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 買い出しの指令が下された。

 と言っても買い出しとは口実で、暇を持て余していた鶴丸を外に出すのが目的だろう。その証拠に買い出しを頼まれたのはまだ在庫のある塩であり、厨の番人は「急がなくて良いからね」と財布を渡してきた後にわざわざ一言付け加えた。それは言外、本丸から出てじっくり驚きを探してこいということだろう。本丸敷地内からの外出は主の許可がいるが、買い出しであればいちいち許可を取る必要はない。気軽に驚きを探しに行くことが出来るというわけだ。厨の番人のひとりである燭台切は度々そうやって鶴丸を本丸の外へと放ってくれる。気が利く燭台切ならではの計らいだ。

 生まれたばかりの付喪神であった時の燭台切は頼りなく庇護欲を掻き立てる存在であったが、この本丸で再会を果たした燭台切はすっかり立派な刀の付喪神へと変貌していた。この本丸でも仲間たちのお兄さん役として立振る舞っており、顕現が遅かった鶴丸に対してもその役は発揮されている。現在はどっちが保護者なんだかと首を捻ることがある。長い年月を経て再会し再び親しい交流はあるが、いつまでも保護者面されるのは話が別なのかもしれない。

 曖昧な形で鶴丸の後ろをついて回っていた幼い付喪神を懐かしく思い出しながら鶴丸は本丸の外へと出た。

 政府から承認されている異形の者や人間達の店が軒を連ねる商店街。その内の何軒かを冷やかしつつ、馴染みの万屋へと向かう。と言っても目新しいものは何もない。新しい店は開店しておらず、万屋の品ぞろえも大きく変わった様子はなかった。商店街に来てから三十分と言った所で、塩を二袋入った買い物袋を手に提げ万屋から出てきてしまった。せっかく燭台切が気を利かせて外に出してくれたのだ、すぐに帰る気にはなれない。来た道と違う道をぶらぶら彷徨うことにした。

 賑やかな商店街の裏通りを選び、足を踏み入れる。活気のある表とは違いどこかひんやりと感じる道を当てもなく歩いた。人通りはほとんどなく歩きやすい。けれど歩きやすすぎるとすぐに飽きてしまうので、鶴丸はどうでもいい所をじっくり観察しながら歩くことにした。例えば、仕入れ用の段ボールに書かれている文字。生産会社は見慣れないものばかりだ。そもそも一介の刀剣男士である鶴丸が生産会社に詳しいわけがない。これが博多であれば知っているのだろうが。

 それでも時々見かける○○本丸産という文字を見かけると、段ボールの前にしゃがみ込みしげしげと眺めたりした。この本丸では農業が盛んということだろう、桑名が耕運機等を唸らせ広大な畑を管理しているのか。それとも他の、燭台切光忠などの畑仕事が好きな刀が力を合わせて頑張っているのか。そう言ったことを考えてみる。自分と同じ鶴丸国永が顔を青くしながら燭台切に付き合い畑仕事をしている姿が容易に浮かんだ。その空想がもし現実であればここの本丸の野菜はぜひとも食してみなければ。今度この八百屋で野菜を買ってもらえるよう厨の番人に言ってみよう、ひとりくつくつと笑いながら立ち上がる。店の勝手口が閉じていて良かった。開いていれば、何の音かと店の主人である付喪神が店の中から顔を出したことだろう。

 八百屋の裏を後にして、酒屋の裏も越えた。魚屋の裏手近くには、ゴミ捨て場があった。鶴丸が今まで見てきた仕入れ用の段ボールやら、梱包のビニールゴミやらがきっちり分別されてるとは言い難い状態で山積みになっていた。政府運営と言っても良い商店街であるのに、こんなことでいいのだろうか。ゴミ捨て場の隅で魚屋がわざと捨てた魚の切り身を食べている猫が二匹いた。多少汚れているが毛並みは良い。商店街公認の野良猫というところか。

 大倶利伽羅を連れていれば喜んだだろう、そう思いながら鶴丸は猫たちの前にしゃがみその頭を撫でた。飯の時間を邪魔された猫は迷惑そうな顔を隠さない。すまない、悪かったと笑いながらその場を離れる。その後はまた商店街の通りに戻り、すれ違う刀剣男士や余所の審神者達を観察しながら帰路についた。結局、鶴丸が求めていたような驚きはなかった。しかし気分転換には良い時間だった。帰ったら燭台切に礼を言わなければ。

 

「光坊」

「あ、鶴さん。おかえり」

「おう、ただいま」

 買い物袋を手に提げ厨を訪ねると、そこには鶴丸が外に出る前と同じように燭台切がひとりだけ。調理机の上に各種のハーブを広げて、その葉を茎から採る作業をしている。最近眠りが浅いという刀がいるらしく、ハーブティーなるものを作ってあげようとしているのだという。組み合わせで効能が違うのだと嬉しそうに各ハーブの名を教えてもらったのだが如何せん横文字ばかりでほとんど覚えられなかった。「鶴さんが眠れない時はいつでも言ってね」と気遣ってくれたその優しさだけはしっかり覚えているのだが。

 手を止めた燭台切は椅子から立ち上がり、近づいて来た鶴丸から買い物袋を受け取ってくれた。

「財布は中に入ってるぜ」

「うん。ありがとうね、鶴さん」

「どういたしまして。こっちこそありがとうな、良い気分転換になった」

「何か楽しいことはあった?」

「んー、そうだな。買い物したい八百屋があったかな」

「へぇ、美味しそうな野菜でもあったのかい」

 商店街での時間を掻い摘んで話す。変わったことは何もなかったが、鶴丸の話が続く間隻眼は濃やかに細められていた。誰に対してもそうであると分っていても、その目で見つめられるとなんだか落ち着かない。可愛らしい付喪神と、見目も麗しい立派な付喪神。その差が自分の中で埋めきれていないのだろうか。あの頃と変わらない無邪気さも残しているし、見た目が大きく変わろうと可愛い存在に代わりはないのだけれど、時々燭台切を前にすると言いようのない感情に見舞われることがある。

「きみは、ずっとハーブ達とにらめっこしてたのかい」

「うん、組み合わせを考えながらね」

 いつまでもその眼差しに見つめられているのもすわりが悪く、ハーブの方へと視線と話題を向ける。改めて見てもそこは小さな森の様になっている。

「これの名前を全部言えるってんだからすごいな」

「流石に効能とかは全部覚えてないから本は必須だけどね……って、鶴さんフードの中に何か入ってるよ」

「ん?」

 自分以外の誰かの為に本を片手にハーブとにらめっこ等鶴丸にはとてもできそうにない。感心しながら森の木々からひとつ手に取ってしげしげと見ていると燭台切が何かに気付いて声を上げた。自分の背中を見ようと首を後ろに捻ってみたが目の端に白以外の色が映るのみ。正体までは分からない。それを黒い手袋がひょいと取り去った。首の辺りが少し軽くなったような気もするが、言われなければ気づかないだろう程度のものだ。

 燭台切が両手に握ったそれを覗き込む。そこにあったのは、全長五寸程の人型を模したもの。見た目からして布製ではなく硬めの素材で出来ているようだった。

「人形、か?」

「そう、みたいだね。あ、ここに何か書いて……、わっ!?」

 全方向からまじまじと見ていた燭台切が足の裏だろう場所で何かを見つけた。と、同時にその人形が突然動きだし、燭台切の胸へと飛び込んだ。逃げる様にジャージの上着と黒地のシャツの間に入りこもうとする。

「待て待て、何処に入ろうとしてるんだ」

 驚くよりもまず先にその不届きを阻止すべく首根っこを指先でつまみ持ち上げる。人形はばたばたと両足を動かしていたが、観念したらしく全身の力を抜き項垂れた。その動きから見て全自動の機械人形ではなさそうだ。

「どうみても作られて10年かそこらだが……驚いた、ここまで明確に付喪神化してるのか」

「そうみたいだね。……でもまだ声が小さい。目覚めたてなのかな」

 燭台切の言う通りだった。神経を研ぎ澄ませてようやく小さな声が聞こえてくる。聴覚に対してではなく、心へと直接。

 身体という概念が薄い物に対して人型である物は確かに付喪神化が早い。それだけ人間からの想いの器になり易いからだ。しかし他者へ訴えられる力や自ら身体を動かす程の力を蓄えるには最低でも数十年はかかる筈。どう見ても若い人形が微弱な声ながらも他者へ語りかけ、自由に動き回れるのは驚きだ。

 人形の首根っこを掴んだまま自分の鼻先へと持ってくる。すん、と嗅いで見るとやはり若すぎる霊力を感じる。そしてその奥に、微かではあるが更に別の霊力の香り。鶴丸は嗅いだことがない。この本丸の誰のものでもないということだ。

「鶴さん、その子怖がってるよ」

 動きを止めて弱弱しい声を発する人型を訝し気に見ていると燭台切が両手を差し出して来る。その意図を汲み取って首を振った。

「本丸の外から憑いてきたモノだ、敵の罠の可能性だってある。主に報告しなきゃならん」

「人探しを手伝って欲しかっただけだって」

「何?」

「霊力が強すぎて、鶴さんにはこの子の言葉が届かないみたいだね。大丈夫、そんなに怖がらなくていいよ。こっちにおいで」

 黒い両手が更に差し出される。その姿勢から梃子でも動かなそうな気配を察知して鶴丸は黙って指先を開いた。穏和な表情をしておいて意外と頑固なのは知っている。ぽとり、と黒革の床に落ちた人形はふるふると震えやっとの事で立ち上がる。全身赤く、顔の部分は何か面を着けているのか、どこが目かは分からないが顔を上げているから恐らく燭台切を見上げているのだろう。

「ごめんね、いきなり足の裏まで覗いてしまって。失礼だった」

 謝罪を受けた赤の面はふるふると横に振られる。そして、両手をゆるゆると動かした。鶴丸にはやはり弱弱しい信号に似た声しか拾えないのだが、燭台切はうんうんと相槌を打っている。はっきりとした言葉もしくは意志を受け取っているらしい。数分その光景が続いた後、成程ねと静かな納得が落ちた。

「なんだって?」

「この子、どうやら他の本丸の審神者の子みたいだね。どうやら商店街で持ち主とはぐれてしまったみたいだ」

「あんな所でか?売り物ではないんだろう、こいつは」

「うん、売り物ではないらしいよ。はぐれてしまった経緯はこの子にも分からないって。それまでは薄い自我があるだけのただの人形だったって言ってる。はぐれてしまってパニック状態に陥って、気がついたら身体が動かせる様になったみたい」

 では燭台切の言う通り、付喪神としてほぼ目覚めたてということだ。いくら人型と言ったってこんなにも早く身体を動かせるなどありえるのだろうか。刀剣男士の様に肉の器を与えられる等の特殊例以外、大抵は付喪神として自我が芽生えてから数十年経ってようやく髪の毛だけを伸ばせる様になる人形ばかりだというのに。

「それだけ必死だったってことだよね」

 脳内の疑問に答える様に穏やかな視線が人形に注がれた。分かるよ、と付け加えられた言葉は共感が強く込められている。

「光坊……」

「それにこの子の持ち主は審神者みたいだから、そこら辺も関係しているのかもしれないね。持ち主の手を離れているのに霊力がこの子と結びついたままだ。とても脆弱な繋がりになってはいるけれど」

「そうか、審神者の能力は物の心を目覚めさせることだからな。ずっと近くにあれば付喪神化も自ずと促されることになる」

 それならば納得がいく。持ち主を求める必死さが目覚めるきっかけとなったのだろう。

「この子の本丸には鶴さん、鶴丸国永さんが顕現してたみたい。真っ白だから見覚えがあったそうだよ。だからフードの中に入ったんだって」

「成程な」

「勝手に入り込んでごめんなさい、ってさ」

「あー、それは、まあいい。気づかなかった俺が一番悪い」

 と言っても気づいた所で鶴丸にはこの人形の言葉が聞こえなかったので、人形にとって良い状況になったとは言い難い。だから気づかず却って良かったのだろう。本丸の外から異質なモノを持ち込んだという点では反省の一言に尽きるが。

「ん?というか、別に俺の羽織の中に入り込む必要なかったんじゃないか?自分で動けるなら、商店街区交番の落とし物コーナーに飛び込んだ方が良いだろう。その方が持ち主も見つけやすいはずだ。第一はぐれた場所から離れるのは得策じゃない」

「それがね」

 湧いた疑問に燭台切が声量を下げる。一度左右を見回して、誰の気配も感じないことを確認すると鶴丸へと顔を近づけた。その距離が近すぎるのは大昔の名残が残っているからなのか、誰に対してもこうなのか。一瞬の空白では答えは出なかった。

「さっき見てしまったこの子の足の裏にね、持ち主である審神者の真名が書いてあるんだ」

「きみ、見たのか」

「うん、見ちゃった。勿論悪用するつもりはないけどね」

 真名を知られて神隠しされた審神者がいる。審神者や刀剣男士の間でよく交わされる話題の一つだ。鶴丸はその話を聞くたびに、自分の神域に誰かとふたりきりなど飽きそうだな、と思うばかりで自分の審神者に試してみようなどと思うことは一切ない。ただ、出来るか出来ないかと聞かれれば出来る、と答えられる。真名を知ることが出来るなら。真名を握られると言うことはその身体を握られることと同じだ。

 審神者になりたてだった鶴丸達の主は政府からその説明を聞いた時「あー、『せんちひ』な」と変な納得の仕方をしたらしい。その『せんちひ』とやらが、名の一部と両親を取られた少女が神々の温泉宿で働くことになり、真名を失った川の神と出会う映像絵巻の略称だとはこんのすけも後から聞いたと言っていた。

「商店街は政府に承認を受けているとは言え、正体不明の妖も居るし、時々土地神様とかもいらしてるしね。審神者に協力的な僕らに知られた方が危険性はまだ低いよね」

「確かになぁ。霊力が低い妖はまだしも、神格が高い神々に真名を取られるのは避けた方が良いだろうな。神格が高い奴ら程気まぐれだし、慈悲と残酷の区別がつかないのも多い」

 この人形、目覚めたてだというのに、中々理に適った行動を選んでいる。いや、どうすれば持ち主を危険な目に合わせないかを選択し続けただけなのかもしれない。それほどまでに持ち主に対する想いが強いのだ。

 雛人形や五月人形などは代々受け継がれることもあるが、量産型の人形は大抵の場合、物としての一生をひとりの主の元だけで終える場合が多い。人から人へ渡っていくのが常だった刀とは違う。けれども、その刀である鶴丸でも共に黄泉の国へと旅立ちたかったと思う主がいた。先ほど、必死になって持ち主を求めた人形に共感を示した燭台切にも、その一生を見届けたかったと思った主がいた。数多く大事にしてくれた所有者がいても、たった一人と思いたかった人間が在ったのだ、自分達にも。だから、この人形の気持ちは分かる。ましてこの人形にとっては生涯ひとりだけの持ち主なのだ、必死にならざるを得ないだろう。

「鶴さん」

 いじらしさに似た思いを抱いている所に窺う調子で名前を呼ばれる。

「この子の主を探してあげたい」

 幼かった付喪神が何かをねだる時の視線と酷似していた。けれどそれだけではなく、鶴丸に断られたとしても自分だけで決行しようとする固い意志もその片目に携えている。ひとりでははっきりとした人型を作ることも出来ず、ただ庇護されていただけのか弱さは遠い彼方だ。なんと頼もしく育ったのか、我が弟分は。誇らしいはずなのに、どうしてか少し寂しい。この光彩放つ付喪神を前にして、まさか自分は幼い魂への離愁を抱いているのだろうか。あの頃の方が良かった、などと。

「……そうだな。こうなりゃ、探してやるしかない」

「うん!」

 自分の中に生まれた疑念を振り払って頷けば、燭台切は嬉しそうに微笑んだ。この人形を連れてきてしまったのは鶴丸で、燭台切はたまたま居合わせただけなのによくここまで我が事の様に喜べるものだ。お人よしも過ぎれば心配の種になる。そこは、自分が見ておけば良いのだろうが本人はそれを良しとしてくれるだろうか。

「真名が分かっているんだし、政府に問い合わせればすぐ見つからないかな?」

「他本丸の刀剣男士が、余所の審神者の真名を握ってるって?間違いなく監視案件だろ、それ」

「でも、事情を話せば……」

「戦力である刀剣男士であるならまだしも、たかだか人形ひとつの為に政府が動いてくれるもんかねぇ。動いてくれたとしても、そいつは政府に預かられるだろうな、眠りにつかされて。持ち主がすぐ見つけてくれればいいが、最悪政府の保管庫で期限まで眠り続けて……結果処分、が妥当だろう」

 最悪を想定した言葉に赤い人形はぶんぶんと頭と体全体を激しく振った。それだけは嫌だという意思表示だ。これくらいならば微弱な声しか届かない鶴丸でも分かる。確かに見つかる可能性に賭けるには、見つからなかった時の結果が悪すぎる。持ち主に処分されるならまだしも。

「……」

 その思考に、思わず動きが止まった。商店街で鶴丸の羽織に入り込んだ、とこの人形は言っていたが厳密には何処でだったのだろう。今日、鶴丸は商店街をぶらぶら歩きまわった。そこで多くの刀剣男士達や、審神者達とすれ違った。狭い店内では多少の接触もあった気がする。その際に、人形が鶴丸の近くに落ち、目覚めた人形が鶴丸の羽織へ入り込んだのかもしれない。はたまた、人形が落ちていた近くを鶴丸が通った時か。どちらにせよ、それならば良いのだ。

 ただ、鶴丸が歩いた場所はそこだけではない。商店街の裏路地、そしてゴミ捨て場。切り身を食べる野良猫の頭を撫でて邪険にされた時間があった。もし、もしもその際、人形が鶴丸を見つけ羽織の中に入ったのであれば、人形が落ちていた場所というのはゴミ捨て場なのではないか。

「鶴さん、どうかしたかい?」

「うん?ああ、いや、どうすれば見つけられるかなと考えていてな」

 突然黙り込んだのだ、不思議に思って当然の問いかけにさらりと嘘を吐いた。赤い人形も不思議そうに鶴丸を見上げている。生まれたての無垢の存在に今の仮説の答えを求めるのは酷なことだろうか。いや、そもそも審神者が真名の書いてあるものをホイホイ捨てるとは考えにくい。しかも誰かが持ち帰る可能性が皆無ではない商店街のゴミ捨て場に。だからこの人形は捨てられたわけではない、筈だ。

「うーん、そうだね。どうすれば見つけられるかな。商店街でこの子を掲げてずっと立っている訳にはいかないし。……ん、何だい?商店街で野宿して待ってみるって?だめだよ、いくら自由に動けるって言ったって、君、簡単に連れ去られてしまうよ」

 長身と五寸の付喪神は共に頭を捻り、解決への道を話し合っている。そうだ、自分も行き止まりの答えに立ち止まっている場合ではない。

「お店の人に言伝をお願いして回ってみるのはどうかなって思ったんだけど、……だめだね。うちの本丸名を宣伝して回る訳にはいかない」

「自分を見つけてもらうのも、誰かを見つけるのも意外と難しいもんだな……。人の手から手へ渡り歩いてきた俺達じゃ、パッと思いつくのは難しいかもしれん」

 人に求められて自分の居場所を移してきた。そして探しものとの再会はいつもただひたすらに待つばかり。それが鶴丸達にとっての常だ。自発的に動いて見つけてもらう、何かを探すというのにはまだ慣れていない。

「大丈夫、まだ考え始めばかりだよ。落ち込まないで」

 ここに来るまでの長い時を軽く思い返し自分の顎を掴んだ所で、思考に励ます声が被さった。燭台切の手の中で赤い人形がしょんぼりと肩を落としている。燭台切の言う通り、捜索は始まったばかりだというのにもう落ち込み始めたのか。確かに案を出しては否定、を繰り返していけば段々と手詰まりを感じてくるのは仕方がないことだが。

「そうだぜ、今捜索を始めたばかりじゃないか。何を落ち込むことがある」

 人差し指でつるつるとした丸い赤頭を弄ってみても人形はされるがままだ。

 生まれたての付喪神は不安定なもの。持ち主が近くにいれば徐々に安定してくるのだろうが、この人形は目覚めた時既に持ち主の手を離れている。若い霊力と持ち主との脆弱な繋がりしかない付喪神がいつまでこの状態でいられるのかは誰にもわからない。ましてこの人形は物としても作られて十年かそこらだ。悪い条件が揃っている。時間がない、と人形は思っているのかもしれない。

 もし本当に時間が残り少なく、それまでに持ち主を見つけられない場合この付喪神はどうなるのだろう。またただの物になるのだろうか。ここまで必死に持ち主を求める付喪神自身の強い想いも、なかったことになるのだろうか。それは少し、勿体ない気がする。

「出来る限りの手は尽くすさ。だが、もしきみの懸念が当たり持ち主が見つからない時は、うちに来ればいい」

 うちの主は良い奴だぜ、と付け加えると今までされるがままだった人形が赤い面を上げた。

「主の物になった後もその想いは持ったままで良いからさ。主人が変わる度自分の想いも変える必要はない。主には秘密だけどな。悪くない話だろう?……そう考えれば時間に焦ることはない。だからそんなにしょんぼりするなよ、赤い坊や」

 ちょみちょみと、駄目押しで頭を撫でれば人形は一呼吸後にこくんと頷く。

 人間と所有物の間柄に、他の物が口を出すことは本来ならば有り得ない。けれど、縁というものがある。自分は、付喪神同士でも深く結ばれる縁があることを身を持って知っているのだ。人間の想いの強さには敵わなくとも、その付喪神へと自分の想いを注いでみたいと思うこと。そして始まったばかりの付喪神の物語を、同じ付喪神である鶴丸が導きたいと思うのは罪ではないだろう。始まりを掌握し、そこから続いて終わるまでをひとり占めしたいと思うことは罪でも。

 くすくすと、控えめな笑い声が鶴丸の頭上でたつ。今の言葉に笑いどころがあっただろうか。

「もしかして俺、性別間違ってるか。赤い嬢ちゃんが正しかったかい」

「ううん、合ってると思うよ。この子多分何とか戦隊って子供番組の人形みたいだし。赤は男の子だったんじゃないかな」

「じゃあ、何で笑っているんだ?」

「相変わらず鶴さんは誑しだなぁって思って」

「は?」

 言っている意味が分らない。いつ鶴丸が誑し込んだと言うのか、一体誰を。

 大体誑しというならば燭台切の方がよっぽど誑しだ。付喪神として目覚めたての頃から鶴丸をこれでもかと愛らしさで振り回し、再会してからは大人びた顔で博愛をあちこちばら撒き、あれだけ懐いてた鶴丸にも同じ物しか与えない。名もない付喪神が名を、刀が号を初めてもらうということは、生まれ直すこととほぼ同義だ。だから、燭台切だって鶴丸のことを記憶として覚えていても、あれだけ注いだ想いは忘れてしまったのだ。鶴さんと昔と同じ名で呼ぶくせに、昔では考えられないくらい遠い場所から声をかけてくるのが何よりの証拠ではないか。

 そうやって燭台切は鶴丸を戸惑わせる。昔と同じように光坊と呼ばせておきながら、抱きあげようと手を伸ばしたら拒絶するのだろう。鶴丸は今も振り回されている側だ。そんな鶴丸を誑し呼ばわりとは。

「あのな、」

「そうだ、名前……!」

「……名前?」

 流石に一言言い返さなければと口を開いた所で、閃きに上がった声が遮る。その顔を見ればわざとじゃないことは分ってしまうので、素直に聞き返してやるしかなかった。

「そう、名前。この子の名前!」

 そう言われても鶴丸は子供番組の何とか戦隊なるものを見たことがないので分からない。主に聞けば分かるかもしれないが。

 首を傾げる鶴丸から視線を人形に落し、燭台切は優しく問いかけた。

「君、主からもらった名前とかないかな。主がつけてくれた君だけの名前が」

 その発想がなかった鶴丸が驚いていると、心に直接届く声に対し律儀に耳を傾ける姿勢を取っていた。そしてうんうんと相槌を打つ。

「そっか『ヒーロー父ちゃん』って言うのが君の名前なんだね」

「随分変わった名前だな」

「でも、たったひとつの名前ってそういうものだよ」

 どこか甘やかな声でそう言い、何故か燭台切はとても幸せそうに微笑んだ。鶴丸に向かって。幼子の時には見たこともない表情に胸の奥をどん!と盛大に叩かれた感覚を味わう。きみの方がよっぽど誑しだ、などと茶化そうとする言葉さえ喉のでつっかえる位驚いてしまった。

 何が彼にこんな顔をさせるのか、想像が出来ない。離れている間にお互い様々なことがありすぎた。知らないことばかりが増えてしまった。鶴丸が今初めてみたこの表情が、今初めて燭台切が浮かべたのかもわからない。彼はこんな顔を、とっくの昔から博愛をばら撒くように誰彼に見せているのかもしれない。

 それは、それはとても許しがたい。誰彼にこんな顔を見せるならば、こんな顔をさせるものなんて壊してしまいたい。

「よし、名前が分かったとなれば良い方法があるよ」

 ごくりと自分の喉が鳴る音と、純粋篤実な声で我に返る。同時に頭の裏に、背中に、冷たい汗が流れた。

 今、保護者としてあるまじき衝動が鶴丸を支配しかけていた。可愛い子の笑顔を願うのではなく、その原因を壊してしまいたいなどという、愚かな衝動が。馬鹿なことを考えるなと鶴丸は自分を殴りたくなるのを耐える。

 自分の中から湧き上がった今の想いを全くの嘘だと否定したりはしまい。けれど一番に優先したい想いではないと断言はできる。多分もっと、もっと、違う感情なのだ。燭台切に対する想いは。

 そこまで分かっているのにその想いの正体が暴けない。凶暴さと背中合わせにあるその想いの正体が。

「鶴さん?」

 ぐっと拳を握る鶴丸を、身体を屈めた燭台切が下から覗き込む。また顔が近い。そうやって誰彼に、と内なる自分が叱りつけそうになったが更に強く握った拳のお陰で耐えられた。

「ハーブが散らかってるの、気になるかい?大丈夫だよ、少しくらいならこのままでも」

「そうか、歌仙に雷を落とされないなら安心だ」

「歌仙くんは別に理不尽なことで怒る訳じゃないからね?皆必要以上に怖がるけど」

「いやいや、多少の贔屓はあるぜ?まあいいや、話の腰を折って悪かった。それで?きみの作戦を教えてもらっていいかい」

 水を向ければ燭台切は素直に乗ってくる。鶴丸の予想通り燭台切はうん、と頷いた。

「鶴さんはメリーちゃんって知ってるかい?」

「メリーちゃん?」

「はぐれた自分の持ち主を探して必死に戻ろうとする頑張り屋さんの付喪神だよ」

 ヒーロー父ちゃんくんと一緒だねと、人形に笑いかけているが鶴丸はその異国の名前に聞き覚えが一切ない。それに気付いた燭台切が掻い摘んで話してくれた。

 

 何でもメリーちゃんという異国人型の人形があって、経緯は分からないが持ち主とはぐれてしまったらしい。そこまでは燭台切の手にある人形と同じだ。ここで違うのはメリーちゃんは持ち主の電話番号だけはしっかり記憶していたらしい。メリーちゃんは何とか迎えに来てもらおうと、街を徘徊し十円玉を探し持ち主に電話を掛ける。

『わたし、メリーさん。今ゴミ捨て場の前にいるの』

 居場所を言えば持ち主は迎えに来てくれると思っていた。しかし一向に迎えに来ない。メリーちゃんははぐれた場所を離れるのは得策じゃないと分りながらもまた十円玉を探すために持ち場を離れる。次に十円玉を見つけた場所はゴミ捨て場からはあまりにも離れた場所であった為、ゴミ捨て場に戻ることを諦めたメリーちゃんは近くにあった公衆電話からまた持ち主に電話を掛ける。

『わたし、メリーさん。今交番の前にいるの』

 しばらくしても持ち主はやはり迎えに来ない。これは持ち主の身に何かあったのではないか、流石にそう思ったらしい。しかし人形の身であるメリーちゃんはすぐに持ち主の元へ帰ることは出来ない。何日も何日もかけて帰っていくしか。心配で身を引き裂かれる思いになりながらも、持ち主を求めて旅をするメリーちゃんであったが、途中何度も事故に見舞われる。車に引かれ、猫に襲われ。あんなに綺麗だった衣服も、見事に作られていた四肢ももげてしまう。それでもメリーちゃんは諦めなかったそうだ。やっとの思いで、持ち主の元へ辿りついた時メリーちゃんは首と胴体だけになっていた。けれどもメリーちゃんは自分がいなければ夜も眠れなかった持ち主を知っている。きっと自分がいなくて持ち主は泣いている、とぼろぼろの姿を厭うことなく立派な面持ちで持ち主の前に現れたらしい。しかし持ち主からは

『来ないで!』

との一言。メリーちゃんは身体を震わせ涙ながらに叫ぶ持ち主の必死な訴えに気付いた。

『ああ、この子は独り立ちしようとしているんだ。わたしがいる限り、ずっとわたしに頼り続けてしまうから』

 メリーちゃんは持ち主の成長しようとする努力に、涙を飲んで暗い闇へと消えていった。

 

「すごく、すごく素敵な子だよね」

 感極まった声に赤い人形がこくこくと何度も頷く。表情は分からずともこちらも感動しているらしい。

「まあ確かにそこまで根性あるのはすごいな」

「だろう?僕最初にこの話を聞いた時泣きそうになっちゃったよ。健気だよね、だって車に引かれても、猫に襲われても、」

「ちょいちょい。そこの話を広げるのは今度にしようぜ。俺にはそのメリーちゃんの話ときみの思いついた作戦が結びつかないんだが」

 この人形が持ち主の家の電話番号を知っているなら話の様に電話をかけてみればいい。けれど、この生まれたての付喪神が電話番号を暗記しているとは思えない。ならば燭台切のいう良い方法とはどの部分だろう。

「あ、ごめん。話してる内に感情移入しすぎちゃった。あのね、方法っていうのは電話の部分を張り紙にしたらどうかなって」

「張り紙?」

「うん、商店街の区長さんに許可は貰わないといけないけど各お店に言伝をお願いして回るよりよっぽどいいかなって」

「今別の本丸にいますって張り紙するのか?」

「ううん、時間を指定してここで待ってますって張り紙。で、実際僕らがヒーロー父ちゃんくんと一緒に指定された時間に待ち合わせ場所に行くんだ。そしたら持ち主は現れてくれると思うんだよね」 

「ふーむ……」

 特に危険なことはなさそうだ。人形は燭台切が持っていれば真名を誰かに見られることもない。指定場所に来なければ別の方法を考えればいいし、誰かが現れたら持ち主か確認すれば良い。

「良いと思うんだが、何故その作戦でこいつの名前が必要だったんだ?別に赤い人形預かってますでも張り紙は出来るだろう?」

「考えたくないけど、面白がった人が持ち主のふりして来る場合もあるし。ヒーロー父ちゃんくんの名前だけならなんのことか分からないだろう?実際指定場所に来ても僕らふたりだけがその場にいれば、何も知らない人はなんだ悪戯かって帰っていくよ。僕らふたりのうちどちらかの名前が『ヒーロー父ちゃん』だとは審神者なら思わないだろうし」

「『ヒーロー父ちゃん』が人形だと分っている奴だけが俺達に声を掛けてくるってことか。確かに現れた人間にいちいち確認する手間を考えればそっちの方が楽だな」

「そういうことだね」

「いいぜ。なら、とりあえずやってみるか」

 ようやく行動に移せる案が出てきた。今は余計な事は考えず、この人形の持ち主探しに集中しよう。

「そうと決まれば張り紙の準備だね。山姥切長義くんに頼んでみるよ、彼ならパソコンですぐ印刷してくれるかも」

「待ち合わせ場所と時間決めを先にしないとだな。場所は、そうだな人通りがほどほどの場所が良いだろう。……ゴミ捨て場の近くは縁起が悪いかい?」

「いいんじゃないかな?用のない審神者はまず来ないだろうし、落とし物をした人なら一度は見に来る場所だと思うよ」

「じゃあ日時は」

「今日が良いと思う。大切なものを失くしたらその日の内に自分が歩いた場所を探すと思うから。今日の18時にしよう」

「決まりだな」

「じゃあ僕、山姥切長義くんにお願いしてくる。あと出掛けるからついでに着替えもしてくるね」

 人形ごと差し出された両手に、自分の両手を受け皿にして近づける。人形は、一瞬不安げに燭台切を見上げたがにこっとした微笑みが促した。

「大丈夫、言葉は聞こえなくても鶴さんは君のこと分かってくれるよ。足の裏の真名も絶対見たりしない。優しいひとだって十分分かってくれただろう?」

 こくりと頭が落ちて、今度は迷いなく鶴丸の両手に移動する。ここで拒否されていたらちょっと傷ついていた。

 厨から出ようとする燭台切の背中に、ひとつ言わなければならないことを思い出して出ていく直前で声を掛ける。

「そういや、出掛ける許可はどうする?」

「あ」

「なんか他に買うものあるかい?」

「んー、今は特にないんだよね。塩も買ってきてもらったし」

「なら許可を取る必要があるな」

 と言っても正直に理由を話すべきか。鶴丸達の主は燭台切に負けず劣らずお人好しでかつ人情に熱すぎる男だ。経緯を話せば少々面倒くさいことになりそうである。

「なら適当な理由作って主には俺から、」

「俺がなんだって?」

「あ、主……」

 燭台切が出ていこうとした厨の出入り口ににゅっと身体が現れる。布面をしている為その顔は分からないが、その布面こそ彼がこの本丸の主である証拠だ。さり気なく人形を後ろ手に隠した。

「何、お前ら出掛けんの」

「う、うん」

「へぇ、適当な理由で許可取って?」

「聞かれてたか」

 この位置から燭台切に聞こえる様に話していたのだ。ならば、その近くにいたらしい主にも聞こえて当たり前だろう。これは分が悪い。霊力や気配を消して本丸を徘徊するなと何度近侍から注意されても聞かない男だ。そういう主が嫌いなわけじゃないが、今ばかりは厄介だと思わずにはいられない。

「別にどんな理由でも許可出さなかったことないんだけどなぁ。主ショックだなぁ」

 これ見よがしにいじけだす。このままだと正直な経緯を離さなくとも面倒くさいことになってしまう。何か、何かパッと言ってしまわなければ。

 そう言えば、誰も邪魔をしてはいけない外出の名前がなかっただろうか。乱が一期を本丸から連れ出す時によく言っていた言葉が。あれはなんと言ったか。確か二文字、いや正確な音は三文字。『僕、これからいち兄と……なんだから邪魔したら駄目だよー♡』そうだ、そう言っていた。『僕、これからいち兄とデ――』

「デートだ……」

「はい?」

「え、ちょっとつるさ、」

「デート??ふたりで??」

「ああ、デートだ。俺と光坊はこれからデートに出掛ける。主、外出の許可を貰えないか」

 主の反応からもみてこの言葉だと確信を得る。のっぺらぼうの面をまっすぐ見つめると、視線を受け取った主が今度はすぐ近くにいた燭台切の方へぐりんと顔を向ける。

「光忠、マジで??マジでデートなの?」

「うっ……」

 主に向き合った燭台切の顔はここからでは見えない。しかし、襟足から見え隠れする項がじわじわと赤に染まっていくのが見えた。燭台切の性格からして突発的な嘘は苦手なのだろう、それとも主に向かって嘘を吐くことに緊張しているのかもしれない。必要な嘘だと思ったら冷静に言えるだろうに、そうでない場合の純粋さが彼の言葉を詰まらせてしまう。けれど、人形の持ち主への強い想いを思い出したのか。燭台切は太腿の近くにある両手をぐぐっと握り、覚悟を決める。

「で、デートで、す……」

「まーじーでー!?!?」

 言葉尻が消えていく返事に主が大声を上げる。表情は分からないが一気に花が咲いた様な雰囲気を出し始めた。

「そー!!デート!!いーよいーよ!いってこい!!!!外泊許可も出したげるから!ホテル代は経費で落とせばいい!落ちない時はポケットマネーで出してやる!」

「と、泊まらない!夜までには帰ってくるから!」

「良いんだよ、遠慮すんなって!お前ら皆の幸せは俺の幸せでもあるんだから!そうだ、準備はきちんとしてるんだろうな?ゴムとかちゃんと、」

「も、もう行って!主の気持ちは分かってる!分かってるからもう行って!お願いだから!」

 異様に高揚している主の肩を、燭台切が声を荒げながら掴み厨の外へと押し出そうとする。急な展開についていけない。

 本気の燭台切に敵うはずもなく主は厨の外へと押し出されてしまった。そのまま燭台切に追い立てられその場を去っていく。去り際に主が更に何かを言ったが鶴丸には聞き取れなかった。「大きな声で言わないで!」と言う燭台切の後ろ姿が発する悲鳴に近い叫びだけが、厨の中に大きく響いた。

 聞いたことのない燭台切の声色に固まっていると、厨の入り口でぜーぜーと叫び息を切らせていた長身がゆらりと振り返る。頬どころか顔全体を赤く染め、目は少し恨みがましい感情を含んでいた。

「な、なんだ」

「どうしてあんな……、デート、なんて。……意味知らないだろう」

「誰も邪魔をしてはいけない外出の名前じゃないのか?乱がよく使っていただろう、一期との外出理由に」

「確かにあれもデートだろうけど、あのふたりの場合と僕らの場合じゃ全然意味が……」

「違うのか?」

「……ちがわ、ないね。鶴さんにとってはきっと違わない。動揺した僕が悪かった。……しまったな、澄ました顔でいれば良かった」

 今度は急に声の調子を下げる。さっきから感情の変化が目まぐるしい。昔はそうだったが、今の燭台切にしては珍しい。彼の感情をここまで乱すものは何なのか。知りたい。知らないと、また凶暴な感情が込み上げてしまいそうになる。きっと、知ってしまっても同じ結果になるが。

「光坊はデートって理由が嫌だったのかい?」

「……嫌じゃないよ。鶴さんがそう言ってくれて嬉しかった」

 義務の様に目を細める。けれどその声色に嘘は感じられない。拒絶や拒否も感じられないが急に感情の波を隠されたのは分かった。何故隠すのだろう、あんなに鶴丸に懐いていたのに。鶴丸が、曖昧な魂に感情を沢山沢山注いだのに。ならば、彼の感情の源はいつだって鶴丸でなくてはならないのでは――。

 ぽふ、と首の後ろで気配がした。後ろ手に隠していた人形がいつの間にか移動したらしい。駄目だ、これ以上いつもと違う燭台切を見るべきではない。まして暴こうとするなんてもってのほかだ。急速に蝕もうとする自分の仄暗さを振り払えなくなってしまう。

「そうか、あの理由がきみに不快な思いをさせたわけじゃないなら良いんだ。引き留めてしまって悪かったな。時間は限られてるってのに」

「こっちこそ必要以上に騒いでしまってごめんね。急いで山姥切長義くんへお願いしてくるから、あと身支度も」

「ああ」

 ひらりと手を振り完全に見送る体制を取る。けれど通常運転好奇心旺盛な部分の自分が一瞬だけ唇を乗っ取ってしまった。もう廊下へと出た燭台切に問いかける。

「なあ、ゴムってなんだい?」

「ひ、ヒーロー父ちゃんくんの前でその言葉絶対言わないで!」

 それだけ言って出ていってしまった。厨に残されたふたつの付喪神は揃って首を傾げるしかない。

 

 

 尊敬すべき先進からのお願いだったからか山姥切長義作の張り紙は燭台切が着替えている間にあっという間に出来上がった。20枚刷った張り紙を鶴丸に渡しながら当の刀は「凝ったポスターと違って文字だけの張り紙ならそう時間はかからないよ」と何でもない様に言ったが、あれは頼んで来たのが他でもない燭台切だったからいつも以上に素早い行動を見せたのだと鶴丸は思っている。それを燭台切に冗談交じりで言うと「きっと誰が頼んでも彼は最速でしてくれたと思うよ、まんばくんが相手でもね」と後進を見守る年長者の顔で答えた。大倶利伽羅や太鼓鐘に対するものとはまた違うその大人びた顔に、彼も短くない時を存在している付喪神なのだと改めて思い知らされる。

 幼く可愛い魂で在った時のことを厭うているかは分からないが、燭台切は今の自分に自信を持っている。遠い日の面影が薄れていく様な気がして寂しいのは鶴丸ばかりだ。あの頃の繋がりが途切れた訳でも、お互い忘れたわけでもない。距離感は遠のいてしまったが今も祖父や父や兄の様に慕ってもらい、大事な弟分と可愛がっている関係性なのに、自分は何が不満なのだろう。

 時間制限があるため話はそこそこに二振り+一体で急いで商店街に向かった。そして初めて訪れる商店街振興組合なる事務所に顔を出し、そこの区長へと人探しのために張り紙をしていいか打診をする。『本日十八時、ゴミ捨て場にて待ってます ヒーロー父ちゃんより』とだけ書いてある張り紙を見た区長は特に問題はないと判断したらしく、承諾をしてくれた。どこそこの壁などではなく商店街内の決められた場所、例えば各掲示板に貼ること、店先やその近くに貼る際は店の主人に確認を取ること、探し人が待ち合わせ場所に来ても来なくても必ず本日中に全ての張り紙を剥がして帰ること、それを条件として。

 承諾を貰った鶴丸と燭台切は早速二手に分かれて張り紙を貼って回ることにした。各10枚ずつを重ならない範囲で貼る為に軽く打ち合わせをして、また後でと別れる。各本丸が利用する商店街は中々広大だ。備前国、相模国等、国によって利用できる商店街は違うらしいが、一国分全ての本丸の買い物を担うとなれば仕方がないのかもしれない。

 人形は燭台切の方についていったので鶴丸はひとりで商店街に張り紙を貼って回る。掲示板に、そして客入りの多そうな店に頼んで貼らせてもらったり。貼っている最中に持ち主が気づいて声をかけてくれないかと期待をしてみたもののそう上手くはいかなかった。声を掛けてきたのは通りすがりの妖や、刀剣男士しかもその7割が自分と同じ鶴丸国永だった。「よっ、何してるんだ?」とまるで旧知の仲のごとく気軽に声をかけて来る者ばかりで、我ながら暇な同種が多いのだなと苦笑いをしてしまった。あれらは親切心というよりも、面白そうなことがないか首を突っ込んで来ただけだ。自分のことだからよく分かる。

 予想以上に声をかけられたことにより予定の時間より貼り終わるのが遅くなってしまった。急いで燭台切の元に戻る。が、燭台切もまだ待ち合わせには来ていなかった。鶴丸と同じ状況なのかもしれない、大人しく待つことにした。

 しかししばらく経っても燭台切と人形のふたりが現れない。これは何かあったのではないか、探しに行くかと流石に心配になった時ようやく全身黒の付喪神が待ち合わせ場所に現れた。他の本丸の燭台切光忠ではない。霊力を探って確認するまでもなく、鶴丸の、燭台切だ。

「ごめん!遅くなっちゃった!」

「貼り場所に悩んだのかい?」

「ううん。貼り場所はすんなり決まったんだけど、いっぱい声をかけられちゃって」

 やはり鶴丸の予想通りだ。

「貞ちゃんとか、伽羅ちゃんとかがね。皆何してるか気にしてくれて。あと鶴さん、鶴丸国永さん達が結構声かけてくれた」

「あー、多かっただろう。すまんなぁ、暇してるんだ」

「皆心配してくれたみたいだよ。何か困りごとなら手伝うぞって揃って言ってくれたから」

「……」 

 思わずこめかみに手を当てる。可愛い弟分に良いとこを見せたい個体ばかりだ。気持ちは分からなくもない。鶴丸だって、こんな広大な商店街でひとり黙々と張り紙をしている燭台切光忠を見かけたら声を掛けてしまう自信がある。だからといって、皆が揃って同じだと聞くとなんとも言えない気持ちだ。燭台切光忠が詐欺でも始めたら被害率1位は鶴丸国永だろう。詐欺だと分っていてもわざと騙されるに決まってる、どいつもこいつも。

「鬱陶しいとは思うが、邪険にしてないでやってくれ。あいつら織田時代からの刷り込みで『小さくて可愛い光坊』が未だに重なって見えるんだ。きみはもう立派な付喪神だというのに」

「あ、でもそうじゃない鶴丸国永さんもいたよ。僕のこと『燭台切』って呼んだ鶴丸国永さんもいたし」

「え?」

「というか、聞いた話によると本丸で初対面を迎える僕らの方が多いみたいだよ。後世に残る歴史が曖昧だと、僕らの記憶、正確には記憶に影響を与える物語かな、それのふり幅が大きくなるみたい」

 あっさりと言われる言葉に自分の目が見開かれるのが分かる。自分達の初対面がいつなのか等、鶴丸は疑ったこともなかった。鶴丸には織田の屋敷での燭台切との記憶がはっきり残っている。まだ号がない、生まれたての魂をその頃から『光坊』と呼び、共に時間を過ごし感情を注いでいた、その記憶が。長く続かなかった時間が終わりを告げる際「またあえるってやくそくして」と、悲しみを耐えて健気に再会をねだる愛しい魂を。

「前に主に言われたんだよね。『知り合いのとこの燭台切が、鶴丸と仲良くなるきっかけに悩んでるみたいだけどなんかアドバイスないか?お前ら初対面とは思えないくらいめちゃくちゃ仲良いじゃん。きっかけとかあったの?』って。だから僕びっくりしちゃって」

 僕ら織田時代からの付き合いだよって言ったら今度は主の方がびっくりしてた、と燭台切はその当時のことを思い出して笑っている。鶴丸は未だ信じられない気持ちでいるというのに。

「忘れるはず、ない。どうして、他の奴らは……」

 あの愛しい日々を失くして平気でいられるのか。歴史の、物語のふり幅と言われても鶴丸は信じられない。あの日々が実はないものかもしれないと、そんなこと許せるはずがない。ならば、伊達の屋敷で燭台切の号を知り存在を感じられた時の喜びは、焼失したと聞いた時の絶望は、再び刀として歴史に戻ってきた時の安堵は、この本丸で再会できた時の至上の幸福は。鶴丸のこの、想いは――。

「でも、良かった」

 記憶だけでなく自分の根芯を崩されていく感覚に立ち尽くしていると、身を包み込む様な声が聞こえた。硬い動きでその声を追えば、そこにあったのは幸福を形にした隻眼。

「僕も鶴さんもあの時のこと覚えていて。あんなに楽しかった日々をどちらかひとりしか覚えてなかったら、寂しすぎるもの」 

「光坊……」

 あったかもしれない可能性を寂しいと見送って、燭台切は目の前にいる鶴丸の手をそっと取った。

「まあ、どちらも覚えていなくて、鶴さんと本丸で初対面を果たしたとしても僕は鶴さんと仲良くなったと思う。自信あるよ。否定するわけじゃないけど、あの織田のお屋敷での日々が幻だったとしてもね。鶴さんはそう思わない?」

「俺は……。……そうだな。俺も、そう思うよ」

「ねっ」

 同意を受けて嬉しそうににっこり笑った。

 嬉しくない驚きが大きすぎて、まだ燭台切の様にあっさりと自分達の過去を可能性の海に流すことは出来ないが、今の燭台切の意見に異を唱えることは出来ない。こんな魅力的な存在、鶴丸が無視できるわけがない。織田の記憶がなければ伊達での縁を持ちだしてでも近づいたに決まっている。幼い魂を知らずとも、この存在を欲した。今鶴丸の目の前にいる、この燭台切光忠を。それがどんな感情から起因される結論か、さすがに自覚せざるを得ない。

「って、ごめん。人の往来が多い所で話すことじゃなかったね。急ぎの話でもないのに」

「いいや、今知れてよかったぜ。……実は言うと最近過去と現在についてもやもやしてた部分があったからな。きみの話を聞いて大いに納得出来た」

「そうかい?それなら良かったけど」

 鶴丸は、この存在に恋焦がれているのだ。

 昔からの庇護欲を持ったまま、それがなくとも好きになったと確信を持てるくらいに。純粋に可愛がりたい感情と、自分だけのものとして可愛がりたい感情が均等さを持って燭台切への恋となっている。だから、燭台切が自分との出会いを数ある出会いのうちのひとつとしてしまえば非常に寂しく、けれど彼が鶴丸の幼子で有り続けまいとするのを認めた。あの幼かった頃のまま燭台切を独占したい、しかし幼子のままでは彼は愛されてくれない。そう思ったからだ。

 鶴丸は織田の屋敷での出来事を幻だとは思えない。いつか歴史に断じられても。それほどまでにあの日々は鶴丸にとって愛しいものだ。燭台切はその愛しさをふたりで共有できていることを心から喜んでくれた。同時に、もしも、あの日々が幻でもふたりは必ず親密になれたと断言もしてくれた。

 鶴丸はずっと燭台切にそういって欲しかったのだ。燭台切が好きだから。ふたりが関わっている全てを肯定してほしかった。大事だと、心から言って欲しかった。

 我ながら単純なもので、たったこれだけのことですっと胸が透くのが分かった。凶暴な感情だって原因が分かればどうとでも操縦出来よう。全ては彼を想う気持ち故と思えばそれは容易いはずだ。

「ヒーロー父ちゃんくんもごめんね、ずっと狭い所で我慢してもらって」

 様々な想いを巡らせている鶴丸の目の前で燭台切が俯いて声を落とす。すると、もぞもぞと胸元が動き出す。そこからひょこりと、近くで対面していなければ気づけない赤い頭がスーツの更に下、黒いベストのV字のちょうど真ん中から生えてくる。胸ポケットでは完全に顔が出てくるし、スラックスのポケットでは落ちた時が気づかない。スーツの内ポケットも同じく。だからって、谷間に入り込むのはどうなのだろう。居心地は良いに違いないとしても。この人形が無垢な存在でなければ摘まみだしていた所だ。

「まだ18時までには結構時間があるね。……持ち主さん見てくれるかな」

「そう願うしかないな。ギリギリになるまで商店街を歩いて回ろうぜ。もしかしたらそれらしい人間に会えるかもしれんし」

「うん、そうしよう」

 この問題が解決したら燭台切に鶴丸の想いを伝えることにしよう。人の往来があるこんな場所ではない所で。果たして彼はどんな反応を返してくれることだろうか。

 

 

 その後商店街を見て回ったがやはり敷地が広大なためか、それらしい人間を見かけることはなかった。そもそも、持ち主がこの人形を探しているとも限らない。勿論口には出さなかったが、鶴丸は今日持ち主は現れないのではないかと思っている。真名の問題はあるが、失くしたものは量産型の人形。持ち主がそれを探すのにどれ程必死になれるか。鶴丸達は物であるしこの人形の必死な想いを知っているから持ち主の元へ返してあげたいと思うが、人には物の気持ちは届かない。期待はあまりしない方が良い。

 と、経験上一部の人間にあまり良い印象を持っていない鶴丸は擦れた考え方をしていたのだが、18時少し前にゴミ捨て場に向かった所、そこには既に蜂須賀虎徹を伴った審神者が一人いた。鶴丸達の姿を見るなり「俺のヒーロー父ちゃんは!?あのっ、レッド!赤い人形!足の裏に俺の名前が書いてあるんだけど!」と慌てながら近寄ってきた。こちらがこまごま確認をする前に切り出されてきたので、持ち主に間違いはない様子だった。

 その取り乱し様に、真名を余所の刀剣男士に握られていると思えばそれだけ焦るだろうと口には出さなかった鶴丸の隣で、燭台切は嬉しそうに懐から人形を自分の手のひらに誘った。ぎょっと驚いたのは審神者の後ろにいた蜂須賀だけで、審神者はそんなことよりも差し出された人形をまじまじと見、そして涙を浮かべ抱きしめる様に両手で受け取った。刻まれた真名を守れたという風ではなく、ただただ嬉しそうに見えた。蜂須賀の「良かったね。ヒーローが戻ってきてくれて」という優しい声色の一言がその印象の後押しをする。

 聞けばその人形は幼い頃、亡くした父親が死ぬ直前に買ってくれた形見だったという。幼かった当時の審神者は警官だった父をそのヒーローの人形に重ねることで悲しみを乗り越え、本物の父と同じ様にずっとずっと大事にしてきたらしい。大人になってもお守りの様に袋に入れて、どこに行くにも一緒。だからこそ袋に穴が空いているのに気づかず落としてしまう事態になってしまったとのことだった。

 本丸中を探しても見つからなくて途方に暮れていた所、商店街方面を探していた蜂須賀が張り紙に気付いて急いでやってきたのだ。ありがとう、本当にありがとう。と審神者は何度も頭を下げた。礼をしたいから本丸名を教えて欲しいとも言われたが丁寧に断った。礼が欲しくてしたわけではない、人形の必死さに胸を打たれただけだ、と。

 その当の人形は持ち主の手に戻った途端、またただの人形に戻ってしまっていた。そこにいた全員が驚いたが、彼は本当にただただ必死で、持ち主を探すためだけに奮起していたのだろう。大事な主の手に戻った今、彼はまたただの人形に戻った。主の、父に対する大切な想いを注がれる器になる為に。自分がどうあるべきかを、人形はよくよく理解していたのだ。涙を飲んで闇に消えたメリーちゃんと同じように。

 

 

 商店街からの本丸への帰路。張り紙を剥がして回った時からそうだが、なんだかしんみりしてしまった鶴丸達の口数は少ない。周りには人の往来もないから、自然の音以外はほぼ静寂が続いていた。

 燭台切は鶴丸の一歩前を歩いている。その後ろ姿が少し寂しそうに見えるのは気のせいではないだろう。

『お礼はいりません。真名もすぐに忘れる様に努力しますし、勿論他言など一切しません。……その代わり、その子をこれからもずっと貴方のお側においてあげてください』

 優しく柔らかに、けれど真剣に審神者に告げた姿を思い出す。

 持ち主と一言も交わさずただの人形に戻った付喪神の気持ちを他の物が代弁するのは無粋とも思えるが、けれど持ち主を想う物の総意でもある。同じ物として、そしてその願いを強く持っていた燭台切が伝えるのであれば、非難する物はどこにも存在しないだろう。

「ちょっと残念だったね」

 前を歩いていた燭台切が、突然振り返って笑う。遠目に本丸が見える距離まで来た。このままの雰囲気を本丸に持ち込まない為に、払拭しようとしているのが分かった。

「ただの人形に戻ったことがかい?」

「うん、いつかまたうちの本丸に持ち主さんと一緒に遊びに来てほしかったから」

「あいつが選んだことだ、仕方ない。それにもう二度と会えないと決まったわけでもないだろう」

「そうだね……。いつかあの子が、主の子に受け継がれて、またその子供に受け継がれていけば今度こそ立派な付喪神になるだろうし。そうしたらいつかきっと再会できるかもしれないものね」

 純粋な、そして物としてあまりにも都合のいい考え方だ。けれど否定する気にはなれない。そうだな、と笑って同意した。

「しかし、その時あいつは覚えてるかね、俺達のことを」

「覚えてるよ。ううん、もし忘れたとしても鶴さんがまた頭を撫でて『赤い坊や』って呼んであげたら思い出すよ、絶対」

「そうかあ?持ち主に名付けられた名前ならともかく、そんな取って付けた名前なんて覚えてやしないだろう」

 にっこにこと持ちだされた案は、採用するには少々御粗末だ。それならば燭台切の胸元に入れてやった方が大きく記憶を揺さぶるだろう。というか鶴丸ならそれで絶対思い出す。間違いない。

「人間じゃなく同じ物が呼ぶ名前にどれだけの力があるかなんてたかが知れてるぜ。しかも何の捻りもないそのまんまの名前。ただの記号でしかない。あいつがこれから先、本当に何度も主を変えるならそんな記号なんて欠片でも残りゃしないね。それよりもきみの胸元に、」

「……それは『光忠達のところの末の坊や』のことも言っているの』

 だんだんと払拭出来てきたしんみりの最後のひとひらを吹き飛ばしてやろうと、本音交じりの冗談を言いかけた所でひんやりとした声が割って入る。革靴の歩を止めて、ひたりと鶴丸を片目で見つめる。陽が落ちかけている空には、その目が射抜くように光って見えた。

「あなたが呼んでくれた名前を僕らが記号だなんて、思うはずがない。あなたに名前を呼ばれる度に僕がどれ程喜んでいたか……、鶴さんはあの頃のこと覚えてないのかい。確かに鶴さんにとっては数ある出会いのうちのひとつでしかないよ。でも、……覚えてくれてるって言ってたのに」

「お、覚えているさ!きみとの出会いから別れまで、全て!何を言い出すんだ急に」

「分かってないなら覚えてないのと一緒だよ!!」

 ハッとお互い息を飲んだ。燭台切は自分が大声で叫んでしまったこと。鶴丸は今言われた燭台切の言葉に。

「……ごめん、大きな声を出して。分かってるんだ、鶴さんにとっては取るに足らないものだって。何でもない純粋な優しさをばら撒いてくれただけなんだって。だから与えられた優しさに感謝すべきで、こんな責める様な言い方……、本当にごめんなさい」

「そこで引くな!」

 腕を掴む。思わずの行動だったので力加減が出来ていなかったが、燭台切が顔を顰めたのはそのせいではないことは分かる。鶴丸の失言に反応してしまった自分自身に対してだ。けれど鶴丸は今の反応を見なかったことには出来ない。

「俺は今きみを傷つけたんだろう!自分が悪かったみたいに振る舞うな、ちゃんと俺を責めろ!」

「違うよ、鶴さんは悪くない。僕が勝手に、」

「昔みたいに『鶴さんのばかばか!』って俺の胸を拳で叩いてもいいから!!」

 掴んだ腕を引っ張り、鶴丸の胸へと持ってくる。うまい具合に握られていた黒い拳が、トン、と燭台切の意志とは別に白い胸を叩いた。昔と違い片方だけの手が奏でた音だったが、固く閉ざされた気持ちを開くきっかけには十分だったらしい。顰められた端正な顔が、少し感情を解いた。

「ずるい、こんな時ばっかり昔を持ちだしてくるの……」

「きみの方が先に昔の距離から一歩引いたんじゃないか。昔の自分は恥ずかしいんじゃないのかい、いつまでも俺に保護者面されたくもないんだろ?」

「そうだけど、それだけじゃないよ。いつまでも過去の関係だけに固執してるなんて思われたくないんだ」

 唇を噛み締めて俯こうとする。それを咎める為にもう一度燭台切の意志を無視して黒い拳を自らの胸を叩かせた。トン、と音を鳴らせて燭台切の気持ちを更に開く。しばらくすると、今度は誰にも掴まれていない自由な方の手が軽く拳を上げ、トン、と鶴丸の胸を叩いてくれた。続いて、トン、トン、と。

「鶴さんの、……ばか。ばか。記号なんかじゃない。……もん。僕の大事な、たったひとつの名前だ、……もん」

 あの頃と違って鶴丸の胸にすっぽり入る大きさじゃない。頑張って昔に戻ろうとしていても、そればかりは戻りきれず燭台切は顔を鶴丸の肩口に伏せた。

「光坊って呼んで」

「……光坊」

 全ての想いを出来る限り詰め込んでねだられた前を呼ぶ。呼応して、長い息が鶴丸の肩に吐き出された。強張りが抜け切れていなかった黒い肩の力が段々と抜けていく。

「号を頂いた時、全てを新しく上書きされなかったのはその名前があったからだよ。一時期、歴史の中で燭台切光忠の物語が時を止めていた時に魂の形を見失わずに済んだのも、あなたが呼んでくれた僕だけの名前があったから」

「それって、」

「光坊って僕だけの、一番最初の名前をあなたが呼んでくれた。その呼び名は僕の宝物。僕の宝物を記号なんて言われたら、悲しいよ。他でもないあなたに」

 胸に添えられていた拳は開かれ、白い胸を握っていた。抱きあげた時、落っことさないでねとしがみついていた小さい手とは違い、立派な付喪神は鶴丸にしがみつく必要なんてないのに。けれど鶴丸を握りしめる手こそが今の燭台切の想いの表れ。その事実に思わず胸が震えて思い切り抱きしめたくなったが、迷って、その手に自分の手を重ねた。まずは幼子を宥めるのが先だ。

「ごめんな。鶴さんが悪かった。一種の自虐だったんだ」

「自虐?」

「過去の俺が呼んだ名前は、きみが頂いた号の前には物語のふり幅で消えてしまう曖昧なもの。俺との出会いもそうだ。あの人形にとっても今日のことは同じ曖昧なもので、俺が呼んだ思いつきの名前なんて忘れて当然だと思ったんだ。だから先に自分で言った。幻かもしれないものだから忘れられて当たり前だって」

「そんな……。そんな風に思うなんて僕がさっきあんなことを言ったせいだよね?僕が織田のお屋敷でのことを物語のふり幅なんて言ったから。他の個体のことはともかく僕らはどちらとも覚えてるじゃないか。それは僕らにとって真実ってことだよ」

「俺だってあれが幻だと認めた訳じゃない。真実だと信じている。信じていても、きみにとっては数ある出会いのうちのひとつでしかないと思っていたんだ。過去を特別大事にしているのは俺ばかりで」

「え……」

 戸惑いを肩口でやり過ごすことは出来なかったらしい。顔を上げた燭台切は手を握られたまま、鶴丸の顔を見る。その表情を見れば彼の言いたい事は明白だった。そんなわけないじゃないか。それは鶴さんの方だろう。そう、ありありと顔に書いてある。鶴丸は分かっていて、わざと嘆いて見せることにした。

「あーあ。きみが再会した時、こうして俺の胸に飛び込んできてくれたら良かったのになあ!実際は『やあ鶴さん久しぶり、また会えてうれしいよ』だもんなあ。この胸で会いたかったよ!って泣き出してくれれば俺だって、そこまで再会を待ち望んでくれていたのか!って昔の様に抱きあげてやれたのに」

「だ、だってそんなの、」

「みっともないか?そうか、光坊は立派な付喪神になったものな!そりゃあ矜持や見栄がある!喜びよりも優先させるべきものがある!だから俺は涙を飲んで澄まし顔で『おう、久しぶりだな』なんて片手をあげなきゃならなかった。鶴さんへの想いは矜持や見栄に負けてしまったかあ」

「ち、違う!いや違わない部分もあるけど……、だけどそれだけが理由であんな対応したんじゃないよ!だってそんな風に鶴さんの胸に飛び込んだら、それじゃあずっとあの頃の関係のままじゃないか!」

 焦っている。ものすごくわたわたと。決して口下手ではない彼が、どうすれば自分の本意が間違いなく伝わるか必死に考えながら話そうとしているのが伝わってくる。微笑ましいと笑うのは耐えなければ。

「だって、あの頃のままだったら絶対刷り込みだとか、鶴さん言うに決まってる!刷り込み、もないとは言わないけど、でもあの頃と違って抱っこやおんぶをしてもらいたいわけじゃない!あなたしか見えない世界であなたを望んでるわけじゃなくて、ええと、だから、つまりっ」

 その必死な姿に微笑ましさを噛み殺していれば、ふ、と目の前が暗くなった。急に陽が落ちきって闇夜が訪れたのかと思ったが、そうではない。こんな美しい満月が目の前に突然浮かび上がる筈がない。風ではなく、僅かな吐息だけが鶴丸の唇にかかる。

「もう、不意打ちでこんなことが出来る様になったって知って欲しかったし、知った上であなたにそれを許される関係になりたかったんだよ。だから昔みたいに接することを避けてたんだ」

「……」

「でもそのせいであなたに思い違いをさせてしまったんだったら何の意味もない。もっと早く全て正直に話してしまえば良かった。……恋しかったです。そして今も日々募っています、って」

 触れ合わないぎりぎりの距離で吐露した麗しい唇は震えている。緊張のせいではない。長年募らせていた想いを音にしたことで震えている胸につられてしまっているのだろう。そのいじらしさを褒めてやりたい、唇の震えを止めてやりたい。同時に湧いたふたつの欲求。燭台切の想いを聞いてそのどちらにも抗う必要などない。

 自分から近づいて来た癖に、許可がなければそれ以上先を超えるつもりがなかった麗しい唇が離れていこうとする。鶴丸は迷わず手を伸ばした、昔の様に。人の器では初めてだから、失敗するかもしれない。そう思ったが、予想とは違い実に軽々しく行動に移せた。これでも刀剣男士、力ならある。成人男性の器を易々と抱きあげるくらいの力なら。

「うえっ!?な、な、なんで急に!?」

 慣れた手腕で瞬く間に鶴丸の腕に座らされた隻眼は白黒と瞬く。こちらも昔の習慣のせいか、咄嗟に両腕を鶴丸の首に回してきた。お陰で、その唇がとても近い距離に降りてきた。あの頃とは比べ物にならない長身でも、あの頃と変わらず鶴丸の側に。

「光坊」

「な、なに!……っ!?」

 首を伸ばして、戸惑っていた唇を塞いだ。同じ自分の唇で。大人の体は、ぎしっと身を強張らせるが習慣が染みついていた両腕はぎゅう、とさらにふたりの唇を押し付けた。そういう可愛いことはやめてほしい、笑い出してしまいそうになる。

 しばらくそのまま唇を重ねて、どちらともなく離した。けれど鶴丸は名残惜しさを抑えきれず、目の前の鼻先に自分の鼻を擦りつける。ゆらゆらと美しく揺れる満月が近すぎてぼやけて見える。

「俺は、あの頃の様にきみをこうやって抱きあげても、とろとろに甘やかしても、きみの矜持を傷つけない存在になりたかったんだ」

「つるさん……」

 立派な付喪神となったきみに、幼子みたいな感情をぶつけてもらえる存在になりたかった。囁いた言葉は、耳より早くその唇に届く。それぐらい唇同士は近いままだが、届けたい言葉がまだある間は言葉の出入り口を塞ぐわけにはいかない。

「かわいい、かわいい俺の坊や。俺だけの光忠坊や。幻かもしれない愛しい日々を覚えていてくれてありがとう。……また会えてうれしい、ぞ!」

「わあっ!?」 

 そのままの格好でぐるりとその場で一回り。ぎゅうと両腕が苦しいくらいに絡まる。あの頃には感じなかった遠心力でよろめきそうだったから、その手のお陰で大事な子を落とさなくて済んだ。その安堵に調子に乗ってもうひと回り、さらにさらに一回り。

「つつ、鶴さん!落ちる、っていうか目が回る!!」

「何言ってんだ、貞坊と再会した時はこれくらい回ってただろう!」

「そうなんだけど、体勢が違うと全然違うっ。やだ、降ろして、止めてってば!」

「やーだー!」

 我慢の必要がなくなった再会の喜びと愛しさが止められずぐるぐるとその場で回り続ける。可愛い、可愛い。あの頃の幼子も。今の燭台切も。どちらも可愛くて、過去と現在が永遠に回り続ける。止め時が本気で分らない。

「だーかーら、良いんだって放っておけば」

「何を言っているんだ、燭台切がハーブをあのままにして帰って来ない訳がないだろう。長船派の祖だよ」

「長船派の祖にもそういう日があるの!」

「いいや、燭台切はあのまま外泊などしない。こんなに遅いのは何かがあったからだ」

「だからって探しに行くか?あのふたりも子供じゃないんだぞ!いい加減祖離れしなさい!」

「人聞きが悪いことを言うね。俺は純粋に何か問題があったんじゃないかと心配しているんだよ。でなければあんな張り紙、」

 ぐるぐると回り続けていた所にふたり分の声が聞こえる。この声は主と、山姥切長義の声だ。それに気付いた途端自然と足が止まった。抱きあげられていた燭台切もすぐさま鶴丸から離れる。成程、あれだけ降ろして、止めてと言ってきた癖にその気になれば離れられたらしい。まあ、知っていたけれど。

 言い合っている主と刀は、まだ鶴丸達の姿を捉えていないらしくずんずんと近づき、止まり、また近づいて来る。会話の内容から察するに、鶴丸達を心配して商店街に向かおうとしている山姥切長義とそれを止めようとしている主の図らしい。山姥切長義は普段であればもう少し冷静なのだろうが、大した説明もなくあの張り紙を作ってもらったことが原因となり、夜の商店街に向かおうとしている。燭台切がそのまま残してきたハーブの森もその心配に輪をかけている様子だ。確かに普段の燭台切なら全てを片付けてから次の行動に移る。今日は時間制限があったから仕方がないが、理由を知らなければ確かに心配にもなる。

「やま、」

「待て光坊」

 燭台切も山姥切長義の心配に気付き、急いで駆けつけようとする。その手を握り引き留めた。驚き振り向く顔に問いかける。

「デートの本当の意味を教えてくれ」

「い、今?それよりも早く山姥切長義くんに心配させたことを謝って安心させてあげなきゃ……」

「良いから」

 頑として引かない姿勢を見せると、しぶしぶではあるが相手は観念した様子を見せる。

「……簡易的な意味でつかわれることも多いけど、本来は恋い慕い合うふたりが日時を決めて会い、出掛けることだよ。逢瀬、逢引きとかに近いかな」

「成程な」

「ちょっと、鶴さん?」

 頷きながら、説明を終えた講師の横を通り抜ける。握った手は解かないまま。結果、繋いだ手に引かれて立ち止まっていた革靴の歩も連れ立たれる。主と山姥切長義の目につくからと、そんな抗議が飛んでくる前に軽く振り返って笑いかけてやる。

「それを理由とするなら、恋仲らしく手の一つでも握って帰ってやらないとな」

 これを見たら山姥切長義も安心するだろう。と付け加えれば、ポカンとしていた顔が少し幼く、もう、と何色かに染まって見える頬を膨らませた。

「それであの子から軽蔑されたらどうするんだい」

「その時は俺達の愛がいかに尊く素晴らしいものか懇切丁寧に教えてやらんとな」

「それ軽い拷問だよ……」

 だって何年分だと思っているんだい。

 呆れた声は鶴丸の提案をそう咎めたが、鶴丸がふたりにおおいと大きく手を振り歩き続けてもその手を振り払うことは最後までなかった。

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