金は返す。給料も全部。使ってしまった分は少しずつでも返していく」
兄は言葉を返さない。黙ってしまったらダメだ。声量を大きくした。
「無責任、だよな。ごめん。謝っても謝りきれない。仕事に穴を空けてみんなにも迷惑を掛ける。休めていない奴等に益々負担を、」
「生意気を言うなよ、国永」
真剣な声が掛けられる。最初の声との落差にびくと揺れた。
「いくら優秀なお前とは言え、一年目のぺーぺーだ。お前の開けた穴など簡単に埋められる。代わりなど幾らでもいる」
「え・・・・・・」
「だが、お前が今いる場所は、お前の代わりなど誰もおらんのだろう?」
ふんわりと優しい微笑みを感じさせる、音がする。
「それが居場所というものだ。その者の代わりが誰もいない場所。そしてその者が帰りたいと願う場所だ」
「兄さん・・・・・・」
『どこにも居場所のない人間など誰一人としておらんのだ』そう頭を撫でてくれた。自分だってあの家で苦しかった筈なのに。国永は知っている兄もまたずっと一人だったことを。なのに兄は国永だけをあの家から出してくれた。そういう人だ。優しい人、優しすぎる人。今もこうして裏切り者の弟の背中を押してくれる。
スーツの袖で目元を拭った。幼い頃、兄の元を訪れる時いつも涙を隠していた。そのことを思い出す。
兄が何かに気づいたようにふ、と笑った。そして優しい声を機械からまた送る。
「国永や、お前の居場所は見つかったか?」
「っ、ああ!兄さん、見つけたぜ!!俺が帰りたいって思う場所を!」
「ならばよし!達者で暮らせよ、国永!」
まぁたまには電話をくれ、俺の弟もお前以外おらんのだと言い切る前に、タイムアウトです社長!!と声が重なる。あ、何をする~と兄のまったり不服そうな声が遠くに聞こえて電話が切れた。
ツーツーと無機質な音だけが残る。
「ごめん、・・・・・・ありがとう」
そう、呟いた。
じりじりと夏の太陽が、兄と居場所を別にした一人ぼっちを照らしている。
おもむろにスーツのジャケットをばっと脱いだ。
「っだぁ!!あっちぃ!!」
暑い!邪魔くさい!!!とその場に叩きつける。首元に指をかけ素早くネクタイを抜き、第一ボタンをはずす。次に革靴を掴んだ、そのまま足から引っこ抜いて、靴下も一緒に脱ぎ捨てた。
新品の靴が転がる。そして裸足のまま、向日葵畑へと踏み出した。
国永よりも、光忠よりも大きい緑と黄色を掻き分けて足早に進む。走り出したい。走り出して早く会いたい。だけどこの向日葵は光忠の作ってくれた景色だ。傷つけたくなかった。
「くっそぉ、広すぎる!まっすぐ進んでるのにまだ出ないとは、どんだけ頑張ったんだ、あの子達!」
逸る気持ちが苦々しく吐き出させた。これを国永に見せようとしていてくれたと思えば、嬉しい、嬉しいのだが。
「幾らなんでも限度はある!!」
国永の頭上にある、太陽の味方である花がどこまでも並んでいて会いたい人との再会を邪魔をする。
「大体何で、向日葵なんだ。夏だからか?もっと別にあるだろう?すいか畑じゃダメだったのか?」
ある程度で右に曲がる、迷ってもいい。こうなれば直感に任せる。国永は自分の直感を信じている。
「すいか畑なら見渡しよくてすぐ見つけられるのに。わざとか、わざとなのか?俺とかくれんぼがしたかったとか?ありえるんだよなぁ」
国永と一緒の時だけ子供のようにはしゃぐ光忠なら十分考えられる。ぶつぶつ言いながらまた、緑を掻き分けていく。
「夏の太陽が咲く畑で捕まえてご覧なさいってか?それをやるなら海でしようぜ。そもそも、俺にとっての夏の太陽は、なぁ!み、」
光忠だけだ、緑を掻き分けてそう言おうとした時、突如目の前に向日葵よりも低い、けれど国永よりも高い背中があった。一年ぶりでもすぐわかる、光忠の背中だ。
腕には1メートル程の背丈しかない向日葵を数本抱いているのがわかる。この辺一帯が他のところより少しばかり開けているのは、今は光忠の腕に抱かれている向日葵達が咲いていたからかもしれない。
「お兄ちゃん?膝丸見つかった?」
光忠が振り向かないまま国永に声をかける。向日葵を掻き分けた音で誰かがいるとは気づいたが、それが国永だとは思いもしないらしい。
「こっちは膝丸でも抱えられそうな背丈の、集められたよ。ふふ、喜んでくれるかな?」
あ、てんとう虫。と自分より背の高い向日葵に手を伸ばす。小さな虫は光忠が触れるより早く飛んでいった。光忠がまた両手で向日葵を抱えながら肩を竦める。
「あ、もうお昼かな。さて今日は何を、」
食べようか。くるりと振り向いた瞬間、向日葵を抱いている右手を力強く引っ張った。いつかの日の光忠の手腕を真似たのだ。
バランスを崩した光忠が、国永の胸へと倒れ込む。ここまでは計画通り。
「ぅえ?」
だけど国永は光忠程の力はない。倒れてくる体は大きく、油断していたから無遠慮だ。体力の減っている国永が受け止めきれる訳もなく、
「あ、無理」
「うわっ!?」
光忠を抱き締めてそのまま倒れ込んだ。向日葵が宙にまって二人にぼたぼたと降り注ぐ。視界の邪魔だ。
「いっつつ、な、なにが」
何が起きたか把握できていない光忠が頭を押さえながら片手で上半身を起こす。
国永も倣って後ろ手で体を起こした。そしてもう一方で、国永から離れていこうとする光忠の首に手を回した。そのまま目を白黒させている顔をまた強い力で引き寄せる。国永も首を伸ばした。
その瞬間、一瞬だけ。二人の目があった。四つの目がかちりと、
「!つ、んむっ!?」
「――、」
ぶわっと喜びで全身の毛穴を広げながら、目の前の唇に噛みついた。一瞬閉じていた目を開ければ、これ以上ない位開ききった丸い金がある。今度は目を瞑らないまま、唇の角度を変えた。
「ちょっ!まっ、ん――、」
「ん・・・・・・」
光忠がまだ何かを言おうとしている。気にせず唇を合わせる。片方の手が、どんと国永の胸を叩いたが構いはしない。痛いけど。
何度も角度を変えて繰り返せば、開いていた瞳が少しずつ細められていく。開いた唇に潜んでいた舌に、国永が自らの舌を触れさせた途端光忠がびくんと体を揺らした。その頃には両方の目は完全に閉じられていた。
「っは、ぁ。つるさ、」
「みつただ、」
湿った粘膜を僅かに擦って、名残惜しげに唇を離した。うっとりと夢心地の動作で開いた両目はとろとろ情が絡んでいる。その右目、影がある方にちゅっと唇を落とした。可愛い。無意識に掛けていたストッパーが外れたのかもしれない場所も考えず歯止めが効かなくなりそうだ。
右目の感触にハッと光忠が夢から覚めた。そして国永の胸ぐらを掴んだ。珍しく乱暴だ、それほど混乱してるのかもしれない。
「つ、鶴さん!?何してるの!?どうしてここに、だってもう来ないって、っていうか今の何!?」
「一年ぶりだな光坊~」
ちゅっと今度は左目に口付ける。
「ちょ、やめて僕今真剣に聞いてるんだからっ、」
頬に落とす。
「待って、まず僕の質問に答えて、」
そのまま耳にも。
「っま、」
ふるふると光忠が震えて胸ぐらを掴んでいた手を離し、そのまま両腕をバッと広げる。国永を腕に閉じ込めてそのまま力を込めた。
「は、な、し、を、き、い、てって言ってるんだよぉー!!!」
「いっ!いだだだ!!!」
一年ぶりの鯖折りが決まった。痛い、気絶しそうな程痛い。洒落になってない。だけど、国永は笑えてしょうがない。
「いだだだ、っくはっあだだだっはは、あっはっはっはっは!!!」
「ちょ、ちょっと、何!?怖い!!」
痛がりながらも大笑いする国永に光忠が怯えたように力を抜いた。心配そうに顔を覗き込んでくれる優しい、可愛い。
「どうしたの鶴さん、頭打った?大丈夫?たんこぶ出来てる?大丈夫?」
「光坊!俺を君の秋にしてくれ!!」
「はぁ?」
大丈夫じゃないね?どんだけ強く打ったの?と、途端に優しく頭を撫でてくる右手を奪ってぎゅうと両手で握りしめた。上半身は起こしきっていて、光忠の方へ倒している。光忠は国永の太ももに腰を下ろし僅かに背中を反らしている格好だ。
「秋の次は冬だ!」
「そ、そりゃあ、秋の次は冬だもの」
「その次は春!」
「そうだね、春だね。鶴さん、ちょっと待ってて、診療所からおじいちゃん先生連れてくるから」
国永の太ももから退こうとするのを行かせないとばかりに両手に力を込める。
「そしてその次、俺はまた君の夏だ」
光忠が口を閉じた。
「光忠、君は俺を夏だと言ってくれた。だけど俺はそれだけじゃ嫌だ」
一年の短い間だけしか会えないのは嫌だ。夏だけじゃ嫌だ。
キラキラ眩しくて明るいばかりではない。すべてが枯れ始める寂しい夕暮れも、寒くて凍えそうな暗い夜も、新しい命が生まれる暖かな朝もすべて、全て光忠と過ごしたい。
「君がいるこの村で、俺を君の四季にしてくれないか」
共に四季を巡り、そうして年を重ねていきたい。光忠の側を、国永の居場所にして。
「君は俺の夏の太陽だ。側でずっと、誰よりも眩しく、俺を照らしてほしい」
右手を包んで自分の両手に額を当てた。最初の祭りの日の夜みたいに。あの日の光忠のように国永は祈ってる。光忠が嬉しい、いいよと返してくれるのを。あの日と同じように国永の額にその額をこつりと当ててほしい。
けれど待ってもその感触はない。代わりに声が掛けられた。
「嫌だ」
「!」
がつんと言葉で殴られた。勢いよく顔を上げて口を開いたが言葉は出てこない。光忠の唇によって防がれてしまった。
「っみ、――」
「は、・・・・・・っんぅ、」
合わせられる唇をお互い何度も貪って、噛みついて吸い上げる。いつのまにか重なっていた手の、絡まる指先のように舌を絡めていく。光忠はこんな時も国永の脱水症状を心配しているらしい。汗ではない、光忠の閉じられた金から流れる塩水の味がした。
「――はぁ、・・・・・・ふぅ」
すっかり濡れた唇をようやく離した。息が上がり、夏の気温とそれ以外の熱でぼうとしていた所、光忠が口許と目許を拭って息を整えた。そしてギッと国永をにらむ。
「やだ」
「な、」
甘くて塩辛い口付けで忘れかけていたが、国永は先程渾身のプロポーズを断られた。そして今再び断られた。
――じゃあなんだ、今のは。さよならのキスって言いたいのか。
せめて隣町に住むことくらい許してもらえないだろうかと頼み込もうと姿勢を正す国永の頬を光忠の強い視線とはちぐはぐな柔らかさでふんわり包まれる。
「何で僕だけずっと夏の太陽なの。一人だけ夏においてけぼりするつもり?鶴さんが秋になったら僕も秋の夕暮れ、鶴さんが冬になったら雪を反射させる光、春になったら眠くなるようなひだまりに、その次が夏の太陽でしょ。僕の四季になってくれる貴方に寄り添う太陽でいさせてよ」
拗ねたようにそう言った後、尖らせたままの唇で国永の唇にちゅっと音を立てた。そして顔を真っ赤にさせて、いやだ、これどっちもすごく恥ずかしい。鶴さんよく真顔で言えたよねと目を伏せた。
じわじわと光忠の言葉が脳内に辿り着く。今の言葉を紐解いていけば、それはつまり、つまり、
――つまり!!!
喜びで固まる。何も言えない。ただ光忠を見つめる。穴があくほどに。顔が暑い。脱水症状ではない、いくら何でも光忠だって勘違いはすまい。
恥ずかしげに口許を押さえて視線を逸らしていた光忠が、国永を見てふ、と目を細める。そして、小さく小さく幸せそうに呟く。
「すきだよ」
別れた日と同じ言葉、同じくらいの声量。今度も国永の耳に届いた。
「俺も、君がすきだよ」
国永も囁いた。今度は光忠に届いた。一年越しに。
国永の好きな影のある右目と、光忠の好きな汚れた足を光に当てて二人は幸せそうに見つめ合う。ああ、とても幸せだ、幸せついでに。
「光忠、も一回、ん」
「え、も、もいっかい?あー、うー、・・・・・・はい、」
目を瞑って顎をあげる国永に呻き声を上げて最後には頷いてくれた顔が近づく。この数十分ですっかり感触を覚えた柔らかな唇が触れる、その瞬間。
「うわあああん、みつただあー!みつただあ!」
「そんなに泣いたらいけないよ」
「!!??」
「!?って、いっでぇ!!」
可愛らしい泣き声と夏でも涼やかな声がした。光忠に押し飛ばされる。油断していた体は簡単に吹っ飛んだ。
「なななな何を泣いているの膝丸!?」
「えーっと、今何か吹っ飛んだような気がするんだけど」
「きっ、気のせいだよ!?」
「気のせいなもんか!思いきり突き飛ばしやがって!!」
「!!つるさん!あにじゃあ!つるさんだぞ!」
お揃いの麦わら帽子を頭に乗せた兄弟が手を繋いで光忠と吹っ飛んだ国永を見ている。今まで大粒の涙を流していた膝丸が国永の姿を見つけた途端パァと顔を輝かせる。相変わらず切り替えの早い。
「ほら、ほら!おれが言ったとおりだ!つるさんはかならずくると、言ったとおりだろう!?」
両手を挙げてぴょこんぴょこんと跳ねる背丈は向日葵より大分小さい、だけど去年よりは大きくなったように思える。そう言えば今年から小学生ではなかったか。
「よかった!ひまわり畑作ったかいがあった!」
「最初はお前一人で頑張ってたものねぇ」
「あにじゃも手つだってくれただろう!」
「君達が、」
突き飛ばされた痛みなんて何処かに飛んでいき、じんわりと暖かい気持ちが広がっていく。この兄弟がこの向日葵畑を始めてくれたのか。
もし、今年この村に広がる黄色がなければ、国永は遠くからこの村を眺めて去っていた。今こうしてここにいない。
「僕はお前に付き合ってただけだよ。後まぁ、眼帯をとった彼への敬意を表して、かな。好きな人が好きと言ってくれたから自分の嫌いな部分を頑張って受け入れようとするその健気さにね」
「お兄ちゃん、僕と鶯さんの会話何処かで聞いてたね?」
小学生らしくない相変わらずの微笑みを浮かべる美しさに、困ったように呟いて光忠は立ち上がる。今まで放置されていた比較的小さめの向日葵達を拾い上げて、光忠の気持ちに惚れ直している最中の国永にじゃれついている膝丸へ視線を合わせた。
「そういえば膝丸、何で泣いてたの?」
「!」
その一言に膝丸がうるうると涙を溜めわっと泣き出す。子供は喜怒哀楽が激しいが、その中でも一等だと思わせる急な変化に大人二人してぎょっとしてしまう。
「みつただぁ、あにじゃが、あにじゃがおれのなまえをよんだのだ!!」
「え!」
「どこにいるの、ひざまる!とおれのなをよんでくれた!おれは、おれはっうれしい!」
がばりと、向日葵を抱えたままの光忠の首に手を回して抱きついた。号泣している。
「弟が中々見つからなくてねぇ。取り敢えず名前を連呼していたらこの子が現れたときどうも正解の名前を言っていたらしいんだ」
「・・・・・・わざとじゃないのか?」
「そうだったら良いんだけど」
どうしても忘れちゃうんだよ。とのんびり答える。
「それに、名前なんてどうでもいいんだ。僕の弟はこの子だけだし。名前は忘れてしまっても、そこが僕の帰る場所ってことを忘れたことはないよ」
にっこりと笑う。普段は見えない八重歯をニッと見せて。膝丸の笑顔によく似たそれは初めて見せる子供らしさだった。
「さぁさ、そんなに泣いていたらダメだよ、お前もお兄ちゃんになるんだから」
「あにじゃ?あにじゃはあにじゃではなくおれがか?」
「そうだよ。来年、うーん再来年くらいかな?この二人がコウノトリさんにお願いしてお前の弟分を連れてきてくれるんだよ」
「ほ、ほんとうか!?」
また水分以外の煌めきできらきらと輝かせる幼い瞳。その足元でぼたぼたと向日葵が地面に落ちる音がする、本日二回目だ。
「お、お兄ちゃんは何を言ってるのかなぁ?」
「だって、そういうことでしょう?」
「む、無理だよ、お兄ちゃん。あのね、僕たち男どうし、」
「いや、光忠。試す前に子供に教えるのはよくない。俺は是非挑戦すべきだと思う」
わかってるんだかわかってないんだかの小学生を前に、あわあわと、おしべとめしべの話をしそうな勢いを言葉で押し止める。
「鶴さん、何言ってるの」
「俺が見たこともない景色、見せてくれるんだろ?」
「なっ!!」
そんなものなくても国永はどこにもいったりしない。
だけどちょっと茶化したくなってにやりと笑ってウインクして見せると瞬間湯沸し器の如く一気に湯だって見せる。いくら何でもそれは無理だよ。なんて頬をそめて目を伏せるそんな可愛らしい反応を期待したのだが、何故か二つ金が揃うことで迫力の増している両目がスッと細くなる。 瞬間冷却材の如く。
「これから一週間、鶴さんは梅干しをおかずに梅干しを食べることが決定しました」
「待て、早まるな。悪かった」
「大丈夫、梅干しは怖くないよ?」
「悪かったって言ってるだろう!?」
「っ、ふふっ」
恐ろしい言葉に必死でいれば高くて可愛らしい笑い声がした。膝丸が両手で口を覆っている。
「ふふふ、ダメだよ弟、笑ったら。二人は真剣なんだから」
「だって、あにじゃ、ふふ、ふたりともこどもみたいだ。っあはは!」
二人がそのまま楽しげに笑い出す。子供に子供みたいと言われれば、恥ずかしさしかない。君のせいだ梅干し断固拒否と肘でつつけば。却下、鶴さんのせいだからねとエルボーを食らった。理不尽。
けれど、何だか笑いが込み上げてきて、ははと笑いを溢す。気づけば光忠も同じようにははは!と大笑いしていた。
周りの向日葵達を揺らしそうな程の笑い声が一帯に響いている
「楽しげな笑い声に、何かと思って来てみれば」
向日葵の緑とは違う緑が現れる。夏より春が似合いそうな緑は、共にいる人物へと向き直った。
「そうやって無言でカメラを構えるな。そんなことをするから異国の地で、武器を構える姿と間違えられて拘束されることになるんだぞ。聞いているのか?大包平」
返事は返ってこない。カメラを持てばいつものことだ。
「この村自慢の太陽達だ。撮りたくなる気持ちはわからなくもない。一人知らない奴もいるが、まぁいいか、細かいことは気にしない。あいつが例の夏なんだろう」
嬉しさと寂しさを器用に均等にして呟く緑と同じものをファインダーを通して覗く。
夏に相応しい、見てるだけで明るくなれるきらきらした景色がそこにある。
これを取らずしてカメラマンは名乗れない。そう思ったのかは知らないがこれから太陽と共に何度も巡ってくる季節の、けれど今だけしか見れない夏の一瞬を、シャッターでカシャリと切り取った。
「ふむ、タイトルは?」
眩しそうにに緑が目を細める。似たような顔をして、カメラを降ろす人物が口を開いた。
『夏と夏の太陽、向日葵畑にて光り輝く』
「はは、そのまんまだな。だが、悪くない。おーいみんな!おいで!茶ぁの時間だぞ、といっても麦茶だが。夏だからな、脱水症状起こしたら大変だ!」
おしまい
5回目の夏