ふわっとした単語説明
エトワール:全生徒の中から選ばれた模範となる生徒的な存在。憧れの的。二人一組でしかエトワールにはなれないので、一般の学生からはお似合いのカップル的な存在で見られる。生徒会長とはまた別。エトワール同士は”姉妹”というわけではない
姉妹:上級生と下級生が姉妹の契りをかわして姉と妹になること。姉をお姉さまと呼べる下級生は妹だけ。妹を下の名前で呼べる上級生は姉だけ。契りはお互いのタイを交換すること。タイの色は1年生緑(2年生青)3年生赤です。
光忠さん1年で鶴丸さん3年。
ふわっとした雰囲気で読んでくださいませ
運命の姫を持つ王子はそこがどんな深い森の中でも必ず姫の元へと辿り着くものである。
ならば運命の姫を持たない王子であればそこが茨の森ではない、学園近くの林であっても迷ってしまうのは仕方のないことだろう。
探しても探しても、入り口も出口も見つけられない。
泣きだしそうになりながら、黒い衣服が地面に着くのも気に留められず、王子は林の中に蹲る。
もう戻れないかも、王子が集まってきた小鳥に話しかける。運命の姫を持たない王子はそうなる運命だったのかもしれない。けれども、運命の姫を持たない王子にも女神の加護はあるのだ。
迷える王子の前に女神が舞い降りた。王子と同じ黒い”ワンピース”に身を包んだ、だけれども純白の女神だった。
女神は林で迷う王子を導く。神々しい美しさに優しい笑みを浮かべて手招く姿に、王子は惹かれる様に立ち上がる。
林の中に風が吹いた。それは王子と女神の運命の出会いを告げる神風だ。
王子の足元にある、まだつぼみの白百合がその出会いを祝福するように揺れた。
手を取り合った王子と女神の向かう先
「エトワール様!!」
「ああ、もう今度はなんだ」
キャミソールとショーツだけを纏った姿でベッドの上に寝そべって、何か面白い情報はないかとオカルト雑誌を捲る。
学園近くの林に白い和服の幽霊と黒い洋服の幽霊が出るという読者投稿に、そこは俺の庭のようなものだけど一度も見たことはないなぁと考えていたところだった。
同室の下級生が部屋に入り早々声を荒げる。毎日毎日、よくもまぁそんな注意することがあるものだ。応える声がうんざりしたものになるのも仕方ない。
体を起こして頭を掻く。その姿に下級生の燭台切がひとつの目を見開いた。長身のすらりとした体型にまとうのは黒のワンピース型の制服。本来可愛らしい制服であるのに、この1年生が着ると色と相俟ってかっこよく見える。さすが我が女学園の王子様とどうでもいい感想を思い浮かべた。何にせよ今まで学内にいたということ、ご苦労様である。
「な、またそんなはしたない格好して!貴女はどうしてそんなに明け透けなんですか!?この間もお風呂上がりに裸のまま出てくるし」
「だーかーらー。わからん奴だな、君も。あれは着替えを準備するのを忘れたからだと言ったろう」
「タオルを巻くなりなんなりあるでしょう?いくら女同士とはいえ、貴女はもうちょっと」
「わかったわかった。で?今回は何だ?君の血圧を上げている原因は?」
何回も同じ問答をするのは煩わしいし退屈だ。スパッと切り捨てる。下級生は何か言いたげだったが、言葉を飲み込むように口をつぐむ。一瞬後ため息ともとれる息を吐き出した。
「エトワール様、本日は何の日でしょう?」
「世界びっくり仰天ニュースの日」
「違います!!明後日に控えた生徒会選挙の打ち合わせですよ!」
「あー?そうだったか?」
「エトワールとして、きちんとしていただかなければ困ります」
一度落ち着いていた下級生は再び口を開くことで熱が上がってきたらしい。声が、部屋に入ってきた時と同じ大きさに戻りつつある。
「お陰で、『燭台切さんは同室でしょう?代わりに出て、エトワール様に内容伝えといて』って無理矢理出席させられたんですよ!」
「そりゃあ悪かったな。すまんすまん」
それは災難だったとさすがに思わざるを得なかった。打ち合わせを忘れて、ペットの亀がいなくなったと困っている中等部の子の捜索を手伝っていた自分が一番悪かったわけだが。
その気持ちを素直に言葉にしたつもりだった。しかし、中等部の子らに憧れの王子さまと言わしめ、恋するため息をつかせる下級の麗人はその謝罪ではお気に召さなかったらしい。きりきりとした目に怒り、とまではいかないがちょっとした感情の高ぶりを目に宿している。
「エトワール様は適当が過ぎます。エトワール様は本当は素晴らしい方なのに」
まーた始まったと心の中で舌を出す。この下級生は何か不満なことがあれば直接言ってくるが、その後こうして必ずおべっかを使ってくるのだ。
「エトワール様は女神様です。容姿端麗文武両道才色兼備、人を称える四文字熟語を欲しいままにしている方。その上お優しいし、お茶目で明るくて高飛車な所もない。本当に完璧で完全な方。純白の女神様」
よくもまぁつっかえずに言えるものだと感心しながらも、うげーと声を出す。この下級生のこういうおべっかは大嫌いだ。
幼少期からこんな見た目のせいで薄幸の美少女、触れたら壊れてしまいそう。きっと性格も大人しめで、慎ましく男の後ろを三歩下がってついていくのだろう。など言われまくってきた。
しかし自分はこういう性格だ。子供の時から山遊びなどが好きだったし、蛙や蛇なんか平気で持って、男の子を追いかけて泣かすようなガキ大将だった。口調が男のものであるのもその時からだ。
その姿を見た者は、見た目に騙された。中身がこんなだとは思わなかった。と散々な言い様をする。腹は立たない。むしろどうだ驚いただろうといつも胸を張っていた。これが自分なのだ、それを変えることなどできない。理想と違うといくらでも詰ればいい、その残念がる顔を指さしていくらでも笑って見せる。
だけど何故だろう、この下級生が、自分のどんな姿を見ても、理想の女神だと貴女はこんな人ではないと言う度に言い様のない腹立たしさを感じるのは。
「何度も言うが、俺は君の言うような女神様じゃない。君の理想を押し付けるのはやめろ」
「いいえ。貴女は女神様です」
頑として譲らない視線にとうとう舌打ちをする。本当の姿を見もせず自分の押し付けた理想を間違いないと力説する姿は滑稽を通り越して腹立たしい。
「いい加減にしろよ。君には本当の俺が見えているか?これが女神だと?笑えるぜ」
吐き捨てるように言ってやった。エトワールに選ばれてしまったが為にたまにいるのだ、こういう模範のお姉様を押し付けるタイプの下級生が。あれだって、三日月をエトワールに押し上げたい熱烈なファンが自分を巻き込んでしでかしたことで、自分は迷惑にしか感じていない。
変な憧れをこじらせる下級生になど興味はない。だから自分は妹を作らない。姉妹制度など面倒くさいだけだ。
「君は面倒くさい」
王子様と騒がれている下級生が、自分の庭同然の林で、迷っているのを見た時。もっと言えば涙声で小鳥や咲いている花に話しかけていた時、余りのギャップに心臓に矢が突き刺さったのかと思った程の衝撃を受けた。
数ヵ月前の突然の部屋換えで自分の同室に1年生が来るとなった時に、密かに期待していた相手がこの下級生であり、実際この部屋の扉を叩いてきた姿を見て、楽しそうな生活が送れそうだと思ったのだ。
だけど実際は口うるさく注意され、勝手な理想を押し付けられるだけの日々。自分はこういう人間だ、受け入れろと言っても本当の貴方はそうじゃないと否定されるだけ。がっかりしたと言われるなら、残念には思うけど受け入れた、ということだ。でもそうじゃないと言われるのは、本当の姿から目を反らしているということだ。
そんなに「自分の中の女神様」から外れている姿は度し難いのだろうか。楽しくない。何も。期待の分だけ膨らんでいた気持ちは、ものすごい勢いで萎んでいった。
そう考えれば何だか裏切られたような気がしてますます腹が立ってくる。
「どうせなら、君みたいな可愛いげのない下級生じゃなくて、倶利伽羅や長谷部が同室だったらよかったのに」
わざとらしく残念そうな声を出す。しかし、咄嗟にいった言葉はなかなか良い案であるように思えた。倶利伽羅も長谷部も口うるさく言うタイプでも、おべっかを使うタイプでもない。干渉し合わず快適な寮生活を送れるだろう。
「そうだ、部屋を変えよう。それなら君も今日みたいな災難には巻き込まれないだろうし、俺も気兼ねなく生活が送れる」
明日、倶利伽羅と同室の鶯と部屋を変えてもらおう。寮長はどうにか言いくるめればいいし、鶯はこの下級生を可愛がっている、嫌がりはしないはずだ。そういえばこの下級生、人気は中等部だけではなく、同級上級生にも受けが良い。女学園に一人の王子さまだ、人気がないわけがない。だというのに誰とも姉妹になっていないというのは不思議だ。もう、関係ないことではあるが。
「と、なれば荷物をまとめるとしよう。段ボールを貰ってきて、って、さすがにズボンは履いておくか。おい、君。今夜はちょっとがさごそ音がすると思うが我慢してくれよ」
足先に引っ掛かっていたタオルケットを蹴飛ばしながら、ベッドの縁に腰かけた。顔をあげて入り口に突っ立っている下級生に声をかけるが返事がない。無視だ。本当に可愛いげがない。
「聞いてるのか。気にくわなくても上級生の言葉には何かしら返事をしろ。他の上級生に見られたら呼び出し食らうぞ」
指導的な意味も含めて叱りつける。自分であれば可愛いげがないで済むが、他の上級生には口うるさい陰湿な者もいる。王子であっても関係ないというタイプだってもちろんいるのだ。
それでも返事は帰ってこない。ズボンを履くこともしないまま下着姿で近づいた。下級生は入り口の扉に背を預けて俯いている。
「はぁ、意地を張ってどうする。いい加減にしろよ」
自分より高い位置にある肩をぐいと掴む。そこにあったのは予想外の表情だった。
「な、何で泣いてるんだよ」
無理矢理に向かせた顔は、大粒の涙でびしょ濡れだ。悲しそうに、本当に悲しそうな表情。涙をこらえようとしているのか唇を噛むという無駄な抵抗を見せているものの、ひとつの目から流れているとが信じられない程の涙が溢れ続けている。
「っ、ふ、っぅく」
「待て、待て待て。どうした、本当にどうしたんだ何で泣いてる、王子様が泣いてたら変だろう」
「っ王子様、ひっ、なんかじゃ、ないっもん。っく、うぇ」
「いや、君は王子様だ。間違いなく王子さまだぞ?容姿端麗文武両道才色兼備、人を称える四文字熟語を欲しいままにしている。その上優しいし、気さくで明るくて人懐こい。本当に完璧で完全。漆黒の王子様」
自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てくる。意識しない脳は混乱したまま言葉を紡がせている。
「僕、本当は、王子様って言われるのやだもんっ、ズボンとか、く、じゃなくて、可愛いの着たいのに、みんなダメっていう。私って言うと気持ち悪いって、男女、オカマって言われる。だから、みんなの言う通りしたら、王子様って、言う。違うもん、王子様いやだもんっ!」
そうだったのかと内心驚く。王子様と周りに言われる度、にこやかに微笑み返す姿をずっと見ていたから、満更でもないのかと思っていた。そんなことを言ってしまえば違う違うとますます泣き出してしまいそうで口には出せない。
「わかった。君は王子様じゃない。な?うんうん、そこはわかったぞー?でもな、君が泣き出した理由は別だよな?どうしたんだ?何をそんな泣くことがあった?ん?」
自分でも猫なで声が出ているというのがわかる。甘やかな女の声色だと思ったが手段は選んでいられなかった。
「僕がっ、僕が、う、うええ」
「わわわ!泣くな泣くな!」
思わず顔を抱き寄せて胸へと顔を埋めさせる。よしよしと頭を撫でれば自分の胸にダイレクトにうええええんという声が振動として伝わる。
「僕が、かわいくないから、エトワール様に嫌われちゃったあ!」
「へ?」
「僕だって倶利ちゃんみたいに可愛くなりたい!長谷部くんみたいに綺麗な女の子になりたかった!だけど僕、かわいくないから、女の子になれないから、エトワール様に嫌われちゃったあ!」
ぎゅむぎゅむと抱きつかれて背中がちょっぴり痛い。あまり大きくない自分の胸はキャミソールが涙を染み込ませてしっとりと濡れている。それは、今の言葉が胸の中にある部分へ染み込んでいくのと同じように。
何で泣いているという質問に嫌われたからと答えた。自分に嫌われたからとたったそれだけの理由で泣いているのだ。学園で王子と慕われる、いつも凛々しいこの下級生が。いつだって明るくてちょっと怒りっぽくて涙なんて一度も見せなかったこの、少女が。
エトワール様、ごめんなさい、可愛くなれない、けど、嫌いにならないでと繰り返す少女はとてつもなく、
「可愛い」
こんな可愛い少女見たことがない。見た目は確かにかっこいい。そこら辺の男など目ではない。この少女と共に学園生活を送った者たちは卒業してもしばらく男に恋など出来ないだろうと確信するほどに。しかし、今自分の目から見えるこの少女は、誰よりも、何よりも可愛らしい。健気で、純粋で、
「君は可愛いよ」
いつのまにか扉の前で二人して座り込んでいた。宥めるように撫でていた手は、ゆっくりと髪を鋤き始めている。言い聞かせるように。
「ごめんな、君を傷つけてしまった。君が可愛くないから、嫌いになったからあんなこと言ったわけじゃないんだ。君が俺を女神だとおべっかいうのが腹立たしくて。本当の俺を認めてほしくて」
「エトワール様は、女神様だよ」
涙声はそれでも頑として譲らなかった。しかし、その後に先ほどは続かなかった言葉が続く。
「エトワール様は、確かに見た目通りじゃないかもしれない。変な方。突拍子のない方。でも、それでもエトワール様は、僕の、女神様だよ」
僕の、という言葉がやけに耳に響く。
「貴方をエトワールのダメな方と言う人がいるの。僕、すごく、すごく嫌だった。エトワール様はすごい人なのに、悔しい、悔しかった、っ」
前から時々言われていることだ。エトワールというだけで憧れを募らせる者がいる反面、エトワールにふさわしくないと詰る者もいる。三日月のおまけ、くらいに思っているものならもっと多いだろう。
本来他人の評価など別に何とも思わない。しかしこの少女はその言葉を聞く度に傷ついていた。
「エトワール様は本当にすごい方なんだからってみんなにわかってもらいたかった。だから、僕、あんな口うるさくなって、しまって」
こんな優しくない自分なんかの為に。一人で周りの評価と戦おうとしていたのだ。少女自身の『王子様』という評価を覆すことは諦めたのにも関わらず。
「そうだったんだな」
口うるさい注意も、おべっかに聞こえる称賛も意味があった。それを疎ましいと思っていた自分に反省をする。
ひっくひっくとしゃくりあげる声と振動で、胸が揺れる。自分の谷間に埋まっている二つの芽が生えた頭に頬を寄せた。ごめん。本当にごめん。と声に出さず心の中で繰り返す。口に出したらこの少女は、エトワール様は悪くないと言って自分を許すだろう。確信がある。それが分かっていて口に出すのは、ただの自己満足の謝罪にすぎない。
だから言葉にはせず、ただぎゅっと、少女の体を抱き締めた。
その行為に、漏れる声が一瞬だけ、止まった。そして涙が雫になる前に、水浸しになった声が、聞き取れるかどうかの音量で空気の中に流れる。
「僕、ずっと貴女の妹になりたかった」
林の中で、始めて貴女を見た日からずっと、ずっと。
こんな僕が、妹なんて望んでしまってごめんなさい。とそこまで言ってまた涙を雫に戻して泣き始める。キャミソールはびしょびしょで、とっくの昔に肌を透かしている。まるで素肌でこの少女をあやしているみたい。
そこに恥ずかしさもやましさも感じなかった。ああそうか、この感情こそが。
そう気づいた。けれどもこのままでいるわけにはいかない。抱擁をといて立ち上がる。
「あ、」
少女が声を漏らし、目を見開いている。絶望に染まった瞳。黙って立ち上がった自分を見て、拒否されたのだと思ったのかもしれない。
唇を噛んで、俯こうとする少女の頭を一撫でしてクローゼットの前にいく。その中から、目的の物を取り出して、先程までいた場所に座り込む。
「ほら、取り合えずこれで顔拭け」
右手に持った、深紅の布で目元を拭ってやる。沢山涙を溢した片方の目の縁は赤くなっていて、もう片方の隠れた目は、自身を隠している眼帯をひたひたにふやかしていた。
「えと、わーるさま、」
「よし。綺麗になった。ん、湿ったこれは君にやる。ちゃんと結んでおけ」
「え?むすぶ?」
じっとりとして色を濃くしたその布を、ずっと握りしめていた手のひらを開いてやって、押し付けた。すっかりハンカチだと思っていたのだろう、結ぶという単語にキョトンとした目でこちらを見る。
「さすがに俺もないと怒られるからな。代わりに君のこれをもらうぜ?」
ぱちくりと瞬きする目に、にかっと笑いかけて、手を伸ばす。少女の胸を彩る緑色に指をかけしゅるりと解いた。
「まったく、うちの学園にもロザリオとかあればそれっぽいのに。タイの交換ってちょっと地味だよな?」
姉妹の契りにしては。
右目でばちこんとウインクを投げる。それでもぽかんとした顔が可愛くて、ぷっと吹き出してしまった。
「う、うぇ、」
くすくすと笑う自分に三年生のネクタイを握りしめた妹が、言葉にならない声をあげ始めた。くるぞくるぞと構える。
「うえぇぇん!!」
「はははは!やっぱりな!泣くと思った!」
またもや素肌同然の谷間に顔を埋めて泣き始める。今までより一番大きな泣き声。だけど、悲しそうな泣き声ではなかった。心地の良い泣き声だ。
ううう、と泣き声が唸りになるまで辛抱強く待ち、髪を撫で続けた。この短い時間ですっかり馴染んだ感触。
「ほんと、本当に僕なんかでいいの?」
妹が胸に顔を埋めたまま、上目使いで聞いてくる。嬉しいけど、それよりも信じられないといった風に見える。
「僕なんかで、と自分を貶めるのは、姉である俺も貶めるのと同じだからな?」
「あ、う、ご、ごめんなさい」
つんと額をつつけば素直な謝罪が返ってくる。素直でよろしい。
「俺の妹は泣き虫だなぁ」
「だって、エトワール様」
「エトワール様じゃない。だろ?」
君は妹で俺は姉だ。なんて呼ぶのが正解だ?そう指導すれば、じわじわと実感が込み上げてきたのだろう。泣いたことによって真っ赤だったと頬が、愛らしいピンクの薔薇と同じ色に染まり始めた。びしょ濡れにしか見えなかった目は、きらきらと光を集めて小さな煌めきをばら蒔いていく。
一度吐いたため息が驚愕を取り除いて、もう一度吐いたため息が、体に押さえきれなかった喜びを連れ出した。ひとつの目をうっとりとさせて。そしてその小さな膨らみの中にある、まだ咲き始めたばかりの白百合から零れた蜜をとろとろと溢れさせた声で妹が呼ぶ。
「おねえ、さま」
その破壊力足るや。
慣れない恥ずかしさとこれほどまでにない喜びを隠そうと、自分の胸に顔を押し付けた妹は、本当に、本当の本当に可愛くて、むぎゅうと抱き締めてしまうのは誰にも責められないはずだ。
「くううううう」
可愛い。
苦しいです、鶴丸おねえさま。と嬉しそうにもがく姿も可愛い。
ああ、妹が出来た。こんなに可愛い妹。
三年、中等部から入れれば六年、のらりくらり、ちゃらんぽらんに過ごしてきたが、はじめてちゃんとしなければと思った。エトワールになった時でもこんなことは思わなかったのに。
この妹にとって恥ずかしくない姉でいたい。この子を悲しませるような姉でいたくない。そう思った。
妹は姉の為に、姉は妹の為に努力をする。それが教えを乞うことであったり、指導をすることであったり。よりよい自分になろうとお互いを高めあうことになるのだ。姉妹制度はきっとそういう意味があるのかもしれない。
「今日からよろしくな、みつ」
名前を呼ぶ。
王子様と言われている妹は、おとぎ話の姫でも、そう女神でも敵わない程、綺麗な顔で笑った。
ざわざわ、ひそひそ、中には悲鳴も聞こえる。並んで歩く自分達を取り囲む声だ。
「え?嘘、タイ!タイ交換してる!姉妹の契りを交わしたってこと!?」
「あの鶴丸様が!?今まで姉妹を持ったことなんて一度もなかったじゃない!」
「というか三日月様がいらっしゃるのに今更妹なんて裏切りよ!三日月様がお可愛そう!」
「ええ、ショックぅ。エトワール様の妹狙ってたのに・・・・・・男女のくせにむかつく。どうやって取り入ったわけ?」
自分のことを知っている生徒達がひそひそと言葉を交わす。
「プリンス様が姉妹の契り!?な、何を言っているの!?これは悪夢!?夢なら覚めて!」
「いやああああ!妹なんて嘘よ!王子さまは姉なんて持たないわ!妹の王子さまなんて見たくない!」
「王子様は、倶利伽羅様か長谷部様と次期エトワールになられるのだとばっかり。それがまさか、ダメな方のエトワール様かぁ。三日月様ならまだしも」
主に妹に思いを寄せる中等部の生徒から悲鳴があがる。
まったく言いたい放題だ。
自分に全て聞こえているのだから、隣を歩く妹にも当然聞こえている。
「お、お姉さま・・・・・・」
不安そうに見てくる顔は自分の視線より上にある。それに気にするなと笑いかけた。
「周りがなんと言おうと俺たちは姉妹だ。その事実は誰にも揺るがせられない」
君を名前で呼べる上級生も、俺をお姉さまと呼べる下級生もお互いだけだからな。と上機嫌そうに言う。事実上機嫌だった。
「なぁ、そんなことより、みつ?」
「はい、お姉さま?」
「タイが曲がっていてよ」
立ち止まり、自分に合わせて止まった妹のタイに手をかける。
周りのざわざわが大きくなった。
「まったく、仕方のない子ね」
「結んでくださったの、お姉さまです」
「みつぅ、お姉さまこういうのにちょっぴり憧れてたんだ。少し乗ってくれ」
口を尖らせて言えば妹がぷっと吹き出した。
「ふふ、ごめんなさい。続きをどうぞ、お姉さま」
「なら、遠慮なく。貴女は私がしっかり見ていてあげなければいけないわね」
タイを直すふりをしながら、ため息をつく。しょんぼりとした表情を見せる妹は、姉の期待に応えられる演技派らしい。可愛いという気持ちともっと応えてほしい気持ちが大きくなって、少し沈んでいた顎を右手の人差し指ですいと掬って、上を向かせる。そして自分の顔を近づけた。
「ふふ、可愛い子」
「あっ、おねえさま」
たぶん演技だろう。とろりんとした瞳の中に輪郭がぼやけた自分が写っている。
あ、ヤバイ。なんとなくそう思った。冗談でしたことだったのに自分の唇が薄く開かれた唇に惹かれるように近づいていく。
いくら姉妹といえど、さすがに公衆面前はダメだ。頬への口づけへ軌道修正をしようとしたが、その必要はなかった。
きゃあああああといやあああああという二種類の悲鳴が体をピタリ止めてくれたからだ。
「はい、私今日からあの姉妹押し!」
「はああああ?妹の王子様とかマジ最高なんですけどおおお!?妹属性王子様とかもはや王女様じゃない!」
「女言葉の鶴丸様とか、奇跡・・・・・・王子様ありがとう」
「許せない!私も鶴丸様に顎クイされたい!」
「王子様あああ!思い出して!貴方は王子様なのよおおお!!」
「ねぇねぇ、ってことはさ、三日月様とか倶利伽羅さんとか長谷部さんってフリーってことだよね?姉妹狙ってもいいんじゃない?」
周りの熱もエスカレートしていた。好き勝手な言葉が飛び交い続ける。しかし、今は少しだけ助けられた、気がする。
妹はそう思わなかったらしく、戸惑いながら袖を引っ張ってきた。
「お、お姉さまなんか人が増えてる」
「ヤバイな。生徒会やら先生が出てきそうだ。みつ、走るぞ」
「ぅえ?ちょっ、お姉さま!?」
手を引いて走り出す。一瞬の出来事に目を丸くしたギャラリーはそれでも咄嗟に道を開けてくれた。割れた人の波を全速力で駆け抜ける。
「みつ!俺が姉になったからには、今までみたいな生活は送れないと思えよ!」
生活態度、作法、勉学等の指導はもちろんとして、他にも教えたいことは沢山ある。
「学園の七不思議、秘密の抜け道、林にある特別な基地、俺がこの学園で知っていること、全てを君に教えてやるぜ!」
「ええ!?本気!?」
驚きで口調が崩れた妹が、手を引かれながら叫ぶ。
「俺と姉妹になったことを後悔したか?」
引いている手に力を込める。どんな返答がきても離すつもりはないという気持ちと少しだけの不安がその力には込められている。
自分よりも大きい手が、強い力でぎゅっと手が握り返してくる。後ろを振り向けば、怖いものは何もないというような瞳の輝きがこちらを見つめていた。
「いいえ。いいえ!どこまでも付いて行きます、お姉さま!」
例えその先が美しい花園でなくても!
後々、女学園で伝説として語られる二人の白百合はまだ咲き始めたばかりである。