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 同性同士で結婚が出来る世の中になっても、未だ時代遅れの政略結婚は横行している。

 三十過ぎるまで婚姻から逃げおおせていた国永が妻を持つことになってしまったのも全ては政略結婚などというものがまだ世に存在していたせいである。

 独身で二十九歳を迎えた際には、日本有数の大財閥三条の親族であり自身も五条一族の次期当主でありながら、よくぞこの歳まで婚姻を避けられたものだと早々に身を固めた友人達には感心され、両親にはお前の跡取りについてはこちらで考えるからお前はお前の好きな様にしろ、と半ば諦められていたのだ。国永自身も一生独り身で勝手気ままに、とは家柄的に難しいが、それなりに勤めを果たし後は自分の人生を面白可笑しく生きてやろうと考えていた。三十路を迎え二人の子供に出会い、その子達を我が子として養子に迎えるまでは。

 孤児であった二人の少年を引き取ったのは、自分の跡取りや家の事を考えてでは決してない。むしろ、どこの馬の骨とも知らぬ子を引き取るなど許すまじ!と勘当覚悟で引き取ったのだ。自分の今までの家族や地位を捨てても構わない、自分の人生をこの子供達と過ごしたい、ただそれだけの理由で国永は独身のまま伽羅と貞宗を我が子として家族に迎えたのだった。

 国永の予想と反して両親は激怒することはなく、その子達を五条の跡取りにすることは出来ない。こればっかりは可愛いお前の為でも出来ないことだ。と言われただけだった。甘すぎる両親の反応に国永の方が拍子抜けしてしまったくらいだ。両親には諦められていると思っていたが何の事はない、とんでもなく甘やかされていただけらしい。三十過ぎてそれに気づくとは、自分が情けなかった。

 けれども、その両親の愛に報いるべく自分が当主となった暁には自分の予定よりもうちょっと一族の為に力を尽くし、後進に一族を託すことにしようと心に決めることが出来た。可愛い息子達に、やるべき自分の使命。驚きに関しては多少物足りなさはあるものの自分の生きる道を見つけた国永はようやく、人生に腰を据えることにした。

 そんな国永に何を思ったか、いきなりちょっかいを出してきたのが今まで面白そうに国永の行く末を見ていた母方の従兄弟の三条宗近、その男である。三条家現当主の宗近は父から当主の引継ぎを始めた国永の元に突如やって来て、嫁を取れと言い放った。

「相手はもう決めてあるぞ。かの古備前の血筋、長船一族現当主の末弟だ」と。

 

 突然の訪問以上に信じられない一言を投げてきた従兄に国永は当然噛みついたが、宗近は国永を相手にもせずに国永の側に居た父に向かって「古備前とは既に話がついている、その縁談を破棄するとなると骨が折れるだろう。なぁ、当主殿?俺の御節介で苦労をかけるのは心苦しいが、もしも迷惑だったら五条当主の方から直接古備前に断りの連絡を入れてもらえないだろうか。一度約束してしまったものを断るなど、俺にはとても出来ないからな」とその美しい顔でにっこりと微笑んだのだった。

 人離れした美貌で作られた笑顔の恐ろしさと、何より五条の本家ともいえる三条の現当主から暗に断るなと言われてしまえば、いくら息子を溺愛している父であってもその縁談を断ることは出来なかった。深く唸った後に、分りましたと頷いた父を責められる筈もない。

 かくして国永は、三十路独身息子二人の状態で出会った当時高校三年生、十八歳の少年であった光忠と顔を合わせた当日に結婚することになってしまったのだった。

 

 それが光忠が高校最後の夏休みに入る直前の話だから、もう少しでこの結婚生活も一年経とうとしている所である。

 あの華麗なる一族と有名な長船家の末弟だ。どんな性悪、もしくは時代遅れの貴族崩れが来るかと思いきや、光忠は至ってまともな少年だった。少々世間知らずの所はあるが、十八歳の少年だと鑑みると許容できるものだったし、見た目の華美さに反して所帯染みている所が国永は非常に気に入った。性格は素直で、性根は明るい。末弟だと聞いていたが世話好きらしく、年上の国永相手に物おじせずどんどん世話を焼いて来る。それこそが大兄弟の一番下の性質なのかもしれない。大人びて見えるの少年の無意識の甘えだと思えば口うるさいのも可愛く思えて、国永はついつい少年の指示に従ってしまうのだ。

 魅力あふれる光忠だったが、国永が彼を家族に迎えようと思った最大の決め手は息子達が初対面ですぐに光忠に懐いた所だった。人見知りが激しく無口な五歳の伽羅は出会って数分後には光忠の側にちょこんと座っていたし、伽羅と国永以外の認識がまだぼんやりとしている三歳の貞宗も一度光忠に抱っこされた後、その腕の中から離れるのを嫌がった。 

 今日からお世話になりますと、高校の学生服姿の光忠が国永宅のリビングに現れた際、やっぱり断ろうかなと思った国永の考えを彼はその身一つで覆したのだった。

「ねえ国さん、国永さんったら」

「駄目なもんは駄目。そこをどきなさい」

「やだ」

 

 約一年前の事を思い出していると、横たわったままの身体を揺すられる。新品のスリッパを履いて、身の置き場に困りながら身体や表情を硬くしていた少年を懐かしく思い返していた最中だったと言うのに。つまり、現実逃避をしていた最中だったのに。

 恵まれた体格の癖して上目遣いがちに国永の顔を窺い見ていたあの日の少年は、今やキングサイズのベッドに横たわっている国永の身体に跨り、威圧感たっぷりに上から見下ろしてきている。格好は黒のサテン生地のルームウェア、ズボンはなく裾が彼の脹脛まである形のものだ。今は国永の身体を跨いでいる為太腿辺りまで捲れているが。

 

「どうして、駄目なんだい。おかしいじゃないか。だって僕ら夫婦なんだよ?」

「世間体的にはそうだが、実としてはそうじゃない」

「こんなベッドで毎晩一緒に寝ておいて説得力ないよ」

「文句ならきみの大好きな鶯おじさまに言ってくれ。嫁入り道具だから是非とも使ってくれと丁寧に手紙まで付けてきた古備前の前当主様にな」

 

 その文章の後にわざわざ、三条分家の五条と自分の血筋の長船が婚姻を結べたのは非常に喜ばしい。古備前も五条と仲良くしていきたいと心から思っているので宜しく頼む、と政略結婚のいやらしさを前面に押し出してきた言葉を寄越してきたのだ。あれは絶対にベッドを使えよ、という脅しだ。あの食えない微笑みでさらさらとしたためたに違いない。捨てたら絶対にばれる。二人で使わなくてもばれる。ならば使うしかないではないか。

 

「というか、こんなベッドで毎晩一緒に寝ていて俺がきみに手を出したことが一度でもあったか?ないだろう?何よりも説得力あるじゃないか」

「僕が学生だから遠慮してるんじゃないのかい」

「遠慮なぁ、朝までぐっすり寝てる俺がかい?」

「国さんは優しいから!」

「優しい俺の為に毎晩の様に抱いてくれって迫ってくるのか、きみは。そりゃあどうもありがとさん」

 

 左手を伸ばして頭を撫でれば、今は子ども扱いする時間じゃないよ!と両手で左手をどかされてしまった。両人の左手の薬指には、ベッドのサイドテーブル上の柔らかなライト光でもきらり輝くプラチナの指輪が嵌っている。正真正銘結婚指輪である。

 世間的にも戸籍上でも夫婦に違いないからお互いが結婚指輪を嵌めているのは不思議でも何でもない。けれど、国永が光忠に結婚指輪を贈ったのは世間体の為でも、まして夜の営みを了承した為でもない。光忠を正式に家族に迎えたいという意思表示の為だ。

 自分の意志で我が子にした伽羅や貞宗と違い、政略結婚という形で出会った光忠だが、国永にとって光忠は息子二人と同じくらい大切に思っている相手だ。年齢が一回り違うとは言え、親子ほど年は離れていないから息子扱いすることはないが年の離れた弟の様に大切にしている。お互いの一族の為だけに一緒に住んでいるのではないと光忠に分かって欲しくてこの指輪を贈ったのだ。それは指輪を渡す時にきちんと伝えたつもりでいたのだがどうやら伝わらなかったらしい。

 

「違うよ、国さんの為じゃない。僕の為にこうしてるんだよ。僕が、名実ともに国さんの奥さんになりたいんだ」

 人の腹の上にずしりと居座っておきながら、今更しおらしくそんなことを言う。薬指を男に繋がれているままの左手で国永のパジャマの胸元をぎゅっと握った。

 

「六月の花嫁さんって幸せになれるんだって」

「俺達は式自体挙げてないし婚姻したのも七月でーす」

「初夜が済んでない僕はまだ花嫁さんカッコカリだよ!初夜が済んだ時ようやく正真正銘の花嫁さんになれるんだ!」

「どういう理屈なんだい、それは」

「だって。・・・・・・今でも十分幸せだけど、もっと幸せになってみたいって言ったら、呆れる?欲張りだって、怒る?」

「別に呆れもしないし、怒りもしないさ」

「ならお願い!」

「それことれとは話が別だろー」

 弟の様に大切にしている相手から両手を合わせてお願いされてもこればっかりは頷けない。無理なものは無理なのだ。こんな風に大胆に体に乗り上げられても反応の兆しさえ見せない時点で察してほしい。

 十九歳になり体格は立派な大人の身体になっているし、なんなら国永よりも一回り大きい身体を持っているが、未成年は未成年。国永にとっては子供でしかない。

 干支一巡り分、離れているのだ。つまり国永が十二歳の時に光忠が生まれた。国永が成人した時、光忠は八歳だ。そう考えれば今の体勢だって、退屈している小学生が一緒に遊んでほしいと年上の大学生にせがんでいる図にしか思えない。真剣だろう光忠には悪いが子供、まして小学生には一っっっ切食指が動かない。

 仕方がないと心の中で息を吐く。今夜も光忠のおねだりに付き合ってやるとするか。国永が疲れている時以外はほぼ毎晩繰り返される問答だ。今日は衣装やら体勢やらを考えてきた様子だが、しばらくかまってやれば光忠も落ち着くだろう。

 多分少し寂しいのだと思う。今年から子供部屋で寝る様になったとは言え子供達二人はまだまだ手が掛かる。幼い貞宗は勿論だが、大人しく無口な伽羅だってそうだ。無口な分、こちらが目を配ってやらなければならない。来年から小学生だから大人とはもう寝ない、と小学校入学前特有の主張には頷いてやったものの、それ以外で目を離すことは出来ない可愛い我が子達だ。どうしても仕事以外の時間は子供達に費やしてしまう。

 光忠に対しても構ってやるどころか、大学以外の時間は家事育児に当ててもらっている状況である。最近は、光忠主体で家の事を動かしてもらっているくらいだ。夫婦とは名ばかりだと言っておきながら、光忠に多大なる負担を強いてしまっているのが現実。十九歳の、まだ子供の光忠に。それがとても申し訳ない。

 光忠は子供ながらに矜持が高い。未成年にしては気苦労も多いだろうが、一度家を出たとなれば、実家の家族に甘えることもしないだろう。今、光忠が甘えられる大人は国永しかいないのだ。逃げこめる場所も国永の元だけ。そう思えばこの毎夜の問答だって、光忠なりの甘えに違いない。その甘えを国永が受け止めてやれなくてどうする。

 長時間駄々をこねられたって、腹の上に乗っかられたって、途中で会話を打ち切ったりせず気が済むまで付き合ってやらねばならないのだ。もはや逆寝物語の読み聞かせの気分だが、それに付き合うのも大人の責務だろう。

 

「・・・・・・国さん、何か考え事してる」

 大人の責務について考えていた所をじと目の光忠にずばりと言い当てられてしまった。内心、ぎくりと肩を揺らしたが面には出さない。

「してないしてない、考え事なんか」

「嘘だ。分かるよ。貞ちゃんにご飯食べさせながらカレンダー見てる時と同じ顔してた」

「違う、あれは考え事してるんじゃない。貞坊が食べ物で遊んで全然食べてくれないから思考を放棄してるんだ」

「僕の訴えを前にしながら思考を放棄してたってことかい!?」

「そうじゃなくて!俺はカレンダー眺めてた時の話をしててだな!?」

 

 しまったと思った時には既に遅し。今まで不服そうなだけだった光忠が眉を吊り上げ、おもむろに自分のルームウェアのボタンに手を掛けた。一番上のボタンを素早く外し、二番目のボタンに手を掛けた所で慌てて黒いサテン生地ごと両手首を握り、止めに入った。

「こらこらこら、何をしとるんだきみは」

「いくら、言っても、聞いてくれないなら身体で、本っ気を、見せるしかっない、よね!だから、手を離して、くれ、ないかなっ?」

「だめに決まってるじゃないか」

「なら実力、行使っ!」

 

 ぐぬぬと力技で二つ目のボタンを震える手で外した。元から力持ちの子ではあるがこんな所で火事場の馬鹿力を発揮しないでほしい。とはいえこのまま全部のボタンを外させるのは肩が肌蹴て風邪を引いてしまうかもしれないから阻止しなくてはならない。こちらも負けずとぐぬぬと歯を食いしばりながら両手首の拘束を強めた。

 ベッドの上で夫婦と名のつく二人が何と色気のない。やはり子供が大人にじゃれついているだけではないか。自ら子供であることを証明しておきながら抱いてくれだの名実ともに嫁にしろだの、失笑ものである。子供に色気を理解しろと言うのも酷な話だが。

「国さんが好きなんだ!国永さんが好きだから本当の奥さんになりたいんだよ!どうして駄目なの!?」

 

 好きなのに!大好きなんだよ!だから良いでしょう!と本格的に駄々を捏ね始める。そう言う問題じゃないんだよなぁと言えば、じゃあどういう問題!?とまた声を上げる。同じ男なのに男の気持ちが分からないのがまだ子供と言うべきか。いつもは大人びてるのに、どうしてこの件に関しては子供じみているのだろう。国永にとっては好都合だが、まっすぐすぎる好意に劣情は抱きにくいと何故気づけない。

 同居初日に、枕を抱き、国永がベッドに腰かけただけでびくついていたあの反応はどこに行ったのか。頬に手をやって、名ばかりの夫婦だから怖い事や嫌がる事も、無理を強いる事もしないと優しく言い聞かせた時、ほっと息を吐いて身体の緊張を緩めたあの反応は。安心した様に眦を和らげ「良かった・・・・・・。そういうこともしないといけないのかなって、ちょっとだけ、不安だったから」と不安を抱いていた自分自身を少し恥じる様に笑っていたのは他でもないこの少年である。

 あの桃色の頬の少年が今や顔を赤くしてボタンを外そうと躍起になっているのだから、驚きを禁じ得ない。あの時の方が色っぽかった。自分が困ることになるから口には出さないけど。

「いくら大好きでも俺は子供を抱きません」

「もう子供じゃないよ!見てよ!直に見て触って確かめて!」

「しーまーせーん。俺が言う子供っていうのは平気でそんなこと言っちゃう所の話であって、身体の話じゃないんですー。っていうか光坊、もうちょっと声抑えてくれないか。あの子達が起きちまう」

 いくら部屋が隣ではないとは言え、静まり返った夜に騒ぎ立てれば目を覚ましてしまうことも考えられる。数時間前におやすみなさいと挨拶をし、手を繋いで子供部屋に行った六歳児と四歳児のことを考え、興奮しきっている十九歳児にそう言った。力任せに三つ目のボタンを外すことに成功していた光忠は、国永の最後の一言でようやく現状に気付きハッと目を見開いたと同時に口を噤んだ。

 けれど、今更意味のない事だったらしい。夫婦の寝室に静寂が訪れた数秒後、部屋のドアノブががちゃりと鳴った。

 隔離されていた部屋の隙間が開く前、そこから子供が顔を覗かせる前に、国永は捕まえていた手首を強く引き、自分の腹の上に跨っている身体を引き寄せる。

「わぁ!?」

 

 そして自分と位置を入れ替えることで光忠の身体を大きなベッドへと素早く沈めた。すると、キィと小さな音が鳴る。ベッドのスプリングの音ではない。ドアが小さく開いた音だ。そして、その小さな音に負けない小さな声がベッドの上で身体を起こした状態の国永の背中へとかけられる。

 

「・・・・・・くになが」

 声の持ち主は分かっているので、微笑みを浮かべて振り向けば寝室前の暗い廊下に立っている血の繋がらない兄と弟が手を繋いでこちらを覗いていた。恐らく貞宗のものだろう金の瞳はいつもの大きさとは違い、うつらうつらと眠そうな煌めきを繰り返している。

 

「どうした伽羅坊、眠れないのか?」

 

 暗い廊下を子供の足ではるばるやって来たのだ。廊下の闇以上に恐ろしい夢を見たのだろう。引き取った当初から時々あることだった。そう言った時は国永が寝付くまで子守唄を歌ってやると約束をしている。伽羅はそのつもりでこの部屋に来たのだ。多分、今の騒ぎで目を覚ましたのではない。と、思いたい。

 

「おいで、一緒に寝よう」

 

 そう手招きをするが、伽羅はその場でもじもじと足踏みをするだけだ。「おとなとはもうねない」と宣言してしまった手前恥ずかしいのだろう。良いのに、子供なんだから。自分の都合の悪いこと等すぐに忘れてしまえば。それは子供の特権だ。

 可愛く律儀な息子はしばらくもじもじしていたが「・・・・・・さだのぬいぐるみわすれたからとってくる」と言ってまた暗い廊下へと戻っていってしまった。追いかけるか迷って、彼の精一杯の強がりを壊すことは出来ないなと隙間が開いたままの入り口、そこへと漏れるサイドテーブルのライトの光を見ていた。

 しかしはた、と自分の下に組み敷いている身体があることに気が付いた。

 いくら何も分からない幼児達とは言え、体勢と格好だけは破廉恥な夫婦の攻防を見せるわけにはいかず、咄嗟に光忠をベッドへと沈めてしまった。力加減などを考えず強引に沈めてしまったので、光忠は驚いたのではなかろうか。高級なキングベッドは優しく光忠を包み込み、怪我などさせはしなかったと思うが急に乱暴に扱ってしまったのは謝らなければならない。

 

「悪かったな、光坊。急、・・・に?」

 自分の下にいる光忠に視線を落とし、謝罪をした。けれど光忠の姿を見た途端謝罪の気持ちがどこかにすぽんと抜け落ちてしまった。謝罪どころか、思考自体が真っ白に。

 無防備に晒した肌も頬も真っ赤に染め、驚きと戸惑いで瞳を揺らしている光忠は子供とは到底言えない色気を全身から発していた。結婚指輪が嵌められている左手はぎゅうっとシーツを握りしめており、右手は国永の左手にそっと添えられている。そして思わず凝視してしまう国永の何かを欲するかのようにごくりと唾を飲み込み、喉の隆起を動かした。それは非常に分り易くいうと、男の劣情を掻き立てる姿だった。光忠がすぐに身体を起こしたため、それは一瞬の光景だったが凄まじい破壊力で国永の思考も行動力も一気にそぎ落としてしまったのだ。

 身体を起こした光忠は肌蹴た肩を素早く直し、ボタンが三つ外れているルームウェアの前をプラチナが光る左手でぎゅっと握り合わせた。右手は、珍しくも乱れた髪にはいかず、林檎の様に赤くなったままの頬の片方を隠すように抑えた。

「あ、あの、伽羅ちゃん達が来るならこのままの格好って訳にはいかないから、その、僕もパジャマに着替えてくるね」

「あ、ああ・・・・・・」

 

 震える唇で紡がれた部屋を出ていく言い訳にぎこちなく頷いた。今から息子達がやってくるのだ。行かせない、とその手首を捕まえる訳にはいかない。そさくさと、ベッドを降りていく光忠の気配を感じながらも、乱れたシーツや枕を整えることしか出来ない。頭の中で、さっき目に焼き付いた光忠の姿を、国永に組み敷かれていた時の光忠の表情を何度も反芻していても。

 

「くになが」

 

 光忠と入れ替わる様にして伽羅がまたドアの隙間に顔を出した。今度は呼ぶ前に、とてとてと裸足で床を鳴らしながらベッドに近づいて来る。そして自分でキングサイズのベッドに登る。手を繋いで隣について来ていた貞宗はそうもいかないから国永が抱きあげてベッドの上に乗せた。亀のぬいぐるみ片手にきょろきょろと辺りを見回す所を見ると目が覚めてきているのだろう。そして光忠を探しているのだ。

 

「みっちゃあ~?」

「光坊ならすぐ来るぞ。それまで横になっとこうな」

 

 国永の横に伽羅、その隣に貞宗を寝させる。自分でこう言っておきながら光忠はすぐに帰ってくるだろうか、とそんな考えが頭に浮かんだ。そして先程の彼の、実に美味そうな一瞬の姿も。

 

「伽羅坊」

「なんだ」

「パパ、怖い夢見そうだから明日も一緒に寝てくれないか。っていうかしばらく一緒に寝て」

 瞼を閉じるとまた甦りそうな光景を振り払いながら、六歳の我が子におねだりをする。ぎゅっと抱きつきながら言えば、仕方がないと言いたげなため息が聞こえた。眠れない子供に早速子守唄を歌ってやるつもりだったのに、これではどっちが子供か分からない。

 

「みつただもいて、それでもこわいなんてくにながはおとななのにこわがりだ」

「面目ない」

「でもあんたがこわいならしかたない」

「ちたたない!」

「ありがとう!愛すべき息子達よ~!」

 

 二人とも一遍に抱き込めば貞宗はきゃっきゃっと声を上げて喜び、伽羅は口を引き結んでむすっとした顔を見せる。嬉しくて照れた時の顔だと知っているので抱き締める腕にもっと力を込めた。

 しばらくじゃれあっているとでパタン、と音が鳴った。横たわり子供達を抱き締めたままでは身体を大きく動かせなかったので、首だけで気配を振り向くと国永と揃いのパジャマに着替えた光忠が部屋に戻って来た所だった。国永側からベッドへ上がり、自分の位置へ行くことは出来ないのでベッドの周りを歩いて貞宗の隣へと身体を横たえる。その時、国永と目が合った。

 彼は少しだけ恥ずかしそうに目を伏せたが、それは瞬く間だけですぐにいつもの光忠の表情へと戻ってしまった。未だ先ほどの光景が尾を引いており一心に見つめてくる国永の目の前で、心身ともに健康的で健全な光忠へと。そしてボタンがきっちり全部留められているパジャマ姿で腕を広げ、貞宗を呼ぶ。今まで国永の腕の中にいた貞宗は喜んでそちらの方に行ってしまった。

 

「みっちゃん~!」

「やあ貞ちゃん、おやすみなさいの時ぶりだね。伽羅ちゃんも」

「ああ」

「こうやって皆で寝るの、数カ月ぶりだよね。久しぶりに家族四人で眠れてとっても嬉しいよ」

 

 光忠は本気でそう思っている。それが分かるから伽羅もこくりと分り易い仕草で素直に頷いた。

 

「国さんも嬉しいでしょう。国さんずっと寂しがってたものね」

「そりゃあ、愛息子達と眠れるとなれば嬉しいに決まってるさ。だから今夜の子守唄はスペシャルメドレーでいってやるぜ」

「いっきょくでいい」

「遠慮するなって伽羅坊」

「いっきょくでいい」

 

 伽羅の要望通り子守唄は一曲だけの披露となった。元から無口な伽羅は勿論、直前まではしゃいでいた貞宗も、くすくすと楽しそうに笑っていた光忠も国永が歌い始めると皆一様に穏やかそうな顔で目を閉じた。そしてゆったりとした唄が子への慈しみを紡ぎ終わった頃には三人が三人とも、すぅすぅと寝息を立てて眠り始めていた。

 この寝入りの速さ、最早条件反射と言ってもいいだろう。一年以上前から寝入りの時に度々歌い聞かせていた二人に関しては、国永の歌がすっかり身に馴染んでいるのは分かる。何より子供に向けられての歌だ、入眠への効果が抜群なのはむしろ当然だ。けれども光忠にもここまで効果抜群とは。

 

「やっぱり子供だからなぁ」

 

 すやすやと眠る子供達三人の、一番端にいる一番大きい子供の寝顔を見ながら呟いた。可愛い彼らの夢を邪魔しない様にひっそりと。

 淡いライトの光に照らされた光忠の寝顔はまだあどけなさを残している。そう子供だ、まだ子供。数十分前にあんな姿を晒しておきながら無防備に寝てしまえるのだから。

 一番最初の夜に不安を吐露したのは光忠だ。けれどそれを咎めるつもりはない。彼の不安は当然だったと国永は分かっている。そしてその当然だった不安を撤回するのを、そもそもあの時の不安自体を忘れているのも仕方ないと理解している。何せ彼はまだ子供なのだから。

 好きだからっていう感情だけを理由にして抱かれたいなんて言えるのも、物を知らないからに決まってる。大人の欲がどんなに怖いか知っていれば、同居初日の不安を覚えていればおいそれとあんな言葉の数々は言えない。

 もう子供じゃないと主張するのであれば、抱いてほしいの懇願に国永が頷いた後のことも考えてほしいものだ。どんなに怖くなっても、不安になっても一度そうなれば国永は止まってやれないかもしれないと思い至ってほしい。

 実際は、泣かれたら流石に止まれるとは思う。泣かれたらショックだし、その後ずっと怖がられてしまったら立ち直れないのは国永の方だから。それに、光忠が国永におびえる様になれば光忠は逃げ場所を失ってしまう。頼れる大人をなくしてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。だから光忠がどんなに迫ってこようとも、国永は子供だからと自分に言い聞かせて絶対に相手にしない。惨劇の原因となってしまうかもしれない自分の感情自体に、まだ蓋をしておかなければいけないのだ。蓋を開ける時期は慎重に見定めなくては。

 

「子供は子供。まだ子供。俺が二十歳の時、こいつは小学二年生」

 

 言い聞かせながら手を伸ばすと、貞宗の身体に寄り添っている光忠の手に触れることが出来た。

 どんなに好きでも、今は弟の様に大切にしようと決めている相手。いずれはと思っているが、まだその時ではない。だから、先程の一瞬の光景を上書きする為にあどけない子供の寝顔を、瞬きも惜しんで見つめ続けた。

 するとふにゃん、と光忠の寝顔が緩む。どうやら夢の中で良い事でもあったらしい。つられて国永の表情も緩んだ。

 息子達と同じくらい幸せにしたい名ばかりの嫁。夢の中でも幸せでいてくれるなら、国永はとても嬉しい。光忠には際限なく幸せになって欲しい。心からそう思う。

 

『六月の花嫁さんって幸せになれるんだって』

 

 幸せ。思いついたその単語に反応して、数十分前の光忠の言動を脳が脳内スクリーンに再生し始めた。ばっちりとフルカラー動画で。

 あの時は「式も挙げていないし婚姻時期も違う」ととぼけた筈の国永だったが、脳内で再生されている映像の中では違う反応を返した。

 

『六月の花嫁さんって幸せになれるんだって』

『そうか、なら俺は夫としてきみを幸せにする義務があるな』

 

 そう言って、国永は自分の上に跨る光忠の太腿に手を滑らせるのだ。これ以上ない程の満悦を浮かべ、自分の欲と光忠の幸せだけに忠実さを見せるいい年した男。その男が子供を貪っていく醜い姿を、高性能な知能は妄想のスクリーンへ正直に映し出していた。

 

「・・・・・・はぁ」

 

 溜息をついて掛け布団を頭からかぶる。伽羅の顔にはかからない様に注意して。

 あどけない寝顔で欲を上書きする作戦はどうやら失敗の様だ。仕方がない、今日のアクシデントは少々刺激が強すぎた。自分に対する言い聞かせはとても有効だが、一度洗脳が解けると元の脳に戻るのには一苦労だ。以前はおはようからおやすみまで息子達が二人の間にいてくれたから良かったものの、この状態で二人きりの寝室は難易度が高い。

 先ほど伽羅におねだりをして本当に良かった。明日また二人きりの夜となれば、子供の光忠は今日のアクシデントなんて忘れて、また抱いてくれとせがんでくるだろう。そうなると今の国永には自制しきれる自信がなかった。その後に待ってるのは惨状だ。考えただけで気分がブルーになる。

 大人の癖になんという体たらくだ。鎖がゆるゆるな自戒より、幼い我が子達の方が何十倍も頼もしい。

 くすぶった情欲のほとぼりが冷めるまで、最低でも六月が終わるまでは、息子達に一緒に寝てもらおうと心に決めて国永は布団の中から手を伸ばし、サイドテーブルの上のライトを消した。

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