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 朝は、お花の朝露で顔を洗って。朝ご飯に木の実や山菜、時々鶴さんのご飯をちょっと貰って。その後お片付けしている鶴さんを、小さな雑巾でお掃除しながら待って。
 晴れた日ならそこでようやく、お外にでる時間。鶴さんの手のひらに乗ってこえ燭ちゃんも春のお出掛けをします。
 鶴さんのお家からこえ燭ちゃんが目覚めた場所はそんなに遠い所ではありません。そりゃあこえ燭ちゃんの足なら一日掛かりの距離かもしれませんが、それでも美味しい匂いは届くような、スープの冷めない距離には違いありませんでした。鶴さんはいつもそこにこえ燭ちゃんを連れてきてくれます。
 そして春のお友だちとこえ燭ちゃんを遊ばせてくれたり、鶴さん自身も一緒に遊んでくれたりします。昨日は皆で四つ葉のクローバー探しをしました。こえ燭ちゃんや春のお友だちは沢山クローバーを見つけられましたが、鶴さんはひとつも見つけられなかったので、皆で全部のクローバーをプレゼントしました。鶴さんは嬉しそうに笑って「俺の幸せはひとつで良いんだ」とこえ燭ちゃんの手の中のひとつだけを受け取ってくれました。
 今日は鶴さんが沢山受け取ってくれるものを見つけたいものだとこえ燭ちゃんは思っています。

 遊び場についたこえ燭ちゃんはその横を流れる小川にまず注目しました。どこまでも透き通る様な水面は、春の陽を受けてきらきら光っています。その光があまりに素敵だったので、この小川をプレゼント出来たらなぁと考え、近くにあった木の葉を船に小川の中をすいーっと、流れていきます。川のぬしさんを見つけて、この川を鶴さんにあげても良いですか?と聞くためです。
 ですが川のぬしさんは夜行性なのか、見つけることは出来ませんでした。それどころか小川の流れは思いの外速く、こえ燭ちゃんを乗せた木の葉をどんぶらこっこどんぶらこっこと、流していきます。どうしましょう、このままでは大きな海まで流されて、春のない所に行ってしまうかもしれません。こえ燭ちゃんは春の妖精さんなので、春以外では生きられないのです。だから春が終わる頃、こえ燭ちゃんを守ってくれる春のお友だちの所で眠りにつくのですから。
 だからこのまま辿り着いた海が常夏の楽園だとしてもこえ燭ちゃんはちっとも嬉しくありません。いいえ、例え春の楽園でもそれはいっしょです。だってそこに大好きな鶴さんがいないのですから、こえ燭ちゃんは嬉しくないのです。
 このまま流されていくのが怖くなったこえ燭ちゃんが、ちあ~!!と助けを求めて鳴き声をあげます。

 

「こらこら、水遊びには大分早いぜ?」
 

 すると、鶴さんが飛んできてくれて、お船ごとこえ燭ちゃんを掬い上げてくれました。鶴さんは格好良いこえ燭ちゃんのヒーローみたいです。
 鶴さんにありがとうを言った後、こえ燭ちゃんはまた考えました。小川をプレゼントが失敗に終わった今、別のプレゼントを考えなければいけません。うーん、うーんと考えるこえ燭ちゃん。その頭の、双葉みたいな所に、てんとう虫さんがやってきて止まりました。
 てんとう虫さんはいろんな春の良いところを知っています。こえ燭ちゃんは何か素敵な春はないかとてんとう虫さんに聞きました。てんとう虫さんは羽を広げて、素敵な春がある所へ連れていこうとしてくれました。だけど、そうするにはてんとう虫さんはちょっと小さくて、それは叶いません。結局てんとう虫さんはそのまま一人で飛び立ってしまいます。
 他にもミツバチさんに花畑の場所を聞いてみたり、鶴さんも飛べるくらいの大きなタンポポの綿毛さんを探してみたりしたのですが、この辺りには無いようでした。
 さて、いよいよどうしましょう。鶴さんへのプレゼントはまだ見つかりません。

 

「どうした?しょんぼりして」
 

 小さなビニールシートを敷いて、お昼のお弁当を広げながら鶴さんが聞いてきます。鶴さんと向かい合って座ったこえ燭ちゃんの前には、さくらんぼが置かれました。
 

「ちあ~・・・・・・」
「今日の遊びは楽しくなかったか?」
「ちあち~」

 

 首と体全体を振って違うと伝えます。鶴さんと一緒なこと自体はとっても楽しいことです。しょんぼりなのはその鶴さんがひとつだけじゃなくて、いっぱい受け取ってくれるものが見つからないからです。鶴さんのハートをいっぱいに満たしてくれる様な何か。何故かこえ燭ちゃんはそれを鶴さんにあげたいなぁと思うのです。
 ですが、今日はそれが見つからずこえ燭ちゃんはしょんぼりです。

 

「んー、よくわからんが、俺は君と一緒だととっても楽しいぞ!」
「ち?」

 

 鶴さんは美味しそうなタマゴサンドを一口食べて言いました。鶴さんはお料理が上手ですがレパートリーは多くありません。卵料理ぐらいしか余り作らないと言っていたそれをもぐもぐと全部食べて手をぱんぱんと払いました。そして人差し指だけをぴん!と立てます。
 

「君は春を楽しませるのがとっても上手だ。春の陽射しを受けた小川があんなにきらきらしてるのも俺は今まで一度も気づかなかったし、針を隠し持っている筈のミツバチがあんなに穏やかなのも新たな発見だった。それに、てんとう虫を頭に乗っけたり、タンポポの綿毛を両手に持って、空にふわふわ浮いている君はとっても可愛らしくて見ているだけでもハッピーな気分だったぜ!」
 

 人差し指を魔法使いの杖のように回して、鶴さんは言います。
 鶴さんはヒーローでもあるし魔法使いでもあったのかもしれません。

 

「去年も今年も、俺は一人で春を過ごすはずだった。だけど君が一緒にいてくれる。それだけで俺はとっても楽しい!!」
 

 だって本当に楽しそうに笑う鶴さんの言葉を聞くだけでこえ燭ちゃんのハートは元気ぴんぴん春色になっていきます。
 

「去年はほとんど家の中で過ごしたけど、今年は外で沢山遊んでるしな!」
「ち?ちちあ?」
「あ、そうかそうか。君は春の度に生まれ直す妖精だもんな。去年のことは覚えていないんだっけ。なに、こっちの話さ」

 

 鶴さんはそう言ってデザートのさくらんぼをぱくりと食べました。すっかりしょんぼりがなくなったこえ燭ちゃんもちっちゃなお口でかぷりと食べました。
 

「今日はぽかぽか心地よい日だ、昼寝したら最高に気持ちいいだろうなぁ」
「ちあー」
「君もそう思うかい?よし、そうしたらランチの後はお昼寝タイムにしよう」
「ちあっ!」

 

 お昼ごはんの後は、ビニールシートにごろりと寝転んだ鶴さんのお腹の上に、こえ燭ちゃんもころんと寝転びます。
 そよそよ風が二人を撫でて、ちょっと遠くの匂いも運んできました。

 

「見た目の可愛さに反して菜の花の匂いはちょっとすっぱいよな」
「ちあちあ」
「あの雲、ぞうさん見たいだなー。あっちはリンゴ」
「ちああ!!!」
「あっはは、今昼飯が終わったのに食いしん坊だなぁ」

 

 笑った鶴さんのお腹が波をうってこえ燭ちゃんの体が跳ねます。暖かな春の中、二人でそれを繰り返していくうちにいつの間にか二人は眠りについていました。

 

 


 ごほんごほんっと、こえ燭ちゃんのベッドが波打つ感覚がしました。大きな地震でしょうか。
 

「ちあ!?」
「っ、すまん、ごほっ、起こして、しまったな」

 

 慌てて目覚めるとそこは鶴さんのお腹の上。そうでした、こえ燭ちゃんは鶴さんの上でお昼寝をしていたのでした。
こえ燭ちゃんがお腹の上で立ち上がって、鶴さんのお顔の方に向かってぽてぽてと歩きます。鶴さんのごほんごほんと言う咳はもう止まっていました。

 

「春なのになぁ。こりゃあ、今年は駄目だな」
「ちーあ?ちあぁちあ?」
「ん。大丈夫だいじょーぶ。びっくりさせてごめんな」

 

 顔を覗き込んで、だいじょうぶ?と聞くと鶴さんはいつもと同じ笑顔でちょみちょみ頭を撫でてくれました。鶴さんのごほんごほんを聞いているとなんだか不安な気持ちになりますが、頭を撫でてもらえると安心出来ました。
 

「ちょっと寝すぎたな。もう、夕方だ。風も涼しくなってきたし帰ろうか」
「ち!」

 

 そして鶴さんが後片付けを始めます。その間にこえ燭ちゃんは、眠っていた二人の側で見張りをしてくれていたウサギさんや、その真似事をして遊んでいた最近生まれたばかりのカマキリの赤ちゃんにありがとうとバイバイのご挨拶をしました。
 ウサギさんはお土産にモエギタケをくれて、カマキリの赤ちゃんはカランコエのちいちゃな花をひとつくれました。嬉しいお土産です。早速帰り道に鶴さんへ見せました。

 

「この小さいひとつはカランコエ、か?はは、君にぴったりだな。それで、こっちのキノコは・・・・・・食べられるのか?」
 

 こくんと頷くと鶴さんは、なら今日はキノコ焼きだ!とご機嫌に言いました。ニッと笑う鶴さんの顔がオレンジに染まっています。きっとこえ燭ちゃんもオレンジに染まっているでしょう。春の柔らかな夕焼けの中、白い鶴さんと黒いこえ燭ちゃんは、仲良くオレンジ色に染まりながら楽しくお家に帰ることが出来ました。

 


 そんな二人の春の一日が、ひとつずつ過ぎていったある日。

 今日もよく晴れた良いお天気。遊びから帰ってきた二人は夜ご飯を食べて、大きなバスタブとちいちゃなおちょこのバスタブでそれぞれお風呂に入りました。今日も鶴さんにホイップクリームみたいな泡で洗ってもらえたこえ燭ちゃんはほかほかぴかぴか。髪を乾かす鶴さんを、洗剤の香りのするハンカチの上でぴょんぴょん跳ねながら持っています。
 

「いつもは眠たくなる時間なのに今日は元気だなぁ。昼寝の後更にうたた寝すればさすがに眠たくないか」
「♪ちちちあ~」
「だからってキャベツの葉の中で寝るのはもうダメだからな。間違って切ったらどうする」

 

 鶴さんがお料理している間、見つけた春キャベツの葉っぱはとても柔らかくて思わず体を横たえてしまいました。ふわふわ柔らかくこえ燭ちゃんをくるんで、優しく揺れる揺りかごの様。鶴さんの驚く声に起こされるまでこえ燭ちゃんはぐっすり眠ってしまっていたのです。
 

「♪ちああちちち~」
「あーあ、こりゃ寝ないぞー。どうするかな・・・・・・おっ、そうだ。なら、今日はこうしようじゃないか」
「ちぃ?」

 

 髪を乾かし終わった鶴さんはこえ燭ちゃんを連れて、別の部屋へと移動しました。そこはこえ燭ちゃんが初めて入る部屋。本が沢山あって、お勉強する机がある小さな書斎でした。
 鶴さんはお勉強机のすぐ横の窓を開けて、そこにこえ燭ちゃんを下ろします。

 

「ほら、見てごらん。ここだと月がよく見える。今日は満月なんだぜ」
 

 鶴さんの言葉に、窓の外、大きな黒い夜空を見上げました。そこにはひとつの大きな大きなまんまるお月さま。鶴さんの大きなおめめよりも大きいのです。
 それはこえ燭ちゃんが知っているお月さまより、とってもとっても綺麗でした。

 

「月見と言ったら秋と言うが、春の月見も悪くないだろ?これで夜桜も見れたら最高なんだろうが、残念なことにうちの周りには桜がないからな」
「ちあー・・・・・・」
「はははっ、春の妖精さんでも感動する綺麗さだろ?君は早寝早起きだから余り見たことがないと思ってな。見せられてよかった」

 

 綺麗なものを見てほわほわしているこえ燭ちゃんは、小さい両手を伸ばしてそのお月さまに向かってジャンプしました。鶴さんにプレゼントしようと思ったのです。
 けれど当然届きません。なんせ大きい人の鶴さんよりもずっとずっと大きくて遠くにいるのですから。
 それを忘れていたこえ燭ちゃんは一際大きくピョンと飛び出しました。

 

「危ないっ」
 

 鶴さんの声と一緒に、強い春風がびゅうと吹きました。春風はそのまま外に飛び出してしまう所だったこえ燭ちゃんを部屋の中へと押し込んでくれます。
 春風も驚いて焦っていたのでしょう、ちょっと強すぎる勢いはこえ燭ちゃんをころころ転がして、慌てて受け止めてくれた鶴さんの手も通りすぎて、側にあったお勉強机の上にぽてん!と落としてしまいました。

 

「ち~・・・・・・」
「だ、大丈夫か!?」
「ちあ・・・・・・」

 

 涙目で起き上がるこえ燭ちゃん。突いた手の下はかさかさしていました。どうやらお勉強机の上、春風で捲られた本の上に落ちたようです。開いたページ、こえ燭ちゃんが乗っていない方には沢山の植物の写真と文字が載っていました。
 

「ちあ」
「植物図鑑さ。色んな植物の生息場所や特徴、効能、花言葉なんてものも載っている」

 

 もう一方のページにおててを突いたまま写真を覗き込んでいると鶴さんが説明してくれます。
 鶴さんの指が触れた部分にはこえ燭ちゃんが見たこともない白い綺麗な花が載っていました。それだけは写真ではなく写真みたいな絵でした。
 その絵の花が春の花でないのは間違いありません、こえ燭ちゃんの知らない花でしたから。
 鶴さんは何故か悲しそうにその花を撫でています。こえ燭ちゃんも手を伸ばして触ってみました、つるつるしています。けれどそれだけで悲しいことなんて何もありません。
 鶴さんが悲しそうなのが何故かわからないけど慰めなくちゃいけない気持ちのこえ燭ちゃんはよいしょと立ち上がろうとしました。しかし、そこでおててをついている場所がまたかさ、となったのに気がつきます。
 よくよく見てみれば、こえ燭ちゃんの立っている場所には写真が載っていません。紙も隣のページに比べて安そうなもので、インクで書かれた文字が何行にも並べられていました。
 どうやら図鑑に挟まれていた別のものの様です。こえ燭ちゃんは不思議に思ってぽてぽて、その上を歩きます。鶴さんは何も言いません。これは一体何なんでしょう。
 こえ燭ちゃんが歩き周り、文字が終わる部分にたどり着き、足を止めました。こえ燭ちゃんは人の文字が読めませんからそこに何て書いてあるのかがわかりません。しかしこえ燭ちゃんが足を止めたのは、その最後の文字達がでこぼこに盛り上がっていて、書かれたインクが滲んでいたからです。
 ぽたぽたと上から雨が降ったかの様に。

 

「これはな、」
 

 不思議な気持ちで雨が降らない天井を見上げていると鶴さんが小さく話し始めます。
 

「これは手紙だ。あいつからの」
「ちあち?」

 

 鶴さんは微笑んで滲んだ文字に触れます。
 

「今年の君にはまだ言ってなかったが俺は病気でな。二年前の春に突然発症したんだ。その時の町医者の診断は、冬を越すことなく死んでしまうだろう。というものだった」
「ちあ!?」
「何でも、冬に悪化する病らしく発症した後、冬を越せる確率は三割なんだと。だからまぁ、覚悟しとけって言われた」

 

 って言ってもこうして二回生き延びてるんだけどな!と、鶴さんは苦笑いで言います。衝撃の事実にこえ燭ちゃんは固まってしまっているというのに。
 

「・・・・・・ここには俺と、もう一人住んでいた。俺の大切な人だ。俺の命より大事で、可愛くて優しくて愛しい人。余命を言い渡された俺は、そいつと最期の時まで一緒に居たいと思ってた。そいつには悪いが、この子に看取られるなら悪くないなぁって」
 

 鶴さんはちょっと申し訳なさそうに頭をがしがししました。本当に反省しているような顔です。
 

「俺、馬鹿正直に言ってしまってなぁ。そうしたら、滅多に怒らないあいつが『このまま諦めるなんて絶対許さない!!』って本気で激怒して、いやはや、あっれはかなり恐ろしかった」
 

 ぶるぶる鶴さんは身震いをします。鶴さんはこえ燭ちゃんのヒーローみたいな人です。そのヒーローがこんなに怯えるなんてどれほど怖い人なのでしょうか。
 

「次の日、あいつが大量の本を買い込んできた。そして見つけたのが、この白い花。この花を煎じて飲むと俺の病は治るらしい」
 

 鶴さんはさっき悲しい顔をして撫でていた白い花を指差して、こえ燭ちゃんに教えてくれました。
 

「けど、この花はこの辺りにはない。いや、この辺りどころかもうどこにもない花なんだ。だからほら、これだけ写真じゃなくて模写なんだ。なのにあいつときたら、」
 

 鶴さんは一度言葉を切って下の唇をぎゅっと噛みました。こえ燭ちゃんが心配になって顔を覗き込むと微笑んでゆるゆると首をふります。大丈夫ということでしょうか。
 

「これを見つけた次の日、書き置きだけ残して行ってしまった。幻の花を探しにだぜ?馬鹿だろう?そういうのは俺の専売特許なんだぞ?なのに、俺には安静にしとけって、絶対冬までには帰ってくるからって。朝食に俺の好きなオムライスと、春になるといつも作ってるイチゴジャムの作り置きだけ残して行ってしまった」
 

 鶴さんは笑っています。だけどこえ燭ちゃんには優しい春風は鶴さんに意地悪をします。ふわっと優しく吹くくせに、鶴さんの前髪をさらって、ぐぐっと寄った眉毛をバラしてしまうのです。だからそのせいで、笑ってる鶴さんはほとんど泣いているみたいに見えます。
 

「そのまま春が終わって、夏が過ぎて、秋が消えるくらいに、あいつから手紙が届いた。消印はここから信じられないくらい遠い場所からだった」
 

 こえ燭ちゃんとその下の手紙を、見つめます。
 

「簡単に言うとこれにはな、こう書いてある。『花の咲く場所が見つかった。採ったらすぐ帰ってくる。冬が終わる前には間に合う。だから待っていて』って」
 

 鶴さんはこえ燭ちゃんの足元に、滲んだ部分に手のひらを乗せました。
 

「だけど、あいつはここにいない。何故だ?この涙に滲んでる部分、待っていてと、どんな気持ちで書いたんだ?喜び?そんなわけない。なら絶望?悲しみ?それとも哀れみか?」
「ち、ちあー・・・・・・」
「ああ、いいんだよ。悲しみでも、哀れみでもさ。なら、あいつは今幸せってことだろ?ここに帰ってきていないってことは、冬に死んだだろう俺を忘れて遠い場所で別の幸せをつかんでいるってことだ。それならいいんだ、それがいいんだ。だから俺はあいつを探しにいかなかったんだから」

 

 でも、もし。と鶴さんは言葉をつまらせます。
 

「これが本当に喜びの涙であるなら、あいつに。あの子にきっと何かがあったんだ。俺は、俺はそれが一番怖い」
 

 こえ燭ちゃんはとうとう我慢出来なくなってひとつのおめめからぽろぽろと涙をこぼしてしまいます。鶴さんは、瞬いて、自分の分までこえ燭ちゃんが泣いているという様な顔をしました。
 

「君は、あの子に似てるな」
「ち、ち、ちあ、ちあぁ~」
「宣告された冬を越えた、去年の春。君は、塞ぎ込んでいた俺の前に現れた。・・・・・・なぁ、君は、」

 

 鶴さんは泣いているこえ燭ちゃんを手のひらに乗せてじっと見つめてきます。ゆらゆらの揺れるお月さま二つは何かを怖がっている様でした。
 

「君は、・・・・・・あの子じゃないよな?」
「ちあぁち~!!」

 

 こえ燭ちゃんはびっくりして泣きながら首をぶんぶん振ります。だってこえ燭ちゃんはこえ燭ちゃんです、それ以外ではありません。
 確かに目が覚めたとき前の春のことは覚えていませんが、いったいいつからこえ燭ちゃんはこえ燭ちゃんなのか知りませんが、それでもこえ燭ちゃんは首を振りました。だってこえ燭ちゃんは春の妖精さん。春は新しい命に喜び、人々に優しく寄り添う季節。そんな季節に鶴さんをひとりぼっちにしてしまう様な人とこえ燭ちゃんは正反対なのです。
 こえ燭ちゃんの否定に鶴さんはほっと笑います。そうだよな、と自分の失言を笑い飛ばします。

 

「図体でかいあの子がこんな手のひらサイズになるわけないよな~!すまんすまん、変なこと言って」
「ちちぁ~ちあああ!!」
「ああっ、そんなに泣かないでくれ!悪かったって!もうベッドに行こう、寝る前にはちみつミルクを一緒に飲もうじゃないか、な?後、特別にマシュマロもちょっと焼いてやるから!」
「ちぁー・・・・・・ちあ?ちあ!ちあ~♪」
「おっ、さすが食いしん坊。機嫌が治るのが早い。よし、じゃあ行こう」

 

 鶴さんは空いている片手でぱたんと本を閉じて、そのまま窓を閉めました。
 お月さまにバイバイとおててを振るこえ燭ちゃんを乗せたまま振り返ることなく書斎のドアを閉めます。こえ燭ちゃんがいる間、鶴さんはきっとこの部屋に入らないだろうなとこえ燭ちゃんはなんとなく思いました。

 

 はちみつミルクとマシュマロを堪能したこえ燭ちゃんは、大きな大きなベッドの(鶴さんより大きい人が二人寝られそうなくらい本当に大きなベッドなんですから)、鶴さんが寝ている横。小さなバスケットベッドの中で、ぱちりとまばたきをしました。
 こえ燭ちゃんと一緒に温かいミルクを飲んだ鶴さんはすーすーと寝息を立てています。こえ燭ちゃんはベッドから抜け出してその顔を横から見上げました。
 さっきの鶴さんの言葉はこえ燭ちゃんには難しくてよくわかりませんでした。だけど、鶴さんをこのまま独りにしてはいけないことだけはよくわかります。鶴さんのハートを満たしてくれる何かを鶴さんにあげないといけません。
 こえ燭ちゃんはその何かがあの鶴さんが指差した白い綺麗な花なんじゃないかと考え付きました。
 鶴さんの顔を見ながらこえ燭ちゃんが、どこを探せばいいのだろうと考えていると。

 

「○*☆~」
 

 後ろから小さな声が聞こえました。振り向くと、鶴さんのベッドサイドテーブルのすぐ横の窓際に、こえ燭ちゃんよりは大きいけれど大分小さな黒い影が。
 こえ燭ちゃんはふわふわベッドから、よいしょよいしょとテーブルに移り、ぴょこぴょこその影に近づきます。

 

「○*☆~」
「ちあ~」

 

 近づいてわかりました。こえ燭ちゃんを呼ぶその影はねん燭お兄ちゃんだったのです。
 

「――」
「ちぃ~!」

 

 その後ろからひょっこり顔を出したのはぷぎゅ燭お兄さんでした。
 お兄さん達と言ってもねん燭お兄ちゃんとぷぎゅ燭お兄さんは本当のお兄さん達ではありません。ねん燭お兄ちゃんは大きな人達が寝静まった頃、大きな人達のお手伝いをする小人さんですし、ぷぎゅ燭お兄さんは、こえちゃん達やねんお兄ちゃん達など小さいものを守る精霊さんです。二人は特別で、前の春の思い出がないこえ燭ちゃんでもこの二人のことだけは忘れないのです。なんでかとっても不思議ですね。きっと見た目が似ているからかもしれません。だからこそこえ燭ちゃんも二人をお兄さん達として慕っているのでした。
 再会を喜ぶこえ燭ちゃんに二人は何かあったのかと心配そうに聞いてきました。今日は満月です、色んな世界の扉が開く日。二人は久しぶりにこえ燭ちゃんとお話をしに、自分達の居場所から扉を通って来てくれたそうです。そんな時こえ燭ちゃんの大きな泣き声がこの家から聞こえて、すごく心配していたんだとか。
 こえ燭ちゃんは優しいお兄さん達に鶴さんへのプレゼントのお花のことを聞くことにしました。春しかしらないこえ燭ちゃんより、色んな季節の色んな所に行っている二人なら何か知っているかもしれません。

 

「××××」
 

 ねん燭お兄ちゃんはごめんね、知らないよと申し訳なさそうに言いました。
 

「――」
 

 けれどぷぎゅ燭お兄さんは知っているよと言いました。
 ぷぎゅ燭お兄さんの話しによると、その白い花はそれはそれは寒いところに咲くと言います。寒いだけではなく、月明かりをたっぷり浴びた場所、だけど氷の上に咲くのだと言いました。

 

「ちあっ!?」
「――」

 

 信じられない気持ちでこえ燭ちゃんは聞き返しますが物知りぷぎゅ燭お兄さんは本当だよと答えます。何処かから種が運ばれてきて、そのぴったりの場所に落ちなければ咲かない幻の花。ぷぎゅ燭お兄さんも見たことはないと言います。
 

「ち!」
「――!」

 

 こえ燭ちゃんが、咲きそうな場所だけでもいいから教えてほしいと言うとぷぎゅ燭お兄さんは絶対ダメ!と首を振ります。
 こえ燭ちゃんは春の妖精さん、そんな所に行ってしまえば一瞬で消えてしまうと言うのです。でも・・・・・・とこえ燭ちゃんがしょんぼりすると黙って話を聞いていたねん燭お兄ちゃんが口を開きます。

 

「◎*★&?」
 

 それはねんお兄ちゃん達の里に来ないかい?と言うことでした。
 ねんお兄ちゃん達の里は四つの季節が常に四分割されて存在しています。北の土地は常に冬、南は常に夏、と言う風に。
 その北の土地であればもしかしたらあるかもしれないよ?と言うのです。

 

「ちあーち?」
「××××!!!」

 

 こえ燭ちゃんがそこの土地なら、こえ燭ちゃんも消えないですむかなぁと聞くと、それは消えちゃうから冬の土地には行ってはダメ!と言います。
 

「§*℃@」
 

 冬の土地には僕が行く、こえ燭ちゃんは春の土地で待っていてほしいと言いました。それならこえ燭ちゃんが行く意味ってなんでしょう、こえ燭ちゃんは首を傾げます。
 するとねん燭お兄ちゃんは言います。
 そのお花を見つけるのにどれくらい掛かるかわからない。けど、満月は今日だけで扉は閉まってしまう。こえ燭ちゃんがここに残ったら、こえ燭ちゃんは眠りについてしまうから鶴さんに白い花を渡せないよ、と。だから今日、僕と里に行こうと、言うのです。
 ぷぎゅ燭お兄さんもそれはいい考えだねと言いました。こえ燭ちゃんがいれば、こえ燭ちゃんを目印にお兄さん達は満月の扉を通ってこの場所にやって来ることが出来ます。
 だけどこえ燭ちゃんが眠ってしまえば、例えねん燭お兄ちゃんがお花を見つけても、ここに持ってくることは出来ないのです。だから、ねん燭お兄ちゃんの提案は一番いい方法でした。

 

「ち・・・・・・」
 

 こえ燭ちゃんは迷います。鶴さんに花をあげるにはねん燭お兄ちゃんと一緒に、ねんお兄ちゃん達の里に行くのが一番可能性が高いのです。だから、こえ燭ちゃんは本当なら、このままねん燭お兄ちゃんとおててを繋いで満月の扉を通らなくてはいけません。
 

「ちあー」
 

 けれどこえ燭ちゃんは首を振りました。
 

「○×○×??」
「――?」

 

 お兄さん達がどうして?と聞いてきます。
 

「ちーち。ちあちあー」
 

 こえ燭ちゃんはこのまま鶴さんを独りには出来ないと答えました。鶴さんはきっと、このままこえ燭ちゃんがねんお兄ちゃん達の里に行って、次の満月に白いお花を持ってきても、喜んではくれない様な気がしたからです。
 春は年々短くなっています。こえ燭ちゃんが起きていられるのも、たぶん片方の指(こえ燭ちゃんに指はないので鶴さんの指で数えることになります)が折られる分くらいでしょう。そしたら春が終わってしまいます。でもその少ない日にちの中で。この春の中で、鶴さんのハートを満たせなければ鶴さんのハートはしおしおに枯れてしまう。そんな気がしてしまうのです。
 だからこえ燭ちゃんは白いお花を諦めることに決めました。
 それを伝えるとお兄さん達はそれでいいのかい?とこえ燭ちゃんに問いかけてきます。だからこえ燭ちゃんはちあ!と大きく頷きました。
 鶴さんはきっと、最期まで寄り添ってほしい人がいたのです。白いお花を撫でていたのは、それが欲しいからではなくて、その人に会いたいのです。さっき、このまま鶴さんと離れなければいけないのかと迷ったこえ燭ちゃんはそのことに気がつきました。
 本当なら鶴さんの会いたい人を連れてきてあげたい。だけどそれが出来ないから、せめてこえ燭ちゃんだけはどこにもいかないと、鶴さんに伝えたい。心配そうなお兄さん達に、こえ燭ちゃんはそう笑いました。
 こえ燭ちゃんは春の妖精です。皆に優しく寄り添う春。そのこえ燭ちゃんが、独りぼっちの鶴さんの元から離れていくことは出来ません。そしてそれだけではなく、こえ燭ちゃんが鶴さんのことが大好きだから、このまま鶴さんと一緒に居たいんだともお兄さん達に伝えました。

 

「○*◎%!」
「―――」

 

 お兄さん達は、そうかい。それなら僕たちはこのまま帰るよと笑って言ってくれました。こえ燭ちゃんの気持ちを分かってくれたようです。
 

「―――」
 

 けれどひとつだけ、とぷぎゅ燭お兄さんさんが言いました。
 春の最後の日の夜には、必ずチューリップさんの所に帰りその中で眠ること。そうしたらチューリップさんが眠るこえ燭ちゃんを優しく抱き締めて、次の春まで守ってくれるから。春が終わった次の日の太陽を浴びたらこえ燭ちゃんは消えてしまうから、気を付けなさいと言いつけました。
 そんなこともう何回も繰り返してること。こえ燭ちゃんは春の妖精さんだから、言われなくても分かっていることです。ですが、ぷぎゅ燭お兄さんは真剣に言いました。
 こえ燭ちゃんはちあ!とおててを大きくあげて返事しました。ぷぎゅ燭お兄さんとねん燭お兄ちゃんはそれに安心したように頷いて、それじゃあ帰るよ。また来るねとこえ燭ちゃんにおててを振って窓から去っていきました。
 こえ燭ちゃんもばいばーい!と大きくおててを振りました。二人が見えなくなっても振りました。
 そして、しばらくすると一人でしくしく泣きま始めました。こえ燭ちゃんは初めてお兄さん達に嘘を吐いたのです。それが悲しくて、もう二人に会えないのが悲しくてしくしく泣きました。

 しくしくが止まらないままこえ燭ちゃんはベッドに戻りました。ふあふあのベッド、鶴さんが作ってくれた素敵なシーツにくるまっても涙が止まりません。
 

「どうした?」
「!」

 

 暗闇の中鶴さんの声がしました。シーツから顔を出すと、涙の膜の向こうに眠たそうな鶴さんの顔がありました。
 どうやらこえ燭ちゃんが泣いているのに気づいて目が覚めたようです。こえ燭ちゃんのしくしく声なんて、風の音より小さいのに鶴さんは気づいてくれました。

 

「怖い夢でもみたのか?」
「ち・・・・・・」
「そうかぁ、怖い夢は嫌だよな。起きた時、独りなのも嫌だよな・・・・・・」

 

 鶴さんは眠たそうなまましみじみと言います。
 

「なら、そうだな。おまじないをかけてやろう」
 

 鶴さんは手を伸ばしてこえ燭ちゃんのベッドをゆーらゆーら、ゆりかごの様に優しく揺らし始めました。
 

「さぁさ、目を瞑ってごらん。そして思い浮かべて見るんだ。君の目の前には何があるでしょう」
「?」
「目の前には大きな大きなホットケーキ。ミツバチさんが分けてくれたはちみつがたっくさんかかっている」

 

 鶴さんは続けます。ホットケーキの横には春色のマカロン。イチゴのショートケーキに、パフェもあります。タラの芽の天ぷらなんて、渋い一品も出てきました。
 

「最後に出てきたオムライスはとろとろで、俺と君の分、それぞれケチャップで名前が書いてある。いただきますと食べ始めると、今度はあまーい匂いが漂ってくる。なんだと思う?」
 

 こえ燭ちゃんの目の前には鶴さんが美味しそうにオムライスを食べている姿が浮かんでいます。そこに漂ういい匂い。なんの匂いでしょう?目の前の鶴さんがおーい、何を作ってるんだい?とキッチンにいる人に聞きました。するとキッチンから返ってきた答えは。
 

「ちあぁ~」
「そう、イチゴジャムだ。毎年沢山買い込んでる苺から出来る手作りジャムの匂い。買ってきた分の半分は君に食べられてしまったから、いつもよりちょっと量が少ないな。だけど味は間違いない。レモンが効いてて美味いんだ」

 

 こえ燭ちゃんが頭に浮かべている風景の中。鶴さんとこえ燭ちゃんは、おめめをきらきらさせて顔を見合わせます。そして、それを何にかけようかお話をするのです。キッチンにいる人がこっちに来るのを持ちながら。
 ふわふわ、ふわふわ。こえ燭ちゃんの涙はいつの間にか止まっていました。ふわふわ、ふわふわ。ぷわぁとあくびが出て、そのまま体がぷかぷかと浮いているみたい。鶴さんはやっぱり魔法使いです。こえ燭ちゃんは美味しいイチゴジャムを待っている楽しい気持ちのまま眠りに落ちていきました。

 

「おやすみ、――」
 

 鶴さんは自分にもおまじないをかけていたのかもしれません。最後に呪文の様に誰かの名前を呼びましたが、オムライスを食べる夢を見ているこえ燭ちゃんには誰の名前かわかりませんでした。

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