top of page

 こえ燭ちゃんは寂しい気持ちで目が覚めました。

  ぽかぽか陽気の暖かい春。大きな優しいチューリップさんの中、こえ燭ちゃんはぱちりと片方だけの目を開きます。起きたばかりのこえ燭ちゃん、まだおねむのぼんやり頭で分かるのは、小さな体の中の小さなハートがぎゅうぎゅうと苦しいことだけ。
  悲しい夢を見ていたのでしょうか。切なくて切なくて、優しいチューリップさんの中に居るのに、こえ燭ちゃんはポロリと涙をこぼします。

 

「ちあ~・・・・・・」
 

  体を起こしながら泣き声を上げてみても、誰の返事もありません。こえ燭ちゃんは悲しくて、ますます涙がぽろぽろとこぼれます。チューリップさんが宥める様にゆらゆら揺れても、こえ燭ちゃんの涙は止まりません。
 

「ちあ・・・・・・」
 

  こえ燭ちゃんはぽろぽろぽろぽろ。次から次に涙がこぼれます。これはとてもおかしなこと。こえ燭ちゃんは春の訪れで目覚めた時、真っ白なハートを持って起きるのです。そのハートを淡くて優しい沢山の春色で染めるために。春が終わる頃には春色の楽しい思い出をハートに詰めて優しい夢を見ながら、また次の春を待ちます。
  だから今のこえ燭ちゃんのハートも真っ白。例え、前の春で悲しいことがあったり、今の春まで見ていた夢が何かの間違いで悲しいものだったとしても覚えている筈がありません。それなのにいつまでも泣いているこえ燭ちゃんは一体何がそんなに悲しいのでしょうか。まったく不思議で仕方ありません。

 

「ちあぁ~・・・・・・ちぁ~」
 

  こえ燭ちゃんはさらに涙の量を増やしました。
 大事な大事な約束を破られた、それぐらいひどい気持ちです。外に出ても楽しい春なんてどこにもいないなんて、春の妖精さんなのにそんなことも思ってしまいます。
  ああ、このままチューリップさんの中を涙で埋めて溺れてしまいたいくらい悲しい!とこえ燭ちゃんが思い始めたとき。突然、チューリップさんの入り口がちょみっと開きました。

 

「~?」
 

  そしてそこからぴょっこり何かが顔を出します。
 

「ち!?」
 

  それは小さなお月さま二つ。そしてこえ燭ちゃんのハートの色と同じ、真っ白な子。
  こえ燭ちゃんの知らない子でした。

 

「~」
 

 驚くこえ燭ちゃんにも構わないで、その子はぴょこぴょこチューリップさんの中に入り込んできます。こえ燭ちゃんは気づきました、この子もこえ燭ちゃんと同じ春の妖精さんなんだと。チューリップさんが快く迎え入れているのがその証拠です。
  ですがこの子は生まれたての妖精さんの様でした。言葉をうまくしゃべれていないのはそのせいかもしれません。
  新しい妖精のこえちゃんは、びちゃびちゃの床に座って泣いていたこえ燭ちゃんにその小さなおててを差し出します。ぽかんとするこえ燭ちゃんがそのおててを取らないでいると、今度はそのおててを引っ張って、こえ燭ちゃんをチューリップさんの入り口まで連れて行きました。
  二人はチューリップさんからぴょこっと顔を出します。こえちゃんがおててでチューリップさんの下の部分を指しました。こえ燭ちゃんはその先をおめめで辿ります。

 

「ち!!」
 

  そこには何かが結び付けてありました。可愛らしい布が継ぎ接ぎしてある素敵なシーツの様に見えました。
 

「~♪」
 

  こえちゃんは、あれが気になってここに来たらこえ燭ちゃんが居たんだとたどたどしく、それでいて嬉しそうに言いました。
  こえ燭ちゃんはその言葉と、あのシーツを見てちょっと止まっていた涙がまたぼろぼろと落ちていきます。

 

「~!?~!~!」
「ちあち~ちぁあー!」

 

 声を上げて泣くこえ燭ちゃんに最初は焦ったこえちゃんでしたが、いつしか泣き続けるこえ燭ちゃんの頭を撫で始めます。
  そしてやっぱりたどたどしく話始めました。
 

 幸せな夢を見たんだね。それを忘れてしまって悲しいんだね。
 

  こえ燭ちゃんはこくこく頷きます。こえ燭ちゃんは覚えていませんが前の春に悲しいことがあったのです。だけどそれ以上に幸せな春だったのです、こえ燭ちゃんはそれを忘れてしまったのがきっと一番悲しいのです。
  こえちゃんは、優しく頭を撫でながら続けて言います。
 

 今年の春は二人でおててを繋いで眠ろうよ。楽しい夢を半分こ。起きた時の悲しい気持ちも半分こ。ひとりじゃなくて二人で半分こなら、もうそんなに泣くことはないんだよ。
 

  こえ燭ちゃんはひとつのおめめをぱちくり。最後の涙がぼろんと落ちました。
 

「ちぁ?」
 

  一緒にいてくれるの?と聞きました。もう、一人で眠って、全部忘れて一人で起きなくてもいいの?と。
 

「~♪♪」
 

  こえちゃんはもちろん、と答えました。ずーっと一緒にいようねってこえ燭ちゃんをぎゅうっと抱き締めてくれました。するとどうしたことでしょう、まるで魔法みたいにこえ燭ちゃんの悲しい気持ちがなくなっていくではありませんか。
  すごく不思議です。でもこえ燭ちゃんは確かに、そう言ってほしかったんだと思いました。誰にでしょう?きっとお月さまを二つ持っている人に。

 

「ちあっ♪」
「♪」

 

  こえ燭ちゃんはすっかり嬉しくなって笑いました。こえちゃんもにっこり笑いました。
 

「~*」
「ち~!」

 

  こえちゃんは、ねぇお外に行こうよ。皆が待ってるよ!とこえ燭ちゃんの手を取ります。こえ燭ちゃんもいいお返事で、着いていきました。
  チューリップさんの外は素敵な春の世界が広がっています。春のお友だちがこえ燭ちゃん達を待っていました。

 

「ち?」
 

  皆にご挨拶をしていると、くんくん。何やら良い匂いがします。とても甘~い匂いです。こえ燭ちゃんの大好きな匂いに似ています。
 

「~」
 

  隣のこえちゃんが、くんくんしているこえ燭ちゃんに教えてくれます。少し向こうに小さなお家がある。これはそこのお家の人が作っているイチゴジャムの匂いだよ、と。
 

「ちちあちあ!?」
 

  苺はこえ燭ちゃんの大好きな食べ物です。思わず目が輝きます。
 

「~♪」
 

  優しそうな人たちだったから、ちょっと分けてくれるかもしれないよ?とこえちゃんは言います。食いしん坊のこえ燭ちゃんは、その提案に飛びつきました。
  そのお家はここから歩いて一日くらいの距離。小鳥さんに運んでもらえればもっと早いでしょう。
  こえ燭ちゃんが「ちあ~!!」と小鳥さんを呼ぶと、小鳥さんの返事の変わりに別の声が聞こえてきました。

 

「あ、もう目が覚めてるじゃないか!しまったな。おい、光坊!早く早く!」
「ちょっと、鶴さんまだ病み上がりなんだから」
「その病み上がりに負けてどうする!」
「二年間生死の境を彷徨ってやっと帰ってきた恋人に言う言葉かなぁ、それ。ま、いいんだけどさ!」

 

  その声はだんだんと近づいてきています。誰の声か分からないけど、その声にこえ燭ちゃんは、イチゴジャムの比ではないくらい心惹かれます。今すぐ、走り出して飛び付きたいくらい。
 

「~!」
「ちあ!」

 

  気づいたこえちゃんが繋いだ手をぎゅっとして、行こう!と言ってくれました。こえ燭ちゃんはもう我慢の限界でした から、お返事と同時に走り出しました。


  甘い匂いがする春の道をこえ燭ちゃん達は駆けていきます。

  悲しくて切なくて目が覚めたのが嘘のように、嬉しいことばかり起きています。こえ燭ちゃんは今までの春を覚えてはいませんが、今年の春はきっと今までで一番素敵な春になる。そんな嬉しい予感を感じていました。
 

 そしてそれは当たっていたねと、今年の春の終わりにこえ燭ちゃん達二人はおててを繋いだまま眠りにつくのでしょう。

  また次の、四人の楽しい春を夢に見ながら。

 

 


  おしまい

bottom of page