彼は、彼の純粋さから出来ている
しんしんと降り積もる白は、何処か懐かしい気持ちにさせる。今、一人であったならしんみりとした気持ちになっていただろうと光忠は、縁側から外を眺め思う。
「寒いね」
体をぶるりと震わせて、片手で腕を擦る。
凍てつくような冷気が光忠の肌を刺す。小さな彼が凍えてしまわないように、もう片方の手で懐の上を覆う。
視線を先にある庭は、いつもとは違う世界が広がっている。月に照らされた、白銀の世界。氷の粒が月明かりできらきらと反射して、いつもの夜よりも明るく見える。
ぴぇーとあがる声がひとつ。美しい世界に魅入られていた光忠はその声によって夢から覚めて心持ちになった。
「ごめん、ごめん。ちゅるさんも見たいよね」
そう言って懐を覆ったばかりの片手を懐に入れて、彼を乗せて出す。ぷぁ!という小さな鳴き声が、息苦しかったのだと光忠に知らせた。寒さから守るためにしたことが裏目に出てしまったらしい。重ねて申し訳ないと手のひらの彼に伝えた。
ぴぃぴぃと手のひらの上で首を振る、その小さな存在。サイズこそ小さいが、見た目は本丸にも顕現している鶴丸国永そのものだ。光忠がちゅるさんと呼んでいるその存在は、ある日突然光忠の前に現れた。驚く光忠の体を身軽に飛び移り、思わず受け止めた両手の上でくるりと舞った。そして、凝視する光忠ににぱー!と笑いかけて、どうだ驚いただろうと言いたげに、ぴぃ!と一声。その瞬間に光忠は一発K.O 全面降伏状態である。元々小さいものや幼いものを可愛らしいと思う性質であったし、何より同じ本丸の仲間である鶴丸に淡い想いを抱いていた光忠はその存在の虜に成らざるを得なかった。
彼の正体は程なくして判明した。主が買ったねんどろいど鶴丸という人形だったのだ。一体全体どうして動き始めて、そして光忠の前に現れたのかはわからない。光忠もそこまでは気にしなかった。光忠にとってはねん鶴が可愛い、それが全てだったからだ。主に了承を得てねん鶴と暮らし始めた光忠は毎日が楽しくてしかたがない。ねん鶴も光忠が大好きなようで、それがまた光忠の溺愛加減を強めていく。こんな寒い夜に庭を眺めている理由もねん鶴が見たいと言ったから、それだけである。
「ちゅるさん、風邪引かないようにね。上着、しっかり羽織ってるんだよ」
そう言ってねん鶴が庭を見やすいように、手のひらをゆっくり外へと差し出す。人形の体のねん鶴が風邪を引くのかはわからないが、呼吸はしているようなので用心するに越したことはない。
光忠の心配を余所に、庭を目にしたねん鶴はぴゃぁ~と感嘆の声をあげて、光忠の言葉を聞いている風ではない。案の定、光忠が部屋を出る時にかけてやった、お手製の上着をぱさりと落とす。
こういう、興味を引くものがあれば他が目に入らなくなってしまう所も本人と同じだなぁと光忠は困ったような顔で笑う。
そうして、ねん鶴を乗せていない方の手で上着をかけてやろうとした光忠の目に、きらりと光が映った気がした。
単に月明かりが雪に反射しただけの光だ。さして気にすることではないだろう、光忠はそう思った。だが、ねん鶴は違ったようだ。美しい世界の中にきらりと光るものがある、それは何か特別なものに違いない。そう思ったのかは知らないが、興味を惹かれたねん鶴は驚きの行動に出た。
ぴぇ!!と声をあげ光忠の手のひらからぴょいんと飛び降りたのだ。
「ちゅるさん!?」
驚きの声を出す光忠をそのままに、身軽な彼は華麗に床に着地をした。そして光忠が止める間もなく、飛び込む。庭へ、目の前に広がる白銀の世界へ。
「嘘、だろう・・・・・・」
見えなくなったしまったねん鶴に光忠が呆然と呟く。ねん鶴は例によって白い服を着ていた。光忠が作った上着は、光忠が今羽織っているのと同じ紺であったが、それは光忠の手のひらに残されている。それを手のひらでグッと握って、光忠は裸足のまま庭へと降り立った。庭を眺めているだけでは、雪と同化してしまった彼を見つけることはできないと考えたからだ。
「冷たっ」
雪に触れた足が、冷たさを通り越して痛いと訴えてくる。何か履き物を持ってくるかと迷ったが、その時間も惜しい。我慢すれば済むことだとその考えを捨てた。
「ちゅるさーん、何処だーい?」
声を押さえて叫ぶ。万が一でも眠っている他の刀達を起こさないように、という配慮からのことだったが、もはや囁きに近かった。光忠の声に返事はなく、じわじわと不安が心を埋めていく。
あの小さな体ではそう離れた所にはいないはずと思うのだが、ねん鶴は身軽な上に、興味を引くものにたいしては一直線である。彼の行動に絶対はないので、それが怖い。大丈夫、落ち着けと光忠は自分に言い聞かせた。
ちゅるさーんと囁きながら、積もる雪にさくさくと足跡をつけていく。同時にねん鶴の足跡もないかと目を凝らす。しかし光忠の目が夜に弱いからなのか、足跡自体がないからなのかはわからないが、光忠の片目は彼の足跡を見つけることが出来なかった。
「ちゅるさん・・・・・・お願いだ、出てきてくれよ」
きっと凍えているはずだ、と光忠は自分の震える体を無視して思う。人形の体だから寒さだって平気かもしれない、しかし万が一でも彼に何かあればと光忠はねん鶴を探さずにはいられない。自分の呼び声に返事ひとつ返さないなんて、と嫌な思いが過る。
「どうしよう・・・・・・」
見慣れているはずの庭がとても広大な場所に思えた。誰もいない世界に自分だけ投げ出されたようにすら感じて、独り佇み途方にくれる。
「光忠?」
独りの世界を静かに壊す声がする。声のした方を振り向くと、白く浮かび上がる人物がいた。
「・・・・・・え?」
「どうしたんだ、こんな時間に。何かあったのか?」
一瞬、ねん鶴が大きくなって目の前に現れたような錯覚を受けた光忠は、鶴丸の質問に反応することができなかった。
「鶴丸さん?」
「って、君裸足じゃないか!本当に何があった」
さくさくと雪を踏みながら鶴丸が足早に近づいてくる。光忠を心配する本人も上着はなく、寝巻きしか身に付けていない寒そうな格好ではあるが、光忠にそれを指摘する余裕はない。
「あ、いや、何でもないよ」
「何でもないわけないだろう!」
「つ、鶴丸さん、声押さえて。みんな寝てるから」
肩を掴んでくる鶴丸の声が大きく響いて、思わず片手で鶴丸の口を押さえる。もごもごと口を動かしていた鶴丸がおとなしくなるのを確認して手を離した。
「本当に何でもないんだよ、ちょっと幻想的な景色に誘われてきてしまっただけ。鶴丸さんこそどうしたんだい、こんな時間に」
少し微笑んで流れるように嘘をつく。
「・・・・・・美しい花を散らす夢を見てしまってな。頭を冷やしに来たんだ」
花を散らす夢を見て、何故頭を冷やす必要があるのか。難解な鶴丸の言葉に深く突っ込まず、そうなんだと一言だけ返した。いつもであれば、思いがけない鶴丸との時間が嬉しくあるのだが今の心の内はそれどころではない。ねん鶴を早く見つけてあげなければという不安と焦りが支配している。
鶴丸にねん鶴のことを話して一緒に探してもらえればいいのだが、それは出来なかった。ねん鶴の存在を知っているのは主以外に大倶利伽羅だけであったし、もしも他の誰かに知られても鶴丸にだけはねん鶴の存在を知られたくはなかった。
鶴丸そっくりの人形を溺愛している光忠の姿は、鶴丸にはどのように見えるだろう。光忠が鶴丸に想いを寄せているということが明白になってしまう。百歩譲って知られるだけならばまだ良い。だが自分そっくりの人形を溺愛する男など、気持ち悪いを通り越して気味が悪い。鶴丸に嫌われてしまうことは間違いない。それがわかりきっているこの状況で、鶴丸に助けを求めることは出来なかった。好きな相手に嫌われるのはとても恐ろしい。
「光忠、本当になんでもないんだな?」
鶴丸が光忠の顔を覗き込む。彼の口から吐き出された白い息が光忠の顔に当たって消える。
光忠は迷った。恐れを捨てて鶴丸に助けを請うべきなのかもしれないと。例えこのまま鶴丸に黙っていて、嫌われることを回避出来ても、ねん鶴にもしものことがあれば結局は辛いことに変わりはなくなってしまう。
光忠の僅かな迷いを読み取った鶴丸が更に顔を近づける。
「君が困っているなら、俺は君を助ける。俺は君の為ならなんだってするぞ」
いつになく真剣な鶴丸に光忠の心が揺れる。この人が好きだ、嫌われたくない。でも、ちゅるさんが死んでしまうのは嫌だ。その二つの思いがせめぎあう。息がつまるような感覚に取り合えず何かを吐き出さなければと光忠は鶴丸の名前を呼んだ。
「鶴丸さん」
「俺は君が、」
ぴぃー!!
何かを言いかけた鶴丸の言葉を切り裂く鳴き声と共に、何かが木の上から落ちてきた。ずぼ、と雪が音をたてて、しばらくしてぷぇー!!とねん鶴が雪から地上へと顔を出す。
「ちゅるさん!?」
慌ててねん鶴に近づけば、彼は体の半分が埋まった状態で、ぴぃぴぃと鳴いている。その顔は光忠が心配したような寒さに凍えている顔ではなく、むしろ上機嫌そうに小さな両手をべちべちと雪に打ち付けている。
ねん鶴の側に膝をつき、心配と驚きの半々を顔に浮かべている光忠を見てもにこにこ顔を浮かべたままだ。
「ちゅるさん!!どこに行ってたんだい!心配かけて悪い子だ!」
安堵が光忠の胸に沸き上がり思わず泣きそうになる。それを押さえるために言った言葉は少々強めになってしまった。光忠の様子に、そこで初めて心配をかけたのだと気づいたねん鶴が、しょんぼりしてぷぇぇと鳴く。どうやらごめんなさいと言っているようだ。
「本当に、本当に心配したんだからね」
今度は声を落として心からの気持ちを伝える。雪に埋まるねん鶴をかじかんだ両手で掬って頬をよせる。
ねん鶴の体はとても冷たく、ただでさえ体温が低くなっている光忠から熱を奪っていく。しかしそれでもかまわなかった。この冷たさがねん鶴の無事を光忠に教えてくれているのだ。より一層頬を押し付ける。そんな光忠に、ねん鶴も全身で頬に抱きついた。ぴぃぴぃと甘い声を上げながら光忠の唇の方へ寄っていく。それを察した光忠が手のひらを唇の前へと持っていけば、ね
ん鶴は目の前の唇に自分の小さな唇をちゅっちゅっと小さく音をたてて何度もくっつけた。
「ちゅるさん、冷たいよ」
全身が雪の温度になっているねん鶴からの口づけは確かに冷たいが光忠の心を暖める。その愛情表現は最初こそ鶴丸に対しての後ろめたさや罪悪感を伴ったが、今は喜びを与えてくれるものでしかない。それはねん鶴がただの鶴丸そっくりの人形ではなく、ちゅるさんという、たった一つの大切な存在になったからだろう。
よかった、本当に。そう思った光忠がハッと気づく。鶴丸が一部始終を見ていたことを。さっと血の気が引いた。思わず震える体は寒さのせいだけではないだろう
未だ光忠にひっついているねん鶴に一言声をかけて、今更だが懐の中に隠す。単に冷たさに強いだけで、風邪は引くかも知れないと暖める意味もあったのだが余りの冷たさに、ひぁ!と声が出てしまう。しかし、みっともない声を気にしている場合ではない。
恐る恐る鶴丸を振り返ると、静かな目と視線があった。案の定その顔には表情が浮かんでなく、光忠は最悪の可能性に至ったのだと理解した。しかしせめて、何か弁明をさせてほしい。確かに光忠は鶴丸が好きだがそれが理由でねん鶴を可愛がっているわけでもないし、ねん鶴を慰め物の道具としているわけでもない。人形を可愛がっている時点で気持ち悪いと言われればそれまでだが、挽回のチャンスがあるならば言葉を絶やしてはいけない。
「えっと、鶴丸さん、これはね、」
そう口を開いたものの、どこから説明すべきだろうと早速言葉に詰まる。ねん鶴との出会いから始めるべきだろうか、しかしそうなると光忠が鶴丸を好きなことも言わなくてはならない。
「だから、その・・・・・・」
「・・・・・・ずいぶん冷えてしまったな」
「え?あ、うん、そうだね」
一向に言葉が出てこない光忠を見つめて鶴丸が静かに言った。その言葉の通り鶴丸の肩や頭には雪が染み込んでいるようだ。
今までねん鶴や鶴丸のことで頭がいっぱいだったからか、少し寒さを忘れていた光忠の体が、今度こそ寒さでぶるりと震えた。人の体は不思議なものだ。寒いと言われれば急に寒さが増したような気がしてくる。上着を羽織っている分鶴丸よりはいいだろうが、素足に関してはもはや感覚すらない。
「上着を忘れてきてしまってな」
「あ、じゃあ僕のを羽織りなよ」
そう言って腕を抜こうとする光忠の右手を、近づいてきた鶴丸がグッと握る。その力強さに驚いて鶴丸の顔を見れば、鶴丸は黙ったまま首を振る。一瞬だけ更に握る手に力が込められた。何か意志を感じる強さだったが、すぐに弱められ光忠の手を掴むだけになった。
「ここは冷える、行こう」
そう言って光忠の手を握ったまま踵を返す。
「う、うん」
戸惑いは消えなかったが素直に鶴丸に手を引かれていった。二人分の足跡を雪に落としていく。その間、光忠の頭を占拠するのは寒さではなく目の前の鶴丸だ。
何も聞いてこない鶴丸に疑問が頭をもたげる。先ほどの光景を見たのなら何かしら言ってくるはずである。好奇心旺盛な鶴丸であるなら尚更。それが何も言わないということは鶴丸からはねん鶴の姿が見えなかったのだろうか。しかし、実際ねん鶴の声もしていたし、光忠もちゅるさんという名前呼んだ。何かしらそこに存在していたことは明らかなのだ。先ほど上げてしまったみっともない声のせいで、その何かしらが光忠の懐に潜んでいるということも。だというのに何故鶴丸は何もいわないのだろう。
そこで光忠は、鶴丸が気を使ってくれてるのかも、という考えに至った。鶴丸の性格なら十分あり得ることだ。鶴丸は人が踏み入れてほしくない部分を敏感に察して、そこには決して立ち入らない。光忠が先程言い澱んだことで、この件に関しては触れないことにしてくれたのだろうと予想する。
心の中で光忠をどう思っているかはわからないがそれを表に出さないで、むしろ気を使ってくれる鶴丸は大人だなと、ますます想いを募らせてしまう。もう、実る望みもないというのに。
思わず鶴丸と繋いでいる手にギュッと力がはいる。手を繋いでくれるの、嬉しいと少し現実逃避をしながら。光忠の冷たい手を握っている鶴丸の手も冷たい。それでも光忠の体の内は暖まっていくような錯覚を覚える。嫌われたと落ち込んでいるのに、たったこれだけのことで喜んでしまうのだから現金なことだ。
広く感じた世界も二人で歩けば短い距離で、そんなことを考えていればすぐに縁側についた。ぴぃぴぃとねん鶴が懐から声を上げる。外の様子が気になるのだろう。もうちょっと我慢してねと意味を込めて服の上から優しく触れた。それで大人しくなったねん鶴にホッとする。そんな光忠に気づいているのか、いないのか鶴丸が腰を掛けるよう促した。
素直に一度腰を下ろせば、雪から離れた足が目に入った。冷たさのせいで感覚がなくなっている。霜焼けになる前に後で足湯なり何なりして暖めなければ。しかし今は鶴丸の方が先だ。雨が降ったときのようにびしゃびしゃに濡れているわけではないが、しっとりしている髪や肩から見るに、光忠より長く外にいたのかしれない。
放っておけば確実に風邪を引いてしまう。その前に着替えと何か温まる飲み物をもってこなければ。それまで火鉢の傍で暖まってもらえば良いだろう。本当は湯に浸かってほしいが、今の時間は湯も冷めているので仕方がない。
「鶴丸さんも上がって。着替えとか飲み物とか温まるもの持ってくるから、火鉢に当たりながら待っててね」
そう言って腰を上げようとした。鶴丸が光忠の前でしゃがみこまなければそうしただろう。
「鶴丸さん、どうしたんだい?」
光忠の足の前にしゃがんだ鶴丸が恭しくその片方を手に取り、自分の寝間着の裾で足を清めるように拭いていく。割れた裾からちらりちらりと見える鶴丸の素足がとても眩しく映るが、今気にするところはそこではない。
「な、何して!・・・・・・るの?」
驚きの余りあげた声が、大きいことに気づいて途中から声を落とす。だからといって驚きが小さくなったわけではなかった。
「心配するな、洗濯は自分でする。君の手は煩わせないさ」
「そうじゃなくてさ」
別に寝間着が汚れてしまうと咎めたわけではない。純粋に鶴丸の行動が読めなかったのだ。
「冷たい・・・・・・氷の様だな」
そう言って鶴丸は光忠の足に顔を近づけて、はぁ、と息をかけた。白い息が足先を包んで霧散する。
「つ、鶴丸さん!」
「今の俺が君に出来るのは、これくらいしかない」
そう言って光忠が引こうとした足を掴んだまま鶴丸はまた息をかける。
何が起きているんだ!?と光忠は目を白黒させるしかない。混乱するのも無理はないだろう。嫌われたかもしれない片恋の相手に、素足を息で暖められるなど普通あり得ない状況だ。何故鶴丸はこんなことをするのだろう。
光忠を嫌いになったから、その嫌がらせかと一瞬疑ってしまったが鶴丸はそんな陰湿な性格ではない。嫌がらせをするほど嫌いな相手であればきっと切って捨てるはずだ。言葉通りの意味で。
嫌がらせでなければ、厚意か。光忠の足があまりに冷たいから少しでも早く暖めようとしているのかと考える。そうであればこれは鶴丸の優しさのはずだ。
だが、それだけじゃない気がすると光忠は思った。いつのまにか足ではなく光忠の顔を、じっと見つめる鶴丸を見て更にその思いは強まる。
鶴丸の瞳は月明かりの優しさそのものだと光忠はいつも思っていた。優しく誰かを見守る鶴丸には優しい光が宿っているのだと。しかし、今光忠を見上げる瞳は違う。ギラギラとした光を帯び始めている、そんな感覚を覚える。獣が獲物を狙い定める時のような、瞳。鶴丸にそんな印象を持ってしまうなんて何かの間違いだと、平生ならその考えを打ち消すだろう。だけど今は、その瞳に見られている今は、そう思わざるを得ない。
手で全体を擦りながら、息を吹き掛けて鶴丸が丹念に足を暖める。足先、指も丁寧に。鶴丸の手の指が、光忠の足の指と指の間を優しく開く。晒された指の股に冷気が割り込んだ。しかし、そこにすぐ鶴丸の息がかかる。冷たさで麻痺していた足が、その温度を感じ始めた。
鶴丸の形の良い唇から生まれるその生暖かい温度が何かを思わせる。それが何か光忠にはわからない。わかっているのは羞恥と申し訳なさとほんの少しの喜びが頭にいるということだけ。その感情達が騒いで暴れて頭の中はごちゃ混ぜだ。目を伏せてしまいたい、だけど何故か鶴丸から目が離せない。
鶴丸が少しだけ大きく口を開ける。開いた唇から舌が見えた。ただ、それだけ。それだけなのに何かがぞくぞくと背中に走る。
「だめ、」
気づかず呟いていた。
何がだめだと言うのか。理由はなんにせよ鶴丸は冷たい光忠の足を暖めてくれているのに。ありがとうと言うならまだしもだめとは、自分の言葉ながら光忠は疑問を持つ。
それでも制止の言葉をかけずにはいられなかった。そうしなければ、鶴丸と光忠の関係が決定的に変わってしまう様に思えたのだ。
そんな光忠を観察しながら、鶴丸が親指で光忠の足の甲をすりと撫でる。先ほどの暖める為の動きとはどこか違う。
「鶴丸さん、や、やめて」
鶴丸にもう一度制止の声をあげた。だがそれだけだ。
耳の奥に響く鼓動が、何かを期待しているわけではないと言うのなら、ありがとう、もう十分だよと強引にでも足を引くべきなのだ。だがなぜか光忠はそれが出来ない。出来ない?もしかしたら自分の意志でそうしないのかもしれない。
鶴丸が、ゆっくりと光忠の足に顔を近づける。息を吹き掛けるにしても近い距離だ。ああ、鶴丸の唇は柔らかいのだろうか。そして、その中に潜んでいるものは?冷たいこの肌の上をそれが這うというならば、熱すぎて火傷をしてしまうかもしれない。その証拠に、まだ触れられてもいない肌がちりちりと騒いでいる。ドキドキとその熱を待ち望んでいる。
ぴぇっくち!
泡が割れたようにぱちんと頭の中で音がした。ハッと懐を見れば、ちょこんと顔を出したねん鶴が小さな両手で口を押さえていた。くちん!もう一度ねん鶴が音をたてる。どうやらくしゃみだったようだ。
「ごごごごごめんね!!??寒かったかな!?僕なんだか熱くて気が付かなかった、そ、そうだよね!寒いよね!風邪ひいちゃうよね!?」
慌てて言えば両手をはずしたねん鶴が力なく、ぴぇーと答えた。そして申し訳なさそうな顔で鶴丸を見てまたぴぇ、と鳴く。
光忠の足元にいたはずの鶴丸は既に立ち上がっていた。
「そんな顔をしなくていい。むしろ助かった。やはり俺は花を散らそうとしてしまう」
気高いものを堕としてはいけないのに、愚かだな俺は。そう意味深に呟いて、光忠の懐から顔を覗かしているねん鶴の頭を人差し指でちょいちょいと撫でる。
「あ、あの鶴丸さん。この子は・・・・・・」
「はは、君の騎士というところだろう。俺と同じ顔をしているとは、・・・・・・最高に皮肉だな」
自嘲気味に笑った鶴丸がくるりと背を向ける。まるでそれ以上表情を見せまいとしているように。
「あ、待って鶴丸さん!そのままじゃ風邪を引くよ!」
「大丈夫だ、ちゃんと着替える。君に迷惑はかけない」
振り返らないまま鶴丸は去っていく。降り積もる雪に溶けていったかのように、そこにいたという雰囲気さえも一緒に連れて行ってしまった。残されたのは座り込んでいる光忠と、顔を覗かせているねん鶴だけだ。
「いっちゃった・・・・・・」
耳にとくとくと早い鼓動が聞こえる。それでも先ほどよりは大分落ち着いた方だろう。
「さっきの・・・・・・なんだったんだろう・・・・・・」
先ほどのことを思い出して、頬がまたもや熱を持つ。
ねん鶴がくしゃみをしていなければどうなっていただろうか。その先を想像してみようとしたところに、ぴくちん!とねん鶴がまたもやくしゃみをする。そのせいで浮かび上がりかけていた想像は、そのまま白い息と同じように宙に消えていった。だが、光忠はそんなことよりくしゃみを繰り返すねん鶴の心配で頭がいっぱいになっている。
「待ってて、ちゅるさん。今、温めてあげるからね、って・・・・・・あ」
腰を上げようとして固まった光忠を、ねん鶴が小首をかしげて不思議そうに見た。ぴぃぴぇぴぇ?と、声をかけてくる。どうしたの?と言っているのだろう。
「あはは・・・・・・腰、抜けちゃった」
まだ動けないや、困ったねぇ。とねん鶴に困り顔を見せる。どうしよう、と途方に暮れる光忠に対して、ねん鶴は元気いっぱい、にぱーっ!と笑った。だいじょうぶ!ふたりいっしょだよ!と光忠を元気つけるように。
「そうだね、一人じゃないもんね。ちゅるさんと一緒だし、ならいっか」
そうして、光忠の手に乗りたがったねん鶴を懐から出して、唇を寄せる。ねん鶴も大喜びしながら光忠の唇に口づけをした。そして二人で幸せそうに笑い合う。
光忠は気づいていないが、その笑顔は、他の誰にも見せないねん鶴だけに見せるものだ。
もしもこの場に鶴丸がいたのなら彼の笑顔を「花のような笑顔だ」と称しただろう。