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 本丸中に甘い香りが漂っていた。昼餉を済ますまではその香りの片鱗もなかった筈だ。出陣・遠征もなかった為、鶴丸も厨に一番近い広間に足を運んで昼餉を食べたので断言できる。

 時間的に見て、すいーつ好きの小豆が八つ時の為に腕を振るっているのかもしれない。そう思うのだが、いつもより閑散としている本丸内に違和感がある。こんなにも甘い香りが漂えば、庭や大部屋や、あらゆる所で遊んでいる見目の幼い刀らの今日のおやつは何だろうとはしゃぐ声があちこちから聞こえてくるのが常だ。

 しかし今日はそれがない。刀が全くいないわけではないのだ。道場を覗けば何時もの面子の殆どがやはり何時もの様に手合わせをしていたし、内番担当や非番で各々活動している刀達もいた。けれど数は少ない。

 不思議に思いながら本丸中を見回って、最後に甘い香りが強い厨の方へ足を運んだ。近づくにつれ、鶴丸が探していた騒々しさが聞こえてくる。

 顔を覗かせたそこは厨ではなく、厨から一番近い大広間。鶴丸が昼餉を終えた場所だ。そこには鶴丸の想像以上の数の刀達が騒がしくも懸命に何か作業をしている。食卓ごとに数名が固まっているようで、ざっと見て三十振以上はいる。

 その中であちこちの食卓を覗き込んではそこにいる刀と会話を交わしている者が二振いた。燭台切光忠と小豆長光だ。

 鶴丸の視線に質量でもあったというのか。その姿を認めたと同時に燭台切も鶴丸に気付いた。「うん、そのまま混ぜてれば大丈夫だよ」と見上げてくる刀に微笑み掛けてから、広間の入り口から顔を覗かせている鶴丸に近寄ってくる。片手を挙げて答えた。

「よお光坊。大勢で一体何してるんだ」

「チョコ作り教室だよ」

「ちょこづくり?」

「明日はバレンタインデーだからね」

 

 ばれんたいんでー。聞きなれない言葉を繰り返す。聞きなれないが、聞いたことはある。確か、何かしらの行事だった筈だ。いつぞやに調べた内容を思い出して、ぽんと拳で手の平を叩く。

 

「女が好いた相手にチョコを送る日か」

 

 元々は西洋の風習で、それが形を変えて日本に伝わった一年に一度の行事だったと記憶している。日々の驚きの為に人間の風物詩や行事は一通り調べたがこのバレンタインについては当初調べた段階で終わりを告げた行事だった。この本丸にいるのは刀剣男士ばかり、女に関する行事は無関係だ。同じ理由で雛祭りもない。こちらはバレンタインより馴染み深いものではあったが。

 

「最近は性別関係ないみたいだよ。後、好意に限らず色んな想いを込めてチョコを贈ったりするみたい、家族や友人。後は職場の人間なんかにね。ファミチョコ、友チョコとか言うんだって、面白いよね」

「ほー、本命チョコやら義理チョコなんかは知ってるがそれ以外にも色んな種類があるんだな」

 

 鶴丸がバレンタインについて調べたのは数年前だ。その際深く調べなかったので元々バレンタインは燭台切が言うような行事だったのかもしれないが、人間のすることは日々変化する。驚きもあってなかなか好ましい。

 

「それで皆でチョコ作りって訳か。一体誰の案だ?」

「小豆くんと僕だよ。作り方を知らない子も多いだろうからね。小豆くんのスイーツづくりの腕はプロ並みだし、僕も簡単な物なら作れる。人数が人数だけにマンツーマンで教えるにはキリがないし、厨のスペースもない。何より皆で一緒に作れば楽しいだろう?だから今日教室を開いたんだ」

「成程な、きみらしい」

「ちなみに出陣や遠征で今日都合がつかなかった子達は、明日の午前中にもう一回教室を開くからそっちに参加してもらう予定だよ。嬉しいことに希望者が多かったんだ」

 思わず燭台切の背後、広間の中で騒々しく動く刀達を見た。

 

「まだ希望者がいたのか」

「うん。それだけ自分の想いを伝えたい子がいるってことだね」

 

 そう言って燭台切も振り返り刀達を見る。さり気なく見たその横顔は自分のことの様に嬉しそうで、きみはどこまで優しいやつなんだ、と心の中で呟く。口には出していない筈なのに燭台切は内なる声に呼応するかの頃合いで鶴丸へ再度向き合った。

 

「鶴さんも参加していかない?」

「俺が?」

「楽しいよ」

 

 にこっと微笑む後ろで刀達は騒ぎまくっている。顔中チョコまみれになっているものも居れば大声で熱い湯を求めているものも居る。笑ったり怒鳴ったり焦ったり満足そうだったり。確かに楽しそうだ。

 参加を表明しようと鶴丸が口を開いた所、それより先に広間の中からひょっこりと刀が顔を出す。

 

「鶴丸!暇なら手伝ってくれよ!俺の班、人数少ねぇからさ」

「獅子王」

「俺も結構配る奴多いんだけど、一緒の班の小烏丸が一粒ずつでも子らに全員配るって言って聞かないんだ。全員って八十超えてんだぜ?俺、もう手が痛いんだよ!」

 

 頼む!と勢いよく合わさった手から茶色く細かい粒子がパラパラと広間に敷き詰めてある汚れ防止の上に落ちていく。こんなに気持ちよく頼まれれば躊躇していても参加しただろう。

「いいぜ」

「さんきゅー!」

「じゃあ、厨で手を洗ってきてね。あ、エプロンも置いてあるから忘れずに着けて来て、白に茶色は目立つよ」

 

 はいよ、と返事をして厨へと向かった。

「あー!また温度超えちゃった!」

「最初からやり直しだな」

「僕これ苦手―!薬研、やってよ!温度管理とかそーゆーの得意でしょ!」

「俺より平野が得意だぞ、茶入れは温度が命らしい」

 厨を経由して再び広間にって来た。実際輪の中に入ってみると外から見ていた時以上に騒がしい。

 

「包丁!つまみ食いばかりしては駄目です!毛利も見てないで止めてください!」

「ちょっとしか食べてないだろー!前田のケチ!」

「ふぎゃ~!両手とお口の周りべたべたにしながらチョコ食べてる姿可愛い~!」

 人数のせいもあるが粟田口が集まっている付近は特に賑やかだ。長兄の姿は見当たらないのも理由の一つだろう。 

 粟田口とは三つほど離れた食卓で獅子王を見つけたのでそちらへ向かう。賑やかさに気を取られていた為途中で湯を運んでいた肥前とぶつかりそうになってしまった。

 

「おい、あぶねーだろうが」

「すまん!他に気を取られていた!」

「ったく、もし零しでもして湯が混じったら不味くなんだろ。気ぃ付けろ」

 

 不味くなったチョコを想像したのか舌打ちをしながら肥前は湯を持って去っていった。追及できなかったが肥前も参加していることに驚いた。

 

「肥前くんは手伝いさ。チョコを報酬に教師の手伝いを頼まれたようだよ」

「南海先生」

「彼はこういった行事には参加しないからね。だが、報酬が出る手伝いという形なら加わるらしい。ちなみに僕は付き添いだよ。チョコ作りというものにも興味はあったのでね」

「それにしては違うものを作っている様に見えるが」

「うん、今はカラメルとやらを作っているよ。いやはや面白い。お湯を入れる際は気を付けないと火傷をするが・・・・・・。君も一緒にどうだい?」

 他の食卓上には耐熱硝子のボウルやら、刻まれたチョコ片やら、鶴丸の良く知らないスイーツ作りの道具が置いてある。一方、南海の食卓には明らかに実験器具のバーナーと、その上に銀のホイルの中で煮立っている茶色い液体だ。それに興味がそそられないと言えば嘘になるが、

 

「悪い、今日はチョコを作りに来たんでな」

「そうかね。ではまた今度」

 

 南海は名残惜しさも見せずあっさりとカラメルへと視線を戻した。一人で作ってはいるものの、時々愛染や秋田などがやってきては興味深そうに南海の作っているカラメルを見ている。

 

「鶴丸―!こっちこっち!」

 

 寄り道している鶴丸に気付いて獅子王が呼ぶ。山姥切長義と南泉、水心子と清麿が共にチョコ作りをしている食卓のすぐ隣。獅子王と小烏丸が待っている食卓へと着いた。エプロン姿の鶴丸がやってくると今まで手の平でチョコを丸めていた小烏丸が嬉し気に目を細める。

 

「おお、鶴丸」

「よお、とうさま。全員に配るなんて無謀なこと言ってんだって?」

「うむ、一粒ずつだがな」

 

 機嫌良さそうに言う横で「それでも作るのは大変なんだぜ!」と獅子王が軽く頬を膨らませる。

 

「父の気持ちよな。特定の対象に感謝する日はあるが、気持ちを伝えたい相手全員に気持ちを伝えられる日は意外とない」

「まあ、言われてみれば確かに。鶴丸、そっちの余ってるチョコ刻んでもらっていいか?」

「了解」

「機会を作った子らは感心よ」

 

 指示に従い包丁でチョコを刻み始めた鶴丸から視線を外し、小烏丸は別の食卓を見た。そこには浦島に優しく指導している燭台切の姿があった。

 

「材料調達とか、この部屋の準備とかも殆ど小豆と燭台切がしたって言ってたもんなー。そこまでしてもらうと悪い気もする。お陰で俺らは楽しいけどさ」

 

 湯煎でチョコを溶かしながらの獅子王の言葉に鶴丸はざっと周りを見回す。どこの食卓にも誰かしらがいて、作り掛けのチョコが放置されている様子のものは何処にもなかった。

 小豆も、燭台切も。彼らはチョコを作るつもりはないのだろうか。ならば何故こんなチョコ作り教室なんて開くのだろう。仲間の為にという理由も本当だろうが、それだけが理由ならば彼らがそこまでする義務などないのに。

  鶴丸は手伝いながらも何度となく燭台切を見ていたが、彼は最後まで仲間のチョコ作りに徹していて自らチョコを作る素振りは見せなかった。

 前日のチョコ作りを終え、バレンタインデーの当日となった今日。厨からラッピングされたチョコを一袋受け取って鶴丸はどうしたものかと軽く悩んでいる。

 腕が痛くなるほど作ったチョコはほとんどが小烏丸に、そこから残った九割が獅子王の取り分となった。二振は鶴丸にもっと持っていけと言ってくれたが断った。鶴丸は元々誰かに渡すつもりでチョコを作ったのではない。行事参加と手伝いでチョコを作ったに過ぎない。甘い物が特別好きなわけでもないから多く貰っても困るだけだ。そう言って六粒入りの袋をひとつ手に取って出てきた。

 近くの広間は本日のチョコ作り教室で埋まっている。冷蔵庫から取り出すものやら、ラッピングを施すものやらで厨はごった返していてその場で問答したり、取り分けをし直すのは嫌だったというのもある。

 一袋だけの手作りチョコ。頭を悩ましているのはこれをどうするか、だ。最初は大倶利伽羅に渡そうかと思った。昨日大倶利伽羅は教室に参加していなかったが、甘い物が嫌いではない筈。何だかんだと爺の相手をしてくれる日頃の感謝を込めて贈ろうかと思っていた。しかし、冷蔵庫にチョコを取りに来た太鼓鐘と厨の入り口ですれ違った際、

 

「伽羅には俺から渡すから、鶴さんは『別の奴』に渡していいぜ」

 

 にやりと、笑われてしまった。

 

「・・・・・・教わった相手に渡したって驚きも何もないじゃないか」

 

 誰もいないのを良い事にぽつりと呟く。太鼓鐘の言う『別の奴』とは燭台切に違いない。前からではあったが最近は特に焚きつけてくるのだ、告白とやらを。

 

「絶対大丈夫だって言われてもなぁ」

 

 燭台切の相棒である太鼓鐘にお墨付きを貰っても、鶴丸は未だ半信半疑だ。はっきり言って燭台切から敬慕以上のものを感じることが出来ない。まぁ自分の気持ちにも気づかなかったのだ、元々色恋に鈍感ではある。だからこそ、自覚もないまま芽吹いたこの気持ちを見抜いた太鼓鐘の慧眼を疑いたくはないが。

 

「渡してみりゃ答えは出る、か?」

 

 軽く宙に跳ねさせ右手で受け止める。そんな行儀悪さぎりぎりの行為を繰り返しながら廊下を歩く。今日のチョコ作り教室の喧騒はもう遠くなっている。

 驚きも何もないチョコを渡して本命チョコだなんて言うつもりはない。日頃の感謝を込めたファミチョコとやらだと称して渡してみるのだ。燭台切はどんな反応を返すだろう。落胆も見せず、ありがとうと純粋に喜んで受け取るだろうか。もしそうだとしたら、鶴丸は残念だ。

 

「はっきり告げる度胸もないくせに、傷つくことだけは一丁前だな」

 

 その想像を数刻後の現実だと決めつけて自嘲の笑いが出た。しかし、空気が震えて吐き出される音よりも先に、湿っぽい泣き声が鶴丸の耳に届く。

 きょろと辺りを見回すと、空き部屋の片隅で小さく丸まっている影があった。あの丸い後頭部。そこにぴょこんと生えている髪。ひっぐひっぐと漏れる泣き声の持ち主は

 

「包丁?」

「っ!」

 

 勢いよく顔を上げたせいで驚き見開いた大きな目からはぼろりとこれまた大きな涙が零れた。

 

「どうした、そんなに泣いて」

「っ、ぢゃっだあ・・・・・・!」

「何?」

「いぢにいにあげるぢょご、数まちがえてたべじゃっだ!」

 うわーん!とまた自らの両膝に顔を埋めて包丁は泣き声をあげる。

 

「それはまた・・・・・・、他の奴らは余分に持ってないのか?」

 昨日包丁が味見と言いながらチョコを次々食べていく姿を思い出しながら頭を掻く。包丁は菓子が大好きだ。いつも食べ過ぎては兄弟から怒られている。今回も殆ど自分用にチョコを作っていたのかもしれない。

 鶴丸の問いに包丁はぶんぶんと勢いよく首を振る。そうだよなぁ、と苦笑いが出た。皆渡したい相手は多いはずだ。それこそキリがない程。皆限られた数で限られた相手にチョコを渡すしかない。中には全員に一粒ずつ渡す我らが父もいるが、あれは例外だ。

 昨日もつまみ食いのし過ぎで怒られていた様だし、包丁も流石に譲ってくれとは言い辛いだろう。

 

「・・・・・・」

 自分の右手にあるものを見ながら僅かに思案して、それを包丁へと差し出した。

 

「俺ので良ければやるぜ、チョコ」

 

 勢いよく包丁が顔を上げる。

 

「本当!?」

「ああ。やる相手もいないしな」

 

 笑って言うと包丁は涙にぬれたままの顔をきらきらと輝かせる。そして鶴丸の右手に向かって両手を差し出して「チョコちょうだい!」と言った。その切り替えの良さと、微塵の申し訳なさもない所に吹き出してしまう。他の兄弟とは少し異質で面白い奴だ。

 

「ありがとう鶴丸さん!来年恩返しするからね!」

「来年?返礼は来月のホワイトデーとやらにするんじゃないのか?」

 

 何時もの調子を取り戻したのか包丁はその場に立ち上がりながら、チッチッと人差し指を振る。

 

「それはチョコを受け取っただけの奴が返す日だろー。チョコを交換した場合はその場でプラマイゼロなんだぞ!来年俺が鶴丸さんにチョコを渡せば交換したことになるから、ホワイトデーにお返ししなくて済むんだ!」

「そうなのかい?」

「そう!・・・・・・鶴丸さん知らないのか?ホワイトデーのお返しは十倍なんだって。感謝と違って愛は重いから、一か月の間に受け取った分の利息が膨らんで十倍になっちゃうんだぞ。だからチョコを貰った時は来年のチョコと交換ねって言っとけって博多が言ってた!」

「流石は博多だなぁ」

 

 呆れる以上に感心して頷けば益々気を良くした様子で包丁はくるりとその場で回った。両手に大事そうにチョコを抱えている。

 

「これで俺もいち兄にチョコあげられる!ありがとー鶴丸さん!」

「ははは、良いさ。来年期待してる」

「うん!じゃあ俺行ってくる!」

 

 ぱたぱたと駆けだす背中を見送る。

 

「ま、相手を計るチョコになるより良いだろ」

 

 燭台切の気持ちを見極める為のチョコになるより、美しき兄弟愛を一層深めるチョコになってもらった方が良い。一緒に作った小烏丸と獅子王にも後ろめたい気持ちになることもない。何より小豆と、燭台切が企画した行事だ。それで悲しい思いをする奴がいるなんて鶴丸は看過出来ない。だからこれで鶴丸は満足だ。

 

「そもそも光坊のことは行事に頼らなくても俺が腹括って聞けば済む問題だからな」

「あ、いたいた。鶴さん」

「!」

 

 突然声を掛けられて驚いた。他の人間であればそこまでだったのだが、声を掛けてきたのがまさしくいま考えていた相手だったから。

 

「どうしたんだい、こんな空き部屋で」

「ちょ、ちょっとな。きみこそどうしたんだ。チョコ作り教室は?」

「今日は昨日よりも人数が少ないからね。昨日作った子達も手伝ってくれてるから厚意に甘えて、ちょっとだけ抜けてきたんだ」

「そうか」

 

 甘い香りとエプロンを纏っているからだろうか燭台切はうん、といつも以上に柔らかく微笑む。可愛いと心の中で呟いた。

 

「そういえば鶴さん、チョコはどうしたんだい?さっき厨に取りに来てたよね?」

「ああ、あれは包丁にやった」

「包丁くんに?」

「さっきな・・・・・・」

 親愛とは違う愛で方を心の内でしている所に出てきた話題。先ほどの包丁とのやり取りを燭台切に話す。燭台切は鶴丸のチョコの行方に落胆する素振りも見せずに、そっかぁ、と非常に嬉しそうに相槌を打った。包丁が悲しまずに済んだことを純粋に喜んでいる様にしか見えず、想い人からチョコを貰い損ねたなんて雰囲気は微塵もない。やっぱりなぁ、と心の中で嘆息を吐いた。太鼓鐘は何を持ってして大丈夫だと太鼓判を押してきたのだろう。

 表面上は平然を装い話し終わった鶴丸に対して燭台切は、ふふ、と嬉しさを持続させたまま笑った。

 

「何だ?」

「鶴さんらしいなって思って、嬉しくなったんだ」

「包丁が元気になったことじゃなくてか?」

「それは勿論として、だよ。それとは別に鶴さんのそういう所が、って嬉しくなったってこと」

「え?」

 

 何かを含んだ言い方をした燭台切は視線を空き部屋の畳に落として沈黙したが、ふっと軽く息を吐いてもう一度鶴丸を見る。ずっと背後に回していた右手を鶴丸に差し出しながら。

 

「・・・・・・チョコ?」

「うん」

 

 鶴丸が包丁に渡したものと包装は違ったが、その中身はチョコだと言うことが分かった。分かっただけに戸惑いがある。まさかチョコを貰えるとは思っていなかった。昨日燭台切が自分でチョコを作っている様子はなかった。こっそり作っていたのだろうか。昨日、今日のチョコ作り教室の準備もしていた筈なのに。

 鶴丸の思考を読み取ったのか燭台切が「これ、皆が自分達で作ったチョコを分けてくれたんだ」と鶴丸の疑問に答えた。

 

「これは、貞宗兄弟たちから、こっちは謙信くんと五虎退くん。これは平野くん達の班だよ、抹茶が混じってるんだ。凝ってるよね。それでこっちは・・・・・・」

「お、おお?」

 

 始まった解説に益々戸惑う。差し出されたもののこれは鶴丸にくれるのではなく、貰った物が嬉しくて見せに来たのだろうか。子が親に報告するように。・・・・・・有り得る。

「バレンタインデーって素敵な日だよね」

 喜々とした解説が終わり、静かに呟かれた。

 

「気持ちを伝えられる日って素敵じゃない?毎日ちゃんと伝えられるなら必要ない日だけど、それってなかなか難しいことだと思うし。最初はね、僕もチョコ作るつもりだったんだ」

「そうなのか」

「気持ちを伝えたい相手がいるからね」

「そっ、れは貞坊とか、伽羅坊とか・・・・・・?」

「本丸の皆だよ」

「ぜ、全員か」

「うん、全員」

 いたか、ここにも例外が。父の気持ちよなと笑う小烏丸が頭を過ぎる。

 

「小豆くんに相談したら小豆くんも手伝うって言ってくれたんだ。だから当初はそのつもりで材料買ってきたんだけど、ふとね、きっと皆も一緒なんじゃないかなって思ったんだよね」

 

 僕が想いを伝えたい相手がいるみたいに、皆にもそういう相手がいるんじゃないかって。燭台切は低く響く声を一層優しいものにして言う。

 

「僕達は普段厨を使ってるから厨を利用することに抵抗なんてないけど、そうじゃない子もいる。僕達に遠慮しちゃう子だっているだろうしね。そもそも、バレンタインを知らない子も多いから、僕がチョコを渡した時に『自分も作りたかった』って思う子も出てきちゃうかもしれない、それは可哀想だなって」

「・・・・・・だからチョコ作り教室か」

「そう。これならバレンタインしてみたい子は皆参加できるだろう?僕がチョコを配るより良い気がしてさ。想いを伝えたい子が全員、想いを伝えられる日にした方が」

 一つだけの瞳を慈愛に染めて微笑む。そうだ、これが燭台切という刀だ。

 昨日は自分はチョコを作らないのに教室を開くことに対して、本丸の仲間の為にそこまでする義務はないのにと思った。けれど彼は元から義務感で動いたわけじゃない。皆に楽しくあってほしい、皆に優しさが訪れてほしい。その為に自分が出来ることをしたい。ただそれだけの理由で燭台切は行動する。

 きみらしい、と嬉しさが込み上げる。きみのそういう所が、そういうきみだから俺はきみが好きなんだ、と嬉しくてたまらない。

 

「でも、さっき手伝いに来てくれた子達にそう言ったら怒られちゃった。そう言う燭台切さんは一番伝えないといけない相手に、一番伝えないといけない想いを伝えてない、ってね。短刀くんたちってなんであんなに心の機微に聡いんだろうね、ずばりと言われて反論も出来なかったよ」

「確かに俺も、・・・・・・え?」

 

 確かに俺はも貞坊にずばりと言われたよ、と言いかけて今聞き逃せない事を言われような気がして動きが止まる。

 

「しかも自分達のチョコを分けてくれてさ。こんなチョコ渡されたら腹括るしかないよね。だって、これ以上に沢山の想いが詰まった特別なチョコ、世界中の何処にもないもの」

 

 先ほどからチョコを持った燭台切の右手は鶴丸に差し出されている。これが子から親への喜びの報告でなければ、その意味はやはり。

 

「鶴さんに感謝はいつもしているつもりだけど、足りなかったら後でちゃんと別に感謝するから」

「お、おう」

「今は、他の気持ちを伝えてもいいかい。この特別なチョコにも負けない特別な気持ちを」

 

 自分の心から込み上げたきらめきが瞳から溢れだしたかと思った。それほどに急激に、世界が明るく感じたのだ。燭台切の言葉で、鶴丸の見える世界の光度が。動悸や緊張も忘れてただ嬉しさからの高揚が体を満たしていく。

 聞きたい。本丸の全員に想いを伝えたいと言った燭台切の特別な想いを。鶴丸だけに対する特別な想いを。

 瞬きも呼吸も忘れてその言葉を待つ鶴丸の前で燭台切はすっと息を吸った。しかし、すぐ迷ったように鶴丸を見る。先ほどの格好良さを顰めて、あの・・・・・・と少し声を落とす。

 

「先手を打つのは狡いけど、僕の気持ちを受け取りたくなくてもこのチョコだけは受け取ってくれる?チョコに罪はないんだ」

 

 極めて不安そうに言ってくるものだから吹いてしまう。気持ちは分かるが不安がる必要はないのに。

 

「勿論受け取るさ。きみの気持ちと一緒にな」

「そっ、そうかい?それならよかったよ」

 

 不安を宥めるのに自分でも溶けそうなほど甘ったるい声が出てしまった。眼差しまでは自分で分からないが燭台切がさっと視線を逸らしたから、こちらも胸やけがする程のものだったのかもしれない。

 一度勢いをなくしてしまったせいか、しばらくまごついていた燭台切だったが、大きく深呼吸をすることで最低限の落ち着きを取り戻したらしい。きりっと表情を戻す努力を見せてくれた。

 彼が右手に持っていたチョコを鶴丸の両手に握らせて、黒い両手で更に包んで来る。そして高い位置から覗き込むように上半身を屈めて視線を合わせてきた。

 

「好きです」

 

 言った唇は鶴丸の唇のすぐ近くをすり抜けて、右側の頬にふにと柔らかく押し付けられた。

 鶴丸の両手にチョコを握らせている黒い手の力は強靭で、とっさに抱き締めようとした鶴丸を封印している。悪気はなく緊張のせいだとは分かっているが邪魔をされた気持ちだ。

 頬から離れた唇は遠ざかり、普通に会話をする距離へと戻った。ただその表情は、明らかに恥ずかしさで狼狽していた。下がり眉と赤らんだ目元を元に戻す余裕はないらしい。

 

「光坊」

「ぼ、僕そろそろ戻るね。あ、今日の晩御飯はカレーだから!隠し味にチョコを入れるんだ!甘い物が苦手な子もカレーなら食べられるよね」

 

 今は何も言わないでくれとばかりに話題を転換して去っていこうとする。喧騒から遠い空き部屋なんて、こんなおあつらえ向きの場所に二振きりだと言うのに。頬に口づけ一つでここまで動揺しているのだ。それに気付けというのは無理だろう。

 拘束が解かれたからすぐに黒い手を捕らえ返そうとしたがするりと避けられ空を掴む。つれない行動ばかりの癖に、赤らんで見える項を見せて部屋を出ていこうとするものだから余計に沸き上がるものがある。

 

「俺の返事は聞かなくていいのかい」

 

 見た目とまるで違って色恋にはてんで初心だと分っている。この反応を見てそれが予想以上だったことも。このまま畳に引き倒すのは酷だろう。せっかく告げられた気持ちを台無しにしたくはない。分かっているが、何もさせてもらえないせめてもの仕返しに、意地悪でそう言った。

 

「えっ!?き、聞きたいよ!聞きたいけど。今、僕かっこ悪いから!」

「格好悪くないって。ほら、おいで光坊ー。鶴さんが耳元でじーっくり返事を聞かせてやろう」

「ほ、ホワイトデーまでに心の準備しておくから今日はごめん・・・・・・!」

 そう言って両手を広げる鶴丸を一度も振り返ることなく、燭台切はそさくさと部屋を出ていった。あのまま教室に戻ったら焚きつけた短刀達に質問攻めされること間違いなしだ。どさくさに紛れて鶴丸も後で本丸に周知していこう。もう二振は恋仲だと一カ月後を先回りして。

 

「それにしてもホワイトデーって・・・・・・!意外とちゃっかりしてるじゃないか!」

 先ほど包丁に聞いたばかりだ。ホワイトデーは十倍返し。確かに交換するチョコを持っていない鶴丸だ。ホワイトデーの利息は義務である。

「ははは、十倍かぁ。困ったな・・・・・・」

 自分の手にあるチョコを見つめる。昨日大騒ぎしながらも一生懸命にチョコを作っていた面々の顔が浮かぶ。これは燭台切の言う通り、特別なチョコだ。これの十倍のものと言えばそんじょそこらのものでは相応しくない。

 そして先ほどの口づけに対するお返しと言えば。

 

「どう考えても十倍を超える」

 

 これについては問題ない気もするが、あの初心なエセ色男を泣かせるのはなるべく避けたい。生理的な涙は別として。

 非常に難しい問題である。今からからどうするか考えなければ。

 ホワイトデーのお返しはどうやら骨が折れそうだ。と困まり果てた仕草で鶴丸は肩を竦めたが、空き部屋を出て歩き出す足取りは見るからに軽かった。

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