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 訪れた春に告ぐ

                     

 訪れたのは春だった。

 自室で洗濯物を畳み、手元に下げていた視線をなんとはなしにあげる。開け放たれた障子の向こう側。見える景色は柔らかな新緑で賑わい、薄紅に染まりたての蕾達が、早く木々を彩りたいと風に身を揺らしていた。

 こうして顔を上げるだけで、今年も本丸に春が訪れたのだと知ることが出来る。見える、というのは知る、ということに関して非常に重要なことだ。

 しかし、目に見えなくてもわかることも多い。さあと頬や髪を撫でていく風が、春の陽気を含んでいるのを感じられる様に。

 見えるものと、見えないもの。そのいくつものことが、こうして燭台切に沢山のことを教えてくれる。洗濯物を畳んでいるだけのこの時間も、新たな季節を感じられる素敵な時間だ。

「いつ頃桜が咲くかなぁ。重箱の準備しておかなくちゃ」

 

 自分でも上機嫌だとわかる声で一人喋る。

 燭台切が人の器を得て三度目の春。それぞれの四季を二度ずつ体験したが、燭台切は春が一番好きだ。もちろん夏も秋も冬も好き。旬の食べ物は一年を飽きさせないし、肌に感じる気温が変わるのも楽しい。夏は水が心地よくて、秋は夕焼けが美しく、冬は炬燵が恋しい。燭台切が四季を経験して知ったことだ。

 一年を彩る四季はどれも心が踊る。ただその中でも一等好きなのが、春。

 暖かく陽気で、淡い色合いがどこかしこに咲いている。雪の下からつくしや蕗の薹が顔を出して命の芽吹きを控えめに、けれど力強く教えてくれるのも、胸をことことと優しく鳴らしてくれる。

 

「春キャベツ、新じゃが、蕪、楽しみだなぁ」

 

 畑仕事にも精がでるというもの。春の野菜は育てるのも食べるのも楽しくてうきうきしてしまう。心の弾みは体にも影響が出るものだ。洗濯物を畳む速さが上がった気がする。

 

「伽羅ちゃんと貞ちゃんが帰ってきたら三色団子出してあげよう」

 

 春を表す三色団子。燭台切はあれが大好きだ。食べるのもだが、見るだけでも楽しめる。桜を表す薄紅、芽吹く命を表す緑。白は、何だったろう、ど忘れをしてしまった。

 自分手製の団子を嬉しそうに頬張る二人を思い描き、ますます春の訪れが嬉しくなっていた時、廊下から何かが、燭台切の部屋をひょっこり覗き込む。

 

「光坊ー」

 

 淡い色合いの中に新しく現れた色は改めて燭台切に一番好きな春をもたらす。心がほわっと春の陽気に染まる。

 

「鶴さん、どうしたんだい?」

 

 現れたのは本丸で生活を共にしている刀の一振り、鶴丸国永。時代は違うがお互い伊達に所属していたという縁からよく話すようになり、燭台切を弟分として大層可愛がってくれる刀だ。

 存在する年数は、燭台切が祖父の様に慕っている鶯丸に近いが、燭台切もまた鶴丸を心安い兄貴分として慕っている。

 お前達は本当に仲が良いな、と言ったのは誰だっただろう。伊達組と呼ばれる四人の時だけではなく、燭台切と鶴丸が二人だけでいる時にもそう言われるようになったのはいつからだろう。

 いつのまにか共通の仲間である大倶利伽羅や太鼓鐘がいなくてもこうして部屋を訪れるのがなんの不思議じゃないくらい、この二年間で鶴丸との絆を築き上げていた。

 

「光坊、今忙しいか?」

 

 鶴丸が燭台切の部屋の入り口に立って聞いてくる。

 

「ううん、忙しくはないよ」

「ちょっとばっかし、つきあってもらいたいんだが・・・・・・いいかい?」

「?うん、わかった」

 

 いつもなら、光坊ー!構ってくれー!とかなんとか、笑いながら燭台切の元にやって来て寄りかかったり、抱きついてきたり、膝を枕にして眠り始めたりするのに、今日の鶴丸は燭台切の部屋に入った所から動こうとしない。

 いつもと違う様子に首を傾げる。しかし鶴丸の表情に暗い影はない。少しばかり緊張している様にも見えるが、悪いものではなさそうに見える。もう二年程一緒にいるのだ、鶴丸に与えられた人の器の小さな変化だって、それが良いものか悪いものかくらい見分けられるようになった。それくらいずっと鶴丸と一緒だ。

 膝の上で畳んでいた太鼓鐘の小さな衣装を、崩れないようにそっと他の洗濯物に積み重ね、腰を上げた。

 そんなに広い部屋でもないので、数歩歩いて鶴丸の元へと到着する。身長差から燭台切は鶴丸を見下ろし、鶴丸は燭台切を見上げた。しっくりとくる視線の位置にはいつもと同じ明るい金色が二つある。

 

「付き合う、って買い物か何か?万屋にでも行くの?」

「万屋にも行きたかったが、今日は本丸の中だけだ」

「本丸の中を、付き合う?」

「そうだ。一緒に歩きたい。・・・・・・やはり忙しいか?」

 

 外に行くわけではなく、本丸内を一緒に歩きたいと鶴丸は言う。増築や模様替えなどがあり、この本丸が機能し始めた頃とまったく同じとは言い難いが、それでも二年以上生活している場所である。一人でぶらつくならまだしも、鶴丸と共に改めて本丸内を見て回る意味など何もないように思えた。 

 ただそれは、燭台切がそう思うだけで鶴丸には意味があることなのだろう。だからきっとこうして燭台切を誘って来たのだ。

隻眼だから、と言うわけではないが燭台切には見えないことも、鶴丸には見えていることが多い。自分が気づけないその部分を鶴丸はさりげなく補助してくれていることを知っている。そういう鶴丸を心から信頼している燭台切が、鶴丸の意味を疑う必要などない。

 考えを放棄している訳ではなくて、やはりそれも二年という月日で培った二人の関係故だ。

 だから燭台切にとって意味を見いだせないことも鶴丸に誘われれば、乗ってしまう。鶴丸に誘われた時点で意味がないものが意味のあることに変わるとも言える。

 今回もそうなった燭台切は「ううん、そんなことないよ。是非付き合わせてほしいな」となぜか自らも望むような言葉で返した。鶴丸と話していると時折こうして口が勝手に動く時があるのだが、今は自分の口を詰責する時ではない。なんでもないように鶴丸に微笑みかける。

 

「よかった、なら早速」

 

 微笑みに応えた鶴丸が視線を下げる。そして、自分の手袋を不意に外し始めた。ジャージ姿の燭台切と違い、鶴丸はいつもの衣装である。そこから手袋だけを取って、その白い手の全てを見せる。

 素手自体が珍しいわけではない。内番時はいつも素手だ、見慣れていると言えば見慣れている。

 ただ、この衣装で手袋だけ外すことが珍しく、また何故今手袋を外すのか、という疑問もあった。黙って鶴丸の行動を見る燭台切を、両手とも手袋を外し終わった鶴丸が見上げた。

 そして右手の掌を見せつけるように差し出す。

 

「さぁ、行こうか」

 

 そう言うものの、動かない。燭台切に掌を見せたまま。

 はて?と頭にハテナをひとつ浮かべた後、繋ぐ為に手を差し出されているのだと、ハッと気づく。

 二人で手を繋ぎ、本丸を歩くと鶴丸は態度で言っているのだ。

 本丸を歩くということは、当然他の仲間達とも会う。その際、鶴丸と燭台切が手を繋いでいたら皆どう思うだろう。それを考えると手を取るのに躊躇してしまう。

 一瞬動きを止めた燭台切に気づいている筈なのに、原因である鶴丸は動かない。手を引っ込めることも、燭台切の手を引っ張ることも。燭台切の行動を静かに待っている。

 そうだ。鶴丸はいつもこうだ。楽しいことや嬉しいことにはいつだって強引にでも巻き込むのに、燭台切が悩んだり、戸惑って立ち止まったりすると、いつも側で静かに待っていてくれる。そして燭台切が選びとった答えを、君が考えて考えて、出した結論ならそれでいい、と最後には肯定してくれるのだ。

 自由奔放に見えて人の選択をとても大切にしている鶴丸。今、燭台切は悩んでいる訳ではないが、差し出した手を取るかどうかは、鶴丸にとって大切にしたい燭台切の選択なのだろう。

 だから、他人の目を気にして鶴丸の手を取らない。なんて選択をすることは自分の気持ちも鶴丸の気持ちも蔑ろにすることだ。

 短い時間でそう結論つけて、燭台切は鶴丸と同じように自らの手袋を取り外す。手袋の下に特に何がある訳でもないのだが、滅多に取り外すことのない黒を、こんな理由で脱ぐのは不思議な感じがした。

 両手とも外して、差し出されている鶴丸の白い右手に、同じく白に生まれ変わった燭台切の左手を重ねる。そして、手を繋ぐ為だけに手袋を外す自分の行動の不思議さを潰すような強さで、ぎゅっと握った。

 鶴丸の顔を見ると、何故か少し驚いている顔をしていた。しかしすぐ、綻ぶ。体の何処かがしゅわしゅわと弾けてくすぐったい、そんな表情へ。

 その顔を見ていると、燭台切も同じ顔になりそうだ。もしかして手を通して伝染するものなのだろうか。

 鶴丸がぎゅっと燭台切の手を握り返す。出発だ、と号令に頷いて、二人で燭台切の部屋を後にした。

 先導する鶴丸から半歩程下がって、燭台切が後に続く。手はずっと繋がったまま。

 

「まずは畑から行くか」

 

 鶴丸が軽く振り返って言う。燭台切は鶴丸についていくだけだから、異論はない。同意を示す。縁側から共有の外履きに履き替えて二人で畑へと向かう。

 

「今日の当番は誰だったかな」

「鯰尾と江雪じゃなかったか」

「ああ、畑いじり好きな組だね」

 

 そんなことを話しているとすぐ畑に着く。陽の光を浴びたキャベツが葉を一生懸命自らへと巻き付けている途中なのが見て取れた。春なのに服を何枚も着込んでいるみたいだ。とそんな感想が浮かぶ。

 キャベツ畑の二面隣。蕪とラディッシュが植えられている畑では鯰尾と江雪が「江雪さーん!ほら、見てくださいミミズですよ!春ですね!」「そうですね・・・・・・今年も、いい土で、命が、喜んでいます・・・・・・」とほのぼの会話をしながら作業をしていた。

 

「今じゃすっかり当たり前になったが、最初畑当番を割り振られた時にゃ、驚いたなぁ」

 

 並んでその姿を眺めていた鶴丸が言った。

 

「鍬を振るって土を耕すんだぜ?刀が。何しに顕現したんだって思った」

「鶴さん、畑仕事好きじゃなかったもんね。僕と当番する時も、堆肥が臭い!それ持って近寄るな!って大騒ぎ。僕としては大好きな畑仕事、鶴さんと一緒に出来て張り切ってたんだけどな」

「だって、本当に、あの臭い苦手なんだぞ。花も蝶も鳥も見惚れて近寄ってきそうな伊達男が、その臭いの原因を持って満面の笑みで近づいて来てみろ、恐怖しかない」

 

 不面目そうにぼそぼそ口籠る姿に、汗を掻いてじりじり後退する鶴丸を思い出して吹き出してしまう。あの時の鶴丸の顔には確かに恐怖と何かしらの葛藤が現れていた。燭台切自身も、非常に珍しいものが見れたという思いと、可哀想にと思う気持ちで変な感じになったのをよく覚えている。

 とは言え、それは以前の事。最近の鶴丸は、堆肥を持って近寄っても逃げ出したりしない。僅かに顔を顰めるものの、手伝うと言って自分から近寄ってきてくれる。

 慣れた手つきで動き、鍬だって立派に使いこなしている。

 

「でも鶴さん、今はもう慣れたみたいだね。というか、むしろ畑仕事自体は楽しそうに見えるよ」

「刀が、畑仕事するのも悪くはないって思えるようになったのさ。あれだけ楽しそうに働くのを見続けてたらな」

 

 皆が?と聞く前に、鶴丸が突然「おーい!そこのお二人さん!」と畑当番二人に声をかける。その際繋いでいた手が、軽くグッと引かれた。抵抗を忘れていた体はその力に従い、半歩開いていた二人の距離を縮める。鶴丸と燭台切の腕が当たった瞬間、畑当番の二人が土を見ていた視線を上げてこちらを見る。

 

「今日の畑の番人に許可を貰いたいんだが、つまみ食いしていっていいかい!」

 

 燭台切と鶴丸の近さにかぽかんとしていた二人が、鶴丸の言葉にすぐ楽しげに笑った。

 

「どうぞー!実は俺たちもさっきしたんですよ、ねっ」

「はい・・・・・・春キャベツは、柔らかくて、美味しかった、ですね」

 

 顔を見合わせて頷きあっている二人から、燭台切の方を見つめ直し「さっ、許可も貰ったし」と鶴丸がキャベツの前にしゃがみこむ。今度も抵抗せず、それに倣った。

 二人の前のキャベツにそれぞれ空いている方の手を伸ばす。

 

「こっち、押さえてればいい?」

「ああ、優しくな。葉を二枚貰うだけだから」

 

 手を解けばそれで済むのに、とおかしく思うが口に出さないでおいた。実際手が離れれば、手袋に包まれていない素手が涼しすぎる気がするから。

 キャベツを軽く押さえる自分の右手と葉に伸ばす鶴丸の左手を見て、そういえば利き手が空いているということに気づけば尚更だ。ここが戦場でないとは言え何があるかは分からない。咄嗟の時、利き手が空いているかどうかは非常に重要になってくる。なのに、鶴丸は迷うことなく右手を燭台切に差し出した。

 思わず美しい横顔を見てしまう燭台切にも気づかないまま、鶴丸はキャベツに柔らかい視線を注いでいる。

 

「悪いな、そのしゃれてる着物、ちょいと貰うぜ」

 

 前は、野菜に話しかける燭台切に対して、変わったことしてるなぁと遠巻きにしていた鶴丸が、いつからか当然の様に野菜に話しかける様になっていた。人間はずっと側にいると、だんだんと似てくるらしい。なら、燭台切にも鶴丸に似てきた部分があるのだろうか。

 鶴丸がキャベツの柔らかい葉を指で拭う。土がついていない部分を確認して、葉を二枚剥がした。ぱき、と茎が瑞々しい音を立てる。

 

「ほい、光坊」

 

 一枚、燭台切の唇に触れる。素直に口を開いた。柔らかい葉としっかりとした茎が歯を立てる度にしゃくしゃくと耳に心地良く、また口の中に自然の甘さが広がる。

 やはり美味しく育っている。これでロールキャベツなんてどうだろうか。回鍋肉もいいかもしれない。知らず笑みが浮かぶ。

鶴丸には燭台切の考えがわかったのか自分のキャベツを手に持ったまま燭台切を見ている。

 

「はは、キャベツじゃあ、甘さも何もないな」

「ん?甘いよ?鶴さんも食べてみなよ」

「そういう意味じゃないんだが、いや、何でもない」

 

 一人だけ可笑しそうな態度を見せてキャベツを咥えた。ん、美味い。と機嫌良く言って、腰を上げる。

 

「俺は、ちぎりキャベツに君の特製ドレッシングがいいな」

 

 燭台切が立ち上がるのを待ちながら提案をされる。やはり考えが読まれていた。

 

「青じそ風味の和風ドレッシングでしょ?」

「よくわかったな」

「だってあのドレッシングの時が、一番美味しそうな顔してたもの」

 

 引っ張られてもいないのに腕同士を密着させた。鶴丸がぽかんと呆けた一瞬後、破顔する。

 

「よし、次だ。行こう」

「うん」

 

 畑当番二人にお礼を告げて次の場所へと向かう。

 鶴丸が向かったのは、出陣や遠征の出入り口になる時空の門の前。仲間達の出迎えかと思ったが、この時間に帰還予定の部隊はいなかった筈だ。大倶利伽羅と太鼓鐘の部隊もあと数時間はかかる。

 鶴丸は扉から些か離れた所で止まる。

 

「自分の手で、初めて敵を斬った時のことは忘れられないな」

「わかるよ」

「俺はやはりこの為に存在しているって、思った。ここが俺の居場所なんだって」

「そうだね。刀であることも何かを斬る為、体を貰ったのも何かを斬る為。僕たち、斬る為にここにいる。初めての戦場で、僕もそう思ったよ」

 

 慣れない人の体。燭台切はそれを楽しんでいる方とは言え、当初は人の身を得ていることに言い様のない不安が少なからずあった。

 その不安を抱えたまま向かった戦場で、初めて敵を斬った時は心底安心した。存在する意味が明確になり、ここにいていいんだと認められた気がした。自分が焼刀だからかと思っていたが、鶴丸にもその感覚があったらしい。存在しているのに斬らなければ実感出来ないなんて、刀とは難儀なものだ。

 

「でも、今は違う。だろ?」

「うん?」

「斬る為に存在してるが、斬る為だけに存在しているわけじゃないって、今はそう思ってる。戦場じゃなくてここが、俺の居場所なんだってさ」

 

 鶴丸が自身の右手を大きめに揺らした。握られているのは刀ではなく燭台切の左手だ。燭台切の右手には何もないが、さっき畑でついてしまった土の汚れが微かに残っている。生臭い血の匂いはなく眩しい生命の匂いを感じるような。

 

「刀の本分を忘れるなんて!って言うか?」

「言うと思う?」

「ふっ、いいや?戦場から血の匂いのしないここに戻ってくる俺に、刀に。満面の笑みで『おかえりなさい』って言うような君だぞ?今みたいに嬉しそうな顔をすると思ってた」

 

 そう言う鶴丸の方こそ嬉しそうにしている。

 

「でも、鶴さん戦場大好きだよね」

「勿論!君もだろ?」

「そりゃあ、刀だからね。今度、また一緒に出陣出来たらいいね」

 

 戦場で流麗に舞う鶴丸を思い出して、本気で願う。刀の本能に従う鶴丸は見惚れて立ち尽くしそうになる位美しい。

 

「うーん。そうなると戦場なのに、それこそ刀の本分を忘れそうになるからなあ、俺」

 

 まあ、それも悪くないんだが、戦場でしか見れない姿というのもあるし、とかなんとか首の後ろを掻きながらぶつぶつ呟き、そのまま歩き出す。ちょっと遅れて着いて行った。「そうだな!また一緒に行きたいな!」と言ってくれると思ったのに、芳しくない答えにひっそり拗ねる。

 

「どうした、、光坊?」

「何でもない!」

 

 拗ねるなんて格好悪いなと我に帰り、急いで鶴丸の横に並び立った。鶴丸といると認めたくない自分が顔を出す。それでも離れる気なんてさらさらないのだから、自分でも不思議だ。

 外を軽くぶらついて、二人でとりとめない話を続けた。途中で鶴丸が厨に行こうと目的を定めたので、建物内へ戻り、廊下を並んで歩く。

 

「俺、厨に行くこの廊下を歩くとうきうきするんだ」

 

 繋いでいる手をぐるんと一回転。子供染みた仕草がやけに似合う。

 

「歩くだけでうきうきするの?」

「そうさ!厨には、俺の心をときめかせるものが在る。だから、そこへ向かうこの廊下を歩く時点で、既に楽しいんだ」

 

 行動に見合う表情は年上ながら可愛いと思わせる。こんな顔で、みーつぼう!と厨に現れれば、きっと燭台切でなくても餌付けしたくなる筈だ。燭台切が厨にいる時、決まって餌をねだりに来る鶴丸を思い出してくすくすと声を立てる。

 

「?何で笑う?」

「いやぁ、鶴さんつまみ食いしに来る時、すっごく嬉しそうだから。きっと、この廊下を一人で歩いてる時も、おんなじ顔してるんだろうなぁって思ったら、なんか、可愛くて」

 

 一人にこにこ笑みを浮かべてここを歩く鶴丸が頭に浮かぶ。足取りも軽やかに。

 

「可愛、・・・・・・可愛くはないだろう」

「可愛いよ」

 

 照れているのか、ぶっきらぼうにも聞こえる声で否定されたが気にならない。可愛いし、嬉しかった。鶴丸が楽しい気持ちで向かう先に自分がいることが。

 鶴丸としては美味いものがあり、それを与えてくれるものが在る厨が好きなのであって、そこに燭台切がいるかどうかなんて関係ないだろう。だけど、燭台切は鶴丸が楽しい気持ちで歩くこの廊下の先に自分がいれることが嬉しい。

 鶴丸が楽しそうに顔を出すのが見たくて、餌をねだりに来てほしくて。何だかんだ厨に居座っている、そんな自分を不可解に思っていたが、これからもそうしようと密かに決めた。

 

「食いしん坊の鶴さん。僕以外の人、つまみ食いには厳しいかもしれないから気を付けてね」

 

 なんて、言ってみる。暗に、つまみ食いをねだるなら自分が厨にいる時にしろと。

 兄貴分を独占したがる気持ちを言ってしまった自分の恥を誤魔化したくて、繋いでいる手をぐるりと一回転。本当に子供染みているのは燭台切の方だ。

 一回転した手を、その勢いのまま鶴丸が一瞬解く。しかし、素手の熱が冷める間もなく、また繋ぎ合わされた。今度はお互いの一本一本の指が絡んだ状態で。

 

「つるさ、」

「俺がこの廊下をうきうきと歩くのは、」

 

 驚く子供に良いことを教える大人、みたいな微笑みを乗せた唇が動く。

 

「その先の厨に、心ときめくものが在る時だけさ。それ以外の時は出没しないから、安心しろ。例え腹が空いていてもな」

 

 厨に顔を出す時と同じ上機嫌さ。なのに、いつもと違うその顔付きが燭台切の足を止める。

 

「それ、どういう意味?」

「さぁて、どういう意味だろうなぁ」

「・・・・・・教えてくれないの?」

「後で教えるさ」

 

 だから、そんな顔しないでくれよ。言いたがりなこれが、さっきから喉まで迫り上がってるんだぜ?と、低い位置から鶴丸が額を突っついてくる。

 

「痛ぁ」

「はは、大袈裟」

「赤くなったらどうするんだい」

「前髪で隠れるだろ。それに額が赤い方が、その頬とか、耳が赤いのも誤魔化せるんじゃないか?」

 

 言葉に動かされてさっと耳と頬を片方だけ隠した。なぜ赤いのかはわからない。けれど鶴丸が言うのだから嘘ではない筈だ。

血色がよくなっているだろうそこを押さえてみても手に熱は余り伝わってこない。鶴丸と繋いでいる左手が、じんわりと汗を掻くほど熱いから、感じないだけかもしれないが。

 

「・・・・・・春になったばかりなのに、今日、暑い」

「はっはっは!本当にな!!」

 

 責任を季節に転嫁した。聞いた鶴丸が、笑い声を上げて同意する。鶴丸なら同意すると思った。繋いだ手の汗は二人分だと気づいていたから。

 風が吹く。その気温は心地よく、決して暑くない。目覚めたばかりの春が、暑いのは私達のせいじゃないわ、と抗議しているように感じる。言いがかりつけないで!と廊下に吹き込む風に追いたてられて、二人はまた廊下を歩きだした。

 そのまま厨に顔を出し、そこにいた堀川と歌仙からすごく微笑ましいものを見る眼差しを与えられることになった。鶴丸はそこでも話を始めようとしたが、理由がわからない居心地の悪さに、話もそこそこ、鶴丸の手を引きそそくさと厨を後にした。

 その後は二人でよく一緒に入った露天風呂へ。服を来たまま浴場で露店風呂を眺めるという稀有な体験をした。誰もいないそこで、そういえば最近一緒に入ってないね。と、感想を漏らす。厨でわたつく燭台切には笑っていた鶴丸が、何故か体をぎしっと固まらせて「衝動ってのは恐ろしいから」とよくわからない言葉を乳白色の湯に溶かした。

 いつも食事を摂る大広間と二人でも手合わせをした道場を覗き、それぞれ生死を彷徨った手入れ部屋に誰も入ってないことに安堵して、足を進めた。いつも伊達組で集まる太鼓鐘の部屋の前、よく廊下で待ち伏せした大倶利伽羅の部屋の前、悪戯を受けた反撃の為に皆で踏み込んだ鶴丸の部屋の前。歩きながら鶴丸が今まで起こった色々な話をする。と言っても鶴丸と一緒にいることが多い燭台切も知っていることばかりだったが。

 だけど鶴丸がその時何を思っていたか、今はどう思うのか、そんなことも交えながら話してくれるので、初めて知る出来事のように聞くことが出来た。

 

「僕が熱で倒れた時、鶴さん怒ってたんだ。通りで看病してくれてた時、笑顔が怖かった筈だよ」

「主の看病を寝ずにして、今度は自分がぶっ倒れれば、そりゃ怒りたくもなるだろうさ」

「だって、大事な僕らの主だよ?」

「一人で頑張りすぎたことに怒ったんだ。俺、結構短気なんだぜ?」

「嘘ばっかり」

「本当さ。ひとつのことに関しちゃ、そうなっちまった」

 

 燭台切の知らなかった鶴丸の思いを知るごとに、二人は出発地点で、到着地点である燭台切の部屋に近づいていた。

 最後の角を曲がって、今の話題が終わる前にとうとう燭台切の部屋に辿り着いた。

 

「とうちゃーく」

 

 二人で部屋の中に入り、立ったまま顔を見合わせる。

 

「探検、終わり?」

「終わり」

「そっか。・・・・・・結構経ってるね」

 

 時計を見る。この部屋を出発してから予想以上に時間が経っていた。

 床には畳み掛けの洗濯物。探検が終わったなら日常に戻らなければ。そう思うのに、繋いだ手を解く気になれない。汗で滑るのを何度も握り直して、結局指を絡めるために離した一瞬以外ずっと繋いだままだった、手。初めて直に触れた鶴丸の手が信じられないくらい馴染んでいるからこんなにも離しがたいのだろうか。たった数時間、繋いでいただけなのに離してしまうことがひどく惜しい。

 そう、たった数時間。数時間だけの探検は、けれどそれ以上の時間の経過を感じさせた。それこそ二年くらいの。燭台切が見てきたこと、見られなかったこと。知っていること、知らなかったこと。二年間、鶴丸に起きたことを凝縮して受け渡された、そんな錯覚。

 

「好いた相手がいるなら、」

 

 ありがとう、楽しかったと言ってしまえば手を離さなくちゃいけなくなる気がして、ただ立っていた燭台切に言葉が落とされる。

 

「一般的に告白ってものをするらしい。自分の心を相手に、差し出したり、するんだと」

 

 突然何を言い出すのか、咄嗟に言葉がでない燭台切も気にせず鶴丸は言葉を続ける。横に並び立っていた鶴丸がいつの間にか目の前に居て向き合う形になる。

 

「だが、心ってのは見えないだろ?そんなもんをさ、受け取ってください!ったって、きっと困る。だから出来るだけ、見えるようにしたかった。渡される心が、どうやって出来ていったか分かってほしかった。渡し損ねたくなくて、結構考えたんだぜ、これでも」

 

 今まで熱かった鶴丸の右手から熱が抜けている。なのに湿りが変わらない。緊張が燭台切にまで伝染しそうになる。

 

「それで、俺の心を育んだ場所を見せる為、心を変えた出来事を知ってもらう為に、今日こんな形で君を誘った。・・・・・・まぁ、実際歩いてみて、予想以上に俺の心が君で出来ていたと、自分も思い知らされることになったわけだが」

 

 そう言いつつ、鶴丸が耳をほんのり染める。照れている。頭をがりがり片手で掻いてそれを表すのに、唇は嬉しさを噛み締めているようにも見えた。

 凝視する燭台切をちらりと見て、手を解く。あ、と残念そうな音に応えるように、解かれた左手はそのまま鶴丸の左手に乗せられて、さらに鶴丸の右手が重ねられた。

 

「君が、楽しそうに働く姿は、俺の意識を変えさせる。君の、『おかえりなさい』という言葉は、平和な日常に俺の居場所を与えてくれる。君が、そこにいると思えば、そこに至るまでの何でもない道が楽しくなる」

 

 瞼を軽く閉じて穏やかな回顧だと分かる声色。

 

「折れる寸前だった君が手入れ部屋から出てきた時、嬉しいのに泣き叫びそうになった。主の看病で倒れた時、余りの心配に怒りが湧いた」

 

 長い白銀の睫毛の中。うっすら開くそこには難しい金が光っている。

 

「君が優しくするのは俺だけならいいのに、なんて考えて自己嫌悪に何度も陥った。君の肌に触れられたらとか、まぁ、その、色々抗えない衝動を知った」

 

 後ろめたそうに顔を背ける。

 

「君の笑顔が、嬉しくて、なのに胸が締め付けられる。側にいるのに言いようもなく寂しい時がある。こうして、手を繋いでいるのに不安になって、終わりばかりを想像してしまう」

 

 焦がれているのに近づけない、そんな距離が開いている。

 

「何もいらない、君を想うだけでいい。差し出した手も気まぐれに取ってくれるだけで満たされる。そう思ってた。だが、君は同じように手袋を外して、同じ力で握り返してくれる。そういう君にだから、俺はちょっと欲張りになってしまって、俺と同じように君にも俺を思って、ほしいとか、今は思ってる」

 

 鶴丸の素手が、燭台切の素手を撫でる。

 

「光坊、みつただ、」

「な、に」

 

 喉が詰まって、返事もまともに出来やしない。

 

「色んなことが作り上げた、こういう俺の心を、君だけに捧げたいんだ。だから、今日見たり、感じた俺の心を思い出しながら、聞いてほしい」

 

 耳が赤いまま、視線を少し彷徨かせて。

 

「俺、君が、」

 

 けど、すぐ、軽く息を吸った。今、息を止めている燭台切の分まで。

そ のまま唇をニッと引いて息と共に声を張り上げた。

 

「君が、大好きだ!」

 

 そう叫んだ。そのままくしゃっと笑う。心を告げた側であるはずの鶴丸が、それはそれは嬉しそうに。

 心は目に見えない。けど、見えるその笑顔は、鶴丸がどれほど燭台切を思っているのか教えてくれる。鶴丸の言葉もそうだ、握っている手の熱さもそうだ。

 全てが鶴丸の心を、燭台切に教えてくれる。受け取り損ね様がない位、明確に、はっきりと。

 燭台切の中でしゅわしゅわと胸の奥がくすぐったく弾ける。鶴丸の言葉がその奥に染み込んでいく程に弾ける音は大きくなり、やがてぱちん!と鳴った。目が覚めるような感覚は、今まで霞がかかっていたその中のものを、言葉として形作る。

 その言葉が咄嗟に出てきそうになって慌てて閉じた。このまま反射の様に溢してしまいたくない。燭台切はいつだって、鶴丸が与えてくれるものと同じだけ、本当はそれ以上のものを鶴丸に返したいと思っている。この弾けた小さな泡のひとつひとつだって全部、鶴丸に受け取ってもらいたい。

 

「鶴さん、」

 

 恥ずかしさからか、それとも喉まで上がっていた言葉をやっと言えた喜びからか。鶴丸が今度は頬まで赤くしている。

 緊張もおさまり、燭台切の手を挟んでいる鶴丸の両手もまた熱さを取り戻している。その一番上にある鶴丸の右手に、燭台切の右手を重ねた。

 

「あのね、鶴さん」

「・・・・・・なんだい」

「もう一周、付き合ってもらっていいかな。一緒に本丸の中、歩きたいんだ」

 

 鶴丸がキョトンと目を開く。

 

「たぶん、見て回るところ、鶴さんとほとんど同じだし、話す出来事もね、そう変わらないと思うんだ。だけど、今度はその時僕がどう思ったか、今はどう思うか、そういうのを、僕が話すから」

 

 自分の手料理を振る舞う時、一番に鶴丸の反応を見てしまう自分を。戦場での美しさに、一度でいいから斬られてみたいとか考えてしまう、否定したくなる自分を。いつつまみ食いに来てくれるだろうと何でもない時間をどきどき過ごす自分を。

 ずっと気づかないで持ったままだった気持ちも、今日鶴丸と一緒に歩いた時に考えていたことも含めて全部、燭台切の心を作った場所を見て回りながら話そう。

 

「もう一回、この部屋に帰ってきて、貴方の大好きがどれだけ嬉しかったか、捧げてくれた貴方の心を僕がどんな気持ちで受け取ったのか話した後。その後にね、今度は僕の心を、貴方に差し出させてください」

 

 今、喉に迫り上がっている、鶴丸がさっき言ってくれたのと同じ言葉を、本丸一周分くらい我慢してみせよう。この心を少しでも明確に知ってもらった後まで。

 だってこんなに溢れそうで、きらきらした気持ち、鶴丸を思うからこそ苦しくなる気持ち。全部明け渡したいこの心。知らせないまま、知らないまま、「僕も同じ気持ち!貴方が大好きだよ!」と答えるなんて燭台切も鶴丸も絶対損だから、とか強気に思ってみる。

 今の今までぽかんとしていても美しかった顔が、うぐぐと呻いて赤い頬のまま心底弱り果てる。

 

「俺の予想を超える答え且つ、同じものを返そうとする実に君らしい答えだが・・・・・・はあぁ~~~~抱き締めたい・・・・・・今すぐぎゅっと抱き締めてもう、あー、もう、もう、光坊ー、」

「あはは、鶴さん、文章になってないよ。僕の心を知った上で、それを受け取ってくれたら、いくらでもどうぞ」

「わかりきっている結果を先伸ばしにするのは如何なものか・・・・・・」

 

 そう言いつつ鶴丸は握り合っている手を振り解いたりしない。鶴丸はいつもそうだ。燭台切の選択を大事にしてくれる。

 

「本丸一周分くらい、我慢できるでしょ?」

「君には一周分でも、俺には二年分だ・・・・・・」

 

 えっ、と固まる。鶴丸もは、と固まった。

「え、いや、俺が来たの、二年より少し前で、だけどやっぱり春が始まったばかりで。顕現したばかりの俺は近侍にここも案内されて」

 

 思い返す。今から二回前の、春が始まったばかりの季節を。

 

「君は今の格好で、同じ様に洗濯物畳んでた。刀が何を。って思ったの、すごく覚えてる。その時、桜が舞っていたのも」

 

 薄紅になったばかりの蕾、生まれかわった緑。そこに突如現れた白。三色食団子と同じ色合いだと確かにその時思った。

 

「でも、今日みたいな季節はまだ桜が咲いてなくて、よく考えたらあれ、君を一目見た時に内から出てきた俺の桜の花びらだったのかなぁとか、君を誘いに来た時ちょっと思ったり、あれ、俺今すごく恥ずかしいこと言ってる?」

「かなりね!!!」

 

 勝手に狼狽える紅白鶴に釣られない様呆れてみせる。だけど燭台切はいつだって同じものを鶴丸に返したいので付け加えた。握り合ってる両手を外して、また片方ずつだけを繋ぎながら。

 

「僕ね、春が一番好きなんだ」

「?知ってるぜ、前に言ってたし。だから三色団子も好きなんだろ?見てると春が来たみたいで心がほわっとなるん、だったっけか?食べるのが好きってなら分かるのに変わってるなぁ、って思ったからな」

「それって何でなんだろうね?」

「何で、とは?」

「春は出会いの季節だよね。それでもって、三色団子は桜を表す薄紅と、新しく芽吹いた緑と?」

「まさか・・・・・・」

 

 春が好きって、春が一番好きなのって、二年前に、と声を震わせる白に、唇をニッと引く。

 

「さあ鶴さん、行こうか。出発!」

「なあ、軽い筈の一発目にしちゃ、すごいハートを撃ち抜くんだが!?これ、今から本丸一周分続くのか?生殺し!?」

 

 歩き出す燭台切に抗議しようとその場で立ち止まるが、結局強い力に抗えず鶴丸も半ば引きずられる形で足を踏み出し、燭台切の横へ並び立つ。

 わあわあと焦る声と、大きく笑う声を揃えて本日二周目の本丸巡りへと出立した。

 二人が居なくなった部屋に、外には蕾しかない筈の桜の花弁がひらひらと、舞い落ちた。同じ色、同じ形の薄紅が二枚。

 二人がいた場所へと落ちたその花弁は目に見える分、見えない心よりも雄弁だ。たった二枚、別々の二人から生まれた二枚。同じ形、同じ色をしたそれが重なるだけで、二人の喜びどころか未来のことまで告げていた。

 これから先もずっと、二人が同じ力で、同じ思いで、手を繋ぎ隣を歩いていくのだと。

 訪れた春に、告げていた。

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