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わたぬき鶴と嘘つき子犬

 


 世の中は必ずしも平等とは限らない。特に大きく分けて二つ。幸せな者と不幸な者。
 幸せな者は今を維持しようと努力をし、不幸せな者もまた幸せを掴もうと努力をする。幸せはイス取りゲームと一緒だ。
 ならそのイスの数が限られていたなら。それはもう、血で血を洗う争いが待っているに違いない。
 そして、本丸の、光忠の部屋の前。その争いに破れた者が一人。

「えっぐいこと考えやがる」

 

 鶴丸は頭を抱えて踞る。これから部屋の持ち主であるの恋人を傷つけなければならないからだ。
 本日4月1日。現世ではエイプリルフールと言う。簡単に言えば嘘をついて良い日。それが午前中のみか、一日中かなど細かいことはその地域によって違うとかなんとか。
 本来であれば、鶴丸が小躍りしながら楽しい嘘と驚きをばらまく最高の日である。しかし、今年のエイプリルフールに限っては、こんな日がなければと八つ当たりしてしまうのも仕方がない。

 鶴丸は、主と賭けをした。厨当番の為に新しい電子レンジを買ってやってくれと頼み込む鶴丸に、主が「俺との賭けに買ったらいいよ」と言ったからだ。たぶん、鶴丸が厨当番ではなく光忠個人の為、もっと言えば自分の為の申し出だと気づいていたのだろう。高性能の電子レンジがあれば、光忠がいなくても厨の当番が回りやすくなるのではないか、もっと言えば光忠と一緒に過ごせる時が長くなるのではと言う下心に。
 勝負は、主の趣味の競馬。四レース。手元に残った残金が多い方の勝ち。
 

~結果~
 鶴丸、馬連2回当たり。もうけ、900円。
 主。三連単1回当たり。もうけ30万。一着が14番人気の荒れに荒れたレースだった。
 万馬券に高笑いの審神者は、膝をつく鶴丸に指を指しこう言った。

 

「敗けた代償は4月1日に、恋刀である光忠に嘘をつくこと」
「内容は『酒の勢いで別の相手と一夜を共にした』という内容」
「なお、どんなことがあっても。破局や命の危機に瀕しても決して、4月2日の太陽が顔を出すまでネタばらしをしてはいけない」

 以上!

「うちの主は頭がおかしいんじゃないか!?」
 

 いくらなんでもついていい嘘とそうではない嘘がある。主が言ったものは完全に後者だ、エイプリルフールだなんだと言っても。
 

「最近リア充が憎いとかなんとか言っていたが・・・・・・、くそっ、あそこで騎手の実力を信じていれば!」
 

 しかしパドックで見た馬の感じが、とぶつぶつ呟いてみても後の祭り。敗けは敗けだ。
 

「しかも、よりによって審神者の言霊とかご都合主義にもほどがあるもので契約を結ばせるとは、鬼か。鬼主!!」
 

 んじゃあ、俺は当たった金で堀川きゅんや博多きゅんと現世で豪遊してくるから~!と押し付けるだけ押し付けて本丸から出ていってしまった。これでは撤回させることも出来ず、鶴丸は契約という命令に従うしかない。
 自ら招いたこととは言え、絶望を感じずにはいられない。

 現在4月1日、みんなが個々で落ち着く夜の時間。この時間まで光忠と顔を合わせないよう逃げ回わった結果だ。男らしくないと笑うなら笑えばいい。鶴丸には生きるか死ぬかなのだ。
 

「・・・・・・絶対、身を引くとか言われる」
 

 浮気をした。
 そうなんだ、じゃあ僕は身を引くね。
 次の日あれは嘘だったと言っても光忠は首を振る。光忠は大抵の事には柔軟だが、一度決めた大事な事をおいそれと撤回する性格ではない。結果、鶴丸がいくら弁明しても破局へと向かう。
 そんな未来が鮮明に思い浮かぶのだ。光忠が薄情だとかそういう訳ではなくて、鶴丸の気持ちが他に移れば、光忠は自分一人の気持ちでは鶴丸を繋ぎ止められないと思っている節があるのだと思う。もしくは鶴丸が自由に行動出来るように身を引くのだ。そういう健気さを光忠は鶴丸に対しては最大限に発揮する。

 

「嫌だ、嫌だ~光坊~」
「鶴さん?どうしたんだい、そんな所に踞って。一体何が嫌なの?」
「光坊!」
「うん、光坊だよ。なんだか随分と久しぶりだね。お互い本丸にいたのにこんな時間まで会わないのも珍しい」
「ほ、本当にな!」

 

 部屋の主である光忠が、黒いジャージ姿で薄暗い闇の中廊下を歩いてくる。白く踞っている鶴丸へ不思議そうに話しかけ、突然立ち上がり挙動不審な態度にもにこにこしている。
 

「もしかして、会いに来てくれたの?」
 

 光忠がこてんと首傾げる。前髪と襟足がさら、と揺れ、一つだけの金色の瞳が蜜の甘さを思い出させる色で細められる。
 嬉しそうに頬が染まるのもわかった。闇の中でも光忠のことだけはよくわかる。現金な太刀なのだ、鶴丸は。そんな鶴丸の、この愛おしい相手を今から傷つけなければならないと言うのだから、この世は地獄だ。自ら進んで地獄に落ちたとも言えるが。
 立ち尽くす鶴丸に「さ、どうぞ。鶴さんは勝手に入っていいのに、変なところで生真面目だね」と光忠が部屋へ招き入れる。明かりの灯った部屋へ、とぼとぼと入った。

 

「鶴さんお風呂入った?」
「・・・・・・え?あ、ああ、入った。君は?」
「僕も夕餉前に済ませたよ。なら、二人でゆっくり出来るね」

 

 自室に二人きりと言う状況は、光忠の態度をいつも以上に柔らかくさせる。特別優しくて少し幼い、ふんわりしたその笑みは文句なしに可愛い。いつもなら抱き寄せコースまっしぐらなのに。
 

「ちょっと待ってて、僕、寝間着に着替えるから」
「・・・・・・光坊、話がある」
「え?って、どうしたの、鶴さん。正座なんかしちゃって」

 

 と言いつつ、光忠も鶴丸と向き合って座する。君は正座をしなくてもいいんだと言う余裕はない。
 膝の上で拳をぎゅっと握る。嫌な汗がこめかみを流れる。
 言いたくない。絶対に言いたくない。事実でもない浮気を告白するなど。鶴丸は光忠一筋なのだ。そこに一欠けだって、他人への気持ちが介入する余地はない。それを光忠に疑われるなど心を引き裂かれるに等しい苦痛だ。
 しかし鶴丸は言わなくてはならないのだ。主との契約によって。
 それと、本音は少しだけ、本当に少しだけ、知りたい気持ちもあった。鶴丸が別の誰かに触れた時の光忠の反応を。
 もしかしたら、鶴丸が予想する反応とは違うものを見せるかもしれない。踏ん切りがつかない気持ちを、そんな愚かな期待が促す。

 

「話って何かな」
「浮気を、しました」
「え?」
「俺、酒の勢いで君以外の相手と一夜を共にしました・・・・・・」

 

 言ってしまった。誰の得にもならない、最低最悪の嘘を。
 光忠の顔を見ることが出来なくて手袋に包まれている光忠の黒い両手へ、意味もなく右左交互にうろうろと視線をさ迷わせる。

 重い沈黙。

 

「・・・・・・・・・・・・それ、本当?」
 

 それがしばらく続いた後。静かに、今日が雨であったら雨音で聞こえないくらい静かに、光忠が問いかけてくる。「嘘です!」と言いたいが、明日の朝日が昇るまでネタばらしは禁じられている。代わりにどう答えるか迷っていると沈黙を肯定に受け取った光忠が「・・・・・・そう」と呟いた。
 

「さ、酒に酔っていて、君と間違えたんだ」
「・・・・・・」

 

 光忠への気持ちを疑って欲しくはなくてそんな言葉を付け足す。光忠の目はまだ見れない。
 

「・・・・・・・・・・・・相手方とは、」
「え?」
「相手方とは話しはついているのかい」
「あ、ああ。お互いこのことはなかったことにしようと話をした」
「なら、僕に言えることは何もないね」

 

 普通の音量を取り戻した声色に顔をあげる。光忠はいつも通りの顔をしていた。
 

「それ、だけか?」
「それだけって?」
「身を引くって言い出すとか、・・・・・・ない?」
「ないよ。だって鶴さん、僕と間違えて相手を抱いたんでしょ?それなら、まぁ、仕方のないことかなって。あ。それとも、浮気じゃなくて、本気なの?僕に、身を引いて欲しい?」
「絶対やだ!!!」
「なら、この話はおしまい」

 

 光忠は肩膝を立てて腰を浮かせる。その肩を、何故か掴まえた。
 

「お、怒ってないか!?」
 

 光忠の反応は、鶴丸が予想していた最悪の事態を裏切った。それも良い方向にだ。鶴丸から離れることなく、何の感情の揺らぎも見せず話を終わらせてくれた。
 そう、光忠がこの話は終わりだと言ってくれたのに。このまま明日の朝日を待って、ネタばらしをすれば何事もなく終わるのに。愚かな鶴丸は地雷源にスコップを突き立てるように光忠を問い詰める。

 

「・・・・・・」
 

 光忠はニコッと笑って口の中で何かを呟く。一瞬のそれを、鶴丸は微笑みに気を取られて読み取れなかった。鶴丸が掴みきれなかった言葉を繰り返すことなく、光忠は別の言葉を続ける。
 

「あのね、鶴さん。僕は過ぎたことをどうこう言うのはあまり好きじゃないんだ。さっきも言ったみたいに、鶴さんが相手を僕だと思い込んでいたのであれば仕方のないことだと思うよ。僕に何か言えるとするならしばらくお酒は控えてほしい、ということくらい」
「だが、」
「・・・・・・気持ちよかった?」
「!」

 

 肩を掴む鶴丸の手に光忠が自身の黒い手を添える。労る優しい強さと言葉の差に喉が詰まった。
 

「それでも足りないなら、感想くらいは聞いてあげられるよ。ねぇ、僕以外の人と合わせた肌は気持ちが良かったかい?」
「・・・・・・なん、ちゅうことを聞くんだ、君は」
「ああ、そんなショック受けた顔しないで。ごめんね鶴さん。意地悪言うつもりじゃないんだよ。えっとね、そうだな」

 

 愕然とする鶴丸の手を宥めるよう擦って光忠は困ったように眉を下げる。
 

「情けないことを言っても良いかい」
 

 黙ったまま光忠を見返す。
 

「ちょっと、今ね不安なんだ。鶴さんの気持ちは疑ってないよ。でもさ、体の相性って言うのはどうしてもあるだろ?僕より、その一晩の相手との方が、鶴さん、気持ちよかったんだったら、どうしようって、・・・・・・思ってたりするよ」
「光坊・・・・・・」
「貴方だけの形になった僕を、他の人を知ってしまった貴方は、まだ抱いてくれるかな、って、はは、女々しいね」

 

 撫でていた手で、光忠の肩を掴んでいた鶴丸の手を外し、光忠は座したまま鶴丸に背を向けた。自らの腕をぎゅうと強い力で握るのが見える。行き場のない感情を必死に抑えている背中。
 鶴丸は迷わずその背中を抱き締めた。こんなことを言われて、自分の恋人を抱かない奴が居るなら、世紀の大発見並みの驚きだ。ぜひ紹介していただきたい。最高の驚きをくれたお礼に「この腑抜けが!!」と力強い拳をくれてやろう。

 

「光坊」
「・・・・・・優しいね、鶴さんは」
「君を慰めるためじゃない。俺が、君に触れたいんだ」
「嬉しいよ、ありがとう」

 

 声では笑う光忠にいじらしさを覚え、抱き締めた腕に力を込める。傷ついた光忠を慰めるには真実を告げるのが一番だ。だけどそれはまだ出来ないから、せめてそれまでは一層優しくしてやりたい、そんなことを思いながら。
 後ろから抱きすくめた体を、それだけでは座っていても身長差があるので、鶴丸へともたれ掛からせた。
 溢れる愛おしさのまま、常に整えられている髪に、鼻先を埋め香りを楽しむ。光忠の匂いは、どんな時でも鶴丸の胸を高鳴らせる。今は、まだシャンプーの匂いが濃く残っていた。すんと、鼻を鳴らして更に肺へ取り組もうとすると、光忠が首を傾けて話しかけてくる。


「そんなに嗅がなくても・・・・・・いつも同じ匂いでしょ?」
「この匂い、爽やかに甘くて好きなんだ」
「本当?僕もこの匂いお気に入り」
「ずっとこれ使ってるもんな」
「自分専用の、シャンプーなんてどれだけ髪に心血注いでるんだってみんなには言われるけどね」

 

 くすくす笑っている光忠が首を傾けていることで鶴丸の顎が、光忠の肩口へと収まる。すぐ横にある形の良い耳。ちゅっ、とわざと音を立ててそこに唇を寄せる。笑いが途切れ、光忠の肩が分かりやすくびくと跳ねた。ちゅ、ちゅっと繰り返す度、密着した体が跳ねる振動を伝えてくる。耳元での音は大きく響き、体の中へ直に入っていくのだろう。反射で動く体は意志では止められないようだ。
 今まで唇を落としていただけだった整った形を、薄く開いた唇で挟む。

 

「あ、」
 

 無意識だろう吐息とも取れる溢れた声。色を存分に含んだそれをもっと聞きたくてたまらない。
 柔く食んでいる耳に、生暖かい舌をつける。れ、と乾いていた凹凸に這わしていき、奥の窪みに舌先を軽く差し込んだ。

 

「んっ!」
 

 跳ねていた時はまだどこか力が入っていた体が、くたりと完全に鶴丸に身を預ける。舌を動かす度に今度はぶるっ、と体が震える。
 抱き締めるため光忠の腹に回した手で、震える体を宥める様に上下に撫でて。そして、黒いシャツの中へそろりと指を侵入させ始める。
 下から上へ侵入していく指は、黒いシャツをわずかに捲って行きながら、滑らかな肌の感触を辿る。割れた腹筋の線をなぞり、手のひらを滑らせ、徐々に上へ上へと。
 耳に対する舌先での愛撫とで、光忠は肌を立たせている。嫌悪からではないことを、漏れ続けている吐息にも似た喘ぎが教える。

 

「ふ、・・・・・・ぅ」
 

 光忠の長い足は曲げたり伸ばしたり、畳の上を意味もなく何度も擦る。無意識だろう、鶴丸の舌から逃げる為、力が抜けた上半身も緩やかに身悶えさせて。静かな愛撫は柔らかく、しかし確実にその体内へ熱を積もらせている。
 くぅん、と光忠が小犬を連想させる声を鳴らす。喘ぎを耐えるために唇を閉じたのが却って甘い響きを生んでしまった様だ。

 

「子犬みたいだ、可愛い」
「もっとかっこいいの、が、ぁっ、いい、よっ」

 

 光忠は不満そうだが、やはり可愛い子犬だ。ともすれば狼にも見える、図体ばかりでかい可愛い可愛い子犬。飼い主の鶴丸には従順で、健気で、こうして腹を撫でられ悦んでいる。
 そんなことを思いつつ、腹筋から脇腹も十分に堪能して、指はまた光忠の体を這い上がる。慣れた手つきで、引き締まった感触から僅かに盛り上がった部分に移動した時。

 

「あ、待って」
 

 服の中に潜っている鶴丸の手を、布越しに光忠の手が押さえる。甘える為だけにしては意志が宿る強さだ。いつもの様な上り詰めていく、快楽の恐れからではない。
 

「つるさん、」
「ん、なんだい?」
「ひぁっ、んっ・・・んぅ」

 

 名を呼ばれたので、舌と共に返事を耳へ差し込む。話している間も光忠を可愛がることをやめたくないのだ。
 

「あ、か、かお。顔、みえないのやだな」
「え?」
「前、きて?」

 

 なんとも珍しいこともあるものだ。光忠が正面から愛撫を望むとは。光忠は鶴丸に顔を見ながらの前戯が余り好きではないらしい。好きではないと言うと多少語弊があるか。正しくは死ぬほど恥ずかしいらしい。理性が溶けてしまえばそれどころではなくなるので、正常位でも騎乗位でも対面座位でも問題なく応えてくれるのだが。
 まだ理性が残っているのに感じてしまう光忠の恥じらいや戸惑い、少しの恐れ、そこから溶けていく表情を見るのが鶴丸は好きなのだが、光忠がいやいやといつも首を振る。鶴丸も自分が凝視するのも原因のひとつだとわかっていたので、光忠の意思の従い、前戯は後ろからと決めていた。
 しかし今日は正面に来て欲しいと光忠は言う。鶴丸としては大歓迎の言葉だが、いいのだろうか。

 

「嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。お願い」

 

 ぎゅうと手に力を込められた。
 いつもと違うことをしたがる光忠は、やはり鶴丸の吐いた嘘を気にしているのだろう。いつもと違うことをして、他の体を知った鶴丸を自分に繋ぎ止めたいと思っているのかもしれない。こうも鶴丸に心を傾けてくれる光忠に、自分はなんて嘘をついているのだろうと心がズキズキと痛む。それを顔には出さないでわかった、と潜らせていた手を抜いて、光忠の正面へと回る。

 

「光坊、」
 

 自分の手を、光忠の太ももへと置く。それだけで畳の上に落ちていた光忠の黒い指先が、微かに動いたのが見えた。無意識の感覚はもう指の先まで広がっている様子だ。
 視線を上げて光忠の表情を眺める。恥ずかしいのか、瞳は伏せられていて良く見えない。しかし頬は赤く染まっていて、唇は軽く噛まれている。ああ、可愛い。これもきっと鶴丸しか見られない光忠の表情だ。
 愛しさが沸き上がって、光忠の赤い頬に口づけを落とす。繰り返して、その間に手を太ももから再度黒いシャツへ潜らせる。先ほどまで鶴丸が撫でていた肌は、とても温かい。光忠自身の体温も上がってきている。
 手を今度こそ、しなやかに盛り上がった胸へ。手のひら全体で包んだ。

 

「かわいい」
「、ぅあっ!」
「ほら、もっと顔を見せて」

 

 キスで頬を伝って、舌で愛撫していた方とは逆の耳に感嘆の囁きを流し込む。胸の刺激も相俟って声を上げる。その癖、ますます顔を俯かせるものだから、折角の表情が見えない。
 顔を見せろと、鶴丸が光忠を覗き込む。やはり目は伏せられたままだ。

 

「光坊。みつただ」
 

 今度は甘えるように名前を呼んでやった。光忠の唇に触れるか触れないかの距離で。口吸いをしたい、そういう意味も込める。感覚でそれがわかったのか、光忠が固まった。
 

「?」
 

 不思議に思ったのは一瞬、光忠は鶴丸の意志の素直に従い唇を寄越してきた。
 その間も、全てを熟知している手は光忠が悦ぶ動きを止めはしない。胸を揉んでいた手の親指で、突起を軽く弾く。

 

「あ、あ、あっ・・・!」
 

 弾く度、小さく揺れる腰のリズムに合わせて光忠の声が出る。合わさった唇、光忠のそこが鶴丸に触れたまま開いただけでムラっと、腹の奥が痺れる。早く光忠の中に入りたくて仕方がない。
 鶴丸が光忠の開いた口の中へ舌を伸ばす。また、光忠が一瞬だけ動きを止める。しかしそれは本当に一瞬で、今度も従順に鶴丸を中へと迎え入れる。
 鶴丸は違和感を持ったまま、光忠との舌を絡める。光忠もそれに応え、自分の口の中を鶴丸でいっぱいに満たし、上がる息と共に鶴丸の唾液をこく、と飲み込む。そして時おり、絡んだ鶴丸の舌をちゅうちゅうと吸ってくる。いつも通りに思えた。

 

「ひぅっ――んあっ!」
 

 けれど胸の突起をきゅとつまみ上げた途端、光忠が大きく喘ぎ、招き入れていた鶴丸の舌をちゅぽんと抜いた。いつもであれば体の反射で鶴丸との結びが途切れない様に、鶴丸の後頭へ手を回し引き寄せるのに。自然を装っていても、やはり今日の光忠は口づけをなるべく避けたがっている風に感じた。
 もしかしたら光忠は、光忠以外と口づけを交わした――と光忠は信じきっている――鶴丸の唇が受け入れがたいのかもしれない。誰のものともしれない唾液を飲み込んだろうこの唇が。それを悟らせては鶴丸を傷つけると思い、頑張って鶴丸の唇を受け入れたものの、ということだろう。
 鶴丸はもちろん無実なので、光忠に唇を避けられれば悲しい。しかし、誰かと情を交わしたのが嘘だとはまだばらすことが出来ないのだ。ならばそれはまだ、光忠にとって鶴丸の真実だ。口吸いを避けたい気持ちも咎めることは出来ない。
ならば仕方がないと鶴丸も光忠の口から遠退いた。

 

「あ・・・・・・、」
 

 伏せていた目が鶴丸の口許を名残惜しげに見送る。意思と感情は別物、光忠は鶴丸との口吸いが好きなのだ、それを目が言っている。その目に誘惑を覚えない訳ではないが、今は別のところへ集中することにした。
 光忠に真実を告げられるまでに出来ることは、光忠をぐずぐずに気持ち良くさせてあげられることだ。
 何も気づかない振りをして視線を落とした先。たくしあげられている黒いシャツと白い肌のコントラスト。そしてぷっくりと、赤く色づいているそこの鮮やかさ。それを摘み上げて弾いて押し潰して。鶴丸の指が動く度、切なげに寄せられていく眉を、唾液で湿り始めている唇を、じっくり堪能しながら絶えず刺激を与える。

 

「あっん、んぅっ、うぅ~」
 

 光忠が突然目をぎゅっと閉じて唸り、いやいやと首を振る。今まで鶴丸の衣服を引き、鶴丸の肩や胸元をはだけさせていた手が不意に離れた。その手が、へたりと座り込んでいた光忠自身の足の間へと移動する。
 

「は、ぁっ、・・・・・・ね、ねぇ、つるさん、見てて?」
 

 滲んでいても分かりにくい黒ジャージ。それを腰を浮かして太ももまでずらす。手の行方を見守る鶴丸の前で自らを握った。
 

「・・・・・・マジか」
 

 可愛く従順な光忠は、子犬ながら待てもちゃんと出来る。鶴丸が命令したわけでもないが、どんなに焦らされて悶える体をのたうたせても今まで自らの体を鎮めることはなかった。光忠は、愛し合うことを厭いはしないが、自分で火をつけた快楽を貪ることは恥と考えている部分もある。大好きな鶴丸の前で恥な自分を見せるはずがないと思い込んでいた。
 それが今、震える手で自らを握りぎこちなく擦っている。視覚からの衝撃に唾を飲み込んだ鶴丸の喉がごく、と大きく鳴るのも無理はない。
 十分にぬるついていたものを、黒の革手袋が行き来する。

 

「今はそうでもないが黒の手袋は、白い熱がさぞかし映えるだろうな」
「そんなに、はっ、じっとは、みないでっ・・・・・・」
「馬鹿言うな、絶景だぞ。こんなの、目を離せるわけがない」
「ぅう・・・っぁ」

 

 胸への刺激も弱いものになるくらい食い入る眼差しでそこへ視線を落とす。たら、と透明の滴が視線を感じて垂れていく。滑りがよければ革の感触はずいぶんと気持ちがいいだろう。
 しかし普段自分で、手淫をしない手は単調に上下に擦るだけ。鶴丸の視線で感じてはいるようだが、もどかしくて光忠の上から手を握ってもっと悦ばせてやりたくなる。もちろん、この光景を崩すようなそんなもったいないことしないが。

 

「光坊、ぎゅうって握っちゃ駄目だ。優しくな。輪っかを作って、上下して、そうそう。ちょっと速めてみろ」
「わか、わかんないっ、」
「大丈夫、出来てる。今度はゆっくり、片方の手で上をくるくる撫でてごらん」
「ぁ・・・、んぅ・・・きもち、っい、」
「そう、気持ちいいな?上手だ、えらいぞ」
「っ」

 

 鶴丸の声に従い快楽を拾う姿がいじらしく、頭を撫でて褒めてやる。光忠が伏せていた目を、ようやく上げた。快楽と恐らくそれ以上の羞恥で金色に水の膜がたっぷりと張られゆらゆら揺らいでいる。
 たまらないなぁ、と思う。この伊達男が泣き出したくなる程の羞恥を、素直に鶴丸に差し出している健気さが。

 

「みつただ、」
「ひぅ」

 

 一生懸命、先端を撫でている手を取りながら、またも弱い耳に口を近づかせる。息が届くギリギリの所で呼んだ名前は、低く掠れてしまった。年上の余裕もなく興奮しているのがバレてしまっただろうか。
 

「光忠、イきそうな時はちゃんと口に出すんだぞ」
「つるさ、ん」
「手袋、こっちだけ外そうな」
「や、ぁ」

 

 抵抗らしい抵抗もない。ぐちょぐちょの黒い革手袋は湿めった重たさで畳へ落ちる。そして生まれた白い手を鶴丸が導く。今度は固くなった鶴丸自身へ。
 

「~っ!!」
「わかるか?一人で上手にイけたら今度はこれで気持ち良くしてあげるからな」
「う、ん、うんっ」

 

 光忠がゆっくりしていた手を速める。明確な褒美が羞恥を上まったらしい。布越しの鶴丸に触れている素手の方は無意識に先端を親指で軽く押さえ撫でている。
 

「は、ふぅ・・・あ、ああ、つる、つるさん、つ、」
「イきそうか?」
「あっ、あっ!うんっ、い、イっちゃう!いぁっ、~ッ!!!」

 

 びゅるっと、白濁が勢い良く出て、じっとりしている黒い革を白が染める。
 黒を白が汚すのは無条件で劣情を催す。荒い息をしてるくにゃくにゃの体を畳に押し倒して、同時にジャージごと下穿きをずるりとすべて脱がした。
 一瞬のことに表情は驚いているが、無抵抗の体。それぞれ白一色の手と、白に汚されている黒い手を左右顔の横におとなしくさせて。子犬の服従の格好と似ていた。
 出したばかりで萎えているそこから手にぬるつきをもらい、腹の辺りをぬらぬら撫でる。

 

「つるさん・・・、」
「褒美がほしいかい」
「ほしいよ」

 

 伸ばしている足の膝を擦り合わせておねだりをする。腹を撫でている手が胸を弄っても、身動ぎ以上の動きは見せない。その代わり、くぅんとまた鳴いた。
 

「つるさんがほしい。ううん、そうじゃない、今は僕で、気持ち良くなってほしい」
「、いじらしい奴め」
「違うよ、そんなんじゃないんだ。僕、今、鶴さんに抱いてもらわないと・・・・・・」

 

 言葉を切って、顔を背けた。泣いてしまうのではないかと、思った。
 

「お願い、僕で気持ち良くなって」
 

 我慢など出来る筈もなく、その体に覆い被さった。

 

 


「あっ~!やああぅ、――あああッ!!」
 

 意味のなさない声を上げて光忠がまた絶頂を迎えた。握るシーツのない白黒の手は、代わりに鶴丸のもはやまとわりついているだけの衣服を握りしめている。いつもは鶴丸の首に手を回して離さないのに。しかしこれはこれで達する時の顔も良く見えると開き直り、抜かないまま奥をトントンと突く。
 

「ひぃあ・・・っ!イってっ、――!イった、ばっか、らのにぃ!!」
 

 待ってともダメとも言わず喘ぐ。そういえば今日は制止の言葉もほとんどなかったような気がすると、大分熱でやられ始めた頭で今さら考える。
 奥へ奥へとじりじり進めて、またゆっくりと腰を引く。引き留めるよう動く中の肉の圧迫に恍惚となる。引いた所で、限界まで開いた足の間に深く、今度は一気にまた身を沈めた。

 

「――ッ!!」
 

 ぱんっ、ぱんっ、と突く度に痙攣に近い反応を見せる姿が鶴丸の熱を高める。鶴丸もそろそろ限界を迎えそうだ。
 既に数回の絶頂を迎え、今しがた達したばかりの光忠には辛い刺激かも知れない。そう思うのに、快楽を追う本能が腰の動きを止めることはなかった。

 

「光忠っ、ごめ、んな。もう、ちょっとっ付き合ってくれ、」
「――つるさんっ、も、ぁんッ!もうっ、イきそ、?」
「ああ、もう、」

 

 鶴丸の言葉に今まで喘いでばかりだった光忠が、息も絶え絶えだがはっきりと問いかけてくる。それを不思議には思わず素直に答えた。
 光忠がぎゅうと中を締め付ける。心地よい締め付けとその中を擦る刺激、当たる壁が鶴丸の熱を吐き出させようとしている。

 

「光忠、」
「つるさんっ、んぅ、はぁっ・・・つ、つるさん、ねぇ」
「なんだ?」
「きもち、い?」
「気持ちいいよ」
「本当にっ?・・・・・・す、き?ぼくのっ、こと、すき?」

 

 泣き出しそうに言う言葉は快楽のためか、それとも別の理由か。
 熱に犯されている頭とは別の部分がじぃんと痺れて、獣染みてる行為とはかけ離れた愛しさを覚える。鶴丸はその心からの言葉を、鶴丸を見上げている光忠に伝えた。

 

「好きだよ。君だけが好きだ」
「嘘つき」
「え、」

 

 本心からの言葉を一蹴。いきなり首に手を回されぐいと引き寄せられる。光忠のたらたら白濁を溢し続けていた立ち上がったそれを鶴丸の腹で押し潰して、密着したことにより鶴丸が光忠の中をぐんっ、と抉った瞬間。
 

「浮気者」
「いッ!?」
「っぁ、っ―――!!・・・うあ、あつ・・・ぃ・・・」

 

 低い低い声が耳元に響いた直後、首の付け根を激痛が走る。体への鋭い痛みに、膨張しきっていた鶴丸自身が中の感覚と相俟って、光忠の中へ熱を吐き出してしまった。
 そんな鶴丸をまだ搾り取ろうと中がうねる。

 

「ぅ、くっ」
 

 光忠の両足が鶴丸の腰に回り、それによって身を引いて抜くことが出来ない。
 

「み、みつただ?」
「き、らいだ」

 

 滲む中の熱に身を震わせながら光忠が言う。
 

「つるさんなんて、もう知らない」
 

 首に回した手で掻き抱く。
 

「貴方だけの匂いなのに、形なのに。恥だって見せるのに。こんな僕を誰と間違えるっていうの。最低だ。貴方なんか他の誰かの所へ行ってしまえばいいんだ」
 

 ぎゅむぎゅむと鶴丸を抱き寄せる腕の力は弱まることはない。ちぐはぐな言動。しかし光忠の想いはひとつで、どんなに嘘をついても鶴丸にはわかる。光忠がどれだけ一途に鶴丸を好きか。従順で健気に愛してくれているか。同時に今の言動によって、今回のことに本当はどれだけ怒りの炎を燃やしていたか。
 髪の香りを嗅ぐ鶴丸に言及したのは、香りで己の恋人に気付けなかった鶴丸を暗に責めていたのだろう。口付けに間が出来たのはこのまま舌でも噛んでやろうかと迷っていたのかもしれない。いつもは見せない表情や自慰を見せてきたのも、わざと震える声を出したのも、制止の声を上げなかったのも鶴丸を煽り、熱を昂らせ、それを放つ時の、鶴丸が一番無防備になる瞬間を作り出す為だった。

 従順な、健気な振りをしてずっと待っていたのだ、この子犬は。鶴丸の首筋に噛みつくタイミングを。
 

「・・・・・・ごめんな」
「っ、」

 

 謝罪に傷ついた顔を見せて、ぎゅっと目を瞑る。怒りを抱えていても、過ちを認める謝罪など聞きたくないに違いない。もう誰とも間違わない、俺が好きなのは本当に君だけだと言ってほしかったのかもしれない。鶴丸もそう言いたかった。けれど鶴丸が実際口にしてしまえば、光忠はまた嘘だと詰るだろう。だから謝罪するしかない。
 

「俺、最低だよな。わかってる、」
 

 これからすることもすべて含めて。
 

「?・・・ひあ!?」
「だって、君が本当は怒り狂ってるって知って、こんなに興奮してしまうんだから」
「うそっ、なか・・・、!!?」

 

 回している腕をほどかせて白と黒の手のひらを自分のものと合わせ、その指に指を絡めて捕まえる。角度を取り戻した中のものがわかるように、ゆっくりとゆさゆさ動き始めた。
 

「ちょ、ちょっあ、あ、やだっ」
 

 噛まれた首筋がズキズキと痛む。どうやら本気で噛まれたらしい。血が滲んでいることは想像に固くない。ふふ、と笑いが漏れる。痛みを感じるほどに光忠の中を、膨らむものがまた埋めていく。不完全燃焼で不快なはずの体は光忠の怒りの熱が燃え移ったかのように熱く昂ぶっている。
 欲が薄い光忠が、不貞を働いた鶴丸に本気で怒った。一人で悲しむでもなく、身を引こうか?なんて馬鹿な考えも起こさず。素直に、嫌いだと詰った。浮気者。他の誰かの所にいけばいいと。体は、離してやるものかと鶴丸を抱き締めながら。

 

「ほんっと、たまらないな、君はっ」
「つ、つるさ、まっ、まって!つるさんっ、もっ――」
「もっと、言ってみなっ。ほらっ、光忠!嫌いだって詰ってみろ」

 

 白濁が溢れる光忠の中を突いてかき混ぜるとばちゅ、と響く。高揚が納まらない。
 鶴丸は従順で健気な子犬の光忠が好きだ。可愛がって、甘やかして、でろでろに溶かしてやりたくなる。
 そして同じくらい、高潔で、気が強く、獲物に噛みつく美しい牙を持つ光忠が好きだ。見ているだけでもぞくぞくとしたものが背中を走るその美しい牙を首筋に、こともあろうかこの鶴丸に突き立てたのだ。そしてそれが愛が深い分だけ牙も深く突き立てるというのなら、この痛みを感じて興奮せずにいられるものか。

 嫌いという言葉も噛み傷と同じ物。ならばもっと詰ってくれればいい。
 自分の瞳がどんな色を纏ってるかわからないまま、鶴丸は首を振って善がる光忠を上から見下ろして甘く囁いた。


「ぐちゃぐちゃ、にしてやる」
「ひっー!!」
「俺は君と違って嘘つきらしいからな。今から本当のことは言わない。もちろん、今からやることも全部俺の本心じゃない。だって俺は本心から君への愛の言葉を囁きたいと思っているし、優しく触れたいと思っている。だけど、君が俺を嘘つきって言うんだから、俺は正反対の行動をとるしかないよな?」


 律動をぴたりと止める。どくどくと大きく脈打つ自分を、光忠にしっかりとわからせて。
 光忠が見開いた目を鶴丸に合わせる。唇が震えていた。恐怖からではないのが、また鶴丸を煽る。

「嘘つきってのも辛いもんなんだぜ、光忠」

「っどの口が・・・!」

 案の定光忠は一つの瞳に鋭い怒りの輝きを宿した。まだ牙を突き刺したりないのだろう。大歓迎だ。
 鶴丸はその顔に微笑んだ。優しく微笑んだつもりだが、酷薄なものになってしまったかもしれない。特段構いはしないが。

 鶴丸だって煽られているだけは性に合わない。愛の分だけ手酷いことをしてしまうのは光忠だけの話でもない。

 健気で従順な子犬に酷いことなど出来ないが、恐ろしくそして美しい牙を持つ獣に対しては戦場にいる時の様に、高揚のまま熱をぶつけても許されるだろう。


「もっと鳴け、光忠。よがって、悶えて、ぐちゃぐちゃになった君を見せろ」
「・・・・・・開き直るとかほんっと最低、嫌いだいっきら、ぃっあ、ああっ!!!」

 

 また穿ち始める鶴丸の腰に回している足は緩まない。鶴丸の手と繋がっている白と黒の手も離れる所かぎゅうと力が込められる。痛い程に。
 そしてそれはぐちゃぐちゃになった光忠が気を失った後でも、ほどかれることはなかった。

 まったく。嘘つきどうし、似合いの恋人同士である。

 さて、日が明けて4月2日。ようやく太陽が顔を出した朝。 
 鶴丸は、畳に伏している。目の前には、なんとか着流しを纏った光忠がいる。

 昨夜の嘘つき達は夜と熱と共にいなくなり、残ったのは平常の二人である。嘘つき達の記憶が残ったままの。


「弁明をさせてください」
「だからもういいってば。顔を上げてよ」
「真実があるんだ、光坊!」
「なんで鶴さんは僕が話を終わらせようとするのに、それをほじくり返すの?不発弾を爆発させるのが趣味なの?僕はそっちの方が不快。ほら、もう、顔あげて!」
「うあ~光坊~」

 

 子供に強く言い聞かせる親のように両肩を持たれ、無理矢理上半身を起こされた。目の前に現れた光忠の顔は、母親の慈愛の表情に似ていて不快そうなものは一切なかった。
 光忠はその表情のまま、鶴丸の首筋を指先でなぞる。ズキッと鋭い痛みが走る。

 

「まだ血が滲んでる・・・・・・痛い?」
「これくらい、平気だ」
「痛いって言ってよ。そしたら、それでおあいこになるんだから」
「光忠・・・・・・」
「僕も痛かったし、鶴さんも痛かったね?ほら、痛み分け~。で、鶴さんは傷つけた僕に、最後はひどかったけど、まぁ、優しくしてくれたから、僕も優しくします。ごめんね、鶴さん」

 

 傷がある首筋に優しく唇が落とされた。ずきっと更に痛んだがそんなこと全然気にならない。
 

「でも、今後はこういうのないと嬉しいな。同じ所に傷をつけ続けるといつか膿んで腐り落ちるからね」
 

 だからやっぱりお酒はしばらく控えた方がいいかも、僕以外とは。と、もはや慈母の微笑みで恐ろしいことを言う。その恐ろしさがまた、良いのだ。
 

「でもな、光忠。俺はやっぱり君を傷つけたままなのは・・・・・・」
「よっす!元気に破局してるか!?お二人さん!・・・・・・ってなんだよ、めちゃくちゃよろしくしたっぽいな。ッチ、」
「「主!」」

 

 断りもなしに突如光忠の部屋の障子が開き、満面の笑みの主が踏み込んできた。咄嗟に光忠を鶴丸の背中に庇うが、残念なことに光忠の方が体が大きい為、情事の後が色濃い光忠を主に晒すことになってしまった。主は光忠の姿に特に何も思わならしく、むしろ二人が仲睦まじい様子だったため不満げに舌を打つ。
 

「・・・・・・何の用だ、主。もう帰ってきたのかい?俺が光忠に泣きつく姿を朝イチで拝みに来たって?」
「だぁー、すっげぇ鶴丸が怒ってる。いやぁ、お前それはお門違いよ。タダで何かを手にいれようとするならそれ相応のリスクを負わなきゃ」
「・・・・・・分かってる。いくら内容があんまりなものとは言え、俺が招いたことだ。八つ当たりは謝る。だけど、いきなり部屋に踏み込んでくるのはなしだろう」

 

 光忠の艶かしい姿を見せるなど例え相手が主でも許しがたい。そういう気持ちで睨み付ける。しかし主はべーっと舌を出して、今度は光忠に顔を向ける。
 

「みーつただっ。お疲れの所悪いけど、夜でも良いから厨来てね~」
「え?う、うん良いけど」

 

 どうしてだい?と光忠は手櫛でささっと髪を整えて主に質問する。流石見目にこだわる伊達男。けれど気にしてほしいのはそこではない。
 

「堀川きゅんセレクトだから間違いないと思うけど見てほしくてさっ。あと、博多きゅんにもお礼言っといて~あの子のお陰で信じられないほど安くなったから」
「安く?何が?」
「電子レンジ~。鶴丸が支払った対価にはそれ相応の物をね~電子レンジじゃ足りないなら、今日の非番もつけといちゃる」

 

 お陰で楽しいエイプリルフールだったよ。んじゃ、ばっははーいっと主はすぱんっと障子を閉め何事もなかったかの様に去っていった。
 呆けた二人だけがそこに残された。

 

「・・・・・・ごめん、鶴さんどういうこと?」
「あ~・・・・・・、光坊、実はな・・・・・・」

 

 全てを聞き終えた光忠が、行き場のない怒りで狼どころか百獣の王のオーラを纏っていくのを、心底震えながら見守った。

​ 

 実はかなりずきずきした痛みを感じているこの首筋の噛み傷も、光忠にとっては子犬なりの甘噛みでしかなかったのかもしれない。もし昨夜光忠を本気100%で怒らせていたら鶴丸の首はあの一噛みでもげていただろう、そんな恐ろしい答えに辿りつきながら。

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