とある本丸の一角にある施設。その名も『本丸探偵鶴丸』
驚きを必要とする鶴丸国永が助手の太鼓鐘貞宗と設立した探偵事務所である。
『猫の捜索から殺人事件までお任せあれ!ただし浮気調査はノーセンキュー!』がモットーで日々大小様々な驚きという名の事件を取り扱っている。
冗談から出来たこの探偵事務所であったが、事件には事欠かない。八十を超える刀が共同生活ををしているとなれば当然だろう。自分の持ち物が他の刀のものと混ざり何処に行ったかわからないなんてことは日常茶飯事だし、同室の相手に黙って飼っていた虫が行方不明になったと泣き付かれたこともある。
万屋の主人がこっそりと所持している茶器の噂が本当か調査してほしいという依頼や盗み食いをした犯人の特定、カレーの隠し味の正体等々。鶴丸は毎日本丸内を西へ東へ奔走している。
事件や依頼が絶えない我が本丸ではあるが、まだ殺人もしくは殺刃事件は起こっていない。探偵としては味気ないものだが、そこは素直に喜んでおくことにしよう。探偵がいるからといって必ずしも死者が出るとも限らない。行く先行く先で殺人事件が起こるなどそれは探偵ではなくもはや死神だろう。神は神でも鶴丸は付喪神だ。職種が違う。
「ふーむ」
太鼓鐘と万屋で購入したココアシガレットを咥えながら報告書の頁を捲る。そこには元気な字で昨日解決した依頼の詳細が書かれていた。
『依頼主:五虎退 依頼内容:五匹の虎の内の一匹が消えた 犯人:伽羅 調査結果:伽羅から出ている動物フェロモンのせい!』
実に簡潔で笑いが零れる。読み返した時に分り易いのは良い事だ。それに報告書なんてめんどくさいと未だに嘆くが毎回きちんと書いてくれるのだから文句は言えない。
今日は珍しく依頼のない日だ。
『本丸探偵鶴丸』設立以降何だかんだと動きがあったこの事務所、兼鶴丸の自室に平穏が訪れている。今日は何もないと知った太鼓鐘は「今日は休日ってことで!」と早々にこの部屋を出ていってしまった。あまりに意気揚々と出ていってしまったので太鼓鐘はこの探偵ごっこに飽きが来てしまったのかと思ったのだが「あ!でもなんか事件が起こったら教えに来るからな!」と見送る鶴丸に親指を立てて笑ってくれたから、まだ鶴丸に付き合ってくれる気があるらしい。良い助手を持てて鶴丸は果報者である。
何はともあれ、突如休日となった鶴丸は過去の報告書を読んで時間を潰すことにした。部屋は開け放ち、部屋の表にある看板も取り外していない。依頼者が来ないとも限らない為だ。助手はいないが依頼を受けるだけなら構わないだろう。
「ははっ、あったなぁこんなこと」
報告書の頁を捲っていくと過去の依頼と思い出が次々と甦ってくる。変な依頼も多いが思い出せば楽しい事ばかりだ。ひとりだというのに報告書の内容に声を出して相槌を打ってしまう。傍から見たら怪しいだろうなと思った時、部屋の入り口に気配を感じた。
「こんにちは」
「光坊」
「今日は開業してるかい?さっき貞ちゃんにあった時は休みだって聞いたけど」
「開いてる開いてる。君の言う通り優秀な助手は休みだけどな」
訪れたのは鶴丸の弟分のひとり、燭台切だ。開業をしていることを伝えると人好きのする微笑みのまま部屋に足を踏み入れてきた。
「依頼があってきたんだけど、いいかな?」
「勿論構わないが、珍しいな。君からの依頼なんて」
なかなか他者に頼らないこの男が我が探偵事務所を訪ねてくるのは珍しい。確か設立当初に、醤油が一番安い万屋はどこか知りたいという依頼があったくらいだ。事務所内の座布団へ客である燭台切を誘導しながらそんなことを考える。依頼主と話すのに咥えタバコは失礼に当たるだろう、咥えていたココアシガレットをがりがり食べ終えた。
「それで?依頼ってのはなんだ?」
「それが・・・・・・」
客と向き合う形で鶴丸も座布団に腰を下ろす。万年筆を持ち、メモを取る仕草で依頼を促すといつもはまっすぐ鶴丸を見つめる金の瞳が伏せられる。言い辛そうに口を噤み自分の右手で左腕を擦るものだから、鶴丸は思わず前のめりになってしまう。
「なんだ、そんなに困った事なのか?」
「言い辛い、って言うかね。・・・・・・受けてもらえるか不安で」
「きみの依頼を俺が断るわけないだろう」
「でも、この事務所のモットーに反する依頼だし・・・・・・」
「モットー?」
膝の上の燭台切の左手に、万年筆を置いた自分の右手を重ねながら鶴丸は下から覗き込むように顔を近づける。そこで、突然揚げられた我が事務所のモットー。
パッと内容が出てこない。頭にハテナを浮かべた探偵の視線を隻眼はようやく受け止め、にっこりと細めた。
「そう。『猫の捜索から殺人事件までお任せあれ!ただし浮気調査はノーセンキュー!』の浮気調査、だよ」
そのモットーと最後の四文字に固まる鈍い探偵にも構わず客は依頼内容を続ける。
「僕には恋刀がいるんだけど、最近全然構ってくれないんだ。前は光坊、光坊ってちょっと困るくらいに構ってくれてたのに。これ、怪しいと思わないかい?もしかしたら浮気してるかも、なんて思っても無理はないよね」
「は、え、」
「そこで探偵さんには僕の恋刀を調査してほしいんだ。証拠を探して欲しい」
さっきまでの不安そうな態度は何処へやら、目の前の男は非常に楽し気に笑みを浮かべている。滝の様な汗を掻き始めてる鶴丸とは正反対だ。
「証拠を見つけてくれたら僕も諦められる気がするから」
「ちょ、ちょっと待ってくれ光坊!俺は浮気なんか全くしてな、」
「変な探偵さんだなぁ。僕は恋刀の浮気調査をお願いしてるんだよ。探偵さんの浮気を問いただしたい訳じゃない」
取り付く島もない。笑顔のまま言葉を被されてしまう。これは、かなり危険な状況じゃないだろうか。
燭台切と鶴丸は恋刀だ。だから燭台切の言う浮気調査の対象は鶴丸に間違いない。だと言うのに燭台切は鶴丸の主張を聞こうともせず話を進めようとする。確かに最近は探偵事務所に依頼が次々と舞い込み、鶴丸は太鼓鐘と共に調査に専念していた。燭台切と一日顔を合わさないこともあった。
探偵ごっこを始める前は、特に恋刀になりたての時は燭台切にべったりだったことも認めよう。しかしそれを止めたのは、あまりべったりしすぎていると燭台切に呆れられ飽きられてしまうと思ったから自重しただけの話だ。燭台切に対する想いを疎かにしたわけではないし、しつこくない程度に抑えて気持ちはきちんと伝えている。浮気を疑われる要素などひとつとしてない筈だ。
そう思っていたのは鶴丸だけなのだろうか。燭台切にとってはさっきの言葉通り、鶴丸の態度は急にそっけなく映ったのだろうか。なら鶴丸がいくら主張してもそれは何の証拠にもなり得ない。
しかし、昼は燭台切の言う通りと認めたとしても夜はそうではない。毎夜というわけにはいかないがふたりきりの夜は定期的にある。その時間の濃密なあれこれさえ燭台切は忘れてしまったのだろうか。最後に過ごしたふたりの夜は一週間以上前だが、忘れるには早すぎる。ただこの主張も主張に過ぎず、証拠にはならない。
「受けてくれないのかな?」
「う・・・・・・、だって、みつぼ、俺浮気なんか、」
「やっぱりモットーに反する依頼だから難しいよね。そっかぁ・・・・・・」
「受ける!受けるからそんな悲しい顔するな!反則だぞきみ!」
ひとの話に耳を傾けない癖にしょんぼりと本当に悲しそうな顔をするものだから反射で受けると返事をしてしまった。鶴丸は弟分兼恋刀の悲しい顔には滅法弱いのだ。同等に笑顔にも弱いし怒った顔にも弱い。もはや燭台切の存在そのものに弱い。燭台切からお願いされた時点で結果は見えている。
やけくそ気味に返事をした鶴丸にまた表情を一転させ「よかったぁ」と両手を合わせる年下の恋刀は明らかに鶴丸を操作している。きみはいつから男を手玉に取るような子に育ったんだ、と喉まで出かかったが寸での所で飲み込んだ。もうなるようになれとは思っているが、自ら最悪の方向へ舵を切る必要もないだろう。
はあ、とここ最近で一番でかい溜め息をついて目元を左手で覆う。右手で万年筆を握り直しメモを取る格好をとった。
「はい・・・・・・、じゃあ、依頼お受けしますんで・・・・・・。数日後に調査の報告させてもらいます。ただ証拠が出なくても弊所を責めないでください。証拠が出るとは限りません。というか絶対出ない、万が一でも出ない。浮気の証拠なんか出ないからな!!こんな茶番に付き合っても出ないもんは出ない!!!!」
「僕、浮気の証拠なんてお願いしてないよ?」
「あ?」
あっけらかんと言われた言葉に思わず低い声が出る。わざとじゃない。今のは不可抗力だ。
とはいえ万年筆を握り折り凄んでしまった鶴丸にも燭台切の態度は変わらない。ずっとにこにこしている。
「僕が見つけてほしい証拠はひとつだけ」
黒い手袋に包まれている人差し指が鶴丸の鼻に、ふに、と押し付けられた。
「僕の恋刀が、僕を大好きっていう証拠がほしいんだ。そうしたら昼間に構ってもらうのを諦められるからさ」
鼻に触れていた指が離れ、ずっと上機嫌そうに微笑んでいた自身の唇をなぞる。なぞられる側からその唇が艶やかに変化していく様に見えた。
「数日後、じゃなくて出来れば今証拠を見せて欲しいんだけど、難しいかな?・・・・・・探偵さん」
瞬きをした隻眼の色が、闇夜に灯った火の様に揺れる。汗に濡れる白い肌を浮かび上がらせる灯を思い出させた。
鶴丸は使い物にならなくなった万年筆を机の上に置く。依頼者の問いかけに答えないまま立ち上がり、事務所の入口へと近づいた。
外側についている看板を手に取り外した時、渡り廊下の向こう側に太鼓鐘の姿を見つけた。太鼓鐘も同じく鶴丸に気付いた様で大きく手を振る。
「つるさーん!やっぱ今日事件なさそー!!」
「俺はあったぞー!!大事件だー!!」
「まじー!?俺も手伝った方が良いー!?」
「だいじょーぶ!!きみは休んでていいぞー!というか今から事務所閉めるからぜひ休んでてくれー!」
「調査に出んのー!?明日依頼内容教えてなー!!」
「おー!今回の報告書は俺が書いとくー!!」
大声で会話していると、部屋の中からくすくすと笑い声が聞こえてくる。
「あまり事細かに書き残されると恥ずかしいなぁ」
太鼓鐘に別れを告げて、部屋の戸を閉める。大切な看板を邪魔にならない所に置いた。そしてこの部屋に入ってきた時とは全く違う笑みを浮かべている男の項に手を滑らせた。
「うちの報告書は簡潔だから心配するな」
そうでなくても、閉じた瞼の睫毛の長さも、近づけた唇から生まれる息の熱さも、小さく零れる甘い声も。自分以外の目に触れる形で残すつもりはないけれど。
『依頼主:光坊 依頼内容:浮気調査(最近構ってくれない恋刀の調査をしてほしい) 犯人:なし 調査結果:光坊と俺は今日もラブラブ!!』