本丸の主である審神者の影響とは凄まじい。
一度体調を崩そうものならその余波は本丸内の全刀剣男士に及ぶ。精神的なものもある。だがここでいう余波とは物理的なものだ。
審神者が体調を崩し霊力が乱れると刀剣男士の身体に異変が起こる。大半が人型が保てず刀に戻ってしまうか、肉体を動かす力が維持できず眠り続けてしまうというものだったが、他には幼児になったり、小さな人形になってしまったり、身体が透けてしまったり。耳や尻尾が生えるだけならまだしも完全に動物化してしまう場合もあった。
そんな中、今回鶴丸と燭台切が女体化だけで済んだのは不幸中の幸いだった。何せ体の性別が変わっただけで日常には支障がない。他の影響を受けた刀同様出陣することは出来なくても、身体の変化の中では髪が長髪になってしまう、身体の色が変わる等に並び格別に良い部類だ。身体が紙の様に薄くなり風に飛ばされたことや、腹が満ちていても飢えが満たされずひたすら食べ続けないといけなかった過去の影響を思えば踊りだしたくなる位の大当たりである。今現在その変化を受けている刀の前で言える話ではないけれど。
「貞坊は声が出ない、伽羅坊は誰かに一定面積以上触れていないと身体が動かせない、か。どうやら今回はアタリの様だな俺達」
「そうだねって言いたい所だけど、それ二振りの前で言ったらだめだよ。物凄い抗議されるから」
「ははっ、確かに。せめて逆だったら良かっただろうにな」
「むっつりしたままくっついてる二振りは可愛いけど、元に戻った時が大変そうだ。あれはかなりフラストレーション溜まってるもの」
と言いつつ「でも今の二振り写真に残しておきたいなぁ……、誰か短刀くんか脇差くんにお願いしようかな」とのんきな事を言っている辺り二振りのフラストレーションとやらがさほど深刻なものではないと燭台切も分かっているのだろう。
磁石の様に体が離れなくなった山姥切二振りや心の声が周りに筒抜けになってしまった肥前など過去の悲惨な症例を思い出せば、あの二振りだって今回の自分達は大当たりの部類だと理解出来る筈だ。あの時の彼らの悲惨さと言ったら、本丸の歴史に間違いなく刻まれる。燭台切と歌仙等の厨組が揃って嗅覚・味覚が狂ってしまったあの日の悲惨さ程ではないとしても。
「というか今回は軽症の奴らが多いみたいだな。一番重症なのは主アレルギーになってしまった長谷部、亀甲くらいか?」
「完全に兎化してる村正さんとか、甘いものがひたすら欲しくなる一文字二振り、触ったお酒が全部水になっちゃう次郎さんも、かな。後は大体軽症だね。主も軽い風邪みたいだからこれくらいで済んだのかも」
「軽い風邪でこんだけ影響でるのも大層なことなんだが、もうすっかり慣れちまったからな俺達も」
「これだけ変化すればねぇ」
女体化した身体でのんきに茶を啜り言われるとかなり説得力がある。のんびりと茶請けの煎餅に手を伸ばす鶴丸も同様だろう。手を伸ばしたことで、衣装の肩がずれてしまったので煎餅を口に咥え、醤油で少しべたつく手のまま、身だしなみを整えた。身体に変化は起こったものの、衣服はそのままなのでいまいち上手く着こなせない。身長はほぼ変わらないと言っても男女の体格は大分違うらしい。首鎖もいつもより大分余り、前に垂れ下がているし羽織は常より重く感じる。胸はそこまで出ていないがいつもの真っ平に比べれば天と地ほどの差が在る為、違和感は大きい。鶴丸でこれなのだから目の前の燭台切の違和感は如何ほどだろうか。
今朝、いつもの衣装に着替える時ボタンが留められない、ズボンが引っかかって穿けない、腰の部分が余る、と散々だったらしい。燭台切よりも体格の大きい大典太からジャージを借りることで何とか着替えることが出来たと言っていた。ただ燭台切はそのままを良しとせず、朝一番に万屋に走り、今の自分に合った大きさの衣装を揃えた。だから鶴丸の目の前にいるのはいつものスーツをばっちり着こなした女の燭台切光忠である。恐らく明日には元の身体に戻るから、二度と着ないかもしれない服をたった一日の為に買うのは勿体ないと普通なら考えるだろう。しかし燭台切は数万、下手すると十数万の金よりもよりも常に格好良い着こなしを選ぶのである。流石燭台切、格好良い。
「ってーことは、今日は内番変更もなしか?」
「だろうねぇ、清麿くんも水心子くんも近くにいると同じ極の磁石みたいに反発するらしいんだけど畑は広いから問題ないって言ってたし、身長が入れ替わっちゃった千代金丸くんも北谷菜切くんも馬当番は大丈夫って。手合わせは赤い眼の大和守くんと動き続けてないと逆に疲れてしまう明石くんだから一日中手合わせすることになるんじゃないかな」
「なら俺達も非番のままか」
「出陣部隊は突如非番になっちゃって可哀想だったよ。まあ、彼らも幼児やら猫耳のまま出陣したくはないだろうけど」
本来であれば驚きに満ちている筈のこの変化達も、繰り返していれば段々と慣れていく。特に性別が変わったくらいでは何ともない。鶴丸がこのまま茶飲みを続けていけば、今日は何の驚きもない日として終わってしまうだろう。
何か大きな変化が欲しかったという訳ではない。ただ、自分に起こった変化を大したことではないと、このままいつもと同じように一日を終えてしまうのが少々勿体ないと思うだけだ。大きい変化がなくとも、そこから驚きを見つけてこその鶴丸国永である。
女の身体になったことで声も常より大分高い。どこまで高い声が出るか歌でも歌ってみるか。しかしそれはすぐに飽きてしまいそうである。女は甘いものを大層好むと聞くし、どこまで甘いものを食べられるか試してみるのはどうだろう。今、一文字二振りの為に小豆が厨で腕を振るっている筈だ。そう思ったが、甘い物を食べたくて食べている訳じゃない一文字の横で甘い物が食べたいな、等は口が裂けても言える気がしなかった。食害系の影響はかなり辛い。鶴丸自身にも、覚えがあるからそんな残酷なことは出来ない。
鶴丸は腕を組み、本格的に思考に耽る。持っている限りの女の知識を総動員し、それをどうにか驚きと結び付けられないかとあれやこれやを考える。
「鶴さん?どうしたんだい?」
いきなり腕を組み、唸り始めた鶴丸を見かねて女の声が名を呼んだ。そうだ、鶴丸は一振りで女になったわけではない。燭台切と共に女になったのだ。一振りではなく、二振りであればもっと色んな事が出来るではないか。
自分の名を呼んだ女をまじまじと見つめる。女体化しても相変わらず格好良い燭台切。見目は凛々しいままでも、その中身は果たしてどうだろうか。調べれば驚きの結果が出てくるのではないか。
そう思い至り鶴丸は一度腰を上げ、四つん這いのまま机の周りを半周して、向かい側に座っていた燭台切の側へと膝立ちの状態で近づいた。そして小首を傾げたまま鶴丸の挙動を見ていた燭台切の顎をくい、と持ち上げる。
「光坊……」
「なんだい鶴さん」
「試してみたくないか?」
「何を?」
「女の身体さ」
「女の身体?」
不思議そうに瞬く左目に、心の底から湧き上がる愉悦のまま目を細めて見せた。
「俺がきみにイイコトを教えてやろう」
それから約一時間後、二振りは政府運営の演練場に立っていた。
「いやー、壮観壮観。どこを見ても男だらけ!」
「僕らも本当なら景色に溶け込む側なんだけどね」
「今日は違うぜ?なんたって今の俺達は立派な刀剣女士だからな!」
刀を持ったまま両手を広げる。燭台切にきっちり着付けしてもらった衣装が崩れることはなかった。
鶴丸は燭台切にこの姿のまま演練場に行ってみないかと誘った後、すぐに審神者へと許可を取りに行った。風邪を引いているので側に寄ることは出来なかったが、意識ははっきりとしていた様子の審神者は、最初鶴丸の申し出に渋っていた。一緒に付いていけないし、女の子二振りで何かあったら危ないし。そう言ったことを、掠れた声で言った。
けれどその審神者が危惧したことこそが、鶴丸が今の身体で演練場に行きたいと思った理由だった。
審神者が風邪を引いたからと言って、敵がそれを考慮してくれる筈がない。今まで、審神者の体調不良時に緊急の出陣がなかったことは単なる幸運でしかないのだ。審神者が弱っている時にこそ敵は奇襲をかけて来ると考えた方が現実的である。
ならば鶴丸達は自分達に変化が起こっているのを前提として戦わなければならない。もちろん、動物になってしまったり乳児になってしまったり、昏睡してしまった刀が戦うのは難しいだろう。戦えるのは動物の尻尾や耳を生やした刀、髪の長さが伸び縮みした刀や見た目の色が変わった刀など自身に大きな変化が起こらなかった刀。その中には性別が変わっただけの刀も含まれる。
とは言え、女の身体は日常に支障はなくとも戦いには不利な事も多い。女体化しても凛々しさを失わない燭台切であっても、身体の中、筋肉量や体力などには大きな変化がある筈だ。その変化を把握せず、いざという時に役に立たなければ男、女以前に刀の付喪神として非常に情けない話になってしまう。それを防ぐために、演練場で万全の状態である刀剣男士達と戦いたい、というのが鶴丸の主張であった。
幾らなんでもいきなり出陣が難しいのは鶴丸でも分かる。けれど演練場であればそうそう難しいことでもない筈だ。引きこもりの審神者なんていくらでもいるので、刀剣男士だけで演練場に向かうのは珍しいことでもない。鶴丸が単独で行くならば、自分の身体を試すどころの話ではなく、次々と打ち負かされるのが目に見えているが今回は燭台切もいる。
審神者が弱っている時に戦える刀は恐らく少数。能力の制限を負いながら、少数で戦うことが求められる戦いになるだろう。その練習だと思えば女体化している二振りだけで演練場に赴くのは絶好の機会であるとも言えた。
鶴丸が審神者にそう説明すると、本当は女の身体を試したいだけじゃないのと笑って言いながらも最後は、分りました。いざという時の為に心行くまで練習してきてください。と許可を出してくれたのだった。
「さてさて、どいつから打ちのめしてやろうかね」
「一戦目から勝てると思うかい?」
「やだ、光忠嬢ちゃんったら。最初から負ける気でいるの?」
「勿論、気持ちは勝つつもりで行くよ。女の子には女の子の戦い方がある筈だからね」
「その意気よ、お嬢!でも金的はやめて差し上げてね!こっちまで精神的痛手を負っちゃうから!」
「それはちょっと卑怯すぎる……。ってさっきから何だいその話し方」
「元男だと知られると手加減してもらえないかもしれないじゃない!元々女の子だって思ってくれたら相手も油断するかもしれないわよ!」
「時間遡行軍にその手は通用しないと思うよ。多分、刀剣男士にもね」
「だよなぁ。んじゃ、ま。今日はボロボロの美女になって帰りますかね」
そんな軽口を叩き合いつつ、演練場の申し込み窓口に向かい演練の申請登録をする。対戦相手の希望はあるかといつもの様に聞かれたので二振り声を揃えて「「完全ランダムで」」と答えた。単独相手を選んで戦うなど伊達の男に出来る筈がない。現在の性別が女だとしてもだ。
一戦目に当たったのは極短刀六振りの部隊だった。この編成は演練場でよく見られるので、大した驚きはなかった。遠戦の時点で二振りの刀装は全て剥がれてしまっただけではなく、二振りともそのまま重傷になり動けなくなってしまった。刃を交えることも出来ず完全敗北、と言う奴だ。予想はしていたため、大きな落胆はない。むしろ今日の演練はこう言った敗北が多いだろうと覚悟はしている。
四戦目にてようやく、対戦相手と刃を交えることが出来た。極の刀は編成されておらず、比較的最近顕現が確認された刀達ばかりである。太刀筋から見て、練度は鶴丸達よりも下であろう。けれど、それでも勝利を掴むことは出来なかった。相手が六振り編成だと言うこともある。けれどそれだけが理由ではなかった。斬撃が重いのだ。いつもの身体であれば易々と受け止められていた刀の一撃がとてつもなく重く感じる。相手が大太刀ではなく、普通の太刀、特打刀であっても。相手が特殊なわけではない。今の鶴丸の腕に、その斬撃を受け止めきる程の力がないのだ。
受け止めるのが得策ではないと知れば、受け流したり、避けることに集中した。しかし、避けるのにしても一苦労。筋肉が減った分、身体は軽くなっている筈なのに素早くなったかと言えばそうでもない。地を蹴る為の脚力もまた落ちているのだ。それに加えて胸に余計な脂肪が付いており、非常に動き辛い。動くたびにたゆんたゆんと揺れるせいで身体の均等も取りにくいし、避けたと思ったはずの胸元を、対戦相手の刀が赤く裂いていく。そこまで大きくないからと、放っておいた胸であったが、サラシが如何に大事だったか思い知る。もし女体化で出陣することがあれば苦しいくらいにサラシを巻いて行ってやろうと、ひとつ学習した。と言っても燭台切ほど大きい胸になってしまえばそのサラシの効果にも限界があるだろうが。
「戦いにおいちゃ、不利なことばっかりだな。女の身体は」
七回目の敗北の後。機械で再現された戦場が解かれると同時に身体の損傷や痛みが消えていき、地に伏していた身体を起こしながら思わずそう言った。
「男だったら少なくとも自分の胸が切り落とされることはない」
「直に心臓抉られるけどね」
「精神的傷は女の方がでかくないか?」
「男の子でも女の子でも痛いものは痛いけど、確かにショックだよね」
女の子にとっては大事なものだろうしね、と燭台切はきっちりサラシを巻いても大きさを損なわない自分の胸を下らかたぷんと持ち上げた。目の毒と言うよりも、今まで経験した痛みを思い出してしまうせいでその大きさが痛々しい。
その痛々しさから立ち上がり、座ったままの燭台切に手を差し出す。その手を取った燭台切が、足に力を込めて立ち上がる。演練が終われば切れた足の腱も元通りだ。痛みの記憶は消えてはいかないけれど。
次の演練試合をする部隊達が来る前に並んでその場を離れる。
「中々、勝てないものだね」
「戦えば戦う程女の身体の不利な部分しか見つからんしなぁ」
「それも重要なことだよ。自分の弱点を知らないと克服も出来ない」
「きみ、これだけ負けるの初めてだろう。くじけないな」
「くじけるっていうより負け続けて悔しい気持ちの方が大きい」
「よしよし、いいぞ光坊。その調子」
愚痴を吐きつつも鶴丸だって気落ちしている訳じゃない。痛みの記憶が思考を刺激し、経験を増やしてくれる。一方的に蹂躙されたとしてもだ。負けて立ち上がって、また負けて。傍から見れば情けなくともそれでいい。負ければ死へと繋がる戦場と違い、演練場はそうやって強くなる場所。一番大事な事は闘志を失わない事だ。
隣でぐっと拳を握って見せる燭台切の背中をポンと叩く。女性的で頼りなく見える背中だが、共に負け続けてくれる相棒として非常に頼もしい。燭台切の格好良さは本物だ。負けるなんてみっともないから嫌だなんて言う格好つけとは比べ物にならない。鶴丸は燭台切の本物の格好良さをとても好ましく思っている。女の身体であってもその格好良さが変わらない限り鶴丸の心も変わらない。
「と言っても、そろそろ一息つく必要があるな。なんせ先はまだまだ長い」
「勝つまでやるつもりだよ、僕。今日、この身体のうちに」
「なら、尚更十分に身体を休めないとな。隣接の茶屋で甘いもんでも食おうぜ」
闘志十分の弟分、今は妹分の肩に手を回す。甘い物と聞いた瞬間顔を綻ばせた燭台切は、うん、そうしようかと可憐に微笑んだ。無性に甘い物が食べたくなった鶴丸もだが、単語を聞いただけで可憐なの微笑みを浮かべる燭台切も実はかなり女体化の影響を受けているのかもしれない。女の子は甘い物で出来ているとはどこかで聞いた話だ。
甘い食べ物への想像で共に上機嫌になった鶴丸と燭台切がにこにこ顔のまま、隣接している茶屋へ向かおうとするとふわりと何やら良い香りが鼻孔をくすぐった。
甘いは甘いが、食べ物の香りではなく、どちらかと言えば華を連想させる甘やかさだ。陽の光の元ではなく、夜の月明りで咲く様な、香りの。
燭台切もその香りを感じたのだろう、二人してその香りを視線で辿る様に首を動かした。辿りついた先に在ったのは華の香りに見合う月だった。いや、月そのものよりも月に照らされる灯の色だろうか。一つだけ浮かぶその金は燭台切自身より、鶴丸の方がよく見知っている色だ。
「おい、光坊」
「うん」
三つの視線はその金色の持ち主の全身を調べ、脳にすぐさま情報を寄越した。あの刀は燭台切光忠である、そして線の凹凸から見て性別は女であろうと。
刀剣男士に比べ刀剣女士という存在は圧倒的に数が少ない。女体で顕現させることを政府が推奨していないからである。その理由を鶴丸と燭台切は身を持って経験している最中だ。とは言え、まったく存在しないわけではない。原則十歳以上の男審神者が刀剣女士を顕現させるのは禁止されているが、何らかの事故により女体で顕現してしまうことはある。それに審神者が女で在った場合、特に成人前の場合は刀剣女士を顕現させることが許されているので、鶴丸が想像しているよりも刀剣女士の数は多いのかもしれない。
けれど演練場に出ているのは非常に珍しい。鶴丸も実際の刀剣女士を見たのは初めただった。しかもそれが隣にいる弟分と同じ刀だとは。
「なんだあの靴、すっごいな。巴形や静形くらい踵が高くないか?その上踵の支柱が細い。あれでどうやって戦うんだ」
「っていうかタイトスカートだよ。少しスリット入ってるけど、破けないのかな?」
茶屋近くの壁に背中を凭れさせている女の燭台切光忠を見ながら声を落として囁き合う。腕を組み、軽く足を交差して立っている姿は凄まじく美しかったが、連戦負け続きの自分達にとってはその出で立ちで戦う事にまず懐疑を抱いてしまう。
顔を寄せ囁き合う怪しげな女二振りを、美しい女燭台切は怪訝そうに見るでもなく、むしろ好ましそうに微笑みを浮かべた。人好きのする笑顔と言うよりはこれまた夜の香りを膨らませる様な微笑みを。
その微笑みに思わず声を途切れさせ固まってしまう見た目だけは女の男二振りに、何を思ったのか。夜の美女は背中を預けていた壁から離れ、ヒールを鳴らして近づいて来た。
「こんにちは」
「「こ、こんにちは……」」
近づくと華の香りが強くなる。思わず肩を組んでいた手を解き、弟分の左腕にぎゅっとしがみついてしまう位には美しさの迫力がすごかった。この美しさ、化粧のせいだけではない。
「君たちの事、今日ずっと見てたよ。今日は二振りだけなのかい?」
燭台切が女体化した際、鶴丸は特に違和感を覚えはしなかったが目の前の、恐らく先天的に女性であろう燭台切に対してはとてつもない違和感を覚えてしまう。思わず弟分にしがみついたままこくこくと頷いた。
女燭台切は情けない仕草をする鶴丸をじーっと見つめていた。女燭台切の本丸の鶴丸は普通に男なのだろうか。だから女体化している鶴丸が珍しいのかもしれない。もしくはこんな情けない仕草をする年上の刀に驚いているのか。
そう思っていると、女燭台切は黒手袋の指先を鶴丸の頬に伸ばし、引き攣る頬をつつつ、と人差し指で撫でた。
「ふふ、かわいい」
「ぴゃっ」
左目を妖しく細めながら言うものだから変な声が出てしまった。
「ちょ、ちょっと!」
更にしがみつく力を増した鶴丸を庇う様に燭台切が女燭台切に対峙する。本物の女である同種の刀に鶴丸同様面食らっていたらしいが、鶴丸の無様さに自分を取り戻したらしい。何と頼もしいことか。
「年上のひとに対していきなり可愛いは失礼なんじゃないかな!そんな女性の色香たっぷりに可愛いなんて言われたらいくら鶴さんでも奇声上げるに決まってるじゃないか!鶴さんの矜持も考えてくれないと!」
咎めて欲しいのはそこじゃない様な、ばっちりそこで合っている様な。何とも言い難い注意をした弟分に対し、美女は「それもそうだね、ごめん」と全く悪びれない態度で笑った。
「初心であまりにも可愛かったからつい」
「可愛ければ揶揄ってもいいてものじゃないと思うよ。そもそも初対面でいきなり、」
「なら、本気だったらいいってことかい?」
「ひぇっ!?」
ビクン!といきなり身体を揺らし左腕を鶴丸に拘束されたままの燭台切が右手で自身の耳を押さえた。突如の行動と、女でも男でもとにかく燭台切のものではない声に驚いて黒い身体の向こう側をみる。
「俺達の可愛いってのはいつだって本気さ。揶揄いで可愛い、なんて罵倒よりも失礼なことだ」
「み、耳元で話すのはやめて、くださいっ」
「随分と新鮮な反応をするんだな、……かぁわいい」
「や、やめてって言ってる、のに!」
そこには真っ白な美少女が、自分より背の高い美女の耳元を声で弄んでる姿があった。見覚えのある顔だ。妖しさを装備している声も、今日の鶴丸の声とそっくりである。衣装に差異はあるものの。間違いなく刀剣女士、鶴丸国永だ。
「もう、鶴さんったら。遅れてきたと思ったら謝罪もなしにいきなりナンパかい?酷いんじゃないかな」
「きみがそっちの白いお嬢さんをナンパしてるのを見てしまったからな。少し目を離すとすぐこれだ。きみは美少女に対しては見境ないな」
「可愛いものを見て見ぬふりする方が良いって?」
「まさか。可愛いものや綺麗なものは優しく手折ってやるのが俺達の流儀だろ」
「だよね」
身を寄せ合う鶴丸と燭台切を挟み、黒と白の美女と美少女は理解を超えた会話をしている。何故だか知らないが、肉食獣に捕まってしまった兎の気持ちだ。女燭台切に対しては果敢に注意していた燭台切も、白の美少女に顔を寄せられている今は全く同じ気持ちだろう。
隣にいる美女たちは、共に震えているお互いと全く同じ顔をしている筈なのに、何と言うか雰囲気が全く違うのだ。ここが戦場ならばいざ知らず、茶屋近くのこの場所で何故こうも恐れる程の迫力を纏っているのだろう。
弟分にしがみついたまま、周囲に目を走らせる。この状況をどうにか崩さなければ。そう思いながら周りを見回すも辺りは引っ付いている女四振りを避ける様にして歩く刀剣男士ばかり。助けを求める寸前の鶴丸の視線を受け止めても、誰もが同じ様にさっと視線を逸らす。男達のなんと情けないことか。
ただ、鶴丸も彼らの側にいたら実際助けを請われるまでは見て見ぬふりをするだろう。だって女の集団なんて怖すぎる。今、身を持ってそれを体験している所だ。
「僕達、そこのお茶屋さんで甘い物食べるつもりなんだけど君達も一緒にいかない?チョコレートパフェとかおすすめだよ」
「何でも好きなも頼んで良いぜ。何でも奢ってやる。勿論その後は身体で返してもらうけどな」
「もう、鶴さんガッツキ過ぎ。こういうのは時間を掛けてじっくり丁寧に距離を縮めるものだよ」
「その気がない素振りで誘うなんて失礼だろう。興味以上の対象であることを先に知ってもらってこそ、さ」
「僕は何も知らないままの子を優しく解いていくのが好き」
「やーらしーんだー」
「鶴さんほどじゃないさ」
ああこれは、これは間違いない。鶴丸と燭台切は今、この美人二振りに性の対象として見られている。鶴丸と燭台切も現在女であるにも関わらず。
世に男色があるならば逆もまたしかり。本来は刀剣男士である鶴丸には全く関係ない話なので男色の対義語を何と言うかは知らない。何と言うのだろう、帰ったら調べてみるか。などと、考えている場合ではなく。
「わ、悪いが俺、もう伴侶がいるから!」
二度となれるか分からない女の身体、そして二度と来ないであろう女同士のめくるめく花園での体験。それに全く興味がないと言えば嘘になる。嘘になるが、今はその体験への興味以上に恐怖の方が大きい。避けられるならば全力で避けたい展開だった。その為には咄嗟に嘘を吐くしかなかった。
今まで妖艶な手つきで元男二振りの腰を抱き始めていた美人達は会話をやめ、お互い顔を見合わせた。会話が途切れた隙を狙って鶴丸は言葉を重ねる。
「こ、こいつも恋刀いるし!と言っても俺達まだみ、未経験だから初心なのは仕方ないだろ!操を立ててるんだ、それを他の奴に散らせるつもりはない!!」
女同士で固まっているとは言え、周りは男ばかりである。それなのに大声でこんな宣言をしてしまい、顔から火が出る程恥ずかしかった。というか何より自分は男なのに。それ以前に刀なのに。何故未経験だの、操を立てているだの、純潔だの言わねばならないのか。今、死にたくなるほど恥ずかしい。
「鶴さん……っ!」
もはや涙目の鶴丸の両手を取り、自分を庇ってくれたことに弟分は感激している。いつも頼りになる兄貴分だと慕い、立ててくれているのだ。ならばいざ泥を被るとなれば、鶴丸がまず被ってやらねばなるまい。それが弟分に対する兄貴分と言うものである。
男だからこその恥なのだ。そう自分に言い聞かせ、燭台切の手に包まれている自身の拳をぎゅっと握る。
「俺達も伴侶はいるぜ?」
「へ?」
「というか、僕と鶴さんがそうだよ」
信じられない言葉に力が抜けていく。
「生真面目に操立ててるんだ、えらいねぇ。可愛いねぇ」
「別に男とするわけでなし、そこまで気にすることないさ。純潔を散らさずとも気持ちよくなれる術はあるぜ?女同士なら」
「そうそう、女の子同士だから。女の子同士は浮気の数に入らないよ」
「手折る花の数は、多ければ多い程花瓶が華やかになるからいいのさ」
黒の美女が凄艶に微笑みながら鶴丸の頬を撫で、白の美少女が魔性の仕草で燭台切の顎を掴む。大事な弟分の身体が今までで一番震えているのが分かった。鶴丸と同じくもはや我慢の限界にきたのだろう。
「「そこに座りなさい!!!!」」
妖艶な女達と全く同じ声が綺麗に二つ重なった。びくっと細い二つの白と黒の手がそれぞれ鶴丸と燭台切から離れる。が、逃がしてたまるかと離れていく手を掴まえた。お互い近くにいた美人ではなく、同位体の手を。
「お前!!!こんな可愛い妹分兼伴侶がいながら他の女に目移りするとはどういうことだ!お前の倫理観平安時代のままか!?同じ鶴丸国永として嘆かわしい事この上ない!!!」
「男の子も女の子も関係なくね、移り気であることは恥だと僕は思うよ!妾を持つのは男の甲斐性、いくつも女を愛し幸せに出来る男こそ素晴らしいなんて言われることもあるけど僕はそうは思わないな。誰だって一途な愛に惹かれるものだ。そんなの女の子だって一緒だろ?そして何よりも!」
「「自分をもっと大事にしなさい!!」」
叫んだ二つの声が、辺りに静寂を呼んでしまった。ぜぃぜぃと肩で息する鶴丸と燭台切の周りも一様に足を止め、女四振りを何事かと凝視している。何だか腹の立つ。今の今まで見て見ない振りしていた癖に。
「「見世物じゃない!!」」
周囲を睨み付け口を開けばまた燭台切と言葉が重なる。性質そっくりな兄弟分だとあの大倶利伽羅と太鼓鐘からお墨付きをもらっている。言葉が重なるくらいでは驚かない。
刀剣女士からの殺気だった視線を受け、周りの男達はぎこちなくだがまた見て見ぬふりを再開し、女四振りの周囲にはまたひとが行き交い始めた。そもそもこんな所で固まっている鶴丸達が悪いのは分かっている。場所を移すことが最優先だ。
「おい、君たちも茶屋に行くんだったよな。ついて来い。ここで出会ったのも何かの縁だ。お互いの倫理観についてきっちり話し合おうぜ」
「チョコレートパフェが美味しいんだっけ?何杯でもおかわりして良いからね?僕らの言いたい事をちゃんと理解するまで」
掴んだままだった手を引っ張りながら歩き出す。相手の返事なんて聞く前に茶屋に向かって。けれど一歩踏み出した所で、捕まえた手が身体を後ろに引かせて二歩目の足を踏み留めさせた。どうやら素直について来るつもりはないらしい。叱りつけるつもりで後ろを振り返った。
「…っ、あっはっはっはっはっは!!!」
するとそこに在ったのは不満げな顔でも気まずそうな顔でもなく、大口を開けて笑う美少女の姿だった。
「つ、鶴さん。笑ったら失礼だよ!二振りとも本気で心配してくれてるんだから」
「だ、だって光坊!まさか男二振りに貞操について心配されるなんて、ふ、普通思わんだろうっ!」
「確かにこの反応は予想外だったけど!」
それはこっちの台詞である。まさに予想外の反応を示す女二振りに鶴丸も燭台切もポカンと口を開けて眺めるしかない。というか今、男二振りと言わなかっただろうか。
「ま、まさか」
「僕らが元は男だって始めから……」
「「知ってたよ・ぜ!」」
妖艶な雰囲気など欠片もなく、美人二振りはにっこりと音がしそうな位それはそれは可愛らしい笑い方をした。軽い女性恐怖症になりそうなくらい可憐に。
「だって表示されている練度のわりに、女の子の戦い方が全然分かってないみたいだったから。多分元は男の子なんだろうなって思ってね」
パフェに乗っていたチョコレートアイスをぱくりと頬張った後に、鶴丸の向かいに座っている女燭台切が言った。
最早女の何を信じればいいか分からず、身を寄せて震えていた鶴丸と燭台切に生粋の刀剣女士は丁寧な謝罪を寄越してきた。初めから元男だと気づいていたこと、女同士特有の冗談というか悪ノリが過ぎてしまったこと。そして謝罪の後に、ちゃんと話がしたいから共に茶屋に行かないかと真摯に誘われれば、首を縦に振るしかなかった。
「刀剣女士は刀剣男士に比べて力がない。力勝負じゃない刀種ならまだしも、太刀にとって力がないは致命傷。俺達太刀女士はそこをどう克服するかによって強くなれるかどうかが決まる」
「僕らの戦いはそれが出来てなかった?」
「出来てなかったな。まぁ、それだけで気付いたわけじゃない。自分の乳房の存在を忘れる女がいるとは考えにくいと思ってな。元男じゃない限り」
「あー……」
初めて会った時に女燭台切が言った通りどうやら鶴丸達の七連戦、七連敗をこの二振りはずっと見ていたらしい。その戦い方で元の性別を見抜くとは、鶴丸達の考える以上に男女での戦い方は違うらしい。それとも鶴丸達が飛び抜けて無様な負け方をしていたのか。
追加で頼んだあんみつの抹茶アイスを口に含むと仄かな苦みが口の中に広がった。実際の敗北の味は赤い鉄の味だが、片方の乳房を落とされた時のあの何とも言えない感じが甦ってきた。強くなる為にやっていることだ、負け続けるのにやはり嫌悪感は微塵もないが、あの時の精神的傷は結構衝撃だった。
「こっちも美味しいよ」
「え?」
「苦いのも良いけど負けた時は特別甘いのが効くんだから。はい、あーん」
向かい側からチョコソースに浸っているチョコレートアイスを乗せたスプーンが延びてきた。差し出してきたのは鶴丸の弟分ではない。正真正銘女人の燭台切光忠である。
「い、いや……、俺は、」
「早く!早くしないと溶けて落ちちゃう!」
「っう、う……、あ、あーん」
今は女同士だからと自分に言い聞かせてそのチョコレートアイスを頬張った。冷たく甘い蕩ける味に脳内から幸福物質が溢れるが、男の心はあまりの恥ずかしさに見悶えている。
「よしじゃあ俺も。みつぼー、はい、あーん」
「………あーん」
「よくできました。良い子だなぁ、きみも」
隣の燭台切も向かいに座っている女鶴丸からストロベリーアイスを手ずから食べさせてもらっている。その頬が真っ赤になっていることを鶴丸は同族を見守る目で眺めていた。
口に含んだアイスはとっくに溶けているのに、恥ずかしさのあまり中々口を開けない。また抹茶アイスでも食べようものなら今の光景が再び繰り広げられるのではないかという恐れもあった。
黙りこくってスイーツを匙で突く元男二振りを、目の前にいる女二振りは実に微笑ましく見ている。そして女燭台切はその微笑ましそうな瞳の奥に、懐かしそうな色を灯した。
「僕らもね、君達みたいに何度も何度も負けてきたんだ。今日の君達の気持ちは少し分かるつもりだよ。だからね、もし話す機会が出来たら絶対ここのスイーツをご馳走するんだって鶴さんと話してた」
「俺達は演練に勝った経験より負けた経験の方が圧倒的に多い。苦い思い出ばかりさ、この演練場は」
「そっか…、そうだよね」
同じ顕現したての刀でも男と女では力に差がある。まして彼女たちの言う様に女の戦い方が男の戦い方と大きく違うのであれば、彼女たちはまずその戦い方から学んでいかなければならない。経験を積んでいくことに男女の差はないだろうが、元からある力を鍛え上げていくことと、元からないものをある様にした上で鍛え上げていくのでは成長の速度に差が出来るのは明らかだ。
元々男である鶴丸達にとって男だらけの演練場の勝敗は五分五分。練度の差によって勝率も変わってくる。こんなに連敗続きなのは今日ぐらいなものである。けれど彼女達は違う。練度が勝っていても負ける確率は刀剣男士に比べて圧倒的に高い。辛酸を舐め、悔しい想いをしてきたのは今日の鶴丸達の比ではないだろう。
「俺達の場合は二振りじゃなかったけどな。うちの本丸は全員が元々女の身体で顕現されるから」
「負けが続いた時は皆でここに集まってやけ食いだよ、やけ食い。このお店にレディース割があるのは僕らがお得意様だからなんだ」
「それだけ、負けまくったってことか……」
「そういうこと」
きっと何百、下手をすれば何千と負けてきただろう刀剣女士は何でもない様に同意を示し、ストロベリーパフェからザッハトルテへと匙を伸ばした。
「と言ってもそれは過去の話。今はそんじょそこらの刀剣男士には負けないぜ?その証拠に見ろ、今や光坊はこんなお色気むんむんな格好で戦ってる」
「ちょっと、ひとを痴女みたいに言わないでくれるかな!この服、鶴さんがくれたんじゃないか」
「最初はその衣装じゃなかったのかい?」
「うん。最初はそっちの燭台切くんと同じように男性物のスーツを身体のサイズに合わせて着こなしていたよ」
チョコレートパフェをぺろりと平らげ、プリンを自分の前に引き寄せながら女燭台切は言った。そしてぷるぷると甘美な柔らかさを見せつける黄色いプリンを目の前に、苦笑いを浮かべた。
「女だからとか、色気づいてるから弱いんだ、なんて誰にも思われたくなかったし、それを言い訳にもしたくもなかった。おしゃれを楽しむのは女の格好でなくても出来ることだし、進んで女性らしい格好で戦場や演練場に立とうとは思わなかったかな。むしろ負け続けの時は女性らしさを避けていた所もあるよ。これは多分僕だけじゃなくて、刀剣女士なら大体が同じ思考に行きつくと思う」
なのにね、と苦みから一転、続けようとする言葉は途端に甘くなる。
「鶴さんったら『男も女も関係ない!強い奴が勝つんだし、弱い奴が負ける!そして負ける時のことを考える奴も大体負ける!女に必要なのは甘い物とご褒美なんだぜ!』って言い出して、僕にこの服と化粧道具をくれたんだよ」
「きみ、一言一句覚えてるのかよ」
「覚えてるよ、鶴さんの言葉だもの」
呆れた様に頬杖をついて見るものの、女鶴丸が年下の刀を見る目はとてつもなく蜜っぽい。ただの妹分に向ける金の甘さではない。
「一戦勝ったらマニキュアを塗ろう、また一戦勝ったら紅を引こう。少しずつ勝利を重ねていって、僕自身が及第点をあげられる自分になったら、強い僕になったらこの服を身につけるご褒美を自分にあげようって、頑張ってきたんだ」
見目麗しい女剣士は匙を置き、誇らしげに張った胸に手を当てた。輝いているのは外見だけではなく、その内面もだろう。同種の刀よりも一回り小さいはずの体格はその溢れる自信でどの燭台切光忠にも負けない風格を備えていた。
「だから僕は痴女じゃありません」
「うん、君は痴女じゃないよ。とても格好良いと思う」
「ははっ、同じ燭台切光忠である君にそう言ってもらえるとすごく嬉しいな。自信になるよ」
元は男である燭台切の称賛が本心からだと分かっているのだろう、今まで自信に胸を張っていた燭台切は急に恥ずかし気に、そして実に嬉しそうに胸の前で両手を握った。
「きみ達はこの後何か予定はあるのかい?もし可能であれば、演練を申し込みたいんだが」
彼女達の戦い方を見てみたい。女の戦い方を学ぶために。それだけではなく、彼女たちの強さを目にしてみたいと思った。
「デートのお誘いは非常に嬉しいんだが、うちの本丸では四振り以下での演練は原則禁止されていてな。今日は俺と光坊しかいないから無理なんだ」
「今日は演練以外の理由で来てるのかい?」」
「俺達二振りとも練度が上がりきっていて、出陣はともかく演練への参加はもう数年していない。だけど、あの時の屈辱を忘れたくなくてさ、時々二振りでここを見に来るんだ」
「勝てるんだって言う慢心は男も女も等しく殺してしまうから。戒めは大事だよね」
「ってわけなんだ。悪いな」
「ううん、色んな事を教えてくれただけで十分だよ。ありがとう」
この後、用事も入っているという女二振りをいつまでも拘束している訳にもいかず追々加で頼んだスイーツを全て食べ終えたら解散しようという話になった。話に花を咲かせながらの時間はあっという間に過ぎていった。
鶴丸が食べたのはミックスパフェにあんみつ、クリームソーダとショートケーキだ。燭台切が食べたのは、チョコレートパフェに紅茶ゼリー、モンブランとイチゴタルトだ。普段の二振りからは考えられない甘い物の山を全て平らげたのだった。女の胃袋恐るべし。
ただ、目の前の生粋の女二振りは格が違った、二人で総勢六つのパフェと、四つのケーキ、プリンを二個ずつにあんみつ、わらび餅にコーヒーフロートとハニーミルクラテをそれぞれ頼んだ。それを食べてけろりとしている。きっとこの二振りが規格外なのだろう、全ての女がこうだとは思いたくない。いくら女の子は甘い物で出来ていると言っても。
貴重な話も聞けたし、鶴丸達もそれなにり食べたのだから支払いはこちらが持つと主張する元男二振りに対し「奢ってもらいたい男はこっちで決めるさ」とウインクひとつ寄越し、女鶴丸は席を立ち会計の方へと颯爽と行ってしまった。女燭台切は慌てる様子もなく座ったままにこにことその姿を見ていたから、きっと慣れているのだろう。
「最後に一つ聞いてもいいかな?」
「うん?なんだい?」
忘れ物はないかと、女鶴丸が座っていた席を見ていた女燭台切に隣の弟分が声を掛けた。
「一番最初に僕らに対して言ったこと……冗談っていうか女同士の悪ノリって言ってたけど、君達二振りが伴侶って言うのは真実、だよね?」
ぱちくりと、上向き睫毛に縁取られた隻眼を瞬かせるひとりの女性に、燭台切は慌てて両手を前に突き出した。
「ご、ごめん。だから何って訳じゃないんだ。ただ、そうなんだろうなって、素敵な二振りだなって思ったものだから。決して下世話な意味で聞いたわけじゃないんだよ!いや、女の子って男の子に勘ぐられること自体不快なのかな、だとしたらごめん。ごめんね!」
「僕、そんなに分り易い?」
「分り易いっていうか隠すつもりはないんだろ?あいつの方も」
「まあね、恥ずかしいことだとは思ってないから」
進んで下世話な視線にさらされたくないから、あちこち公言するつもりはないけれどと付け加えると隣の弟分が身体を小さくする。今度は女燭台切が慌てて否定する番だった。お互いの誤解をきっちり解いた後、女燭台切が小さく口を開いた。
「あのひとは僕にとって世界で一番美しいひとだから」
ほのかに染まった桃色の頬は、今までの夜の美女、格好良い女性という印象を塗り替えて、ひとりの恋する少女を出現させた。
「どれだけ泥に塗れても鶴さんはいつも綺麗なんだ。ボロボロになって何度も立ち上がる姿は目を奪われる程美しいんだよ。僕、ひとりの女性としても、あのひとにすごく憧れてるんだ」
そして何故か気まずげに俯いて、顎を引いたまま上目遣いでこちらを見る。
「男のひとにも、誰にも渡したくなくて、女の子である自分を利用しちゃった。後悔はしていないし、今とっても幸せだけど、ちょっとだけずるいよね」
潤んだ瞳にまず浮かんだ感想が、うわっかわいいっ!だった。性的魅力を感じたとかそういう訳じゃない。けれど弟分や幼年の子供に対して抱く可愛さとは全く違う可愛さが、目の前の少女に対して物凄い勢いで湧き上がったのだ。ぐっと息を詰まらせた隣の弟分も鶴丸と同じ感想を抱いたのだろう。
「おいおいきみ達、目ん玉かっぴらいてどうしたんだい」
会計を終えた女鶴丸が、背後から女燭台切に抱きつきつつこちらに笑いかけてくる。
「鶴さん、ありがとう」
「どういたしまして、と言ってもきみには後で身体で返してもらうけどな」
「あはは、分かったよ。膝枕付の耳かきでいいかな?」
「よし来た。っておいおい、光坊、きみ、唇の紅が取れかかってるじゃないか。クリームを唇に付けない様にスイーツが食べられないとは淑女としてまだまだだぞ」
「えっ」
「ここで待っててやるから化粧直して来いよ。大丈夫、この店の中なら一振りでもナンパされないさ」
「う、うん」
慌てて席を立つ女燭台切に合わせてこちらもその場に立ち上がった。女性の化粧直しがどれくらいかかるのかは分からないが、彼女が再びここに来る頃には鶴丸達はこの店を出ていることだろう。感謝と別れの挨拶を告げるなら今だ。
「本当にありがとうな。きみ達と話せてとても楽しかった」
「また出会う時に、僕らは男に戻ってると思うから君達は気づけないかもしれないけど、見かけたら僕らから声を掛けるから、その時はまた仲良くしてね」
「うん、また会おうね。その時はそっちの本丸の話をもっと聞かせてほしいな。こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
ぺこりと丁寧に頭を下げた後、少し名残惜し気に彼女は店の奥へと姿を消した。続けて女鶴丸に挨拶をし、店を出ようとすると
「おい、きみ達。本丸の住所か、審神者名を教えなさい。俺の連絡先も教えるから」
突如、威圧感を増した女鶴丸が左手を腰に手を当て、右手をテーブルの上へと乗せた。
「さっきの目、俺の可愛い光坊を一瞬でも女として見たな?俺の目は誤魔化せないぜ」
「み、見てないよ!うわっ可愛い!とは思ったけど、そう言った対象としては全然見てないよ!」
「言い訳は良い。男であれ女であれ、光坊の真の可愛さに気づいてしまった者は全力で倒しにいくと決めているんだ。今日手合わせが出来ないのは口惜しいが、今の弱いきみ達に勝っても面白くない。後日男に戻り万全な体調になったら連絡しろ。全力で倒しにいってやる」
微笑みを浮かべてはいるが、目の奥は笑っていない。どうやら本気の様だ。
「女の戦い方を嫌と言う程その身体に叩きこんでやろう。悪い話じゃないだろう?」
「い、いやどう考えてもひたすら恐怖しかな、」
「な??」
作られたにっこり笑いと共に差し出された連絡先を拒むことも出来ず「は、はい」と震える手で受け取るしかなかった。
二振りの刀剣女士と別れた後も、鶴丸と燭台切は演練を続けた。九連戦して、九戦目に何とか勝利を掴み取った。対戦相手は四振り編成。特打刀二振りに特脇差と特短刀。女としての戦いを掴んだから勝ったというよりは練度による差でこちらの刀装が剥がれなかったのが勝因だった。納得のいく勝ち方ではないが、なんとか掴んだ勝利である。ここで区切りを付けなければ、今日中に本丸へ帰れなくなるかもしれない。すっきりしない気持ちを抱きつつ、二振りで演練場を後にすることにした。もうすっかり夜である。
二振りで帰路を歩きつつ、今日の反省点を話し合う。その会話と会話の間にふと、思いついた。
「世界で一番美しい鶴さんじゃなくてすまなかったな」
あの恋する少女の一言が思いつき、そんなことを言ってしまった。
「なに。鶴さん、僕に好きになってもらいたかったのかい」
「そういう訳じゃないんだが、あの子、えらく幸せそうな顔してたなと思ってな」
今、隣を歩く弟分は服装以外あの少女と同じ姿をしている。けれど、鶴丸を見る彼の瞳はあの恋する少女と全く違う。彼を見つめる鶴丸の瞳もまた、意外にヤキモチ焼きなあの同種と違う瞳をしているのだろう。
「僕は僕で毎日楽しくやってるけどね。彼女達と比べてどうこうじゃないと思うけど」
「それはそうなんだが」
「あ、もしかして鶴さん。本気であの子のこと好きになっちゃった?だから僕とあの子を重ねようとしてるんじゃないだろうね?」
言い方のわりには声に疑いは一切含まれていなかった。むしろ楽し気である。微塵も鶴丸の初恋を信じてなさそうな横顔をじっと見つめながら、今の言葉を反芻した。燭台切が先に態度で示した通り、鶴丸の中に恋心というものは欠片も見つけられなかった。
「ありゃあ、俺には甘すぎる。男同士の味気なさが丁度いい」
「男同士でも甘い関係は築けると思うよ?明日から試してみるかい?」
「よせやい。四六時中一緒に居るきみとそんな関係になってみろ、俺は胸やけを起こす」
「じゃあ僕以外と築いてみたらどうかな?」
「きみとそんな関係にならないなら、他の誰ともそんな関係になるわけがない」
一瞬沈黙が流れた後、突然燭台切は大きな笑い声を上げた。女の声で中々豪快に。
「鶴さんったら、今のすっごい口説き文句だって気づいてるかい!」
「……うるせー」
「照れてる、可愛いなぁ」
「おいやめろやめろ!」
勢いよくその首に腕を回し自分の胸元に頭を引き寄せた。あたたたたと声を上げるのも構わずにその頭に拳をぐりぐりと押し付ける。そのまま年上を揶揄うとどうなるのかを満足するまで教えてやった。
ひとしきり騒いだら何だか気が抜けてしまい、そのままの格好で二振りして夜空を見上げる。綺麗だな、綺麗だね、などと言葉を交わした。
「……ねえ、鶴さん。僕、女の子になって今日で一日弱だけど、ひとつはっきりしたことがあるんだ」
「多分同じ感想だと思うが、一応聞いてみよう。言ってみな」
夜空を見上げたまま聞いてみた。
「男の子って意外と繊細だよね」
「全くもってその通り」
何だかんだと女は強い。実際、強さに力なんて関係ないのだ。女の本気の気迫に男は自然と尻込みしてしまう。意識どうこうではない、生物に刻まれている摂理だ。
恐らく数日後に刀を交えることになるだろう、刀剣女士との戦い。はっきり言って勝てる未来が一筋も見えない。
しかし男には分かっていても立ち向かわねばならぬ時がある。……あるのだが、今ばかりは星が流れて鶴丸達の願いを叶えてくれないものかと夜空を眺め続けるのも仕方のない話であった。