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「これはひどい」


 絶望溢れる声に目を覚ませば、朝になる前の、小さく差し込む光を反射している白銀が開ききらない目に入った。瞼が重くて、世界はぼやけている。
 

「これはひどいな、我ながら」
 

 もう一度声が呟いて、身に触れる感触がある。体のあちこちを辿る指に少しずつ頭が覚醒していく。それでもその人物と自分がどういう状況なのか、把握が出来ない。
 

「いくら腹が立っていたとはいえ、煽られ過ぎて理性が切れていたとはいえ、やりすぎ、だよな」
 

 指は労るように半月型に肌をなぞる。時々ひりつく箇所がある。鎖骨がびりとした。
 

「いや、だって、俺、悪いかな。この子一気に爆弾落としすぎだぞ、俺はてっきりあの夜は酒の勢いでああなったから勘違いしないでほしいって言われるのかと一瞬肝を冷やしたってのに。俺のこと襲ったとか言い出すし、俺の刃生一番最初の幸せな夜を変な風に忘れて、土下座するし、」
 

 腹の上を手のひら全体で撫でられる。ふわふわする頭にはただ気持ちがいい。
 

「なんだよ頭の中で何度も抱かれてたとか。どんな破壊力だよ」
「だぁいっ!?」

 

 意味のなさない奇声をあげて、体をがばっと起こした。今まで触れてい鶴丸の手がびくっと離れていった。開きにくい瞼を必死に開いて目の前の人物を見つめる。ぼんやりと二重に見えるのは眼帯が外れていることを燭台切自身に思い出させた。
 昨日、鶴丸の強い手によって、その下に隠していたものを暴かれた。ずっと飲み込んでいた、壁に隠していた気持ちを吐き出させたのと同じく。燭台切の中を全て鶴丸が強引に暴き、その中に鶴丸を教え込んでいったのだ。この夜は忘れることがないように、そして、どれだけ鶴丸が燭台切に欲を持っているか、それを知らせるように。いくら快楽で頭がまともに動いていない燭台切でも疑いの余地がない程、それ程昨夜の鶴丸は凄まじかった。
 それを思い出して、頬に熱を持ちそうになる。

 

「あの、つるさ、ん?んん、あれ?」
 

 自分の声に驚いて喉を押さえた、驚くほど掠れている。鶴丸の唇の中で散々喘ぎ、噛まれては痛みに声をあげ、最後はただ鶴丸の名前と好きを繰り返した。こうなってしまうのも仕方がないのか。
 

「とりあえず水を飲め」
「うん」

 

 すっかり着流しを綺麗に整えている鶴丸が昨日光忠の胸元を濡らした水を渡してくる。素直に受け取った。こくりと喉を潤す、唇の感触がなんだかおかしい、たぶん口吸いを繰り返していたせいだろう。そのせいか水が口の端からこぼれる、喉を伝う滴を手で拭えば、そこではたと、自分が何も身に付けていないことに気がついた。自分の布団の上、下半身に掛け布団が掛けられているだけだ。コップを起き、気恥ずかしさから掛け布団を上半身まで引き上げようとして固まる。
 自分自身の体につけられた、跡。赤い印と狂暴な歯形。腰を逃がす燭台切を何度も引き寄せたせいで腰にくっきりと浮いている鶴丸の手の跡。行為の生々しさが体のあちこちに散らされていた。
 恐らく下半身にも、ある。内太股の跡なんて恐ろしくて確認出来ない。

 

「~っ!?」
 

 思わず涙目で鶴丸を見つめた。
 鶴丸は昨日の夜とは別人かのように眉を下げる。

 

「嫌いになったか?」
 

 しゅんとしょげている。
 

「君の頭の中の俺は、さぞかし君を優しく抱いていただろう。あの夜のように。こんな狂暴な男だとわかって幻滅したか?頭の中で君が俺に抱かれて、」
「鶴さん、わざとだろう!?何度も言うのやめて!!」
「いやぁ、それほど衝撃がでかかったもんで」

 

 頭をがしがしとかきながら鶴丸が苦く笑う。
 

「ちゃんと反省はしてる。やりすぎたかなぁって。しかし、君もバッチリ覚えているようだ。君の中で天使のように清らかな俺がどれ程欲に塗れた目で君の事見ていたか、ってのもわかってもらえたようだし、ま、いいよな!」
「よくない、お風呂に入れないだろう!」
「俺が拭いてやる。なぁに、愛を交わした恋人の体を清めるってのは昔からの憧れさ。ずっとやってみたかったんだよなぁ!特に初めての朝はさぁ!?」
「ずるい!それ言われたら何も言えないじゃないか!」

 

 抗議する燭台切に鶴丸は痛いところをついてくる。結局あの夜を忘れていたのは燭台切の方だった。慣れない酒と、強い快楽は意識を混濁させ、元から持っていた鶴丸への後ろめたさが記憶をねじ曲げていた。
 鶴丸が幸せだと心に刻んでいた夜に対して、鶴丸を汚してしまった、折れてしまいたいと苦しい夜として打ち返してしまったのだ、鶴丸が怒っていたのも仕方がない。
 立場が逆なら燭台切はショックのあまりどうすればいいかわからなかっただろう。
 初めて触れた夜のことを、君を無理矢理抱いてしまった。俺は折れたいと土下座をした鶴丸に言われれば、幸せな夜は霞のように消えてしまうこと間違いなしだ。
 鶴丸の言葉に何も言えなくなる燭台切の唇に鶴丸は手を伸ばした。親指がぐと唇を割って、こじ開けた奥歯の間に収まった。

 

「黙るな。口を使え」
「ひゅるひゃん」
「君はなぁ、溜め込みすぎるんだよ。君は溜まりやすいんだから、例えば性欲とか、あ、いで、噛むな噛むな」

 

 真剣な顔して何をいうかと思えば下ネタだったので奥歯でがじがじと指を噛む。鶴丸が痛い!と涙目になったところでようやく止めてやる。
 

「あ、はぁー痛かった。・・・・・・とまぁ、半分本当の冗談はさておき、光忠、君はもうちょっと自分の中にあるものを小出しにすることを覚えようぜ。今回の事だけじゃない。君はすぐ自分の考えてる事とか思ってることを体の中に隠して溜め込んで、なんでもない様に笑ってしまうから、俺はちょっと君が心配だ」
 

 優しい目をして言う。一人で勝手に気疲れして、項垂れていた燭台切を労ってくれていた時と同じ顔だ。
 

「肉の体は触れるだけでは中に閉じ込めているものは、わからない。今回のことがいい例だな?体を交わしてさえ上手く伝わらない。そう、口に出さなければ伝わらない思いばかりだ。俺は昨日君が、俺を好きすぎる程に好きだということが知れたが、同時に今も君に最低、嫌い、粘着男、鶴の皮を被った猛禽類、死ねと言われるんじゃないかと怯えている。な、これも言わなきゃわからなかっただろう?」
 

 いくらなんでもそんなことは言わない。粘着質と猛禽類は少し思ったが。
 鶴丸の空いている手が燭台切の手を取り、鶴丸の左胸へとくっつけた。手のひらから鶴丸の早い鼓動を感じる。鶴丸は本当に怯えているようだ。それが鼓動から伝わる。

 

「そりゃ、全部言えとは言わない。けれど言って欲しいことが圧倒的に多い。君の嬉しいも楽しいも、悲しいも苦しいも気持ちいいも俺は知りたい。君が飲み込んだ気持ちに気付かず、誤解して、すれ違って、傷つけ合う。俺は君とそうなりたくないな」
「ほくも」

 

 神妙に頷いたのに親指が邪魔をして空気が抜けた。格好悪いからいい加減指を抜いてほしい。
 

「気持ちは飲み込むのでも、隠すのでもなく、大切に仕舞うものだ。宝物は、好きな相手に見せたいものだろう。俺は、君のそういう相手にはなれないかな」
「はっへる、もう、はっへるよ」

 

 気の抜けた燭台切の声にか、その言葉にか、鶴丸は難しそうだった顔を和らげる
 

「光忠、何かあったらちゃんと言ってほしい。少しでも誤解が減るように話をしよう。君の気持ちを教えてくれ。嫌なこともいいことも。折れたいって思うような何かがあったら俺に言ってくれ。・・・・・・だから俺を避けるのは、出来ればやめてほしい。俺でもさすがに傷つくから、それは覚えていてくれ」
 

 そこで鶴丸が初めて辛そうに笑った。この一週間、鶴丸となるべく視線を合わせず、言葉も交わさないように努めて触れられるのを怖がっていたことを思い出した。申し訳なさで心が痛む。
 

「もちろん、俺もそうする。君に俺の気持ちをきちんと話す。でもそれでも上手く行かない時は、こうして抱き合おう。俺の腕の中においで。君の中にあるもの、俺の中にあるもの、二人で全部曝け出して、わかり合おう。俺達の関係なら許される方法だろ?」
 

 鶴丸が口から手を抜き、両手を広げて燭台切を腕の中に閉じ込めた。鶴丸の左胸に触れている手からは早くなった鼓動が伝わる。
 

「人は難しいよな。さっきは体を交わしてもわからないと言ったが、実際こうして触れることで伝わることもある。でもやっぱり口に出さなければわからないこともある。気持ちを重ねてる二人でも少しずつずれていく。それを補う為やお互いを理解し合う為にはきっといろんな方法を試さなきゃいけない。でも君となら苦じゃない、と俺は思ってるよ」
 

 黙って聞き続ける燭台切の目を見つめ鶴丸が言った。それにこくんと頷いた。鶴丸の目が優しく細められたかと思えば、突然瞳に不安の色と本当にしょげている感情を乗せる。
 

「光忠、この一週間、君の辛さに気づかなくてごめんな。舞い上がって周りが、君すら見えてなかった。昨日も、感情だけに任せて手荒いことをしてしまった。本当に、ごめん。こんな俺を許してくれるか?」
 

 燭台切の後ろに回ってる手が労わるように背中を撫でてくる。肌に伝わる心臓の音が鶴丸の不安を伝えてくれた。何故だろう胸が詰まる。言葉も同じように。鶴丸にはそれがわかるだろう、でも、口に出さなければ、わからないこともある。要領を得なくても、意味がわからなくても。
 この人と分かり合いたいと思うなら、自分の言葉を飲み込んではいけない。

 

「・・・・・・つる、さん、僕ね、辛かったよ」
「うん」

 

 鶴丸の問いかけに明確な答えを返さない燭台切にも、鶴丸は優しく頷いて言葉を待ってくれる。
 

「鶴さんに触れてもらえた夜が、すごく辛かった。忘れたかった、なかったことにしたかった。なのに鶴さんがあの夜を覚えててくれたら、実は俺も君が好きだったって言われるの本当は、期待してた、バカでしょ?どんだけ頭おめでたいのって話でしょ、そんな自分、気持ち悪くって」
「うん」
「ずっと、ずっとね、鶴さんが好きだったんだよ。大好き。好きなんだ、言葉じゃね、表せられないくらい好き。でも全部飲み込んだよ、だって気持ち悪いでしょ、こんなの」
「全然」
「気持ち悪いよ、気持ち悪い。鶴さんを汚れた目で見る僕なんて、刀じゃない、神様でもない。汚ならしい」
「君、意外と変なところで潔癖なんだよなぁ、堆肥は平気で触るのに。・・・・・・それで?」
「僕の気持ち、知られたくなかった。怖かった、鶴さんに嫌われたくなかった、今もずっと怖いんだ、嫌わないでってずっと思ってる」
「そうかぁ」

 

 鶴丸は燭台切を抱き締めたまま、ゆーらゆーらとゆっくり優しく揺れる。言葉はなくても、大丈夫だとあやしてくれている。
 

「怖いからって伝えることから逃げて、勝手に爆発させて、ずっと一人で罪悪に酔って、鶴さんに嫌な思いさせた。僕の方こそ、ごめんなさい」
 

 唇を噛み締めて、でも、それだけじゃダメだと最後の一言を付け加える。
 

「・・・・・・許してほしいんだ。許して、くれる?」
「もちろん。君も、俺を許してくれるか?」
「っもちろん!」
「よかった」

 

 君が許してくれて、君に嫌われなくて良かったとふんわり鶴丸が笑った。心底安心しきった笑顔に、涙が出てくる。もう飲み込まなくていいのだ。好きという言葉も嫌わないでという言葉も、こんなみっともない涙も。ずっと隠していた言葉も、もう飲み込まなくていい。
 

「くにながさん、すき、大好き」
「ふぇあ!?」
「ずっとこう呼びたかったんだ。くにながさん、好きだよ、ずっと好き。こうして抱き締めてくれてすごく嬉しい」
「ちょ、ちょっと光忠、一旦離れようか」
「やだ」

 

 体を離そうとする鶴丸に逆らって燭台切は鶴丸を抱き締めた。
 

「やだ、離れていかないで」
「離れないと、俺の脆い理性がこのまま君を、こら、力緩めろ、君、もう腰に力入らなくて動けない癖に。俺は言って欲しいことが多いとは言ったが何も気持ちと言葉を爆発させろと言ったわけではないんだぞ」
「くにながさん、好き。僕のこと嫌い?」
「好きだ、大好きだ。可愛いやつめ、俺を鬼畜にするつもりか、やめろ、俺は君に嫌われたくない。後、君に無理させて、皆から非難を受けるのも嫌だ、殺される」
「僕以外の人のこと考えるの?・・・・・・くにながさんのいじわる」
「ひ、バカ!」

 

 赤く色づく耳に囁いて、かぷりと噛んだ。鶴丸の体が大袈裟に揺れる。
 

「余所見したらやだ、離れたらだめ」
「き、君、やっぱり末っ子気質だよな。昨日もやだ、だめばかり。強い理性の欠片かと思えば、駄々っ子の本性が出ていた所か、この甘えん坊!」
「嫌い?気持ち悪い?」
「大好きです!」

 

 鶴丸もまた両手を広げて抱き締めてきた。二人でぎゅうぎゅうと苦しいほどに抱き締め合う。
 

「幸せ」
「ああ、幸せだ」
「大好き」
「俺も、大好き」
「あいしてる」
「それは俺から言わせて欲しかったなぁ」

 

 とさっと、布団の上に優しく落とされる。だいぶ明るくなっている光は鶴丸の顔をよく見せてくれた。やはり清らかな人だ。欲に塗れていない美しさ。けれどその下に仕舞っているものは綺麗なだけではないと教えてくれた。だからこれは、欲に塗れていない美しさじゃなくて、誰かを愛する美しさなのだろうと思うことにしよう。燭台切ばかりが欲に塗れているわけじゃないということを知った。もう罪悪を抱かなくてもいいのだ。
 うっとりと見上げる燭台切を鶴丸が見下ろしている。幸福を胸一杯に溢れさせながら、言葉として気持ちを伝える。

 

「あいしている、光忠」
 

 露になった左胸に鶴丸の手が触れた。暖かい声と、体に優しく落ちた熱が肉の壁を飛び越えて燭台切の中に気持ちを届けてくれる。
 燭台切は嬉しい、と呟いて今まで飲み込んでいたものがすっかりなくなったその場所に、鶴丸が届けてくれた愛を大事に仕舞った。

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