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 己の右足と光忠の左足。その丁度中間で、きゅっと蝶々が結ばれた。赤い紐で作られた蝶々は、太さが違う二本の足を決して離さない為の最後の要だ。もっとも、万が一蝶々が解けてしまってもその前の段階で何重にもぐるぐると縛っているので二本の足はそう簡単には離れられない。

「よしっ、出来た!」

 前方に折っていた上半身を伸ばしながら完成の声を上げた。今さら蝶々が上下逆さまに結ばれていることに気づいたが、完成には間違いないだろう。

「こ、れはまた・・・・・・、随分としっかり結んだね」

 頭の位置が元に戻った鶴丸とは逆に、結ばれた左足の持ち主である光忠が足元を覗き込む。その横顔は苦笑いだ。

 

「すまんすまん。君と寸分でも離れたくない心情が表れてしまったみたいだ」

「そういえば僕が喜ぶと分かってるんだろう」

 

 執り成されたと思った光忠がもう、と大分分かりにくい程度に口を尖らせる。鶴丸は素直な気持ちで謝罪しただけなのに、理不尽なお叱りが可愛いやらちょろすぎて心配になるやら。

 

「いやぁ、本心本心。それに緩めると却って危ないんだぜ?」

「それはそうかもしれないけど、これは過剰な気がするよ」

「何言ってるんだ光坊!これはただの二人三脚じゃない!夫婦二人三脚だぞ!?」

「だからそれはこういう物理的なことじゃないんだよ・・・・・・」

 

 胸を張る鶴丸に、光忠はがくりと項垂れる。

 今日は11月22日。出陣のない鶴丸にとって、折れて命日になることもない、時空の狭間に取り残されることもない、平和がほぼ確定された一日であった。

 実際、万屋への買い出しを頼まれて快諾するくらい今日は平和で、買い出しして気分転換の後、午後から驚きへと動きだそうと考えていた。

 数名の暇刃もとい好奇心強めの刀達と連れ立って万屋がある商店街へと赴いた。頼まれ物や土産の菓子やら両手に持ち、さて、帰ろうかと声を掛け合った時。一振りの刀が茶屋の貼り紙に気がついた。

 

【本日良い夫婦の日。ご夫婦でご来店だと二割引】

 

 聞けば今日の11月22日は、語呂合わせで『良い夫婦の日』なのだと言う。二人三脚で生きてきた夫婦達の為の記念日らしい。

何でもない日を数字の並びだけで意味を見出だし、それを楽しむなんて人間らしいと皆で微笑ましく会話しながら帰ってきたのが数十分前。

 そんな話を聞いたからには午後の予定を変更せざるを得ない。荷物やらを届けて早々結い紐片手に、馬当番を終え自室で一服している光忠の所へ突撃した。「今日は良い夫婦の日だから二人三脚しようぜ光坊!」と。

 光忠は当然脈絡のない鶴丸の提案を却下したが、例にもよって鶴丸の望みを断りきることが出来なかった。基本的に光忠は鶴丸に激甘だ。

 こうして光忠の部屋の前。人目も憚らず夫婦二人三脚の出来上がりである。

 

「分かっちゃいたが足長いなぁ、君」

「そう?身長が高い分そう見えるだけじゃないかな?」

 

 横に並んだ二つの体はぴたりと密着している。すると腰の高さの違いも明らかで、光忠の足の長さが際立った。それを指摘すると光忠はきょとんと鶴丸を見返す。この調子だと、時々謙信が足八本の檻に閉じ込められていることにも気づいてなさそうだ。

 うーん、といまいち納得してない光忠が自分自身と鶴丸の足の長さを何度も見比べる。すると突然、あ、と何かを思いついた様に声を上げた。

 

「なんだ?どうかしたか?」

 

 声をかけると整った顔がにや、と笑う。光忠があんな風に笑うようになったのはあんたのせいだ、と大倶利伽羅お墨付きの悪戯っ子の笑みだ。驚きには聡いと自負している鶴丸だが、光忠のこの笑みから生じることはいつも先読み出来ない。お陰で大喜びで乗っかるべきか、一目散に逃げ出すべきか判断出来ないのがちょっとした悩みだったりする。

 

「鶴さん、鶴さん」

「な、なんだ」

「右足上げて。力入れないで僕に合わせてね」

「あ、ああ」

 

 言われた通り、縛られた右足を光忠の左足に合わせて上げる。そして光忠の左足がそのままゆっくり廊下の床へ一歩踏み出す様に降りるのでそれに寄り添う。一歩踏み出しただけ?と思った鶴丸も気にせず、光忠の左足は爪先を上げる。鶴丸の右足は慌ててそれに倣った。

 赤い紐に幾重にも縛られた二本の足。その足が踵を軸にじわじわと前に進んでいく。

 

「光坊?何がしたいんだ?」

 鶴丸が問いかけても光忠はふふ、と笑うだけ。至極楽しそうな横顔なのに何となく嫌な予感がする。そしてその予感はすぐ思い至った。

 

「まさか!ば、馬鹿!やめろ!」

「今さら気づいても遅いよ」

 

 最初は小さな一歩だったのに、気づけば鶴丸と光忠は廊下に大きな一歩を踏み出していた。比喩ではない物理的な話だ。その一歩は鶴丸の歩幅で考えたら精一杯。けれど、隣の足長族には悠々とした一歩だ。光忠はまだ余力がある。このまま二本の足が前に進んでいけばどうなるか、想像は容易い。

 

「光坊!光忠様!どうかご勘弁を!」

「どうしようかな~。この間も僕の大事な菜園を貞ちゃんと一緒に遊び場にしてくれたもんなぁ」

「謝っただろ!?」

「そうだったっけ?」

 

 必死に弁解しても、光忠はやはり楽しげなまま無慈悲に足を進める。じわじわと自分の限界に進んでいく感覚が拷問の“車裂き”を頭に過らせる。

 

「僕の枕を勝手にyes・no枕に変えたり」

「それも謝った!」

「僕の頬に『つるまるくにながのもの』って油性のマジックで書いたり」

「あ、や、ま、り、ま、し、た!しかも罰として『ぼくの♡』って頬に書かれた状態で演練場にまで行かされた!!お陰で俺は他の本丸の奴らから、俺の相手が誰なのか賭け事の道具にされたんだぞ!」

「そういえば、今朝目が覚めたら下着穿いてなかったんだよね、僕」

「それもあやま!!・・・・・・ってないな。と、いうかあれ?それ俺だったって言ったか?今日、起きてる君と顔合わせたのさっき、・・・・・・はっ!」

 

 気づいた鶴丸に光忠は笑みを深める。今度はにや、ではなく慈愛に満ちた聖母の様な微笑み。思わず体が震えるのは騙された怒りからではない。

 

「は、謀ったな光坊!」

「はい残念」

「い、いっだだだだだだ!股が裂ける股が裂ける股が裂ける!!!」

 

 光忠は踵を比較的大きく滑らせた。当然ながら前方へ。それを認識する前に股関節の痛みが大きく声を上げさせた。体は固い方ではないのだが、極端に柔らかいこともない。鋼の存在で体が柔らかすぎるというのも違和感しかないが、鶴丸が雑技団に所属していればこんな痛みを味わうこともなかっただろう。

 三日月や鶯丸が内番を休む際、腰を痛めたと口にする。鶴丸はそれを信じてはいないが、もし真実だとしても戦場であれほど深い傷を負っても悠々笑っている二振りが腰の痛みで動けないとは可笑しな話だと思っていた。

 しかし体験してみて分かる。体の内部から痛みは外からの痛みと違い、痛む部分から身体が瓦解しそうで恐ろしい。

 

「謝る!ちゃんと謝るから!悪かった!今度から据え膳で我慢しないで、ちゃんと最後まで手を出す!二度と君に、寝込みを襲われなかったなんて寂しい思いをさせない!!すまなかった!!」

「そういうことじゃないんだけどなぁ」

 

 と言いつつも光忠は前方に滑らせていた足を止め、元の歩幅に狭めてくれた。ほっと息が緩まる。やはり拷問だったらしい行為を中断した光忠は右手を腰に当てて言い聞かせ顔を向けてくる。

 

「あれさ、自分が単に穿き忘れたのかどうか分からなくて地味に混乱するから止めて欲しいんだよ。僕も若くないしとうとうボケたのかなって」

「安心しろ光坊、その時は俺が介護してやるからな」

「老老介護について話し合ってるわけじゃないんだけど・・・・・・」

 

 分かってないと言いたげに光忠は首を振る。比較的良くあるやり取りだ。光忠にとって鶴丸は理解しがたい部分が多々ある様だ。常日頃の言動も、様々なものの考え方も。

 人で言うところの夫婦に限りなく近い関係になった今ではあるが、思考等の不一致のせいでその関係に至るまでは紆余曲折あった。鶴丸の好意を伴った行為が光忠に伝わらなかったことは両手の指を折っても足りない。気恥ずかしくて遠回しに言った告白の数々は遠回りしたまま結局違う着地点に落ち着くばかりだったし。直接的な告白をするまでは苦労ばかりだった。

 後から光忠から聞いた話だと、光忠は光忠でまったく同じような状況だったとのことだ。はて?と当時の光忠の言動を思い返してみて漸く、ああ。あれはそういうことだったのかと思い至った。決定的に何かがずれているのだろう、お互い。

 そんなちぐはぐな二人ではあるが、光忠は光忠なりに鶴丸を理解しようと歩み寄ってくれる。こうして突拍子ない提案にも付き合い、鶴丸の性質に染まり似た部分も出てきた。それでもやはり理解出来ない部分の方が多いらしい。

 お互いそのちぐはぐささえ愛しく思っていることはわかっているのだが、二人三脚ともなればそのちぐはぐさに足をとられる日もあるだろう。それで二人で倒れるだけならまだしも、幾重にも縛られた赤い糸に亀裂が入りぷつりと切れてしまうこともあるかもしれない。

 勿論、鶴丸がそれを望む筈がない。だから鶴丸はいつも光忠に謝る側になってしまう。惚れた方の負け、とはよく言ったものだ。

「俺って健気だよなぁ」

「何だい突然。老老介護の話の続き?」

「違う違う!君の尻に敷かれるなら本望って話さ」

「まるでカカア天下だと言わんばかりだね。まともなことしか言ってないよ、僕。大体鶴さんの驚きさ、最近僕絡みばかりなの自覚してるかい?前はもっと本丸中に驚きを振り撒いてたじゃないか。その原因を僕なりに考えてみたんだけど、鶴さんが・・・・・・」

 

 反省の色が薄まった鶴丸に、とうとう説教の色を濃くして光忠が話始める。鶴丸は光忠の声も好きだからこの説教に嫌気をさして逃げることもない。光忠の叱り顔も好きなので態度だけは真面目に光忠の話を聞いている。常日頃からそんな態度なので、逃げることのできない二人三脚が説教の好機だというわけでもないのだが。むしろこの状況でよく説教を始めたなと思う。

 恐らく光忠は二人三脚中だということも頭から抜けているのだろう。光忠は少しばかり抜けている所がある。それに気づくのは身内ばかりだけれど。

「鶴さんは自分の好きなものに傾倒し過ぎる所があるだろう。僕はそのお陰で嬉しいことばかりだけど、でもこのまま鶴さんの愛すべき驚きが僕にだけ費やされていくのは、」

 

 つらつらと光忠の話は続く。長説教している姿も可愛くて、うんうんと相槌をいれていると、おーい!と溌剌とした声が聞こえた。

 二振りで同時に声をした方に顔を向ければ、廊下前方――別棟とを繋いでいる渡り廊下の方から愛染がこちらに向かって大きく手を振っていた。隣には蛍丸と、一歩下がって明石が立っている。

 

「燭台切ー!今から台所使ってもいいかー!?」

 

 どうやら厨使用の打診らしい。今日は歌仙と小豆が遠征の為、光忠さえ使わなければ厨は使用できる筈だ。光忠が右手も大きく振り返す。

 

「大丈夫だよー!」

「サンキュー!」

 そう言って愛染は明石の右手を、蛍丸は左手を取って歩き出す。明石に間食でも作ってもらうのかもしれない。明石は面倒臭そうに二人に引っ張られていく。だが顔はまんざらでもなさそうだ。

 光忠もそう思い至ったのだろう。説教を再開させることなく、三振りが見えなくなるまで微笑ましそうにその光景を見守っていた。しかし、一呼吸後「そういえば」と無意識気に呟いた。

「排水溝かごの生ごみ、水気切ってるんだった。三振りが使う前に捨ててあげなきゃ」

「それくらいあいつらがするだろう」

「うん。だけど僕が後でしようと思って残してきたことだからさ。それをさせるのはちょっと申し訳ないよ」

 

 光忠は当たり前の顔でそう言った。そもそも厨の管理だって自主的にしていることで、光忠の義務でもなんでもない。むしろ排水溝のゴミぐらい気付いた奴が捨ててくれと言ってもいいくらいなのに。

 

「ついでにお茶煎れなおしてくるよ。鶴さんも一緒にお茶しよう」

「そうだな。そうするか」

 

 にこっと笑って、これからの二振りの時間を提案されればもう止める気もしなかった。ただ、二人三脚のままだから鶴丸も一緒に行くべきかこの足をほどくか一瞬迷う。

 

「じゃあ、鶴さんは部屋で待っててね。ちょっと行ってくるから」

 

 光忠は即決で二振りが別れることを選んだ。確かに光忠なら二人三脚で本丸の中を歩き回るとは思えない。だから、鶴丸も疑問には思わなかった。光忠がその場に屈むのではなく、そのまま歩き出そうとするまでは。

 縛られた方の足が引かれる感覚がしてから気づいたものだから反応が一瞬遅れた。

 

「お、おい光坊!足!紐!」

「え?うわっ!?」

 

 足が拘束されている自覚がある鶴丸と違って、光忠はその状況がすこんと頭から抜け落ちていた。踏み出そうとしている足が前に進まず、頭で考えていた重心の移動に失敗してしまえば体幹がしっかりしている光忠でも体がぐらつくのは仕方がないことだ。

 移動できなかった重心に引かれて背面に倒れそうになる体躯に咄嗟に手が伸びる。思慮が抜けた手は随分乱暴な手つきでその黒い腰を抱き支え、重心の分散を防ぐ為に己の方へ強引に引き寄せた。

 

「お、っと!・・・・・・ふー、危ない危ない。こら、光坊。君二人三脚中だってことすっかり忘れてただろ。うっかりさんめ」

 

 体勢を立て直し、鶴丸に腰を抱かれたままの光忠の顔が正面にある。咄嗟のことで加減が出来なかった強い力が、縛られたままの足を軸に光忠の体を半回転させ、向かい合う形にさせた様だ。光忠が鶴丸の左肩に両手を添えているのも体が正面からぶつかるのを反射で防ごうとした為だろう。

 この状況で鶴丸が踏ん張りきれなくても鶴丸が下敷きになるだけだったので、光忠に怪我などなかっただろうが倒れないに越したことはない。自分の踏ん張りに内心安堵しながら目の前の顔に手を伸ばした。

 めっ、といつもされていることを、腰を抱いていない方の指で再現する。鼻をちょん、と指先で押された光忠は未だ何が起こったか分からない様子でぱちぱちとひとつ目で瞬きを繰り返している。

 しかし白い首からじわじわと赤いものが昇っていく。それが片方だけの目元も染めた時、光忠が鶴丸の左肩に添えていた自分の両手に顔を伏せた。

 今更、自分自身のうっかりに気づき恥ずかしくなったのだろう。先ほど光忠の鼻を押していた方の手で、励ます様にぽんぽんとふせたままの後頭部を叩いてやった。

 

「あー・・・・・・。そうそう、元はと言えば俺がふざけたことを始めたのが悪かったな。すまんすまん。窮屈だったろう、今ほどいてやるから」

 身内しか気づけない光忠の抜けている所も鶴丸にとっては愛しさしかないが、今それを愛でるのは酷だろう。伴侶の矜持を守るのもまた伴侶の勤めというものだ。

 鶴丸がもはや抱きしめている状態を解こうとすると、恥のせいか服越しでも熱くなっているのが分かる体がもぞっと動いた。そして「あの、」と鶴丸の耳元で声がした。

 

「どうした光坊?」

「必ず、後で厨の三振りには生ごみをそのままにしててごめんねって謝るし、鶴さんのお茶もちゃんと煎れるから」

「あ、ああ」

「だからもう少しこのまま、じゃだめ、かな」

 

 予想外の言葉に思わず言葉が詰まった。光忠はお構いなしに、甘える仕草で伏せたままの側頭部を鶴丸の首筋に擦り付ける。廊下なんて開けた場所でこんな事を言い出す光忠にどぎまぎする鶴丸を余所に。

 

「鶴さん、こうなること分かってて二人三脚なんて言い出したのかい?」

「い、いや。というか何が君の琴線に触れたのかまったくわからん」

「だろうね」

 

 ふっと、笑いの息が吐かれてそのままくすくすと楽し気に光忠が体を揺らす。その笑いの理由もいまいちわからない。理由を聞こうと見えない光忠の顔を覗き込む様に首を傾げる。その気配に気付いたのか光忠が僅かに顔を上げる。顔の位置はまだ鶴丸の肩口に在る為、少し上目遣い。

 

「二人三脚なんて言っても、鶴さんがその気になれば僕は貴方の意のままになってしまう、心身共にね。それを改めて教えたかったのかと思っただけさ」

「君が俺の意のままになる?そいつは大きな誤解だな」

 

 二人三脚状態になってからの数十分間。鶴丸の想像だにしないことばかり起こっている。今も、たったこれだけの仕草で鶴丸の心臓へ早い鼓動をもたらしている張本人が言える台詞ではない。

 

「君が俺の意のままになるなら、俺は君の気を引く為の余力を他へ回せるんだろうがなぁ。君の尻に敷かれたいが為に俺はあの手この手さ。まさかこの健気さが君に伝わってないとは」

「相変わらずストレートに言わないと通じないんだね。まったく、片想いの時どれだけ苦労したか」

「いやいやいや!その自分だけが苦労しましたー的な言い方はおかしいぞ。絶対俺の方が、」

「つまりね。身も心も貴方にメロメロな僕が、こういう恥ずかしい態度を四六時中見せずに済んでるのは、鶴さんが僕の尻に敷かれてくれてるからってこと。いつも二人三脚の格好を取らせてくれてありがとうって言いたくなったんだよ、旦那様」

 

 そう言うと光忠が顔を近づけてくる。一層愉快そうに微笑んだ唇が言葉を途切れさせたままだった鶴丸の反論を塞いだ。

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