こえ燭ちゃんは寂しい気持ちで目が覚めました。
ぽかぽか陽気の暖かい春。大きな優しいチューリップさんの中、こえ燭ちゃんはぱちりと片方だけの目を開きます。起きたばかりのこえ燭ちゃん、まだおねむのぼんやり頭で分かるのは、小さな体の中の小さなハートがぎゅうぎゅうと苦しいことだけ。
悲しい夢を見ていたのでしょうか。切なくて切なくて、優しいチューリップさんの中に居るのに、こえ燭ちゃんはポロリと涙をこぼします。
「ちあ~・・・・・・」
体を起こしながら泣き声を上げてみても、誰の返事もありません。こえ燭ちゃんは悲しくて、ますます涙がぽろぽろとこぼれます。チューリップさんが宥める様にゆらゆら揺れても、こえ燭ちゃんの涙は止まりません。
こえ燭ちゃんは春の妖精さん。春の訪れと共に目覚めて、新しい春をいっぱいいっぱい喜んで、春の終わりと共にまた眠りにつく妖精さんなのです。
こえ燭ちゃんの喜ぶ笑顔は、春に生きる皆の宝物。だから春のお友だちも春そのものも、皆こえ燭ちゃんが大好き。だから今年も春になり、こえ燭ちゃんの笑顔がまた見れると皆楽しみにしていたのです。それなのにこえ燭ちゃんは泣いてばかり。チューリップさんの開いた花びらの天井に、蝶々さんも止まって心配そうにこえ燭ちゃんを覗き込んでいます。
「ちあ・・・・・・」
けれどやっぱりこえ燭ちゃんはぽろぽろ泣いています。これはとてもおかしなこと。こえ燭ちゃんは春の訪れで目覚めた時、真っ白なハートを持って起きるのです。そのハートを淡くて優しい沢山の春色で染めるために。春が終わる頃には春色の楽しい思い出をハートに詰めて優しい夢を見ながら、また次の春を待ちます。
だから今のこえ燭ちゃんのハートも真っ白。例え、前の春で悲しいことがあったり、今の春まで見ていた夢が何かの間違いで悲しいものだったとしても覚えている筈がありません。それなのにいつまでも泣いているこえ燭ちゃんは一体何がそんなに悲しいのでしょうか。まったく不思議で仕方ありません。
いつもならチューリップの中からちあ!とにっこり顔を出し、皆に楽しい春を連れてくるこえ燭ちゃんが、いつまでもチューリップさんに隠れているので、心配になった春のお友だちがだんだんと周りに集まってきました。
鶯さんにメジロさん。土筆さんも一生懸命背伸びして、リスのお母さんと子供はこえ燭ちゃんを喜ばせる為に木の実や山菜をいっぱい持ってきました。けれど、こえ燭ちゃんはいっこうに顔を出しません。
こえ燭ちゃんはぽろぽろ、ぽろぽろ。大好きな春とお友だちがいるお外に本当は今すぐにでも出たいのに、ぎゅうぎゅうのハートがそれを許してくれません。このままでは、涙でチューリップさんの中が埋まってしまって、こえ燭ちゃんは溺れてしまいます!早くなんとかしなければ。
春のお友だちがざわざわし始めた声がこえ燭ちゃんの耳にも届きます。
「ちあぁ~ちあ~」
大好きな皆に心配なんてさせたくありません。でもこえ燭ちゃんはぎゅうぎゅうで動けないのです。ああ、誰か。こえ燭ちゃんの涙色の声に気づいて助けてあげられる人はいないでしょうか。
「誰だい?こんなうららかな春の日に悲しい声で泣いているのは」
そんな時、チューリップさんの外から声がしました。小さなおててで顔を覆っていたこえ燭ちゃんが、花びらの天井を見上げると。
「ここにいるのか?」
大きな指がチューリップさんの天井を柔らかに開きました。突然広がる爽やかな青空。それなのに、大きなお月さまが二つ、こえ燭ちゃんを見ていました。
「おっ。泣き虫さん、みっけ」
「ちあ?」
お月さまが二つすぐに消えました。それはにっこり笑顔のせい。お月さまだと思っていたのは、大きな人の、きれいなおめめだったのです。
「春だって言うのに、そんなに泣いてどうしたんだい?何か悲しいことでもあったのか?」
大きな指が降りてきて、こえ燭ちゃんの頭をつん、とつつきます。そして慰めるようにぴょこぴょこ撫でてくれました。
こえ燭ちゃんは大きな人の、きれいなおめめと優しい指で、さっきまでの悲しい気持ちがぽん、と消えていくのがわかりました。元々、何が悲しくて寂しかったのか自分でもわからなかったのです。よくわからないことより、目の前の大きくて、そしてとてもきれいな人に見入ってしまうのは当然でした。
「さ、こっちにおいで」
「ちあ!」
だから大きな人がチューリップさんの前に手のひらを開いて自分を呼ぶのも当然のように感じて、こえ燭ちゃんは喜んでその手のひらにびょいんと降り立ちました。
白い手のひらの上。こえ燭ちゃんの姿を認めた小鳥さん達が嬉しそうに歌い、蝶々さんがこえ燭ちゃんの周りをひらひらと飛び回ります。リスさん達も持ってきた沢山の木の実や山菜を地面に置いているようでした。
「はは、君は人気者なんだな」
こえ燭ちゃんが蝶々さんと春のダンスを踊っていると、リスさん達のプレゼントからひとつ、蕗の薹を拾った大きな人がまたにっこりと笑いかけてきます。
なんて素敵な笑顔なんでしょう。大きな人の笑顔はこえ燭ちゃんの大好きな春を感じさせて、真っ白なハートにふわっと、優しい春色を与えてくれます。
その笑顔を見つめていると大きな人は蕗の薹をこえ燭ちゃんの前に置いて言いました。
「さて、春の妖精さん。俺からも君に春のお届け物があるんだが、受け取ってもらえるかい?」
素敵な笑顔は、素敵な言葉をこえ燭ちゃんにくれました。その言葉にこえ燭ちゃんはキラキラおめめを光らせて、
「ちあっ!」
と大きなお返事を返しました。
「そうかいそうかい。そりゃ良かった。なら、俺の家に行こう。お届け物は俺の家にあるからな」
大きな人は嬉しそうに笑って歩き出しました。こえ燭ちゃんは周りにいる春のお友だちにちょっとだけのさよならの為に、またね~と手を振ります。大きな人も、こえ燭ちゃんを乗せていない手で、ばいばいと皆に手を振ってくれています。
会って数分しか経ってないのに、こえ燭ちゃんはこの大きな人が大好きになりました。
こえ燭ちゃんと大きな人が、ひとつのお家についた時には、この大きな人が鶴丸さんと言うお名前だと分かりました。鶴さんという愛称で呼べば(もっともこえ燭ちゃんは「ちあ~」としか鳴けませんが)それはそれは嬉しそうに「はーい」と返事してくれるので、こえ燭ちゃんはその度に鶴さんのことがもっともっと大好きになっていきました。
ぽかぽかお日様の下。二人で楽しくお話していると、すぐに鶴さんのお家に着きます。
そこは小さなお家。鶴さんが一人で住んでいるのでしょうか。それにしてはお皿やコップ等は全部二つずつ。もしかしたらもう一人いるのかもしれません。しかし今はお家にいないようでした。
鶴さんは道端で咲いていた様子の、タンポポさんやハナニラさん、ヒメキンセンカさんとカタクリさんが可愛らしく身を寄せているビンの隣、ダイニングテーブルの上にこえ燭ちゃんを下ろしました。
「ちょっと待っててな」
そしてキッチンの向こうに行ってしまいます。
こえ燭ちゃんはわくわくがとまりません。春のお届け物とは一体何なんでしょう。こえ燭ちゃんが被るのにちょうどいいどんぐりの帽子でしょうか。それとも、こえ燭ちゃんが空を飛ぶためのタンポポの綿毛さん?こえ燭ちゃんは小さな両手をちたぱたと振って楽しく待っています。
「ほい、お待たせ」
「ちあ!?」
どんっ、とこえ燭ちゃんの前に現れたのは赤い大きな物体。表面はデコボコで窪んだ所に何かが埋まっています。赤い肌はつやつやしていて僅かに光を反射していました。巨大な赤はすごい圧迫感でとっても怖く見えます。しかし、突然現れた大きな物体に、こえ燭ちゃんが思わずじりじり後ずさるとだんだんと全貌が見えてきました。それは、とっても大きな苺でした。
「ちあ~!!!」
こえ燭ちゃんは春の木の実や果物が大好き。いつもは小さな木苺やヤマモモを食べているこえ燭ちゃんですが、中でも一番大好きなのは苺なのです。滅多に食べることのできないそれが目の前に現れたので、こえ燭ちゃんは離れた分の距離をとてちたと必死で走りその赤い実にひしと抱きつきました。
「あっはっはっ!本当に苺が好きなんだなぁ。よしよしいっぱい食べろ、今年は君の為に買ってきたからまだまだ沢山あるぜ」
「ちあちあ!」
嬉しすぎる言葉に目を輝かせてこえ燭ちゃんは目の前の苺にかぷりとかじりつきます。
「~!」
甘酸っぱくて、みずみずしくて、なんて美味しい苺でしょう。こえ燭ちゃんは夢中で食べ進みます。
「ちあ!」
美味しいよ!と鶴さんを見ると、鶴さんはテーブルに頬杖をついて、とても優しい目でこえ燭ちゃんを見ていました。すごくすごく嬉しそうな顔をしていました。
こえ燭ちゃんは、その顔を見て両手の苺をそのまま鶴さんの方へずいずい押します。
「ちあ~」
「もしかして、くれるって?」
「ちああ」
どうぞ~と押し出した苺を鶴さんは間違わずに意図を理解してくれました。こくんと頷いて正解を教えてあげると鶴さんは、何故か眉毛をへにょんと下げてしまいます。ちょっと前までのこえ燭ちゃんみたい、胸がぎゅうぎゅうで泣いてしまいそうな顔をしていました。
どうしてそんな顔をするのでしょう。こえ燭ちゃんはただ、こんなに美味しくて大好きな苺を、大好きな鶴さんにも美味しいねって一緒に笑ってほしかっただけなのです。
「本当に苺が大好きなくせに、君って子は」
「ちああ・・・・・・?」
「ああ、違う。すっごく嬉しいんだ。ありがとう」
「ち!」
こえ燭ちゃんから苺を取って、鶴さんがぱくりと一口。美味い!とにっこり笑ってくれました。こえ燭ちゃんは美味しい苺を食べた時より嬉しくなります。
「そうだな・・・・・・、美味しいものも、素敵なものも。独り締めより二人で半分この方が、いいよな」
「ちあ♪」
「よし、苺ならまだまだある。一緒に食べよう」
またもやどんっ、と鶴さんは。今度はお皿いっぱいの苺をこえ燭ちゃんの目の前に置きました。こえ燭ちゃんは声にならない歓喜の声をあげます。
二人で一緒に食べ始めた苺は、さっきよりももっともっと美味しく感じました。
お腹いっぱい苺を食べて、こえ燭ちゃんがけぷっとなっていると、鶴さんがまたもや何かを持ってきました。
「これ、作ってみたんだ」
それは鶴さんにとってはとっても小さく、こえ燭ちゃんよりはちょっと大きいバスケット。その中にはふあふあのコットンが敷き詰められ、可愛らしい布が継ぎはぎされている素敵なシーツがかかってました。どうやら小さな小さなベッドの様でした、それもこえ燭ちゃんにぴったりの。
「慣れない作業だったが一年もあれば中々いいものが作れた。どうだ、驚いたか?」
バスケットの中をぴかぴかおめめで覗くこえ燭ちゃんに鶴さんが得意気な顔を見せます。
「ちあ?」
「もちろん君のだ。今年の春もうちにいるといい。というか、いてくれた方が俺も嬉しい」
「ちあ!ちあ~ちあ~」
鶴さんの言葉の意味はよくわかりませんでしたが、この素敵なベッドが自分のものだということはよくわかり、こえ燭ちゃんはベッドの周りをぐるぐる走って、はしゃいで見せました。
鶴さんは、ははは!と笑い声をあげています。こえ燭ちゃんも笑いました。
悲しくて切なくて目が覚めたのが嘘のように、嬉しいことばかり起きています。こえ燭ちゃんは今までの春を覚えてはいませんが、今年の春はきっと今までで一番素敵な春になる。そんな嬉しい予感を感じていました。