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 それが甘い考えだったと今ではわかる。あれから二週間、一度も国永と会っていない。


 自分と国永は二人で一つの組だ。この本丸では刀剣同士の連携を非常に重要視している。そのため刀達は誰かと最低でも二人、多くて六人の組になり、必ず同じ部隊に配属される。そのうえ部屋も共同、内番も一緒、というのがここの決まりだ。つまり、出陣がある日は一日中、なくても半日は一緒に過ごすことになる。よっぽど相性が悪くない限りは息もあってくる。
 自分と国永は伊達での縁もあり、且つ顕現も同時期だった為組まされた。自分の相方は国永だ。つまり、顕現されてから一日足りとも離れたことはない。二週間も顔も会わさないというのはそれがどれほど異常なことか、今は身にしみて理解している。

 光忠と、相方である長谷部の部屋で起きたあの日、目が覚めたのは昼前だった。光忠の匂いに包まれ、安心しすぎて寝過ごしてしまったらしい。とはいえ、いつもの光忠であれば寝坊はかっこよくない!と布団を剥がすし、光忠が忙しくても長谷部が起こしてくるはずなのだが、それもなかった。
 部屋の主が誰もいない状態で一人不思議に思っているところに、突如近侍の山姥切が現れ、主命だと一言呟いた。


「急になんなんだ。というか、何故俺がここにいると知っている」
「燭台切に聞いた。あんた、今日から夜戦要員だ」
「何?待て、国永は夜戦出来ないぞ」
「しばらく別部隊だそうだ。一緒に明石を探しにいくぞ」
「・・・・・・納得できない」
「滅多にない、主命だ。諦めるんだな。俺だって、山伏の兄弟と別部隊なんだぞ!」


 それまで淡々と話していた山姥切が最後の部分だけ、頬を膨らませて地団駄を踏む子供の様に感情を見せた。うちの山姥切は兄弟との絆が深くなりすぎて「写しの俺でも兄弟達との絆は本物」というのが口癖な刀になってしまった。そんな山姥切が主命とはいえ受け入れたのだから自分が拒否する訳にもいかず、「わかった。拝命する」以外の言葉は言えなかった。
 山伏を抜いた堀川兄弟二振り、江雪を抜いた左文字兄弟二振り、そして愛染と自分が新しく出来た明石捜索部隊として選ばれた。他の刀とは活動時間が違うから、今日から六人部屋だ、と言われ瞬く間に連行され、国永と会う暇もないまま準備、そして出陣となった。
 初めての夜戦を終え、本丸に帰ったのは次の日の朝だ。出陣から帰った後、湯浴みをして眠った。昼過ぎに起きて、そろそろ国永と話をするかと思ったが、国永は別部隊で出陣中。帰ってくるのは夜頃、恐らく自分達とすれ違いになるだろうとのことだった。まぁ、こうなるかと納得して、その日も夜戦にでた。
 次の日、帰るのが少し遅くなって本丸についたのは昼前だった。国永は遠征に出ていた。
 次の日、夜明け前に帰ってきた。国永はまだ遠征から帰ってきていなかった。一度寝て起きたときにはすでに別の戦場へ出陣後。
 次の日も次の日もその次の日も国永はいなかった。確かに本丸には存在している、しかしどうしても会えない。同じ部隊である江雪や山伏は他の刀と交代してることがあり、たまに会えるのだが、国永はずっと部隊に組み込まれている様だった。国永は戦場が大層好きなため、本丸で野放しにするよりも戦場で楽しんでもらう方がいいと判断されたのだろう。そこに疑問は抱かなかったのだが、こうも国永だけに会えないのは不思議だと、どこかのんびりと思っていた。

 その日も明石を探しに戦場に赴けば、突如検非以使が現れた。今まで出現が確認されていない戦場での出来事だったので、部隊長の山姥切は一度帰還して、主に報告をしようと判断した。お陰で、昼頃に帰還するはずだった本丸に朝には帰りつくことが出来た。国永が所属している第二部隊の出発は昼前だったはず、と他の部隊の状況も把握している山姥切が教えてくれる。今日こそ国永に会えるかと国永を探していると、どこか疲れている表情の長谷部と鉢合わせた。


「鶴丸を探しているのか。鶴丸は今しがた第三部隊の方で遠征に出たぞ」
「第三部隊?国永は第二部隊に配属されているはずだろう」
「第三部隊の鶯丸が体調が悪いらしくてな、急遽鶴丸に出てもらうことになったんだ」


 他にも出られる刀はいただろうに、何故わざわざ第二部隊に組まれている国永が選ばれたのだろうか。疑問に思ったが、それよりもまた今日も会えなかったという気持ちの方が大きかった。
 はぁ、と大きくため息をつく自分をじっと見つめて長谷部は口を開く。


「なぁ、倶利伽羅。最近、光忠の様子がおかしい気がする。何か知っているか」


 突然の光忠の話題だった。それならば、光忠と同室のあんたの方が知っているだろうと言いかけて止めた。
 光忠と長谷部は自他共に認める親友だ。顕現時期も一緒だし、自分達と同様二人だけの組でもある。同僚で親友で、お互いがお互いを一番認め合っている関係だ。
 そして、好敵手でもある。「長谷部くんは強くて、頼り概があって、最高にかっこいい刀だ。僕も負けてられないよね」と光忠はよく言っている。元からかっこつけたがりの光忠は長谷部に対しては殊更弱いところを見せようとしない。それは長谷部も承知しているようだ。だからこそ、自分に聞いてきたのだろう。
 とはいっても、光忠が弱っているところなど自分もほとんど見たことがない。はしゃいだり、気を抜いていたり、少し頭がお花畑なところを見せたりはするが、悲しみという負の感情はあまり見せない。
 あんなに愛していた伊達を離れるときでさえ、「大丈夫、僕らは刀だからまた必ず会えるよ。だから大丈夫だよ、倶利伽羅」と笑って見せたのだ。白い衣装を身に纏った光忠は悲しいくらい綺麗だったが、その本人は笑顔で去って行った。おかげで、自分が思い出す時の光忠はいつも笑っている。


「知らないな。何度か会ったが、特別おかしいとは思わなかった」


 光忠との別れの回想を止め、長谷部へと答える。国永には会えなかったが、光忠とは数回会っていた。お互い活動時間が変わったのでゆっくりはできず、軽く言葉を交わした程度だったが。経験の少ない夜戦に連日出陣していた為か、異様に自分を案じていた。「怪我してない?余計なことは考えないで戦いに集中するんだよ」とか、「みんなと一緒だから大丈夫、安心して寝るんだよ」とか今更何を、と言いたくなるようなことばかり。あそこまで過保護とは思わなかった。そういえば国永の話を一言も言わなかったのはおかしいと言えばおかしかったが、そこまで時間に余裕がなかったのかもしれない。


「そうか、お前か鶴丸が何かしたのかと思ったんだが」
「何?」
「あいつがおかしくなるのはお前か鶴丸が関わった時くらいだろう」


 自分だけなら何も言い返せなかったが、そこに国永の名前も上がれば何故光忠が国永を好きだと知っていると聞き返すほかなかった。


「鶴丸に説教する時だけあんな熱い視線を寄越されれば、大体わかる」


 さすが親友と名乗るだけはある。なかなかの推察眼だと思った。
 しかし考えても思い当たる節は特になく、長谷部の気のせいじゃないかと伝えれば、確かにおかしいんだがなと首を捻って長谷部は立ち去った。その時見えた右手には目薬の小さな瓶。多少なりとも効果はあったんだなと、思い、同時に国永の厚意も少しは伝わったのだろうかとその背中を見送った。

 結局国永とすれ違いもしないまま二週間が経ち、さすがに何かおかしいと思った。国永と自分は誰かの意図によって会えないのではないかと、もはやそんな考えすら浮かんでくる。
 今日も昼前に帰ってきたというのに、国永はすでに出陣したという。今日こそは会えるのではないかと思ったが、またもや期待を裏切られた。与えられた六人部屋で、行き場のない苛立ちを燻らせる。


「俺たちはいつまで夜戦に行き続けるんだ。まさか明石が現れるまでか」


 側にいた山姥切に問う。白い背中は国永の様で、もはや懐かしさすら感じる。


「それはないだろう。主も、今回も見つからないと思うけど、と前置きをして主命を下したからな」


 山姥切は振り返り、すこし疲れた目をして言った。時々会えているとは言え山伏と離れているのがじわじわきている様だ。堀川が一緒にいるからこの程度ですんでいるのだろう。ずっと一緒だった相手と離ればなれになったとなれば無理もない。
 大丈夫かと思いつつ、聞いた内容に疑問が浮かぶ。


「なんだそれは」


 そもそも明石捜索については、明石が他本丸で顕現が確認され始めたとき、愛染、蛍丸、主の三人で話し合いが持たれた。その中で、無闇に探しに行くのではなく、明石をゆっくり待とうという結論に至ったと聞いている。


「何故、今更になって明石捜索部隊など結成する。山姥切、主は他に何か言っていたか」
「いや、特には。・・・・・・ああ、そういえば、出発する時間と帰ってくる時間は厳守してくれと言われたな。俺が写しだから時間を守れそうにないと思われたのかと思ったんだが、名だたる名刀である一期一振にも言っていて驚いた。時間厳守と言われたのも始めてだったしな。一度、報告の為に早く帰ったことがあっただろう、あの時も主は少し焦っていたみたいだった」


 一期は、国永がいる第二部隊の部隊長だ。つまり、国永と自分がいる部隊だけ時間厳守を言い渡されている。これは国永と会えないことに無関係だと思えない。主が意図して自分達を会えないようにしている、ということではないか。


「大倶利伽羅?」


 ゆったりと立ち上がる自分を、山姥切が不思議そうに見上げる。


「感謝する、山姥切。少し、主と話してくる」


 山姥切がくれた情報は有益なものだった。感謝の念と同時に申し訳なさも沸き上がる。もしかしたら、堀川三兄弟や 左文字三兄弟、愛染は自分と国永を引き離す為に巻き込まれたのかもしれないと気づいたからだ。主からも直接話を聞きにいかなければ。理由がなんであれ、他の奴等を巻き込んでいるのであらば即刻やめてもらう。
 感謝の言葉を言われてどう反応すべきか迷ってる山姥切を、部屋に帰ってきた堀川に託し主の部屋へ向かう。今の時間であれば自室に居るはずだ。

 中庭に面している廊下を歩く。少し開けた場所で素振りをしている同田貫が自分に気づき、腕を下ろす。


「おい、大倶利伽羅。燭台切がお前を見かけたら、みんなと部屋に居て。しばらく出ないで。って伝えてくれだと」
「光忠が?」
「ああ。誰か探してるみたいでよ。なんか焦ってたぜ、珍しく」


 んじゃあ、伝えたからなと言って、同田貫はまたもや素振りを再開させた。
 視線を落とせば、傍で転がっている存在に気づく。同田貫と相方の陸奥守だろう。へばっているのか、眠っているのかここからでは判断できない。
 そんな二人を眺めながら光忠からの伝言を頭の中で繰り返し、また廊下を歩き出す。行き先は変わらず主の部屋だ。部屋を出るなとは、光忠は自分に何か用があるのだろうか。行き違いにならない為に、同田貫にわざわざ伝言をしたのだろう。しかし、そうもいかない。こちらも大事な用がある。光忠も誰かを探しているとのことなら、自分を訪ねてくるのも後からになるはずだ。それまでに部屋に戻っておけば問題ない。今は、主のことを優先させるべきだ。
 先程よりすこし足早に歩く。気が急いているのが自分でもわかる。


「っ、!?」


 だから、というのは言い訳だ。刀剣男士なら、いつ如何なる時も気を抜くべきではない、それが例え本丸であっても。それが頭から抜けていた自分は突然の力に抵抗ができなかった。
 それは一瞬の事で、廊下に並ぶ部屋の一室からぬっと現れた何者かの手によって、その部屋の中へと引きずり込まれた。自分の前に誰かが歩いていたとしても、消えた自分に気づくことはなかっただろう。それほどの素早さだった。それでも自分の愚かさに舌打ちがでる。これが手ではなく刃だったら自分はすでに切られているところだ。
 いきなり引っ張られたことによって倒れ込みそうになるのを、踏みとどまる。


「誰だっ!」


 引かれた手を振り払って、玄人の誘拐犯のような手腕を見せ付けた奴の顔を見ようと、相手に向き直る。だが、うまくはできなかった。向き直った瞬間に、正面から相手の両腕によって拘束されてしまう。わかりやすく言えば抱き締められた。
 抵抗をせず、体から力を抜く。顔が見えなくても、その全身に纏う色で相手が誰だかわかったからだ。


「・・・・・・おい、国永」
「おおくりからあ~!!!会いたかったぞー!!!」


 ぎゅうぅと強い力で抱きしめられながら肩口にぐりぐりと額を擦り付けられる。寂しかった、会いたかったと繰り返す姿は、母親が迎えに来たときの迷い子のようだ。それとも、目を離した隙にいなくなった孫を探し出した祖父が正解だろうか、そんなどうでもいい例えが頭に浮かんだ。
 ため息をひとつ吐き出す。いつもは余裕な態度を崩さない国永のこんな姿に呆れているという意思表示だ。その中に一匙分の安堵も混ざっていたが今の国永は気づかない。
 頭を軽くぽんと打って、密着し続ける国永に離れろと告げる。


「二週間ぶりなんだ、もう少し充電させてくれ。」
「いったい何時から電動式になったんだ、あんた。」


 だめ押しに背中を手のひらでばしばしと叩けば、名残惜しそうにゆっくりと体を離した。代わりにと、両肩に手を置いて真正面から見つめてくる。久しぶりに見た顔は、嬉しそうな眼と拗ねた表情を上手く共存させているものだった。
 ふっと笑いそうになるのを咳払いで誤魔化す。国永はその仕草に込められたものも見逃して、いや、気づいたからなのか唇を尖らせる。


「つれないことを言うなよ。お前だってこの二週間、俺に会えなくて寂しかっただろう?お前は寂しがり屋だからな」
「何を馬鹿なことを」


 二週間其処ら会えないからといって、寂しいなどと思うわけがない。自分が国永を会いたかったのにはきちんと理由がある。


「あんたに言わないといけないことがあっただけだ」
「愛の告白か?離れて初めて自分の気持ちに気づいたか?」
「断じて違う。というかあんたと離れるのは別に初めてじゃな、おい、その顔をやめろ。そうじゃなくて、国永、あれはどうした、目薬の入った噴射缶は」


 ふんしゃかん、と国永はたどたどしく繰り返して、一呼吸後にああ!と両肩にずっと置いてあった手を離して、胸の前でぽんと打つ。


「あれな!あれは、没収された。お前と最後に会った後な、どうしたもんかとあれを片手にうろうろしてたんだ。そこで薬研に会って、それはなんだと興味深そうに聞かれたのさ。だから、俺が用途とお前達にしたことを説明したら、なぁ」


 そこで国永は一度言葉を切って、ばつの悪そうな表情に変えた。


「いくら体にいいものだと言っても、人間の体には加減というものがある。俺達の手入れだって強すぎる力でやれば刃こぼれするだろう、それと一緒だ。これから何かするときは主に相談するか、まず自分の体で試すんだな、とわりとガチめに説教された」


 薬研の言葉は何一つ間違っていない。正論すぎる正論だ。国永も正しいと思ったからこそ今思い出しても、その時の肩身の狭さが甦るのだろう。
 結局国永はあの凶器を長谷部と自分以外に発動することはなかったということだ。被害者は誰もいなかった。全ては薬研のお陰だ。薬研には後で茶菓子でも持っていくことにする。万屋のずんだ餅にしよう。楽しみにとって置いていたが、仕方がない。
 薬研が止めていなければ、国永は短刀達に厚意という名の凶器を振るっていた。そうすれば、国永は、地獄の鬼と化した保護者勢に折られ、ここにはいなかったと断言できる。そうなれば二週間どころか、またずっと会えなくなるところだった。下手をすれば一生。そう考えれば、やはりずんだ餅以外にも何かつけるべきだろう。意外に大食いである薬研に弁当も追加して買っていくことを決めた。


「その後、長谷部に謝ったんだぜ。長谷部は、もう俺には謝らなくていい、普通の目薬はとても役立ってるって言ってくれたんだ。見た目によらず優しいよな。だからしばらく悪戯は控えることにした。長谷部にばれるようなところでは」


 長谷部は頭に血が昇りやすいところもあるが、過ぎたことはねちねちとは言わない。被害を受けた事実よりも国永の厚意をきちんと選びとってくれるところも実に長谷部らしい。それが国永にも伝わったことに不覚にも感動する。最後の一言で台無しだったが。


「お前も、悪かったな。痛かっただろう」


 手袋に覆われていない人差し指で下瞼辺りをなぞられる。二週間前の刺激など覚えてはいない。そんな傷口に触れるようにされたって、くすぐったいだけだ。


「どうでもいいな」


 首を反らして指を遠ざける。別に謝ってほしい訳じゃない。国永の凶器と厚意の行方もわかったので、この話しはここで切り上げる。


「別件で話がある」


 国永に会えたことで頭から消えていたが、先程までの目的を思い出す。自分と国永を会わせまいと画策していることについて、主に直接話をしに行く途中だった。
 自分の眉間に皺が寄るのがわかる。何故、自分と国永を会わせたくないのか、理由がわからない。実際、こうして国永と会ってみたが何事もなく数分過ぎた。一秒の邂逅すらも許さない意思を感じさせる計画を建てる、その理由とはなんだ。
 自分の表情と一言で、概ね察しがついたのだろう。まぁ、そろそろ座ろうぜと言ってその場に腰を下ろした。障子で隔たれた部屋の廊下からは自然の音しか聞こえてこない。だから誰もいないとはっきりわかるのに、わざわざ国永の側に腰を下ろして声を潜める。


「あんたがここにいるということは、気づいているんだろう。俺達を会わせないよう采配を振られていたことに。どうやって、出陣を免れた?」


 第二部隊は出陣した後だ。てっきり国永も入っていると思っていたが、切り抜けたらしい。


「奥の手を使った。ああ、三日月に頼んだのさ。出発直前に、俺の代わりに三日月を置いたんだ。一期は主から出発は 時間厳守で、と言われていたからな。門は開いているのに、その場にいない俺。そして、いるのは一筋でも二筋縄でもいかない三日月、これは探している時間はないと判断して出発していったよ。いやぁ、一期は頭の回転が早い。お陰で俺はこうしてお前と会えた」


 ただし、後で三日月と獅子王に大量に食い物を買っていかないといけなくなったけどな!と若干ひきつって笑う。天下五剣が餌につられたのかとも思ったが、頼んだのが国永だったから餌に食いついてくれたのだろう。
 相方の獅子王もおらず、突然の出陣。しかも正当な手順を踏んでない、言わば勝手な判断での編成変更だ。いくら自由な三日月でも、そう易々と首を縦には振りはしまい。弟分として可愛がっている国永の頼みならばと、頷いてくれたのだと思う。
 それでも、国永の態度を見る限り、求められた食料は尋常な量ではなさそうだ。むしろ、国永だからこそ、ここぞとばかりにねだったのかもしれないが。


「しかし、なんでまたこんなことをしたんだろうな、光忠は」


 腕を組み、困ったように目を瞑る国永の口から、耳に良く馴染む名前、今は聞き間違えたかと思う名前が飛び出した。


「光忠?何故ここで光忠が出てくる。編成をしたのは主だろう」
「お前、夜戦組だから知らないのか。今、光忠は近侍補佐をしてるんだぜ。山姥切が主と活動時間が違って中々近侍の仕事ができないからな。主と話して編成を決めてるのは光忠だぞ。そもそも今回の明石捜索部隊の件も元は光忠が主に頭を下げたからって話だ」
「嘘をつくな」
「嘘なもんか。相方の長谷部から聞いたんだ、間違いない」


『最近、光忠の様子がおかしい気がする』前に長谷部が言っていた言葉が頭をよぎる。長谷部はこの事を言っていたのか。だとしても、信じられない。


「光忠は、何も言わなかった。光忠は、俺に嘘はつかない」


 そうだ、光忠は絶対に自分を騙すようなことはしない。だから、国永が今言ったことも長谷部の勘違いだ。


「光忠が『何も言わなかった』んだろう?相方と長く会えてないお前に対して。俺自身はあまり話したことがないからわからんが、お前の話から聞く光忠は、お前の周りの変化に対して敏感そうだけどな。お前だって、もし光忠と長谷部が別部隊に配属されたら、何かしら一言言うだろう。光忠がお前に何も言わない時点で、何か後ろめたいことがあるんだ。嘘をつきたくないから、話題にも出せない。そういうことだろう」


 言い切る国永の目は、確信を物語っている。あまり話したことはないと言っておきながら、正しく光忠を理解しており、反論することができない。
 国永の言う通りだ。いくら初めて夜戦に行く自分が心配だからといって、相方と離れたことについて一言も言わないのはおかしい。「離れてさびしくない?」とか、「伝言があれば伝えるよ」とか、そういう小さな気遣いを光忠は忘れない。ましてや、国永が関わってくるのだから尚更。
 長谷部の言葉をもっとちゃんと受け止めるべきだったのか。だが、今頃何を思っても遅い。『後悔先に立たず』最近まともに読めていない本から今の自分を表すことわざが浮かんだ。「さ」の行にはいれるのはいつになるのか、そんなどうでもいいことが一瞬頭によぎった。
 その考えをすぐ打ち消して、しかし、それならば何故光忠はこんなことをしたのかという疑問に帰ってくる。光忠は理由もなくこんなことをしない。何か必ず理由があるはずだ。
『お前か鶴丸が何かしたのかと思ったんだが』またもや長谷部の言葉が過る。


「国永、あんた、光忠に何かしたのか」


 深く考えずそのまま国永に尋ねた。声が低くなったのは意図してではない。
 光忠は温厚だ。敵は切り捨て、無様を晒す自分に対しては非常に短気だが、仲間相手であればその懐の広さには果てがない。他の奴から何をされてもしょうがないなぁと笑って許してしまう。しかし、その相手が国永であればどうだ。光忠は国永に懸想している。他の奴なら許せることも国永が同じことをすれば、光忠を失意の底に落とすことになるかもしれない。
 国永も光忠と同じく、仲間を思いやる性質だ。意図して光忠を傷つけたりはしまい。けれど、光忠の受け取り方によっては、国永の差し出す美しい薔薇の花も、両手を傷つける凶器でしかなくなってしまう。誰もが長谷部のように正しく厚意だけを受け取ってくれるわけではない。
 自分の一言に心外だと、国永は目を剥く。


「光忠はお前の大事な友人、いやそれ以上の存在だぞ。そんな相手を傷つけると思うか?光忠に対しては一切合切何もしていないって断言するぜ」
「・・・・・・そうか、悪い」


 軽率な発言に後悔する。そもそも光忠と国永はほとんど接触することはない。光忠と国永の会話など二週間前のあの日を含めて数回だろう。


「いや、わからんでもない。というか俺の日頃の行いが悪いからなんだがな!でも、俺だって光忠を憎からず思っているんだ。だから安心してくれ」
「ああ」


 今回光忠がしたことに対して、国永は怒っても許される立場だ。しかしその様子はない。もし、これで国永が光忠を嫌ってしまっても仕方がないことではあったが、今のところは大丈夫そうで安心した。


「お前こそ、何か思い当たる節はないか、と言いたいが、お前が光忠を傷つけるとは考えにくいしなぁ」
「・・・・・・もういい、埒が明かない。直接光忠に問いただす」


 自分でも国永でもなければ何が原因かなんて考えもつかない。ここでわからない答えを探すより、光忠に聞いた方が建設的だ。光忠に何があったのか、それを確かめなければ。
 腰を浮かせる自分の肩を国永が片手で押さえる。ハの字の先の部分を上向きにさせた様な眉をして自分を見つめる顔を、睨むように見返す。


「待て待て。お前じゃ無理だ。絶対言いくるめられる」
「馬鹿にするな。それにさっきも言っただろう、光忠は俺に嘘をつかない」
「嘘をつかなくても物事を隠す方法なんていくらでもあるんだぜ。まして、今回のことは主まで巻き込んでるんだぞ。確固たる意志を持っての計画だ。そう易々とお前に話す訳がない。それなら最初から話しているはずだろう。ここは、先に主を説得すべきだ。主が頷いたのだからそれなりの理由はあるだろうが、あの人は中立だ。必ず俺達の話を聞いてくれる。光忠の理由だって教えてくれるさ」
「知りたいのは理由だけじゃない。主に光忠の気持ちがわかるのか?光忠が本当は何を思っているか、俺はそれを知りたい。光忠に何かあったんだ、二週間前に。それが解決していないから、俺達は今まで会えなかった。光忠は今も問題を抱えている、早く聞いてやるべきだ。主にはすべてが終わってから報告する」
「あーもう、この光忠大好きっ子はこれだからなぁ!!」


 取り合えず落ち着け!ともう片手も追加して、浮いた腰を下ろさせようと、両肩を上から押さえつけてくる。俺は落ち着いている、騒いでるのはお前だと、押さえる手を剥がそうと国永の白い手に力を加える。細い腕のどこにそんな力があるのかと言いたいくらい、びくともしない手に、思わず舌打ちがでた。やはり優勢は国永だ。意地でも腰を落としたくない一心で体を後ろに反らしてしまったのが運のつきで、そのまま畳に倒れこんでしまった。


「くそっ!」
「お前はまだ俺には勝てないってことだ。観念しな」
「離せ、国永!」
「いいから、言うことを聞け!・・・・・・って、前にもこんなやり取りしなかったか?」


 そういえば、した。あの時は確か光忠が、そう思ったところで突如、廊下側の障子がスパーンッ!と大きな音を立てて開く。国永と揉み合っていたので、足音や気配に気づかなかった。最近、こんなことばかりで刀剣男士として失格だと思わずにはいられない。

 そこに立っていたのは、光忠だった。そう、前もこうして、国永との攻防戦の最中に光忠が現れたのだった。既視感を覚えながら光忠の顔を見て、二週間前とは違うと、確信する。走っていたのか、少し息があがり、頬が薄桃に染まっている。それはいい、特段気にすることではない。
 眼だ。二週間前の光忠は、混乱していたが、眼に感情があった。
 だけど今は、冷めた眼で自分達を見下ろしている。それは妖しい程明るい満月の下、燃え盛る炎をそのまま凍らせたような矛盾を含んだ眼だ。硬質さもを感じさせるその眼は、人々の羨望と嫉妬を引き寄せる美しい宝石にも感じる。いつもはただ優しくて甘い、べっこうの様な眼をしているのに、この眼はそう簡単に溶けそうにない。


「離れて」


 少し上がった息を、ひとつ深呼吸して、押さえこむ。そうして一言呟いた声は、眼と同様硬いものだった。
 その声に従うように自分達が離れて座り直すと、光忠は俺の背後に回り、後ろから抱き締めてきた。抱き締められるのも最近多いな、と思う余裕などないほど、強い力だった。強い打撃力を誇る腕で抱き締められた体は、若干悲鳴をあげている。両腕ごと抱き締められているので、自由に動かせられるのは首と手足の指くらいだ。思わずぐぅ、と口から漏れる自分は眼に入らないのか、光忠は正面に座る国永をヒタリと見据える。


「まさか、三日月さんを巻き込むなんてねぇ。第二部隊の出発を見送った前田くんと平野くんに、鶴丸さんと三日月さんは部隊編成に変更があったのですかと、聞かれたときは驚いたよ。勝手なことをしてもらっては困るな、編成はきちんと考えて作っているのだけど?」


 いつもの光忠の口からは出ないだろう嫌味な物言いに、信じられない気持ちで、光忠の顔を仰ぎ見る。光忠は自分の視線に気づいているだろうが、表情ひとつ変えず、というより無表情のまま国永を見つめ続ける。
しかし、国永は怯むことはなく、ゆったりと座り直して胡座をかいた。


「なぁに、君が鶯丸におねだりしたのと反対のことを頼んだだけさ。体調が悪くなって代わりに出陣してくれってのはおかしいことじゃないだろう?逆はどうかわからないけどなぁ」


 逆とは、代理を立てるから体調を悪くして休んでくれ、と言うことだろうか。そういえば自分達明石捜索部隊が、検非違使の出現により予定外の時間に帰還した際、国永は突如代理で遠征に出された。その時、本来編成されていたのは、鶯丸だと聞いた。


「あらら、気づかれてたか」
「俺は、君のことなら結構わかるんだぜ?何せ、倶利坊の眼を通して君を見ているんだから」


 胡座のまま太ももに肘をつき、頬杖をつく国永は余裕の態度だ。この無表情の光忠に対して、そのままニッと、笑える度胸は尊敬に値する。そんな国永の態度が癇に障ったのだろうか、光忠は一瞬黙りこんでから口を開く。


「・・・・・・なら、僕が言いたいこともわかるかな。お願いがあるんだ、鶴丸さん。これから先、倶利伽羅に近づかないでくれ。二人組も解消してほしい、主にも相談してある」
「なっ!?」
「その為にわざわざこんな手の混んだことを?主も巻き込んでか?」
「そう。全部貴方と倶利伽羅を近づけさせない為にしたことだよ」
「どういうことだ光忠!」


 自分の口から怒りの籠った声が飛び出す。理由はある、あるはずだが、実際光忠の口から聞けば多少衝撃を受ける。しかし、それ以上に自分になんの相談もなしに、一人暴走とも言える行動をとる光忠に、怒りがこみ上げる。国永と二人組を解消しろと言われればさらに倍増だ。
 光忠を強く睨み付ければ、ようやく視線を自分に移した。国永をみる眼とは違う。優しい月明かりに照らされる、心を暖める灯の色だ。どこまでも慈愛に満ちている眼。だが少しだけ影が見えるのは気のせいだろうか。
 光忠を見上げる自分の眉の上辺りに頬をすり、と寄せて、


「大丈夫だよ、倶利伽羅」


と小さく小さく呟いた。
 悪夢に目覚めた子供に、この腕の中なら何も恐れるものはないと、教える優しい声色で。
 何かから、自分の体と心を守るように抱き締めてくる光忠に燃えていた怒りが消えていく。自分の荒れ狂う感情はいつも光忠によって宥められる。今もそうだった。
 感情がおさまれば先程までは見えないものが見えてくる。今は自分を守ろうとする光忠がどこか必死に見えた。何から守ろうと言うんだ、ここには自分達しかいないと言うのに。
しばらく黙って自分達を眺めていた国永は何故か苦笑いを浮かべ、片手で頭を掻いた。


「そらみろ、言わんこっちゃない。・・・・・・まぁ確かにこれに勝てというのも難しいかもしれんが」
「?・・・・・・お願いを聞いてくれるということかな?」


 雰囲気をがらりと変えて、また硬質な光忠に戻る。まるで、国永の言葉や態度に傷つけられない為に心を鋼にしている、そんな風にも見えるようになった。


「まさか!断固として拒否するさ!いくら同じ主に使えたよしみと言っても、君にそこまで口出しする権利はないと思うぜ?今回のことはさすがに、やりすぎだ。理由があるなら聞いてやる。内容によってはちっと覚悟してもらうがな。そら、言ってみろ」


 言葉だけ聞けば辛辣だが、国永の目は優しい。光忠の理由が、きっと光忠なりに正当なものだと信じているのだろう。国永は、自分が思っている以上に光忠のことを本当に理解しているのかもしれない。
光忠の周りの空気が少しだけ変った気がした。見た目はまるで動じてない様子だが、心の中はどうだろうか。


「光忠・・・・・・」


 名前を呼べば、光忠の硬質な雰囲気が揺らぐ。薄く開いた唇を、きゅっと噛み締め、目を伏せる。すこし細まった瞳が揺れている。氷が溶けて小さい炎が揺れている様だ。噛み締める唇に力が入っていて切れてしまわないかと心配になった。きつい言い方にならない様に、光忠、と咎めれば、光忠はまた薄く唇を開いた、すこしだけ震えている。


「貴方が、」


 絞り出したような声は、唇同様震えていた。痛みに耐えるように眉間を寄せる。


「貴方が、倶利伽羅を傷つけるから!」
「俺が?」


 別に国永に傷つけられた覚えはないと口を挟むには、光忠はあまりにも必死で。驚いている国永と視線を合わすことしかできない。


「貴方が誰を好きで、誰と情を交わそうが、別に構わなかったんだ。僕はそれでも貴方が好きだし、思ってるだけで幸せだから。でも、貴方はこの子を選んだ。いや、選んだだけならいい。この子と想い合っているなら、それで、よかった。だけど・・・・・・」


 そこで一度歯を食い縛る。震えていた声が熱を帯び始めた。


「この子は、貴方が大好きなんだよ。僕は、知っている。倶利伽羅の口から語られる鶴丸さんは、誰よりも優しくて、楽しくて、いつも助けてくれる憧れなんだ。倶利伽羅の眼に写る鶴丸さんは、美しくて、凛々しくて、眩しいんだ。倶利伽羅は本当に貴方が好きで、・・・・・・っなのに、貴方はそんな倶利伽羅に無体を働こうとした!それでどれだけこの子が傷ついたか!」
「ちょ、ちょっと待て」


 今まで神妙に聞いていた国永が焦ったように口を出すが、光忠は止まらない。


「貴方が倶利伽羅を思うあまり、手を出してしまったと言うことはわかるよ。だけど、それを許してしまうわけにはいかないんだ。このまま傍に居れば倶利伽羅だけじゃない、貴方だって苦しむ。だから、もう倶利伽羅に近寄らないでくれ。お願いだ、これ以上、この子を傷つけないで、」


 ぽとりと、顔に水滴が落ちてきた。それが光忠のひとつの眼からはらり、はらりとこぼれる雫だと気づくのに少し時間がかかった。


「なんだ、これ。何で、倶利伽羅の方が痛いのに」


 光忠も驚いているようだが、自分の比ではない。自分は、顔に落ちてくるその雫を受け止めながら、混乱中だ。
 あの光忠が、泣いている。その衝撃は計り知れない。付喪神の時は流す涙がないとはいえ、それでも伊達を出る時ですら笑っていた光忠が、泣いている。
 涙というものは落ち着かない気持ちにさせる。止めなければと焦ってしまう。その相手が光忠であれば尚更。涙を止めなければという考えだけで頭が埋まる。
 涙を拭おうと手を動かそうとするが、当の本人に押さえられていて動かせない。自由なのは、と考えて咄嗟に、首を伸ばす。光忠の顔に、自分の顔を近づけ、はらりはらりと流れ続ける雫を舐めとった。


「くりから?」
「泣くな」


 目の縁にゆっくり舌を這わす。瞳から溢れる雫は塩の味がした。涙で膜を張る眼はまるで塩の湖だ。そういえば前に本で見た、異国の塩の湖も大層美しかったことを思い出す。舐めとれなかった一筋の涙が光忠の顎まで流れたので、落ちないようにそちらも唇で吸い取る。光忠がきょとりとしたひとつめをぱちりと瞬きをさせた。それでも涙は零れなかったので、もう泣き止んだと見ていいだろう。
 涙が止まったことに安堵の息をついて、そのまま言葉を繋げた。


「光忠、あんたは勘違いをしている」


 不思議そうに見つめてくる光忠を、視線で国永へと促す。というか、何故国永は少し照れた顔をしているんだ。別に口吸いをしたわけでもないのに。


「国永は、自分の為に他のものを傷つける奴じゃない。あんたがずっとずっと、見詰め続けていた国永がいつもの国永なんだ。わかるな?」


 光忠が国永と自分で視線をさ迷わせる。自分に視線を止めたところで困惑の表情を見せた。


「だって、あの時、」
「あの時?」


 叱られている子供と似た顔色で、自分を見つめてくる光忠に自然と声が優しくなる。それに背中を押されたらしい光忠がうん、と頷く。


「二週間前、僕が二人の部屋にいった時。ドタバタとした音と、言い争う声がしたんだ。僕は、鶴丸さんが長谷部くんに捕まって、部屋にはいないものだと思って訪ねたから、倶利ちゃんが誰かと喧嘩してるのかな、珍しいなって思って部屋に入ろうとしたんだ。そしたら、『おとなしく言うことを聞け!』『いやだ、やめろ、国永!』って声が聞こえて」


 あ、という国永の声が聞こえた。国永も思い出したのだろう、あの噴射缶目薬を巡る攻防戦を。しかし何故、こりゃいかんと言いたげに顔を青ざめさせているんだ。


「倶利ちゃんのあんな必死な声、あんまり聞いたことないから、僕ちょっと焦ってしまって。二人に声もかけず部屋を開けてしまったんだよ。そしたら、鶴丸さんが倶利伽羅を襲っていたから」


 またもや光忠が声を震わせる。またもや泣き出すのではないかと焦ってしまうが、まつげをふるりと震わせるだけで耐えた。それにホッとしながら、二週間前に思考を飛ばす。確かにあの時、襲われてたと言えば襲われていた。しかし、光忠が泣くほどのことかと聞かれれば否、だ。


「倶利伽羅、服もボロボロで、必死に抵抗してた。僕を見つめて、名前を呼んで涙をこぼしたんだ。きっと怖かった以上に悲しかったんだと思う、だってあの大好きな鶴丸さんに凌辱されそうになって、」
「ちょっと待て!!!!」


 国永は右手で顔を覆って、あーと天井を仰ぐがそんなことはどうでもいい。光忠は今なんと言った?国永が俺を、凌辱?


「何を言ってるんだ、あんたは!何でそうなる!」
「何でそうなるって、そうとしか思えないよ。倶利ちゃん泣いてたし」
「あれは目薬だ!」
「そんな嘘をついてまで庇うなんて、ほんとに鶴丸さんが好きなんだね」


 切なげに見つめて頬をすり寄せてくるが、こんなことで流せる話ではない。


「庇ってるわけじゃなくて事実だ!」
「もう、いいよ。痛々しくて見てられない。あの日の倶利ちゃんと一緒だよ。ボロボロの姿で、それでも気丈に振る舞って」
「あれは、五虎退の虎とじゃれあってああなったんだ!」
「僕に助けを求めるように、抱き締め返してきたのは?」
「そっ!」


 それは、光忠の体温と匂いに思わず抱き締め返してしまったとは、恥ずかしくて言えるわけがない。今も平然と抱き締められたまま口論しているとしてもだ。
 言い返せない自分を、いいんだよ、わかってるからと目で話しかけてくるのに腹が立って光忠の腕の中でもがく。光忠は慌てて腕を離して、宥めるように頭を撫でてきた。だが今の自分には効果はない。


「そもそも、何でそういう思考回路になるんだ!国永が俺に懸想している!?はっ!馬鹿馬鹿しい!おい、光忠、何でそんな考えになるんだ言ってみろ。人の器を得てからはあんたの方が俺よりよっぽど国永を見ているんだ。根拠があるんだよな?」
「おお、それは俺も聞きたいな」


 むしろ、国永が一番聞きたいだろう。興味津々に身を乗り出してくるのも当然だ。
 自分と国永から問い質すように、純粋に不思議そうに、それぞれ異なる強い視線を寄越されて光忠は動揺している。しかし、瞳に強い意思を宿らせて、根拠はあるよと口を開く。


「だって、倶利伽羅が可愛いから」
「「・・・・・・は?」」
「だって、倶利ちゃんこんなに可愛いんだよ。優しすぎるほど優しくて、不器用で、照れ屋さんで。男の子らしい愛らしさと青年らしいかっこよさを兼ね備えてる奇跡の存在だよ?大事な孫だと思っていた存在が、ある日ふと、すごく魅力的だと気づくことってあると思うんだ。ああ、俺のこの気持ちは親愛じゃなくて恋慕なんだと気づくんだよね。鶴丸さんは、苦しむんだよ。どうして上手くいかない、こんな気持ちは初めてだって。鶴丸さんは見た目も中身も完璧な刀だからね。きっとどんな付喪神も魅了してきたはずだ。その雲や雪、自然の白を思わせる美しさ、鳥が舞うように振る舞う麗しさ、器量の大きさを感じさせる男らしさ、すべてが素晴らしいんだ、当然だよね。だけど、本当に好きになった相手は、孫のように大事に思っていた子で、今までみたいにうまくいかない。鶴丸さんは同じ部屋に好いた相手がいるっていう生き地獄にずっと耐えていたんだ。だけどそれにも、限度があって。あの日とうとう、自分の前で無防備を晒す倶利伽羅に言い様のない、感覚に襲わた。その褐色の肌から漂う甘い匂いに誘われるように、鶴丸さんは倶利伽羅を押さえつけて、そして自分の猛った欲望を・・・・・・」
「もういいわかった俺が悪かった黙ってくれ頼むお願いだ」


 頭が痛い。怒りや戸惑いなどきれいさっぱりなくなってしまった。ため息すら出てこないなんてこんな感覚は初めてだ。そうだ、光忠が妄想癖を持っているのを忘れていた。光忠は国永のこととなると若干頭の構造が変わる。それが主の言ってた恋は盲目というやつなのか。しかし、ここまで重症だとは思わなかった。本気で心配する。手入れ部屋で治せないのか。『恋の病に薬なし』と突如脳裏に甦ってきた諺が自分の考えを嘲笑う。やかましい。
 もし光忠の主張する理由が成り立つならば、光忠と鶯丸もそうなる可能性があると何故気づかない。それなら俺は光忠を、鶯丸の魔の手から守らなくてはいけなくなる。そんな馬鹿な話はない。と言うか、なんで途中から俗世の雑誌に連載されている官能小説みたいに言うんだ、腹の立つ。

 いくら光忠に対して甘いという自覚がある自分でも、今回はばかりは光忠が傷つかないようにとやんわり言ってやることはできない。だからはっきり言う。


「光忠、あんたの話をきちんと聞いて、全部理解した上で言う。俺の本当の気持ちだ。誰かを庇ったり、無理したりしない。嘘はつかない。絶対に本心だ。信じてくれるな?」
「うん、信じる。信じるよ」


 大きく息を吸い込んだ。そして声と共に吐き出す。


「全部あんたの勘違いだ、馬鹿!」
「嘘だ!倶利ちゃん嘘ついてる!」
「嘘じゃないと言ったぞ!あんたも信じると言った!」
「言ったけど嘘だ!信じられない!」
「信じないと、嫌いになるからな!」
「!!や、やだ!信じる!信じるから!」


 駄々を捏ねる光忠に、出来もしない奥の手を出す。途端に信じると連呼して、そんなの絶対に嫌だと瞳で訴えてくる。その光忠の姿に一番安心しているのは何を隠そう自分だ。これで、「いいよ別に。嫌いになれば?」と言われればその時点で光忠の勝利は決まっていた。
 信じるとは言ったもののそれでもまだ、本当?と信じきれない様子に、しつこいぞと睨み付けた。途端に嫌われると思ったのか、わかった、ごめん。としょぼくれる。その態度に罪悪感を抱くと同時に光忠は態度を一変させて、なぜか笑った。それはそれは嬉しそうに。


「でも、じゃあ、傷ついた倶利ちゃんはどこにもいないんだね」
「!・・・・・・ああ、そうだ」


 光忠の心にはずっと傷ついた自分が居座っていたらしい。それがいないと知り、光忠は心のそこから喜んでいる。ああ、これだから、嫌いになれるはずがないんだ。


「よかった、本当によか、・・・・・・よくない!!!」
「お、おい、光忠?」


 今度は嬉しそうな顔を、絶望一色に変える。目まぐるしい変化についていけない。今度はなんなんだ。


「僕は、なんてことをしでかしたんだ・・・・・・。僕の勘違いで、主まで巻き込んで、山姥切くん達を振り回して、許されることじゃない。こんなの、許されることじゃ」


 青ざめたままふらりと立ち上がるその手を掴む。絶対に碌でもないことを考えてるに決まっている。


「どこに行く」
「どこって、決まってるだろ。刀解してもらうんだよ。・・・・・・自らの勘違いで、仲間を振り回し、失態を晒した。戦場での敵相手ならばいざ知らず、冤罪の仲間に敵意を向けるなど無様を通り越してもはや醜悪!このまま生き恥を晒せば、歴代の主の名を汚し、今の主までも、辱しめることになる。そんなこと耐えられるわけがない!僕は刀解されてくる、・・・・・・大丈夫だよ、倶利伽羅。次の燭台切光忠はもっと上手くやるさ」


 案の定、これだ。光忠は無様を晒す自分が誰よりも何よりも許せない性質だ。しかも今回は他の奴等を巻き込んだと言う罪悪感にも襲われているため、こんなことを言い出したのだろう。


「そんなことしたら本当に嫌いになるぞ。国永に凌辱される以上に俺は傷つく。ズタズタに傷ついた俺は真っ二つに折れるかもな。まぁ、試して見ればいい。元々一人で死ぬつもりだ、光忠がいないければ好都合だな」


 握っていた光忠の手を投げ出すようにして離す。
 もう引き留めるものはないというのに、光忠はそこに立ち尽くす。もちろん、光忠を刀解させるつもりなんて毛頭ない。しかしこうでも言わないと衝動のまま主に頼みに言ってしまうだろう。だから、飼い主に捨てられた賢い大型犬みたいな顔でこちらを見てきたって甘やかしてはいけない。


「~っ!だって、倶利ちゃん!勘違いでみんなに迷惑をかけるなんて、こんな無様!しかもよりによって、あの人に!・・・・・・ゔぅ゙。くりからぁ・・・・・・」


 態度を崩さない自分に焦れて、膝をつく。助けを求めるように太ももを両手で揺らしてくるがまだ、駄目だ。顔を見ないように首を光忠がいる方とは反対に向ける。


「ふん。俺を置いていこうとする光忠なんて知るか。好きにすればいい。おい、国永、光忠は放っておいて行くぞ。・・・・・・国永?」


 ここはそろそろ光忠を一人にして、頭を冷やさせた方がいいと判断して、共に部屋を出ていこうと国永に声をかける。返事がないので見てみれば、自分達に背を向けて畳の上に転がっている。小さく丸まっているその姿を見て、気分が悪くなったのかと思い至る。そういえば先程からずいぶんと静かだった。
 国永、と再度名前を呼びながら近づくと、浅い呼吸音とひぃひぃと言う声、よく見れば体が震えている。


「・・・・・・何を笑っている」
「ふはっ!?っ、はぁ、はははっ腹が、ちょっと待ってくれ、腹がっ痛い、っ、は、ははははっ!あっ、はらが、あてててて」


 声をかけられたことで我慢しなくていいと思ったのか、一人苦痛と笑い声を繰り返して悶える姿を、光忠と共にぽかんと見つめる。何をそんなに笑うことがあるんだ。

 しばらくして、ようやくまともに話せるようになった国永が、涙を拭いながら身を起こす。


「あー、笑った。いやぁ、すまんすまん。光忠がやたらいい声で官能小説を朗読しはじめた頃からかなり限界だったんだが、その後お前達が喧嘩しはじめて、もう耐えられなかった。伊達男を絵に描いたような光忠と、いつもは落ち着いてる大倶利伽羅があんな子供みたいなの喧嘩をするなんてなぁ。もう、可愛いやら、可笑しいやらで。もう少しで、俺の腹筋が岩融みたいになるとこだった」


 自分が笑った理由を嬉々として話す国永に悪意はない。しかし、光忠は顔を赤く染めて涙目だ。官能小説の件か、子供の喧嘩に反応しているのかはわからないが、国永の言葉が胸に刺さったのは明白で。泣き出しはしないだろうが、きっと先ほどの自分への怒りと罪悪感に加えて羞恥心で折れたさが最高潮に来ていることだろう。
 これ以上、下手に刺激してほしくなくて、おい、国永と咎めようとする。しかしそれより前に、どっこいせという声と共に腰をあげて、少し離れていた光忠の前にしゃがんだ。


「馬鹿にしてる訳でも、話を聞いてなかったわけでもないぜ?君の言葉はちゃんと聞いていた。君は、自分が許せなくて、みんなに申し訳なくて刀解を望んでいる。別に自棄になってるわけでもなく、ただそれ以外にどうすればいいのかわからない、そうだな?」


 国永はこちらに背を向けているのではっきりとはわからないが、恐らく目線を合わせているのだろう。そのまま静かに聞いてくる国永に、光忠は戸惑うように、だけど素直にこくりと頷いた。


「俺が良いことを教えてやろう。まずな、みんなに理由をきちんと話すんだ。君は大倶利伽羅を俺から守ろうとして、こんなことをしたんだってな。勘違いだったかどうかは、別の話だ。君の気持ちが本物だったからこそ主も協力したんだろう。それを、みんなにもちゃんと話すんだ。この本丸の誰もが、守りたい誰かを持っている。君の気持ちがわからない奴はいないさ」


 国永の言う通りだ。この本丸にいる刀達はただひとつの例外もなく守りたい存在を持っている。それは主であったり、兄弟だったり、相方だったり、様々だ。光忠が何故こんなことをしたのか、説明をすれば必ずわかってくれる。そこに疑問を持つ必要はない。
 今回振り回された明石捜索部隊の面々ももちろんそうだ。山姥切などはむしろ光忠のとった行動を温いと言うかもしれない。「俺だったら兄弟を傷つける奴は、その場で自分のしでかしたことを後悔させてやる、死をもってな!!」などと息巻きそうだ。


「もし、一期だったらその場で抜刀だぞ、君。かくいう俺も、その口でな。実は俺もあの姿の倶利坊を見て君と同じ勘違いをしたんだが、君と違って倶利坊を汚した奴をどう斬り殺してやろうかと、それしか頭になかったぜ。君のことは責められないのさ。むしろ俺の気持ちまで考えてくれた君は優しいな、光忠」


 優しい声で驚くほど物騒なことをいう国永に思わずおい、と声を上げる。通りであの時、瞳孔が開きかけていたわけだと納得したが、その理由が気にくわない。何故、光忠といい、国永といい、自分を傷物にしたがるんだ。そんな物好きはいないし、そういう二人の方が自分はよっぽど心配だ。
 国永は非難する自分を、片手をひらりとすることで流した。こちらを振り向くこともない。優しいと言われ、ふるふると頭を振り、まるで国永の言葉に当てはまらない自分を恥じ入るように俯く光忠から視線をはずさないままだ。
 俯くことで国永の視線から、少しだけ逃げたものの、相手が気になってしまうのか、そろりと上目使いで国永を見つめる。その表情はいつも凛々しくあろうとする光忠からは思い付かないほど、幼さを感じさせた。国永はその視線を受けて、ん?と白い頭を傾げ、またすぐ反らされたひとつ目にははは!と楽しげに声をあげた。完全に二人の世界だ。


「さぁ、光忠。君が今するべきことがわかったかい?君がしなくちゃいけないことは刀解じゃないぜ」


 光忠は伏せていた目をそのままぎゅっと瞑り、何呼吸か置いた後、頭をこくんと縦に弾みをつけた。そうして、視線を上げる。国永を真っ直ぐ見つめ返す瞳は、いつもの、燭台切光忠のものだった。


「ありがとう、鶴丸さん。鶴丸さんのいう通りだ。まずはみんなに事実を伝えるよ。結局、刀解されたいのは僕の自己満足でしかないんだよね。みんなが僕を許せないと言うのならみんなの手で罰せられるべきだし、そうでなくても最初から逃げるような選択をするなんて、そっちのほうがよっぽど無様だ。混乱していたとはいえ、みっともないところを見せてしまって、ごめんなさい。そして何より今回こんなことをしてしまって本当に、ごめんなさい」


 そのまま、頭を深々とさげ、しばらくして顔を上げる。そしてこちらに顔を向けて「倶利伽羅も本当にごめんなさい」とまた頭を下げる。
 頭なんて下げてほしくない、そんなことをされてもむしろ不愉快だ。その気持ちをそのまま伝えると光忠は眉根を下げて笑った。その困った笑みがいつも通りで安心する。もう、大丈夫だろう。


「僕、主やみんなにきちんと話してきます。みんなに判断を委ねるよ」


 国永に向き合ってすっきりした顔で微笑む。光忠は本当に罰せられる気らしいが、あまり心配はしていない。今回は勘違いだったが実際事件が起こっていれば、繊細な問題でもあるし、一人抱え込んでしまった光忠を責めるものはいないだろう。

 主を巻き込んでしまったので、長谷部からは何か言われるかもしれない。「光忠、お前!主を巻き込むとは!・・・・・・いや、そういえばお前も、俺を手伝って徹夜していたな。もしかして疲れているのか。そうでなければお前がこんな暴走するとは考えにくい。すまなかった、光忠。お前ならば俺の徹夜にも付き合えると思っていたが、無理をさせていたんだな。お前なら大丈夫だと思い込んでいた俺にも責任がある。ああ、俺たちは連帯責任だからな。俺からも主に謝ろう。気づかなくて本当にすまなかった。だが、今度からは無理なときは無理と言ってくれ」と、これくらいは言ってくるだろう。
 長谷部としては純粋に心配してくれているのだが、いつだって長谷部と肩を並べていたい光忠からしてみれば、長谷部の期待に応えられなかったと、精神的苦痛を受けるだろう。それが、今回光忠に与えられる最大の罰になるはずだ。光忠にとっては心が折れるに等しいが、これくらいは受けてもらうしかない。

 光忠がそれまで膝の上にあった、手袋に包まれている両手を国永に差し出しかけて、止めた。感謝の気持ちを表そうと、何も考えず国永の手を握ろうとしたのだろうが、我に帰り止めたのだろうと、そう思った。しかし、そうではない。光忠が手を握るよりも先に国永が光忠の髪に優しく触れた。


「いい子だ」


 甘い甘い声だった。月の光を浴びた夜露と、夜にしか咲かない花の蜜とを混ぜてゆっくり煮詰めたような、幻想的な甘い夜を思わせるそんな声だった。
 国永に溺愛と言ってもいい程構われている自分でも聞いたとのないその声。国永は意図して出しているのだろうか。だとすれば、恐ろしい。たった四文字の音にこれほどまでの甘さを纏ってしまえるのだから。しかし、もし無意識に出しているのであればそれはもっと恐ろしい。意識してしまえばどうなることやら。
 自分の位置からは国永の表情は見えない。少し首を傾けたのか白銀の髪がしゃらりと揺れて、障子を通して淡く伝わる陽の光にきらきらと反射した。目を奪われる美しい光だった。なんとなく世界が二人を祝福しているような、そんな錯覚を覚える。そのとき自分は、何故だか決定的瞬間を見たような気がして、嬉しさと寂しさを一遍に飲み込んだような、胸がつまった感覚になった。

 国永の表情を間近で見たのであろう光忠が、ふぁだか、ふぇだか、ひゃいだか、とにかくなんとも発音しずらい言葉を発して茹で蛸のように顔を赤くする。人の眼というのはあそこまでぐるぐると回るものなのか。
 そのままふらふらと立ち上がり、よろりと障子に手をかける。やっとの思いで障子を開けて、何度か躓きそうになりながらも廊下を歩き出した。その背中には、重傷、赤疲労、そして、桜吹雪が見える。何も言葉をかけられないまま、光忠は見えなくなった。大丈夫だろうか、大丈夫ではなさそうだ。あれでは主に説明できない気がしてならない。
 廊下に顔をだし、黒い背中を見送り続けた自分に、白い体がのし掛かる。


「いやはや、お前たちは退屈しないなぁ!俺を最高に驚かせ、楽しませてくれる!」


 耳元で聞こえるからりとした声は今に時間帯にふさわしい明るさだ。


「重い。耳元で話すな」
「伊達に居た頃お前に聞いていた光忠と俺の見る光忠は、本当に同一人物かといつも思っていたんだが、やっぱりお前が話す光忠が正しかったな。楽しい男だ。おもしろいおもしろい」
「おもしろいじゃすまない。光忠は二週間本当に苦しんでいたんだからな。俺もあんたも、原因の一端を担ってるんだぞ」


 もちろん光忠一人だけに後始末をさせるつもりはない。光忠は一人でいかなければ納得しないと思ったから先に行かせただけだ。自分達は確かに被害者でもあるが、同時に真犯人でもある。後で自分達も説明に回らなければ。
 自分の鋭く尖らせた一言にそうだなと声色を落として国永が呟く。


「それについては本当に申し訳なかった。俺の考えない行動で、長谷部やお前だけでなく、光忠まで巻き込んでしまうとは。反省してる」


 本当に反省してるようなので舌打ちとため息ひとつずつで、それ以上の小言を飲み込んだ。


「それにしてもまぁ、驚いたな。まさか泣くとは」
「忘れてやれ」


 あの涙を見たときの感覚を思い出す。もう、光忠のあんな涙は見たくない。


「悪い意味じゃないぜ。涙とはあんなに綺麗に流せるものなのかと驚いたんだ」


 後ろから両の手を伸ばし、人の首飾りを弄る。手癖の悪いやつだ。


「綺麗、か?だとしても俺はあんなの二度と見たくない」
「あんなの甘そうで綺麗なのに?光忠の心が雫として溢れたような涙だったろう」
「甘いもんか、塩辛いだけだったぞ」


 そういや、お前舐めていたものなと息で笑ってぴたりと頬を自分の耳にくっつけてきた。


「そういえば、倶利坊」
「なんだ」


 遥か遠くから笑い声が聞こえる気がする。主の声に聞こえないこともないが・・・・・・別の誰かだろう。


「なにやら熱烈な告白を受けた気がするんだが気のせいだったかな」


 自分の耳を頬で塞いだまま国永が喋る。直接響く振動と、塞がれていない反対の耳で聞こえるその声には特別感情はない。縁側に座り、空をぼけっと眺めながら「あの雲はどこにいくんだろうな、乗れないのかな」と呟いた時の声色に似ている。


「気のせいだろう」


 どうでもいいように返事を返した。


「そうか。・・・・・・そうか。いや、何でもない。あの涙に衝撃を受けたのと笑いすぎてな、少し記憶が曖昧なんだ。恥ずかしいことを聞いた、忘れてくれ」


 充電、完了!と声を張ってようやく密着していた体を離す。振り返れば、国永はいつものように快活に笑っていた。


「さて、倶利坊。六人部屋から荷物をとってこい。俺達の部屋に帰るぞ!もう少ししたら主の元へ行こう」
「・・・・・・ああ」

 先に部屋で待ってると自分に背を向けた国永に視線を送る。気のせいではないと、心で呟きながら。好きだと言われておきながらその場で反応しない、あんたが悪いとも付け加えた。
 光忠も混乱していたから、自らの発言に気づくことはないだろう。国永が光忠の言葉を受け取り損ねた今、その言葉を預かっているのは自分だけだ。だけどそれを国永に教えるつもりは、まだ、ない。
 光忠の正しい思いが詰まったその言葉を国永に渡してしまえば、国永はきっと、光忠を攫ってしまうだろう。白い衣装に身を包んだ、光忠を。
 光忠は今度こそ本当の笑顔で、もしかしたら嬉し涙で攫われるのだ。その光景がありありと思い描ける。幸せな二人は自分にも幸せをもたらしてくれるはずだ。でもきっと自分は嬉しいと同じくらい不安を抱く。
 結ばれた二人は自分の元を去ってしまわないだろうかという不安。その不安が、国永へととっさに嘘をつかせた。
 二人に幸せになって欲しい。でもまだ二人を一人占めしたい。国永が気づかなかったことをこれ幸いと、浅はかな自分が顔を出してしまった。別に二人が結ばれたからといって、二人が互いに互いの一番になったからといって、自分が二人を一人占めできないというわけではないのに。例えば、そう。あの本に書いてあった諺。


「・・・・・・『子は、鎹』」


 自分は二人の子供でも何でもないが、溺愛され加減は似たようなものだろう。自分の存在によって二人が結びつけられたら、それは二人とずっと一緒に居られるということではないだろうか。


「鎹にでも何にでもなる」


 それで二人と共に居れるのであれば。我が儘な自分の何よりの願いだ。
 鎹になりたがる刀などきっと自分くらいのものだろう。自分の考えに思わず笑う。

 なぁ国永、あんたが欲しがっている光忠の言葉は自分が預かっている。自分はあんたの言う通り寂しがり屋だから、それを渡すのをもう少しだけ待ってくれないか。今のままで居たいという気持ちも確かにあるんだ。
 もし、自分に勇気がでて、その言葉を渡せたらもう大丈夫。あんたが光忠を迎えに来たら笑って、一番に祝福してやる。それだけじゃない、もし二人がすれ違って喧嘩する日がきても、ちゃんと間に入り役割を果たす。自分を通して惹かれあった番いをしっかりと繋ぎ止めてみせるさ。だから、その日をもう少し先伸ばしにするのを許してほしい。

 そう、部屋で自分を待っているはずの国永に心の中で話しかけた。心の中で許しを請うても意味はないのに。とんだ卑怯ものだ。そして卑怯な自分は心の中でもう一つ、国永に言い訳をした。

 刀が鎹になるには時間がかかるのだから、仕方がない。

 今日のこの出来事も光忠の国永話に組み込まれるのだろう。それを辟易しながら自分は聞く羽目になる。そんな変わらない日常を、もう少しだけ。 

二週間前に彼が思っていたこと

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