ぽかぽか陽だまりの中、縁側で二人並んでいる。隣に座っているのは光忠ではなく青江だ。
「しかし驚いたぜ。こんなに時が経っても奴らとの戦いは続いてるのか」
「永遠のイタチごっこだからねぇ。時が流れる以上仕方ないことさ。後悔や苦しみをどう乗り越えていくか、じゃなくてその後悔や苦しみ自体をなかったことにしようって輩は吐いて捨てる程いる」
耐え性がないよねぇと肩を竦める青江は、今や人間ではなく本来の気を纏っている。
かつて鶴丸と光忠が所属していた組織にこの青江も所属している、といっても仕える人間は違うのだが。
その青江は今回鶴丸が敵側に堕ちることがないように隣人としてずっと見張っていたらしい。鶴丸は大分前に組織を離れ、生まれてくる目印を探し彷徨っていた。戦いからは随分無縁だったが、愛する者の魂に執着している鶴丸はきっかけがあれば敵側に寝返るだろう要注意人物として認識されていたらしい。まったく人の知らない所で勝手な話だ。
「というか、3年の現代遠征ってどんだけ重要任務だよ」
「それだけ貴方が堕ちてしまうって言うのは、奴らにとっては大歓迎で僕らにとって脅威だったってことだよ。長い間一つのものに執着していた者が堕ちると、本当に厄介なんだ。後、3年というけれど、あの家は僕の本丸に通じてるからね、時間の流れがちょっと違うのさ。僕もちょくちょくあっちに帰ってたから言う程、大変でもなかったし。貴方や光忠くんと猥談したり遊ぶために来てたようなものさ」
「だから猥談してないっつってんだろ」
呆れたように溜め息をつく。青江はいつものようにふふふと笑い流した。鶴丸の知っている青江も確かこんな感じだったと思いだす。懐かしい。その懐かしさを青江の家でもよく感じたものだ。青江の家は青江の本丸に繋がっているという、だからあの家はいつも懐かしい感じがしたのか、と今更気づいた。
「光忠くんがいてくれてよかった」
意味深に笑っていただけの青江がしみじみと呟いた。
「光忠くんがいなかったら貴方は絶対堕ちてた。僕は確信してる」
「・・・・・・かもな」
「まあ、そうならないと分っていて彼も眠ったのだと思うんだけど。それに光忠くんと貴方が逢えたのは彼のお陰だしね」
きょとんと青江を見てしまう。彼とは、子供の中で眠った光忠のことだろう。
「彼はただ貴方を抱き締めるために体を欲していたみたいだけど、もしかしたら鶴丸さんを光忠くんの所に導いてくれたのかもね。人一倍愛情を必要とする貴方の為に」
「どうだかぁ。あいつ意外に大雑把だからなぁ。今頃光坊の中で、結果オーライ!とか笑ってるぞ。人のこと困った人とか散々言ってたけどあいつも大概なんだ。俺がどれだけあいつに振り回されていたか」
最近ようやく思い出せるようになってきた二人の幸福な日々。そこに見えるのは優しくてかわいくて美しくて格好良い光忠。しかしそれだけではなく、マイペースで、変な所頑固で、少々口うるさくて、そういう部分も沢山あった光忠も確かにいた。思い返せば何だかんだと苦労も多く、自分の中であの日々は美化されたまま忘れていたのではないかと思ってしまう。
けれど愛すべき日々には違いなくて、思い返しながらやはり泣いてしまうことも多い。寂しい、どうして今隣にいてくれないんだ、と。
そういう時は、鶴丸の思い出話を聞いてくれる小さな光忠がすぐ抱き締めてくれるのだ。つるさんと名前を呼んでぎゅうと強く抱いてくれる。
だから鶴丸も思い出そうとすることが出来る。
日々過ごす未来が、辛いだけで思い出したくなかった過去の日々も愛しいものに変えてくれる。未来の愛し子が、過去の光忠の気持ちを思い出させ、二人で鶴丸の寂しさを埋めてくれている。青江が言ったように、人一倍愛情が必要な鶴丸の為に。
未来が過去を変えていく。
「過去を救うのは過去じゃなくて、未来にあるんだと信じられれば時を繰り返そうなんて思わないのにね」
ブロック塀の向こうで、可愛らしい女の子と、優しそうな母親の声が聞こえてくる。今日は休日だが、1年生の帰宅時間にいつも聞こえてくる声と同じものだ。青江がいつもとは違う、初めてみせる幸せそうな笑顔を乗せた。きっと二人の声に聞き覚えがあるのかもしれない。そしてその声が楽しげなことに喜びを感じているようだ。
「そうだな」
鶴丸は根拠もないのに、きっとあの二人こそが青江の過去を救ってくれた未来なのだろうと思った。その事について言及はしないが。
「つるさぁん~」
楽しそうな母子の声が遠ざかっていくのを二人で聞いていると、とことこと縁側に光忠が現れた。この間測った柱の傷より上にある子供の顔を見つめる。何故か半べそを掻いている。
「どうしたんだ、光坊」
答えないまま座る鶴丸の横にぺたりと座り込み、両腕と共に顔を鶴丸の太腿へと伏せた。体制が完全に拗ねを表している。
その黒い頭をぽんぽんと叩く。青江も不思議そうに光忠へと声を掛けた。
「何かあったのかい、光忠くん」
「そら、俺達に話してみろ」
いつもの様に両脇に手を入れて体を浮かし、鶴丸は自分の太腿へと光忠を座らせる。光忠は手に何か持っているようだ。
「・・・・・・お母さんとお父さんにわらわれたぁ。ぼくのしょうらいのゆめ」
「将来の夢?」
「書き直したやつか」
「うん・・・・・・」
「そいつはひどいなぁ」
微笑ましく笑うならまだしも、光忠がこんなに拗ねるくらい笑うとはあんまりだ。かわいそうにと、俯く頭を撫でた。二つの双葉、もとい旋毛がふよふよと鶴丸の手に合わせて動くのがかわいい。
「よーし、ここで読んでみろ光坊。元はと言えば俺が君に、俺を眠らせた後の夢を聞かせてくれって言ったんだ。君の将来を夢見た方がもっと楽しく眠れるってな」
「鶴丸さん、子供の夢に対してそれは重くないかい?」
「お、重くないっ。光坊が将来の夢を持てないんじゃないかって心配してただけだ。さぁ、光坊、鶴さんに作文読んでくれ。絶対笑ったりしないから」
顔を覗き込み、視線を合わせて頼み込めば、沈黙のまま迷い、結局こくんと頷いた。鶴丸の太腿から立ち上がり、鶴丸と青江の間の少し後ろ側に立つ。両腕を前にびしっと伸ばし、両手で作文を広げた。気分を取り直し発表してくれるらしい。はきはきとした声で読み始める。
「ぼくのしょうらいのゆめは、アロマキャンドルになることです」
「ぶふっ」
「ふふ、」
「・・・・・・わらった?」
「全然、ちっとも、まったく。さぁ続けてくれ」
作文から顔をずらし、光忠が鶴丸達を見る。真顔を作り否定をして続きを促した。
「・・・・・・うん。ぼくのしょうらいのゆめはアロマキャンドルになることです!アロマキャンドルはとってもいいにおいでとってもすてきだからです。ぼくは今どうやったらすてきなねむりが出来るかいっぱいたくさんしらべてます。その中でアロマキャンドルが一番すてきでした。いいにおいだしきれいだし。だからぼくは大きくなったらアロマキャンドルになりたいなぁと思いました」
「ぅぐっ」
「耐えるんだ、鶴丸さん」
口を手で押さえる鶴丸の背中に青江がそっと優しく触れた。
「ぽっかりしてる火はこわくないです。あったかくて見てる人をとってもいい気もちにしてくれます。それでいていいにおいです。とても気もちよくしてくれます。ぼくはアロマキャンドルになったら、みんなのことをしあわせにしたいです、せかい一かっこいいアロマキャンドルになって、カメムシさんやスカンクさんがいじわるでくさいにおいさせたって、ぜったいまけないつよいアロマキャンドルに、」
「青江、あおえっ、むりだ、もう、限界っ」
「もう終わるよ、ほら、最後のページだ」
「無理ッ!!」
必死に耐えて見せるが如何せんもう体の震えが限界に達している。耐えているのだ、もう限界まで。薄い腹筋が悲鳴を上げる程に。
「ぼくはにんげんだけどアロマキャンドルになるとたいへんだなぁと思います。アロマキャンドルにはまだなれたないことがないのでなれるのかとてもふあんです。もしまちがって、おたんじょうびのケーキのろうそくになってしまったらぼくのいのちはいっしゅんでふきけされてしんでしまいます、かなしいです、まちがわないようにしたいです」
「ッだぁーはっはっはっは!!!!あっはっはっはっは!!!!ひー!!!!」
「あーあ、無理だったか」
もうとうとう耐え切れなくて、後先どうなるかなんて考えず溜まっていた大笑いを吐き出した。腹が痛い。痛すぎて、縁側にごろんと倒れる。
「ひっ、な、なんで人間やめちゃうんだっ、間違わない方法あるのか。ッ、ってか、なんでよりにっよって、キャンドルを選ぶっ!?」
「アロマキャンドル切り光忠・・・・・・」
青江の呟きにぎゃひー!!!と奇声で笑ってしまう。もう絶対笑い死ぬと分ってたから自分では言わなかったのに。やめろ、殺す気か!!と過呼吸起こしそうな勢いで訴える。第一それではアロマキャンドルである自分を自分が切っていることになるではないか。
笑いに笑って、なんならこの状態のまま眠りにつくのも悪くないと思うぐらい笑って。息も絶え絶え、腹筋の痙攣がやっと治まったころ縁側にうつぶせたままふーっと息を吐いた。
「はぁ、苦しかった。いやぁ、光坊、良い作文書くなぁ。やっぱうちの子天才だわ。なぁ、光坊・・・・・・光坊?」
返事がなくて顔を上げれば、光忠はさっき立っていた所ではなく、何故か青江の太腿に跨り青江の胸に真正面から顔を埋める様にして抱きついていた。
「鶴丸さん、アウトー」
「アウトなのはその態勢だろ、青江!」
「おや、卑猥。ってアウトなのは鶴丸さんだよ、光忠くんもう完全に心閉ざしてる」
可哀相な光忠くんといってその小さい体をぎゅうと見せつける様に抱きしめた。
「なんで俺だけを加害者にするんだ、君だって最初笑ってただろう!なのに何故光坊の味方ポジションを獲得してるんだ、このちゃっかり青江!」
「僕は光忠くんのあまりの可愛さに笑みを零しただけさ。親鳥を取られたからってぴいぴい抗議するのはどうかな、雛丸さん」
抗議すればスパッと切り捨てられる。そうだ、青江とはこういうやつなのだ。
親鳥は俺だと言いたいところだが、青江の言うこともあながち間違っていない。無償の愛で鶴丸を包むこの小さな雛は、確かに親鳥でもある。
ぐぬぬと反論が出来ない為、対象を青江から光忠へと移す。
「光坊、そいつは危険だ。こっちにおいで」
「・・・・・・」
「やだってさ」
沈黙を持って光忠が拒否を表す。
光忠は一度拗ねるとどんなに宥めすかしても機嫌がなかなか直らない。いつもいい子な分、厄介なのだ。
それなら、と鶴丸は両手で顔を覆って涙声を作った。
「光坊~、鶴さん、君が居ないと眠れないんだ~光坊に見捨てられたら~」
おーいおいおーいおいと鳴き声を上げていると、今まで微動だにせず青江に抱きついていた体がもぞもぞと動き出す。
「・・・・・・まぁったくもう、つるさんったらしかたがないんだから。青江お兄ちゃんありがとう、もうだいじょうぶ」
「君も苦労するねぇ」
「そう言ってくれるのは青江お兄ちゃんだけだよ」
二人だけでわかり合って、うんうん頷いている。相変わらず仲が良い。そう言えば鶴丸の本丸でも光忠と青江も同郷のよしみだなんだと仲が良かった。あの頃もよく青江に二人の仲をニヤニヤされていたなぁと、愛しい日々をまた思い出して、空いた胸にことりと、愛しさが落ちた音が聞こえた。
「ほら、つるさんなかないんだよ。ぎゅってしてあげるから」
「光坊~」
青江の元から帰ってきた光忠がぎゅむっと抱きしめて、よしよし宥められる。さっきはあんなに拗ねていたのに。鶴丸がこういう風に甘えれば親鳥精神で機嫌を直してくれるらしい。なんてちょろくてかわいいんだ。よくよく覚えていよう。
「なきやみましたか?」
「はぁい」
黒い左目と金の右目が、仕方がない鶴丸を見つめている。洞穴の中でただ消えたように見えた光忠の欠片は、こうして現代を生きている子供の中へ戻っていた。光忠の魂は完全な、本来の無垢なものとしてこの世界に循環している。
嘘泣きを止めた鶴丸の腹に背中をぽすんとつけて、光忠が鶴丸の上に座る。青江と並んで、三人は庭で成長している光忠と同い年の木を眺めた。
「青江お兄ちゃん、あの子たち、ぼくと同い年なんだよ」
「そうらしいねぇ。鶴丸さんとお父さんが埋めたんだろ?前に鶴丸さんが言ってたよ」
「そうなのーかっこいいでしょー。あの子たちはねぇ、せかいいちかっこいい木になるのー。このおうちより大きくそだってねぇ、とおいお空の上からでもちきゅうのうらがわからでも見れるくらい大きな木になるのー、たのしみだよね!」
「一方光坊はアロマキャンドルになるのだった。はははは!!!」
「わぁ!つるさん、きゅうにうしろにたおれたらびっくりするでしょ!もー」
鶴丸が後ろに倒れると背中を預けていた光忠も一緒に倒れる。抗議しながらも、二人で仰向けで重なっていることがおかしいらしく、きゃっきゃと笑い始めた。青江は眩しそうに二つの木を見ている。光忠が今言ったような未来での姿が見えるかのように。
「遠い空や地球の裏側から見れる木か、それは楽しみだ。そんな楽しみがあるなら、お兄ちゃんももうちょっと頑張ろうかな、未来を守るために」
「はは、柄でもないな、青江」
「ふふ、そう思うよ」
青江もごろりと横になる。縁側に寝そべる三人に穏やかな風が吹いた。
光忠と同じ年の木が目の端に入ったまま。二本の木はまだ幼く、ブロック塀を超えることすらしない。しかし、いつの日か、大きくなって、あの木に鳥が巣を作り、そこで雛が孵るかもしれない。そんな想像をしてみる。
雛が親鳥を求めぴいぴいと鳴く声を、この縁側のついている部屋。光忠が生まれた部屋で鶴丸は微笑ましく聞くのだろう。騒がしいなあ、これじゃあまだ寝られないと言いながら。
そして、愛されてすくすく育った雛が、巣に親鳥への愛を残して飛び立った頃。鶴丸はやれやれようやく静かになったと首を振る。
傍らには黒と金の瞳。太陽が明るいのに、昨日挨拶した時の様に、鶴丸はその瞳におやすみと、言う。愛しい人と愛し子二人の、ただ一つの名前を呼んで。おやすみと笑うのだ。
黒と金の瞳も笑っておやすみと言ってくれる。
その時の鶴丸は今から一人で眠るというのに寂しくともなんともない。
心の中が溢れるくらいハートと思い出でいっぱいで、その上、優しいおやすみのキスが訪れるのだから。
そんな眠りを、未来を、気が遠く成るほど待っていた。今も待っている。
「けど、その未来はもちっと後でもいいかな」
せめてこの愛し子がアロマキャンドルではなく人間の美青年になるのを見届けて安心してから。
今更自分勝手なことを呟く鶴丸の耳に「やっぱり困った人」と愛しい人の笑う声が聞こえた。