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赤い糸で縛って!

「本当にするの?」


 太陽が東から南の空へと移動中。昼というより朝に分類される時間だ。開けた障子窓からはキラキラとした光が差し、そのヴェールの向こうには澄み渡る青空が覗いている。爽やかな気候は畑仕事をするにしても、洗濯物を干すにしてもうってつけだ。今日は仕事がはかどるとうきうきしていたのだけれど。
 ジャージ姿で正座してる僕は、目の前に立つ鶴丸さんを見上げる。陽の光を浴びている全身白の鶴丸さんは仄かに発光しているようにも見える。夜の闇にいつも紛れてしまう僕とは正反対だ。
 発光している姿でも表情は見えるもので。にこにこと可愛らしい笑顔の少女らしさと、端正な顔立ちの美青年らしさを奇跡的に同居させているその顔立ちは、いつ見ても惚れ惚れとする。そう、例えそれが、手に赤い縄を持っている異様な状況であっても。

 

「主となる目的は違っても、練習はしなくちゃいけなくてな」
 

 何度か折った縄の両端を両手で握りビシッと引っ張る。縄が張った音というだけなのに、体がびくと反応してしまう。落ち着け、格好悪い、と心の内で呟く。

 


 何故こんな状況になったのか。時間は遡る。といってもついさっきのことだ。一人部屋を与えられている僕の部屋に鶴丸さんが突入してきた。それはいい、鶴丸さんと僕は、番いと、そう所謂恋人という者同士で、鶴丸さんが僕の部屋に来ること事態は珍しくない。鶴丸さんは倶利ちゃんと同室なので、恋人同士の逢い引きとなれば、必然と僕の部屋で交わされることになるわけだ。
 最初は倶利ちゃんと同室である鶴丸さんが羨ましかったし、いっそ三人部屋にしてくれと主に訴えたこともあったけど、純粋に部屋が空いていないという理由と、倶利ちゃんが二人も面倒見切れないと頑として拒否したため、実現することはなかった。まぁ、今となっては結果オーライ。だから全然寂しくなんてないさ。本当だよ。
 話がずれてしまった。そう、鶴丸さんの襲来自体はいいのだ。僕もちょうど部屋にいて、今日は何の仕事をしようかと考えていたところだった。爽やかな朝は心も爽やかにしてくれる。今日も働くぞー!とそれはそれは素敵な気分だったんだ。
 鶴丸さんが部屋の障子をすぱんと開けて、開口一番「おはよう光忠!縛らせてくれ!」というその時までは。

 

「おはよう、鶴丸さん。素敵な朝だね。こんな朝にそぐわない言葉と、その手に持っているものはなにかな?」
「よくぞ、聞いてくれたな!さすがは俺の光忠!」
「いや、聞くよね。この状況じゃ身の危険を感じずにはいられないもの」

 

 今となれば聞かなければよかったと思う。自ら聞かなければ、僕は今ごろ、真っ赤な実の可愛らしいお嬢さん達と太陽の下で甘い一時を過ごせていたかもしれない。そんなことを考えるのだが、スルーした僕に鶴丸さんがしょんぼりした顔をひとつ見せれば、結局同じことを聞いただろうなということがわかるので今のはまったく無意味な空想だ。
 

「これはな、主にお願いして買ってもらったものだ。今、主から荷物が届いたからと受け取ってきた」
「縄、だね。縄というものだから何かを縛るものだよね。何を縛るのかな?」
「未だ我が本丸にやってこない明石国行と、そして、君だ」

 

 うちの本丸に明石国行という刀は、顕現されていない。他の本丸では顕現されているようで、演練相手で見かけることがある。しかし、うちの本丸ではいまだにいないのだ。頑なに、こない。愛染くんと蛍丸くんを見つめて黄昏ている主の背中を、僕達はもう何か月も見ている。
 そこで、鶴丸さんは主に言ったそうだ。もう、無理矢理ふんじばって連れてこよう、と。待っているだけじゃ始まらない、これはもはや狩りなのだ、明石狩りだと強く主張した、らしい。俺が、明石を華麗に縛ってつれてくるから、跡のつかない縄を買ってくれ。跡がつくやつだと変なプレイだと思われるからな。そう言われて、なるほどわかった!とすぐ買ってしまう主の頭を心配せずには入られない。そんな話を鶴丸さんはしてくれた。
 そもそも、明石くんとやらが現れれば縛ることはできるだろうが、現れないからこんなに苦労しているわけだ。そして、第一に、鶴丸さんは夜戦要因ではまったくないため、そのチャンスは訪れない。なにか企んでるに違いないのだ。倶利ちゃんほど付き合いは長くなくても、恋人のことだ、多少はわかる。
 僕は鶴丸さんにわかっているんだからね、と言わんばかりに少し目を吊り上げて、

 

「本当は何が目的なんだい?」
 

 とすごんで見せた。怖い顔を作ってみせたはずだ。しかし、鶴丸さんはきゃぴっと、音が聞こえてきそうな笑顔で笑った。
 

「俺の飽くなき好奇心とかわいい恋人への愛情を満たすためさ!」
 

 その笑顔を見せられたら何を言っても無駄だとわかるくらいには鶴丸さんと一緒に過ごしてきた。僕は、今日の午前中の仕事を諦めてがくりと項垂れるしかなかったのだ。そして、今ここに至る。

 


「光忠は綺麗な黒だろう。肌は白いが、髪も、服も黒がよく似合う。そこに赤が入ればさぞかし綺麗だろうと思ったのさ」
「はぁ、」
「光忠に似合う赤をどのように取り入れるか迷ってな。紅を刺すのもいいが、花を添えてはどうか、血に染まるのもきっと美しいだろうし、夕焼けの中の君は泣きたくなるほどだろうと悩んだ。悩みぬいて、答えはでなかった。そこで俺はある人物に相談したのさ」

 

 それは相談された人も迷惑だったに違いない。きっと鶴丸さんのことだ、こんなふざけたことを大真面目に相談したに決まっている。美しい女性や、可愛らしい子供の話ならまだしも、男の姿を与えられている僕の話では、困っただろうなぁ、とその人物に心底同情した。
 

「そうしたら、そいつが縄で縛るはどうかと言ったんだ。俺は驚いた、いや本当だ。彼は天才とまで思ったぜ。しかも、明石国行を捕まえるのにも使ったら俺も幸せ、みんなも幸せ。まさにうぃんうぃんってやつだろう、とまで提案してくれてな、やるしかない!と、思ったんだ」
 

 鶴丸さんは、優しくて、美しくて、そして強い。恋人としての欲目を抜いたって、素敵な人だ。一振りの刀としても、彼のことを尊敬している。しかし、今ばかりは馬鹿だと思わずにはいられなかった。何で鶴丸さんは倶利ちゃんと僕のこととなると、こうなってしまうのだろう。
 しかしその人物もその人物で、おかしい。縛るという発想もどうかと思うが、明石くんについても無理がある。前にも思ったように、とにかく現れないのだ。一休さんの虎と同じで、縛れと言われれば縛ってみせる。さぁ、その明石をこちらに出してください、まさにそんな心境。どこか抜けているというかなんというか。

 

「鶴丸さん、その人誰?僕、ちょっと言っとくから。鶴丸さん本気にするから変なこと言わないで、って」
 

 何となく察しはついてる。三日月さんだろう。あの人はおちゃめで素敵な人だけど、天然なところもある。何より鶴丸さんを甘やかしたがるところがあるので、鶴丸さんからの相談になんとか答えようとこの案を捻り出したんだろう。しかし出した答えがよろしくない。悪気はないとわかっていても、今回のことは言っておかねば。たとえ三日月さんであっても。
 

「光忠!君は俺の為に、自分が祖父と慕っている鶯丸を叱ってくれると言うのか?やっと孫馬鹿卒業だな!」
「何言ってるんだい、鶴丸さん。おじいちゃんがそんなこと言うはずないだろ」
「おっと、爺に夢見る孫は未だ健在か」

 

 おじいちゃんは見た目も心も美しくて穏やかで、刀なのに争いを嫌う本当に優しい人だ。そんな、孫を縄で縛ってはどうかという人では断じてない。鶴丸さんったらまた適当なことを言って、仕方がない人。

 

「さて、それでは始めようか」
 

 正座を続ける僕の後ろで、膝立ちになった鶴丸さんが宣言する。実際、明石くんが現れたら縛るつもりはあるらしく、練習も兼ねているらしい。実際に縛るのは伝授された夜戦組の子達とのことだけど。ううん、絵面を考えて唸ってしまう。短刀くん達にさせるのは何となく嫌だな。青江くんなら、・・・・・・いや、もっとだめか。
 うーんうーんと考え込む僕に「大丈夫だ、怖くない」と笑いかける鶴丸さんは見当違いだ。でも、優しくしてもらうのに越したことはない。そしてさっさと終わらせてもらおう。上半身のみ縛るということなので、そこまでおかしなこともさせられないだろう。いや、縛られる時点でおかしなことなのだけど。

 

「後ろに手を回せるか?ああ、そうだ」
 

 背中で腕を組むとそのまま縄が通され軽く固定される。
 

「布を挟んだ方がいいらしいが、まぁ、激しく動くわけじゃないから大丈夫だろう。これも痕がつきにくい縄らしいしな」
 

 痛くないか?と聞かれてこくりと頷く。痛くない、痛くはないけどすごく緊張する。外からの陽がいっそう明るく差し込む。それなのに部屋に籠って何をしているんだ、僕は。晴れを悦ぶ鳥の声に罪悪感すらこみ上げてくる。
 その間も鶴丸さんは手早く縛り上げていく。後ろ手から流れてきた縄が上腕部を固定するように正面の鎖骨と胸の間に現れる。黒いジャージの上を這うその赤は鶴丸さんの手にあったときよりも艶やかに見える。
 自分の喉がごくりと鳴った。これじゃ、まるでたったこれだけのことに興奮してるみたいじゃないか。密着している鶴丸さんにも聞こえただろうが、鶴丸さんは言及しなかった。

 

「光忠、今からする縛り方は胸を強調するんだ」
「は?」
「君の豊満な胸が寄せて上げられて1カップ大きくなってしまうな!」
「怒るよ?」

 

 カップって現代の女性下着のサイズの単位だったはずだ。そんなもの一度たりともつけたことない。鶴丸さんは僕の胸がいたくお気に入りでよく豊満という表現を使う。女性の胸とは違うのだからやめてくれと何度もお願いするんだけど、未だに聞いてもらえない。
 僕の一言も、はははという笑い声ひとつで流してしまう。もう少し真剣に取り合ってくれてもいいと思うんだけどなぁ。思わず脱力してしまいそうになる。先ほどまでの雰囲気が払拭されたのはよかったけど。

 

「なんなら仕返ししてもいいんだぞ」
「仕返し?それって僕が鶴丸さんを縛るってこと?」
「そういうことだ。縄なら沢山あるしな。どれだけ明石が現れても捕まえきれる」

 

 どれだけ大量に買ったのだろうか、主は。経理担当の二人に少し怒られてしまえばいいのに。
 

「ああ、でも鶴丸さんも赤が映えるだろうね」
 

 鶴丸さんの色は白色だ。肌も、髪も、服もすべて白い。瞳の金色だけが、白く溶けてしまいそうな彼をこの世に留めているみたい。そんな鶴丸さんは、返り血を浴びては鶴みたいだと子供のように喜ぶ。どす黒い血を浴びている鶴丸さんを見ても、洗濯が大変だなぁとしか思っていなかったけど。この艶やかな赤ならば、それはさぞかし美しく映えるだろう。

――鶴丸さんの細い首に赤い縄がかかっている。白い服と肌の上を描くその色は扇情的だ。鶴丸さんはその色を味方につけて、蠱惑的に微笑む。唇が僕の名前を囁いた。それだけで僕は、鶴丸さんの膝に擦りよる。動けなくても、鶴丸さんは僕を翻弄するだろう。体の自由があるはずの僕は、彼の言葉に縛られて、そして、

「光忠、顔」
「ふぁい!?」
「爽やかな朝にそぐわない、ものほしそうな顔だな?」
「そんな顔、して、ません」
「ははは!君、こういう時のごまかしは下手くそだな。まぁ、なんだ。その遊びはまた後でな」

 

 今はまだ朝だからな。と、縄をもう一周ぐるりと胸の上に巻いて、からりと楽しそうに笑った。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 最初に固定された手首が上方左右から引っ張られるように感じる。自分で見ることが出来ないけど、手首を固定していた縄と胸の上を這っていた縄が固定されたのかもしれない。手首を軽く前後に動かそうとすると上腕部と胸を這っている縄が引っ張られる。
 

「まだ終わってないからな。強く引っ張らないでくれよ」
 

 鶴丸さんの真剣な声が聞こえる。そう、鶴丸さんは真剣だった。基本的に僕の後ろにいるため表情などはあまり見えないのだけど、時々正面にやってくる。その時見せる表情は本当に真剣だ。
 黙々と手を動かして、一切ふざけていない鶴丸さんは職人の様。いったいなんの職人だ、と言いたいところではあるけど、はっきり言って、すごくかっこいい。やってることは別にかっこよくないけど。でもやっぱり悔しいくらいかっこいい。胸の中までもが縄で縛り上げられたみたいだ。 
 どんな素っ頓狂なことをしても、結局鶴丸さんは僕の心をいとも簡単に奪ってしまう。ずるいなぁ。

 

「ほーれ、寄せるぞ、あげるぞ、1カップ~」
「ふんっ!」

 

 正面にやってきて楽しそうに、胸の下に縄を回す鶴丸さんに頭突きを食らわせる。
 言ったよ、僕は怒るよって。うずくまって悶えている鶴丸さんだって、かっこいいさ。その姿に免じて許してあげよう。
 しばらくして痛みから復活した鶴丸さんは、赤いおでこと涙目のまま胸の下の縄を無事に巻き終わった。

 

「ちょっと引っ張るからな。ほい」
「んっ、」

 

 巻き終わった縄をきちんと固定するために、鶴丸さんが縄を強めに引く。
 宣言されたのにも関わらず声が出てしまった。恥ずかしい。

 

「きつすぎたか?」
「いや、ごめん。声が出ちゃっただけだよ。大丈夫」
「もう少しで完成だ。ちょいと我慢してくれ。」

 

 鶴丸さんが僕の頭を優しくぽんぽんとする。セットした髪型が崩れないように気を使ってくれているみたいだ。こういうところも好きだなと状況に似合わずほのぼのとした。

 

「そーら完成だ!」
 

 鶴丸さんはやりきった顔で僕の前に立つ。満足げに僕の体を見つめて目を細めた。
 

「ああ、やっぱりな。赤が映えてとても綺麗だ。君は縄がよく似合う」
「それ、どういう褒め言葉?」
「しかし、やはり明石を縛るには時間がかかりすぎる。明石の場合はいっそぐるぐる巻きでいいか」
「しかも、結論がそれ」

 

 力なく俯いてしまうのも仕方がない。
 僕の時間を返してくれ。こうなれば午後から鶴丸さんにも働いてもらおう。それくらいはしてもらってもいいはずだ。

 

「さ、もういいだろ?この縄ほどいて」
「何を言ってるんだ光忠、これから鑑賞タイムじゃないか!明石用に練習するのはあくまでおまけだ。俺は赤に彩られる燭台切光忠が見たくてやって来たんだからな!」
 

 さてと、茶でも用意するか。酒がほしいがさすがに昼前に飲むのはなぁと、鶴丸さんはぶつぶつ言っている。この人本気だ!
 

「ちょ、ちょっと待ってよ鶴丸さん!それはなしだよ!」
「何故だ?」

 

 何故と真剣に聞かれて咄嗟に言葉が出てこない。鶴丸さんは本当にただ鑑賞したくてこんなことをした、それはわかった。赤い縄で縛られている僕の姿を純粋に見たかったんだろう。これ以上のことは仕掛けてこないはず。つまり、僕は鶴丸さんが少し満足するまで座っていればいいんだ。それだけでいい。体勢が若干キツいが我慢出来ない程じゃない。鶴丸さんの金色の眼にこの身を晒す、それだけでいいのだけど。
 

「ほ、ほら。この縄、痕がつかないって話だけど本当かわからないだろ。痕になったら困るよ。ね?」
「痕に、じゃなくて癖に、じゃないか?」

 

 にやりと笑う鶴丸さんの言葉に瞬時に頬が熱を持つ。
 

「君はなかなか、満更でもなさそうだったぜ?やっぱり朝に来て正解だった。こんな爽やかな朝でもなけりゃ、君の雰囲気に飲まれてしまって鑑賞どころじゃなくなるからな」
 

 道理でこんな太陽の光溢れる時にやってきたわけか。鶴丸さんの目的も目的だから申し訳ないとはあまり思わないけど、何も言い返すこともできない。実際、鶴丸さんがふざけたこと言ってくれなければ、もしくはそれらしい雰囲気を一筋でも見せたなら、僕は鶴丸さんにねだっていたかもしれないとわかっているからだ。
 縄の締め付けを感じる。今まで意識してなかったから、身動き出来ずに不便だな、程度にしか思わなかったのに。胸板を上下で締め付ける縄と、左右を分けるように縦に通る縄が、目に入って思わず顔を背ける。鶴丸さんが言ってたけど、確かにこれは胸を強調する。背中で手を組んでいるせいで胸を突き出す姿勢になっているから尚更だ。
 胸と頭がジン、とする。ダメだ。深く考えたくなくて、首を振る。

 

「これが気に入ったか?なら、またしてやろう」
「いら、ない。必要ないよ」
「遠慮するな、具合がいいなら越したことはないじゃないか。それにな、爺である俺が、毎回君を満足させてあげられているか心配なんだ。俺だけ満たされても意味はないし、可愛い光忠が若い体を持て余すのはかわいそうだろう」

 

 自分も若い体を持っているのに爺だと嘯いて、鶴丸さんが僕の頬を手の甲でついと撫でる。それだけのことにぴくりと体が反応する。なんて貪欲なんだろう。
 確かに鶴丸さんと夜を越える僕は、はしたなく、浅ましい。だけどそれは僕が若い体を与えられたからじゃない。

 

「僕がこうなってしまうのは、体を満足させたいからじゃないよ。貴方が相手だから、もっともっとって欲しがるんだ」
 

 ただ縄で縛られたって、どうということはない。肉体を与えられて、感覚が有ったって僕はやっぱり物でしかないんだから。当然誰かに触れられたって何も思うことはない。装飾用の紐で縛られたって、刃を鑑賞されたって、物である僕の心が動くはずもない。
 だけど、鶴丸さんが相手だと違う。心が動く。もっと近くにいてもっと触れ合いたい。物であることも忘れて、でも与えられた肉体すら邪魔に感じてもどかしい程に。
 頬を撫でている手の甲にすりと、頬を押し付ける。ひんやりとした手が気持ちよくて、ひとつの目をうっとりと閉じた。
 もし今刀に戻っても、この手に振るってもらえるならそれも良いかと思ってしまう。鶴丸さんになら物として扱われても心が動くだろうから、刀として失格だけど。鶴丸さんだけにはこの燭台切光忠を完全な状態で振るってもらえないのはひどく残念だ。

 

「貴方だから、僕はこうも卑しく求めてしまうんだよ」
 

 瞬間、縄がはらりと解けた。え、と思って咄嗟に畳の上を見ると、僕の体を縛っていた縄が、何本か落ちている。こんなに短くなかったはずだけど、これは切れている?縄の端が鋭利な刃物で切られたようになっていた。
 

「しまった、」
 

 呟いて、鶴丸さんが縄を集めて拾う。僕は縛られてたものから放たれて、姿勢を緩める。背中で手を組むのはやはり疲れた。でもそれよりも、不思議な現象に心惹かれた。この縄は手では切れない、刃物のなら切れるだろうけど、僕らはどちらも本体を手にしていなかった。僕の場合持っていても切れなかったが。と、すれば。
 

「霊力の暴発とは、俺は生まれたての付喪神か」
 

 ばつの悪そうな鶴丸さんのぼやきが聞こえる。ああ、やっぱりそうか、今のこの現象は鶴丸さんが起こしたんだ。
 付喪神は霊力を纏う。付喪神に成り立ての子達はその霊力を制御できなくて、暴発してしまうことが多い。一番の原因となるのが感情の昂りだ。感情によって膨れ上がった霊力を押さえ込むのに失敗してそのまま暴発する。今の鶴丸さんもそういうことなんだろう。とは言っても僕たちは付喪神というより今は肉体を持った刀だから霊力はそんなにない。暴発したとしても軽い物が浮くとかその程度だ。こんなすっぱりと、しかも対象のもの以外は傷つけないなど、鶴丸さん含めた数振りしかできないと思う。
 しかし、どうして今起こったんだろう。鶴丸さんは平然と縄の切れ端を拾っている。感情の昂りなど片鱗も見えないけどな。

 

「光忠」
「は、はい!」

 

 不思議に思っているところを、いきなり低い声で名前を呼ばれて、反射で返事をしてしまう。縄を拾い終わったのに鶴丸さんは俯いたままで表情は見えない。
 

「今夜、遊びにくる」
「・・・・・・はい」

 

 白い鶴丸さんは、僕との逢瀬では闇にとける声を出す。そんな声を今出すものだから背筋にぞくりと何かが走る。ずるいよ、今からそんなこと言われたら夜まで何も手がつかなくなるじゃないか。
 鶴丸さんは僕より大分成熟していて、感情を乱すところなんてほとんど見たことない。きっと、余裕があるんだろうな。たったこれだけのことで心掻き乱されてる僕と違って。

 

「邪魔したな」
 

 結局僕の顔をまともに見ないまま去って行こうするものだから、僕は鶴丸さんの後ろ姿を恨めしく見つめてしまう。そこで鶴丸さんの白い髪が流れるうなじがすこし見えた。なんだか赤い気がする。
 

「鶴丸さ、」
 

 体調でも悪くなったのかと、名前を呼び掛けて、止めた。部屋から出ていった時に少しだけ見えた鶴丸さんの横顔のせいだ。
 難しい表情を載せたその横顔は耳まで真っ赤だった。鶴丸さんが抱えていた赤い縄の残骸よりもずっとずっと鮮やかに。

 

「うわぁ」
 

 思わず手袋で覆われている右手で口許を押さえる。もう一度、うわぁあと呟く。
 赤い顔の鶴丸さんなんて、滅多に見れない。しかも酔っぱらってるわけじゃない、悪戯が成功してハイになってるわけじゃない。顔は不機嫌そうだったのに耳まで赤いなんて。鶴丸さんが、照れてた!その事実が衝撃となって、僕の体を畳の上へと突き倒した。


 ああもう!好き!鶴丸さん大好きだ!可愛い、かっこいい!大好き!
 

 自分の顔が熱を持ってるのがわかる。鶴丸さんに負けないくらい真っ赤かもしれない。誰も見てないのに、こんな格好悪い顔を誰にも見せられないと両手で覆う。
 

 一人紅白している鶴丸さんを見て勝手におめでたくなった僕は、ごろごろと畳の上を転がる。セットした髪も、格好良さも気にしてられずに。気にしているのは唯一、太陽が西へと帰っていったその後の出来事。
 その思考が転がるスピードに加速をかける。ああ、待て、止まるんだ、僕の体と高まる期待。

 

「誰か、今こそ僕を縛り上げてくれ!」

 結局、昼ご飯の時間だと倶利ちゃんが呼びにやって来るまで、一人、部屋の中を転げ回っていた。

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