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 濡羽色の前髪を右手の人差し指で掬い上げた。
 滅多に見ることの出来ない額が鶴丸の目前、姿を現す。形の良い額、普段見れられることのない箇所を見られることに別段羞恥心もないのか、左目ひとつをぱちぱちと、灯りを灯したり、消したりして鶴丸を見つめている。
 純粋な不思議さだけを顔に乗せているのがわかる。それはいつもの彼からは考えにくい程の幼い表情。
 この格好良い伊達男は鶴丸に対しては戸惑うくらいの一途な信頼と純粋さを見せる。鶴丸が害を加えるなど天地が引っくり返ってもない、もはや信じている信じていないの段階ですらなく、この世の真理として認知している、かもしれない。
 そんな目で見られると、いつも驚かせたくて、そしてもちろんそれだけではない理由でその真理をすこーぉしだけ、裏切りたくなってしまう。信頼に懐疑を混ぜたくなる。時として疑問は新しい感情への第一歩になることもあるからだ。
 ああ、今その純粋さを傷つけたら。彼は裏切られたと思うのか、それとも、それすら鶴丸のすることだと純粋なまま受け入れるのか、知りたい。とは思う。
 しかしながら、そんなことはしない。何故なら鶴丸はその衝動、知りたいや暴きたいといったものだけで光忠を思っている訳ではないから。彼は鶴丸を100%の信頼と純粋さで思ってたとしても、鶴丸は彼を色んな割合の、様々な感情で思っている。暗い所から誘ってくる衝動は、この慈しみたい思いや、甘やかしたい、信頼されたいという気持ちより大分小さい。だから鶴丸は今も純粋さを寄越すそのひとつを、心の底からの微笑みで見返すことが出来る。
 微笑む鶴丸に、光忠もまたニコリと笑ったが、その後はやはり鶴丸の行動がよくわからない様で、またぱちりと、今度はひとつ瞬いた。


「鶴さん、どうしたんだい」
「んー」
「おでこなんて、眺めて楽しい?」


 もしかして、ぺちんと叩いたり、デコピンとやらをするつもりかい?と眉を器用に先の方だけ上向きにした、困った様な、窘める様な形にする。そういいつつも自分の手で鶴丸を止めようとすることもなく、自分の膝の上でゆるく握っている。
 その姿を可愛らしいと思う自分を、とっくに諦めている。可愛いのだ、この伊達男が。大倶利伽羅や貞宗を思うのと同じように。それと違うものも混ぜて、彼だけへの形で彼を思っている。
 この年月存在して来て。体を手に入れて少し経って。鶴丸が今ここに至るまでの過程で、この身に集めたもの。それを彼の為だけに合わせて形作った心があるのだ。
 人はこの心を何と呼ぶだろう。親愛?溺愛?恋愛?名前など、人につけられる側の鶴丸には到底わからない。


「鶴さん?」


 言葉少ない鶴丸を今度は心配した様に見上げてくる。長い時間かけてセットした前髪が上がりっぱなしだというのに。まったく、鶴丸に対して、この子は本当に1%の何かが入り込む余地すらないくらいの純粋な信頼だけを持っている。まったく、まったくだ。
 笑いながら溜め息を吐きそうになって、それを我慢する理由もなくて、溜め息をフッと短い笑いに込めた。そしてそのまま開けた額にそっと、自らの唇を落とした。唇とは違う、硬い感触の額に自分の柔らかい皮膚がふに、とくっつく感触がする。鶴丸の唇に訪れる感触が、同じく光忠の柔らかい部分であれば、鶴丸の中にあるこの形が、彼の中の100%の純粋な信頼の中に埋まって、鶴丸の為だけの形が出来たかもしれない。それが1%でも、いいのだ。鶴丸の為だけの形になれば。
 だけど、今はこれでいい。鶴丸が唇を落とす場所は柔らかな彼の唇ではなく、滅多に人に見せない硬い額でいい。
 落とした時と同じ様に、そっと唇を離した。上げていた前髪も下ろし、跳ねないように撫で付ける。そしてパッと、両手を自分の顔の横に持っていって、「どうだ、驚いたか!?」と笑った、いつもの様に。
 だから光忠もいつもと同じく、「わぁ、ビックリした」とか「鶴さんは面白いねぇ」とか、そんな反応を返すと思った。


「光坊?」


 だけど彼は一向に反応を返してくれない。彼のことだ、この程度で鶴丸に嫌悪感を覚えることはないはず、という確信がある。唇奪ったというならまだしも。
だから無反応というのはまるっきり想定していなかった。どこか具合が悪かったのかと心配になって、彼の顔を覗き込む。


「うぇ?」


 そこには、顔を彼の愛してやまないトマトと同じ色に染めて一点前を呆然と見ている顔があった。


「どどどどどうした、光坊!?」


 思わず両肩を掴んでがくがくと揺さぶる。彼はされるがままに体を前後に揺さぶられながら「わ、わかんない」と呟いた。


「わからないけど、顔が熱いんだ」


 そう言って、瞳を向ける。そこには100%の信頼さ、純粋さはなく。けれど、本人がわからないのと同じで鶴丸にもそれがなんなのかは読み取れない。


「これ、何だろう」


 赤い顔のまま居心地悪そうに額に手を当て、そしてむず痒そうに唇を緩める。

 もしかしたら彼もただひとつの形で鶴丸を思ってくれているのかもしれない。そんなことを思った。

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