燭台切の恋刀の鶴丸は驚きを愛する刀である。
彼には特筆すべき点はいくつかあるが一番簡単に彼を紹介するにはその一言が相応しい。
驚きを求め、驚きを振り撒く鶴丸はその特質を勿論恋刀の燭台切にも発揮する。
わっ!と突然声を掛けてくるのは出会った当初から挨拶みたいなもので、それに加えてあの手この手で驚かしてきては「君は素直だなぁ」と楽しげに笑った。
恋刀になってからは突然の口づけを仕掛けてくるようになり、やはりいちいち驚き動揺してしまう燭台切に「君は素直だなぁ」と甘く目を細める様になった。
つまりは昔も今も毎日何かしら鶴丸に驚かされている現状である。
そして当然本日も。
「なぁ光坊」
「なんだい鶴さん」
挨拶代わりの驚き、つまり挨拶代わりの口づけを受けてから数時間後、鶴丸は珍しく外に飛び出すこともなく燭台切の部屋に居座っていた。何か仕込みを終え、時期を見計らっているのか。はたまた新しい驚きの構想を練っているのか。そういった時のみ大人しい鶴丸を知っているので必要以上に声を掛けることもせず、燭台切も好きなことをしていた。
操作するのは主のお下がりとして与えて貰ったpcタブレット。それを使って料理のレシピや動画を見る。最初は慣れない操作で手間取ったが慣れてくると実に便利な文明の利器である。
人差し指を画面に触れさせてすいっ、と動かせば様々な料理のレシピを知ることが出来る。
これはあの子が好きそうだ。この料理はガッツリ系だから皆喜ぶだろうな。とそんなことを考えながら、お気に入りのボタンを押していく。仲間達が美味しいそうに料理を食べる姿を想像しながら、料理のレシピをひとつひとつ吟味していくのはとても楽しい。
あ。これ、鶴さん好きそう。
心の中で呟いて即座にお気に入りボタンを押す。本丸の食事事情に携わることが多い身としては、使う材料や味付け等片寄ることがない様に心掛けている。なるべく全員に食事を楽しんでほしいからだ。なのでレシピを探す際も様々な種類の料理を探すようにしているのだが、
これも好きそう。こっちも。わ、この包み焼き、開くとすごく美味しそう。鶴さん、こういうの喜びそうだな。
と、心の声に従って指は登録数が限られているお気に入りレシピを増やしていく。昔は統一感のないお気に入りのレシピ達だったが、今やひとつのジャンルが勢力を伸ばしていた。ずばり『鶴丸が好きそうな料理』である。勿論それらをすべて食卓に乗せる訳ではない。仲間達の食事は平等に。これは燭台切が自分で決めた鉄則だ。破ることはない。
けれど、実際の食卓に出さない所の、燭台切しか知らない電子のテーブルの上には鶴丸が好きそうな料理がずらりと並んでいる。
例えば鶴丸が誉をとった日や、長い遠征をこなし疲れて帰ってきた日に、そこからひとつずつ、実際の食卓へと運べる様に。月に一度ある位の準備は増えていく一方ではあるが。
時々お気に入りレシピのページを見返していく時、恥ずかしさのあまり頭を抱えたくなる時がある。電子のレシピの数が、自分の鶴丸に対する想いの指数のひとつの様で。
けれど正直な人差し指は次々とお気に入りを増やしていく。そんな自由時間を費やすに足る充実した一時を過ごしていた。実際の想い人には背を向けて。
そこに今まで燭台切の部屋で装飾家具と化していた鶴丸が声を掛けてきた。なぁ光坊。と会話の切り出し方としては至って普通に。
「一週間後、するか」
「何を?」
しかし続いた言葉は主語がない、時期指定の何かしらの誘い。語尾の音が疑問に上がらなかったから恐らく誘い、だろう。提案に近い誘いだ。ただ、やはり言葉が足りなさすぎて聞き返さなければ、頷くことも首を振ることも出来なかった。
噴水フルーツポンチなんて、レシピといっていいのか分からないが鶴丸が喜びそうなページを開いたままpcタブレットを机の上に置いて、後ろを振り返った。
話し掛けてきた鶴丸は、白い背中をこちらに向けたままだった。胡座を掻いて、開いた部屋の外を見たまま。朝は気持ちの良い朝日が入り込む東側の空は、もう太陽を通過させていたが昼の明るさはぽかぽかと空気を暖めている
鶴丸はその空気の中、口を開いた。
「初夜」
繰り返す。今は昼。ぽかぽかの空気が気持ちの良い昼である。その中、鶴丸は夜、と口にした。
一週間後。初めての夜を、しよう。そう、燭台切を誘ってきたのだ。
「そ、」
と口を開いて、続きは声に出さずに。
そうきたかあ~!!
内心の叫びを燭台切は表に出さないように拳を握った。pcタブレットを持っていたら絶対に画面を割っていただろう強さで。
「そう、だね。うん、そうしようか」
「ん」
「今夜じゃなくていいのかい。一週間後?」
「だな。一週間後で」
「OK、分かった」
「よし」
鶴丸は両手で胡座の膝を軽く叩き、そのままそこに力を入れて立ち上がった。そして振り向かないまま部屋を出ていこうとする。
頼むからそのまま部屋を出ていってほしい。そう願うと、廊下に出る手前で足を止める。
鶴丸が障子の竪桟に軽く手で触れる。それが鶴丸の顔の高さと同じ位なのを幸いと、その手をじっと見つめた。これならぎりぎり視線を逸らしているのもバレないだろう。
しかし鶴丸は完全に振り向かなかった。右耳と右の頬が少しだけ燭台切に見せる程度に首を動かして、
「一週間後、この部屋でな」
それだけ言い残して今度こそ廊下の向こう側に踏み出して、そのまま左に曲がっていなくなってしまった。
今の燭台切の顔を見られなかったのは非常に助かったが、余計な一言を付け加えられたのは遺憾だ。立つ鳥跡を濁さずの諺を知らないのか。そう詰問したくなる。
「・・・・・・一週間後、この部屋で?」
ひくりと口の端を、言葉と同じ様にひきつらせて。呆然と部屋の中を見渡した。一週間後、この部屋で。もう一度心の中で繰り返しながら。
「僕達、恋刀になって半年以上経つんですけど・・・・・・」
まさかのタイミングでの爆弾投下に恥じらいよりも信じられない気持ちの方が大きかった。
確かに恋刀となって大体半年以上経つ。けれど、お互いの関係に名前が当てはまる前から、なんとなくお互いが想い合っていることは分かっていた。気づけばよく共にいて、よく視線が合って、よく一緒に笑っていて。それが自然であるのに、意識すると嬉しくて仕方がなくなる。大きな安らぎと、少し強くて早い鼓動を与えてくれる相手。それが燭台切にとっての鶴丸であって、鶴丸にとっても自分が似たような存在であるのだと何故か理解していた。
理由が分からない事実は解明が出来なくて。けれど事実は事実で。燭台切はその事実をあるがまま受け止めていた。鶴丸と出会ってからの二年間くらい。
しかし半年程前のこと。鶴丸が突然言い出した。
「そろそろ恋刀になるか!」
あっけらかんと。まるで盛り上がっている途中に酒が切れて、もう一本一升瓶あけちまうか!と酒の席で提案する様に。燭台切にとっては突然でも、鶴丸にとっては当然の流れだったのかもしれない。
二人の認識の違いはさておき、燭台切は何故突然そんなことを言い出したかより、その恋刀というものが二人の関係の名前になった場合の変化が気になった。
「良いけど、恋刀ってどんなことするんだい?」
「んー、そうだなぁ。例えば、こんなことかな」
鶴丸の顔が近づいて、自分の唇から、ちゅっと可愛らしい音がした。遅れて意識した少し冷たくて薄い皮膚の柔らかさが、鶴丸の唇。
「ぇっ、・・・・・・ぅえっ!?」
「ははっ、こんな小さな行動でそんなに驚いてもらえるなんて鶴丸国永冥利につきるなぁ」
楽しそうに笑う鶴丸はいつものもの。燭台切を驚かせることに成功した時の無邪気な感情だ。
ただその瞳の奥に、無邪気とは似て非なる、なんだか非常に甘そうな喜びを見つけてしまえば、咄嗟に唇を防御していた黒い右手を下ろさざるを得なかった。
そして、いつも飄々とした色味の白い頬がほんのりと赤く染まっている理由を理解してしまえば、今度は自分から鶴丸の唇に音を立てにいくしかなかったのだ。
そうして恋刀と名前がついた燭台切と鶴丸だったが、共に過ごす時間が少し長く、密度が少し濃くなったこと以外はほとんど変化なかった。
一番の変化は、口づけを交わすようになったこと。
挨拶代わりの奇襲の口づけが割と頻繁に。後は、数週間に一、二度、夜にだけ交わされる長い、長い口づけ。
ちゅっ、と可愛らしく音の立つものではなく、しっとりと隙間もないくらい重ねられる口づけだ。場所はほとんどが燭台切の自室。夜の晩酌や会話を数時間楽しんで、その楽しい時間を終える合図として交わされる。
擦り合わされる薄い皮膚は鶴丸の感覚をより近く感じさせる。けれど同時にそれでも足りない気にさせる。恋刀になる前はお互いが想い合っているだろうことに満足していた癖に、自分の中にこんなにも鶴丸を渇望する気持ちがあったとは最初の長い口づけで初めて気がついた。
近くに、もっと近くに。そんな気持ちで、二つの唇が一番ぴったりと嵌まる様に角度を何度も変えて。お互い唇を開いた方がぴったり嵌まると気づいたのは二回目の長い口づけの時だった。
開いた唇からは鶴丸の湿った生温い呼吸が入ってくる。それを自分の呼吸と一緒に身に取り込んでいくと、徐々に頭がぼうっとしてくる。呼吸を飲んでも足りない、まだ近くにいたい。自分も差し出すから鶴丸ももう少し近づいてほしいと、勝手に伸びた舌先に、同じ熱さを持った薄い弾力が触れた時の衝撃は忘れない。
自分から求めた癖にびくりと体全体を揺らして驚いた燭台切を宥めるように、鶴丸の舌はゆっくりゆっくり固まる燭台切の舌に絡んだ。もっと近くにいたくて、まるで鶴丸にすがり付いている燭台切の背中を優しく手のひらで何度も撫でながら。
心地よかった。ゆっくりと絡み滑る舌も、優しく撫でてくれる手のひらも。心地よくて色んなものがほどけていくようだった。心とかそういったものが。
長い口づけを終え、力が抜けすぎてくったり鶴丸に身を預ける間も鶴丸は燭台切をあやす様に背中を撫でてくれた。恋刀の幸せな時間とはこういう時間なのだろうと身を持って理解した。
鶴丸は好奇心が旺盛だから、恋刀の自分はこれから様々なことに付き合わされるだろう。当然夜の営みだって。それについて不安がないと言えば嘘になるが、口づけの心地よさを知ってしまえば少しだけ心踊った。そのタイミングはいつになるだろうと、鶴丸の優しい手のひらを背中に感じながら考えていた。
しかし待てども待てども、鶴丸は口づけ以上のことは仕掛けて来なかった。
「そろそろ恋刀になるか!」とあっさり提案してきて、頻繁に口づけの奇襲を仕掛けてきて、数週間に一、二度長い濃厚な口づけを交わしているのにも関わらず。
恋刀になってから二ヶ月程経って燭台切は気がついた。
あれ、これ。もしかしてこれ以上進展しないのでは?
鶴丸は間違いなく燭台切のことを好きでいてくれている。それはわかる。毎日毎日飽きずに驚きの奇襲をかけてくるし、愛しそうに名を呼んでくる。鶴丸の気持ちを疑うことはない。
しかし長い口づけの時いつも足りなくて急いてしまいそうになるのは燭台切で、鶴丸はいつも燭台切を宥める方だ。くったりとする背中を撫で終わった後は、頬を手のひらで包んで「おやすみ、光坊」と別れの挨拶と共に額に唇を落とすだけ。
もしそこで鶴丸が燭台切の着流しの衿元に手を差し入れて肌を撫で、夜の空気に肌蹴させたなら燭台切だって鶴丸を引き寄せて自分の布団に転がし覆い被さることだって出来るのだ。やり方は分からずとも、口づけと同じように二人で気持ち良くなれる方法を模索出来る。
けれども鶴丸は平然と自室に帰っていく。自分でも分からない何かを燻らせている燭台切を置いて。そして次の日の朝には、挨拶代わりの驚きを、時に口づけを嬉しそうに仕掛けてくるのだ。
さすがに理解した。
鶴丸は燭台切と夜の営みをする気がないのだと。
もしくはあの口づけこそがそれに該当すると思っているのか、本人に直接聞いたことがないのでそれは分からないが、何にせよ鶴丸と燭台切の身体的接触に於いてこれ以上進展がないことに変わりはない、それを理解した。
正直な話、肩透かしを食らった。残念だと思ったのも事実だ。二人で出来る"イイコト"――男同士での行為の知識がない為漠然とした印象ではあるが、それを鶴丸と出来ないとなるとどうしてもがくりと肩が落ちた。
しかし無理に誘う気にはなれない。鶴丸が、故意的にせよ無意識にせよ避けていることを強いることはどうしてもしたくなかったから。
欲しいものを我慢することは出来る。けれど、嫌なことを押し付けるのは苦痛しか生まない。自分がどういう姿勢で鶴丸の恋刀として付き合っていくべきか、答えは明白だった。
二人で出来ないことがあれば、その分他に二人で出来ることを増やしていけばいいだけのこと。燭台切は恋刀となって二ヶ月程でその結論を出し、その心構えで半年を超える今日まで、鶴丸との在り方を順調に確立していた。
と、思っていたのだ。つい、数分前までは。
「えっ、どういうこと?つまり鶴さんにはそういう欲もあったってこと?」
机に両肘を突き、頭を抱えたままこの半年間を回顧し終わった。し終わったのだが、混乱は収まらず、先程までレシピを見ていたpcタブレットに向かって疑問を投げ掛けた。
自動的にスリープモードになっている為Google先生はもちろん、黒い画面に反射する頭を抱えた隻眼の男も何も答えを返してはくれない。
「い、いやいや。だとしても何でこのタイミング?気まぐれ?なのに一週間後?意味が分からない」
分からないことだらけだ。ならば鶴丸が初夜云々言い出した時に根掘り葉掘り聞き出せば良かったのだろうが、
「僕の格好つけ~!!!」
はっきり言う。あそこですんなり鶴丸の提案を受け入れたのは、見栄だ。それ以外の何でもない。
数ヵ月前に待ち望んでいた提案を、今は他人事に思えていた願望を鶴丸にあっさり提案されて動揺している姿を見せたくなかった。みっともなく飛び付いて、実は冗談でした、なんてことにもなりたくなかった。
だから、成る程ね。良いタイミングだ。でも一週間後で良いのかい?僕は別いつでも構わないから今夜でも良いけど?まぁ鶴さんが一週間後が良いって言うなら僕には異存ないよ?みたいな態度をとるしかなかったのだ。
鶴丸はこんな燭台切の見栄にも気づいていたのだろうか。
「・・・・・・まさか。こういう種類の驚きを僕に与えたかったんじゃ?」
恋刀にだけ与えられる特別な驚き。数ヵ月の仕込みを終え、燭台切が忘れた頃に仕掛けを発動したのだ。そうだ、鶴丸が大人しくしている時は新しい驚きの構想を練っている時。そして、仕込みが終わって時期を見計らっている時だ。
つまり今日がその発動時期だと鶴丸は判断した。それは正しく、数ヵ月の仕込みは最大限の驚きと成った。
「・・・・・・怒っていいかな、さすがに」
と言いつつ口調は弱り果てていた。今の考えが事実なら、鶴丸の手のひらで踊らされていることに多少腹は立つ。けれど、今の問題は鶴丸の狙いがなんなのか解明するだけでは解決しない。
「だって、一週間後にこの部屋でする、のは、本当、なんだろう?」
言った途端、未確定だった未来が現実に確定した様な感覚になった。ぶわりと上がった熱は、期待。しかし、じわりとこめかみに感じた汗ばみは焦り。
鶴丸が今夜ではなく一週間後に初夜を提案した理由を考える。最大に驚かせるなら奇襲が一番だと鶴丸は知っている。そして燭台切相手ならばそれが他の刀よりも効果的だと言うことも。何せいまだに毎日の奇襲に慣れない様な刀だ。勿論鶴丸の方が上手で、あの手この手で奇襲してくるのが原因でもあるのだが。そのあらゆる手法について今は置いておくとして。
けれど鶴丸は一週間後、とある一定の日数を開けて指定してきた。その理由。
鶴丸が愛する驚きは一辺倒ではなく様々だから、こういう風にじわじわと燭台切を驚かせて混乱させたかった、というのも考えられる。しかし、燭台切はそうではない、と直感的に理解した。
「準備しろ、ってこと、だよね」
一週間後に初夜を迎える為の。
そうとしか思えない。今夜でも、明日でもなく、一週間後に指定してきた理由が。
鶴丸との夜の営みを望んでいた時、小耳に挟んだことがある。男同士の場合、受け入れる側に負担が大きいからなるべく準備は丹念に、という情報を。
演練場で聞いたどこかの審神者同士の井戸端会議。真っ昼間からしかも演練場でどういう会話をしているのかと呆れた思いを押さえ込んで、頑張って聞き耳を立てたがそれ以上の会話を聞き取ることは出来なくて、受け入れる側の負担とはどういったものなのか、そこまで知ることは出来なかった。
自分で調べるその術もなく、鶴丸と自分はどちらがその負担を背負うことになるのだろうかという疑問だけが残った。負担を背負うなら自分が良いという思いと共に。
その希望だけはなんとか叶えられるらしい。たぶん。恐らく。
「・・・・・・だよね?鶴さんに負担かけたくないからそっちの方が良いんだけど。しまったなぁ、そこだけはきちんと確認しておけば良かった」
後悔しても遅い。あそこですまし顔で承諾した後だ。今から鶴丸を追いかけてその肩を掴み「一応確認だけど僕が受け入れる側で良いんだよね!?」と聞くことも出来まい。
「いいや、準備しておくに越したことない」
鶴丸がどちらを望んでいても対応出来るように。それが正解だろう。
さて、それならば準備を。と、文机に両手をついて立ち上がろうとした、まるで厨に食事の準備をしに行く感覚で。しかし腰を上げて中途半端に立ち上がった途中で、はた、と気づいた。そして気づいた途端だらだらと汗が流れていく錯覚を覚えた。
「準備って、どうするんですかねぇ・・・・・・」
如何せん、男同士の性行為の知識ほぼゼロ。本丸内に書庫はあったが性行為の手引き書がないのは数ヵ月前に確認済みだ。
この本丸で恋刀となっているのは鶴丸と燭台切だけ。もしかしたら隠れて付き合っているものもいるのかもしれないが少なくとも燭台切は知らない。だから、先駆者に知識を与えてもらうことも出来ない。
ならば、後は主に請うて知識を手に入れる方法を教えてもらうか。馬鹿な。所有物の惚れた腫れた、というか性行為云々に主を巻き込むなどと。
しばらくその体制で固まっていたが、すごすごと腰を下ろしまた頭を抱えた。どうしよう、誰もいないのに答えが欲しくて黒い画面の中の隻眼の男に呟いた。
黒い画面?この黒い画面はなんだ?鏡か?黒い鏡など持っていたか。違う、これは――
「ぐ、Google先生ー!!!」
マントヒヒがライオンの王子を神に見せるが如くpcタブレットを持ち上げ、天井に掲げた。
これこそ神の恩恵にも等しい文明の利器。無垢なる無知に、堕落する知識を与える禁断の果実。
しばらくpcタブレットを抱えたまま感動に浸っていたが、こうしてはいられない。時間は刻一刻と進んでいるのだ。時間は決して遡ってはいけないのだから。
「えーっと、『男同士 性行為』でいいのかな?検索っと」
指でタップすると頼もしい教師が検索結果を一覧でずらりと並べてくれる。
とりあえず求めている答えを開示してそうな結果を開き一通り目を通していく。
横書きのため左から右へ。一段下がってまた左に戻り右へ。左目を何度も左右に文字を追わせる。そこには未知なる世界が展開していた。男同士の性行為の仕方が。
「へえぇぇ・・・・・・」
これを自分がしなければならない実感よりも妙な感心が口から漏れた。人間とは自然の摂理に逆らってまでこんなことをしているのか。いや、体に感じる器官が備わっているのだから、男が受け入れる側になることも自然の摂理でもあるかもしれない。いやぁ、すごい。など、他人事の様に。
勿論、しなければならない準備に腰が引けそうにはなったが、必要なことであればぐだぐだ言っても仕方がない。嫌なことはいざやってみれば、すんなりと終えることもある。その先に幸せなことが待っているならそれもひとつのスパイスになるかもしれない。
ふんふん、と簡潔に書いてある必要な知識を頭に入れていく。すいすいと指を下から上へ文字と共に流していく。その途中でひとつの文章が目に止まり、同時に指の動きも止めた。
『そこで感じるようになるには慣らす必要がある』
「・・・・・・・」
その一文を見て瞬間思ったことを口に出す。
「鶴さん、こういうの好きそう・・・・・・」
何というか一から仕込んで、自分の望むようにしていくのが。驚きを産み出す過程も嬉々として手間をかけていく男だ。恋刀に対してもそういった性質を持っていると言われたら心の底から納得する。
「でも、準備しろって言ってたし」
正確には言葉にしてはいない。けれどあれは言外そういうことだろう。ならば、燭台切はこの一文を含めて準備をしておくべきなのだろうが。
しかし、仕込みの全てが整った燭台切を前に鶴丸はどう思うだろうか。わざわざ「初夜」と宣言した鶴丸は。
答えが出ない迷いが生じる。鶴丸の宣言から数十分しか経っていないのに、これで何度目になるだろう。
「・・・・・・成程ね。僕のこういった反応も見越してあの宣言か。やってくれるね、鶴さん」
いい加減本当に腹が立ってきた。こうして何度も何度も燭台切を悩ませるのが目的だとしたならいくらなんでも意地悪が過ぎる。数ヶ月前から仕込まれていたことも含めて。
「いいよ、そっちがその気なら僕だって応えるさ。鶴さんの期待に、完璧に、ね」
準備をするための必要な知識は仕入れる。実際準備もする。せっかくの一度しかない初夜だ。どちらの立場になるにせよ、燭台切だって失敗したくない。しかしすべては必要最低限に。鶴丸の楽しみを潰さない様に。
鶴丸の期待には応える。それだけでなく、燭台切はその一段階上目指す。向上心は格好良さを信条とする燭台切には欠かせないものだ。
「僕の絶妙な手腕で惚れ直してもらうからね」
鶴丸は仕込みが得意だろうが、燭台切だって下ごしらえは得意なのだ。鶴丸が作りたい料理を作れるように一週間かけて己を準備しようではないか。
限られた時間の中でまず燭台切がしたのは視覚から知識を仕入れること。つまり動画を見ることにした。
と言っても全てを見るわけじゃない。見る部分は後ろの解し方から挿入するまで。その部分だけ様々な種類を見た。そこの知識だけ必要だったから。前戯なるものは特に見る必要はなさそうだったし、そもそも動画内でも重要視されていないのかその部分は短く、飛ばしやすかった。挿入から後ろの部分は初めてを楽しむには過多な情報として決して見なかった。
動画を見るに、文章で読んだローションなるものがどれほど重要か知ることが出来たので、通販でローションなるものを購入した。通販方法は恥を忍んで主に聞いた。勿論商品名は伏せて。
ローションが手に入ったことによって、受け入れる場所の準備を始めた。と言っても自分の中指が入るくらいまで慣らすくらいではあったが。
そこの感覚を知ってしまうのは避けた。避けた、というのは語弊があった。実は少しだけその中指の第二間接あたり先にある前立腺なる器官を探ってみたのだが、探し当てられなかったのだろう。Google先生が開示してくれた知識にある様な気持ち良さを感じることはなかった。そこを慣らしている自分を客観的に考えたのが一番の原因なのかもしれない。もしくは感度が悪いのか。良いのだ別に、鶴丸さえ受け入れることが出来れば。それにそっちの方が鶴丸も仕込みを長く楽しめると思うかもしれない。燭台切が抱く側になるなら使わない部分でもあるし。
そんな風に準備は進めていった。
初夜宣言してから一週間、鶴丸は一度も燭台切の前に現れなかった。挨拶代わりの奇襲は勿論食事や風呂の時間も燭台切ときっちりずらし、よく夜になると訪れていた燭台切の部屋にも一度も来なかった、夜だけではなく昼も。部屋を訪れて来なかったのは好都合だった。燭台切も準備があったし、動画を見ている際に顔を出されるのも困る。
見ている動画に対して「痛くない?それ痛くないの?」とか「えー、そんなにすんなり挿入るものかい?」とか、あげく挿入されただけで達してしまう相手を、淫乱と詰る動画の男に対して「それだけ気持ちいいってことだろう?そんな言い方したらダメだよ」と真剣に咎める姿なんて見られた日には恥で重傷になりそうだ。
そんな事態になることもなく。出陣内番も一緒になることもなく。きっちり一週間。鶴丸と顔を合わせないままとうとう初夜の時を迎えた。
「布団よし、枕よし、照明よし、ローションとちり紙よし」
夜が始まって数時間。夜更けと言うにはまだ早いが、就寝が早い刀達がぼちぼちと寝始める時間に燭台切は自室で指差し確認をしていた。
もうすぐ鶴丸がやってくる。その前の最終確認だ。先程まで布団の上に敷いていたタオルは初夜の雰囲気を盛り下げる景観になる気がして布団のシーツの下に敷き直した。
照明はいつもより一段階落としただけで夜に逆らう明るさを降らしていた。これならば鶴丸の表情も肌の色も良く見えるだろう。鶴丸が明かりを消して欲しいと言わない限りこのままでいきたい。
防音は元から各部屋に完備されている。ここの本丸は比較的新しいシステムが導入されている本丸だ。これが古風を愛する本丸であったら行灯をいくつかと、防音用の簡易的な結界を調達しなければならなかっただろう。ローションも通販出来なかったろうから代用品を探さなければいけなかっただろうし、そもそも性行為の知識を仕入れることも難しかった。
元々この本丸のことが大好きだが、今回ばかりは主とこの本丸の方針に心からの感謝を捧げなければならない。布団の前に正しく座して、今は眠る準備をしているだろう主に「ありがとうございます主。明日からももっともっと力になれるように頑張るからね」と祈るように感謝を捧げた。
その時、たんたん、と。軽く、細い木を叩く音がした。
来た。
どくんと大きくなった鼓動が声より先に訪問者を部屋へと招き入れる。当然、部屋の外、廊下に立っている相手には聞こえないので、訪問者は律儀にも「光坊、俺だ。鶴丸だ」と名乗った。
「どうぞ、入って」
立ち上がって迎えにいこうとしたが、結局座したまま声を掛けた。布団を向いていた体を、障子側に向けながら。
すー、と静かに障子が空いて、一週間ぶりの恋刀が姿を表した。すらりとした細身に着流しを纏うその姿がやけに懐かしく感じる。それだけでなく、常と違う静かな表情や障子に添えられた手の動きがなんだか艶かしくも。
座しているから見上げる形になる鶴丸の出で立ちに無意識にこくりと喉がなった。緊張しているのだろうか。準備は万端だ、緊張する必要などないというのに。
緊張は自分の実力を十分に発揮出来ない。気持ちを切り替えるべく、意識して微笑みを浮かべた。
「いらっしゃい、鶴さん」
「・・・・・・ああ」
「どうぞ。こっちに」
鶴丸は後ろ手でこの部屋を封鎖し、数歩先にいる燭台切へと近づいた。燭台切の後ろには二つの枕が並んでいる布団がひとつだけ敷かれている。
鶴丸はその一挙一動を見つめる燭台切の前に膝をついた。膝が当たりそうだったので後ろに少し下がって場所を譲る。燭台切の裸足の爪先が布団の縁に乗った。
「一週間ぶりだね、鶴さん」
「そうだな」
「この一週間あっという間だったのに、鶴さんがすごく懐かしく感じるなぁ。それだけ会いたかったのかも」
「そう、か」
鶴丸は燭台切の言葉に簡潔な返事を返すだけ。一週間前の静けさがまだ続いている様だ。鶴丸が静かな時の理由はもう十分に理解している。どうやら鶴丸はこの状況に於いても何か驚きを仕掛けてくる算段らしい。だが残念だ。燭台切はその可能性を想定していた。
一週間時間があり、その間鶴丸は一度も燭台切の前に姿を表していない。何かを仕込むには十分すぎる時間があった筈だ。ここぞというところで驚きを仕掛けてくるに違いない。
しかしそう易々と驚かされるつもりはない。今夜ばかりは。ならば、先手必勝。先に仕掛けさせてもらう。
「ねぇ、鶴さん。この一週間、どんなこと考えてたんだい」
目の前の体。その左腕を素手となっている右手でするりと撫でながら声をかける。
「僕は鶴さんのことばかり考えていたよ。今夜のことばかり、考えていた」
「・・・俺もだ」
「本当?嬉しいな」
線を降りていく様に撫でていた右手は、鶴丸の左手に辿り着く。その手が意外に大きいことは知っている。と言っても燭台切の手よりは小さい。膝の上で拳を作っていたその左手を包むように上から握る。親指で拳を開かせて、触れられる様になった手のひらを、燭台切は親指ですりすりと撫でた。
「ね、一週間ぶりの口づけをしよう。もっと近くに来て、さ」
「光、坊」
「大丈夫、怖くはないよ」
柔らかく掴んだその左手をゆっくりと燭台切側に引く。鶴丸の体の動きを誘導する様に。
鶴丸は燭台切の誘導通りにゆっくり腰を上げ、膝立ちになって上半身を近づけてきた。膝立ちの分だけ鶴丸の顔の位置が高い所にある。見上げる為に僅かに顎を持ち上げる。すると鶴丸の右手がそこを掴み、くん、と更に顎を上げてきた。一瞬絡まる視線。その鶴丸の瞳の奥にいつもと違う何かを見つけた気がしたが、それは瞼と白銀の睫毛とに遮られて、その正体を当てることは出来なかった。
遅れて燭台切も片目を閉じる。一週間ぶりの唇が重なるのは同時だった。鶴丸の薄い唇の感触が自分の唇と擦れて、ひり、といつもの渇望に熱が点り始める。柔らかく押し付けて、角度を変えながら擦り付けて。何度繰り返して、まだ乾いている唇を開いた。
「ん、・・・・・・」
飲み込む鶴丸の息がなんだかいつもより熱い気がする。そろそろと舌を伸ばした先の弾力に至っては気のせいですまないほど、熱かった。ゆっくり、ぬるぬると絡まる舌の動きはいつも通りなのに、熱さが違うだけで燭台切の息もいつもより上がりやすくなっていた。
鶴さん、調子悪いのかなと少し思ったが、さっきみた顔色は悪くなかった。風邪等ではないと思うのだが。
「ぅ・・・んぁ」
「ん、」
考え事をしながらも舌はゆっくりと絡み合う。心地いい。でも足りなくなる。もっと、もっと鶴丸と近くありたい。いつもは宥める為に背中を撫でてくる鶴丸の右手は燭台切の頬を撫で、そして右耳をくにくにと弄ってくる。
「んぅ・・・っ」
ふるっと体が震えた。初めての感覚だ、吃驚した。いけないこのままでは。
心地よさに鈍っていた頭の働きに内心活を入れる。鶴丸にばかり行動させるわけにはいかない。
鶴丸の行動の先を読んで燭台切も動いていかなければ。鶴丸が、このまま燭台切を布団に押し付けて覆い被さって来るようならば、燭台切は恥じ入るそぶりを見せて鶴丸が嬉々として仕込みにくる形をとらなければならない。
鶴丸がねだるように、燭台切を見つめてくるならば優しく抱き締めそのまま布団へと縫い付けてあげよう。後ろの解し方は動画と、そして身を持って知っている。鶴丸に怪我をさせたりは絶対しない。
さぁ、鶴丸はどちらの行動に出る。どちらでも良い。どんとこい。どちらにしても完璧な初夜を完遂してやろうではないか。
燭台切が心の中で大きく宣言すると、ぬるぬる絡んでいた鶴丸の舌がほどかれた。目を開くと燭台切の口の中から鶴丸の舌が抜かれていって、最後まで名残惜しく触れていた二人の舌先の間には銀の糸が引いるのが見えた。いつもの口づけならすぐに途切れてしまうその糸は、まだ切れることなく、鶴丸の舌から低い位置にある燭台切の舌へと雫の丸いダマの波を二度三度送り込む。それだけ口の中の粘度が高かったと言うこと。そしてそれだけでなく、鶴丸の唾液が糸を通して燭台切に流れていると言うことだ。舌を絡ませることによって自然と二人の唾液が混じるのとはまた違った行為だ。
こくん、と流し込まされたものを飲み下しながら、それを認識した途端、鋭いのに鈍い熱い重しの様な何かが背中から腰にず、とまとわりついた感覚がした。思わず腰が下がる。それによって正座が崩れて、尻が完全に布団に落ちた。
咄嗟に後ろ手を突いた。鶴丸は膝立ちのまま、濡れた唇を拭いもせずますます低い位置になった燭台切を見下ろしている。
さて、ここから。楽しげに覆い被さってくるだろうか。それとも濡れた瞳でねだるようににじりよってくるだろうか。
燭台切もまた唇もぬぐわず鶴丸をじっと見つめた。すると鶴丸は、
「・・・・・・はああぁぁ~」
何故か両手で顔を覆って大きな大きな息を吐いた。
「つ、鶴さん??」
まったくもって予想していなかった反応に、取り繕うことも出来ずに狼狽える。これが鶴丸の策かもしれない、と頭の隅で思ったがさすがに大きく息を吐かれるとは思いもせず一体どうしたんだと体を起こし鶴丸に近づかせるしかなかった。これが鶴丸の手腕というならば天晴れだ。素直に敗けを認めよう。
鶴丸は近づき、下から覗き込む燭台切に対しても顔を覆ったまま、大きく息を吸い、また大きく吐いた。
「つ、鶴さーん」
「・・・・・・興奮する」
「はい?」
今度は鶴丸の腕に触れながら再度名前を呼ぶと、鶴丸はぽつりと顔を覆ったまま呟いた。
単語は聞き取れた。しかし理解が追い付かなくて聞き返す。鶴丸は燭台切には答えず、また大きな呼吸、たぶん深呼吸を繰り返した。
「こ、興奮するって・・・・・・?え?」
大きく肩が上下する。その横を見て気がついた。鶴丸の両耳が、赤く染まっていることに。
「へ?え、えっ、えっ?」
「いくらなんでももう平気だろうと思ったのが間違いだった。一週間ありとあらゆる精神統一方法だって試した。なのに、」
鶴丸は大きく息を逃す。体の中の熱もどうか一緒に逃げてほしいという様に腹の底から吐き出す。けれど繰り返す途中で無駄だと悟ったのか、はぁ、と諦めた様な短さで切り上げた。
「悪い、光坊」
「な、何。何を謝るんだい」
ぼそっと呟かれた謝罪はとても低い。その声の低さと理由の分からない謝罪は少し怖かった。
鶴丸は表情を隠していた両手をゆっくりと下ろし、僅かに俯かせていた顔をこれまたゆっくりと上げる。
あ、やばい。
視線が絡んだ瞬間、そう感じた。両耳だけでなく目元は鮮やかすぎるほど赤くなっている。恥じらいから、と言われればなんて可愛らしいと思っただろう。けれどその赤が引き立てている、二つの眼。高い温度で炙られた金は理性を溶かしつつある。それなのに熱にぼんやり浮かされることなく、目の前の対象をらんらんとした輝きで捉えていた。瞳孔が開いている。獲物を前にして。
鶴丸国永という刀が、飄々とした面の下に深い愛情とだからこその激しい性質を持っていることを知っている。戦場でだって血の気が振り切れば理知さもかなぐり捨てて、激情と反射だけで刀を振るうこともあった。
しかしこんな鶴丸は戦場でだって一度も見たことがない。
何故自分は照明を明るいままにしてしまったのだろう。薄暗い部屋であったなら、こんな鶴丸をありありと見なくて済んだのに。薄暗い部屋でこの二つの金が光ってこちらを見ているのも怖いと言えば怖いが。
これはやばい。本当にやばい。
そんなことはないと頭では理解しているのに、このままでは食われる。と本能に近いものが警鐘を鳴らす。
けれど鶴丸は襲いかかってくることはない。どこか途方もなく、困り果てている様にも見えた。今は、まだ。
「もう、自分を抑えられそうにない」
「お、落ち着こう鶴さん。一回、落ち着こう」
初夜である。むしろこれから盛り上がるべき所なのだが燭台切は鶴丸へと手のひらを見せ、制止をかける。その行為にどれくらいの効果があるなんて分からない。
「落ち着いて。大丈夫だから。ね?体を重ねるだけだよ。僕達の心はもう繋がっているじゃないか。今夜は肉の器を重ねるだけ。心が繋がった結果の付随行為だよ。言っちゃえばおまけだから。おまけ!」
数ヵ月前までその付随行為を待ち望み、この一週間、課せられた使命の如く真剣に今夜の準備をしていた癖によくもこんなことが言えるものだと自分でも思った。しかし、我を見失うほど大したことではないのだと鶴丸に認識してもらわなければ困るのだ。今だけでもいいから。とりあえず、一度落ち着いてほしい。
燭台切の願い虚しく、鶴丸はふるふると首を横に振る。
「その肉の器だって今の君を構成しているものだ。俺には、そんな軽い行為に思えない」
「あ、ありがとう。そんなに想って貰えて嬉しいよ。嬉しいけどっ、」
「それに、」
今はそんなに深く考えないでくれと続けようとする燭台切の言葉を、鶴丸の静かな言葉が遮る。
「君の形を作り変えるんだぞ。興奮するなって方が無理だ」
「作り変える?」
「肉の器に入り人の身を得ていると言えど、俺たちは物だ。物が交わるってことは、別の形に変わるってことだろう」
「う、ん?」
問いの答えにすぐに頷けない。
鶴丸の言う通りなのだろうか。確かに紅茶にミルクを入れればミルクティーになるし、マヨネーズとケチャップを混ぜればオーロラソースになる。物と物が交われば別の物に変化するけれど自分達はそれに当てはまるのだろうか。
自分達の本体を刀解して鋼に戻し、その二振りの鋼を溶かしてまた別の刀を打つ、と言うなら分かるが、今は人の器。何れだけ近くにいても、触れても、交わっても、自分と他者の境界線がなくなることはない。別の存在のままだ。だからこそ人は体を重ねるのだろうが。
「確かに人の身で交わるから変化は分かりにくい。けれど必ず変わる。君の器の中に俺を直接打ち込むんだから。そうすれば君の中は俺の形になる。触れ合い続ければお互いだけに馴染む肌になる。そう、体を作り変える夜が始まるんだ、今夜から」
そう言って鶴丸はとっくに赤い目元をぶわっと更に赤く染め上げて恥じらう様に目を伏せた。可憐だ。その表情は初心な少女の様で。頼むからそのままでいてくれ。その獰猛な瞳はどうか伏せたままで。
「たまらない。見た目から分からない所で、ぴったりと俺の形になっている君になるのだと思うと。物である君が誰の物であろうとも、人の身同士を重ねる俺だけが分かる」
鶴丸はそう言うと今まで伏せていた、可憐な少女を食らう獣の様な瞳を燭台切に向ける。じわじわと少しずつ鶴丸の言っている意味を理解してきて固まっている燭台切に。
「光坊」
「う、いっ、ま、」
「心と同じように、この器でも二人だけが当てはまる形になろう」
「まままま、待って!!」
勢いよく襲い掛かって来るのではなく膝立ちのままゆらりと近づこうとする鶴丸に後退る。畳と違って布団の上はシーツが滑って動きにくい。思ったよりも距離が取れないと咄嗟に判断して、布団の下側に畳んでいた上掛け布団を手に取る。そしてそのまま頭からがばりと被った。足がはみ出てしまったのは体格上仕方がない。何でもいいから鶴丸と自分を遮るものがほしかった。
照明が明るいため被った上掛け布団の中は完全に暗くはないが、息苦しい。酸素が十分有ったって、息を潜めている今、肺一杯に取り込むことは出来ないが。
「光坊」
鶴丸の気配がすぐ側にある。
「光坊、出ておいで」
いつもは明快な声は、低く言い聞かせる様に話すと途端に淫猥な音になるのだと今初めて知った。上掛け布団ごときではその音を遮ることは出来ない。
人肌が防護壁からはみ出している足を這う。着流しの裾が乱れ、曝されている脹ら脛を何度も往復するその人肌が鶴丸の手のひらだということくらい見なくても分かる。鶴丸の手を蹴る訳にもいかずそのままにさせるしかない。
「ま、待って、鶴さん。今、無理だ。僕、出られない」
「・・・・・・俺が怖くなったか?」
「ち、違うよ!」
少しだけ暗い笑いを含めた、それなのに寂しそうに聞こえた問いを即座に否定した。けれどそれは遮られた防護壁の中からで、くぐもった本心では鶴丸は信じられないだろう。少し迷って、掛け布団の境目から頭だけを外に出した。ぷはぁと息つく今の自分を客観的に見たら格好悪すぎる。
目の前の鶴丸は無表情で撫でている脹ら脛を見ていたが、燭台切が顔を出したことに気づくと顔をあげてこちらを見る。その顔を見た途端また顔を引っ込めたくなるが、ぐっと堪えた。
「あの、鶴さんが怖い訳じゃないんだよ」
「なら何故逃げるんだい」
「だって、鶴さんが、はははは破廉恥なこと言うから・・・・・・」
どもりつつも逃げた正当な理由を伝えると鶴丸は僅かに首を傾げる。
「破廉恥なこと?」
「お互いの形になる云々って話・・・・・・」
「破廉恥か?そうなることに興奮はするが別に破廉恥ではないだろ」
「破廉恥だよ!」
上掛け布団をぎゅうと握りながら断言した。手のひらの汗で布が湿っていく気がする。顔も熱い。
「僕たちは主の物だ。本体の刀はもちろん与えられた器の髪の毛一本まですべて所有者のもの」
「そうだな。俺たちはどうしたってお互いのものにはなれない」
「だけど、中は。中の形は、お互いだけがぴったりとはまる形になるん、だろう?この体は全部主のものなのに、貴方の意志で、貴方の体で変えられていく、主の、知らない、ところを・・・・・・」
自分でも言葉にした途端あまりの羞恥に限界を超えた顔の熱さが、汗となって握ったままの掛け布団をまた湿らせる。
「や、やらしすぎるよ・・・っ!そんな体で主のものだなんて背徳感すごいじゃないか!」
「ふ、・・・はははっ、君のやらしい基準は変だなぁ」
「変じゃないよお・・・・・・」
こちらは恥ずかしくてどうしようもなくほとほと困っているのに、鶴丸は自らの拳に息を吹き掛けたと思いきや笑い声を立て、あげく燭台切の基準を変だと言ってきた。納得いかない。所有物として当然の羞恥だ。
「じゃあ単純に俺と気持ちいいことしようぜ?って言ったら良かったのかい?」
鶴丸はまだ可笑しそうに言ってくる。まるでからかう様な言い方が不思議だ。
「うん。だって僕はそのつもりだったし」
「へ?」
「口づけするより鶴さんに近づけて、鶴さんと一緒に気持ちの良いこと出来るってずっと楽しみにしてたんだよ」
「・・・・・・君は俺を宥めたいのかそうじゃないのか、どっちなんだ」
落ち着いて見えた鶴丸の目がまた僅かに据わる。怒らせたのだろうか。楽しみにしていたのなら逃げ腰になるな、と。確かに鶴丸の言い分も尤もだ。
「ごめんなさい・・・・・・」
「いや、謝ってほしいわけじゃ、」
「失敗したくないって、体のことばかり考えてる場合じゃなかった。この行為がどういうことかちゃんと考えて、心の準備をしておくべきだった」
「光坊・・・・・・」
一週間前、見栄を張らず初夜に向けて鶴丸ときちんと話していればこんなことにはならなかった筈だ。己の失態でこのまま初夜を終わらせるわけにはいかない。
「あの、鶴さん。お願いがあるんだけど」
「あ、ああ。なんだい?」
「えっと・・・・・・」
掛け布団を背負ったままいそいそと鶴丸に近づき膝同士の間に拳ひとつ空いた距離で改めて腰を下ろす。はみ出していた足も折り畳んで重い羽織の中で姿勢を正す。
「貴方の望む体になることが嫌な訳じゃ決してないんだ。だけど色々考えるとなんかすごく恥ずかしくて、僕このままだと自分から動けないから、今夜は貴方に身を委ねさせてくれないかな。二人で過ごす夜なのに、ごめんね」
鶴丸はぽかんと口を開ける。突然何を言い出すのかと呆れたのかもしれない。ともかく頼み込むのはすべて言い終わってからにしよう。
「あと、興奮して激しく求めてくれるのはすごく嬉しいんだけど折角の初夜だから勢いであっと言う間に終わるのはちょっともったいない気がするんだ」
じっと鶴丸の両目を覗く。けれど恥ずかしさと自分の不甲斐なさから、瞳が開いて動かない視線を受け止め切れなくなって顔をうつむかせる。
「だから、だからね、えっと、ゆ、ゆっくりね?・・・・・・それと」
俯かせた視線の先には衿から覗く白い肌と浮き出た鎖骨。見慣れている筈なのに、その肌が自分の肌に馴染む様になることを、造形美しいその体で自分を作り変えられることを思うと顔から火がでそうになってますます顔を俯かせた。
真下には布団のシーツ。その下にはタオルが敷いてある。初夜の景観を守るためにわざわざ隠す様に敷いたが、気を使うべきはそこではなかった。まったく本当に情けない。鶴丸が燭台切を抱く気でいてくれているから良かったが、これで鶴丸が抱かれたがっていたら今夜は中止になっていた。もし気力を振り絞って抱こうとしても暴走もしくは失敗していた自信がある。変な自信が。
そう思えばこの一言を付け足すのは注文をつける様でかなり厚かましい。けれど翻弄されるだけの夜にしたくないから。初めての今夜ばかりは、鶴丸を体と心の全てで沢山感じたいから。
「できれば、優しく、してください」
「します。優しくする」
「わっ、」
食い気味の返事とともに掛け布団がばっと剥ぎ取られる。布団を握っていた手は自分の膝の上に移動していたので、その行為を妨げることにはならなかった。
そのまま髪がぼさぼさになっている頭をぎゅむっと抱き締められる。
「優しくするが、光坊は同じ男の癖して難しいことを言うなぁ」
「あ、違うんだ。雰囲気的な話だよ。無理はしないで。僕、体自体は頑丈だし」
「気を使うなって。俺達は男だから我慢するのが正しいんだよ。好きな奴にここまで言われてがっつく奴は男じゃない。獣だ」
抱き締められた胸の中は熱い。近い位置にある鼓動はいつもの鶴丸からは考えられないくらい早くもある。腕を回して触れたその背中だってやはり熱く汗ばんでいる。
「それにな、君の言うことも一理ある」
その手が燭台切の後頭部を何度も撫でる。時に指で梳く様な動きからぼさぼさの髪を整えてくれていることが分かった。今夜は特に入念に整えていたその髪を元に戻すように。
「これだけ諸々完璧に準備してくれたんだ。本当に今夜を楽しみにくれてたんだろう」
「うん・・・・・・」
髪を整え終わった鶴丸が両頬を包んでくる。浮かせていた腰を下ろし燭台切に視線を合わせ、鼻先同士を軽くくっつけた。
「言い忘れていたが、今夜はいつにもまして格好良く決まってたぜ。さっきみたいなぼさぼさの髪も可愛いが、見惚れるを通り越して劣情に直結するくらい今夜の君は魅力的だ」
「っ、」
「気合い入れてくれたんだな。すごく嬉しいよ、ありがとう。・・・・・・こんな感想すら言う前に事に急くなんて確かに無粋だった。ごめんな・・・・・・、ってどうした?何でそんな茹で蛸みたいになってるんだ君は」
「だ、だって鶴さん大真面目に言ってくれるから。嬉しいを通り越して恥ずかしいよ」
ふっ、と熱いが楽しげでもある息が直接自分の唇にかかる。近すぎて右目しか見えない、自分とはまた違う金色がやはり楽しげに細められた。
胸がきゅう、となる。恋しい、恋しくて切なくなるくらい。
「やっぱり君の恥ずかしがる基準は変だな」
「変じゃないってば。恥ずかしくて、鶴さんの顔見られないよ」
恥ずかしさで茹で蛸になっている顔を隠したくて俯こうとしたが両頬を包まれていて叶わない。
「もう掛け布団に隠れるのはやめてくれよ?俺の顔が見られないなら恥ずかしさが落ち着くまで目を瞑っててくれ」
くっついていた鼻先がすれ違う。傾いた角度で顔が近づいてくるのだと分かった。
「キスする時の作法でもあるしな」
言った本人も作法に乗っ取り瞼を閉ざす。そして優しい強さで唇を重ねてきた。
いつもは別れの合図としていた長いキスが待ち望んだ夜の始まりの合図となる。