永遠の灰色
微睡みの中から、覚めた。
ぼんやりと膜を貼る視界。さして急いで見たいものもない。何度かゆっくりと瞬きをすることで徐々に自分の世界がはっきりしてきた。
なんてことのない部屋だ。ただし、本丸内の部屋ではない。テレビで見たことのある、洋風の、あぱーとと言ったか。厨と居間が続いている、あんな部屋だ。
何も考えていない寝起きの頭は、それを見てもああ、実際はこんな感じなのか、くらいにしか思わなかった。
しかし見える部屋は横向きで、寝転がったままの自分にそこでようやく気がついた。どっこいせと体を起こす。じゃらりという音が聞こえた。自分の首からだ。
いつもつけている首鎖の音、そう思ったが、首と同時に片腕と片足からも同じ音がした。
「?」
不思議に思って自分の手足に視線を落とす。そこに見えたのは、黒い革製のベルトに覆われている手首、足首。ベルトには鎖が繋がっていて、じゃらじゃらとした音はそこから鳴っているのだとわかった。
「なんだ、これは」
足首の鎖の先には洋風の部屋には似合わない重そうな鉄球、手首の鎖の先は壁へと繋がれていた。
拘束されている。
その考えにようやく至った自分に、聞きなれた声がかけられた。
「おはよう、目が覚めたかな?」
その声の持ち主を自分が聞き間違える筈もない。声のした方に目を向ければ、別の扉から顔を出している恋刀、光忠がそこにいた。
「長いこと眠ってたからね、僕加減間違えたかと思ってちょっと焦ったよ」
「みつただ、」
「まだぼーっとしてるね、大丈夫?」
苦笑いをしながら光忠が近寄り、両手で頬を包んでくる。味気ない革の感覚が、ぼーっとし続けていた脳を叱咤した。今更ながら、変な状況だなぁと気づく。
「ここどこだ、本丸じゃないな」
「うん、違うよ」
「他の奴等はどうした、主は?」
「わからない。もしかしたら、僕達を探しているかもしれないね」
自分が声を荒げたりせず淡々と聞いているからか、光忠も感情をぶれさせることもなくただ言葉を返してくる。
「俺のこの拘束をしたのは君か」
質問ではなく、確信の言葉だった。
「そうだよ」
光忠が優しく微笑んだ。穏やかな笑みだ。
「この空間を作るのも骨が折れただろう。何故監禁なんて手のかかることをする」
光忠が自分を監禁している。そのことに動揺はなかった。ただ疑問ではある。自分と光忠は愛し、愛される仲だ。片恋の相手ならまだしも、心を通わせている相手を監禁することに何の意味があるのだろうか。自分にはそれがわからなかった。
自分の質問に、光忠は今度もきちんと答えてくれる。
「鶴丸さんを僕のものにしたかったから」
「俺の心は君のものだろう、何を今更」
「心だけじゃなくて、全部」
「全部?」
自分の言った通り、自分の心は全て光忠のものだ。体だって繋げている。自分としては全て愛する光忠に捧げているつもりだ。
「俺の愛が届いてないか?」
「違う、そうじゃない。僕は、僕以外に、髪の毛一本だって貴方をあげたくないんだ。それが誰であっても、主であっても」
「・・・・・・驚いた。まさか君、いや、だが、俺たちは刀だぞ。所有者がいるのは当たり前だ」
「それがね、許せなくなったんだよ。貴方の全ては僕のものでしょう?貴方がそう言ってくれた。だったら他に所有者がいるのはおかしいだろう」
穏やかな笑みは消え、思い詰めたような顔に変わっている。光忠を見つめ続ける自分と違って、光忠は自分を見ていない。
「所有者が必要だっていうなら、貴方の所有者は僕だ。今は人の形をしている。貴方を振るえと言うならそれも出来るよ。だから問題ないよね」
「光忠」
ぶつぶつと呟き始める姿に、優しく名前を呼ぶがその耳には届かない。自分を見ないだけではなく、声も届かないのであれば、自分が監禁されている意味もない。
目の前に光忠はいる。肩を掴めば自分の存在を思い出すだろうが、下手に動くと、自分が逃げ出すのではないかという疑念を光忠に与えるような気がした。
「ここには僕と貴方しかいない。この部屋からも出られない。主を、殺さなくても、貴方は僕の」
光忠の言葉はまだ続く。物騒な言葉が聞こえたが別に動揺したりはしない。光忠はそれを実行したくないからこそ、自分を攫ってここに監禁しようとしているのだから。自分の欲の為に他を傷つけきれないところもどうしようもなく愛しくて、目の前の恋刀の名前を静かに呼んだ。
「"燭台切光忠"」
「!」
ピタリと言葉が止む。ようやく自分の存在を思い出してくれたらしい。少し怖がっている金色がひとつ、自分の方に向けられた。
「こんなことしても意味はない。俺は刀だから主の、人間の物以外にはなれない。そして君も刀だ。刀は刀の所有者にはなれない」
「やだ」
自分の言葉に目の前の駄々を捏ねる子が、首をいやいやと振る。
「こればかりは覆せないんだよ」
「やだ。鶴丸さんは僕のだよ。鶴丸さんがそう言ったんだ。僕も鶴丸さんのものだよ。そうなんだ、そうなんだよ」
優しく諭せば諭すほど光忠は頑なになる。言葉にすれば、それは必ず叶うと魔法の呪文のように、自分を納得させるように、光忠は言葉を繰り返していく。
このままでは埒が明かない。
「話は最後まで聞きなさい、光忠」
ぴしゃりと言えば、光忠が息を飲んで黙った。この言いように光忠はとても弱い。自分が本当に怒っている時でなければ出てこない口調だからだ。
光忠は怯えた視線を寄越す。自分が怒っていて、そしてこんなことをした光忠を拒否していると、思っているだろう。
だがそれは見当違いだ。じゃらりと鳴る鎖を無視して手を伸ばし、光忠の手に重ねた。
「鶴丸さん、」
「俺と君は同じ刀だ。だから互いに所有者にはなれない」
もう一度重ねて言えば、光忠が下唇を噛む。痛々しい。
「だけど同じだからこそ溶け合えばひとつになれる」
「!」
優しく微笑めば、目の前の金が大きく瞬いた。
「ひとつになればその所有者が誰であっても関係ない、そう思わないか?」
君が俺になって俺が君になるんだ、と重ねた手に指を絡める。手袋がなければ、このすぐにでも溶けだしてしまえる程の熱が光忠にも伝わっただろう。
髪の毛一本でさえ渡したくない?それは自分の台詞だった。それでも自分が光忠のような行動をとらなかったのは、光忠自身が『ここに在る自分』に誇りを持っていたからだ。大切な場所を離れて、炎に焼かれてしまったとしても、それでも存在している自分に誇りを持っている。その光忠の考えがわかっていたから自分は光忠から個を奪うことをしなかった。
だけど、目の前の光忠は自分の言葉を否定したりはせず、それどころかその言葉を咀嚼して飲み込むのが勿体ないとずっと舌の上で転がしているようにも見える。個をなくし、お互いがお互いの所有者、いやお互いそのものになることに魅力を感じ始めている。
「ひとつになろう、さぁおいで」
こっちの水は甘いぞと誘うような声色で。
絡ませた指を解いて、光忠の手袋とスーツの袖口の間の素肌に這わす。熱が伝わったのか、さっきまでは怖がっていた光忠の目に熱が宿る。
熱が宿ったはずのその体をふるりと震わせて、熱い息と共に僕と鶴丸さんがひとつになったら、と口を開く。
「灰色になるのかな」
可愛らしいことを言う。思わず笑ってしまった。
「そうだなぁ」
早く早くと急かすように光忠が鎖骨に手袋を外した手を差し入れてきた。早くひとつになって、貴方になりたい、貴方を僕にしたいと溶け始める肌を加速させる。
応えるようにネクタイに指をかけ、しゅるりと解いていく。光忠の理性のようだ。
その音に気をよくして自分の唇がますます笑みをかたどった。
別の存在である以上、同じ主の元に集っていても、共に土に埋められても。どんなに愛し合っていても、別れることになる。人、刀、神、何者でも別の存在である限り、必ず。
だけど溶け合って、ひとつになって、――そしてその上で折れれば、永遠だ。
誰にも引き裂けなくなった、残った欠片達は鋼の色。
「確かに灰色には違いない」