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「~♪」

 鼻歌の曲は光忠が好きだと言っていた曲。学校からの帰り道で、片方ずつのイヤホンと一緒に分け合った思い出の曲だ。

 店内を見回りながらそれを奏でてしまうが、周りに他の客もいないので迷惑にはならないだろう。

 

「ラッピングをお待ちのお客様ー」

 

 呼ばれ、レジへと戻る。そして小さな紙袋を受け取った。

 今日は光忠が地元から鶴丸のいる街に引っ越してくる日だ。二年前に高校を卒業しこの街にある大学へ入学した鶴丸に続く形となった。

 

『同じ大学に通うんだから、俺と一緒に住めばいいのに』

 

 光忠が一人暮らしをすると分かった際、鶴丸は電話口で口を尖らせた。

 彼が同じ大学に合格したと知った時、鶴丸は自室の大掃除をした。てっきり光忠は鶴丸と同居すると思っていたからだ。正しくは同棲、でもいい。とにかく二年の遠距離恋愛に別れを告げて、四月からはめくるめく薔薇色の私生活が待っているのだと期待していたのだ。けれど光忠はそんな鶴丸の期待を砕き、一人暮らしをすると言った。既に部屋を見つけているとも。口を尖らせて恨み節を送ってしまう鶴丸に全ての非があるとは言えない。

 

『父さん達にも言われたよ、国永君のとこに一緒に住まわせてもらったらどうだ。その方が安心だし、家賃も安くなるだろう、ってね』

『なら、』

『自立する一歩目から鶴さんの元に行っちゃったら甘えてしまうよ、僕は』

 

 光忠の親の言う通り本当に安心かどうかは保証しかねるが後ろ盾を利用すべく口を開くも、電話越しに遮られてしまう。数日後に高校を卒業する未成年とは思えないしっかりとした言葉だった。

 

『僕の本性は甘えたで、鶴さんは巧みにそこを突いてくるだろう。鶴さんと離れて自覚したんだ、今まで鶴さんにどれだけ甘やかされてたのかを』

『何でそんなこと言うんだよ~。いいじゃないか、二年間かなり自重したんだ甘やかさせてくれよ~。甘やかしたい~でろでろに甘やかさせろ~!』

『それに、』

 

 最近とみにしっかりし始めてきた可愛い年下の恋人。幼い頃から可愛がってきたから本来は天然気質な甘えん坊だと熟知している。大人へと成長していき、一人前の男になっていく姿も魅力的で日に日に惚れ直してしまうが今回ばかりは寂しさが勝ってしまう。甘やかさせろと泣き真似で非難するが半分以上が本気だ。情けない年上の声に呆れるでもなく光忠は声を小さくする。それが鶴丸に言葉をよくよく聞かせる術だと光忠は無自覚に学習していた。

 

『鶴さんだってどこに就職するか分からないだろう?遠くに引っ越してしまうかも。鶴さんと一緒に住んでいた部屋に独りになったら、今度こそ寂しくて泣いちゃうよ。それよりはお互い就職してから決めた方が良いと思うんだ、色んな事』

『光坊・・・・・・』

『北海道と九州に就職したら、真ん中の距離に家借りようか!』

『それは、通勤がえらいことになるなぁ・・・・・・』

 限りある数年より、末永い未来を優先的に提起されれば潔く折れるしかなかった。普通なら口にする前に却下することも本気で発案され同時に毒気も抜かれる。結局鶴丸は尖らせた口を微笑みの形に変えて光忠の報告を受け取ったのだった。

 それから約一カ月後。光忠が鶴丸の街へと引っ越してきた。

 待ち合わせは11時半に。駅から少し離れ、飲食店通りにあるコーヒーショップの前で。光忠は10時に大家から鍵を預かり一度アパートに寄ってから来る予定だが、十分間に合う時間だろう。何度か遊びに来た時も待ち合わせは同じ場所だったし迷うこともない筈。そして二人が揃ったら昼食を食べて、新生活スタートに必要な物を買っていくという予定だ。

 現在の時間は11時10分。そろそろ良い頃合だ。鶴丸は贈り物を受け取った後も物色していた店を出る。

 先ほど受け取った物は光忠へのプレゼントであるキーケースだ。大学入学祝を兼ねた一部屋の主となった恋人への贈り物。今日は光忠のアパートまで付き合う予定だからそこで渡すことにしよう。

「~♪」

 

 鼻歌が途切れない。喜ぶ光忠の顔を想像して調子が却って上がってしまう。同棲出来ないことは残念だが、光忠が近くに引っ越して来るのだ。上機嫌にもなるというもの。

 それに、引っ越してくるだけでなく大学だって一緒だ。あまりべったりだと学友を作る機会を奪ってしまうから気を付けなければならないが、広い学内を案内することくらいは許してくれるだろう。色んな所を案内してやろう。光忠は料理が得意だから弁当も持参してくる可能性が高いが、美味い学食のメニューだって沢山ある。昼はランチに誘って、優しい学食のおばちゃん達にも紹介してやるのだ。授業が面白い教授も、昼寝にお勧めの場所も。鶴丸が知ってる事を全部教えよう。

 被る年が一年しかなかった中、高時代と違って今度は二年、その時間がある。自分自身の就活もあるし、退屈など出来ない充実した時間が待っているのだ。そう思うとわくわくする。

 鶴丸はこれからのことを春めいたうきうき気分で想像しながら、スマホを取り出す。そして『光坊♡』の電話帳をタップしてそのまま電話をかけた。光忠は今どこら辺だろうか。流石にまだ待ち合わせ場所には来ていないだろう。鶴丸がいる場所から待ち合わせ場所は歩いて15分、走って8分程。今から向かえば待ち合わせ5分前には着くが。

 prrrrとコールを鳴らして光忠が電話口に出るのを待つ。しかし、3コール鳴っても光忠は出ない。作業中だろうか、もしくは大家との話がまだ終わっていないとか。ないとも言い切れない。光忠は人たらしな部分があるから。そうであればコール音は邪魔になるだけだ。しばらくしてからかけ直そうとした時、コール音が不自然な所で途切れた。

『っ、は、い』

『光坊?俺だ、鶴丸』

『つ、るさ・・・・・・』

 途切れ途切れの光忠の返答に違和感を感じる。電波が悪いのかと思ったが、そうじゃない。電話の向こう側のざわざわとした雑音は絶えず耳に届いている。

『光坊、どうかしたか?声が途切れて聞こえるんだが』

『・・・・・・っな、でもない、よ』

『嘘だ。声が震えてる。どうした、何があった』

『ごめ、・・・も、すこし・・・っしたらかけ、なおすね』

『おい待て切るな!光坊、光忠!!』

 賑やかしい通りのど真ん中で叫ぶが、帰ってきたのはツーツーと無機質な機械音だけ。思わず呆然となる。

 なんだ今のは。頭の中で電話先の恋人の震え声がぐるぐると繰り返される。声は途切れ途切れで、長く話せる状況ではなさそうだった。いつもは凛としたものは弱弱しく震え、どこか息苦しそうにも聞こえた。何か、事件に巻き込まれている。そう思わずにはいられない。

 光忠は今どこだ、どこにいる。咄嗟にアパートの大家が頭に浮かんだが、電話先から聞こえる音から考えて光忠は人が多くいる場所で電話に出た様子だった。人が多い所、電車の中が連想される。まさか、痴漢にあっている訳じゃあるまいな。思わず拳を握ったがすぐにそれも自分自身が否定した。

 電車より本数は少ないが、光忠のアパートからだと駅に向かうよりはバス停の方が近い。まだ自転車も単車も購入していない光忠がこちらの方面に来るなら駅よりバスを選ぶ筈だ。第一、光忠は公共の乗り物に乗る時はスマホはマナーモードにして、スマホを操作することはない。幼い頃からそうだった。だから鶴丸がコールを鳴らしていてもそもそも気づかないはずだ。

 ならば、どこにいる。春めいた気分なんてとっくに飛んで行き、どくんどくんと自分の中から嫌な音が立つ。鶴丸は再び光忠に電話を掛けながら、その場を駆け出した。

 人を避けながらコールを鳴らし続ける、今度は2コール目に入る前に音が切れる。ただし、光忠の声が続くことはない。ツーツーと不吉な音。電話を切られたらしい。

 ますます絶望的な気分になりながら鶴丸は地を蹴る足に力を込めた。とにもかくにも、まずは待ち合わせ場所に行ってみるしかない。そこに光忠の姿を見つけられなければ聞き込みでも何でもして光忠を見つけ出さなければ。

 街中を全力疾走する自分が悪いとは言え、人を避けながら走るのは思いの外難しい。もっとスピードを上げたいのに、思う様に足が運べない。通行人にぶつかってしまえば却って時間をロスしてしまう。そんな余裕、今の鶴丸には一瞬だってないのだ。

 手を繋いで道のど真ん中を歩くカップルに舌打ちをしつつ、追い越していく。歩道を走る非常識な自転車にも同じものをくれてやり、それも追い越していく。

 こんなに走ったのはいつぶりだ。高校の運動会ぶりじゃないだろうか。3年前より格段に重い足の運びに”運動不足”その四文字が頭に浮かぶ。大切な相手の為にもっと日頃から備えておくべきだった。今更後悔をしても遅い。20歳になってもたばこを吸わなかった事実だけをモーターのエネルギーに変換して、鶴丸は腕を振った。

 左手に持っている紙袋の中身が落ちてないか心配になったがそんなもの確認している場合ではない。贈り物より贈る相手が何千倍も大事なのだから。

 もういくつもの迷惑そうな顔を追い越して、ようやく駅まで着いた。ここからコーヒーショップまで後もう少し。ラストスパートをかける。昼も近くになってきたから、飲食店が多いこちらの通りは人が更に多い。まだ混雑という程ではないのがせめての救いか。それに人の通りが多ければ、万が一の時に目撃情報を得やすい。

 まだ幼さを残してはいるが高身長であんな目立つイケメン。100人すれ違えば99人は何かしらを覚えている筈だ。前向きに考えながらブレーキをかけることもなく駆け出す。

 こんなことなら靴ひもをぎゅっと結んだ運動靴で来れば良かった。さっきから後悔してばかり。そもそも待ち合わせなんかせずに光忠の地元まで迎えにいけば良かったのだ。過保護だとか、独り立ちの意味がないとか、格好悪いとか。例えそんなこと光忠が言ったとしてもこんな想いをするくらいなら、最初から迎えにいけば――。

 後悔からの不安が大きくなり始めた時、人波の中一つだけ飛び抜けた後頭部を見つけた。遠く離れていても、その艶やかな黒髪と可愛らしい双葉ふたつを鶴丸が見間違える筈がない。いた。光忠が待ち合わせ場所にいる。そう分かった瞬間、全身から力が抜けそうになった。

 ブレーキが壊れていた筈の足がスピードを緩めていく。けれど、どこまで落としていいのか判断できない頭は早歩きよりも少し速いスピードまでしか調整できず、息も絶え絶えな鶴丸の体を進ませる。

 光忠まで後10歩という所で、鶴丸の右手に持ったままのスマホがprrrrと着信を知らせる。敢えてそれには出ず歩を進めると、スマホを耳に当てたまま鶴丸が来る方向とは逆を見ていた光忠がその音を拾った様な反応を見せる。確かにプレゼントを取りに行かなければ鶴丸はそちらの方向から来ただろう。けれど鶴丸は光忠の背後にいる、息を切らせて満身創痍の状態で。光忠はきょろきょろとしていたが、さらに近づいた所でようやく音の方向を正確に察知し振り返った。

「鶴さん!」

 

 鶴丸を見つけた瞬間、昔から変わらない笑顔が満面に咲いた。久しぶりの鶴さん大好きオーラが顔面に直撃して、もう色んな意味で泣きたくなった。光忠がここで安堵した顔でも見せたらもう大丈夫だと抱き締めることも出来ただろうに、そのひとつの曇りもない大好きオーラ。何の事件にも巻き込まれていない何よりの証拠である。

 光忠が背を預けていたコーヒーショップの外壁に手を突いて、大きな息を吐いてしまうくらい許されるはずだ。

 

「えっ、ど、どうしたんだい鶴さん」

「・・・・・・み~つ~ぼ~う~」

「怒ってる!な、何で?」

 

 壁に手を突いて顔を伏せたまま低く名前を呼ぶ。こんな可愛い恋人の、好き好きオーラを見たまま怒るなんて鶴丸には出来ない。精神クソ弱男と言われても構わない。鶴丸にとって光忠が弱点であることなんて、1分前まで嫌と言う程知らされていたではないか。けれど怒らなければならない時なのだ、今は。

 

「いいか。まず、電話を勝手に切るな。頼むから。きみが話すのが難しい状況に陥っても、何かあっても電話は切らないでくれ、後生だから。電話が繋がってるってだけでも安心感が違うんだ、俺の。電話に出たらいけない場所で出てしまったんだとしたら詳しい説明はしなくてもいいから、場所だけ言って切ってくれ『ここ図書館!ブチッ!ツーツー!』でも全然いい、お願いだ」

「う、うん。分かった」

「後はなぁ、後は・・・・・・えー、なんだっけ。もう、何でもいいや。事件や事故に巻き込まれないでいてくれたら。無病息災、鶴さんの為にも未来永劫健やかに育ってくれ」

「日々成長していきたいとは思ってるけど未来永劫育っていくのは難しいかなぁ。事件や事故には気を付けるよ。後、鶴さんも無病息災でいてね。僕の為にも」

「うん、そうだな。そうする」

 段々と落ち着いてた。壁に手を付けたままではあるが顔を上げると半分覗き込んでいる格好の光忠と目が合い、またにこっと目を細められた。今度はそれに光坊好き好きオーラを持ってして見つめ返すことが出来た。光忠が無事であるなら鶴丸の脇腹や心臓の痛みなどどうでも良い事だ。心労だってこの笑顔を見れば癒される。光忠が本当に危険に巻き込まれていたならこの程度の説教ではすまないが、鶴丸の勘違いだったのだから光忠に非はない。

 

「はー、あっち。汗かいた」

「わ、本当。鶴さん汗だくだね。今日そんなに暑い?」

 

 カーディガンを脱ぎ、数分前まではカラッとしていたシャツの襟を人差し指で広げて中に風を通す。さりげなくスマホを見た所11時16分。約4分程でここまで来たらしい。100m自己新どころじゃない。そりゃあ、シャツも肌にはりつくというものだ。

 光忠はバッグからハンカチを取り出し、鶴丸の首元を拭う。そして額にはりついていた前髪を払ってくれた。しかし、その当の本人もわずかだが額に髪が張り付いていた。光忠にしては珍しい。まして今日は久しぶりに鶴丸と会う日だ。光忠が見た目を崩しているなんて不思議だ。

 

「きみも暑いのかい?」

「え?」

「前髪が、」

 

 手をクロスさせる様に鶴丸も光忠の前髪を払ってやる。眼帯をしている右側は慎重に。左側は視界が開ける様に。

 

「あ、さっき走ったからだ」

「走った?」

 

 光忠は鶴丸の指を視線で追いながらそう言った。思わず聞き返す。聞き返しながら、今の時刻を考えると光忠がここにいるには早すぎることに気付いた。

「うん。僕、バス乗り間違えちゃってね。アパートでの用事が思ったよりも早く終わってさ、やることもないし早めにバス停に行ったんだ。そしたらバスが来ててね、駅方面みたいだったから民間じゃなくて公営で同じ線のバスがあるのかと思ってそれに乗ったんだ」

 鶴丸から問われて光忠は楽し気に話し始める。聞き始めから失敗談の様子だが光忠にしょげた様子はない。

 

「予想通り公営のバスだったみたいでね。と言ってもちゃんと駅方面に進んでいくから安心してたんだけど、駅の近くに来たら急に方向かえて離れていきそうだったから慌てて降りたんだ」

 

 バスの中でスマホを触らない光忠はそのバスの路線の終着がどこか分からなかったらしい。慌てて降りた先で現在地と待ち合わせの場所の距離を測ることになったとやはり楽し気に言った。

 

「もうその時点で11時だったんだよ。そこから別のバス停に歩いて駅に行くバスを待ってたらちょっと待ち合わせギリギリになりそうだったからね、走っちゃった」

「そこから?」

「うん、そこから」

 光忠は足のリーチが長いからそこそこ足は速い。瞬発力で勝負する短距離走よりは長距離走が得意なタイプだ。先日まで現役高校生だというのもある。しかしそれにしたってそこまで良く知らない街を走る気になったものだ。

 

「別に電話してくれりゃあ待ったのに」

「だって早く会いたかったから」

 

 ハンカチをバッグに戻しながら光忠は当然の様に言った。きゅんとしたと口にした方がいいだろうか。

 

「楽しかったよ。鶴さんとの待ち合わせ場所に走っていくの。なんかね、走る度に会いたくなってどんどん足が速くなっていくのが分かるんだ」

「光坊」

「会いたくなって走り出すなんて少女漫画みたいな体験してるって、最初は楽しかったんだけど・・・・・・、ふふっ」

 人目がなければ抱き締めるのにと、きゅんきゅんしている鶴丸の心の声が聞こえたのかどうかは分からないが光忠は突然肩を揺らし始めた。

 

「気づいたら全力疾走しててさあ、ここに着いた時はもうあっせだく!ぜーぜー肩で息しながらこの待ち合わせ場所に立ってたんだ。コーヒーショップのガラス見たら髪はぼさぼさだし。それ見てたら、何でこんなに全力出しちゃったんだろうとか、僕が

追い越していった人たち皆驚いた顔してたなぁとか、一人で可笑しくなっちゃって!」

 話している内にまたその時の可笑しさがぶり返してきたのだろう、肩の揺れが大きくなってきた。声を抑えようと口元を隠す。鶴丸はあの不可思議な電話のからくりがやっと分かった。

 

「そんな時俺から電話がかかってきたんだな?」

「そう!もー、息切れしてるし可笑しいしで、まともに話せない状態でさ。しかも鶴さんの声聞いてたらますます面白くなってきちゃて、苦しかったぁ。あ、鶴さんさっきの電話ごめんね、二回目もかけてくれよね。あの時出ようとしたんだけどツボに入っちゃってて間違って切っちゃった」

「あるけど。そういう自分の行動の不可思議さに独りでツボに入っちゃうこと」

 

 想像以上に心配する必要皆無の理由だった。数分前の自分に「光坊は独りでツボに入ってるだけだからそんなに必死に走らなくて良いぜ、世界新記録でも出すつもりかい」と言ってやりたい。それでも過去の自分は光忠の元へ走るのだろうけど。

 

「・・・・・・鶴さんちょっと元気ない気がする。まだ暑い?それとも調子が悪いのかい?・・・・・・もしかして体調悪いのに僕の買い物に付き合う為に無理して来たんじゃ」

 

 笑顔だった顔を一転、光忠は心配な表情を浮かべる。不安から安堵の落差は自分が思っていたよりも大きかったらしく、光忠には不自然に見えた様だ。こういうことには察しが良い。とは言え鶴丸が不安は過去のもの。光忠は違和感があるかもしれないが、鶴丸は数分前とは比べ物にならないくらい正常を取り戻しているつもりだ。かと言って経緯を正直に説明すれば光忠の楽しかった体験が鶴丸への申し訳なさに上書きされてしまう。それを避けつつ光忠の心配を吹き飛ばしてやらなければ。

 

「・・・・・・光坊には隠しごとは出来ないか」

「やっぱり体調が、」

「そう、俺はな汗をかき、頭を痛める程これを渡すタイミングを計っていたのだ」

 

 光忠の言葉を遮りながら、カーディガンの中に包んでいた紙袋に手を突っ込んだ。中身が落ちていないかどうかなんて確認していない。まあ、運試しといこうではないか。

 右手に包装されている箱の感触。天は恋人の為に全力疾走した鶴丸を見放さなかったらしい。それとも、恋人に早く会いたくて謎の全力疾走した上に独りでツボ入ってた光忠の面白さにご褒美をくれたのか。鶴丸が天なら後者だ。

 

「じゃーん」

「?なんだい、それ」

「光坊へのプレゼントー」

「え!」

 

 紙袋から箱だけを取り出し光忠の前で軽く振る。光忠が驚いた顔をしているのはまさか自分にプレゼントがあるとは思っていなかったのと、鶴丸が何の捻りもなくプレゼントを取り出したことにだろう。取り出しただけでまだ渡すわけじゃないが。

 

「もーこれ以上考えたら知恵熱出そう。だから考えるの交代な」

「ど、どういうこと?」

「このプレゼントの中身を当てることが出来たらきみにこれを贈ろう。今日中に当てられなかったら、んーそうだなぁ。俺が使っちゃおう。しかも答え合わせしないまま」

「えー!それはやだなぁ」

 

 本来なら光忠のアパートに着いてから贈るつもりだったが、予定変更だ。自分のプランより光忠の笑顔を優先するのは当然だし、そもそも想定通りいかないことは大歓迎。驚きがあって実に良い。光忠と居ると本当に退屈知らずだ。

 とは言え、多大な心配をかけられたこと、そして汗臭くなってしまったことの意趣返しくらいしたい。だから光忠には少し悩んでもらおう。買い物を終え、アパートに着いても光忠が分からなければ答えに誘導してしまえば良い。昼食の時に答えに辿り着いてくれれば渡しやすいし、そのあとの買い物にも支障は出ないからベストなのだが。果たしてどうなることやら。

 

「まっ、とりあえず先に昼飯食いに行こうぜ。時間はまだまだあるし解答権は無限だ。どんどん予想してくれ」

「うん。・・・・・・えー、何だろう。あれくらいの箱だろう?うー・・・・・・」

「さー!光坊選手早速悩んでおります!頑張れ光坊選手!」

 

 悩んで顔を顰めていると睨み付けているみたいだ。綺麗な顔の分凄みがある。本人に言ってしまうと元に戻してしまうだろうから、逆ナン避けの為にももう少しその顔のままでいてもらおう。鶴丸にとっては最高にプリティーに見えているから問題なし。

 悩んでいる隙に光忠の左手をさりげなく取って、先導する形に見せながら繋ぐ。考えすぎて半歩後ろをついて来る光忠は気づいていない。もう少し悩んでいてほしい。その間だけ、自立への一歩を踏み出した青年の左手を独占したいから。

 数分ぶりに春めいた気分が戻ってきて、カーディガンを脱いだままの体が肌寒く感じたが繋いだ手を離す気はなかった。

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