今時パソコンではなく原稿用紙で書くなんて、趣はあっても編集がやりにくいと嘆く担当者を聞き流して数年。
執筆スタイルを変えるつもりなんて毛頭ない鶴丸は原稿用紙と見つめ合っていた視線を上げる。
そのまま体を起こして伸びをした。集中していたせいで数時間固まっていた体がぎこちなく伸びていく。年々肩凝りがひどくなってきている、まだアラサーだというのに。
しかしひどくなっている肩凝りはそれ以上の癒しを鶴丸に与えてくれている。「鶴さんの肩はがんばりやさんですねぇ」と言う小さな小さな恋人の可愛らしい声と、たんとんと叩かれる強さを思い出してふっと笑みが浮かんだ。
伸びをした形のまま思い出し笑いをしていると、ちょうど視線の先にあったのはカレンダー。12月、師走、年末を示していた。その中でいつも目を引くのは赤くでかでかと書かれている『締切日!』の文字。それは何時間見つめ続けても動くことはない。見つめ続けても無駄な赤から視線を僅かに下げていく。
続いて見えた赤は冬休み開始。それも自分で書いた覚えがある。またひとつの段下げて、左から二列目。カレンダーに元々印字されている文字は、自分が書き記した文字よりも大分小さい。
しかし鶴丸にはその小さい5文字が突如目の前に飛び込んできた様に感じた。
「クリスマスじゃないか!!」
両腕を伸ばしながら後ろに倒し気味だった体を跳ねるように起こした。
師走に入りまだ一週間。しかし締め切りはすぐに迫っている。ということはクリスマスだってあっという間にやってくるだろう。
大人の鶴丸の元にサンタはやってこない。小説家なんて仕事のせいで世間から隔離されていることも多いため街中で流れるクリスマスソングを聞くこともない。言ってしまえば普段の日となんら変わらない一日。しかし可愛い恋人にとって、小学生の光忠にとってクリスマスというのは年に一度の一大イベントの筈だ。
独自の感性を持っている光忠である。サンタの存在に対して彼が何かしらの考えを持っている可能性も否めないが、あの保護が過ぎる過保護者二人がまだ小学生の光忠の夢を打ち破ってしまう失態を犯すとは考えにくい。したがって、光忠はクリスマスというイベントを楽しみにしている筈だと鶴丸は結論付けた。
と、なればこうしてばかりはいられない。幸いにも鬼、もとい担当は掛け持ちしている作家の所へ激励と言う名の恐喝へと出ている。少し抜け出すくらい問題はないだろう。
独り暮らしにしては大きすぎる家を出て、自宅の門ではなくそのまま広すぎる庭を塀の方へと歩いていく。そこにはこの庭と隣の家を繋ぐ塀扉があった。
鶴丸がここに越して来た当時は存在していた、子供だけが通れるくらいの抜け穴はこの塀扉に上書きされている。鶴丸が越してくるまではその穴を通って空き家であるこの家を遊び場にしていた光忠が、今もあの穴を通れるかは分からないままだ。
今よりも少し小さかった光忠と初めて遭遇した時のことを考えながら鍵の掛かっていない塀扉を開けた。鶴丸の家よりは大分小さいが一般家庭にしては広めの、勝手知ったる他人の家。他人は言い過ぎた、可愛い恋人の家だ。
今日も玄関からではなく縁側から上がり込んだ所で。
「何をしに来たこの変態め」
「よっ、今日は非番かい。弟の方」
「そうだ。世の悪党との戦いを一時止めて休んでいた所だ。隣に住む変態が来たせいでそれも台無しだがな」
体躯の良い長身が、家の中に上がり込んだばかりの鶴丸の前に立ち塞がる。さすが現職の警察官、隙がなくて横を抜けることも出来ない。
「光忠はいない。さっさと帰れ」
「光坊がいないのは知ってるさ。学校だろう?今用があるのは君のお兄ちゃんさ」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、とでも言うつもりか」
「既に将を手中に収めているのに今さら馬を射る必要はないぜ?」
「っこの変態が!」
「まぁ、まて。包平」
言葉や雰囲気からの威圧をのらりくらりかわそうとするが却って煽ることになってしまった。感情の起伏が激しい美形が顔を激昂させた瞬間、目の前の雰囲気とは正反対の穏やかな声が部屋の中から掛けられた。
「鶴丸は変態ではないな」
「やっ、兄の方。助かったぜ、弟をどかしてくれ」
「鶴丸はショタコンこと正太郎コンプレックス――つまり少年性愛者というやつだ」
「あっはっはっ。細かいことを気にしない君にしちゃあ随分と細かく分類してくるじゃないか。というか俺はショタコンと言うより光コンだぜ?光忠が精通終えたらぽい捨て、なんてことはしない。今将来を誓ってもいい。最後まで責任を持つ」
「黙れ変態!俺の目の黒いうちは絶対あいつに変なことはさせんからな!」
「俺もさすがに警官の身内の未成年に手を出す勇気はないなぁ。まぁ後8、9年の我慢だろ」
「貴っ様ぁ!!」
「相変わらずお前達は仲が良いな。鶴丸、立ち話もなんだ、入ってこい。茶もあるぞ」
兄の方が部屋の中から鶴丸を招く。招かれれば入らない訳にも行かないと、許しが出たのを良いことに仁王立ちしている長身の横をするりと通り抜けた。待て!と怒鳴られたが案の定、首根っこを捕まれたりはしなかった。
部屋の中は先日来た時と違い、中央に主役の炬燵が大きく陣取っていて、そこにはぬくぬくと暖を取っている兄の姿が。
「おっ、炬燵か!いいな」
「お前の家にはないのか?炬燵に入りながらの執筆活動は捗りそうだ」
「こんな悪魔の器具に入ったら脳みそまで炬燵に侵されちまう。俺の文末が全部『炬燵あったかい』になるぞ」
「実に斬新じゃないか。さぁ、茶だ。包平、お前もいつまでも立ってないで座らないか」
「ふんっ」
兄が二人分の茶を入れて弟を呼ぶと、弟は鼻を鳴らしつつも炬燵に入った。彼も炬燵の魔力には逆らえないのか、はたまた実に素直なのか。恐らく両方だろう。
「すまないな、包平は昨日からご機嫌斜めなんだ」
「そうなのか」
「ああ。まぁ、噛みつきまではしないから放っといてくれていいぞ。それで?どうした鶴丸。締切日はまだ過ぎていないのでは?」
家族団欒の時が流れるだろうこの部屋の壁を兄の方が片目でちらりと見る。そこには家族のスケジュールが記入されているカレンダーがあり、鶴丸の家のカレンダーと同じ日付のところにしめ切り日!と書かれていた。拙い子供の字で。
「鬼が居ぬ間に少し相談事に来たんだ」
「相談事か。珍しいな。何の相談だ?」
「クリスマスの事だ」
言った瞬間、不機嫌そうに茶を啜っていた弟の温度が下がり、兄がぷっと吹き出して肩を震わせ始めた。
「なんだ急に」
「実に的確に突いてくるからおかしくてな。包平の不機嫌の理由が正にそれなのさ」
犯人を見つけた警察犬の如く唸る弟を見て兄は尚更楽しげに笑みを浮かべる。
「昨日は久しぶりに家族三人揃っての夕飯だったんだ」
そう言って昨日の一幕を話始めた。
現職の警官である包平は家を空けることが多い。しかも年末であり、11月の終わりからはその忙しさにも輪をかけていた。しかし昨日は久しぶりに早く帰ってこれたため家族揃っての夕食がとれたのだ。
基本的には食事に集中にするために食事中の会話はしない家族なのだが、本当に久しぶりの三人での夕食だったので珍しく包平が光忠へと会話を振った。光忠も喜んで最近学校であった出来事や学んだことを話し、それはそれは和やかな食事の席となった。
和やかな食卓が終わりかけた時、今までの流れを一区切りつかせるように包平が咳払いをし、光忠にひとつ質問をした。
「そういえば光忠、今年は白髭の爺・・・・・・いや、さんた、だったな。サンタには何のプレゼントを頼むつもりだ?」
何でもない風を装っていたが僅かな職業の匂いを纏わせてしまったのが友成には分かった。質問尋問詰問等することが多いからだろう。
だから自分が聞くと言ったのに、と友成は心の中で思ったが口にはしない。いつもの様に茶を啜って気づかない振りをした。
「去年は仙台城のプラモデルだったな」
「一昨年は・・・・・・誰が一番早く墓場に辿りけるかというゲームだったな。終活ゲームだったか?」
「人生ゲームだ!クリスマスの次の日三人でしたのに何故間違える!お前はいつもそうだ!俺は忘れんからな、光忠が7歳の時のクリスマス、」
「あのね、僕、今年はね」
サンタこと大人二人がここ数年のプレゼントについて言葉を交わす。光忠の手前言えないがプレゼントを準備するのはいつも包平だ。それは家を空けることが多い包平がプレゼントぐらいは自分に準備させろと主張するからで、もうひとつは友成に用意させると微妙に間違って買ってしまうのが理由である。
数年前のその事実を掘り返し、危うくサンタの正体をバラしかねない包平の言葉を、今までずっと考え込んだ様子でいた光忠が丁度良いタイミングで上書きしてくれた。
「僕、今年はね、プレゼントじゃなくてお願い事をしようと思ってるんだ」
「「お願い事?」」
「うん」
大人のハモりに光忠はこくんと頷く。
「お願い事とは何だ?」
もっと回りくどく聞けば良いのに、包平がズバリ聞く。普通の子供ならば「内緒!サンタさんにしか教えない!」と言って、親を非常に悩ませる所だが光忠は実に素直な子供なのでその質問にも素直に口を開いた。
「僕ね、『大人にしてください』ってお願いするの」
「な、何だと?」
「ほぉ」
にこっと笑う可愛い顔にそれぞれの反応を見せる。一言呟いた友成に比べて包平はかなりショックを受けた様子だ。
「馬鹿なっ。そんなことを書いてしまえばプレゼントはもらえないんだぞ」
「それでいいんだよ。プレゼントがなかったら僕が大人になった証拠だもん。だってサンタさんは子供にしかプレゼントをあげないんでしょ?」
「変な理屈を捏ねるな。お前はまだ子供なのだから子供らしくいればいい。クリスマスの次の日の朝にプレゼントを見つけて目を輝かすのが子供の仕事だ。素直に欲しいものを言え」
とそこまで言っても光忠は芳しい答えを出しそうになかった。そこで包平が何かに気づいて様に今までより一層顔を険しくする。
「あの変態に何か言われたのか?」
「・・・・・・鶴さんは変たいじゃないもん」
「小学生男子と恋人ごっこしている三十路の男など変態以外の何者でもない!」
「恋人ごっこじゃないもん!」
「ごっこじゃない!?何かされたのか!?何をされた!?言え!この、俺が、直々に手錠をかけてやる!」
「鶴さん何もしてない!どうして包平おじちゃんはいつも鶴さんに意地悪言うの!?ひどいよ!」
包平の強い言葉に一生懸命反論していた光忠だったがとうとう大きな目にたっぷりの水の膜を張り、自分の部屋へと逃げ込んでしまった。
話しは済んでないぞ!待て!と包平が叫んでも家の奥からは何も聞こえてこない。
「やはり家族が揃うと賑やかだな」
「言っている場合か!お前も問い詰めるべきだった!」
「俺まで問い詰めていたら光忠は家を飛び出して隣の家に行っただろうな」
「ぐ、」
反論が出来なくてようやく包平が押し黙った。二人の口論の最中と同じように友成がまた茶を啜ったので、久しぶりに食卓に静寂が訪れる。それも短い間で、湯飲みをことり、と置いた友成が「それで?」と口を開いた。
「クリスマスプレゼントはどうするんだ、サンタさん」
「準備するに決まっている。意地でもあいつが喜ぶプレゼントを選んでやる。俺にとってはそれくらい容易きことだ」
「そうか。任せたぞ。俺はクリスマスツリー役を頑張るとしよう。クリスマスツリーの役目はプレゼントを見つけた子供の輝く顔を一番に見るのが仕事だからな」
「せめてトナカイ役を買って出るくらいしろ!!!」
「と、言うことがあってな。朝も光忠に悲しげな目で見られるし良い案は浮かばないしで、包平はご機嫌斜めなんだ」
「ふんっ。どうせ帰ってくる頃にはあいつの機嫌も治ってる。光忠は負の感情が続かないからな。・・・・・・朝まで続いたのは予想外だったが。プレゼントの案もいくつか浮かんでいる所だった、この変態が来て思考を邪魔されただがな!」
「ふふ、そうか。・・・・・・?どうした鶴丸。何を悩んでいる」
昨日の回想を聞いてから考え込んでいた所に声を掛けられて顔を上げた。兄が不思議そうに、弟が片眉を器用に上げてこちらを見ている。
「あー・・・・・・、すまん。それ、俺のせいだ」
「?何がだ」
「光坊が大人になりたいって言い出したこと」
「やはり貴様かぁ!!!」
言った瞬間、弟がその場に立ち上がり鶴丸へと指を突きつけた。それだけで銃口を向けられてる様な殺気を感じる。
「あいつは昔から格好良さには拘ってきたが、背伸びをしたことなど一度もなかった!己の力量を見極め、今の自分の精一杯を出そうと努める男だったのに、急にあんなことを言い出したのは貴様が不埒なことを言ったからに決まっている!!」
「不埒、なぁ?例えば?」
「酒、たばこ、ギャンブル!あいつの前で大人の嗜みだ、なんだと興味を煽るような言動をしたのだろう!」
「はっはっはっ!君の弟は美形で強面だが清らかだなぁ!」
「だろ?」
「話を逸らすな!!」
てっきり、光忠に猥褻な行為をしたのだろう!と言われるかと思ったのに違う方向性で責められて笑ってしまった。兄も鶴丸の笑いに満足そうに頷いている。
ただそれは一頷き分だけで、満足そうだった表情は一瞬で無に還り、光忠と同じく片方だけの瞳がすぅ、と冷たく細められた。
「それで?お前は何をしてあの子を大人へと促した?」
ひやりと冷たいものが背筋を走る。炬燵に入っているのに不思議なこともあるものだ。
この兄の方、気質は穏やかで優しく、光忠に似ている部分がある。滅多なことでは怒らないし、とても愛情深いのだと光忠も言っていた。その深い愛情は特に家族二人に注がれていて、この二人が兄の唯一の怒りの感情線に繋がっていると言って良い。そしてその怒りは静かだがとても恐ろしいのだろうと鶴丸は感じている。
鶴丸に変態だなんだと罵ってくる弟は、何だかんだ鶴丸を信用している部分もある。彼曰く、彼の鑑識眼、人を見る目は優れており、鶴丸は彼が今まで見てきた犯罪者達とは違うと言い切ったことがある。勿論その後「だからといって俺は貴様達のことを許した訳じゃない!あんな本を書く様な奴だしな、貴様は!」と啖呵を切られた。肝心の鶴丸は、俺の本読んでくれてんだなぁ。とちょっとほのぼのしてたのであんまり気にしなかったが。
しかしこの兄の方はそんな生易しい相手ではない。弟はさっきこの兄を将の馬と言ったが、ただの馬ではなく歴戦の戦馬だろう。幼い将から手中に収めていなければ確実に蹴り殺されていたくらいの。
心の中で、おお、怖い怖い。と呟きながら肩を竦めた。この兄を敵に回すと非常に厄介だし、光忠が悲しむことは避けたい。何より、兄が考えているだろうことは外れているのだから誤解は解いておくべきだろう。
光忠は鶴丸にとって暗い闇の中で輝く唯一の光だ。それを自分の手で汚してしまうのも、まぁ悪くはないだろうが堕とすこと、共に堕ちることは一瞬で、いつでも出来る。今は鶴丸も光忠を慈しみたい、愛したい、と素直に思えている。光忠を歪ませるようなことは今のところする予定はないのだから。
「光坊がな、俺の本を読みたがるんだ」
口許にゆるりとした笑みを浮かべて言うと兄弟が揃ってぱちぱちと三つの目を瞬きさせる。
「『鶴さんの書くお話はどんなお話なの?読みたいなぁ』ってさ。小学生用の辞書持ってきてそんなこと言うわけだ。まぁ小学生の辞書じゃ乗ってない単語が多いからな、渡しても大丈夫だとは思うが・・・・・・読ませたくないだろ、さすがに」
誰かに読ませて恥ずべき物を書いているつもりは勿論ない。
しかし光忠に。
初めて出会った時、「小説家さんって、どんなお仕事なの?」との小学生らしい質問に「右手ひとつで世界を滅亡させられるお仕事さ」と答えた鶴丸に対して「すごい!じゃあ鶴さんは右手だけで世界中の人を幸せにすることも出来るんだね!」と言ってくれた光忠には。
人が自分の欲の為に罪を犯し、隠蔽し、それを無遠慮に暴く。驚きあるミステリーを掲げておきながら人の醜い所ばかりを書き続けている自分の作品を読んでもらいたくはなかった、今はまだ。
「だから、こう言った。『君が大人になったらな』って」
「成程な」
「・・・・・・」
「何度かその応酬を繰り返して、最近は言わなくなったから納得したのかと思ってその後のフォローをしなかった。俺の落ち度だ、すまない」
光忠の保護者である二人にそのまま頭を下げた。すると立っていた弟の座る気配と、兄がいつも通りの穏やかな雰囲気を纏う気配を感じる。
よし、今ならいけるな。と心の中で拳を握りしめた。
頭を上げると同時に口を開く。
「そこでだ!俺からちょっと提案がある!」
「・・・・・・提案だと?」
「ほぅ、提案か」
赤と緑、それぞれの保護者に笑顔を向ける。白い鶴丸がそこに加わりクリスマスカラー三色が揃う。となれば良い子の光忠の為、素敵なクリスマスにすべく鶴サンタも一肌脱ぐしかないではないか。
*
街中で流れているクリスマスソングを鼻唄で歌いながら、待ち合わせ場所である煉瓦作りのおしゃれな雑貨屋の前に立っている。
賑やかな繁華街からは離れている為控えめではあるが、それでも十分浮き足立っている雰囲気があった。その雰囲気につられ、そしてこれからのことを考えて、独りで立っているだけの光忠もまた、うきうきと楽しそうにしている。
「どこに行くのかなぁ」
手袋をしている両手で、笑う口許を隠して呟いた。
二週間前、締切を無事守りきった鶴丸はお疲れさまと労りに来た光忠を見て一番に口を開いた。
「光坊!クリスマスの日、一緒に出掛けようぜ!」
そしてそのまま光忠の返事も聞かず、机に突っ伏して「はー、よかった。締め切り破ったら約束も出来ない所だった」と心の底から安心した様な息を吐いた。
「どこに行くの?」と聞く光忠に「当日のお楽しみ」と顔を上げて鶴丸は笑った。光忠は、遊園地とかかなぁ。と思いつつ「いいよー!」と挙手して元気よく返事をした。
それが二週間ほど前の記憶。そして今日を迎えた。
時間は17時。お隣同士な訳だし一緒に出発するかと思いきや、鶴丸は少し用事があるとのことでこの時間に、ここで待ち合わせをすることになった。
今から遊びへ行くには遅い気もするが、遊園地のナイトパレードを見るのであれば納得の時間だ。
「お揃いの帽子被ったりしたら楽しそう」
夜の遊園地でお揃いのキャラクターの帽子を被り、並んでパレードを見る二人を想像して一人でふふっと笑い声を立てた。
鶴丸は物を書く以外、生活能力がほとんどない。いつも簡易な和服を身に纏って、ゆるーんと生きている大人だ。それでいて子供の光忠と対等でいてくれて、時には光忠よりも子供な時もある変わった大人。
だから今日も光忠と対等に、楽しく遊んでくれるだろうことが分かる。
締切が終わった後の鶴丸も担当と話したり出版会社に急ぎの用事で電話したりと、何だかんだと忙しそうに見えたので今日は久しぶりに二人でいっぱい楽しみたい。
大人になりたいとサンタさんにお願いしている手前、あまりはしゃぎすぎるとサンタさんに本当に大人になりたいのか?と勘違いされてしまうかも知れない。けれどこれは光忠が子供だからはしゃぐのではなく、好きな人――恋人の鶴丸と遊びに行くからはしゃいでいるのだ。サンタさんならきっと分かってくれる。
「うわぁ、恋人だって!」
自分で考えて恥ずかしくなってしまう。
鶴丸が光忠のことを冗談でも何でもなく、可愛い恋人だと思っていてくれることを知っているから。
冬の空気の中だと言うのに、ぽぽぽと熱くなった頬ごと包むように手袋をした両手で目を覆った。それによって雑貨屋の前に立っている、いつもより着飾られた街路樹が毛糸の指と指の隙間によって細くなる。そこに、赤い物体が近づくのが見えた。
街路樹の向こう側は道路であるし、近づくスピードからして車だろう。真っ赤な。
楽しみのあまり周りを全然気にしていなかったが、いつまでも顔を隠していたら変な子だと思われるかも知れない。顔の熱が引いたら、今度は大人しく鶴丸を待つことにしよう。隙間から僅かに見える、光忠を少し追い越した場所で停車した赤い車の後ろタイヤ辺りを見つめながらそんなことを考えた。
それにしてもこの車。街路樹に隠れて運転席はよく見えないが街中を走っている車とは形がちょっと違うように思えた。車にはそこまで詳しくないがスポーツカーと言うやつではないだろうか。しかも屋根が開いている。
寒いのにすごいなぁ。と関係ないことを考えて頬の熱を冷ましていく。
「光忠」
そんな時、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。聞き間違える筈がない。大好きな鶴丸の声だ。
「鶴さん!」
ぱっと毛糸手袋の両手を下げて、首を横に向ける。そこには片手を上げて、厚めの羽織を羽織った和服姿の鶴丸がいる――
「あれ?」
――筈だったのだが。光忠に見えるのは塗装された歩道と等間隔で並んでいるイルミネーションされた街路樹ばかりで、光忠が待ち望んだ大好きな人の姿はなかった。
「空耳?」
ずっと鶴丸のことを考えていたから声が聞こえたような気がしただけなのだろうか。そう不思議に思っていると。
「光忠」
また声が聞こえた。光忠が向いている方角とは別側から。
声が聞こえた方角を今度は間違いなく向く。するとそこには先ほどまで見つめていた街路樹。
鶴丸はこの樹の後ろに隠れでもしているのだろうか。鶴丸なら実にあり得る話だ。そこまで太い樹でもないが、光忠を驚かせる為なら上手に隠れて見せるだろう。それが分かって、ふふふと笑ってしまう。鶴丸がそのつもりなら、光忠だってそろりと近づき「わぁ!」と樹に隠れた鶴丸を驚かしてやろう。
にこにこ顔を、キリッと戻すことが出来ないままそろりそろりと街路樹へと近づく。道路を走る車やそこに止まっている赤いスポーツカーの運転手から見れば何ともおかしなことをしている大人と子供がいるものだと思うかも知れないが、これは恋人のスキンシップなのだから何も恥ずかしいことはない。
「つーるさん!わぁ!」
声を上げながら街路樹の反対側へ飛び出す勢いで顔を覗かせる。しかし今度も想像した様な、それどころか鶴丸の姿自体がどこにもなかった。
するとまたもやすぐ近くで「違う違う。こっちだ、こっち」と笑いを含んだ声が聞こえる。まるで狐か妖怪に騙されている気分だ。きょろと辺りを見渡してひとつの真っ赤な物体が最後に目に止まった。そしてその左側の運転席から顔を覗かせる大好きな人にと。
「鶴さん!?」
「ようやく気づいてくれた」
駆け寄る光忠へ、車内から鶴丸が笑いかける。屋根がないのもあって車体が大分低いスポーツカーの中はよく見えた。国内産であれば運転席側である右の助手席には何かが居座っている。それが、大量の薔薇の花束を抱えたテディベアだと気づいたと同時に、鶴丸がその花束ごとテディベアを優しく掴んで車から降りてくる。
車から降りてきたことで鶴丸の全身がよく見えた。そこでようやく、鶴丸の姿に意識がいく。鶴丸はいつもの和服姿ではなかった。すらりとしたシルエットのロングコート。裾からはスラックスが伸びていてその先には磨かれた革靴。ロングコートの襟から覗く首元にはいつも見えている肌ではなく白いシャツとネクタイがあった。
今まで見たこともない格好の鶴丸に、思わずその場で固まってしまう。
「待たせてしまって悪かったな。寒かっただろう」
固まる光忠にも気にせず鶴丸は近づいてきた。そして腕の中にいた、薔薇の花束を抱えたテディベアを差し出してくる。それはそれは自然な流れで。固まっていた体も勝手に受け取ってしまう程に。
鶴丸が簡単に持っていたテディベアは光忠の上半身より少し小さいくらいの大きさで、抱き抱えると薔薇の花束が顔の前に広がる。情熱の赤とそれに見合う香りの向こう側にスーツ姿の鶴丸が右手を差し出してきた。
「お手をどうぞ」
その微笑みはいつものゆるーんとした笑みでも、子供っぽいものでも悪戯染みたものでもなく。まだ点灯されていないイルミネーションの光がバックにキラキラと輝いて見える微笑みだった。
呆けたままの光忠は、やはり体だけ魔法にかかった様に受け取ったテディベアから左手だけ離して、その差し出された右手に乗せた。鶴丸はその手を優しく握り、これまたとても優しく引いた。
「段差があるから気を付けてな」と、歩道から道路脇へと光忠を導き、車が来ないことを確認して右側の助手席のドアを開けてそこに光忠を座らせる。強すぎない力でドアを閉め、回り込み左側の運転席へと乗り込む姿を呆けたまま目で追った。隣にやってきた鶴丸はそのまま車を発進させることもなく、やはりきらきらした微笑みのままテディベアと薔薇に埋もれている光忠を見つめる。
「光忠」
「ふぁっ、ふぁいっ!?」
「今日は俺にエスコートさせてくれ」
そう言っていつもと同じように頭を撫でた相手は、知らない大人の男の人に見えた。
行き先を告げられないまま、車は走り出した。少しだけオープンカーのまま走らせていたが、寒いだろうと屋根を閉めてくれたお陰で寒さに凍えることも風で髪がぐしゃぐしゃになることも避けられた。
ただ光忠はそれどころではなくて、自分のことや自動で屋根が開閉することよりも屋根がしまってしまったことで密室した空間に30代の大人と二人っきりになることを異様に意識してしまった。相手は大好きな鶴丸だと言うのに。
鶴丸がいつもよりもかなり落ち着いた調子で何回か話題を振ってくれたが、壊れたおもちゃみたいに首を縦に振ることだけで精一杯。
しばらくするとただでさえ煩くないエンジン音が完全に止まり、鶴丸が車から降りた。それに慌てて自分も降りようとしたところで助手席のドアが開き、当然の顔をした鶴丸が光忠を車の外へと導いてくれた。ここまで緊張を分け合っていたテディベアを車内へ残して鶴丸に導かれるまま付いていく。
連れていかれた所は何か高級そうな店に見えたが店名が英語で光忠には読むことが出来なかった。高級そうな店に戸惑う光忠に気づいてない訳がないだろうに、鶴丸はやはり大人の顔のまま店の中へと光忠を連れていく。
きょろきょろするのも憚られる店の中。外からは分からなかったが、様々な衣服が陳列されているブティックの様だった。普通はガラス張りになっていて店内が見える店が多いだろうに、こんな風にプライベートが守られている所なんてテレビに出てくるセレブ御用達お店みたいだ。
「いらっしゃいませ、鶴丸さま。本日はお越し頂きありがとうございます」
そんなお店の洗練された店員さんが、お店に見合った気品の微笑みで鶴丸へと話しかけてきた。
「ああ」
店員さんが鶴丸の名を知っていることに驚いている光忠とは違って、鶴丸は何の感慨もないらしくただ頷いている。
「本日はどのようなものをお探しでしょうか」
「ここは子供用の服も取り扱ってたよな?」
「はい、ございます」
「今からドレスコートがある店に行くんだが、この子に合う服を頼めるか」
「畏まりました」
もう一人近づいてきた店員さんに脱いだコートを預けながら、鶴丸と最初の店員さんは二、三言葉を交わす。鶴丸の注文に店員さんが深々と頭を下げたと思いきや、顔を上げて店員さんは鶴丸ではなく、今度は光忠へと微笑みかけてきた。
「それではお客様、どうぞこちらに」
広げられた手の先は鮮やかな色のマニキュアで手入れされており、さらにその先には試着室が示されていた。どうすればいいか分からなくて鶴丸を見上げると、店員さんに向けていたものとは明らかに違う表情があって、大丈夫だと頷いてみせる。光忠は結局店員さんに従い、試着室の中へと入った。
試着室に入ると大きな鏡が壁となって取り囲み、四方八方から光忠を写し出す。見慣れている自分の姿なのになんだか身の置き場がなくて居心地が悪い。
知らず体を縮こまらせる光忠の後から、先ほどの店員さんが試着室へと入ってきた。その手には高そうな生地の服が何着か。
「まずこちらは如何でしょうか」
微笑んで、衣装を見せる。見た目に気を使う光忠は服を選ぶことも大好きだが、今は緊張の為かその服が自分に似合うかどうかは判断がつかなかった。
返答に困っている光忠にも店員さんは笑みを絶やすことはなく、ただ「それでは失礼致します」と一言言って、光忠が今着ているダッフルコートに手を掛けてきた。それを脱がせて、今度はセーターの裾を持つ。
「あ、あのっ」
「はい、如何されましたでしょうか?」
「ぼ、僕、自分で着がえられますっ」
「御気分を害してしまったのなら申し訳ございません。ただ、こちらの衣服の寸法もございますので、お手伝いさせて頂ければと思います」
そう言われてしまい、強引ではないがそれでも光忠の意思ではなく着替えは進んでいってしまった。
居心地が悪いまま、何着か着替えてようやく店員さんは今日一番の満足そうな笑みで光忠に頷いて見せた。彼女の手つきは最後まで丁寧で、彼女からしてみれば子供でしかない光忠に対しても他の客に対するものと変わらない敬語と敬意で接してくれた。光忠は身に纏う生地の触り心地と彼女のプロ意識に、この店が本当に高級なブティックなのだと言うことを十分に理解することとなった。
店員さんが試着室のドアを開ける。そして「どうぞ」と、外へ出る様に促した。光忠は自分の靴を履こうとしたが、さっきまで履いていたスニーカーはなく、代わりによく磨かれたローファーが置いてあった。どうやらこれを履いてほしいと言うことらしい。
他に履く物もないのでそれに足を通し、試着室を出る。店内にきょろりと視線を走らせると待ち合い用のテーブル席に着いている鶴丸の背中を見つけた。
そこに歩いて近づく。スニーカーの時はきゅっきゅっと鳴っていた床は、今は革の靴によってカツカツと鳴っていた。
「つ、鶴さん」
「ん?」
名前を呼ぶと鶴丸が振り返る。それだけなのに何故かすごく緊張した。
振り返った鶴丸はすぐ椅子から立って、光忠の頭の天辺から足先までまじまじと見てくる。たっぷり一往復して、
「うん。すごく格好いいな」
と、目を細めた。
鶴丸にとっては何気ない表情なのだろう。けれど光忠はその表情を向けられて自分の体温が急上昇するのが分かった。
目の前にいる鶴丸はいつものゆるゆるな雰囲気なんて一切なく、高級な店の洗練された雰囲気に飲まれることもない、スマートで非常に格好良い大人の男の人だ。その鶴丸に格好良いと言われ、まるで対等な恋人を讃えるように目を細められるなんて、子供の光忠を混乱させるには十分すぎる破壊力だった。
混乱した頭の中で、何これ何これ!?と叫んでしまうのも仕方がない話しだろう。
「これでいい」
「ありがとうございます」
「後、コートも欲しいんだが」
「畏まりました。・・・・・・こちらでよろしいでしょうか」
「ああ、ありがとう」
光忠の後ろに立っていた店員さんが一着の子供用コートを持ってくる。そして「失礼致します」と光忠に袖を通させた。
その間に別の店員さんからカードらしき物と自分のコートを受け取った鶴丸が、「じゃあ行こうか」と光忠に微笑み掛けてくる。
「え、で、でも。僕のお洋服は?靴も」
「それは俺の家に送ってもらうことになってるから大丈夫だぞ」
「そう、なの?」
「ああ」
鶴丸がこんなことで嘘を吐くはずもなく、このお店に入った時とは違う着なれない服を身に纏ったまま、お店を後にすることになった。
店員さんがお店の外まで出てお辞儀をしてくれるのを振り返りながら、鶴丸と共に赤い車へと乗り込んだ。
光忠を待っていてくれたのはテディベア。助手席に座りそれをぎゅうっと抱き締める。なんだかそれだけで少し安心出来て、ほぅっと息を吐いた。
横で腕時計を見ていた鶴丸がちら、とこちらを見て口を開く。
「少し早いが、遠回りをして行けば丁度良い時間だな」
「鶴さん、あのね」
「ん?どうしたんだい、光忠」
テディベアのお陰で少し緊張が解けたので、今ならいつもみたいに鶴丸と話が出来るかもと思い話しかけてみた。
けれど、光忠の緊張が解けても鶴丸は大人の男の人のまま。その微笑みを見せられると、やっぱりいつもと違う人みたいで、言葉が喉で詰まってしまう。どきどきが止まらなくて、どうしていいのか分からなくて。
「ううん、何でもない」
テディベアに顔を埋めて首を振った。
「・・・・・・そうか」
鶴丸はそれだけ返して、また光忠の頭を撫でる。少し跳ねていたのか、埋もれていない耳に髪を掛けられて、その何でもない感触にもどきん!と胸が大きく打つ。
大好きな、大好きな鶴丸と一緒なのに、胸のどきどきが邪魔をして会話もさせてくれない。
今日の自分の体は随分と意地悪だ。
「イルミネーションが綺麗な所も通るから、気が向いたら窓の外も見てみると良い」
そう言ってエンジンをかけた。車の動く気配がしたが、光忠は顔が上げられなかった。
綺麗なイルミネーションに彩られる街はいつもと違う世界に見えるに違いない。これがいつもの鶴丸なら、きっと光忠と一緒にはしゃいでくれるだろう。だけど、今の鶴丸は雰囲気が違いすぎてはしゃぐ光忠に苦笑いを見せるかも知れない。それ以前に、この鶴丸の前では光忠の方がはしゃぐのに躊躇してしまう。
どうして今日の鶴丸はいつもと違うのだろう。昨日までは普通だったのに。
何か変なものでも食べたのだろうか。と言っても、生活能力のほとんどない鶴丸の夕飯は光忠宅の夕飯を差し入れしているので、つまりは昨日の夕飯担当の光忠の料理を食べているということ。何かおかしなものを入れた覚えはない。
なら何処かで頭をぶつけてしまったのだろうか。その衝撃でこんなキラキラした大人になってしまったのなら、元の鶴丸にはしばらく戻らないかもしれない。それならこんな鶴丸とこれから先どう付き合っていけばいいのだろう。
側にいるだけで、見つめて話しかけられるだけで、こんなにどきどきしていたら心臓が持たない。
ならば慣れるまで交換日記で交流するとか、部屋と廊下くらいの距離で話をするとかはどうだろう?でもそれはすごく寂しいから嫌だ。と言っても直接の交流は――。
良い案が浮かばず、テディベアに顔を埋めたままうーん、うーんと悩み唸る。
「・・・・・・光忠、着いたぞ」
「えっ!?」
短い時間しか経ってないつもりだったが、どうやらそうではなかったらしい。顔を上げると車はいつの間にか止まっていて、鶴丸がハンドルに片手を乗せながら光忠を見つめていた。
「車酔いでもしたか?」
「う、ううん」
首をふるふると振る。目の端から入った景色を見る限りどうやらどこかの駐車場の様だ。
「車、おりるの?」
「うん?ああ、そうだが」
「あのね、この子、連れていったら、ダメ?」
抱き締めていたテディベアを少しだけ鶴丸の方へ近づけた。
いつもならこんなこと言わない。お気に入りのぬいぐるみは光忠の部屋にもいるが、外でもずっと抱っこしてるなんて小さい女の子みたいで恥ずかしい。
けれど今はちょっとでも緊張を分け合えるものが欲しかった。
今日一番長く鶴丸を見つめている光忠に、鶴丸は少し、うーんと困った微笑みを見せる。
「君がどうしてもと言うなら俺は構わないが」
「ほんと?」
「ああ。だが、せっかくそんなに格好良い姿をしてるのにその半分がクマで隠れてしまうのは少し勿体ないな」
「ひゃ、」
テディベアを鶴丸の方へ近づけていたことで隙間が出来ていた光忠の首元に鶴丸が手を伸ばし、し慣れないネクタイを優しく掴んでしゅるんと滑らした。
「だからそいつとはまた今度一緒に食事に来よう。その時はそいつもおしゃれにしてあげてさ」
いつの間にか光忠の手にはテディベアは無く、鶴丸の手に握られていた。もう胸だけではなく指の先もどくんどくんと脈を打っているみたいに感じて、テディベアを取り戻す考えも起こらない。
「二人で、行こう?」
「・・・・・・うん」
こくんと頷くだけで精一杯だった。
二人で入ったのはレストランだった。クリスマスのイルミネーションに彩られている街中よりも控えめな明かりの店内だったが、照明や雰囲気によってとても上品なお店だという印象を受けた。
少なくとも光忠が今まで生きてきた年月でこんなお店には来たことがない。テレビで見る執事さんさながらの丁寧さで光忠からコートを受けとるウェイターさんがいるお店になど。
鶴丸に対する緊張とそんなお店に対する緊張で体をかちこちさせながら、ウェイターさんの案内に従いお店の奥へと進んでいく。
そのまま個室に入ると、二人分の席のテーブルとその向こう側の窓には街の夜景が一面に広がっていた。
ただ、光忠の為に椅子を引いてくれている鶴丸を前にして夜景を楽しむ余裕はなく、一年の中で一際華やかなで景色を堪能することもなく慌てて席に座った。
鶴丸も向かい側に座ったところでウェイターさんがドリンクメニューを差し出してくる。光忠は勿論、車を運転してきた鶴丸もお酒は飲めない為、二人してウェイターさんお勧めの赤ブドウのジュースを頼むこととなった。
見た目は赤ワインと何も変わらないジュースがとぷとぷとグラスに注がれていく。ジュースだと分かっていてもなんだかいけないものを与えられている気分だ。
失礼致しますとウェイターさんが個室を出ていく。二人っきりになってしまった。料理がくるのはどれくらいかかるだろう。緊張してるとはいえ、それまで黙っている訳にもいかない。
「えっと、」「光忠は、」
何かを口にしなくてはと、言葉を発したと同時に鶴丸が話しかけてきた。なんてタイミングが悪い。
「悪い、遮ってしまったな。なんだい、光忠。何かあったか?」
「う、ううん!何でもないよ!本当に何もないの!鶴さん、お話して?」
「別に俺の話も大した話じゃないんだが、」
「うん」
鶴丸にこくんと相槌を打ちながら、今さらひとつ気づいてしまった。今日の鶴丸は光忠のことを「光坊」といういつもの愛称ではなく、「光忠」と名前で呼んでいるのだ。
どうしてだろう。
「光忠は、寒いのが苦手かい?」
「え?ううん、苦手じゃないよ」
「冬は?好きかい?」
「うん、好き」
「・・・・・・もしかしてクリスマスが嫌いとか?」
「大好きだよ?」
「だよなぁ・・・・・・」
そう言って鶴丸は考える様な顔をする。
光忠は質問の意味がよく分からないのと、光忠を見つめていない鶴丸はきらきらが減っている風に感じて、首を傾げながらじーっと鶴丸を見つめることが出来た。
緊張して力が入っていた肩も下がって、膝小僧を握っていた手も緩む。しかしすぐにウェイターさんがやってきたしまい、ピッ!っと元の姿勢へと戻ってしまった。
ウェイターさんが軽やかに運んできたのは、少しだけ底の深い皿に入っているスープ。クリスマス時期だからか、縁取りが赤と緑の二色でそこに銀箔の模様が描かれている皿は、入っている透き通るスープも今日だけの特別なものの様に演出している。
恐らくスープが冷めない為にだろう、案内する時は丁寧過ぎる程丁寧だったウェイターさんは簡潔なスープの説明をして下がって行った。
「「いただきます」」
料理がやってきたので両手を合わせてそう言った。鶴丸の声も合わさった。
昨日は鶴丸の家で同じく向かい合って同じことをした。尤も光忠は家で夕食を済ましていたので、光忠の料理を食べる鶴丸に付き合ってご挨拶をしただけだったのだが。いただきますは声を揃えて言った方がご飯も美味しくなる気がするから、光忠は大事なことだと思っている。
それにしても一日違うだけでこんなにも状況が違うというのも不思議だ。
昨日の粕汁を食べて「美味いぞ、光坊!」と無邪気に笑ってくれた鶴丸を思い出しながら、光忠はテーブル上の銀のスプーンを手に取った。
音を立てちゃいけないんだよね、と考えてそーっと透き通るスープを掬う。こんな黄金色したスープ、食べ慣れなさすぎて光忠の口では味を感じられなかったらどうしよう。お店を追い出されるかもしれないなんて、緊張に輪をかけながら、スープを口へと運んだ。
「んく、」
こくんと飲み込む。
「おいしい・・・・・・!」
思わず左手で口元を押さえて感嘆の声を上げた。
温かいスープはお腹に優しく落ちていき、体も心も温かくしてくれる。光忠は冬に飲むスープが大好きだ。けれどこのスープはそれを差し引いても純粋に美味しかった。具がごろごろ入っている訳ではないのに、色んな美味しさが詰まっているみたいだ。
「鶴さん、このスープ美味しいね!透き通っててきれいだし、すごーい!おいしいー!」
右手のスプーンを握りしめたまま鶴丸を見つめる。美味しいものを食べると相手にも伝えたくなってしまう。それが好きな相手なら尚更。だから光忠は鶴丸に自分の作った料理を「美味いぞ!」と褒めてもらうのと同じくらい、「これ美味しいね!」と鶴丸に伝えるのが大好きだ。
美味しいものを食べたせいでいつもより開いた瞳は部屋の照明のきらきらした灯りをより集める。きらきらを集めたままの目で鶴丸を見つめると、その目を受けた鶴丸が何故か、ふはっとおかしいのと安心を混ぜた風な笑いをした。
何か変なことを言ってしまっただろうか。いつもと同じことをしただけなのに。
やはり大人な鶴丸だから、いつもとは違う受け取り方をしたのかもしれない。そう思うとなんだか今の言葉も恥ずかしくなってきて、顔を俯かせかけた時。
「良かった・・・・・・。間違ったのかと思った」
鶴丸が安心の息を吐き出した。その目尻も言葉に合わせてふにゃりと柔らぐ。
「間ちがい?」
「クリスマスプレゼント」
「???」
途端ににこにこし始める鶴丸の言葉の意味もその変化の理由も分からなくて頭の上に大量のはてなを浮かべる。
「君にな、大人のデートをプレゼントしたかったんだ。だって君、『大人になりたい』ってお願いしたんだろう?」
「どうして鶴さんが知ってるの?僕がサンタさんにしたお願い事」
確かに光忠は今年、サンタさんにプレゼントではなく『大人になりたい』というお願い事をした。しかしそれを知っているのはサンタさんと包平、友成だけの筈だ。包平と鶴丸は仲が良くないことを知っている。まさか包平が鶴丸に教えることはないだろう。友成だって、『大人になりたい』なんて神様かサンタさんにしか叶えられないことを鶴丸に教える理由がない。
なら、なぜ鶴丸は光忠のお願い事を正確に知っているのだろうか。
個室でその必要もなさそうなのに、辺りに誰もいないか確認を左右にする。そして声を一段落として光忠に話しかけてきた。
「恋人の君だから教えるが、ここだけの話な、」
「う、うん」
「俺、サンタさんの親戚なんだ」
だからほら、サンタさんの髭の色とお揃いだろ?と鶴丸が自分の前髪を指先で摘まんで笑って見せる。光忠にとっては、えー!?と大きな声が出てしまうくらい衝撃の事実だというのに。
「しーっ。内緒の話しなんだぜ?大きな声出しちゃダメ。まっ、スープ飲みながら聞いてくれ」
「う、うん」
「この間久しぶりにサンタさんに連絡したんだけど、なんかすっごく悩んでたんだ。だからどうしたのか聞いてみたんだよ」
スープを一口含んで、話を促すために瞬きをする。
「そしたらサンタさんがさ、」
『困った困った。良い子の中で、プレゼントではなく「大人になりたい」とお願いをしている子がいる。その子は世界中の子供の中でも特別良い子なのにこのままではプレゼントが準備出来ない。プレゼントがなければその子は自分を大人になったと思ってしまう。けれどその子はまだ子供だ。子供を無理矢理大人にすることは出来ない。困った困った。その子はどうすれば喜んでくれるだろう』
「とまぁ、心底悩んでてな。俺も放っておけなくて、俺に出来ることなら手伝うぞ?その子の名前はなんて言うんだい?って、聞いてんだ。そしたら」
『その子の名前は光忠と言うんだ』
鶴丸がサンタさんを真似た声で言った途端、光忠はスプーンを持っていた手に、つい力を込めてしまった。
「すごい偶然だろ?俺も驚いた驚いた。サンタさんの悩みの原因がまさか自分の恋人だとは思わなかったからな。でもさ、同時にいい案も思い付いたんだ。だから、サンタさんに言った。光忠は俺の恋人だから俺に任せてくれないか。鶴サンタさんが、責任持って良い子の光忠の願いを叶えてみせるって」
「も、もしかして!」
「そ。それがこの大人デート」
そう言って鶴丸がウインクをひとつ。
「大人になりたい良い子の君のために鶴サンタが贈ったのが今日の大人デートさ」
びっくりし過ぎて上手く言葉が出てこない。もしかしたら生まれてから一番驚いているかもしれない。鶴丸がサンタさんの親戚と言うことも、サンタさんの親戚である鶴丸が光忠の為だけにサンタさんの代わりを勤めてこんなデートを企画してくれたことも。
とうとうスープを掬う手も止まった光忠に対して、鶴丸は優雅にスープを一口飲んだ。しかし美味しい筈のそれを飲んだにも関わらず、だけどなぁ。と眉をやや下げる。
「実際俺も大人のデートってのは詳しくないし、スタンダードな感じで予定を立ててみたんだが、間違ったかなぁってずっと心配してたんだ」
「どう、して?」
「一人で待ち合わせしている時は楽しそうに見えたのに、俺と車に乗ってから君の笑顔を一度も見れていなかったから。だから、しまった、俺盛大に外したんじゃないか!?ってすっごくどきどきしてた」
「ほんと!?全然そんな風に見えなかったよ?」
「そこはまぁ、エスコートする側だからな。不安を表に出したらスマートじゃないだろ?って言っても君の笑顔に安心して今全部話しちゃってるけど」
そう言って笑う顔は知らない大人の男の人ではなく、もうすっかりいつもの鶴丸に戻っていた。その笑顔を見ているとなんだか安心する。暖かくて笑顔がこぼれるくらい美味しいスープを飲んだときよりもずっと。
「・・・・・・僕ね、今日ずっとどきどきしてたの。大好きな鶴さんと一緒なのになんだか知らない大人の男の人と、いつもと全然違う世界をのぞいてるみたいだった。だからね、ちょっときんちょうして笑うの忘れてた」
ここで途切れさせると鶴丸が、やっぱり楽しくなかったか。と言い出しそうな顔をしたのですぐに言葉を続ける。
「でも、それは鶴さんが僕にちゃんと大人の世界を見せてくれたってことだよね。僕のお願い事をちゃんと叶えてくれる為に、ちゃんとエスコートしてくれたんだって、・・・・・・だから僕、今すごくうれしい!」
今までとは違うどきどきが光忠の中にある。緊張からではなくて、大きな喜びのどきどきだ。
「俺はちゃんと良い子の君にクリスマスプレゼントをあげられたってことかい?」
「うん!」
大きく頷く。
大人になりたい。そのお願い事を叶えるための大人デートは確かに緊張ばかりだったが、こうして鶴丸の話を聞いて思い返してみれば小学生の光忠では経験出来ないことばかりだった。それを光忠の為に鶴丸が一生懸命考えて、遂行してくれた。光忠゙坊や゙と言う意味のいつもの愛称まで改めてくれるくらい徹底に。
光忠はその事実だけでもう胸がいっぱいになるくらいに嬉しいのだ。出会った当初の鶴丸なら、こんなことは絶対にしなかっただろうということが分かっているから尚更。
初めて出会った時の鶴丸はたぶん誰のことも好きじゃなかった。自分も含めて世界中の人間を好きではなかったんだと思う。小説家さんがどんなお仕事をしている人か分からなかった光忠に、「右手ひとつで世界を滅亡させられるお仕事さ」と目の奥が笑ってない笑顔で言われた時、何となくそんな印象を持ったのだ。尤も、今より小さかった光忠にはそんなことより新たな出会いのわくわくの方が勝っていたので、そのことについては特に何も思わなかったが。
そんな鶴丸のことを少しずつ鶴丸のことを知って、こうして恋人同士になって、光忠は欲張りになってしまった。もっと鶴丸のことを知りたくなってしまった。それは鶴丸がまだ光忠に見せようとしない部分も。
だから光忠は鶴丸の書く話が読みたくなったのだ。世界中の誰も好きではないということは、光忠には想像も出来ないけど、たぶんすごく辛いことなのではないかと思う。毎日が辛いならきっと生きていくことも辛い筈だ。
そんな中で鶴丸が生きていたのはたぶんお話を書くことが出来たからだ。お話の中には、鶴丸の大事なことが、鶴丸の光忠に見せない一面がきっと入っている。
欲張りな光忠はそれが見たいと思ってしまった。 だから鶴丸に言ったのだ「鶴さんの書くお話はどんなお話なの?読みたいなぁ」と。
案の定鶴丸は困った顔をして「君が大人になったらな」と頭を撫でるだけだった。何度か繰り返してもその対応は変わらなかった。
鶴丸に黙って本屋で本を買うことも考えた。鶴丸の本は、本屋に行けばすぐ見つけられる所に積んである。お小遣いを握りしめておけば何冊か買えるだろう。だけど、それは違う気がしてぐっと堪えて我慢した。
結局光忠が出来たのはサンタさんに「大人にしてください」とお願いすることだけだった。実際ちょっと卑怯だったと思う。こんなお願い事をすればサンタさんが困るかも知れないと分かっていたのだ。サンタさんは何をプレゼントすればいいか分からないだろうと。
それが分かっているのにサンタさんにお願いしたのは、クリスマスの次の日の朝にプレゼントがなければ大人になった証拠として堂々と鶴丸にお話を見せてと強請ることが出来るから。
光忠の思った通りサンタさんはとても悩んだらしい。すごく申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今日家に帰ったら光忠の部屋に準備してきたサンタさんへのお礼のお菓子を追加して、サンタさん宛の手紙に「ごめんなさい」をもう一度書き足しておかなければ。
それにしてもまさか鶴丸がサンタさんの親戚だったとは。世間とは狭いものだ。
でもそれこそがサンタさんからのプレゼントだったのかもしれない。
サンタさん代理の鶴丸と大人デートをすること自体が、ではなくて。大人の鶴丸の横で大人の世界に入ったら途端に緊張して、体を固まらせるくらい身の置き場がなくて、小さい女の子みたいにぬいぐるみを味方にしないと心細かった光忠はまだどうしたって子供なんだよ、というサンタさんからのメッセージのプレゼントだったのだと思う。
卑怯な方法で欲張りな大人になろうとする光忠を、君はまだ良い子だとサンタさんはプレゼントをくれたのだ。光忠はそれにすごく安心している。それはサンタさんの言うように光忠が子供だからだろう。
子供の光忠が鶴丸の本を、内面を読んだってきっときちんと理解することは出来ない。だから、鶴丸は大人になるまで光忠に本を読んで欲しくないのだと分かった。それは、それだけ鶴丸が光忠を好きで居てくれると言うこと。それが分かっただけで光忠には十分なプレゼントだ。
「光忠?どうした?」
頭の中でその考えに行き着いて思わず、ふにゃと笑ってしまった光忠に鶴丸が不思議そうに首を傾げる。子供の光忠に合わせたような幼い表情で。
「えへへ、うれしくて笑っちゃっただけ!後、和服じゃない鶴さんすっごく格好良いなぁって思ったの!」
一所懸命大人のデートをしてくれている鶴丸に対して、このデートで自分がまだまだ子供だと自覚した、と言うのはあまりにも失礼な話だ。だから他の本当の気持ちを伝えることにした。
「そうか?洋装は肩が凝るからあまり好きじゃないんだがな。授賞式とか出版社関係の会食以外じゃ滅多に着ない。店もあそこしか知らないし」
「でもすっごく似合ってるよ。ずっときらきらしてたもん」
「はは、そんなに?なら、君にプロポーズする時はまたこの格好をしようかな」
「僕も!その時は僕もまたこの服着る!」
「いやいや、その時にはもう着れないと思うぜ?その服」
「なあんだ、遠い未来のお話かぁ」
「近い将来の話さ」
「うーん?」
そこで次の料理が運ばれて来て、一度その話題は途切れた。それからは美味しい料理の感想を言い合ったり、見える夜景の素晴らしさに感激の声をあげたり、忙しくも楽しい食事を進めていった。
最後のデザートを食べながら光忠がまた夜景の美しさに視線を釘付けにしていると、
「本当、あっという間なんだろうなぁ」
とぽつりと呟く声があった。
「ぅん?なぁに鶴さん?」
「いやぁ、せめぎ合ってた。不変を望む俺と変化を望む俺が。驚きを愛する俺としちゃあ、勿論後者だ。だが、今、俺がサンタさんにお願い事が出来る年だったら、もしかしたら前者を望んだかもしれないな」
「鶴さん、時々よく分からないこと言うー」
「つまり、君が好きってこーと」
「僕も鶴さん大好き!」
「よし、ラブラブが確認出来た所で帰るか!君も食べ終わったことだし」
「うん!」
入ってきた時とはまったく違う表情で個室を出る。光忠たちのテーブルを担当してくれた執事みたいなウェイターさんにも光忠は気兼ねなく話しかけることが出来た。
「ごちそうさまでした!お料理、すっごく美味しかったです!コックさんにもありがとうございましたって伝えてもらうことは出来ますか?」
「畏まりました。一同皆、喜びます」
ウェイターさんはやはり完璧な角度でお辞儀をした。表情も完璧なままだ。さすがはプロ。でも光忠もやっぱり緊張はしなかった。子供は気楽で良い。
「お兄さんの説明聞くともっと美味しく思えました。僕、大人になったら今度は僕が鶴さんをこのお店に連れてきたいって思ってるんです。その時は、お兄さん、またお料理の説明してもらえますか?」
「勿論でございます」
「僕、まだ子供だから何十年もかかっちゃうかも知れないですけど・・・・・・」
「喜んでお待ち申し上げます。ただ、それはそう遠いない未来の様に思えます」
「え?」
「光忠、行くぞー」
会計を済ませて店の出口前に立っている鶴丸が呼んだ。うん!と返事を返してウェイターさんと向き合う。
「今のって、どういう意味ですか?」
「我々の一歩より、お客様の一歩は早く大きいと言うことです。きっと、想像よりもずっとずっと早くお客様は見たいものを見れるようになり、なりたいものになれることでしょう、ご自分の意志で」
「・・・・・・よく、わからないけど、お兄さんがおじいちゃんになる前には来れるようにがんばります!絶対また来ますね、ありがとうございました!」
「こちらこそありがとうございました。またのお越しを心よりお待ちしております」
そう言ってウェイターさんはまたも完璧なお辞儀をしてみせる。光忠は鶴丸の元に近づいてそのまま共に店を出た。そして振り返ると店の中に顔をあげたウェイターさんが光忠を見ていた。
光忠が大きく手を振る。すると今まで完璧な立ち振舞いだったウェイターさんの表情がフッと和らいで、その右手を小さく振り返してくれた。
「わぁ」
「どうした?急に嬉しそうな声出して」
「えへへ、何でもない!」
「一人で楽しそうなのはずるいぞー」
と言いつつ鶴丸が頭を撫でてくるので、色んな喜びのまま鶴丸の腰に抱きついた。
「おっと、」
「ねぇ鶴さん!またこのお店来ようね!今度は僕が鶴さんを格好良くエスコートするの!」
「お?そりゃあ楽しみだな!」
雪がちらほら降り始めた寒い中二人してにこにこ顔のまま車へと乗り込む。お留守番していたテディベアにただいまー!と言ってぎゅっと抱き締めた。
「鶴さん、この子、僕の家の子にしていいの?」
「勿論いいぞ。その子は『子供』の君の味方で、相方だ。ずっと、大事にしてあげてくれ」
「わーい!後で名前もつけてあげなきゃ。あ、そうだ、ねぇねぇ鶴さん、この車、また屋根開けてみて?自動で開くのすっごく格好良かった!開けて走ろう!」
「雪降ってるのにか!?冗談だろう!?」
「子供は風の子雪の子だもーん」
「大人デートなのに・・・・・・、それにこの車知人のだから汚すと怒られるんだよなぁ。・・・・・・仕方ない、可愛い君の為だ、やってやろうじやないか!」
「やったー!」
そうしてちらほら雪の降ってる空の下、オープンカーにして二人は街の中を走った。行き道では見れなかったイルミネーションを今度は十分堪能した。
しかし走っていくごとにイルミネーションの下で一つになっていく影が増えていき、それは何故なのかを鶴丸に聞いたところで鶴丸の寒さが限界に達したらしく屋根を閉められてしまった。窓も同じく。途端にイルミネーション達は窓の向こうの世界だ。
今まで身を乗り出すギリギリの所で見ていた光忠は、距離が出来た世界から助手席のシートに身を沈ませることを選んだ。急に沢山沢山はしゃいでいたせいか、なんだか眠たくなってきてしまった。今何時だろう。いつもは9時には眠りについている。もしかしたらもうそんな時間なのかもしれない。
「ぅ、ん・・・・・・」
「光忠、寝ても大丈夫だぞ。今日は俺の家に泊まって良いって、ちゃんと二人には許可とってる」
「ほん、と?すごい、つるさんどうやったの?ぼくが前に、言ったとき、ぜったいだめ、ていわ、れたのに、」
「そこはクリスマスと言うことで。サンタさんは大切な子供の笑顔を見るためなら涙も飲めるものさ。それは今回トナカイ役を引き受けてくれたサンタさんでも同じこと」
「サンタ、さん??そうだ、ぼく、さんたさんのおてがみにこまらせてごめんなさいってもういっかい、かかなくちゃ、おかしも、」
「だいじょーぶ。俺からちゃんと伝えておく。だから無理せず、もう寝な」
「うー・・・・・でも、ぅー」
眠いけど、助手席で一人眠るのは、という葛藤でぐずってしまう。半分以上眠りの世界に落ちているのに後ひとつ落ちきれない。「律儀な子だ」と面白そうに呟く鶴丸の声も厚い膜の外側だ。エンジン音も殆どない車内はその呟きを最後に無音のように光忠は感じた。
その感覚が一瞬、もしくはとても長い時間続いた後、急に自分の体がふわりと浮かんだような気がした。何とか薄く目を開くと、ネクタイを締めている鶴丸が目に入った。それが何故かすごく面白い。
「ふふ、つゆさんがネクタイしてるぅ。へんなのー」
「こりゃまた分り易く寝ぼけてるぞ・・・・・・。良かった布団敷いて出てきて、やっぱり9時半が限界だよな」
ゆらゆら揺れるのが心地良い。なんだか上機嫌になってしまう。鶴丸に抱っこされているという事実がそれに拍車をかけた。
「つゆさーん」
「はいはい何ですかー、っと着いたー。光忠、お布団着いたぞー」
揺れていた体がゆっくりと下に降りていく感覚がする。背中が先程までとは違うふかふかしたものに包まれた。
「光忠、ほら、手を離せ。もう寝て良いぞ。我慢するな」
「んー・・・・・・。つる、さん」
「はーい?」
「おやすみの、ちゅー、してー」
「・・・・・・」
優しい体温が離れがたくて、手を離さないまま言った。なんならこのまま鶴丸も一緒に眠れば良いのだ。ぎゅうと抱き締めあって眠れたらとても良い夢を見られそうだ。
「・・・・・・」
しかし鶴丸はずっと何も言わない。もう部屋を出ていったのだろうか。でも光忠は手を離していない気がするが、もう良く分からなくなってきた。
「・・・・・・大人のデート、だもんな?それに、大人にする方法なんていくらでもある」
声が近づいてきて、握りしめていた光忠の手をそれよりもずっと大きい何かに解かれる。その大きい何かは光忠の手を優しく布団に縫い付けた。光忠の頬にさらさらしたと何かがかすってくすぐったい。
ふ、と低くてでもふわふわの夢みたいに甘い笑みの息が耳に吹き込まれる。いつもと違う服装をしていても変わらない鶴丸の香りが急に近く濃く感じた。
「つるさ、ん・・・・・・。だぁい、すき」
「そんな甘い声を出して、良い子とはほど遠いな」
感情の一切読み取れない声。どんな顔をしているのだろうか。光忠はその顔を見なくちゃいけない気がした。けれどもう眠くて眠くて、目が開けられない。
「・・・・・・なんて、な。サンタさんからプレゼントを貰えるのは良い子だからだ。そして、サンタさんは良い子に子供が喜ぶプレゼントしか与えちゃいけない。だから、」
鶴丸のすべてが離れていくのを感じる。代わりにふかふか温かくて心地良い毛布が掛けられた。ふわぁと夢の世界に飛び立つ合図が口から溢れた。でも鶴丸が離れていくのはちょっと不満だ。片手を出して鶴丸を探す。
しかしその手はまた毛布の中へ仕舞われてしまった。ただ、それだけではなくて頭を優しく撫でる手も与えられる。
「おやすみ、光坊」
そして、ちゅっ、とおでこに優しい感触が降ってくる。光忠が望んだおやすみのちゅーだった。
「うん・・・・・・おやすみ、なさぁい。ありがとぉ、つるさんたさん・・・・・・」
その言葉を伝えた途端すぅと吸い込まれる様に夢の中へと落ちていった。
大人になった光忠が、大人な鶴丸を堂々とエスコートして二人で楽しくあの店で食事をしているクリスマスの夜の夢へと。
*
ぐぐぐーっと体が勝手に伸びをして、ふぐぐぅーっと声が出た。体が伸びきった所で今度は目がぱちりと開く。木目の天井。見慣れない天井。
ぱちりぱちり何度か瞬きしてもそれは変わらない。なんだかおかしく思えて、眠気を忘れて体をがばりと起こした。光忠の家は和室も多いが、光忠自身の部屋は洋風だ。いつもベッドで眠っている。しかし、起きた場所は布団の上。
「あれ?・・・・・・あ、そっか!」
キョロキョロと回りを見回すと、光忠の布団のすぐ側の畳の上に座っている可愛らしいテディベアがいた。その子と目があった途端光忠はすべてを思い出した。ここは鶴丸の家。そして昨日光忠は鶴丸と大人のデートをしたのだ。
「わぁ、・・・・・・わぁ~!」
昨日のことが嬉し恥ずかしくてテディベアを捕まえてぎゅむぎゅむと抱き締めた。埋めている顔がぽっぽっと熱い。実際体験していた時は、前半は緊張で、後半は喜びでよくわからないことになっていたが、一日経って思い返すと本当に夢みたいな出来事だった。
「鶴さん格好良かったなぁ・・・・・・君ももらっちゃったし、僕あんなにどきどきしたクリスマス初めて・・・・・・。大人ってすごいねぇ」
ねっ、と顔を離してテディベアの目を見ると、子供である光忠の相方は可愛らしい表情で同意を示した。この相方とはこれからも長い付き合いになりそうだ。だって光忠はまだまだ子供だから。
「サンタさん、お手紙とお菓子持っていってくれたかな。鶴さんがちゃんと言っててくれるって言ったけど、やっぱりあれだけじゃ悪いよ。今度ケーキ焼いて鶴さんから渡してもらおうかな」
テディベアを傍らに起きながらそんなことを考える。取り敢えず起きなければ。起きてまずは鶴丸に改めて昨日のお礼を言うことにしよう。
そう立ち上がろうとすると、テディベアが横向きに倒れている。畳の上ではなく布団の上だったから安定しなくて倒れてしまったのだろうか。
「あ、ごめんね・・・・・・どうしたの?」
ただ倒れているテディベアが何かをじっと見つめている気がした。何かを見つけたよとでも言いたげに。何故かそんな気がしたのだ。
視線を追いかけて光忠は背後を振り返る。あるのは自分が使っていた枕があるだけ、
「あれ?」
だったのだが、その枕の向こう。敷かれた布団の上に何やら包みがあった。急いで四つん這いで近づく。
「あれぇ!?」
二度目は甲高い声が出てしまった。その包みは、クリスマスツリーが描かれている緑と赤の包み紙で白いリボンが結ばれているものだったからだ。ちょっと不器用な感じで包装されているがクリスマスプレゼントに違いないと確信出来る見た目をしていた。
「サンタさん、もしかして別の子と間ちがったんじゃ・・・・・・!?でも、ここ、鶴さんのお家だからサンタさん知ってるだろうし」
リボンに挟まっているカードを見てみた。一言「光坊へ」と聞いてある。なんだかよく見たことのある字だ。こんな字で「締切日!」と書いてあるカレンダーやマス一杯埋められた原稿用紙を見たことある気がする。
どきどきを超えてばくばくしている気持ちのまま、急いででもなるべく丁寧に包みを開ける。大きく聞こえるがさがさが止まった頃光忠が手にしたのは一冊の本。作者を示すところには鶴丸の名前があった。
しかしその表紙のデザインもタイトルも、光忠が一度も見たことのないものだった。本屋でも、見本として貰った本が並んでいる鶴丸の本棚でも。
それに気がついて震える手で表紙を捲る。そんなに分厚い本ではない。目次にはひとつの本のタイトルと各章のタイトルがあった。
続けてページを捲る。早速お話が始まった。それを目で追っていく。ちらりと見たことのある今までの鶴丸の本とは違って、光忠はそこに書いてある漢字の全てが読めた。辞書を引かなくても分かる易しい単語ばかりだった。
そして、意味が分からなくても何となく感じるいつもの本の情景より、いつもの鶴丸の内面より、ずっとずっと優しい情景がその文章からは滲み出ていた。まるで鶴丸と光忠が二人で手を繋いだまま見る、世界の表情みたいに。
「っ―!」
光忠はそこで読み始めることなく、世界でたった一冊しかないその本を胸に抱いて部屋を飛び出した。
遠くから長い廊下をばたばた走ってくる子供の足音が聞こえ始めて、鶴丸はホットミルクを入れていた手を止めた。直接見ることは出来なかったが、それを見つけた時と、今の光忠の反応を想像して楽しげに笑う。
あと数秒で子供がこの部屋にきらきら輝く喜びの笑顔を飛び込ませたら、白いサンタは「ちょっと、大人になれただろ?」と温かいカップを差し出してその頭を撫でるのだ。