「・・・・・・あれは無理」
食事の準備時間でもない厨に、がくりと項垂れている男。そこに厨の前を通り過ぎかけていた少年が、男の姿を見つけ、足を止める。そして迷うことなく相棒である男に近づいた。
「みっちゃん疲れてんなぁ、どしたー?」
「さ、貞ちゃぁん」
太鼓鐘が下から覗き込むと、無表情だった燭台切の表情が豹変する。これが太鼓鐘以外の相手ならば、何でもないよと不敵に笑うのだと太鼓鐘はよくよく理解していた。我が相棒はなかなかに面倒くさい男である。
太鼓鐘の内心も知らず、瞳を潤ませた燭台切は30cm以上も身長が低い小さな体に抱きつく。そんなことで動揺する太鼓鐘ではない。持ち上げられてぐるぐると数分に渡り回され続けた経験がある。酔わない分、ぎゅうぎゅうと強い力で抱き締められている今の方がまだ良い。まあどちらにしても大好きな燭台切とのスキンシップなので嫌な気持ちなど皆無。だから今も心から燭台切を想う気持ちでよしよしと頭を撫でられる。
「昨日はなんかやる気に満ち溢れてたってのになぁ」
「うぅ、貞ちゃん。怖いよ、この体が怖いよう。僕、おかしくなるんだぁ・・・」
他者が傷つくこと以外は何も恐れない男だ。燭台切が怖いと口にするのは珍しい。けれど口に出来るということはそう深刻でもないということでもある。今も、あれは無理。あんなのごりごりされたら絶対頭爆発して死んじゃうとぶつぶつ呟いている。燭台切なりに混乱を落ち着かせようとしているのだろう。
「言ってることはよくわかんねーけど・・・・・・。んー、とりあえずみっちゃんが疲れてんの、鶴さんが部屋の中で転がってたのとなんか関係ある?」
「え?」
燭台切の恋刀、太鼓鐘の旧知の相手でもある鶴丸の名を出すと、きょとんとこちらを見て来る。もしかして今朝からの鶴丸の状況を知らないのだろうか。
朝餉の時、広間に姿を現さなかった鶴丸と燭台切。燭台切は厨にて、何かを振り切る勢いでキャベツをひたすら千切りしていたことは、横にいた朝餉当番たちの証言で知っていた。しばらく厨に行かない方が良いという忠告付きで。ならば鶴丸は?と思い鶴丸の部屋を覗いてみたのだ。普通に部屋にいた。いたのだが、転がっていた。ひたすらごろごろと。
「鶴さん、朝から部屋ん中でごろごろ転がってたぜ?顔覆ってたからどんな顔してたかは分かんなかったけど、桜がすげーことなってたからみっちゃんのことでなんか良いことあったんだろうなーって思ってたんだけど、みっちゃんは疲れてっからなんか不思議で」
二人とも疲れてたり、二人とも元気なら分かる。けれどバラバラなのは違和感があった。勿論そんな日もあるだろうけれど、ここまで顕著なのは不思議で仕方がない。なんせ二人は苦楽を共にする恋刀だ。まして、昨日まではやる気に満ちていた燭台切が疲れていて、昨日までは様子がおかしすぎた鶴丸が桜を舞わせているとなれば。
「鶴さん、この一週間ずっと様子おかしかったから心配してた分、安心したんだけど、みっちゃんが元気なくなったら意味ないぜ?」
「鶴さん、様子おかしかったのかい?」
「あれ、みっちゃんしんねぇの?」
確かにこの一週間二人が共に時間を過ごしている姿を見ていない。けれど鶴丸があんなにおかしくなる原因など燭台切以外ないのだから、当然燭台切は鶴丸の状況を承知しているのだと思っていた。しかし知らなかったのか、意外だ。
「ここ一週間の鶴さんさ、静かにしてたかと思えばいきなり頭掻き毟って悶絶するし、飯は喉が通らんとか言ってほとんど食わねぇ、国広三兄弟に付き添って山には行く。主から借りたタブレットを見ながらぶつぶつ言ってんのは前々からだから慣れてたけど、後の奇行は流石に心配してたってか、」
「・・・っ」
「なーんで今度はみっちゃんが悶絶しながら桜降らしてんのー?」
燭台切は両手で顔を覆い天井を仰いでいる。耳が真っ赤で体を震わせている。鶴丸とは畳の上を転がっているか、そうでないかの違いしかない。
無理・・・、と先ほどとは明らかに違うニュアンスで燭台切が呟いた。語彙力死んでね?とは突っ込めない。大好きな相棒には甘くしたいものなのだ。それが心というものだろうとそれらしいことを思ってみる。
何にせよこのままでは燭台切も厨の床を転がりそうなので、くいくいとジャージの裾を引っ張った。
「みっちゃん。鶴さんさぁ、優しくて楽しい刀だけど、年重ねて面倒くさくなってるとこもあるから、上手く扱ってやってな?俺の大事な鶴さんだから、鶴さんが嬉しいと俺も嬉しいし」
「貞ちゃん・・・」
「あの鶴さんを立てながら付き合うってすっげー大変だけど、みっちゃんなら上手く支えられるだろうし。ってかみっちゃんしか出来ない、っていうか・・・」
「だよね!!」
突然覆っていた両手を外し、太鼓鐘に顔をずいっと近づけてきた。うーん、美形だなぁ。表情は子供みたいにきらきらしているけど。と少年の姿の太鼓鐘が思ってしまう。
「僕の事面倒くさいって言うけど、鶴さんも大概面倒くさいよね!?そうか、そうだよ。流石貞ちゃん!あんなに面倒くさい鶴さんに付き合うんだから、僕も相応の苦労は覚悟しないとだよね!未知の感覚的恐怖に怯んでる場合じゃない!」
「その通り!流石みっちゃん!その切り替え、格好良いぜ!」
「と、なると、そうだねぇ。必要なのは精神的訓練、かな?ねぇ、貞ちゃん今から手合わせ付き合ってくれない?」
「ぅえっ!?」
その誘いにぎくっと肩が跳ねる。燭台切は大大大好きな相棒で、彼が喜ぶことは進んでやってやりたい。燭台切が太鼓鐘を大事にしている分を倍にして返してやりたい。常日頃からそう思っている。思っているけれど。
「う、あ、い、いや~?わっりぃなぁ、みっちゃん。俺、亀甲兄ちゃんと、そう!万屋行く予定なんだ!ほんっとごめんな?」
「そっか、残念。貞ちゃん相手だったら本気出せたのに」
燭台切は大好きだが、冗談じゃない。今の燭台切と手合わせをするなんて。面倒くさいじゃすまされない。
「いやー残念。ハハハ・・・!あ、伽羅とか空いてんじゃねーかな?」
けれど本気で残念そうな顔をするものだから咄嗟に一人の名前を出してしまった。燭台切の半身にも等しい相手で在れば燭台切も本気を出せるだろう。案の定その名前に燭台切は顔の輝きを取り戻した。
「そうだね、そうするよ!ありがとう貞ちゃん!僕行ってくるね!」
「いってらっしゃーい!!」
手を振ると燭台切も手を上げて厨を出ていった。良い笑顔だ、良かった良かった。
「・・・・・・、ごめん!ごめん伽羅!!」
燭台切の足音が去っていくのを確認してから、誰にもいない所に両手を合わせてぺこぺこ謝る。生贄として長年同じ箱で眠っていた唯一無二の存在を捧げてしまった。許して欲しい、彼に悲しい顔をさせるなんて大倶利伽羅だって厭うことだ。だから怒らないで欲しい、頼むから自分の推薦だと燭台切が言いませんように。
ひとしきり心の中で謝って、謝りつくしたので、ふぅと息をつく。過ぎたことを何時までも悔やみ続けるのは伊達男の精神に反する。
さてと、兄の所に行くとしよう。万屋にデート行こうぜと誘ったら兄は喜んで付き合ってくれる筈だ。燭台切に嘘なんてつきたくないから誠にすべく算段を立てる。もう一人の兄も誘って三人でデートするのも楽しそうだ。大倶利伽羅にずんだ餅を大量に買って帰るのも忘れずに。
「まぁーったく、面倒くさいカップルだぜ」
言葉と裏腹に自分の声は実に嬉しげだ。それはそうだろう。
どれだけ面倒くさくても、いや、面倒くさいからこそ愛おしい二振りである。
「あ、亀甲兄ちゃーん!!なぁなぁ!物吉兄ちゃんと三人でデートしようぜ、デート!!」
厨の入り口から見える廊下の向こうに、目的の兄を見つけて声を張った。
白菊の如き美しき兄の微笑みに近づくべく、太鼓鐘は軽やかな足取りで厨を後にした。