僕は口うるさい方だと思う。
初期刀の歌仙くんと共に幼い主の教育係を担当しているのが原因かもしれない。
主、ご飯は座って食べようね。主、そんなに乱暴に扱ったらお人形さんが痛い痛いって泣いてるよ。主、物を投げてはいけません。
初太刀として顕現してから毎日毎日繰り返し教えてきた。この世に生を受けてまだ五年の主は一度言ってもすぐに物事を理解出来ないから根気強く何回も。
主は僕や歌仙くんの言葉より他の刀達の言動を見て、その真似をすることも多かった。だから僕らは時に主だけではなく、刀の子達にも言動について注意をすることもあった。皆は僕らが主の為に口うるさいのだと理解してくれていて、それによってトラブルになることはなかった。
だから、と言ってしまうのは言い訳かもしれないけれど。だから僕は、あの時ついついあんなことをしてしまったんだと思う。
主が幼い事もあり、僕らの本丸は刀の増えるスピードがとにかくゆっくりだった。最初の頃は月に二振り、新規の刀が来れば良い方。次第に刀が増える速度は上がっていったのだけれど、最初はそんな感じ。お陰で仲間一振り一振りとの結束は強いから悪いことばかりではなかったけど、レア刀と言われる刀達とは一向に出会えなかった。
本丸発足から、確か二年程経とうとした時だった。空を舞う様な美しく白い刀がこの本丸に顕現したのは。
その刀――鶴丸国永、つまり鶴さんが初めてこの本丸にやって来た日。僕と、伽羅ちゃんと、貞ちゃん。そして鶴さんは懐かしき伊達のお屋敷の思い出を語り合うべく集まっていた。貞ちゃんは鶴さんにじゃれついていて、鶴さんは伽羅ちゃんにじゃれついていた。僕はそれを見て笑っているだけだったけど、その時間がまるでずっと続いて来たような見慣れた景色に感じていた。要するにすごくリラックスしていた状態だったんだよね。初対面の刀がいるのにも関わらず。
三振りのじゃれつきがひと段落した時、鶴さんがじゃれ合いに参加していなかった僕の側にやってきて、隣に腰を下ろした。僕に気を遣って話をしに来てくれたんだと分かった。驚きを求めるなんて素っ頓狂そうなこの刀が、年相応に思慮深く優しい刀だと言うことは短い時間の言動を見ているだけで十分に理解していたから。
だと言うのに僕は、隣に腰を下ろした鶴さんが座布団の上で片膝を立てたのを見た時、
ぺしっ
とその白い布越しの膝小僧を黒い手袋で叩いてしまったのだ。
「え?」
「え?・・・・・・ハッ!?あ、ご、ごめんなさい!!」
あの時のぽかんとした顔を思い出すと顔から火が出そうになる。鶴さんの立場からして見ればそうだろう。隣に座った途端、初対面の相手から膝をぺしりと叩かれたのだ。何事かと思うのは当然だと思う。
ただ僕は別に鶴さんの立て膝を咎めた訳じゃない。僕は完全に主に対する感覚を無意識にやってしまったに過ぎない。この時期の主はご飯の時でも椅子の上でもお構いなしに立て膝をしていたものだから、僕や歌仙くんはそれを都度注意していた。小さく可愛い膝小僧をぺちりと叩きながら「下に降ろしてあげないと片方の膝さんが寂しいって言ってるよ」と言うこともしばしばだったのだ。時には仲間たちにもやってしまっていたけど、まさか初対面の鶴さんにもしてしまうとは自分でも驚いた。
「い、今のは無意識で!あの、別に咎めた訳じゃないんだ!」
「そうなのかい?俺はてっきり俺の足癖の悪さを咎められたのかと・・・・・・、ははは!!冗談さ!そんなおっかなびっくりな顔しないでくれ」
我に返って平謝りする僕に、直前まで驚いていた鶴さんはすぐに笑顔を見せてくれた。早速驚きをありがとうな!と格好悪く狼狽える僕の肩をぽんぽんと叩いてくれた手がとても大きく感じたのを覚えている。今思い出しても恥ずかしい初対面だけど、この時の失敗があったから僕らは急速に仲良くなれたんだと思う。
どれくらい仲良くなったのかと言うと、例えば先日僕が皆へのおやつを持って大部屋に行った時。
「みんなー!おやつ出来たよー!」
誰もいない大部屋の中心で声を張り上げる。そうすると皆、お互いに声を掛け合って集まってくれるから。
「おー、今日の菓子はなんだろなー」
「なー?」
「主、鶴さん。今日はね、ドーナツだよ」
その時、僕の声を聞いて一番に大部屋にやってきたのは鶴さんだった。腕には主を抱っこしていて、主は自分の顔程の大きさのボールを持っていた。きっとふたりでボール遊びをしていたのだろう。
「やったあ!どーなつだあ!」
おやつの内容に喜んだ主が万歳をする。開いた両手からボールが重力に引かれて落ちていく。
「ほっ」
床を跳ねていくかと思ったボールは、白い足袋が器用に宙で受け止めた。鶴さんは足の甲で受け止めたボールを床に降ろすでもなく、そのまま軽い掛け声を掛けながらぽーん、ぽーんと徐々に大きく蹴り上げていく。
「ほーら主。もうすぐ主の手元に行くからなー。ちゃんと掴めよー」
「うん」
「鶴さん!ここ室内だよ!」
「だいじょーぶ大丈夫。俺蹴鞠は得意だから」
「そうじゃなくて、室内でボールを蹴るのはマナー違反!主が真似するだろう!」
注意している先からボールは鶴さんの腕の中にいる主の高さまで飛びあがり、目をきらきらさせた主の両手に捕まってしまった。
「とれたー」
「ナイスキャッチだ主」
「ナイスキャッチじゃないよ!」
主の手前悪いことは悪いと叱らなければならない。鶴さんに対する初対面の頃みたいな遠慮なんてとっくにない僕は、大皿を持ったまま両眉を吊り上げる。鶴さんも僕のこの顔にはもう慣れっこで、叱られているというのにどこ吹く風だ。
まったくいけないお兄さんだ。主に悪影響ばかり与える。勿論悪影響ばかりではないことは分かってる。鶴さんが来てから主は以前より明るい子になった。それについては感謝してるけど、悪さを見過ごすわけにはいかない。
「注意したのにやめなかった鶴さんはおやつ抜きです」
「えー」
「えーじゃないよ。悪いことしたからでしょう」
「みつ、つるはわるいことしてないよ。あるじのぼーるとってくれたの。いいこだよ」
「そうだね。鶴さんはとっても良い子だ。でも鶴さんの足が悪い子だったからだめ」
主の一生懸命な懇願にも僕は一歩も引かない。主に隠れて後であげるつもりだったというのもある。鶴さんはそれを何度か経験していたから、今回だって後でドーナツが食べられることは分かっていた筈だ。
「主、ちょっとごめんな」
だと言うのに鶴さんは主を腕から降ろし、おもむろに僕のすぐ側で腰を下ろそうとした。
「ど、どうしたんだい鶴さん」
まさか土下座でもするのだろうか、予想していない鶴さんの行動に僕は少し驚いてしまう。鶴さんは僕の問いかけに答えず、そして膝をつくこともなかった。いきなりその場に仰向けに寝転がったのだ。足元を僕に向けて。
「?なに、うわっ!?」
「わー!光坊悪いー!悪い子の俺の足が勝手にー!」
寝転がったままの鶴さんはなんと、立っている僕の足を自分の足でがっちりと挟んできたのだった。
「は、な、し、て、よ~!!」
「いやあ、俺はやめたいんだけどな?足が言うこと聞かないんだ、これが」
と言いつつ、鶴さんは悠々と両手を後頭部に敷いている。口調はのんびりしているけど挟む足の力が強い事この上ない。
主は何が起こっているのか分からずきょろきょろしていたけど、次第に飽きたらしく早くドーナツが食べたいと、僕が持っているお皿に向かって両手を伸ばしながらぴょんぴょん飛んでいる。鶴さんの足を外したいのに、お皿を傾けてしまったら主の顔にドーナツが降ってしまう。八方ふさがりだ。
「・・・・・・何をしているんだ、あんた達は」
「伽羅ちゃん!ちょうどいい所に!助けて!」
珍しく早めにおやつを取りに来た伽羅ちゃんが部屋の惨状に溜め息を吐く。僕もこの状況の仕立て人と見られるのは甚だ不本意だったけど、ここは素直に助力を乞うしかなかった。鶴さんの足を外して!そんな気持ちで叫んだ言葉に伽羅ちゃんは仕方がないと言いたげにもう一度溜め息を吐いて、僕へ近づいて来た。そして僕の手にあったお皿をひょいと取った。
「違うよ、ドーナツじゃなくて鶴さんの方!」
「うるさい。あんた達のじゃれ合いに俺を巻き込むな。・・・・・・主、まだ熱いから気を付けろ」
「ありがとー」
「一気に二個もあげないでー!一個ずつあげて!晩御飯入らなくなるから!っもう!つーるーさん!足!離して!」
「俺足癖悪いから。初対面の光坊に膝を叩かれるくらい」
「またその話蒸し返して来る!」
その後も僕は鶴さんの足に拘束されたまま。おやつを取りに来た皆は大体が笑って僕らを放置だった。温かく見守ってくれたんだと言うことは分かるんだけど、人目も憚らずいちゃいちゃしてたと思われていたのならそれは弁明させてほしいな。あれは鶴さんの悪ふざけだ。
さて、僕が何故今こんなことを思い出しているか、と言うと。つい先日僕にそんな悪ふざけを仕掛けてきた当の本人が一瞬の窮地に陥っているからだ。
久々の戦場は、雨の降る地だった。時間的には昼間であって、闇はまだ漂っていない。しかし視界の悪さはどうしようもなかった。
僕は燕尾に泥水を含ませ、敵の刃を自分の本体で受ける。均衡させない力で迫る死を押し返し、振った一撃で時の止まっていそうな躰を急所ごと断ち切った。しかし敵は一体ではない、他の仲間が応戦している。そしてこの視界の悪い中、まだ敵が潜んでいないとも言い切れなかった。
雨が滴る前髪が更に視界を悪くしている気がして、右手で掻き上げる。同時に素早く目を走らせる。仲間の立ち位置、敵の気配、それらを探して。一番近くで動く存在が目の端で動く。白、赤、そして泥水の茶色。いつもの真白を何色かで染め上げて雨の中舞う刀が。
鶴さんは大太刀と応戦中だった。重量級の一撃を上手く流し、時に受け止めている。鶴さんも練度が上がっているのだと、教育係でもあった僕は少し誇らしく思った。その時だった。大太刀と鶴さんの向こう側に敵の槍が姿を現したのは。
「鶴さん!」
「分ってる!」
僕よりも近くにいた鶴さんはその存在に気づいていた。しかし大太刀の斬撃を受け流すのに力を裂いていた。足元はぬかるみ、踏ん張りがきかない。避ける事もいつも以上に難しくなっている。常であれば、大太刀の身の重さに鶴さんが遅れを取ることはない。良くない状況で大太刀と真っ向から応戦する状況になってしまい、鶴さんの刀装のほとんどは消耗している様だった。周りに他の仲間はいない。
鶴さんの返答を聞くより前に、僕は茶色い飛沫を上げて地を蹴っていた。しかしそれは敵の槍も同じ。奴は、その鋭い槍先を迷うことなく鶴さん目がけて駆け出した。
タイミング悪く、鶴さんは大太刀の刃を純粋な力だけで受け止めている。今すぐ体制を整えるのは難しそうだ。鶴さんのことだから何か考えているだろうとは思う。ぎりぎりまで引きつけるつもりなのか、それとも横腹のひとつくらいくれてやるつもりなのだろうか。もしくは僕が間に合うと信じているのかもしれない。それならば期待に応えなければ。そうでなくても、大事なひとが傷つくのをみすみすと眺めてやるつもりなんてない。
足元のぬかるみを全力で踏みしめる革靴で黙らせて、整備されている道よりも早く走る。槍の切っ先は鶴さんの細い体に穴を開けるまで一瞬。一瞬の窮地だ。
だから僕は鶴さんとの出会いやら、先日のじゃれ合いを思い出している場合じゃない。回想のせいでその一瞬に間に合わなかったら格好悪いじゃないか。だというのに、思い出してしまうのは。
キンッと、寸での所で僕の刃が死の矛先を弾いた。見えないけれど鶴さんが笑った気配がする。
弾かれた槍は未だ、敵兵に握られている。当然だ、そうやすやすと武器を手離してもらっては困る。とはいえ、弾いた力は生半可なものではない、想定通り怯みが生じた。
弾かれること、君も想像できただろう?だけど、想像していても怯む力で払ったんだよ。心の中でそう伝えながら、槍の口金付近を左手で握った。そのまま容赦なく引き寄せる。足元が悪いのは敵も同じ。茶褐色の泥だまりに足を取られた槍兵は引かれた強い力に従うしかなく、前によろめいた。そうすれば僕の距離だ。ああ、本体じゃない。この足の。
「っふ!!」
僕は右足を曲げたまま上げてそのまま素早く膝を伸ばした。それはもう目一杯。すると靴底に、感触。主が床にばらまいていたビスケットを踏んでしまった時みたいな軽い感触じゃない。いや、でも案外脆い物でもあるかな、骨というものも。いつもは斬るばかりだから砕く感触はとても新鮮だけど。
顔の左半分に僕の革靴をめり込ませた槍兵は、それでも自分の槍を離さなかった。動きをひどく鈍らせても。思わず感心感心、なんて感想が浮かぶ。大分鶴さんに影響されてるかもしれない。
槍を握っている左手はそのままに、そして地につけた左足もそのままに、僕は体を右側へ捻る。僕の大事なひとの横腹を狙った奴の次は、真正面から見つめ合っている輩を排除するに決まっている。靴底が埋まったままの顔面を壁に見立てて勢いよく蹴り、その反動で捻る力に速さを乗せる。短く聞こえるのは革靴が雨と風を切る音。
「どんなに防御しても無駄だよ!!」
重そうな衝撃音と共に今度は踵が敵の武装ごとその下の肉までめり込む。刃が仕込まれている訳でもないので両断することは勿論、骨までも届くことはなかった。けれど隙は作れたはずだ。
想定通り、僕の蹴りが入ったままの大太刀は動きを止める。間も開けずぼとりと、泥の中に重量のある首が落ちて、そして霧の様に全てが消えていった。いつも通り血は噴出さなかった。もし噴出したとしてもこの雨ならばすぐに流されてしまうだろうけど。
「まあ、足癖が悪いこと」
いつの間にか自分の本体である刀を肩に担いだ状態で鶴さんが立っていた。助太刀に感謝するでもなく刀を使わない事に呆れるでもなく、僕の行動ににまにま笑みを浮かべている。いの一番に足技について言及してきた所を見ると鶴さんもさっきまでの僕と同じ思い出が浮かんでいる様だ。
「主には内緒にしててね」
「言わない言わない!」
主に告げ口されたら非常に困る。卑怯だと思うし、普段口うるさくしているだけにばつが悪いけど先に口止めをした。すると鶴さんは意外にもあっさり約束してくれる。「あれだけ俺の足癖を注意してきたのにか」と茶化されるかと思っていたから少し驚いた。
鶴さんは笑みを浮かべたまま僕を追い越していく。そして自身の槍を握ったまま気を飛ばしているのか、機能が著しく低下しているのか。顔の半分を陥没させたまま小刻みに首を左右に動かしているだけの槍に近づき。
「きみの足癖の悪さは今に始まったことじゃないから、なっ」
仕損じることなくその首を落とした。敵は落ちた顔に泥を飛ばした後、たちまち全ての存在を霧散させた。僕の左手が握っていた筈の槍も一緒に。今更それがどういう原理かなんて考えず、僕は鶴さんの言葉に首を傾げた。
重たくなった羽織を翻し駆け出すその背中を追いながら問いかける。
「それ、どういう意味だい」
「そのままの意味さ」
「えー、普段は足癖悪くないと思うけど」
新たな獲物を見つけたからか、話す度に雨水が口に入ってしまうからか。鶴さんはそれ以上何も言わなかった。僕も刀を振るう度にその疑問は薄れていき、敵を殲滅した頃には雨を多分に含み、血以上に泥水で汚れたスーツの洗濯方法に頭を悩ましていた。
だから、鶴さんの言葉を理解したのは本丸に帰ってから、それもすっかり夜も深くなってからだ。
宴会の席ではなく、かといってひとりで見る夢の中でもなく。ふたりだけが重なるひとつの褥の中。睡魔以外の理由で意識がぼんやりとしている僕に鶴さんは教えてくれた。と言っても言葉で直接、ではなく。
「こら、これじゃあ動けないだろ」
いつもより声を低く掠れさせた鶴さんの愉快そうな笑いが鼓膜を震わす。そして、
ぺしっ
と何も纏っていない僕の膝小僧をその白い手が叩いた。
初対面時の僕の失敗を思い出させるその力加減に、僕は鶴さんの言葉の意味をようやく理解したのだった。